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ジョン・エリオットのスペクトラム・スプールズがスペインのアシュラことセンセイショナル・フィックスからフランコ・ファルシーニのソロ作『コールド・ノーズ』(アンビエント本P41)を復刻したかと思えば、同じくエメラルズのマーク・マッガイアーはスペンサー・クラークことチャールズ・ベルリッツ(スケイターズ、モノポリー・チャイルド・スター・サーチャー)と結成したイナー・チューブのデビュー作でラ・デュッセルドルフをリ-モデルと、相変わらずエメラルズ周辺は動きが衰えない。むしろ加速しているとも。
イナー・チューブによるラ・デュッセルドルフの解釈はメトロノミック・ビートを半減させてアコースティック・サウンドを増幅させたというもので、これまでのマッガイアーの仕事を思えば、かなりリズム・コンシャスになっている(ベルリッツはヒップホップ・スクラッチ・サウンドとまで言っている)。イナー・チューブとはサーフィンの波のことで、バリ島やシシリー島、あるいはカリフォルニア・ビーチやマーク・リチャーズという有名なサーファーが曲の題材となり、サーフ・ボードに砕け散る波をジャケット・デザインにする辺り、これまでのスタティックな快楽性に加えて疾走感も表現するようになったことは、マッガイアーとは少し異なる方向性を指し示していたと思っていたジョン・エリオットのミストがジャーマン・トランスばりのスピード感に舵を切っていたことと、いつの間にか歩をそろえていたということでもある。もしも、いますぐにエメラルズが新作に取り掛かったら......それこそクラウス・ディンガーも死んでる場合ではなかったかもしれない(ちなみに大学の同級だった木村茂樹は新婚旅行の行き先がクラウス・ディンガーの自宅だった!)。
エメラルズやマッガイアーの音楽からストレートにクラウス・ディンガーのことを思い出すようになるとはまさか予想もしていなかったけれど、昨年は『タンク』が絶賛を浴びたクライトラーからラ・ノイ!のメンバーでもあったアンドレアス・ライゼも6年ぶりとなるセカンド・ソロをリリース。『タンク』でもミニマル・サウンドはひとつのキー・サウンドとなっていたところを、さらに装飾性を削ぎ落とし、イタロとクラウトロックをミニマル化するという奇態なことをやってのけている(ミキシングはシェッド、カッティングはステファン・ベッケ、冒頭のポエトリー・リーディングにはポスト・インダストリアル・ボーイズ)。
メトロノミック・ファンクとでも称すればいいのだろうか。これもやはりクラウス・ディンガーがもしもロック・ジェネレイションではなく、ジェフ・ミルズを意識するような世代であれば、ハード・ミニマルに対してある種の対抗軸として編み出されたサウンドにも思えなくはないし、"クリンクラン"のようなクラフトワークの初期作(それはつまりクラウス・ディンガーということだけど)をテクノ以降のフォーマットに移し変えたものといえ、天にも遊ぶ感じはそれこそハルモニアのダンス・ヴァージョンといえる。メトロノミックということは明らかにマーチのリズムを使っているということで、実際、菊地成孔のいう微分的なリズムではないと感じられるのに、ガビ・デルガドー(DAF)ばりにラテン・パーカッションを軽く入れたりと、あまりにも軽妙で浮ついた調子にはついつい腰が誘われてしまう。
同じクライトラーでもデトレフ・ヴァインリッヒによるエレクトロ・プロジェクトはそうはいかず、3作目を数えるトゥルーズ・ロウ・トラックスはいつにも増してライゼとは対照的に地の底へと沈み込んでいく不気味な快楽性が追求されている。かつてはもう少し呪術的な側面(ファンキーといってもいい)もあったりしたものが作を追うごとに無機的になり、ある種のスタイリッシュな完成形に入ってきた段階なのだろう。この重さはまさにドイツ印であり、明日への希望がすべて閉ざされたかのようなダーク・ミニマルはヴァークブントの別名義であるメヒティルト・フォン・ローシュ(裏アンビエントP133)を部分的に再現しつつ、クラウス・ディンガーが絶対に覗き込もうとはしなかったドイツのダークサイドを執拗にさ迷い続ける。DAFの地味なナンバーかと思えばカン"ムーンシェイク"を思わせる曲など、よく聴くとヴァリエイションは豊富なのに、どこを取ってもとにかく陰々滅々とした気分が容赦なく打ち付けられていく......
三田 格