Home > Reviews > Album Reviews > D'Eon- LP
すごくふつうだと思っていたものが、思いがけず気味の悪いものであったというふうに、ディオンには出会い直した。なぜふつうだと思っていたかというと、先入観である。もっと言うなら、彼のスタイルのR&B的な側面だけをもっとも浅薄になでた結果である。いまエイティーズからナインティーズへとブームの重心移動が兆しているその中心に、90年代R&Bを影響源にあげるアーティストたちがいる。ウイークエンド、ナスカ・ラインズ、インク、アヴァ・ルナ、ファースト・パーソン・シューターなど枚挙にいとまがないが、彼らはジェイムス・ブレイクを例に挙げるまでもなく、チルウェイヴや昨今のインディ・ダンス・ブームとつよく結びついた流れのなかで聴かれ、生まれ、研磨されてもきた。その点ディオンは、グライムスとのコラボレーションや、〈ヒッポス・イン・タンクス〉周辺の人材であることから考えても、彼らのような例のひとつであろうと容易に想像をつけることができる。そしてあまたの才能がひしめくその空域で、彼はとくに個性的な音を鳴らしているわけではない、と筆者は思っていた......たとえば“トランスペアレンシー・パート2”のあたま90秒くらいをさらっと聴くかぎり、べつだん変哲を感じないではないか? だが問題はその先、2分ちょっとのところに噴き出していた。
べつに彼の異常さの例はこのことに限らない。極端に回転数を上げられてピッチの狂った声のマテリアルが、やがて病的に重ねられ、刻まれて、トラックをふち取りはじめる。つづくピアノの、絶妙にひきつったソロがどうにも気持ち悪い。非常にドリーミーで甘美な旋律をなぞっているにもかかわらず、五体、五感の十全な機能を何かにさまたげられるような、なんとも言えず痛ましさ与える演奏・エディットだ。
感情のひだ、という言葉があるが、まさしくミルフィーユ状におびただしく折り重なった心の層のひとつひとつのすきまに、彼の音はじつにうっとうしく、気に障るやりかたで入り込んでくる。民俗楽器だろうか、細い竹がさらさらとぶつかりあうような音、シンセがさまざまに紡ぎ出す音は、いずれもわずかな試聴では気持ちよさげで白昼夢的、スムースですらあるかもしれない。だがこれを心地よく流しっぱなしにするなどとは、筆者には考えられないことだ。回転するようにめまぐるしいアルペジオや音圧のゆらぎは、その善意のような悪意、天使のようでいて陰惨でもある異様な気配とともにこちらの意識をホールドする。
この奇妙な音、狂った声を、ディオンはおそらく天使ガブリエルのものとして表現している。キリスト教やイスラム教でともに神の言葉をつたえるとされる存在だが、そのガブリエルの名を冠した“ガブリエル・パート1”“ガブリエル・パート2”にはともに度しがたい圧迫感でこの声や音が用いられている。彼はそもそもこの作品を、インターネットが変えた情報環境と、その一種冒涜的な性質に対する怒りやおそれから制作したというように語っている。ユーチューブやツイッターは人の生活と自らの生活をあばくが、神はそのように暴くことはないし、ガブリエルはなにも伝えない、というわけだ。だがこのアルバムのあとでは、ガブリエルがインターネットのなかに存在するというふうに考えが変わるだろうとも述べる。それは、膨大な情報の集積そのものが福音である可能性を考えるということである。インターネット社会におけるこうしたユートピア思想を、彼はアートのなかに見たいのだそうだ。よって、あの砂嵐のような音の猛襲は、情報の具象化であり、ガブリエルの声をそこに二重映しにするものであるのだろうと考えられる。
それにしても、このなんとも安息できない音空間は彼の資質や彼自身の内側を思いがけず開いているのかもしれない。わずか11歳で大学に音楽を学び、ライヒやテリー・ライリーに親しみ、精神を病んで退学、数年前にはヒマラヤへ渡って修道院でチベット音楽を修養したという経歴も強烈である。R&B的な歌唱スタイルの上には、激しいビートと粒子状に舞う音塊が弾幕のように張られるが、下にはメディテーショナルなアンビエント・スタイルのサウンドが布のように広がる。この分裂したような音楽性をステンドグラスの宗教絵画ジャケットに封じた『LP』は、実際のところいったい何への供物だったのだろうか。彼がひとつひとつの曲に持たせたと思われる意味や宗教性は、深く研究されたものであるというよりはおそらく妄想に近い。一聴したところ軽くてポップなシンセ・アルバムのように見えた本作は、本年ぶっちぎりで不気味な1枚になるかもしれない。〈ヒッポス・イン・タンクス〉的なニューエイジ性を、また深く塗り直す作品である。
ちなみにアート・ワークは、スリープ∞オーヴァーやオートル・ヌ・ヴォウの印象的なジャケットも手がけたグラフィック・デザイナー、アレクサンダー・ジットマンによるものだ。彼がこのレーベルに果たす役割も、看過できない大きさを持っている。
橋元優歩