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じゃがたら新世界2015〜Reborn of a ravel song

じゃがたら新世界2015〜Reborn of a ravel song

@西麻布「新世界」

出演:南流石、EBBY、エマーソン北村、西内徹、服部将典、スティーブ エトウ、関根真理 ゲスト・ヴォーカル:こだま和文、桑原延享、いとうせいこう 特別出演:OTO

May 23, 2015

文:野田努  
写真 : 門井朋   May 29,2015 UP

 「おまえはおまえのロックンロールをやれ」とは、あらゆる抵抗がなかば強制的に運動へと一元化された時代への批評(反省)から生まれた言葉なのだろう。「おまえ」は殺され、「人びと」という主体だけが許された時代への。
 その晩、僕はいったい何回「おまえはおまえのロックンロールをやれ」という言葉を聞いたことだろうか。
 23日の夜遅く。よみがえったのは、ステージのうえでお揃いの赤いスーツを着ていたあの時代の、酒すら飲めない若いファンが途中で嘔吐てしまうほど圧倒的な存在感をはなっていた江戸アケミその人ではなかった。「おまえ」だった。新世界がいっぱいだから100人弱だろうか。集まったオーディエンスの半分は、どう見てもリアルタイム世代より若かった。

 こだま和文を一目見たかったというのもある。
 手術後の初ステージだったが、酒とタバコを持って登場した彼は、“もうがまんできない”を歌った。「ちょっとの搾取なら/がまんできる/それがちょっとの搾取ならば」──レゲエのリズムに乗って「がまんできる」ことを繰り返すことで「がまんできない」と表明する反語表現ならではのインパクトを持った曲だ。ぶっきらぼうに反復される言葉は、じょじょに熱を帯びながら重なっていく。見事なパフォーマンスだった。


 
 江戸アケミ抜きで、そして篠田昌已抜きで、じゃがたらの曲をやること自体がリスキーなのは、ステージで演奏する人たち全員がわかっていたことだろう。とくに南流石、EBBY、エマーソン北村、桑原延享といった生前の江戸アケミを知る者たちからしたら、心のどこかに抵抗がないはずがない。南さんはステージで「こんなコピー・バンドにお金払って来てくれてありがとう」と言っていたけれど、自嘲や謙遜ではなく、本心なのだと思う。
 しかし、それでもやるんだ、やりたいんだという純粋な気持ちが、とても清々しく伝わってくるライヴだった。故人を必要以上に崇めるような嫌味なところも、内輪的なところもなかった。感傷的にはなったけれど、過去を懐かしむ感じではなかった。OTOさんはその晩のために、熊本の農場から、現在の自分の暮らしぶりとじゃがたら弾き語りメドレーの動画を送ってくれた。
 スペシャル・ゲストとしてラップを披露したいとうせいこうにも拍手したい。僕はその晩、Pヴァイン40周年のイヴェントがリキッドであったので、ECD〜B.D. & NIPPS、それからSIMI LABという錚々たるラッパーのパフォーマンスを聴いて新世界の駆けつけたのだけれど、いとうせいこうの、早送りで言葉の意味を解体していく──としか言い表しようのないラップは僕にはあらためて新鮮に聴こえた。
 とにかく、その晩演奏された曲は、過去を懐かしむことを拒み、現在の曲として再現された。「ああしろこうしろそうしろと/あいつからが今日もがなりたてる」と歌う“みちくさ”なんか、橋元優歩が聴いたら泣くんじゃないのかな。
 が、しかし、泣かないだろう。じゃがたらに涙は似合わない。ねっとりとしたファンク、腰をくねらせるアフロ、身体に響くレゲエの複合体。徹頭徹尾ミニマルなダンス・ミュージックなのだ。“都市生活の夜”や“裸の王様”は、いまでもみんなを踊らせる。そして、音楽における言葉はつねに音とともにある。音と一緒になったときに、書き言葉にはないマジカルな威力を持つ。とくにダンスと一緒になったときは。

 江戸アケミという人には生きていくうえでのマリーシア、ある種のずる賢さ、ほとんどの人には備わっているであろう適度な欺瞞というものがなかったのだと思う。彼の並外れた愚直さは、語り継がれている多くのエピソードから容易にはかり知れる。

 「おまえはおまえのロックンロールをやれ」と言ったのは、江戸アケミ自身が「おまえ」=個という主体になりきれなかったからだと僕は思う。「人びと」「ピープル」「私たち」「社会」とか、どうしようもなくそういう主体から逃れることができなかったのは、他でもない江戸アケミだったのではないか。音楽は世のため人のためにある。ダンス・ミュージックは共同体の音楽だ。じゃがらの楽曲は、あれだけ強烈なものを発しながらエゴイズムがない。江戸アケミの歌詞には、フォーク上がりの日本のロックにありがちな“僕”や“俺”の私小説性がないのだ。
 じゃがたらのカヴァー演奏がリアルに思えたのは、楽曲が作者の所有物になることを拒んでいるからだろう。目の前に広がる風景のように、他の誰かに歌われてしかるべきものとしてある、ということなのかもしれない。だから、「おまえはおまえのロックンロールをやれ」とは、表向きには個を主張しながら、しかしむやみやたらに個に帰れと言っているわけでもない多重的な言葉なのだ。プロセスがあり、コンフリクトがあり、そしてどう考えても未来への期待と希望がある。夜も11時をまわったというのに拍手が鳴り止まなかった理由を説明せよと言われたら、僕にはそうとしか答えようがない。

 アンコールは“タンゴ”だった。“タンゴ”がアンコールだった。ということは、あんなに大きな拍手がなければ、“タンゴ”はなかったのだろうか。レゲエのリズムを使っているとはいえ、あれはやはり重たい曲だ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの“ヘロイン”だ。街の悲しい闇だ。決して後味が良い曲ではない。しかしあえて、このハッピーではない人気曲を最後に持って来たのかもしれないな。
 終電に乗って駅を降りて、「こーこーろーの〜もーちーよーさ〜」とか「ああしろこうしろそうしろと」とか歌いながら家に帰った。5年後にまた何かやるそうだ。でも、「今、今、今、今、今が最高」。「おまえはおまえのロックンロールをやれ」、至言とはこういう言葉を指すのだ。
 

文:野田努