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Mus.hibaのサウンドスケープ
──ヴァーチャルシンガーの「息」遣い佐々木渉
当初、シンセサイザーの開発目的の中には、「この世にあるすべての音を写実的に表現することを目指して発展すること」があった。アナログ方式・FM方式とデジタル化される最中にあっても、もちろん、ヴァイオリンなどの生楽器も再現しようとしてきたのだが、その後、録音した音そのものを切り刻んで自由につなぎ合わせるサンプラーが発達すると、生楽器の再現にはほぼ完全にサンプリング音源に取って代わられる。昨今では、『ファイナルファンタジー』などの高級感が売りのゲーム音楽を初めとし、オーケストラ・アンサンブルの表現には高級サンプリング音源が使われているのが定番になっているのが象徴的だ。
そんな、オーケストラをほぼフル再現したサンプリング技術が、いちばん手を焼いたのが「歌」である。
声のデータを大量にサンプリングしてきたとして、それを歌のレベルに構成するには、膨大な数の子音/母音区間をタグ付けし、整合性をチューニングし、さまざまなパターンでピッチや倍音の流れを再構築するなど独特の難しい作業があり、リアルに鳴らそうとすればするほど、おびただしいシミュレーションが必要となり、それらをコントロールするためのたくさんの演算処理もハードウェアでは到底できなかったため、PCの進化をジッ……と待つこととなった。
本作、ムシバ(mus.hiba)氏のアルバム『White Girl』のヴォーカルを務める、「雪歌ユフ」はそんな歌声「サンプリング」合成の歴史の中で、サンプル・ベースの歌声合成エンジンの一般化から産まれた「個人が制作した個性派音源の先駆け」であり、女の子のキャラクターを伴ったヴァーチャルシンガー(※)である。
※ヴァーチャルシンガー自体は、たくさんの種類と制作者が存在し、いま、この瞬間にも世界のあちらこちらで作られている。
この「雪歌ユフ」はウィスパーヴォイスが特徴で独特の質感がある。“Darkness”や“Yuki”で聴かれるような、水面に写った歌のような揺らぎのある声質とイントネーションは、声の合成の不安定さを魅力的に昇華し、美しくまとまっている。さらに特筆すべきは、生身のシンガーから、感情的に歌いかけられているような「声の向こう側のプレッシャー」を感じないのが、鮮烈で、そもそも「歌が苦手」「日本語が苦手」というリスナーにも体験としてオススメできる。
mus.hiba氏の楽曲構成も秀逸で、「雪歌ユフ」を音源として取り込んだ上で、サウンドバランスが整えられており、前半3曲の“Slow Snow”から“Ring”までの流れで「ユフ」の声の、歌唱の雰囲気をリスナーの耳に溶け込ませ(馴染ませ)、徐々に、歌を後退させながらダビーな音響で声そのものを浮き上がらせる“Magical Fizzy Drink”を仕込み、声をメタリックにシンセサイズした“まぼろし”などで「ユフ」の声の聞こえ方を多様化させながら作品は進んでいく、こういった中でリスナーの耳が開かれ、ほぼ歌詞のないインスト曲でも、リスナーは彼女の息遣いを耳で探したり、追ったりしてしまうのだからおもしろい。
後半の“Moonlight”“ひとり”は、声をサウンドスケープとして扱い、リスナーの耳の中に声を溶かして、息を潜めていこうとする流れ……これは稀代のヴォイス・パフォーマー、ジュリアナ・バーウィックの諸作とも被るが、ここには自然な律動やオーガニックさは微塵もないのが対照的。
アルバムの前半では「比較的楽しげに」歌っていた「ユフ」の声の印象が、後半では声の上澄みである「息」として、残像化され、デフォルメされて流れてくる。リスナーとして、さっきまで耳で捉えられていた女性像そのものが輪郭を失っていくおもしろさがありました。
聴き終えた後、最初は歌だった気がしたが、その半分は「息そのもの」が奏でていた音楽だったのだなー、と感じた次第です。
PS.
このmus.hiba氏のアルバムを聴いて、「雪歌ユフ」やインディペンデントなヴァーチャルシンガーの歌声が気になった方は、エレクトロニカ寄りであれば「ナカノは4番」さん、インディ・ロック/ポストロックであれば「藍乃」さんあたりから聴きはじめるのが良いと思います。
※上記リンクで試聴するにはニコニコ動画のアカウントが必要です。
佐々木渉
佐々木渉、三田格