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John Glacier

Ambient Rap Dream pop

John Glacier

Like A Ribbon

Young

Bandcamp

野田努 Feb 27,2025 UP
E王

 ヒップホップの歴史書として名高いジェフ・チャンの『ヒップホップ・ジェネレーション』、たしかに名著ではある。が、喧嘩が弱そうなラッパーを支持するぼくにとって、いまいち納得できないところもあったりする。たとえば、パブリック・エネミーとギャングスタ・ラップにあれだけ大量の文字を割いて、デ・ラ・ソウルの話などは「あれ? あった?」という程度の扱いなのだ。まあ、あの本はひとつの“ヴァージョン”に過ぎないと著者も最初に断っているのだけれど、しかしねぇ、まさか、PEとグレッグ・テイトとの緊張感あるやりとり、アイス・キューブと活動家アンジェラ・デイヴィスとの対話の前では、ホール&オーツが好きでフランス語講座や子供向け番組をサンプリングするようなオタクな音楽は詳述するに値しないということではないと思いたい。なにせあの時代、西海岸のハードコア系リスナーはああいうラップに冷淡だったからね。

  敵対するだけでは十分ではない。抵抗の先に生じる空白には、なお「自らを新たに創造すること」が必要とされている。抵抗は、私たちがもっとも容易に理解できる闘争だ。従属的な人物であっても激しい怒りや憤りの瞬間があり、それに対して反応し、行動を起こす。(略)しかし、(差別に抗する闘争における「対象」になるではなく、その闘争の)「主体となること」は、それとは異なる。その過程は自分自身の生活のなかで支配の構造がどのように機能しているかを理解することで明らかになってくるものなのだ。——ベル・フックス (*)

 権威によって内面化された価値観、それを相対化しなければ革命なんて無理だよと、高名な黒人女性フェミニストにして左派のなかでもとりわけ一筋縄ではいかないイデオローグは主張する。ビキニ姿の女性をはべらせるような映像がラップの世界で使われるようになったのは、スヌープだのドレだの西海岸のハードコアが登場してから数年のことで、あの当時はずいぶんと違和感を覚えたものだった。ことにあの時代、ぼくはUKのボム・ザ・ベースやベティ・ブー(2年前、50代にして現役復帰!)のような、Gファンクとは真逆の、ユーモアのセンスを忘れないヒップホップが好きだったので、なおのことである。いまでも、銃を持って一家を守るケンドリック・ラマーの勇ましいジャケットには引いてしまう自分がいる(わかっていると思うけれど、クリティカルになることはその対象を否定していることではない)。あの銃が水鉄砲だったら良かったのに……ジョン・グレイシャーというロンドンのラッパー兼トラックメイカーは、グライムやドリルのような悪名高いストリートの音楽を吸収し、しかしまったく別のものに作りかえてしまう。ちょっと大げさに喩えるなら、ストリートの生存競争を「リアル」ではなく「ドリーミー」に変換し、殴り合う前に眠らせてしまうと、そんな音楽である。
 
 とにかく彼女は面白い。その音楽は、マッシヴ・アタック以降の、ティルザ、ディーン・ブラントとインガ・コープランド、最初期のマウント・キンビー、コビー・セイなどなど(あるいはもっとも良い時期のザ・xx)、言うなれば英国におけるラップ&エレクトロニック・ミュージックの最良の系譜に位置づけられるだろう。もっともジョン・グレイシャーのことは、耳の早いリスナーにとってはすでに知られた存在である。フランク・オーシャン絡みのVegynが主宰する〈PLZ Make It Ruins〉からデビュー、NYのサーフ・ギャングという注目のアンビエント・ラップ文脈でも評価されているグループとの共作もある。インスタグラムのプロフィールにおける本名は「No✨」、『ガーディアン』に「2万歳」といったことがある彼女は、ここにいよいよ〈Young〉から『Like A Ribbon』という驚異的な脱力系のアルバムをリリースしたのだった。
 この音楽の魅力は、嬉しいことにまずそのサウンドにある。ポップでありながら実験的で、ボーズ・オブ・カナダ風のぼんやりとした風景、もしくはフォークトロニカ時代のフォー・テットの詩情が、グリッチおよび最新のヒップホップ・ビートをもって膨らんでいく。
 FKAツィグスの新作に次いでここにもアースイーターが参加している。その曲 “Money Shows” は、雑にストロークする生ギター音が反復するなか、英国風ぶつぶつラップがノイズにまみれていく、とりわけ印象的な曲のひとつだ。もうひとりのゲスト、サンファが参加した“Ocean Steppin'”はもっともメロウで、もっともポップ、つまり、何度も繰り返し聴きたくなる曲だ。ほかにも良い曲がたくさんあるよ。OMDがヒップホップをやったような“Dancing In The Rain”、ティルザの系譜に位置するドリーミーな“Heaven's Sent”、アンビエント・ラップ曲の“Emotions”……、さすがにこの時代、「デイジー」であるはずがないし、アルバムは全体を通して「メランコリック」ではあるが、ほとんどすべての曲が甘美で、うっとりする。
 
 厳しい現実のなかで、その厳しさに支配されない音楽はときに有効だ。1970年代、デトロイト市内におけるギャングの抗争がもっとも激化したとき、伝説のラジオDJエレクトリファイン・モジョは、ニューウェイヴ・バンド、B52`sのじつにバカバカしい“ロック・ロブスター”という曲を頻繁に流すことでその暴力を抑制することに成功した。世界を変えるのは何も勇ましい文化であるとは限らない。ジョン・グレイシャーの『リボンのように』を聴こう。

(*) bell hooks, Yearning: Race, Gender, and Cultural Politics, Routledge, 2014

追伸:〈XL〉からリリースされるDJパイソンのシングル盤、素晴らしいね。パイソンにあんなポップセンスがあったとは……アルバムが楽しみ。

野田努