Home > Reviews > Album Reviews > Nick Cave & The Bad Seeds- Push The Sky Away
「今回、大きく変わったのは、ギターがいなくなったことだ。だから、最初にギターが存在しないヴァージョンをつくってみて、そこからはじめたアルバムだった」とニック・ケイヴが米メディアに語っている映像をYoutubeで見たが、旧バッド・シーズは、正反対のギタリストをふたり擁していた。
ひとりは、ノイバウテンのブリクサ。ぎゃああああん、とか、どごおーん、とか、別にそこでそんな変なギターの音はいらないんじゃないか。という箇所でさえ我が道を行っていた往年のノイズ界の貴公子は、ときに耽美的ダンディズムに酔い過ぎるニックをおちょくっているかのようであった。だから、彼が辞めたときには一抹の不安を感じた。
が、ブリクサ脱退後のバッド・シーズは、全然いけていた。もうひとりのギタリスト、ミック・ハーヴェイは器用貧乏と呼ばれることもあったが、しかし、ニックのような人と組むと、その器用さが全体をホールドする。ケイヴが自作の詩に音楽をつけるにあたり、静寂のバラードから怒涛のロック・ソングまで、多様なムードの曲のあいだを自由自在に飛び移ることができたのは、彼の脇に盟友ミック・ハーヴェイがいたからだ。特に前作の『Dig!!! Lazarus Dig!!!』では、50男のガレージ・ブルーズ。みたいな渋くてワルいギター・サウンドを聞かせてくれ、ひょっとすると、年々タイトになるこのバンドは、「激烈にクールな中年ロック」という新ジャンルをつくるのではないか。と気分が高揚した矢先の脱退だった。
「ロックなニック・ケイヴが好きだった人は、今度のアルバムはダメだろうね」
あるおっさんがパブで言ったので、私はぶーたれた。
「っていうか、あれだったら、詩の朗読と変わらないじゃん」
実際、同じ街に住んでおられるニックは、地元のわりと小規模なハコでポエトリー・リーディングをなさることがある。英語でのポエトリー・リーディングというのは、平坦な日本語でのそれと違い、抑揚が強くて、リズムや旋律のようなものさえある。だから、今回のミニマルなアルバムはそれに限りなく近い。とは言え、わたしは文豪ニック・ケイヴは好きだ。「And The Ass Saw The Angel(神の御使い)」も、「The Death Of Bunny Munro(バニー・マンローの死)」も何度も読んだし、とくに、アル中の母親と動物虐待者の父親を持つ少年の話である前者は、アンダークラス支援団体の託児所で働いていた時期に再読し、若い頃に日本語訳で読んだときには笑えるとしか思っていなかった箇所で、何度も心を蹴破られたりした。
彼の小説では、もっとも美しいバラードともっとも野蛮なロックが自由自在にリミックスされている。ニック・ケイヴという人は、言葉の分野なら自分ひとりでそれができるのだが、音楽となると、ミック・ハーヴェイが必要だったのかもしれない。花田清輝的に言えば、対極するものを対極させたまま一致させる、というのはアクロバティックな荒業だからである。
「音楽としては、わたしはニックではなく、旧バッド・シーズが好きだったのかもね」
新譜はいまいち。という私を、それは君が化石のようなロック女だからだ。という論旨でやっつけようとしていた50代の相手は言った。
「......いや、実は、俺もそんな感じはたしかにあるんだけど」
(彼は、わたしのブログに登場したことのある、いつもニック・ケイヴのTシャツを着ていた成人向け算数教室の講師だ。保守党政権になって失職し、現在はこざっぱりした姿で大学に勤務している)
とはいえ、わたしだって"Push the Sky Away"や"Water's Edge"は好きだ。が、"Higgs Boson Blues"ではミックのギターを幻聴してしまうし、"Wide Lovely Eyes"は、"Let Love In"のような曲になれたのではないかと妄想してしまう。
別バンドのグラインダーマンをやっていた頃、新相棒のウォレン・エリスに「お前がギターを弾け」と言われて自分で弾いたというケイヴは、「いま、ひとりだけギタリストを連れて来れるとしたら誰とやりたいですか」と訊かれて、バッド・シーズ脱退直後のミック・ハーヴェイの名を挙げたことがある。
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ニック・ケイヴは、今回のアルバムの舞台はブライトンだと語っている。
彼は、天井が高く、窓などに優美な曲線的デザインが目立つ高級住宅(公営住宅は、天井が低く、すべてが直線で四角い)が立ち並ぶ海浜地域に住んでおられる。で、そこにある自宅の大きな窓から見える庭と海と空がアルバムのベースだという(自宅の窓辺に立つ彼と、妻の写真がジャケットである)。
だとしたら、やはりわたしのような丘の上の貧民街在住者には理解できない世界だ。
うちの小さな窓から見えるブライトンは、冬なのに芝が伸びきってジャングル状態のイングリッシュ・ガーデンや、路上に転がっている狐の死体や、舗道でカツアゲしている十代のフディーズたちの世界だ。
「ブライトンの良いところは、もっとも貧しい者やもっともリッチな者、ゲイ、老人、学生、アナキスト、といった多種多様な人間がナイスなバランスで共存していることだ」とニック・ケイヴは地元誌に語ったことがある。
だが、残念なことに、そのブライトンは、わたしにはこのアルバムからは見えて来ない。
ブレイディみかこ