Home > Reviews > Album Reviews > Satomimagae - Kemri
音色とは音符では表されない音楽の重要な属性で、クラシックからすればシンプル極まりない音楽であろうロックやフォークだが、歌っているのがその人でなければ成り立たない曲ばかりであって、いや、リズムやメロディが凡庸でも、声の魅力だけで成り立ってしまう曲はまったく珍しくない。
サトミマガエは本当にクールな音色=声の持ち主だ。畠山地平の〈White Paddy Mountain〉からの2枚目になる『Kemri』を聴いてあらためてそう思った。なんといっても1曲目の“Bulse”が素晴らしい。絞り出される低い声は、荒削りだが魅力充分で、そしてブルース調の展開による音の隙間には、彼女のあらたな可能性を感じる。“Odori”や“Leak”や“Mebuki”のような曲では、アコースティック・ギターの霊妙な響きとともに、彼女の歌は前作同様にもうひとつの世界を創出する。このCDが再生されているあいだ、見慣れた日常の風景はすべて幻に転じるというわけだ。
しかしなんだろうね……、エフェクト効果もあってか、生活音らしきフィールド録音のミックス効果もあってか、あるいはレーベルの方向性もあるのだろうか、例によって歌詞(言葉)はほとんど伝わってこない。が、彼女の魅惑的な歌声と曲が醸し出すその独特のムードは、したたかに残る……などと書くと、一時のチルウェイヴ系に見られたリヴァーブによる雰囲気だけの歌と誤解される向きもいるだろうが、サトミマガエからは時流のスタイリッシュさの対岸にいることの力強さ、心持ちの強さを感じる。
とはいえフォークと呼ぶには、やはり前作同様、サウンドが先立つ。そして、曲名が日本語でありながら日本語表記ではなくアルファベット表記なのも彼女の作品の特徴だ。曲名の意味のポイントをはぐらかそうとしているかのように、さもなければ、インターネットによって個人の趣味や行動が管理/スキャン/モニタリングされている今日において、大切な何かをさっと隠すかのように。まあ、深読みというか、いや、深読みなのだが。
『Kemri 』にはしかし、隠しきれない孤立が響いている。その繫がっていない感じがさらにぼくを惹きつける。10代の頃はビョークやファナ・モリーナを聴いて、近年はデルタブルースをよく聴いているという話だが、彼女はポテンシャルとしては、(前作のレヴューでも書いたようにグルーパーとか)新作を聴いて思ったのはエリザベス・フレイザーとかそっちじゃないかという気がする。
そしてぼくが勝手に想像して目に浮かぶのは、小さな場所で、10人ぐらいの客を前に歌っている彼女だ。ネットを賢く利用することでのし上がるアメリカン・ドリーム、あるいはん万PVなどと騒いでいるこのご時世において、むしろそれぐらいの人数がどこからともなく名も無き場所に集まるというのは、じつは贅沢である。ストリーミングされることのない場所、コピーされることのない声──『Kemri』にはガツガツしない者が持ち得る力強さがある。そして、情報の速度に惑わされたくない人たちが集まる、密会じみた場所を探り当てるような作品でもある。アートワークもすごく良い!
野田努