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九州・福岡を拠点とする〈ダエン〉は、オヴァル(マーカス・ポップ)、リョウ・アライ、イクエ・モリ、メルツバウ、ショータ・ヒラマ、マッドエッグ、ニャントラ(中村弘二)、食品まつりなど、個性的な音楽家たちのアンビエント/電子音楽作品などを相次いでリリースし、マニアたちの耳を日々震わせつづけている日本有数のカセット・テープ・レーベルである。
独自のキュレーション・センスによるラインナップは数ある国内レーベルの中でも異彩を放っており、海外のカセット・カルチャーに日本人ならではの審美眼で対応している、ほとんど随一の存在といっていいだろう。
その〈ダエン〉から、カリフォルニア出身・横浜在住のアンビエント・アーティストとして知られるセラーと、レーベル・オーナーでもあるダエンのアルバムがリリースされた。A面にセラーによる2曲、B面にダエンによる2曲を収録するスプリット・アルバムである。
セラーの2曲は、まるでブライアン・イーノ『ディスクリート・ミュージック』(1975)の思わせる交響曲の美しい瞬間をループしたかのような静謐な楽曲に仕上がっている。絹のような感触の音響が反復し、そして変化し、時間の流れをゆったりと変化させていくサウンドに仕上がっている。まさに2010年代的なアンビエントの秀作である。
つづくダエンによる2曲は、霞んだダーク・ノイズを生成/接続させていくミュージック・コンクレート的なアンビエントである。そのダークでロウな質感は、イブ・ドゥ・メイやローリー・ポーターの新譜とも共鳴するインダストリアル/アンビエントといえよう。酸性雨に濡れた『ブレードランナー』的な世界に、淡く鳴り響くようなディストピアなムードが堪らない。
セラーとダエン、対照的な二人の楽曲を一本のカセットに収めた本作は、しかし、ある共通の世界観を形成しているように感じられた。それは何か。本作はアンビエント・ミュージックといっても、ポスト・クラシカル的なアンビエントではない。かといって、ラ・モンテ・ヤング的に永遠に鳴り続けるようなインスタレーション的音響というわけでもない。そうではなくて、カセット・テープという限定された時間だからこそ可能となる「日常の空白に浸透する音響=アンビエンスを生成している」点こそが重要なのだ。
1978年にブライアン・イーノが掲げたアンビエントという概念に何周か回って戻ってきたかと思いきや、事はそう単純ではない。00年代以降の「いま」、アンビエント・ミュージックは空白と没入が常に反転可能な領域に突入している。つまり、音が不意に切れる瞬間に、音響と日常の関係が反転してしまうような、そんな呆然とした感覚も含めてアンビエンスを形成する時代になったと思えてならないのだ。その意味で、本作においてはA面とB面のリバースに生ずる空白ですらも重要な時間である。日常にアンビエントが浸食していく感覚、とでもいおうか。
そもそもインターネット以降、わたしたちが生きる環境には、さまざまな音楽が侵食しきっている。ツイッターのRTでまわってくる新曲・新譜情報、そのティ―ザ―映像、そこからユーチューブ内でリンクされるまた別の音楽、そしてサウンドクラウド上のミックス音源やバンドキャンプ上の新譜は毎秒ごとに増殖しているといっても過言ではない。
だからこそ、その状況からあえて逃避し、音楽の侵食を浮遊させてしまう感覚がいまのアンビエントには必要とされている、とはいえないか。そう、情報に塗れた日常に、ブラックホールのようなすき間をつくるようなアンビエント・ミュージック。本作『シンボルズ』にはそのような環境を作り出す力があるように思えた。
未聴の方は、ぜひとも『シンボルズ』を入手して何度も繰り返し聴いていただきたい。あなたの日常の時間の速度を「遅くさせる」快楽がここにある。多くのアンビエント・マニアの耳に届いてほしい音の逸品だ。
デンシノオト