Home > Reviews > Album Reviews > 山口美央子- トキサカシマ
山口美央子が80年代初頭にリリースした3作品(『夢飛行』、『NIRVANA』、『月姫』)がようやく復刻再発されたということは、昨年2018年のリイシュー・シーンの中でも特に大きな出来事だった。デンシノオト氏によるレヴューでも言及されているように、これらのリイシューは、単に「懐かしの和モノ盤」の発掘というわけではなく、昨今の音楽シーンの動向と密接に連動するものだった。
井上鑑がアレンジを担当し、《4人目のYMO》松武秀樹がプログラミングを担当した1st 『夢飛行』と 2nd 『NIRVANA』は、シティ・ポップとテクノ・ポップの小粋なマリアージュとして、いかにもテン年代末的リスニング・センスに合致するものだ。そして、一風堂の土屋昌巳がアレンジャーとして参加し、前2作と同じく松武がプログラミングを担当した 3rd 『月姫』は、収録曲“白昼夢”に象徴的なように、昨今のジャパニーズ・アンビエント再評価以降のムードにドンピシャなこともあって、3作中でも最もリイシューが望まれていた作品だ。ニューエイジ~アンビエント的なるものが様々なジャンルへ波及していった2010年代後半に再評価されるにあまりにもふさわしい、決定的名盤として、『月姫』への再評価はとどまることを知らない。
そんな中、昨年驚くべきニュースが飛び込んできた。その山口美央子が、35年ぶりに新作アルバムをリリースするというのだ。前述のオリジナル作をリリースした後の彼女は作曲家に転身し、プロフェッショナルとしてもっぱら様々な歌手へ楽曲を提供してきた(一般的な歌謡曲~和モノ・ポップスのファンにはそうした側面の方が馴染み深いかも知れない)。その輝かしい作曲キャリアでこれまで曲提供をおこなってきた歌手は、今井美樹、稲垣潤一、奥菜恵、CoCo、郷ひろみ、ともさかりえ、原田知世、光GENJI、渡辺満里奈、鈴木雅之、John-Hoon、田村ゆかりなど、錚々たる面々だ(個人的には、斉藤由貴との仕事は、いまこそじっくりと聴き返すべき素晴らしいものばかりだと思っている。『月姫』の世界がさらに発展していたら、という妄想を抱かせたりもする)。
そのように、いわゆる《歌謡曲~J-POP》の王道で仕事を続けていた彼女だったが、上述の通り昨年過去作3作が松武秀樹が主宰するレーベル〈pinewaves〉からリイシューされたことをきっかけに国内外から再度大きな注目を集めることになり、トントン拍子で新作制作の話が持ち上がったのだという。
昨年の5月から制作が始められたという本作は、松武からの提案もあってアレンジは山口美央子自身が担当することとなった。元来作曲家・歌手と並行してサウンド・クリエイター的志向を強く持っていた彼女だけあって、今作のアレンジではその類稀且つ精緻なセンスが縦横に花開いている。先日 Real Sound にて公開された山口と松武の対談記事によれば、山口は DAW に Cubase を使用し、そこで作成したデータを松武とやりとりしながら仕上げていくという形を取っているようだ。山口自身によるソフト・シンセや松武によるアナログ・シンセサイザーなどが縦横に絡み合う様は、シンセ・ポップ~テクノ・ポップを時代の先端で切り拓いてきたふたりが、先駆者ならではのやり方で現代の機材と伸び伸びと戯れる様を彷彿とさせる。ベテランならではの靭やかさと余裕に溢れた、風通しの良い音が耳に飛び込んでくる。
もちろん、収録曲全体から、80年代の3作へのセルフ・オマージュとでもいうべき要素も垣間見られるのだが、やはり注目すべきは『月姫』との連続性だろう。あえてFM音源的なシンセサイザー・サウンドを駆使し、2019年とあの時代を太くつなぎながら、この作品がいま生まれるべくして生まれたのだということを強く喚起する。特にM5 “エルフの輪”はせせらぐ水の音とクリスタルなシンセサイザーが空間を浸し、小品ながら再注目を集めるニューエイジ~アンビエントの美点を強く訴えかける。そういった視点では、ここから続くアルバム後半の流れこそが白眉といえるかもしれない。特にM7 “幸せの粒”の、円熟の極みと言えそうなソングライティング。さらに深みを増したその歌声がメロディーをゆっくりと慈しみ、シンセサイザーのみずうみに漂っていく。
また、『夢飛行』の“お祭り”、そして『月姫』に収録されていた“さても天晴 夢桜”に続く「和風三部作」の完結編と位置付けられているM3 “恋はからげし夏の宵 / Ton Ten-Syan”も、今作のもう一つの側面を象徴する楽曲だろう。かねてより彼女が志向していた《ジャパネスク》路線の完成形とも呼べそうな本トラックは、メロディーの叙情や三味線とシンセの交差が特徴的で、そこからいま反射的に思い出すのは、ボーカロイドなどが定着してからこちらの、ドメスティックなJ-POP~アニソン的な DTM 風景かもしれない。しかしながら、むしろそれらは、彼女や松武秀樹といった先駆者が耕した音楽的大地で育った後の世代によって芽吹いた《日本的な》音楽文化でもあるわけで、ここではオリジネーターとして現在のそういった J-POP サウンドに逆オマージュを捧げているようにも思われる。また、続くM4 “異国蝶々”でも同じくオリエンタル(=俯瞰してみた異国としての日本)なテイストが横溢し、爽快なシンセ・スカ・ポップに仕上げられている。
上述の Real Sound でのインタヴューでも述べられているように、彼女の興味は、内外の古典やゲーム、オリエンタリズム、デカダン、ファンタジー、SF、海外ドラマ、音楽の形而上学、スピリチュアリティなど、非常に多岐に渡っている。それらひとつひとつを、80年代から現在に続く時間軸の中、過去と未来に様々な音楽要素として反射し続けてきたことで、アーティストとして、作曲家として、彼女はこの国のポピュラー音楽界に大きな輝きを与え続けてきたのだろう。実際、彼女が関心を寄せる上記のトピックは、音楽以外も含めてこの国のポップ・カルチャーで常に重要な要素として参照されてきたものだし、また大変興味深いことに、現在のポスト・インターネット状況下の思想の前衛において、色々な文脈で関心が向けられている事柄にもシームレスに連結されるものでもある。
そういった意味でもまさしく、このアルバムは、いま2010年代末に作られるべくして作られたものだと言えるだろう。ドメスティックとグローバルの表裏関係がメビウスの帯のようにねじれ、過去が新しく、未来が懐かしくなる、いまという時代において。
柴崎祐二