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ザッピ&ペロン組によるファウストの新作が出た。と、その前に、なんでバンド名の頭にこんな説明をつけるのかというと、つっこんだジャーマン・ロック好きにはいまさらな話だけど、現在のファウストは69年結成時のオリジナル・メンバーであるヴェルナー・“ザッピ”・ディーアマイアー(ドラムス/メタル)&ジャン・エルヴェ・ペロン(ベース/ヴォーカル)組と、ハンス・ヨアヒム・イルムラー(キーボード)組にぱっくり分裂してしまっているからなのだ。ざっくり言うと、ザッピ&ペロン組はいまも変わらずファウストのシュールでアヴァンギャルドな精神面を体現し、イルムラー組はどこまでも遠く突きぬけるファウストのラジカルな音響面を更新しつづけている。この3人のあらぬ方向にねじ曲がった突起のぶつかり合い、そのユーモアの危ういバランスこそが往年のファウストの魅力だったのだけど、いまはおのれの道をいくそれぞれのファウストの姿を見守るしかない。と言っても彼らの間にいわゆるややこしい「のれん問題」は(おそらく)なく、そのうちふたつが合流するだろうなんて能天気に夢想しながらも、それぞれのファウストを聴き比べるのが甘美なひとときだったりするのだが。
さて、ザッピ&ペロン組のファウストの新作に話を戻そう。まさか、前作『サムシング・ダーティー』(2010)を聴かずして「90年代以降の復活ファウスト」を軽視するなんて不届きものはいないと思うけど(でも、たしかに00年代の彼らはやや退屈で精彩を欠いていた)、2010年以降の彼らの奔放な爆発力、バラエティ豊かなんて生やさしいものではない意味不明なワケのわからなさは、70年代のファウストを想起させるには十二分で思わずにやりとしてしまう。それは、イルムラー主導のファウストでも同様で、『ファウスト・イズ・ラスト』(2010)では、22曲94分にもおよぶ可笑しみのある暴力的音響が展開されて心臓を鷲づかみにされる。
おっと、失礼しました。いい加減にザッピ&ペロン組のファウストの新作に話を戻そう。フタを開けるまで何が飛び出すかまったくわからないファウスト。本作のパフォーマーのクレジットにはザッピとペロンの名前しかなく、ある程度シンプルなファウストを想像していたのだけど……こいつは思った以上である。過剰な装飾をそぎ落とし、ひとつの音の響きと行間にありったけのシャレをこめる。ファウストのダダイスティック・マインドがむき出しではないか!
1曲め“Gerubelt”の冒頭から刻まれるペロンのミニマルなベースライン。自由に音を発しながらもゆったりとしたリズムをキープするザッピのドラミング。そして、2曲め“80hz”ではボゴバキ、ガリゴリとした物音ノイズが炸裂し、続く“Sur Le Ventre”ではザッピのお家芸ともいえる、リズムのすき間の絶妙な位置に「ト、タン」と立体的なタムを挿入した反復ビートが現れるわ、おまけにメタルは打ち鳴らされるわでもう……重いリズムに刺激され、体の奥底にひそむ何かが高ぶりぐつぐつ煮え立つのがわかる。さらにペロンのヘロヘロとしたフランス詩のヴォーカルも登場したりして宴もたけなわ。また、“Cavaquinho”“Gammes”などペロンの嗜好と思われるケルティック〜フォーク調の楽曲が織りこまれたかと思えば、ミシンの音を増幅させたリズムが暴走する“Nähmaschine”(そういえば97年の来日ライヴでは、ザッピがコンクリート・ミキサーをカラカラ回して変なリズムを作っていたな)、ピアノとドラムがガサゴソと音を問いかけ合う“Nur Nous”、ストリングスの引っ掻き音と持続低音をきっかけに、細かなリズムと攻撃的な音響が連続する“Palpitations”など現代音楽さながらの実験も横行する。そして、拍子の抜けたトランペットが鳴り、まるでブリジット・フォンテーヌ『ラジオのように』におけるアート・アンサンブル・オブ・シカゴみたいにフリーキーな演奏が聞ける“Eeeeeeh...”、永遠にサビにたどり着かない叙情的なメロディが繰り返されるラストの“Ich Sitze Immer Noch”でもって2014年度版ファウスト劇場は幕を閉じる。
『j US t』と表記して「Just Us」と読ませる本作のタイトル。「ただの私たち」とでも訳せばよいのだろうか。かつて97年に『You Know Faust(あなたはファウストを知っている)』なんてタイトルのアルバムを発表したように、彼らは自身の伝説をパロディ化する。90年代におけるジム・オルーク、ステレオラブら音響派と呼ばれたアーティストとの交流。ノイズ/インダストリアルの元祖たらしめる鉄パイプやガラスが散乱した工事現場さながらのステージ。発煙筒焚きまくりでチェインソーから火花飛び散る過剰な演出(先述の来日ライヴのアンコールではハンマーでTVをたたき壊してドカン!ハイ終了!)などなど。伝説がひとり歩きし、異常にデフォルメされたファウスト像に応える再始動後の彼らのあれこれも愉快だったけど、そんな喧騒も収束したいまこそ、老いを極めたファウストの知的暴力に耳を尖らせたい。さすがに70年代に残されていまや語りぐさとなった4枚の名作のインパクトを越えることはないけど、そこには古老の知恵と幼児のラジカリズムを(洗練とはほど遠く)荒唐無稽に混ぜ合わせて余分な色気と肉づけを削ぎ落とした骨組みだけの音楽がごろんと横たわる。そう、いままさにまな板の上に乗せられて音楽解体ショーがはじまるかのように! いつになく空虚で不条理に。それでいてタイトでシャープに。まるで彼らのファースト・アルバムのジャケットにあしらわれた拳のレントゲン写真そのままに、亡霊のごとく超現実的なゲンコツ(=ドイツ語で「ファウスト」)にガツンとやられて虚無に襲われてしまうのだから、私たちは現実のなかで、はてな? とこうべをかしげるしかない。