Home > Reviews > Live Reviews > 前野健太とDAVID BOWIEたち- スペシャルセッションゲスト:アナログフィッシュ/石橋英子
前野健太は大声で歌っていた。キャバレーの跡地に集まった人たちは、それぞれにごくふつうの、しかしどこかいびつな、一度きりの人生を持ち寄って、彼の歌を聴いていた。ある意味においては、それ自体が人生の寄り道というべきものだが、その音楽の前で泣く者もいれば叫ぶ者もいたし、私はといえば、前野がしゃべる度に笑い、彼の歌を聴きながら、やはり、何度か泣いた。そして、すべての素晴らしい時間がそうであるように、その情熱的な夜もあっという間に過ぎていった。
まだ17時を迎えるかどうかの新宿歌舞伎町には、昼という健康的な時間帯の気配が少し残っていた。私は、正体を隠したその街の、けばけばしい夜の俗っぽい姿を想像しながら、目的の場所に向かった。風林会館の5階、ニュージャパンと名のついたキャバレーの跡地だ。その街並みに、少しだけ昔を思い出していた。私が学生時代を過ごした街にも、その地方で有名な巨大繁華街があったのだが、そこにあったのが夢だったのか、なんだったのか、いまだによく分からない。あの街の大元、本家本元ともいえるこの街の住人にとって、風林会館がどういった意味を持つ建物なのか、私はいっさい知らないが、ある時代の象徴として残されたのだとしても不思議ではない、そんな空気を持った場所だった。おそらくは多くの夢が語られ、愛が騙られ、叶えられることのなかったたくさんの約束が交わされたのであろう、その場所は、色あせた熱気の余韻をほんの少しだけ漂わせ、現在では興行用の貸しスペースとして使用されているという。
一緒に行くはずだった野田編集長から急に都合がつかなくなった旨の連絡を受け、話し相手もいなかった私は、その場所に集まった人たちを眺めていたのだが、筆者と同年代、つまりは20代の客がほとんどだったように思う。男女比も同程度で、イケてるのもいれば、あまりパッとしないのもいたし、美人もいれば、そうでないのもいた。そして、素晴らしことに、カップル連れが多かった。皆、街を歩いていればお互いを気にすることもなさそうな、平たく言えばごくふつうの人たちに見えた。文庫を読む人、雑誌を読む人、スマートフォンでSNSをいじる人、連れと談笑する人、アルコールを淡々と飲む人......皆、思い思いの方法で開演を待っていた。それぞれの人生の続きに、前野健太の歌を待っていた。
そして、前野健太とDAVID BOWIEたちは、定刻通り、興行用の低いステージに現れた。ホストを意識してきたという、襟を立てた白シャツのボタンを3つか4つほど外した前野と、同色のダーク・スーツで揃えたバンド・メンバーたち。冗長性や無用な文学性を排し、下ネタと直截による通俗性に徹してきた彼らにとって、生々しい欲望の臭いがしみ込んだその会場は、慣れ親しんだホーム・コートのようだった。「ライク・ア・ローリン・ストーン、ライク・ア・ローリン・ストーン、ライク・ア・ローリン・ストーン」......"石"の身軽な疾走と、DAVID BOWIEたちのタイトな演奏と、印象的なリフレインで、そのショウは始まった。早々と高まってくる意識の脇で、『トーキョードリフター』に寄せて自分が書いたことをぼんやり思い出していた。気取った言い回しが多かったかもしれないが、それは要するに、どんなミュージシャンであれ、いい時もあれば悪い時もあるし、前野にはそれを隠さず、無様ではあっても堂々と歌い続けてほしいという、駆け出しのライターからの生意気なメッセージだった。
早々に白状してしまうが、私はこの日、ライヴのレポートを書くか、ただ一人の客として観るか、編集部ともとくに決めていなかったので、いちいちメモも取っておらず、細かいセットリストは覚えていない。が、曲の終わりや間奏に前野がギターをめちゃくちゃにかき鳴らすアップな曲も、弾き語りに近い形で情熱的に歌い上げられる甘いメロディも、私の心を強く打った。月並みな感想になるが、はっきり言って、どのスタジオ録音よりも素晴らしかったし(前野の名誉のために、"ヘビーローテーション"の弾き語りサービスがあったことは内緒にしておこう)、最後まで最初のバンド編成でも自分は満足したと思うくらい、演奏には気合が入っていたが、途中、演奏メンバーは何度かチェンジした。前野のソロ弾き語り、ゲストに石橋英子を迎えての"ファックミー"、また、前野が引っ込み、石橋英子とDAVID BOWIEたちになる時間帯もあったのだが、4人が即興で披露した"青パパイヤ(歌舞伎町ver.)"は、まるでROVOのような、ミニマルなトランス・ロックの豪快なセッションだった。
意外、と言ったら失礼か。前野のMC、曲間の立ち振る舞いが上手いことには驚いた。客の煽りを右から左に適当に受け流し、ときにボソッと応え、いじり・いじられる様は、それだけでじゅうぶんに笑えた。フロアには笑顔が多かった。あるいは、そう、"豆腐"で、「これが幸せというやつなんだ」と声を荒げ、苛立ったように歌う前野を見れば、古市憲寿ももしかしたら分かったかもしれない。私たちは別に、この先上向きそうもない今の生活に心から満ち足りているわけではない。それを否定してしまってはほとんど何も手に残らないことを見越したうえで、それぞれに与えられたそれなりのサイズの人生を、それぞれの立場で謙虚に受け入れているだけだ。そう、その夜、キャバレーの跡地に集まった人たちは、それぞれにごくふつうの、しかしどこかいびつな、一度きりの人生を持ち寄って、彼の歌を聴いていた。ある意味においては、それ自体が人生の余計な寄り道というべきものだが、そこで泣く者もいれば、叫ぶ者もいた。終盤、前野の声は何度か裏返っていたが、どんなにフレンドリーな空気のなかでも、それを笑うものはいなかった。ショウの最後まで、音が鳴りやまないうちに割れそうな拍手が沸き起こったり、聴き入ったフロアの客が、前野が拍手を求めるまで立ち尽くしたりする、そんな状況が続いた。
繰り返すが、このあたりは聴き入っていたので記憶がハッキリしない。アナログフィッシュが登場してのツアー表題曲、"トーキョードリフター"は、手短ではあるが強烈なフックのあるイントロのリフが鳴った時点で、この日もっとも会場がわいた曲のひとつだったが、アンコールも含めた終盤はとにかくクライマックスの連続だった。"マン・ション"、"友達じゃがまんできない"、"18の夏"、"天気予報"、そして、"東京の空"。ダブル・アンコールに応えた途端にステージから素で落下したときはどうなるかと思ったが、会場の中央に残された花道で歌った、アンプもセクシー・リバーブもなしの生歌"あたらしい朝"は、過去と未来のあいだのどこかにある、グレーゾーンとしての現在を不恰好に生きる、私たちや、新宿の夜を生きる誰かの営みへの想いとして、あれからもうじき一年になるいま、もしかしたら特別な意味を持った曲だっただろうか。またその前後、「いろいろやばい状況なわけですが、歌は作っていきますので」と、思わず口をついて出たひと言は、この夜、もしかしたら言わないと決めていた類のものだったかもしれない。
しかし、すべてをやり通し、関係者と、完売したチケットを握って会場に集まったファンに何度も頭を下げる前野の姿からは、感謝や、戸惑いや、充実感や、この夜3時間近くかけて溶かした不安の重さが感じられた。思いどおりのリアクションがフロアからもらえなかったり、思わぬツッコミに演奏を何度も止めたり、花道を平行移動するマイクに前歯をぶつけたり、すでに述べたが、最後の見せ場でステージから落下したり、お世辞にもヒーローといった立ち振る舞いではなかった。そう、この夜の前野は、まさに転がる石のようだった。最初はここに、「昭和のグランドキャバレーに宿る亡霊たちがこのライヴを観たら、どんな反応をしただろう?」なんてことを、もっともらしく書こうと思っていたのだが、やめた。そんな「たら・れば」は必要ない。前野はこの夜、いまの時代をそれぞれのサイズで生きようとする観客たちから、惜しみない拍手を浴びていた。それ以上の評価はおそらく、ない。この次、また前野のライブに行ける機会があれば、私は恋人を連れて行こうと思う。
文:竹内正太郎