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NRQ

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NRQ

Retronym

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柴崎祐二   May 22,2018 UP

 「Retronym(レトロニム)」とは、元来あった概念や事物を、後に出現した同様のものと峻別するために生まれた表現のこと。例えば、音楽コンテンツのリリースにおけるデジタル配信が定着してからのちは、それまで単純に「リリース」と言われていた発売行為を、CDやレコードなどの有体物をもってする場合は「フィジカル・リリース」と派生的に言い換えることなどがわかりやすい例だろう。他にも、カラープリント技術発展後に、それまで単に映画といっていたものを「モノクロ映画」としたのも代表的なレトロニムの例。
 
 では一体、音楽における「レトロニム」とはなんだろう。それは、音楽ジャンル一般を概念化して言語で語る際には、頻出するものとなる。ポピュラー・ミュージックが発展していくときに逆説的に現れた様々なレトロニム。ガレージ・パンク、初期パンク、オーセンティック・スカ、戦前ブルース、ルーツ・ロック、オールドスクール・ヒップホップ。そしてそもそも、19世紀産業革命以降の大量消費社会出現後に現れた商業音楽とそれまでの音楽を隔てる「クラシック」という語がそうだし、「ワールド・ミュージック」という80年代以降に頻用されるようになった語も、かつては単に「世界の何処かの音楽」としてあったものがグローバリゼーションの発展により逆説的に発見され周縁的存在として再定義されたレトロニムであるといえるかも知れない。

 しかし。NRQ=New Residential Quartersとは、翻訳すればすなわち「新興住宅地」。新興住宅地とはまさに、サバービアの住宅地を思い起こさせる通り、旧来の都市中心部における住宅地の周縁に新たに開発された居住地のことであり、いわゆる「新語」とされるもの。即ち今回バンドが4枚目のアルバム・タイトルとして掲げた「レトロニム」の、全き反対概念に思われる。
 「ブルース、カントリー、ジャズなど過去の音楽遺産を継承するように様々な要素を消化し、オリジナルな編成で演奏する個性派集団」という、これまでバンドに与えられがちだった牧歌的評価とこのバンド名が孕むイメージの齟齬は恐らく、牧野琢磨氏の頭の中には活動当初から予測されていたものだったろう、と彼本人を知る私などは推察するのだけれど、ここへ来て4枚目のアルバムに「レトロニム」というタイトルを付けたことは、そうした齟齬の実相に自ら分け入っていくような勇敢さ(もしかしたら諧謔なのかもしれない……)を強く感じるのだった。
 だからこそ、この挑戦的とも言えるタイトル「レトロニム」について、さらに厳密に考えることこそ、ここから聞こえてくる彼らならではの音楽観を我々に引き寄せる正道であるとも思えるのだ。

 テクノロジーの発展やイノベーションによる後続の概念の提出により、それまで一般的に使われていた概念は、時間軸上においてレトロニムとしての語が与えられたときを基点として、過去の側へ意味を伸長する概念となる(「モノクロ映画」というレトロニムは「天然色以前の映画」という意味が与えられる)。しかしながら、語の指示するそういった意味論的レベルとは別の次元では、元来包摂的なものとしてあった概念が「その時点で」「あらたな語」を付与されるという作用がそこにあることに注目したい。この作用こそは、レトロニムが語としては過去向きの意味性を帯びるのとは無関係に、むしろ極めて現在的視点からの行為に引き起こされたたものであると言える。言い換えるなら、その指し示す意味内容に関わらず、レトロニムもまた、その時に生まれる「新語」であることに変わりはないのである。
 そして、この「新語」たるレトロニムを発生させるパースペクティヴこそが、現在から過去を眺める視点すなわち歴史意識と呼んで差し支えないだろう(現在のスマホの存在を知らない人はどうしてかつてのケータイのことを「ガラケー」と呼びかえるだろうか)。
 要するに、いまこの時点で獲得される視点をもってして、過去を位置づけようとするという意識がなければ、そもそもレトロニムは生まれてこない、という当たり前の事実を述べているわけだが、そうしたパースペクティヴと、逃避的懐古主義のようなものがいかに簡単に混同されやすいか、という問題もあるから話は単純でない……。ジョン・コルトレーンによる60年代のカルテット吹き込みを礼賛すること自体には、いわゆる懐古主義といったものは本来備わっていない。しかし、それに耽溺し、耽溺する自己が歴史意識を剥奪されたときにこそ、現代の視点から浮遊した懐古主義は顔を出してくる(「たかが趣味程度にそんな区別は不必要では……しかもインターネット空間において過去の遺産へのアクセシビリティが格段に向上して享受したいものをそれぞれが享受できるこの2018年に……」という議論もまあ、ある面では説得的かもしれないのだが、歴史意識を持ちつつ過去のものを愛でている健全な人たちが、単なるノスタルジストと混同されているのを耳にしたり目にすると心が痛むものだ)。
 やや脱線してしまったが、要するに、懐古と回顧は全く違うものなのだ。
 レトロニムとは、現代に生き、現代からものを見ることができる者のみが指し示すことのできる概念なのである。

 広範に渡る音楽知識、パースペクティヴ、そして膨大な演奏経験を持つ牧野琢磨、中尾勘二、服部将典、吉田悠樹の4人による2015年以来にして4枚目となるアルバムは、そんなレトロニミスト(この言葉いま作りました)集団の面目躍如というべき内容となっている。
 それぞれが腕っこきであることは勿論のこと、ここではエマーソン北村、おきょん、王舟、谷口雄というゲストプレイヤーが参加し、これまでの彼らの作品中でもっとも華やぎを感じる作品だ。
 昨年2017年にソロ・アルバムもリリースし高い評価を得た吉田による二胡の演奏は、よりスポンテニアスさを増しつつ、吉田以外にそのような奏法の者が見つからないという性質をもってして、この音楽に圧倒的且つ説得的な記名性を与える。そしてやはりテクスチャー上においても吉田が紡ぎ出す(二胡の演奏風景というのは本当に何か紡ぎものの手仕事を行っているように見える)サウンドこそが、NRQらしさの決定的要素であることを実感させてくれる。
 中尾勘二によるドラム・プレイは、「味わい」ということばをそのまま音素に置き換えたような変わらずの滋味とパンキーなチャームを振りまきながらも、意外な(?)ほどシャープ&ファンキーに疾走する時間もある(とくにM1“ADHD”の後半部やその名も“Funky Solitude”と名付けられたM5など)。また、今回はホーン・アレンジメントで遠藤里美が迎えられているが、中尾は一人多数の管楽器を操りそれを多重録音することで、アンサンブル全体のの広がりと彩りも格段に増すことになった。服部によるアコースティック/エレキベースは、トリッキーなプレイを挟みつつも、「バンドらしさ」を下支えする盤石と自信に満ちており、しかも「ベースラインだけを追っていても楽しい」という快楽を聴くものに提供してくれる。また、チェロやバイオリンのプレイによって、バンドのアンサンブルはいっそう豊かになっている。
 そして、何と言っても牧野のギターの卓越ぶりだろう。恐らくいま世界中を探してみたとしても、強い個性を持ちながらもこのようにブルース〜ジャズ〜ロック〜ラテン〜レゲエ etc.を横断するスキルと歴史的視点を獲得しているギタリストは簡単に見つかるものではないだろう。様々なギター演奏に精通していることを伺わせるネッチリとしたオブリガードやジェントル極まりないタッチ。それでいて即興音楽の濃密な「一回性」とも共通するような強烈な個性。ガボール・ザボやラリー・コリエル、マーク・リーボウやビル・フリゼールといった歴史性と革新性を兼ね備えたギタリスト達のプレイを受け継ぐ存在であると言えるだろう。
 コンポーザーとしての各人の魅力も縱橫に発揮される。中尾勘二によるM2“三鷹の人”におる「インストの歌もの」とでも言いたい歌謡曲的メロウネス。牧野作M6“在宅ワルツ”、吉田作M9“ロソロソ”などにおける東京サバービアへの哀感溢れる黄昏のサウダージ感。服部作M7の東ヨーロッパ風洒脱。そして、グルーミーな王舟のボーカルによって幕開けする、牧野の作によるM10“ナイトほ〜ク”の、まるでNRQ版ザ・フー“クイック・ワン”とでもいうべき壮大且つ躍動感に満ちた組曲世界。

 なるほどNRQという集団は、過去の音楽遺産へと愛に満ちたオマージュを捧げている。しかし、プレイにおいてもアレンジにおいても、そしてコンポーズにおいても、確かな歴史意識を持って自らの手でアウトプットする。そこに生まれる作用こそが、レトロニムが生まれる時に起こる作用と同じく、過去の音楽を現在の視点から相対化し、ひいては現在において「新語」を創り出すということそのものなのである、と確信を持って教えてくれる。
 飄々としつつも一筋縄ではいかないこの音楽家集団は、音楽における「新しい」レトロニム作りをせっせと行っている。今2018年、新興住宅が建つここ東京郊外でしか出来ないやり方、そして見方で。

柴崎祐二