Home > Reviews > Album Reviews > Muck Spreader- Abysmal
ジャンルとは境界線とはいったいなんなのだろうか? 全部が隣にあって、時代もなにもかもアーカイヴ化されていて、指先一つでワープが可能な現代、誰かのSpotifyのプレイリストを眺めてみてもごちゃ混ぜで、国も地域も超越している。それでもやっぱりシーンというものはあって、場所がどこかに必要で根っ子にある部分がふとした瞬間に顔を出す。コンピューターの画面の中でどんなにスタイリッシュに先鋭化していっても結局はそんな人間の生身の部分に惹かれていく。
マック・スプレッダーの『Abysmal』を聞くと頭にそんな考えが浮かんでくる。燃え上がるサウス・ロンドンのシーンを尻目に、そこにひっかかりながらも意に介さず彼らは飄々と存在する。この音楽はいったいなんなんだろう? ブラック・ミディと同じくらいにフラットでごちゃ混ぜ、自分の周りにあるもの(それはもちろん音楽以外のものも含まれる)の全てを鍋にぶち込んで、気怠くアウトプットしたような、マック・スプレッダーの音楽はそんな音楽なのだ。
たとえばそれは “Would He” の歩みを進めるベースの上に乗ったサックスの音で、そこにギターが重なる、センスが良くて凄まじく格好いい音なのにクダを巻くようなヴォーカルをそこに乗せてグダグダにする。あるいは “A particular Shade Of White” や “Plumbing Problems” の瞑想じみたグルーヴのまどろみの中で語られる物語、僕はそこに生活を感じる。画面が綺麗なだけの映画ではないという魅力、スタイリッシュな画作りの中で路上で酒瓶片手に酔っ払って寝てしまう姿を描いているみたいなラップともしゃべるようなヴォーカルとも違う粘り気のある話かけるようなヴォーカル・スタイル、聞いてくれる相手がいるかどうかはわからないけれどタバコを吹かしながらずっと語りかけてくるようなそれ(しかし結局はひとり言になってしまうのかもしれない)、そんな人間臭い魅力がここにはあるのだ。ジャズがあってパンクがあって、ダブ、ヒップホップにインディ・ロック、サウス・ロンドンのヴェニューで夜毎に繰り広げられていたであろう狂騒の中で生まれた思い、その記憶をグラスの中で混ぜ合わせたようなやさぐれてグダグダで尖った音、マック・スプレッダーが奏でているのはそんな音楽でそれがたまらなく魅力的に映る。
『Abysmal』を聞いてそんなことを考えていたが、実際にマック・スプレッダーはサウス・ロンドンのライヴハウス「ウィンドミル」で生まれたようだ。バンドの中心人物であるヴォーカリスト、ルーク・ブレナン(というかもうこの人の為のプロジェクトのような感じだ)はデイリー・スターのインタヴューでこんな風に語っている。
「元々俺は詩を書いていてハックニーで依存症の問題を抱える人たちの為のスポークン・ワークのイベントを開いていたんだ。そのうちウィンドミルでショーをおこなうようになって、それをバンドをやってる奴らが見て一緒にやらないかって声をかけてきたんだ」
そうしてルークは観客の中から足りないメンバーを集めはじめた。こいつはギターが弾ける、こいつはヴァイオリンが弾ける、固定されたコア・メンバー以外はそんな風に集められ、かなりの人数が出たり入ったりと流動的なライナップのバンドともコレクティヴとも呼べるようなマック・スプレッダーができ上がっていった。しかしこの集団は一筋縄ではいかない。ファット・ホワイト・ファミリーの登場以降のサウス・ロンドンの雰囲気を身にまといソーリーと一緒にツアーを回るなどシーンと無関係では決してないはずなのに現代のポップ・ミュージックのフォーマットから外れた独自の美学を貫こうとする。
「俺たちが直面した一番の問題はリリースした曲をライヴでやらなくても許されるのか? ってことだった」ルーク・ブレナンは言う、ライヴとレコーディングは完全に別物でライヴは観客が持つ集団的な恐怖感や何が起こるのかという期待感を楽しむものだと。舞台の上でおこなわれるのはその日の空気を表現した即興演奏であってリリースされた曲がそこで披露されることはない。それがたとえデビューEPのリリースを記念してのローンチ・パーティだったとしてもだ。使われなくなった食品倉庫の一角を改装して作られたヴェニューでおこなわれたレーベルメイトであるピーピング・ドレクセルとのライヴにおいて、リリースされたばかりのEP「Rodeo Mistakes」の曲が演奏されることはなかった。
ホドロフスキーのSFコミックに出てくるような探偵をもっとやさぐれさせたみたいな風貌のルーク・ブレナンはくだを巻き、寝転び、観客を見つめる。バンドは目の前のディストピアを祝福するかのようなメロディを奏でて、距離をおいて座る観客はそれぞれに体を揺らす。トランペットが鳴り響く中、最前列の男女がキスをする(ステージなんて見てはいない)。座り込んだルーク・ブレナンは笑顔でそれを眺めて言葉を重ねる、そうして音楽がまた変化していく。YouTubeの画面越しに見る白黒のライヴの映像はまるで映画のシーンを切り取ったかのようだったが、こうやって考えてみるとマック・スプレッダーのスタイルはジャズやフリースタイルのそれに近いのかもしれない。
「完璧なものを作るのが目的ではない。ものごとが完璧な形で組み合わさる必要はないんだ」「曲を覚えて何度も歌詞を歌うのは嫌だし、何かが失われている気がする。昔から写真でも何でも最初に撮ったものが一番で、創造性については本能的に動いているんだ」バンドのインタヴューでもそんな言葉が飛び交うくらいだ、マック・スプレッダーにとってリリースされた音楽はその日までに起こったことの記録という側面が強いのだろう。その日になんでそうなったのかという過程と結果の方が重要でそれをそのままステージの上で再現することには興味はない(彼らはこれをスポーツの試合にたとえていた)。この『Abysmal』にもマック・スプレッダーのそうした思想が反映されていて、それが生々しさやゾクゾクするようなスリルに繋がっている。ここに記録されているのは2021年のサウス・ロンドンに漂うその空気なのだ。
その空気を考える上で『Abysmal』が〈Brace Yourself〉からリリースされているというのもまた重要だろう。ダンス・ミュージックの名門〈WARP〉や〈Ninja Tune〉がジョック・ストラップやスクイッド、ブラック・カントリー・ニューロードのようなインディ・バンドと契約し、イタリア90やジョン、ピーピング・ドレクセルなどパンクに寄ったギターバンドをリリースする新興レーベル〈Brace Yourself〉からマック・スプレッダーのレコードが出る、そんな状況こそがいまなのだ。ポップ・ミュージックのフィールドでジャズ的な感性を発揮する、ダンス・ミュージックが鳴り響くフロアに向けてギターがかき鳴らされる、ジャンルレスあるいはポスト・ジャンル化が進む現代においてより一層個性が求められている。何を混ぜ何を削るのか、そこにいまを生きる人間の感性が現れる。マック・スプレッダーのレコードは時代との対話だ、そんなことを言いたくなるくらいにここに色々な要素が詰め込まれている。もしかしたらこの中にアンダーグラウンド・シーンの次の形が隠されているのかもしれない、頭の中にぼんやりとそんな考えが浮かんでくる。そうだとしてもそうではなくとも、マック・スプレッダーの音楽は常に疑問を投げかけてくる。ジャンルとは境界線とはいったいなんなのだろうか?
Casanova.S