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朱文博「一半」

朱文博「一半」

@People, Places and Things

2020年4月4日(土)

細田成嗣   Apr 14,2020 UP

パンデミック下の即興/ノイズ/実験音楽の場


水道橋 Ftarri 入口
(2019年8月4日撮影。手前のマイクはこの日の出演者・大城真の機材)

 社会全体が危機的状況に陥っている。多くの人々が明日の、いや今日の生存と生活を脅かされている。こうした状況下で文化は、音楽はどんな役に立つと言うのだろうか。むろん音楽で生計を立てている人々にとって文化の停滞は生活の地盤が揺らぐことへと直結する。だがそうではなく、文化そのものの、音楽そのものの意義をどのように主張すればよいのだろうか。たしかに音楽はわたしたちの日常にささやかな喜びを、ときには生きることの価値観が激変してしまうような衝撃をもたらしてきた。しかしそれは生活の豊かさではあっても必需品としてあるわけではない。むしろ文化が、音楽がどれほど生活に必要であるのかを主張しなければならない状況ほど悲惨なものはない。音楽はどんなに生活を根底から支えていたとしても、生活の役に立つために存在しているわけではないのだ。そしてそうした「役立たず」であればこそ、わたしたちに楽しみを与えてきたはずだ。多くの人々にとっていま必要なのは、音楽ではなくパンデミック下を生き抜くうえで直接的に有用な諸々の道具であり制度である。だからいま音楽を語ることはどんなに流暢な言葉をもってしても近視眼的な振る舞いにならざるを得ない。だがそれを承知のうえでなお、音楽について何がしかを書かざるを得ないのだとしたら、それはおそらくわたしにとって何一つ生活の役に立つはずのない音楽が、しかしながらその有用性の彼方で生活と密接に関わり続けてきたからに他ならない。

 新型コロナウイルスの影響により各地でイベント中止が相次ぐなか、東京・水道橋のCDショップ兼イベント・スペース「Ftarri」でも、4月に開催される予定のすべての公演が中止または延期となった。スペースを運営する側にとってイベント中止は収入源が断たれることを意味するものの、感染拡大を防止するためにそのようにせざるを得ないという八方塞がりの状況は、ライヴを中心的な現場の一つとしてきた音楽文化全体が直面しているこれまでにない危機だと言ってもいい。こうした事態は、自粛期間中の補償を政府に求める「#SaveOurSpace」が3月31日に開いた会見で繰り返し強調していたように、単に音楽の現場だけではなく、美術館や映画館、飲食店など、パブリックなスペースを運営するあらゆる業界に共通する問題でもある。むろん商業主義とは一線を画したインディペンデントな活動において、ふだんのライヴ活動は利潤追求だけが目的とされているわけではないのかもしれない。しかし同時に、決して慈善事業として無償でパフォーマンスを提供しているわけでもない。小規模ながらもミュージシャンとスペース、そして来場するリスナーとの関係性が、絶妙なバランスのもとに成立することによってこれまで継続してきたのだ。さらに言えばそうした活動は、ある特定の場所でしか生まれないような唯一無二の音楽と文化を生み出してきた。スペースが立ち行かなくなることは、単にひとつの場所が消え去るという話ではなく、こうしたオルタナティヴでマイナーな音楽文化それ自体の存続に関わってくる。

 そうしたなか、4月4日に水道橋 Ftarri で開催が予定されていたイベントの中止を受けて、4名の出演者たちがビデオ会議アプリケーション「Zoom」を用いた配信セッションを敢行した。配信の内容はもともと予定されていたものと同じく朱文博(Zhu Wenbo)による作曲作品「一半」のリアライゼーションである。これまでも複数回来日してライヴをおこなったことがある朱文博は、中国実験音楽界の第一人者である顔峻(Yan Jun)の下の世代にあたる北京在住の作曲家/演奏家であり、「Zoomin’ Night」という名のイベントおよびカセット・レーベルを企画/運営している、近年もっとも精力的に活躍している気鋭の音楽家の一人だ。同楽曲は昨年11月に開催されたフタリ・フェスティバルの際に出演者として来日した朱文博が、日本で出会った新旧の友人知人との交流をきっかけとして翌12月に作曲したものだという。本来であればこの日、徳永将豪(アルト・サックス)、池田陽子(ヴィオラ)、竹下勇馬(エレクトロベース)、浦裕幸(その他)のカルテットで Ftarri で演奏されるはずだったが、ウェブ上へと場所を移し、出演者でもある浦裕幸によるパンデミック下のリモート・コンサートのプロジェクト「People, Places and Things」を通して同一メンバーでのライヴ配信が披露されることとなった。なお同公演は、外出が厳しくなって以降中国で朱文博らが取り組んできたライヴ・ストリーミング・シリーズ「Practice」の一環としても配信された(「Practice」の活動についてはライターの山本佳奈子による記事「対コロナ期における中国での実験的な音楽─空白を乗り越えるために」(https://offshore-mcc.net/column/843/)に詳細が記されている)。


4月4日の配信セッションの様子(https://youtu.be/-8bpDXSE9Dw
(左上:浦裕幸、右上:竹下勇馬、左下:池田陽子、右下:徳永将豪)

 楽曲は全体が90分からなり、演奏と休止を特定のルールに従って交互におこなうといった簡単な指定を除けば、演奏内容や発音時間など多くの要素が演奏者に委ねられている。即興的にその場で決定できる側面が多分に含まれた楽曲となっており、演奏人数の指定はないものの、ソロよりも多人数でのセッションをおこなった方がよいと朱文博自身は記している。複数人で同時に演奏するということであれば、共演者の演奏を受けて自身の行為を変えることもあるだろう。すなわち一種の集団即興であり、リモート・セッションにおいてどのようなアンサンブルが実現するのかが要点となるのだが、今回配信されたライヴ映像で真っ先に耳に飛び込んできたのは他でもなく音色の特異さだった。ふだんのライヴとは異なるデッドなサウンドと、共演者同士の演奏が直接的に共振することのない奇妙な感触。また、ノイジーな演奏音や微かに聴こえる弱音と、配信にともなう接触不良音のような響きが混濁し、ライヴの現場では聴くことのできないようなストレンジな音色が現出していたのである。だがそれだけに、4人の奏者それぞれが本来持つ音響の特性よりも、演奏行為によって音と沈黙とに分割されていく時間間隔の方が際立っていた。そしてこの時間間隔という点から言うのであれば、想像以上に違和感のないセッションとなっていたところも印象に残った。作曲作品の演奏であることに加えて、たとえ即興でおこなわれたとしてもそれぞれがソロとして成立し得るような演奏であることが、こうした配信の場においてもアンサンブルとして聴かせることに貢献したのだろう。

 一方でたとえば配信時に混入するノイズをどの程度抑えるのか、または音量バランスをどのように整えるのかなど、小規模な配信セッションをこれから洗練させていくうえで向き合うことになる課題も見えてきたように思う。ラップトップやスマートフォンなどを介したセッションをおこなうにあたって、こうしたインターフェイスをできる限り透明なものにして、生演奏の現場に近いような状況を作るのか。それともインターネットを介した配信セッションならではの特性を引き出すのか。今後の展開が気になるところだ。また、言うまでもなくこうした配信セッション自体は今にはじまった試みではないものの、ウェブ上があくまでも日常的な音楽空間の一つとなることによって、演奏者の身体の用い方や配信空間に対する意識がこれからの音楽そのものにフィードバックしていくこともあるのかもしれない。いずれにしてもパンデミック以降、わたしたちはすでに後戻りのできない局面に差しかかっていることは間違いない。そうしたなか、即興/ノイズ/実験音楽の根を絶やすことなく、現場をウェブ上へと移して活動を継続していくためにも、こうした配信空間を開拓していくことには大きな意義がある。そしてパフォーマンスを継続していくことと同時に、いずれは水道橋 Ftarri というフィジカルなスペースでふたたびライヴをおこなうことができる日が来ることを願ってやまない。そのためにも自粛要請とセットで迅速かつ柔軟な補償がおこなわれなければならないことは論を俟たない。繰り返しになるものの、このことは音楽のみならず、公的空間に携わるあらゆる人々が、さらには生活の危機に立つすべての人々が直面している問題でもあるのだ。

細田成嗣