Home > Reviews > Album Reviews > Gerry Read- Jummy
『テルマエ・ロマエ』のヒットは発想がグローバルだったから......だそうである。インドネシアにはあと10年以内にセヴン・イレヴンが1000件はできるらしい。ブロック経済の行方を占うようにしてオランドーが提案したユーロ債はメルケルに一蹴され、市場=帝国に立ち向かう超民主主義をジャック・アタリは提唱するw。とにかくありとあらゆるものが国境を越えてノマド化するなか、なぜか「選挙権」だけがグローバル化しない。ある人が一国だけの経済に収まっていないのはもはや明白なのに、取引先の政権に対して何ひとつ影響力を行使できないというのは、まるで婦人参政権が与えられる以前の女性たちのようなものではないのかw。ジョージ・ブッシュが再選される際、ラルフ・ネーダーに投票するよう呼びかけたトム・ヨークに対して、モービーはイギリス人がアメリカの民主党票を割るような発言をするなとクレームをつけたことがある。つまり、国外から他の国の政治状況に影響を与えることが可能なランクとそうでないランクがこの世界には存在するということである。この不平等を是正し、グローバリズムを徹底させたいのなら、他国の政治状況に対しても投票が可能となる制度を構築するしかない。たとえば世界中のあらゆる人が外国への投票を一定票有し、それを外部要因としてパーセンテージを設定することで、一定の影響力とするわけである。日本との取引を進めたい中国の貿易業者が石原の対立候補に入れるとか、ジンバブエから安い労働力を輸入したい南アの企業はムガベを応援するとか(ちょっとブラック過ぎるか)。これぞグローバリズムではないだろうか。世界市場=帝国の完成ではないだろうか。ネタニヤフやベルルスコーニを失脚させたいと考える人たちが世界中に一定数いれば、圧制に対するストッパー要因にはなるだろうし、アメリカ軍もいちいちアラブ界隈に出かけていって面倒を引き起こす機会も減るだろう(つーか、シリアにも派兵しなかったアメリカはホントに病気かも)。あるいは、ブラジルのようにトービン税を導入した国だけ、こうした権利を認めるというのはどうだろう。攻め型と守り型の経済国家がジグソー・パズルのように入り組んだ世界が出来上がり、金田淳子が「人類皆BL」と書かれた旗を振るのである! ああ、ウゴ・チャベス! そうよ、ユーリヤ・ティモシェンコ! 投資マネーで突き刺して!
冗談はさておき、BNJMNの快挙に続いて、ベース・ミュージックからハウスへと越境を果たしたジェリー・リードの1作目(これが言いたかっただけでした......)。昨年、ダーク・アークから「パターンズ」でデビューした弱冠19歳のリードは〈ランプ・レコーディングス〉が新たにスタートさせた〈4thウェイヴ〉から矢継ぎ早に5枚のシングルをリリースし、〈セカンド・ドロップ〉からの「ルームランド」にはディスタルによるリミックス盤も加えるなど、早くも新しいセンスのオン・パレード状態となっている。なかでは、どこからどう説明していいのかわからない"ウイ・アー"(スケベは見るべし→http://www.youtube.com/watch?v=TfV-Te608bA)を差してディスクショップ・ゼロの飯島さんはこともあろうに「粗さとしなやかさが同居する黒グルーヴ」と手短に片付けているけれど、ガラージにもミニマルにもダウンテンポにもダブステップにも聴こえるダンス・ミュージックのグローバリゼイション状態(なんだそれ)として聴かせ、日本からは消えうせた未来をハウス・ミュージックの前方にあっさりとつくり出していく。また。今年に入って(20歳になって)温故知新の総本山と化してきた〈デルシン〉からの"イエー・カム・ダウン"ではエイフェックス・ツイン"ヴェントリン"をハウスにアレンジしたような不思議なパーカッション・グルーヴが編み出され、最新シングルとなる「ライノ」ではジャム・シティを意識したようなインダストリアル・テイストも取り入れられていた。そして、そのどれも採録されていないファースト・アルバムにはさらに洗練された作風が並べられ、いままでになかったスウィング感があちこちから滲み出し("ギボン"や"クロール"を聴いてジャイルズ・ピータースンが放って置くとは思えない)、"ビー・プッシン(シー)"を筆頭にジュークをハーフで聴かせているような粘っこいグルーヴが腰にまとわりついて離れない。セクシーである。新井将敬に聴かせてやりたかった......(ウソ)。無法松の暴れ太鼓をアンチ‐Gがイタロ風にリミックスしたような「メイク・ア・ムーヴ」、スクリッティ・ポリッティをベース化したら......という想像がはたらく"ギヴ・マイセルフ・トゥー・ユー"、ムーディマンを思わせる"レッツ・メイク・イット・ディーパー"(実際、ピッチフォークはリードをムーディマンやフライング・ロータスと比較している)、デリック・メイをセオ・パリッシュでかち割ったような"ムーヴィング・フォワード"。どれをとってもいかにも新世代である。若い。新しい。ひゃっホー。
Quench and anger on the other side of the graciousness of Hashimoto, a sense of loneliness rising from a gap of tranquility Kizu-kun, the day it was made to feel quite exhausted. (by 田中宗一郎) *ツイッターより英訳して無断転載
三田 格