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音楽はよく映画やドラマにたとえられたりするけれどSSWの作品は小説だって言った方がしっくりくるかもしれない。個性がぶつかりあって何人かで作り上げるバンドの音楽にたいしてSSWの作品は自らの頭の中の世界を描き出す文章のようなイメージだ(もちろんそんなイメージを持つバンドもいるけれど)。自分と向き合いひとりもくもくと机に向かって作業する小説家、それが思い浮かべるSSWの姿で、だからなのかその音楽に「文体」という言葉を使いたくなってきてしまう。それは歌詞があるからというだけではなくて、リズムとメロディ、サウンドに歌声、漂う空気の中に個性とクセが浮かび上がってくるような感じだ。ひょっとしたら「何を書くか」と同じくらいに「どう書くか」が重要なのかもしれない。文体は作品についてまわってそれがイメージを作り上げるのだ。
ハンド・ハビッツことメグ・ダッフィーの「文体」は素晴らしいインディ・フォークのバンド、ビッグ・シーフとスネイル・メイルなどのオルタナティヴなSSWのちょうど中間のような感じだ。エイドリアン・レンカーのように繊細に声を震わし感情を沸き立たせることはなく、リンジー・ジョーダンのように声を張り上げ自らの感情を強く表に出すこともない。メグ・ダッフィーの歌声はもっとニュートラルでクセがなく、それは淡々した筆致の翻訳小説を思い起こさせる。
「彼女がギターを弾いていたなんて知らなかった/27歳になるまでずっと」『Fun House』の中の一曲、“Aquamarine” で語られるのはメグ・ダッフィーが幼かったときに自殺した母親の話だ。「真実の向こう側にいることに慣れてしまった/私は詳細を聞かない/誰が詳細を求めるんだろう?/全てが燃えている時に/墓に火をつけて」ザ・ウォー・オン・ドラッグスやケヴィン・モービー、ワイズ・ブラッドのバンドでギターを弾いていたことで知られ、数多くのオルタナ・ミュージシャンのサポート・ギタリストとしても活躍しているメグ・ダッフィーの三枚目のアルバムは前二作と比べてよりパーソナルな領域に踏み込んでいる。アクアマリンはメグ・ダッフィーの誕生石で、ゴールドのイヤリングの一番大きな部分にはめられたそれは母からの唯一の贈りものだった。「これは母方のいとこに送ってもらったんです」UNDER THE RADARでのインタヴューでメグ・ダッフィーは語る。長く会うことのなかった母方のいとこと再会して、メールで連絡を取り合うようになって、質問を重ねていくうちに、いとこは長いメールをよこし、そこで知らなかった母の姿を知る。パンデミックの影響で参加するはずだったツアーが全てキャンセルになり、空白の時間ができてセラピーに通うようにもなった。誰しもトラウマがありそれを抱えて生きている。みんな自分の人生を生きていて、自分にとってベストなことをしようとしているだけなのだから。このアルバムでメグ・ダッフィーが試みたのは、記憶の扉を開けて自分自身と向き合いそれを描くことだった。コントロールできない他者に向かうのではなく自分の内へ。それは虚無ではなく激情でもない。静かに深く、ひとつひとつゆっくりと解き明かしていくように……。
メグ・ダッフィーによると『Fun House』はウィルコのジェフ・トゥイーディと録音する可能性もアンディ・シャウフとトロントで仕事をする可能性もあったようだ。だがパンデミックが全てを難しくし、最終的にダッフィーが選択したのは自宅の階段を上ることだった。しばらく前にノースカロライナから引っ越したロサンゼルスの古い家の二階にはキング・タフのカイル・トーマスと SASAMI が住んでいた。
世界が混乱しているさなか、階段を上がった先にあるカイル・トーマスのスタジオで SASAMI と共に『Fun House』は作られた。どんな人間かはよくわかっていたし、彼らの音楽も知っていた。気心の知れた仲間たち、ビッグ・シーフのジェームズ・クリフチェニア、クリスチャン・リー・ハトソン、ドーズ(Dawes)のグリフィン・ゴールドスミス、パフューム・ジーニアスもこのアルバムの制作に参加している。SASAMI のアイデアで前二作では聞かれなかったエレクトロニックな要素も加わって、ホーンやストリングスのアレンジも施される。それがハンド・ハビッツの文体を変えた。いままでと少し毛色が違うのは、それらがおそらくメグ・ダッフィーが選択することのなかった色使いだったからなのだろう。エレクトロニック色の強い “Aquamarine” はもちろん、たとえば “Control” の繊細なギターと声に寄り添うような優しいアレンジは過去二作のアルバムには見られなかった特徴だ(良くも悪くも過去二作はギタリストであるメグ・ダッフィーを最大限に生かすような音作りがなされていたと思う)。作家と編集者の関係のように SASAMI はハンド・ハビッツの新たな可能性を引き出した。
パーソナルで内省的でありながら『Fun House』は決してひとりよがりではない。前作から引き続くアメリカーナにフォーク、それを彩るホーンにストリングス、エレクトロニクス、それらが淡々とした曲調の中でポジティヴで味わい深い絶妙な空気を作り出している。決して派手ではなく、平熱で、突き放なさずに、ほんの少しドラマチック。そのほんの少しがこの上なく寂しさを感じる心に染み込む。変わっていく文体の中で空気が生まれる。ハンド・ハビッツのこの三枚目のアルバムはいままでにないほどマイルドでバランスが良く、混じり合っていて、そして本当に味わい深い。
Casanova.S