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「ツイン・シスター」から「ミスター・ツイン・シスター」への改名は、とくに音楽的な再出発を暗示したりするわけでなく、「ポリティカルな理由」からだというが、それでもトランスジェンダーなその名を気に入っているという旨の発言は複数のインタヴューからうかがわれる。彼女らは音においても越境的だったけれど、なるほどそれは同格のものを異種交配させるという手つきではなくて、ツイン・シスターに「ミスター」をつけることで名の意味を溶かすような、そういうあり方だったようにも思えてくる。今作においてミスター・ツイン・シスターは、たとえばハードでミニマルなテクノと溶け合い、ツイン・シスターという位相をずらす。
はじまりは穏やかだ。ヴィブラフォンのような音がなぞるアルペジオに導かれて、わたしたちはあの緩くてドリーミーなツイン・シスターのサイケデリック・ポップへと踏み入っていく。嫌味なく洒脱なAOR調が心地よい。ジョナサン・ロウによるところだろうか、プロダクションはクリアさを増してアンドレア・エステラのポップ・シンガーとしての輪郭をさらに磨き出すように感じられる。あくまでエクスペリメンタルなサイケ・ポップであろうとするようなビーチ・ハウスよりも、上質なポップスへの志向性を強めたスティル・コーナーズに近くなった印象だ。
ツイン・シスターは2010年の前後2年ずつくらいのインディ・シーンを彩った、ドリーミーなサイケデリック・ポップのトレンドのなかに現れ、その一角を象徴するように『イン・ヘヴン』(2011年)という傑作を生んだバンドである。一方の極にはディアハンターのようにシューゲイズと結びつけて語られる音があり、もう一方の極にはチルウェイヴなどがあり、そうしたいくつかの極を星形につないだゾーンに個性豊かなアーティストたちがひしめいていた。ツイン・シスターのシンセ・ポップにはフォーキーなテイストがあり、ブロードキャストに比較されるクラウトロック的な要素、あるいはマーク・マッガイアのギター・アンビエントへと接続するような広がりも感じられた。逃避的な音がことさらヒップに感じられる時期ではあったが、そのムードを飛びぬけて心地よくポップス側に転換した才能のひとつだともいえる。ケンドリック・ラマ―が彼女らのトラックをサンプリングしたという語られ尽くした話題も、この間のインディが何を発信していたのかということを物語るものだ。そして本作『ミスター・ツイン・シスター』は、その『イン・ヘヴン』ののち初となるフル・アルバムである。
以前は「ポップス側に振れた」といっても、ラフでリヴァービーなプロダクションが気分であり、ツイン・シスターの音もその範疇だった。しかしまどろみの時期を抜けたいま、彼女らがテクノに、あるいはよりスマートなポップ・ソングに向かうのはとてもポジティヴなことだと思う。また、ミスター・ツイン・シスターはそれが得意だということがわかる。“トゥエルヴ・エンジェルズ”などはそうした新機軸を誇らかに象徴する曲で、アイデンティティを失わずに、むしろビートを飲み込むように成立しているダークなテクノ。ここでのエステラのパフォーマンスは、かつてのツイン・シスターからとても遠いところにあって驚いてしまう。ヴォーカルとしての運動神経が優れた人なのだろう。シルキーでアダルトなR&Bを基調とする前半の展開、とくにレトロなタッチのディスコ・ナンバー“イン・ザ・ハウス・オブ・イエス”などでは、こんなにフットワークの軽いバンドだったのかとため息さえ出るだろう。“メッドフォード”のアンビエントや、“クライム・シーン”などに残された以前の面影をたどりながらアルバムは閉じるが、ヴァリエーションがあるというような安直なまとめかたをゆるさない、奇妙で豪華な変貌を見せる新作だ。「ミスター」という装いのもとに、彼女たちは新しい夢を見はじめた。
橋元優歩