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ブレイディみかこ Feb 08,2013 UP ざばあっと海水がスローモーションで跳ね上がり、巨大なシーラカンスが現われる。
1曲目の冒頭で、脳内スクリーンにそんな映像が映し出された。
なんでこんなに変わっとらんのだ、この人たちは。
この曲の題名には、"現われ出でたるシーラカンス"が相応しい。しかし、この雄大なシーラカンスのテーマは、22年のときを経て発表するアルバムの冒頭としては、全年齢層のリスナーをびっくりさせる上では有効かもしれない。実際、わたしなんかも狼狽してマグカップを落としそうになり、体勢を立て直して大笑いしたではないか。と思いながら2曲目に進む。
と、そこでもざばあっとスローモーションで海水のしぶきが上がっていた。
英国では、『mbv』のリリースは、ボウイ新曲発表のインディ界ヴァージョンのようなものだった。しかし、どちらが熱いリアクションを呼んだかといえば、『mbv』だ。『ガーディアン』は出血絶賛状態だ。しかも、レヴュー文がやけに長い。書き手の年齢的なものもあるのだろう。一般レヴェルでも、リスニング・パーティをオーガナイズした個人やバーがあったと聞いている。ミドルクラスのインディおやじたちにとっては格好の週末イヴェントだったのだろう。そういえば、最速でレヴューをあげた媒体のひとつは『ファイナンシャル・タイムズ』だった。
しかし、どうしてこのタイミングなのだろう。
UK版『ハフィントン・ポスト』にときどき時事ネタを書くおっさんになっていたアラン・マッギーが、昨年5月に「本を書いたり、映画を製作したり、絵を描いたりする暮らしも気に入っているが、音楽業界に戻るかもしれない。日本の人びとと話をしている」と書いていたが、どうやらその「Tokyo Rocks 2013」のブッカーの仕事で思うところがあったようで、年末には「新レーベルを立ち上げたい」と宣言した。そして、「Tokyo Rocks 2013」のヘッドライナーはマイ・ブラッディ・ヴァレンタインらしい。これらの動きと『mbv』は、おそらくリンクしている。ファンにせっつかれてどうしようもなくなって、というのはいまいち説得力に欠けるし、浪漫派の人びとが言うような、シューゲイズ・シーンを爆破終結させるためのアルバムなら、2013年じゃないだろう。
あるいは、ギターの時代が戻ってくると騒いでいるUKメディアや、80年代末から90年代初頭のようなファッションで歩いている若者たちを見て、ざわざわ血が騒いで踊り出て来てしまったのだろうか。
4曲目から唐突に曲調が変わった。
キーボードがピロピロいっている。でも、これだけ? 6曲目も衝撃的だ。単なるクリアーなインディ・ポップだからである。後からもっと加工して創意工夫するつもりで、かったるくなったんだろうか。いや、22年もかけといて、面倒になったはないだろう。新譜は『Isn't Anything』のほうに近い。とケヴィン・シールズが言っていたのを読んだが、でも、それにしても、なんかちょっと、デモテープみたいで。
現在のケビンの風貌は、スクラッフィでいかにもアイルランド人だなと思う。アイリッシュ・ロックのコンピレ・アルバムでは、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは常に除外されているし、ダブリンで結成されたこと自体、知らないアイルランド人が多い。若き日のケヴィンがダブリンでアドバイスを乞うたのは、ヴァージン・プリューンズのギャヴィン・フライデーだった。
「Get the fuck out of Dublin for a start」の彼の一言で、ケヴィンはアイルランドを後にする。
だが、いまのケヴィンみたいな、どうでもいいようなセーターやシャツを着て、クレイジー・プロフェッサーみたいな髪型をした、もう音楽以外には何もないというような、ダブリンのおっさんを何人か知っている。新曲ができたんだよ、と聴かされるたびに、若い頃に聞かされた曲とまったく同じなのが彼らの共通点だ。2年も20年も大差ないような、溶解するダリの時計が刻むような時間があの辺りには流れている。
7曲目で、お。と思った。8曲目はヴァージン・プリューンズを思い出した。最後の"Wonder 2"がいちばん好みだ。とり散らかっているが、勢いがある。何故これを冒頭に持って来なかったのだろう。
ざばあっと現れ出でたるシーラカンスが、帰り際になって、波間でちょっとした躍動的な暴れを展開して海中に戻って行った。
全編を通じて映像の手ブレが激しかったため、わたしはまだ船酔いしている。
ブレイディみかこ