Home > Reviews > Album Reviews > RP Boo- Legacy
しばらくスペイン映画しか観たくないと思っていたのに、やはりキム・ギドクの新作は......気になった。3年間、映画が撮れなくなったことを自画撮りしたセルフ・ドキュメント『アリラン』を観ていればなおさらである。同作によれば、彼自身はこれまでインディペンデントを貫いてきたにもかかわらず、彼の助監がいわゆる商業資本で映画を撮ったことにはかなりの抵抗を感じたようで、そのうちの1作であるチョン・ジェホン監督『プンサンケ』には(商業主義の最たるものといえるキム・ドンウォン監督『リターン・トゥ・ベース』とはまったく違って)北にも南にも属さない朝鮮人を描き出すという意欲が漲っていたにもかかわらず......である(といっても同作の脚本はキム・ギドク。ちなみに『リターン・トゥ・ベース』で直球のツンデレを演じるシン・セギョンはちょっとよかったなー。韓国のTV番組では「整形していない美女ランキング 第4位」だそうで)。
そして、キム・ギドク監督『嘆きのピエタ』は驚いたことに、竹内正太郎を虜にしたヤン・イクチュン監督のデビュー作『息もできない』と同じ設定、同じテーマだったのである。血縁社会が崩壊し、近代的な組織に再編されていく社会を闇金の立ち位置から描き、疑問形で終わるのが『息もできない』だったとしたら、そこから後の展開を描いたのが『嘆きのピエタ』だったといえる。そして、そのことは疑問形で終わらせた『息もできない』の鮮やかさを相対的に浮かび上がらせることとなり、一方でギドクがまだリハビテイションの段階にいることを印象づけたところもなくはない。とはいえ、パッションはハンパないし、構成力も健在で、韓国映画を世界に知らしめた火付け役のギドクが本格的に復帰するまでにそれほど時間がかかるとも思えなかったので、ここでは社会構造の変化が急速に進んでいることをふたりの才能ある監督が瞬間的に切り取っていること、そこに最も留意しておきたい。同じ闇金を扱いながら、背景にどのようなテーマも盛り込めない山口雅俊監督『闇金ウシジマくん』を情けなく思うばかりである(闇金を舞台にした少女マンガ、ヤマシタトモコ『サタニック・スイート』は違う意味でチョー面白かったですけどね)。
先駆者だからいつまでも先頭を走れるわけではない。そんなことは当たり前田のタクシム広場である(まさかイスタンブールで暴動とは......)。ジュークのオリジネイターとされるPR・ブーもDJロックやDJラシャドが先にアルバムを投下しまくるなか、このままいけばDJフルトノやヘタするとゴルジェにも抜かれるというタイミングで、ようやくデビュー・アルバムをかっ飛ばしてくれた。正直、後から出てきた人たちについていけなくなってるんだろうと邪推の嵐で再生ボタンをプッシュ。またしても『ゴジラ』のサンプリングからスタートし、『ゲゲゲの鬼太郎』みたいなイントロの"インヴィジブル・ブギー"に続く頃には早くも深みに引き込まれていた。ベースを16で刻み、ドラムをハーフで叩くというフォーマットはすでに崩壊していて、オフだらけの"レッド・ホット"や"ジ・オポーネント"など、ビートのパターンだけを聴くともはやドラムン・ベースにしか聴こえないトラックや、基本はスネアでドライヴさせながら、あちこちでオフを機能させるなど、官能のデパートメントみたいなセンスにはまったく逆らえない。"バトル・イン・ザ・ジャングル"で後半に向かってサイケデリックになっていく構成も楽しめるし、"187ホミサイド"ではブルースも感じさせる。ベスト・トラックは"スピーカーズ R4"か。ビートには凝っていなくても、ファンファーレを撒き散らした"ロボットバッティズム"もそれはそれでいいんじゃないかと。最近だとフレイミング・リップス『ザ・テラー』のように国内盤用のボーナス・トラックが全体の流れを台無しにしてしまうことも多いけれど、ここではそれも含めて全体の構成もちゃんと考えられている。
ジュークを消化したサウンドはマシーンドラムやジャム・シティなど、ポツポツと目立つつつある。そうしたなかではスレイヴァ(本名)のデビュー・アルバムがシンセ・ポップとの融合を果たした最初の例にあたるのだろう。リズムはもちろんというか、形だけのものになっていて、そっちで何かを期待できるものはないとしても、シンセ・ポップの新局面としてはわりと気になる出来となっている。もともと、シンセ・ポップというのはシクスティーズのイミテイションだったり、R&Bの換骨奪胎だったり、紛い物であることがアイデンティティであったわけだから、ここでも正しくジュークのイミテイションがつくられているということはできるだろう。大げさなリフが楽しい"ハウ・ユー・ゲット・ザット"や"ホールド・オン"の切ないメロディなど、適度に転げ回りながらシンセサイザーが作り出すカラフルな景色はどこかセカンド・サマー・オブ・ラヴの初期を思わせる。同じようにシンコペーションが多用されたジュークのリズムに、レジデンツのようなセンスを持たせたものとしては名古屋の食品まつりもユニークなカセット・アルバムをブルックリンのノイズ系レーベルからリリースしている。仕上がりはオオルタイチを思わせる気の抜けたブレイクビーツのようでもあるし、やはりリズムの面白さを受け継いだり、発展させたものではないとしても、ジュークをどこに持っていってしまうのかという不安と期待を煽りまくるものとしてはユニークな存在感を放ち、次も聴いてみたいものにはなっている。もしかして中原昌也がジュークをやったらこんな感じだったりするのかも。
https://soundcloud.com/shokuhin-maturi
三田 格