Home > Reviews > Album Reviews > SPARKLE DIVISION- To Feel Embraced
ピアノでの作曲は両腕を使って旋律を考えなきゃいけなかったから、自分には向いていなかったと、アンビエント界のスター、ウィリアム・バシンスキは英紙「WIRE」2020年11月号の巻頭インタヴューで答えている。テキサスはヒューストンに生まれたバシンスキは、クラリネットのクラシック教育を受けた。音大ではジャズ・サックスと作曲も学んだが、作曲家ではなくデヴィッド・ボウイになりたかった彼は、正統派の道からはそそくさとドロップ・アウトし、80年代のブルックリンへと引っ越し、そこから90年代にかけてニューヨークの様々なバンドをテナーとアルトで吹き渡った。
アンビエント・シーンの巨大な分水嶺になった『The Disintegration Loops』(02)や『Melancholia』(03)といったバシンスキによるアンビエント/ポスト・クラシカル一連の代表作からは、そういった作家個人の楽器特性はあまり見えてこない。いや、むしろ彼の楽器との関係性が見えてこないからこそ、ライヒやイーノ由来のテープ・ループ奏法による作曲手法は、「楽音」発生装置の使用そのものに意味を発生させ、聴き手の思弁を誘発させるワームホールを作り上げてきた(ちなみに、先のインタヴューからは、批評は自分の仕事じゃないからと、自らの作品に投じられた多くの言葉から距離をとる彼の姿を知ることもできる)。
現在、バシンスキが居を構えるのはロサンジェルスだ。電子音楽プロデューサーのプレストン・ウェンデルと彼が組んだプロジェクトがこのスパークル・ディヴィジョンであり、結成から4年を経て発表されたのが『To Feel Embraced』である。LAでウェンデルがバイトしていたコンビニに、バシンスキがコーヒーを飲みにふらっと立ち寄ったのがすべてのはじまりだった。バシンスキのファンだったことがきっかけとなり、ウェンデルは彼のスタジオ・アシスタントとして雇われ、さらにバシンスキが、ウェンデルが取り組んでいたヒップホップやジュークに興味をもち、ふたりは楽曲制作に乗り出していった。
スパークル・ディヴィジョン──「悦楽局(ジョイ・ディヴィジョン)」ならぬ「輝き局」である。今作には他にも数名がクレジットされており、ジャケット裏側に表記されているパーソネルは以下の通りだ:
ウィリアム・バシンスキ(エグゼキュティヴ・プロデューサー):サキソフォン、シンセ・ストリングス、ループ
プレストン・ウェンデル(プロデューサー):その他全てのシンセサイザー、ビート、グルーヴ、ループ、エンジニアリング
セリ・グラナ:声と歌詞(“To Feel Embraced”)
ヘンリー・グライムス、巨匠:アップライト・ベースとヴァイオリン(“Oh Henry!”)
ミセス・レノーラ・ルッソ、ウィリアムズバーグの女王:声(“Queenie Got Her Blues”)
レコードの針を落とすと、60年代のアクション映画をサンプリングしたようなビート・ループからアルバムはスタートする。手法やサンプリング対象、「記憶」の観点から、バシンスキの比較対象としても参照されるザ・ケアテイカーのクラシック・ジャズのループにも通じるものがあるかもしれないが、スパークル・ディヴィジョンのそれはひときわグルーヴィである。ウェンデルが作ったビートに、バシンスキが音色の追加や組み合わせを指示する形で制作は進行していったという。そのフィーリングは昨今のLAにおけるコズミックなビート・プロダクションに限りなく近い。
そして、バシンスキがサックスを吹いている。“For Gato”のトラック名にあるように、彼のスタイルにはアルゼンチンとニューヨークを生きたテナーの巨人、ガトー・バルビエリ(1932‐2016)のような灼熱の旋律と咆哮するフリークトーンによる破壊性が共存している。
また、そのサックス・リードがウェンデルのダブの手法を通し非現実性を帯びる。ベルリンのミニマルなそれとは強度が異なり、ここにはLAの華やかなサイケデリアが広がっている。A面最後の二曲で展開される、2016年に星になったボウイへと捧げられているであろう “To the Stars Major Tom” から 、ラウンジ・ジャズ的な “Oh No You Did Not!” にいたる、テナーとそれを取り巻く電子的マジックによるナラティヴの変化に脱帽である。
前半のリード・トラック “Oh Henry!” のリズムはフットワークであり、なんと伝説的前衛ベーシスト、ヘンリー・グライムスが参加している。今年の四月に新型コロナウイルスによって彼が他界したのは非常に残念な出来事だった。60年代に〈ESP Disks〉からのリーダー作『The Call』(1966)や、アルバート・アイラー・クインテット『Spirits Rejoice』(1965)への参加など、グライムスはジャズから飛翔し、自由を求め、歴史を分岐させたひとりだ。近年では2012年にマーク・リボー・トリオに参加し、『Live at the Village Vanguard』という非常に素晴らしい録音を残している(作風はパンク・ミーツ・アイラー!)。
“Oh Henry!” の主役はもちろんベースだ。ドラムを飲み込まんとする勢いのグライムスの荒ぶるダブル・ベースが、ときに憤怒のチャールズ・ミンガスが憑依したかのごとく熱情的かつ官能的に空間をバウンドし、電子的ハイハットと三連キックとともに鼓膜をノックしまくる。ニ度目の脱帽である。
レコードをひっくり返すと、異なる宇宙が待っている点も、メディア特性を利用した粋な演出といえる。階層化された電子音とドローンの海 “To Feel” から、今作の表題曲である “To Feel Embraced” への流れ。イギリスのヴィーカリスト、セリ・グラナダが朗誦する「抱擁を感じるために(To Feel Embraced)」というリリックとともに創発するアブストラクトなビートが、このアルバムに様々な形で登場するグライムスからボウイにいたる死者たちを壮大に弔っているかのようだ。
そこからバシンスキは再びサックスを手にし、前半の楽曲の曲調が続いたのち、突如挿入される “Queenie Got Her Blues” ではクラックル・ノイズ混じりのジャズとともに、女性の肉声が再生される。その声の主はジャケットに映る、ブルックリンのウィリアムズバーグに住んでいたレノーラ・ルッソという人物だ。クレジットにもあるように、彼女の通称は「ウィリアムズバーグの女王」であり、常にドレスアップして通りのベンチに腰掛け、道ゆく人に声をかけるそのアイコニックなキャラクターは、地元の人々に愛された存在だったという。地元のコミュニティの慈善活動にも長年従事していたそうだ。2016年に91歳で亡くなっており、地元のメディアには彼女を称える記事が書かれている(この写真を撮ったアンナ・ジアンフレイトのホームページにミセス・ルッソの写真と紹介文がある:https://www.annagianfrate.com/index.php?/ongoing/leonora-russo/)。ブルックリンに長きに渡って拠点を置いていたバシンスキにとっても彼女は特別な存在だったのだろう。
そこに続く “Sparkle On Sad Sister Mother Queen” は楽曲からして、同じくミセス・ルッソに捧げられているは確かだ。多くの死者が登場する今作の終曲名は “No Exit”。ここに出口、つまり終わりはなく、スパークル・ディヴィジョンはその魂たちを永遠に輝かせようとしている。
2020年11 月13日にはソロ名義での新作リリースもバシンスキは控えている。『A Shadow in Time』(2017)、『On Time Out Of Time』(2019)に続くタイトルは『Lamentation』、「哀歌」である。それとは対照的になる形で、『To Feel Embraced』には人間たちへの愛が満ち溢れている。今作はフットワークやコズミック・ビートの単なる器用な再生産で終わっていない。ここには死者を幸福に現在に留めておく手段としての音楽のモードが安らかに、グルーヴィに描かれている。2020年、誰にとってもそのことが大きな意味を持ちうることは言うまでもない。最後に、グライムスとミセス・ルッソに捧げられたジャケットの裏側のメッセージを訳出する:
彼らが楽園で輝かんことを! さあ、 ケツが上がるうちに、みんなでカクテルを仰ごう!
髙橋勇人