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シューゲイザーの現在形とは何か。私はその回答としてナッシングの新作『The Great Dismal』を挙げてみたい。なぜか。ここには「陶酔のシューゲイザー」から「覚醒のシューゲイザー」という変化がうごめいているからである。
サイケデリック・ロック/ノイズ・ロックの極限とでもいうべきシューゲイザーという音楽形式は、伝説的な存在マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、そしてスロウダイヴ、ライドなどのシューゲイズ御三家の圧倒的な影響力のもと、2020年に至るまで世界各地で有名無名問わず幾多のインディ・ロック・バンド(さらにはるシーフィールのテクノ系譜の電子音楽、フェネスなどの電子音響、M83 などエレクトロニカと融合したニューゲイザーなども)によってサウンドの生成と変化を繰り返してきた。
くわえてブラックゲイズやハードコアなどのへヴィー・ロックからの参入によって、さらなる変化を遂げつつある。つまり陶酔のサイケデリアであったシューゲイザー・サウンドが、覚醒のノイズ・ロックに変貌していったわけだ。例えば米国のデフヘヴン、フランスのアルセストなどはその代表的な存在といえよう。
その中にあってアメリカ、ペンシルバニア州フィラデルフィアのノイズ・ロック・バンド、ナッシングはハードコアやブラックゲイズ由来のシューゲイザー・バンドという意味で非常に特異な存在である。2020年にリリースされた新作『The Great Dismal』もまた一聴するとシューゲイザーの正当な後継に聴こえるが、そのサウンドにははっきりと「陶酔」から「覚醒」という変化を聴きとることができるのだ。
結論へと先を急ぐ前にナッシングの変遷について簡単にメモをしておきたい。ナッシングは、ホラー・ショウのメンバーであったドメニク・パレルモを中心とするバンドである。2014年にファースト・アルバム『Guilty Of Everything』をエクストリーム・ミュージックの老舗〈Relapse〉からリリースした。2016年にはセカンド・アルバム『Tired Of Tomorrow』、2018年にはサード・アルバム『Dance On The Blacktop』も同レーベルから送り出した。『Tired Of Tomorrow』はピッチフォークで8.0という高得点を獲得し、インディ音楽ファンにも認知が広がった。
いっぽうメンバーは、いくつかの変遷を経てきたバンドでもある。バンドの影の首謀者ともいえる人物はデフヘヴンの元ベーシスト、ニック・バセットだが、しかし彼はサード・アルバム『Dance On The Blacktop』で脱退し、変わってベーシストとしてフィラデルフィアのハードコア・バンドであるジーザス・ピースのフロントマン、アーロン・ハード(Aaron Heard)が加入した。
ギタリストのブランドン・セッタもまた『Dance On The Blacktop』を最後に脱退し、USインディアナのポストロック/シューゲイズ・バンドのクロークルームのドイル・マーティンがギタリストとなった。つまりポストロック、へヴィー・ロック系譜のUSハードコア・インディの混沌としたメンバー変遷・構成となっているのだ。
ここで注目したいのが、本作『The Great Dismal』に、フィラデルフィア出身のハープ奏者メアリー・ラティモアが参加している点である。メアリーはアンビエント的な穏やかな作風で知られる音楽家である。意外な人選に感じられる。フィラデルフィアつながりであろうか。ともあれ彼女の参加はナッシングの音楽性の広さを象徴している。
バンド発足当時はレーベルのカラー、さらにデフヘヴンの元ベーシストであるニック・バセットがバンドの発足において重要人物であったため、そのシューゲイズ/ドリーム・ポップ的なサウンドながらもいわゆるブラックゲイズに分類されていた。しかしじっさいはパレルモの波乱に満ちた人生(乱闘の末に彼が人を刺してしまい2000年初頭に刑務所で二年間の服役をする。パレルモは正当防衛を主張)に対する音楽療法が主な目的でもあった。つまりシューゲイザー的なノイズ・ギターは、自己/他者への暴力と治癒を表現しているとすべきだろうか。
他罰と自傷。そのネガティヴな状況の認識と表現をするために、彼らは90年代のインディ/オルタナティヴ・ロックの形式を起用し、00年代以降のドリーム・ポップ的なサウンドも援用したのだろう。まるで現実から夢うつつで浮遊し、いまここの自己を見つめるために。その意味でナッシングは、ハードコア・へヴィ・ミュージックを出発点としつつもジャンルにとらわれない折衷的な音楽表現の場であった。
ちなみに2019年にリリースされたレア・トラック集『Spirit Of The Stairs - B-Sides & Rarities』にはロウのカヴァー曲 “In Metal”、ライドのカヴァー曲 “Vapour Trail”、グルーパーのカヴァー曲 “Heavy Water / I'd Rather Be Sleeping”、ニュー・オーダーのカヴァー曲 “Leave Me Alone” なども収録されており、彼らがインディ音楽全般を参照にしていることもわかってくる。
とはいえその音楽の基本的な形式は90年代のシューゲイザーやオルタナティヴ・ロックであることに間違いはない。『The Great Dismal』もまたサウンド面では、モダンな録音によるシューゲイズ・サウンドの追求にこそあるように思える。楽器とサウンドの分離は明晰で、曲によっては弦楽器のオーケストレーションも取り入れた豪華なプロダクションとなっている。90年代以降のインディ・ロックとヘヴィー・ロックが交錯し、モダンなノイズ・ロック/ドリーム・ポップへと至ったとでもすべきだろうか。
もちろん根底に流れるのはパレルモの無慈悲な暴力への恐怖なのだ。“Famine Asylum” のMVでバットを振り下ろす血まみれの男は、その象徴だろう。ドリーミーな音に、このような映像の組み合わせはショッキングだが、そのようなショックを積極的に表現することがナッシングにおける自己治癒のミッションでないか。このバンドの根底にあるオブセッションは自己/他者に巣食う暴力への恐怖だ。
『The Great Dismal』の各曲をざっくりと述べていきたい。まず1曲目 “A Fabricated Life” は意外にもアコースティック・ギターとヴォーカルによるフォーキーな楽曲。次第に霧のようなオーケストレーションが折り重なっていく。メアリー・ラティモアのハープも不穏で美しい。
2曲目 “Say Less” では古い女性の歌声のサンプルが曲のカウントのようにしてドラムが炸裂する。剃刀のようなギター・ノイズの向こうに、ゆらめくヴォーカル、ダンサンブルなビート。90年代のマイブラからの影響が濃厚な曲だが、インディ・ロック系譜のシューゲイザー・バンドが陶酔的なサイケデリックな音を目指していることに対して、ナッシングはハードコア経由の覚醒的なサウンドに仕上げている。
アレックス・G(!)が参加した3曲目 “April Ha Ha” も出だしのスネアの連打からしてマイブラ『Loveless』の “Only Shallow” を思わせもする曲だが、やはりサウンド全体にキリキリとした切迫感が強く流れている。
90年代のインディ・ロックのようなはじまりの4曲目 “Catch a Fade” も途中から硬めのノイズ・ギターが投入される。5曲目 “Famine Asylum” では、メタリックな響きのノイズ・ギターと硬質なビートのアンサンブルにより、覚醒へと導くような硬質なシューゲイザー・サウンドを展開する。
以降、6曲目 “Bernie Sanders”、7曲目 “In Blueberry Memories”、8曲目 “Blue Mecca”、9曲目 “Just a Story”、10曲目 “Ask The Rust” まで、ハードコア経由のピリピリとした緊張感に満ちたシューゲイザー・サウンドを展開し、まさに至福とでもいうべき時間が流れていく。中でも10曲め “Ask The Rust” はアルバム屈指の名曲。硬質なシューゲイザー・サウンドのむこうから悪夢から立ち直るようなヴォーカルのコントラストが絶妙だ。
全10曲(日本盤CDはボーナストラック1曲を追加収録)、本アルバム『The Great Dismal』もまたパレルモの実存的な不安を表象しているアルバムだ。この無慈悲な世界への恐怖と生きることの恐怖を巡る実存的な問いかけと、その恐怖と絶望の記述とでもいうべきか。それは先行きの見えない状況を生きるわれわれにとっても切実な問題でもあるはず。
『The Great Dismal』は「実存的」不安によって、90年代以降のシューゲイザー・サウンドを深化させた。陶酔から覚醒へ。不安から実存へ。まさに「いまここ」に満ちる不安を強く表現してみせた稀有なアルバムである。
デンシノオト