Home > Reviews > Album Reviews > 井上鑑- カルサヴィーナ
シティポップやアンビエント(環境音楽)をはじめとして、かつて日本で生まれた音楽が後追い世代の国内外リスナーから熱い注目を浴びるようになって久しい。既に色々なところで語られている通り、こうした状況を用意したのには、ディスコ/ブギー・リヴァイバルを経由した「和モノ」再発見であったり、世界的なニューエイジ音楽への関心の高まりであったり、従来の「バレアリック」という概念を特定の聴取感覚としてライトに再解釈していく流れであったり、YouTube のすぐれたオートレコメンド機能であったり、多層的な要因があった。
昨年 ele-king books より刊行された『和レアリック・ディスクガイド』は、まさしくそういった流れのひとつの極点を画するものだったと言えるだろう。各DJやディガーによるブログやSNS、あるいはレコードショップの商品紹介ページなど、様々に散らばっていた、「和モノ」への関心が、ついにひとつの刊行物として集約されたという意義は実に大きかったように思う。ある種、旧来のレアグルーヴ・ムーヴメントの末裔にして深化形のようでいながら、そこには明らかに10年代を通して育まれてきた新たな聴取感覚が横溢していた。リアルタイムにひっそりとリリースされながら、永く忘れられてきたレコードの数々が、2019年という時代に向けてオブスキュリティの虹彩を興味深く投げかけてきたのだった。
数々の「隠れたる」盤の中には、一般のオリジナル作品として流通することのなかった教則/劇伴作品なども多く含まれている。それらがいまや平等な「ディグ」の審美眼のなかで、今日的評価を冠されているわけだが、なかでも、いかにも「あの時代」的な意匠をまとったパッケージ形態である「カセットブック」が放つ魅力は特殊めいている。
冬樹社によるカセットブック・シリーズ『SEED』は、細野晴臣『花に水』、矢口博康『観光地楽団』、ムーンライダーズ『マニア・マニエラ』、南佳孝『昨日のつづき』といった刮目すべきラインナップを誇る、かねてよりその手のマニアの収集欲をそそってきたシリーズだ。YouTube 上にアップロードされた音源によってワールドワイドに「再発見」され、ついにはヴァンパイア・ウィークエンドの直近作にサンプリングされるに至った細野晴臣『花に水』をはじめとして、各刊、同シリーズのために録り下ろされたオリジナル音源入カセットと、関連するテキストを冊子として同梱するという豪奢な仕様だ。浅田彰らが責任編集を務めた季刊誌『GS たのしい知識』の版元である冬樹社のカラーを反映した “知識を軽くポータブルにする” というテーマの同シリーズは、その濃密なニューアカデミズム色が相対化された現在においては、当時の文化/思想界を知る資料としても大変貴重だといえる。
昨今、各作のオリジナル・カセットブックを求めるリスナー/DJ諸氏も増加するなか、細野作と並んで後年世代から特に人気の高い、井上鑑による『カルサヴィーナ』が今回CD再発されることになったのは、誠に慶賀すべきことだ。
井上鑑は、1953年9月8日チェロ奏者井上頼豊の長男として東京に生まれた作編曲家/ピアノ、キーボード奏者。桐朋学園大学作曲科にて三善晃に師事、その後大森昭男との出会いから在学中よりCM音楽界で活躍してきた早熟の才人だが、一般的には寺尾聰 “ルビーの指環” などをはじめとする数々のヒット曲を手掛けた編曲家としてその名が知られているだろう。大滝詠一との邂逅を通じてマルチトラック・レコーディングへの関心を育み鍛錬を積んできた彼は、82年のデビュー・アルバム『預言者の夢』をはじめとして、単独作にも非常に優れたものが多く、ジャズやAOR、現代音楽を含むクラシック、ニューウェーヴ、民族音楽などを取り込んだそのサウンドは、近年のレコード市場で大きな人気を集めている。この『カルサヴィーナ』は、『SPLASH』(83年)と『架空庭園論』(85年)という充実作の間に挟まれる形で発表されたもので、同時代の先鋭的な音楽要素を貪欲に取り込みオリジナル作品を創出していた彼が、わけても鮮烈な作家性を発揮した作品といえる。
タイトルの『カルサヴィーナ』とは、20世紀初頭に国際的に活躍したセルゲイ・ディアギレフ主宰のバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)に所属した花形ダンサー、タマーラ・カルサヴィナのこと。カセットブックという形態ゆえ、音楽とテキストを貫通するなにがしかのモチーフ設定を求められた井上自身が挙げたのが、このタマーラ・カルサヴィナと、同じくバレエ・リュス所属の不幸のダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーだったという。特に、後年狂気の淵に陥ったニジンスキーが記した『ニジンスキーの手記』における錯綜した文章表現に強い刺激を受けていたようだ。そのため、音楽自体も架空のバレエ音楽とでもいうべき、「ダンス」を大きなテーマとしたものとなっている。往時、西洋音楽界に大きな物議を醸したストラヴィンスキーのバレエ曲とバレエ・リュスの浅からぬ関係性に思いを馳せるなら、このテーマ設定がいかに野心的なものだったかがわかるだろう。
井上をはじめとして、今剛(ギター)、高水健司(ベース)、山木秀夫(ドラム)、浦田恵司(シンセサイザープログラマー)という当時日本セッション・ミュージシャン界の最高峰というべき面子で作りあげた本作を聴いてまず驚嘆するのが、その奔放な実験精神の噴出ぶりだ(いまでは想像し難しい話だが、カセットブックというニッチなプロダクトのために、国内随意の録音環境を誇っていた一口坂スタジオにて時間制限を気にせず連日作業をおこなっていたというのだから、当時の音楽産業の資金的充実と長閑さに感じ入ってしまう)。編曲家や演奏家としてのプロフェッショナルな仕事の傍ら、単独作においては常にほとばしるクリエイティヴィティを鮮烈なままに叩きつけてきた彼ではあるが、これほどまでにいわゆる「アヴァンギャルド」な作風に挑めたというのも、この「カセットブック」という特殊な形態とそのテーマ性ゆえだろう。ときに海外ミュージシャン(ベラフォン奏者のカクラバ・ロビ)を交えたそのサウンドの新奇性は、世界的な地平で考えてみても明らかに当時最高峰のものだと断言できる。
浦田恵司(この人こそはある意味で本作の影の主役であるともいえるかもしれない。彼の仕事の偉大さはまだまだ一般的に知れ渡ってはおらず、いずれどこかに寄稿したいと思っている)のセッティングを経た各種シンセサイザーや、サンプラー、ドラムマシンを駆使し、アナログとデジタルのあわいを貫くループ構造が敷かれるなかで練達のミュージシャンの生演奏が炸裂していく様子は、DAWでの音楽制作が完全普及した現在だからこそ、その魅力をよりよく伝えるだろう。同時代のヒップホップのビート感覚や、テクノポップからテクノの時代へと変遷していく先端音楽シーンの揺籃と呼応しながらも、アカデミックな見識もふんだんに投げ込まれている作曲/編曲術も一級品というほかない。一方で、ピーター・ゲイブリエルやジョン・ハッセルらに通じるような、品の良い(文化収奪的な手付きを慎重に避けようとする)民族音楽嗜好も色濃く、様々な角度から今日的興奮を焚き付けてくれる。またもちろん、ピアノフォルテ奏者としての非常な卓越を聴かせる井上独奏曲の美麗な味わいも特筆しておくべきだろう。
ちなみに、本再発CDには、上述の『和レアリック・ディスクガイド』監修者である松本章太郎氏によるライナーノーツの他、井上自身による「断章」と名付けられた最新書き下ろしエッセイや今作の録音/マスタリングエンジニアを務めた藤田厚生氏の解説が収録されたライナーノーツと、オリジナル・カセットブック版コンテンツたる井上鑑と佐野元春による「踊り」についての対談(めっぽう面白い!)や、舞踏評論家:市川雅による小伝「ニジンスキーとカルサビナ」をweb上で読むことのできるアクセスコードも付属しているので、購入の後には是非チェックするとよいだろう。本作が生まれた背景や、ダンス音楽としての本作の本質に迫る、大変興味深い内容となっている。
さてはて、今回のリイシューを機会に、今後も様々な「和モノ」の秘宝が世に再び出ることになるのかどうか。今作のように、その文化的文脈にまで切り込みながら現代的価値を世に問う「丁寧」な再発が続けられていくことを願っている。
柴崎祐二