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Earl Sweatshirt

Hip Hop

Earl Sweatshirt

SICK!

Tan Cressida / Warner

つやちゃん Aug 23,2022 UP

 でも、そう思わないだろうか? 打楽器、鍵盤、人の声、物音、芳しいノイズ、ピリッとした刺激的なグリッチ……断片の集積としてのトラック。組み合わせによって生まれる豊かな感触の変化。アール・スウェットシャートの作品はいつだって中毒性高く、シャルキュトリーの代表的なメニューの一つである、あの料理を彷彿とさせる。

 それは決してメインディッシュではないかもしれない。どちらかというとオードブルで、ワインやバゲットとともにちびちびと食する。ピクルスやオリーブとともに供され、他に類を見ない複雑な風味は多くの美食家を虜にする。ころころとした肉とクリームのようなレバー。豚肉だけでなく鶏や鴨、仔牛も許容され、それら断片を接続させるのは滑らかな脂身だ。魔術的に配合されたスパイスが決め手であり、ナツメグに白胡椒、ジンジャーパウダー、シナモンが絡み合い味の凹凸を形成していく。仕上げのピンクペッパーはつんと鼻に抜ける尖った爽やかさを生む。あぁ、好奇心をかき立てる味わい。面白く食べ飽きない体験。

 パテ・ド・カンパーニュ。ブロックで大量に作られたそれが数センチずつ切り落とし提供されるさまは、始まりも終わりもなくぶっきらぼうに切断されるアール・スウェットシャートのビートそのものだ。彼の作品群、たとえば2010年代終盤のオルタナティヴなヒップホップの潮流を印象づけた『Some Rap Songs』で披露されるシームレスなビートの垂れ流し/短くも濃密な音の連なり/くぐもったような質感は、フックとメロディに重心が置かれるようになり類型化したヒップホップへのカウンターとして機能した。と同時に、いま述べた特徴はそのままパテ・ド・カンパーニュが有する芳醇な味わいへと重ねられる。そもそも、メインディッシュへと欲望を重ねゆっくりと加速するコース料理において、オードブルで食されるパテの反メインディッシュとしての態度は異様さを放っていないだろうか。断片だらけの素材を練り合わせた製法自体が、肉や魚といった素材ひとつを大きく使ったメインディッシュの「顕示/誇示性」から大きく距離をとったアプローチと言えるが、それはアールのビートはもちろん、ループを重ね抑揚を喪失した彼のラップにも通じる点だろう。低めの温度でゆっくりと火を入れることによって絶妙な柔らかさでの完成を見る点も、ぼそぼそとしたラップでビートを耕していく様子に近いものを感じる。むしろ、パテ・ド・カンパーニュもアールの作品も、スニペットとして一見フックもメロディもないような印象だが、何度も鑑賞を重ねるにつれ音がほぐされていき、全てがフックとメロディになっていくようなマジックがある。

 シャルキュトリーは元来、保存性を高める目的で使われていた塩漬け等の技術が肉の旨味を次第に引き立てるという発見によって生まれた料理だ。アールの感性にも同様の手つきと効果を観察できる。強められた塩分=一聴すると刺々しいレコード・ノイズやくぐもった音処理によってぐにゃりと曲がったビートの味が立ち、楽曲全体が引き締まる。過去のさまざまなサンプリング素材が新たな生を授かり、全く別の料理として保存=再生される。

 ところが最新作『SICK!』は、その塩加減に微妙な変化が観察されやしないだろうか。ブラック・ノイズ(Black Noi$e)やジ・アルケミストといったプロデューサーに託したビートはわずかながら解像度が上がり、鮮明になった。『Some Rap Songs』リリースの前に父親を亡くしたアールが今作の制作時にはついに自ら父親になったという、プライベートでの大きな変化が背景にあるのかはわからない。実父は高名なアフリカの文学者・Keorapetse Kgositsile であり、アール自身ことばの人として、メタファーを断片的に散りばめていく優れたリリックを綴ることでも評価されてきた。ただ、その作品中にまで肉親の声を閉じ込めてきた彼ゆえに、塩加減の絶妙な変化は何かを乗りこえ次のフェーズへと進んだ確かな一歩を象徴しているように思えてならないのだ。トラックの参照元がより現代へ向けてスコープが広がっている点も興味深い。“2010” や “Sick!”、“Titanic” といった曲で、TR-808 を稼働させて鳴らすトラップ・ビートをも「パテ」に回収し保存食とすることにより、早くも2010年代の歴史化を図り次の時代へと進んでいく一歩が示されている。

 『Some Rap Songs』以降、多くの魅力的な「パテ」の変奏が生まれている。さすがに JPEGMAFIA までをそれら一括りにまとめてしまうのは強引かもしれないが、そうでなくともたとえばアーマンド・ハマー(Armand Hammer)『Haram』はもちろんのこと、インジュリー・リザーヴ(Injury Reserve)『By the Time I Get to Phoenix』やチェスター・ワトソン『1997』、ウィキ(Wiki)『Half God』といった作品は肉のヴァリエーションを変え、切断面を変え、切り方を変え、スパイスの種類を変え、多彩な音の実験に挑んでいる。それらテーブルに並んだ作品群を横目に、『SICK!』は一新したマインドによる塩気のバランスで新たな調理に向かっている。パテ・ド・シャンパーニュのねっとりとした不気味さを保ちつつも、パプリカやオニオンの効果によるやや澄んだ音を手に入れた本作はどこかテリーヌのようなクラリティがあり、それゆえにアール・スウェットシャートが次の一歩を踏み出した重要な一枚として今後位置づけられるだろう。そうだとするならば、よりマッチするのは白ワインかもしれず、暗い部屋はもちろんだが明るめの場で社交とともに嗜むのも一興で、……

※参考文献:荻野伸也『シャルキュトリー教本──フランスの食文化が生んだ肉加工品の調理技法』(誠文堂新光社)2014年

つやちゃん