Home > Reviews > Album Reviews > Sleater-Kinney- No Cities to Love
伝説のバンドのカムバック盤はクリーンでタイトになりがちだ。ミドルエイジになっても健在。みたいな、元気でわかりやすい音にしたほうが売れるからだろう。だから、10年の沈黙を経て帰って来たスリーター・キニーの新譜が、初期スージー&ザ・バンシーズのエクスペリメンタル版みたいで個人的には好きだった前作『The Woods』で閉じた本の、まったく同じページからのやり直しになるわけがなかった。「とにかく良いロック・ソングを作る」というベーシックに戻った新譜は『Dig Me Out』、『All Hands Are On the Bad Ones』辺りを髣髴とさせる。
しかし「クリーンでタイト」もやり過ぎるとバンド独特のテイストが希薄になるもんだが、スリーター・キニーの場合は逆に濃厚になっている。アクロバティックに尖ったギターの不協和音、ザ・ストーン・ローゼスのレニが女装してるのかと思うぐらいヴァーサタイルなドラム、そしてハスキーさに肝の据わりを加えブルージーにさえなったヴォーカルが、個別にも、バンドとしても、ばーんとスケールアップしていて冒頭から「お。」の声が出る。過去4作を手掛けたプロデューサー、ジョン・グッドマンソンがこれまで以上の仕事をしている。そうか。関係者も含めてみんな加齢したせいかもしれない。年を取ると余計なことを考えなくなるからだ。10曲で32分(日本盤は11曲らしい)。見事に迷いも無駄もない。
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他所で書いた与太話だが、2015年はワーキングクラスのミドルエイジの女たちが政治を変えるという説がある(提唱したのはわたしではない。オーウェン・ジョーンズだ)。昨年、UKで草の根の運動を起こして成功したのは下層の女たちだった。運営打ち切りのシェルターから追い出されたホームレスのシングルマザーたちが公営住宅を占拠して自分たちでシェルターを作ったり、公営住宅が投資ファンドに売り飛ばされて退居を迫られたお母さんたちが抗議運動を展開し、ついに投資ファンドが公営住宅を手放した件など、市民運動は成功しないという近年の常識を覆し、彼女たちは現実に求めるものを手に入れたのである。
そして今話題の、反緊縮の急進左派が政権を握って(しかも右翼政党と連立を組んで)EUにタイマンを張るというとんでもないパンクな状況になっているギリシャでも、選挙運動中に左派を象徴するシンボルになったのは、アテネの財務省の前で座り込みを続けた元清掃作業員の失業した女性たちだった。彼女たちは役所の前にキャンプを張り、警察の威嚇にライオットし、粘り強く権力に拳を上げ続けた(彼女らが使ったポスターには、ゴム手袋をはめた拳が描かれていたそうだ)。
この地べたの女たちの怒りと底力。はミニスカ姿のテイラー・スウィフトやパリコレでプラカードを掲げて行進したスーパーモデルたちが体現できる類の「女性の力」ではない。サヴェージズだって詩的に構えすぎる。こんだけフェミニズムがどうのと言われてるわりには、ゴム手袋をはめた拳のサウンドトラックが見当たらなかったのだ。
私はアンセムじゃない かつてはアンセムだった
それは私のことを歌っていた
でも今は アンセムが存在しない
聞こえるのは残響 鳴り響く音
‟No Anthems″
その残響をリアルに変えるのだというロマンティックな使命は彼女たちの中にあった筈だ。
‟Surface Envy″やタイトル曲‟No Cities to Love″などはそれこそ堂々たるロック・アンセムだし、プラスティックなギャング・オブ・フォーみたいな‟A New Wave″のソリッドなグルーヴ、WギターとドラムとWヴォーカルが5匹の蛇のようにタイトに絡み合って一本の太いロープになって飛び跳ねている‟Bury Our Friends″など、ベースレスのバンドがなんでここまでどっしりしているのか。なんかこう、音に覚悟がある。若い頃に弄んだスカスカした洒脱さを、帰って来たスリーター・キニーは覚悟で置き換えている。
息子の学校の保護者会に行ったらそこら中にいそうな感じの風貌になった3人組がこんな音楽を奏でているというのがまたいい。これを聴いた後では今年はロックが聴けるのかしらん。と不安になっている。2015年の「ゴム手袋の拳」大賞は早くも決定した。
ブレイディみかこ