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ザック・ヒルの壮絶なドラミングを最後に見たのは確か2009年、LAでのFYFこと〈ファック・イェアー!・フェスト〉だったと記憶している。
その日の僕は某メタル・レーベルが出店するマーチ・テーブルの売り子を手伝うという大義名分を振りかざしてフェスに忍び込んでいた。テント内はカリフォルニアの炎天下の紫外線を遮るものの、ヒゲ、ロン毛、巨漢、もしくはそれ全部、のレーベルの運営者達が発する漢気で画的に非常に暑苦しく、マーチ・テーブルとそれに群がるこれまた暑苦しいメタル・ヘッズ越しに容赦なく日差しが降り注ぐ向こう側にはパツキン・チャンネーが巨乳、巨尻を惜しげも無く露出する絵に描いたような爽やかかつ涼しげなフェスの模様、この不思議に分割、逆転した世界にあって僕はロクに仕事もせずストーンしていた。
ふいに横で同じく売り子をしていた熊のような男、といっても働いている奴は僕以外全員熊のようなのだけれどもそのなかでも通称「甘党熊」と呼ばれる男に声をかけられて狼狽した。
僕「あ、ごめん......もう仕事中には吸わないよ。」
甘熊「いや違うよ。ウェイヴス見にいかないのか?」
僕「ウェイヴス? あのキモめのバンド好きなの?」
甘熊「いや好きかどうかはわからんけどザック・ヒルだぜ?」
僕「あぁそうか。じゃあ行くよ。」
僕らは仕事を放擲し足早にウェイヴスのステージに向かった。
予想通り初めて観るウェイヴスはキモかった。ちなみにすでにこれを読んでいる彼らのファンはさぞかし憤慨しておられるであろうが僕の個人的な見解においてウェイヴスはサーフとガレージとエモのキモさをあえて全面的に押し出したダサ・カッコイイ美学を追求した希有なバンドだったと言うに尽きるのだ。まぁ好きか嫌いかと訊かれれば嫌いなんだけど......。
......キモかったけれども甘熊の言う通りザックはそれを力技で超一級のエンターテイメントに仕上げていた。
終演後に去ってゆくオーディエンスや甘熊はみな口を揃えて「いやー、ザックすごかったねー」などと呻きながら感無量な表情を浮かべていた。
......ってウェイヴス自体はどうなんだよお前ら!
「デス・グリップス行かないんスか?」
と自分のヘボバンドのヘボドラマーに訊かれ、先の思い出が頭を過った。いっやーどうだろーなどと嘯いている僕に彼は、
「......でもザック・ヒルっすよ?」
お前もそれかい!
......でもザック・ヒルっすよ? ......ック・ヒルっすよ? ......っすよ? しかし頭のなかでヘボドラマーのセリフがテープ・エコーにのってリピートされるのを結局止められなかった僕は自身の忌まわしき過去と対峙する思いで彼らのライヴに足を運んだ。
昨年末のエレキング座談会にて後半少し触れたが、僕はデス・グリップスを素直に受け入れられない何かが常にある。彼らをいま認めてしまうということは結局のところ、いまでこそエクスペリメンタルだなんだと抜かしてる僕が封印してきた「10代だった90年代後半はこんなものを聴いてました」的ハズカシ・ヒストリーを白日の元に晒している気がしてならないのだ。だっていくら文脈は違えどやっぱりラップ・メタルなんですもの......。
しかし結果から言うと彼らのショウは僕が恐れていたラップ・メタル/ミクスチャー感を彷彿させるものはなかった。てか皆無だった。本国のツアーではキーボードで参加しているはずのモーリンが欠席なのも相まってか、(少なくともステージには見当たらなかった。しかしFXはリアルタイムで足し引きされていたし、ザックのドラムのトリガーがシーケンスに反映されているときとそうでないときがあったのでマニュピュレーターとして裏で参加していたのだろうか? スマッシュさん教えてください)そのステージは異常なまでにプリミティヴな仕上がりであった。太鼓とラップでのみ魅せる超一級のエンターテインメント。ザックは徹底された足し算の美意識とも言えるドラミングを休むことなく披露し、MCライドのハードコアなライヴ・アクトがフロアをカオスに導く(個人的にライドのリリックの随所から感じる自暴自棄なイメージを彼のパフォーマンスから垣間みれるかと期待していたのだが、そこまで無茶苦茶なモノではなかった)。
完璧だ。いや完璧すぎるのだ。彼らの音源を聴いたときから感じていた懸念は確信へと変わった。技術力を習得するというミュージシャンとしての基本的な行為をそもそもかなり早い段階で諦めてしまった僕のヒガミからくるのであろうか、ツッコミ所のない音楽に対してイマイチ入り込めない自分。ポテンシャル、技術、ソングライティング、パフォーマンス、どれをとっても比類なき完成度を誇るデス・グリップスに僕は自分のダメ人間っぷりを反省させられている気がするのかもしれないし、人生のどんなシビアな局面もマジメに受け止めてこなかったが故に最近はなるべくユーモラスなものにヘラヘラしていたいのかもしれない......。そしてそういう意味では数年前に見たウェイヴスにおいて、あのダサさとザックのドラムは僕にとって良い塩梅のバランスだったのかもしれない。
なんだかレヴューがネガティヴかつヒロイックだな。これがパキシルの効果とやらなのだろうか。みなさんもインフルには気をつけましょう。
しかし日本盤を1枚も出していないバンドにこれほどまで集客があるのは驚くべきことである。おそらくデス・グリップスにおいて最も評価されるべき点は、バンド及びミュージシャンとメディアの関係性のここ数年の大きな変化を象徴し、それのもとに大きな成功を収めていることだ。盛況に終わったこの興行が意味するのは、マーケットの確固たる変化だといえよう。
倉本諒