Home > Reviews > Album Reviews > David Bowie- The Next Day
昨年末、紙エレキングに「2012年のUKはパンク前夜のようだった」と書いた。
そして2013年の年頭になり、3月に発売されるというボウイのアルバムのジャケットを見た時には少なからず動揺した。下敷きに使われているのが、1977年にリリースされた『HEROES』のジャケットだったからである。
また、同じ記事のなかで、アラセヴ(アラウンド70)のアーティストたちについて、「前へ、もっと前へ進もうとする高齢アーティストを敬愛する。時間軸で言えば、前方とは老いであり、アンチエイジングは後退だ」とも書いた。だから、ボウイのジャケットにはいよいよ動揺した。中央の白いスクウェアのなかに『The Next Day』と記されていたからである。
「Today, he definitely has something to say」
と新譜発表の公式声明には書かれている。
この時代に、ボウイが言いたいこととは、何なのだろう。
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ニック・ケイヴの新譜の後に聴いたせいか、1曲目の"The Next Day"が、剥き出しの骨太ロックに聞こえた。「ジョニー・ロットンっぽいと言えば言い過ぎだが、この曲のボウイにはアンガーを感じる」と、FMの深夜番組のDJは言っていた。
そもそも、わたしはボウイのファンではない。同世代のロックを聴いた人びとにありがちな、一応は聴いておかないと。的な姿勢で学習はしたが、中年(の福岡人)によくいるような、酔うとギター片手に「ジギー・プレーイド・ギーッタアアアアー」と熱唱する元バンドマンでは間違ってもないし、もとより、ロック・スタアというもののアンチテーゼとして登場したジョニー・ロットンに生涯を捧げた女である。ボウイ様に心酔するタイプの娘ではなかったのだ。が、そのボウイ様が、アラセヴになって怒っているとはどういうことだろう。
1977年のボウイは、UKにはいなかった。『ダブル・ファンタジー』のレノンを思い出すような美しい旋律の"Where Are We Now?"は、彼のベルリン時代を回顧した曲だが、このアルバムは、全編にわたって過去が散りばめられている。"Dirty Boys"がグラム・ロックのバッド・ボーイズを歌ったものであることは間違いないし、壮大なスタジアム・ロックの"The Stars (Are Out Tonight)"は『ヤング・アメリカン』を髣髴とさせる。"Love Is Lost"では、『ロウ』で使ったテクニックを再び使ってみたとトニー・ヴィスコンティが明かしているし、"Dancing Out In Space"は、"ビギナーズ"と"モダン・ラヴ"を思い出す。"(You Will Set) The World On Fire"がティン・マシーン風なら、"Valentine's Day"はどこかキンクスのようでいて、『ジギー・スターダスト』に入っていてもおかしくない。しかし、だからといって、ボウイ博物館のようなアルバムになっていないのは、現在のボウイの声と言葉が前面に出ているからだろう。
トニー・ヴィスコンティは、『NME』のインタヴューで、「録音中のことで何が一番記憶に残っていますか」と訊かれ、「おかしなことに、ヴォーカルがやたらとラウドだったことだ」と答えている。ボウイは部屋の隅で、10年の沈黙を吹き飛ばすように、嬉々として歌っていたという。
しかし、当然ながら、ボウイの声は加齢した。その声で、ときには弱々しい声音をわざと演じさえしながら、「Here I am. Not quite dying」、「Wave goodbye to life without pain」とボウイは歌う。これは、体のあちこちが壊れはじめる老年の言葉だ。人は老いる。というファクトの描写である。それはまるで、扉を開くと、『HEROES』の白いスクウェアの奥には、現在のボウイがいたということがわかるCD版のジャケットのようだ。
過去はあった。しかし、それは過ぎて、『The Next Day』(現在)がある。
50周年記念のコンサートで息切れしている爺さんたちとか、ツアーでストリップしている元セックス・シンボルの婆さんとか、所謂レジェンドたちがゴシップ広告と興行商売で稼いでいるこの時代に、いったい他の誰が、これほど聡明でクールな老いのロックを聞かせてくれるだろう。ボウイの含羞と美意識は、アンチエイジングという退行を受け容れない。「彼は、新譜の曲をライヴ演奏する気はない」とトニー・ヴィスコンティは言っている。
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最後になったが、この曲について書かないわけにはいかないだろう。
「そして僕たちはミシマの犬を見た」
という歌詞ではじまる"Heat"のボウイは、スコット・ウォーカーかと思った。
というか、わたしにはスコット・ウォーカーへのオマージュにしか聴こえない。『Bish Bosch』のレヴューでも書いたが、このふたりは、やはり同じコインの裏と表だ。
裏。のスコットは、異次元の世界の「もっと先へ」進んでいる。
表。のボウイは、こちら側の世界に留まり、時間軸的な「もっと先へ」進んでいる。
そういえば、ブライアン・イーノとボウイが、ウォーカー・ブラザーズの『Nite Flights』を聴いて「これ凄いよね」と騒いでいたのも、ベルリン時代だったはずだ。
UKではパンクが多方面に発展しはじめていた。いろんなことがはじまった時代だった。
だが、それも過ぎ、遠い日のことになり、わたしたちには現在(The Next Day)が残されている。
ブレイディみかこ