Home > Reviews > Film Reviews > ナイチンゲール
ジャングルの緑がとても綺麗だなと思いながら観ていた。「緑」というよりも濃厚な「グリーン」。雨に濡れて輝きを増し、それらが人間たちの暴力を覆い隠している。舞台は植民地時代のオーストラリア。窃盗の罪でアイルランドから流刑地に送られてきたクレア(アシュリン・フランシオーシ)はホーキンス中佐(サム・クラフリン)の口利きで釈放されたものの、好きな時に中佐にレイプされ、夫にはそのことを隠していた。クレアに書くと約束していた紹介状をなかなか渡さない中佐に腹を立てたクレアの夫、エイデン(マイケル・シェズビー)が中佐に抗議を試みるも、プライドを傷つけられたと感じた中佐たちは夜中にクレアたちの家を襲い、クレアはレイプされながら赤ちゃんと夫を目の前で殺される。復讐に駆り立てられたクレアは、出世のためにローンセストンに向かったホーキンス中佐たち一行を追おうとするもジャングルのなかでどっちへ進んでいいかもわからず、道案内としてアボリジニのビリー(バイカリ・ガナンバル)を友人に紹介される。オーストラリアでは当時、アボリジニと見れば撃ち殺すのが日常茶飯で、クレアもビリーには見下した態度しか取れず、銃を突きつけながら案内をさせることに。こうしてギクシャクとしながらクレアとビリーはホーキンス一行を追って奥深いジャングルに分け入り、その道中で白人とアボリジニの凄惨な殺し合いの風景を何度となく目にすることになる。
この作品には女性差別、人種差別、ゲイ差別が最初からとめどもなく吹き荒れる。さらには差別されているもの同士が手を組めなかったり、殺すことにためらい感じる少年など、『パラサイト』や『ジョジョ・ラビット』がコメディという形式で伝えたテーマが束になってシリアスに語られていく。作品のほとんどを占めるジャングル・クルーズは緊迫感を途切らせることなく、1秒たりとも音楽が流れないのはストーリー展開に自信があるからだろう(登場人物がアカペラで歌う場面は何回もある)。そして、思いつく限り、最悪の展開、最悪のシナリオへと話は流れていく。(以下、ネタバレ)クレアが中佐の部下をひとりめった刺しにして殺すのを見てビリーがクレアの元を去ろうとし、クレアが初めて自分の身の上を語り、彼女がイギリス人ではなくアイルランド人だということをわかってもらえたことで、2人が「イギリス人憎し」で心を通わせる場面は重要なシーンである。それまでにビリーがマジカル・ニグロ(都合のいい黒人)として描かれていたシーンもなくはなかったと思うものの、ビリーが彼にできることはほとんど何もやっていなかったことが、ここからはどんどんわかってくる。
ようやくジャングルから出られるのかと思った後半、観客は意外な展開に足を掬われる。圧倒的に有利な地歩を得たクレアが中佐に銃を向け、そのまま撃ち殺せたにもかかわらず、その場から逃げ出してしまうのである。支配層に対する「憎しみ」が最後までストーリーをドライヴさせ、白人支配層に対して一矢報いるという感情に染まり、それが果たされると思い込んでいた僕はさらなる悲劇を覚悟しなければならないのかと、より一層の緊張状態に投げ込まれた。ただ、クレアが撃てなかった気持ちに違和感はなく、1人を殺した時点でクレアが少し冷静さを取り戻し、無意識のうちに復讐の連鎖から抜け出したくなっていたということはなぜか理解できた。クレアは終盤、それでもホーキンス中佐に対して言葉で彼を追いつめるという行動に出ることで彼のことを許したわけではないという意思表示は見せる。クレアが逃げ出した後、「復讐」や「暴力」の主体となるのはビリーである。19世紀という時代設定も関係はしていると思うけれど、21世紀につくられた作品として、ここにはちょっとした差別があって、女性であっても白人は暴力衝動を言葉に昇華することはできても、黒人(アボリジニ)にはそれができないという断層が設けられていると、そのように感じられてしまうところはあった。それは否めない。アボリジニが社会をどう定義し、どういうものに制裁を加える習慣があるかを説明しているシーンもあるので、その部分を信じるならば、的外れな展開ではなさそうで、これについては専門家のアドヴァイスや実際のアボリジニたちとも多くの面でコラボレイトしているとパンフレットには記してある。ビリーにはビリーの理由があってやることなのでストーリー的にもご都合主義的なものでないことは確か。あるいは、黒人(アボリジニ)の女性が最も無力な存在として描かれ、これ以上ないというほど最悪の扱いを受けているのは歴史が経過してきた通りだとは思うものの、「復讐」の回路にさえ組み入れられていないのはやはり凄惨な印象を増幅させる。
『ボーダー』のアリ・アッバシや『寝ても覚めても』(本誌23号)の濱口竜介とともに「ポン・ジュノが選ぶ20人の若手」としてイギリスの「サイト&サウンド」にリスト・アップされていたジェニファー・ケントが監督を務めた(ほかにポン・ジュノが選んだのは『幸福なラザロ』のアリーチェ・ロルヴァケル、『アトランティックス』のマティ・ディオプ、『ヘレディタリー/継承』(本誌23号)や『ミッドサマー』のアリ・アスター、『ロングデイズ・ジャーニー』のビー・ガン、『イット・フォローズ』や『アンダー・ザ・シルバーレイク』のデヴィッド・ロバート・ミッチェル、『ゲット・アウト』や『アス』のジョーダン・ピールなど)。ラース・フォン・トリアー『ドッグヴィル』(03)で助監督を務めたケントのデビュー作は『ババドック 暗闇の魔物』(14)というホラー映画だったためにヴィジュアルもそれ風につくられているものの、この作品はオーストラリアという国の成り立ちに焦点を当てた歴史ドラマであり、サスペンスものとしてもよくできた力作だと思う。「ナイチンゲール」というタイトルは鳥のように歌うクレアのことを指し、クリミア戦争で活躍した近代看護婦の祖とは関係がない。
オーストラリアがイギリスを憎む映画はピーター・ウィアー監督『誓い』(81)もそうだったし、普段は隠蔽されている感情が一気に噴き出してくるのを見るようで、やはり心に重くのしかかってくるものがある。当然のことながら日本が韓国などを植民地にしていたことやアイヌのことも思い出さざるを得ず、他者性をないことにできてしまうニュー・エイジに走れる人が羨ましいというかなんというのか。
映画『ナイチンゲール』予告編
三田格