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パン・ソニックの強靭/強力なノイズとビートの波動がここに復活した。これこそパン・ソニックの新作と読んでも差し支えないのではないか……。
パン・ソニックのイルポ・ヴァイサネン が〈エディションズ・メゴ〉よりリリースした I-LP-ON 名義の『ÄÄNET』を聴くと、思わずそんな大袈裟な断言(放言)をしてしまいたくもなる。つまり電子音響の傑作なのだ。
いや、じっさいレーベル・インフォメーションによって、2000年におこなわれたパン・ソニックのツアー(クオピオ、バルセロナ、カルチュラ)で録音された音素材を使っていることが明言されているのだから、あながち誇大妄想ともいえない。
イルポ・ヴァイサネンは過去素材を用いながらも、「より抽象的なアヴァンギャルドな傾向を持ったクラブの美学を取り入れて、実験的なエレクトロニック・ミュージックとして再定義」し、新しいサウンドを作り上げた。過去と現在をリミックスし、リコンポジションしたわけである。2017年にこの世を去った盟友ミカ・ヴァイニオの追悼アルバムとしての意味合いも強いのかもしれない。
アルバムには全12曲が収録されていて、マシンビートからドローン、そしてノイズが交錯するトラックを存分に満喫することができる。収録曲数は違うもののパン・ソニックが2004年にリリースしたCD 4枚組のアルバム『Kesto』に近いムードだ。サウンドのヴァリエーションが豊かで、その音楽/音響から得られるインスピレーションが多様な点が共通している。ちなみにアルバム名『ÄÄNET』はフィンランド語で「SOUNDS」という意味らしい。
そしてさらに思い出すアルバムが2作品ある。まず、2016年にリリースされ、パン・ソニックのラスト・アルバムとされていたサウンドトラック・アルバム『Atomin Paluu』だ。『Atomin Paluu』は、ミカ・ヴァイニオがまとめあげたアルバムである。対して本作『ÄÄNET』はイルポ・ヴァイサネンによってパン・ソニックの2000年のライヴ音源を用いて制作されたアルバムだ。この二作の成り立ちはどこか似ている。終わってしまったパン・ソニックというユニットへの追悼とでもいうかのように。
追悼という意味からディルク・ドレッセルハウス(シュナイダーTM)とイルポ・ヴァイサネンのユニット die ANGEL の2017年作品『Entropien I』も挙げられる。『Entropien I』は、制作中にミカが亡くなってしまったことで、結果としてミカ・ヴァイニオ追悼アルバムになったとはいえ、制作自体はミカの存命時からおこなわれていた。となれば、この『ÄÄNET』こそ、ミカの死を受けて、その盟友(の記憶)と共に最後に共に創り上げた作品になるのではないか。
じじつ、1曲め“SYRJÄYTYVÄ”、2曲め“RAAVITTUA KROKODILIÄ”、3曲め“TURUN SATTUMA”などの冒頭3曲からして、極めてパン・ソニック的なマシン/パルス・ビート的なトラックを展開しているのだ。
同時に、そこかしこにイルポ・ヴァイサネンのプロジェクト I-LP-O In Dub のようなダブな音響を展開している点にも注目したい。例えば“TURUN SATTUMA”後半のダビィな展開を経て、環境音とノイズが深いリヴァーブの中で融解するような4曲め“MUISTOISSA 1, 2, 3”などはほぼノンビートのサウンドのなか、ダブと環境音が融解するようなサウンドが生成されるなど、まさに近年のイルポ的音響といえる。続く5曲め“POBLE DUB”も雨のようなノイズとさまざまな具体音が響き合うトラックである(個人的にはこの3曲が本作の特徴を表している重要なトラックに思えた)。59秒の短いインタールード的“ALUSSA”から“SEATTLE 1”、“SAN FRANCISCO KESKUSTELU”への展開も、ビートから環境音による音響へといった具合に、記憶を逆回転するように展開していく。
アルバムはパン・ソニック的なトラックとイルポ的マシン・ダブのサウンドを交錯させつつ進行し、ラスト曲“MANAT”では、2010年リリース作『Gravitoni』の最後に収録された“Pan Finale”の終局のようにピュアな電子音の持続音の持続で幕を閉じる。『Gravitoni』は彼らの実質上のラスト・アルバムであり、となるとこれはやはり意図した符号に思えてならない。イルポは本作においてパン・ソニックの終わりを意図しているのはないか。
それにしても、生前のミカ・ヴァイニオも、彼の没後のイルポ・ヴァイサネンも、ともにパン・ソニックというユニット=存在のまわりを周回している。これはいったいどういうことか。
端的にいってユニットやバンドというものは、終わりという概念を超越している。50年ほどが経ってもビートルズは未発表音源やリミックスがリリースされ続けているし、YMOも活動開始から40年が経過してもなお新しいコンピレーション・アルバムが新作のような新鮮さを纏ってリリースされる。ユニットやバンドは一度結成し、リスナーから認知されれば、永遠の存在となる。メンバー個人を超えた存在になってしまうのだ。
それゆえパン・ソニックもまた終わることはないのかもしれない。もちろんミカ・ヴァイニオはもうこの世にはいない。イルポ・ヴァイサネンは、ひとりではこのユニット名を名乗ることはないだろう。パン・ソニックというユニットは実体的には終わった。だが、しかし、その音は、ノイズは、ビートは、反復は、持続は、いまだ生々しく耳の奥に、身体に、空間に、残存している。音楽家の身体がこの世から消えても、彼が発した音の記憶はいまだ蠢いている。
「パン・ソニックの生涯からインスピレーションを受けた」という、I-LP-ON『ÄÄNET』を聴き、そんな思いを持ってしまった。そもそも追悼とは新たな始まりの儀式でもあるはずだ。
デンシノオト