Home > Reviews > Album Reviews > Falty DL- Hardcourage
このアルバムを聞いて最初に感じたのは懐かしさと明快さと音の強度だった。
懐かしさについては、時期やアーティストを特定できるほど、ぼくはダンス・ミュージックを聞いてきたわけではないので、CDの野田努さんの解説を参照してほしいが、その中に1992年ごろのエイフェックス・ツインの名前があげられているのを見たとき、自分がなぜこのアルバムにひかれたのか、理由がわかるような気がした。かつてのエイフェックス・ツインの音楽がそうであったように、フォルティDLのこのアルバムの音楽は、ダンスしないでも楽しめる面がある音楽だからだ。
フロアでの踊りやすさや盛り上がりとは別のところでダンス・ミュージックが消費されていくことに対しては、賛否両論あるだろうと思うが、ポップ・ミュージックの側からすれば、それがポップ・ミュージックの範囲を広げてきたことは否定できない。そして、たとえダンス・ミュージックでも、CDアルバムという容器で作品を発表するなら、踊らない音楽ファンが聴く可能性を拒むことはできないのだから、そうした聴き手も考慮に入れてアルバムを作るアーティストも出てくる。このアルバムはそれを凝縮度の高い音像できわめて明快に、示している。力強いリズムも気持ちいい。
コアなダンス・ミュージックは、短いフレーズの反復が主役だから、ポップス・ファンからすると、曲展開が乏しく感じられるものが多い。しかしこのアルバムの曲には、AA'BCといったポップスの典型的なフォーマットこそとっていないが、随所に音の物語を追うことができるような仕掛けがある。たとえばハウスやテクノでアイコン的に使われるフレーズを、ロック用語で言うならリフ的に使って、とっかかりやすく感じさせる。5曲目のように、ハーモニーを意識した曲があるかと思えば、6曲目のように徹底して反復的なリズムにある種のヒップホップ的なホコリっぽい音響や雑踏のつぶやきのような声を加えて、リズムに音色的なふくらみを持たせた曲もある。2曲目のヴォーカルは、いまどきのアメリカのインディー・ロックのようだ。
1曲目を聞いて20年前のエイフェックス・ツインを思い出すだけでなく、キーボードワークではさらにさかのぼってクラフトワークを思い出したり、3曲目にフランキー・ナックルズのこだまを感じるといった聴き方もできなくはないだろう。ポップス・ファンからはアット・ランダムに増殖・拡散するミュータントのように思われてきたダンス・ミュージックの世界だが、先行するアーティストに対する敬意があって、そこにおのずと歴史感覚が発生してくることに変わりはない。ぼくにとってはこれはそんなことも感じさせてくれるアルバムだ。
北中正和