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Super Eco Records

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橋元優歩   Jan 28,2011 UP

 さて、年の瀬に勤務先の店に入荷し、完全無名、ライヴ活動等もいっさいないというこのアーティストの自主制作盤が、店頭演奏のみで3週間としないうちにプレス分すべてを売り切ってしまったときには驚いた。もちろん自主盤のため定価も安い。だが、店で流してこれだけお客さんからのレスポンスのある作品は稀だし、このアーティストの場合はファン・コミュニティも、ひょっとしたらファンさえもまったく存在しなかったのだ。ひっそりと淡々とひとりで録り貯めていた音源が、レコードを買いにきた音楽リスナーの耳を刺激し手に取らせた。筆者が作品につけた手書きポップの見出しはこうだ。「日本のチルウェイヴはフォトディスコからはじまる」

 日本のチルウェイヴについて考えよう。いや、日本で成立し得るチルウェイヴについて考えよう。ウォッシュト・アウトトロ・イ・モアのフォロワーをただ日本人のなかに見つけ出すのでは面白くない。というよりそれでは誤謬が生じるだろう。そもそもチルウェイヴとは、音の性質ばかりでなくそのなかば確信犯的なエスケーピズムをめぐって賛否の議論を巻き起こしてしまうほど社会に対してカウンターな要素を持っている。「お前たちの音楽はただの催眠ポップだ。引きこもってないでちゃんと外を見なさい」という大人の叱責に対して、「そうだけど、それがどうしたの?」「ていうか、これはむしろ新しい現実への対処法なんだけど」と若者がやり返すのがこの議論の構図である。この問題が日本ではどのように展開されうるのか。
 「エスケープ」に関しては世界に冠たる文化をもつ日本。オタク大国、ネオテニー・ジャパン、大人になれない子どもの国。においては、多くのジャンルにまたがって繊細なエスケーピズムの実践がある。セカイ系的世界観の汎ジャンル的な浸透はまさにその最たるものだ。「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(きみとぼく)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、"世界の危機""この世の終わり"などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」という東浩紀的なセカイ系解釈を採用するならば、音楽シーンでは浜崎あゆみらメジャーな量産型ポップスはもちろん、ゼロ年代後半に多数現れた国内シューゲイザー・バンドにもっともそれが色濃いのではないだろうか。「具体的な中間項」とは社会や国家を指し、それらをすっ飛ばしていきなり「セカイ」と自分とを短絡してしまう感覚は、単純に社会からの退却・脱却を意味している。彼らの多くが鳴らす音は妙に深刻で、トゥー・マッチなエモーションがあり、それでいて空虚である。ドリーミーで逃避的という点ではチルウェイヴに通じるところがあるが、チルウェイヴにはその名の通り「冷めた」感覚があり逃避的な態度について自覚的な部分がある。ジャパニーズ・シューゲイザーの多くは自己劇化に対するこうした客観性を持たないことで、惜しくも批評性を獲得し損ねていると言えるだろう。

 フォトディスコの音には不思議にすべすべとした感触がある。本作はローファイではないがチルウェイヴ、シンセ・ウェイヴと名状でき、またタフ・アライアンスなど〈シンシアリー・ユアーズ〉周辺のスウェディッシュを思わせるトラックから、いわゆるニカ風のサウンドまでが静かに詰め込まれた初リリース音源である。
 この作品では「劇/激」という感覚が徹底的に刈り取られている。だが抑揚のない平坦な音楽かと言えばそうではない。ヴォーカルのないゆるやかなダンストラックやまぶしいようなエレクトロ・アコースティックを主体としながら、1曲ごとに非常にメロディが立っており、映像的な広がりを生んでいる。映し出すのは2000年代の東京の風景。細かい光の粒があふれるようにわずかに感傷がにじむ。カラーでハイビジョン撮影の無声映画を観るかのようだ。静かなのに躍動する。これには仕掛けがあって、一聴したところメモリー・テープスなどのシンセ・ポップを彷彿させるトラックも、実際にはエフェクトをかけ加工されたギターが用いられていることが多い。シンセではなくギターを使用することで微妙な動きを出しているのである。"フェイク・ショウ"や"トウキョウ・ナイト"などがその例だ。また、"言葉の泡"や"盆踊り"にうかがわれるややしっとりした情緒は、透明感の高いエレクトロ・アコースティックによってとても清潔に磨かれている。そう、エモーショナルなのに抑制され、自己完結しない。これは高い美意識によって注意深く選別された感傷のコレクションなのだ。

 フォトディスコによってシネマティックに映し出された2000年代/東京は、たとえば下北と言うときに感知されるような濃密なイメージや匂いはさっぱりとトリミングされ、つるりとしていて流動的、自分をめぐる物語ではなく、ただそこに生きる人びとの数だけ淡い感傷が散らばっている。数少ない歌モノも、言葉は限られ、メロディや音の質感以上には何も語らない。そして私は、この感傷こそが、日本型チルウェイヴのキーワードになると考えている。さらに言えば、いかに感傷を自覚的に用いるかといったことが、だ。
 感傷とはやっかいなものである。感動とは違って、はっきりとした対象を持たなくても生まれる感覚だ。情動のように、それに肉体が駆動されてしまうような激しさもない。外来の概念なのかもしれないが、日本的と言えば非常に日本的なものである。桜や雪のように「淡々(あはあは)」としていて、その感覚のなかでどれだけ陶酔的に自己完結していても、そのうちなんとなく消えていく。感傷のアルゴリズムは、社会からあからさまに退却するのではなく、社会のなかで社会とは無関係でいられる磁場を張ることを可能にするだろう。退却すればその行為と結果についていずれ責任が問われるが、感傷しているだけなら何の摩擦も軋轢も生まない。それはエスケープの方法が豊富で飽和している日本ならではの、オルタナティヴな方法であり表現ではないだろうか。同時に、ロックの心臓ともいえる「自分/俺のかけがえのなさ」「世界/社会への違和感」というテーマの危うい両義性に対する批評として、使えるカードにもなるだろう。

 フォトディスコの感傷はきわめて高品質である。ダンス・サイドのトラックに控えめに潜んでいる切なさもそうだが、"言葉の泡"でやや開放的に展開されるギター・アルペジオや、リフレインされる歌メロはより巧妙だ。淡い情感を持ったJロック風の楽曲だが、日本のインディーズについてまわるいなたい雰囲気がきれいに拭き取られている。実際、海外のアーティストだと思って問い合わせを受けることが多い。それがいいことかわるいことかはともかく、仕組まれた感傷が施されているということが重要である。ただ意識に涼しい、心地よい音であるのではなく、その底に冷たい観察眼を感じさせるところがよい。だが、1曲だけ、そうした態度や「ロック」への距離感を破る楽曲があって興味深い。"レヴェリー"の渾身のギター・ソロはパロディだろうか、マジだろうか。高音域で軋むギターは、本作中の特異点である。かなり長いフレーズをノン・ブレスで歌いきるようなこのパートを聴いていると、ロックへの批評と親しみが不可分になった熱い高ぶりを感じる。スマートなだけではないアーティストとしてのソウルや、自身の出自がロックであるということが、1曲限定で刻みつけられることで、作品に奥行きが与えられている。じつに不思議なアーティストだ。

 さて、寡聞にして知らないが、他に日本から発信されたチルウェイヴ問題への回答はないのだろうか。日本だからこそ生まれるチルウェイヴがまだまだ考えられるはずだ。鉱脈はあるのだから、どんどん掘られ面白い音が生まれてきて欲しいと思う。

橋元優歩