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カンディング・レイの新作が〈ラスター・ノートン〉からリリースされた。本作もまた、『OR』(2011)、『ソレンズ・アーク』(2011)から続く、ダークで重厚、そして強い同時代性と物語性を内包した2010年代的なインダストリアル/テクノである。彼特有の鈍く光る黒いダイヤモンドのようなトラックは本作でも健在で、細やかなテクスチャーとヘビーなビートの融合が実に巧みだ。
ところで私には、このカンディング・レイによる2010年代3部作は、末期資本主義崩壊の「符号」を送信するトリロジー・アルバムのように思えてならない。じじつ、『OR』の主題は資本主義のメインキャラクターともいえる「金」をテーマにしていたし、『ソレンズ・アーク』も「科学の脱構築」をテーマにしていた。共通するのは20世紀の終焉と21世紀の不穏なのだが、それは新作『コリー・アルケイン』でも共通している。それは何か。
このアルバムを手にすると特徴的なアートワークに驚くだろう。〈ラスター・ノートン〉的なミニマム/幾何学的なアートワークから大きく逸脱するビジュアル。これはマリナ・ミニバエヴァ(Marina Minibaeva)というフォトグラファーの作品である。彼女は「ヴォーグ」などにも作品を発表しているモード・カメラマンであり、その作風は女性の崩れそうなほどの繊細な強さを香水のようにふりかけている美しいものだ(http://www.marinaminibaeva.com/)。では、なぜカンディング・レイ=デイヴィッド・ルテリエは彼女の作品をアートワークに用いたのか。そこでルテリエが本作のリリースに先立って発表した、ある女性の物語/概要のようなテクストに注目したい(http://www.raster-noton.net/shop/cory-arcane?c=9)。
主人公の名をコリー・アルケインという。そう本作と同じ名だ。彼女はインターネットに心の解放を見出すが、それはアルコールやドラッグなどの依存も強化することになった。破壊衝動も強まり、キッチンを崩壊させた。そして広告とジェンダーへの闘争と逃走。やがて彼女は巨大都市の片隅にしゃがみこみ、世界の騒音=ノイズを受け入れるのだが、同時に世界のシステムが崩壊していくさまも垣間見る。そのとき彼女のヘッドフォンからは音楽が流れていた。その音を、ルテリエはこう美しく描写する。「彼女のヘッドフォンで音楽は混合するだろう。都市の音は美しく着色され、ピクセル化された表面には、複雑なリズムと未来的なテクスチャーは織り込まれていく」と……。
このように本作は明らかに高度情報化社会を生きるある女性の崩壊を仄めかしながら、私たちの社会の崩壊をイメージしている。ルテリエは主人公コリー・アルケインを象徴としてマリナ・ミニバエヴァの作品を採用したのだろうし、彼女の耳から脳に流れていた音が、本作『コリー・アルケイン』なのだろう。なんというコンセプト/物語性か(そもそもカンディング・レイは00年代のエレクトロニカ/IDMアーティストの中でも物語性や思想性の強いアーティストであった。それゆえインダストリアル/テクノの潮流の中でも強い存在感を示し得たわけだが)。
私はこのカンディング・レイの新作を聴きながら同時にOPNやアルカなどの新譜も聴いていたのだが、『コリー・アルケイン』は、『ミュータント』や『ガーデン・オブ・デリート』を繋ぐアルバムのようにも思えた。何故ならカンディング・レイの描く「崩壊」は、OPNやアルカの音楽=人間のオーバースペックとでもいうべき「クラッシュ」的な状況へと繋がっていくからである。崩壊からクラッシュへ。人間からミュータントへ。いま、世界は激変し、電子音楽も変貌を遂げている。『コリー・アルケイン』もまた、そんな2015年的状況を象徴するアルバムではないかと思う。
デンシノオト