Home > Reviews > Album Reviews > East India Youth- Total Strife Forever
ロック・ミュージックはたぶん、若者が自身を表現するのに一番に思いつくチョイスでなくなってからずいぶん経ってしまったのだろう。「ドリーミー」な自己を表現するのに適した音がこの数年ではっきりしたからだ。シンセサイザーによるポップ・ミュージックは様々なヴァリエーションを生みながら、あらゆる夢を描き分けることを野望しているようにすら思える。そして、このイースト・インディア・ユースの「ドリーミー」は……頭が沸いている。
東インドの若者を名乗り、ラップトップ・ミュージックをやっているこの青年も時代が違えば、ギターを持ったシンガーソングライターだったかもしれないし、あるいはバンドを従えてたかもしれない。それだけソング・ライティングはしっかりしているし、別の言い方をすれば特別凝ったことをしているわけではない。ちゃんとしたエモーショナルなメロディがあるし、線の細い声ながらしっかりソウルを乗せて歌っている。けれども、シンセ・サウンドによるアンビエント・ポップの意匠を纏うことによって、はじめて到達できた領域があるのだろうとも同時に感じる。想像でしかないが、彼は音楽を通して自分のなかへなかへと潜り込むことを欲望しているのではないか。
ウィリアム・ドイルによるソロ・プロジェクト、イースト・インディア・ユースのデビュー作『トータル・ストライフ・フォーエヴァー』はひどく内面的で、そしてそれは統合失調的に混乱しているように聞こえる。支離滅裂と言ってもいいぐらいだ。だが、ドイルはその矛盾こそをある種の自己だと定義しているのだろうか、自己紹介となるはずのファースト・アルバムにはさまざまなサウンドが散らかっている。じわじわと音量が上がってまた消えていくオープニング、“グリッター・レセッション”におけるビートレスのシンセ・サウンドから何やら大仰だが、テーマ・トラックの“トータル・ストライフ・フォーエヴァー I”のアトモスフェリックなシンセ・ノイズを通り抜ければ、イーヴン・キックによるアッパーなシンセ・ポップ“ドリッピング・ダウン”へと突入する。上モノが不自然なぐらいにキラキラしていて、かと思えば、続く“ヒンターランド”では攻撃的なミニマル・テクノを披露する。“ヘヴン、ハウ・ロング”で「天国までどのくらい?」と切なく苦しそうに何度も歌い上げたかと思ったら、アウトロではハイ・テンポで執拗な反復を繰り広げる。総じて幻想的でアンビエント的な音楽だが、ムードは共通していても、それは極めて危ういバランスで保たれている。ちゃんとチルウェイヴとジェイムス・ブレイクよりも後の音をやろうとしているけれども、ドローンやノイズがここに現れてもそれは「いまの音を取り込んでやろう」などという利口さによるものではないように思える。
「誰かを探している」と切なげに繰り返す“ルッキング・フォー・サムワン”にしても、また、アルバムに散見される賛美歌やゴスペルの要素にしても、そこで描かれる像はいかにもフラジャイルで内省的な青年の姿だ。大げさな言い方だが、宗教音楽的に妙に荘厳な音には何らかの救済への欲求が響いているようだ。けっしてカジュアルな音楽ではない。
思い出すのはジェイムス・ブレイクのファースト・アルバムだ。あのレコードには、自身にしか理解できない内面の吐露とエモーションと、未発達であることを隠そうとしない幼児性があった。『トータル・ライフ・フォーエヴァー』もまた、ドイル本人がようやく発見した彼が封じ込められており、そしてそれは歪な形のままで転がり落とされている。この未完成な佇まいがゆえに、しかしながら、これから先へのスケールを感じさせる才能の登場だ。
木津 毅