Home > Reviews > Debby Friday- GOOD LUCK
音楽におけるジャンルというものは考えてみるとイメージを共有するために必要になるものなのかもしれない。新しい音楽を聞く足がかりとなる情報、あるいは他の誰かに伝えるときに必要になる道具、SNSが発展してそこで興味をかきたてられることも多くなった時代においてその情報はひとつのフックとして重要な働きを果たしているように思える。
だが最近ではジャンルの枠を超えるアーティストや既存のジャンルではしっくりこないような活動をしているアーティストも多く出てきた。たとえばUKのラッパー、スロウタイの最新作『Ugly』は〈Speedy Wunderground〉のダン・キャリーのプロデュースで、ジョックストラップのテイラー・スカイやイーサン・P・フリン、フォンテインズD.Cが参加するなどサウス・ロンドンのインディ・シーンのツボを突くような陣容で、実際にインディ・ロック・リスナーからも高い評価を得た。この傾向はレーベル側にもあって、大きな注目を集めていたインディ・ロック・バンド、ブラック・カントリー・ニュー・ロードと契約した老舗〈Ninja Tune〉、あるいは〈Warp Records〉に所属していたジョックストラップが素晴らしいクラブ・チューンである “50/50” をひっさげて〈Rough Trade〉に移籍するなど、レーベルの既存のイメージとは離れた印象のアーティストと契約するというのも珍しくなくなった。これはアーティスト側がリスナーとして様々な音楽を聞き、そのアウトプットとして音楽を作るというアクションが反映された結果なのか、シーンというものに定まった服装や音楽的共通項を必ずしも求めない現代の感覚が出たものなのかはわからないが(彼らはみんなアティチュードで結びつく)、いずれにしてもSNS上のプロモーションとしてのわかりやすさが求められる一方で制作側のジャンルの意識は薄れ、その音楽はどんどん形容するが難しいものなっていっているように思える。
〈Sub Pop〉から1stアルバム『GOOD LUCK』をリリースしたデビー・フライデーはまさにこの流れの中に存在するアーティストだ。「ナイジェリアに生まれ、モントリオール、ヴァンクーヴァー、トロント、カナダのあちこちに移り住んだデビー・フライデーの時空を巡る放浪は、太陽が沈んだときから始まった」と心が躍るようなプレス・リリースの文言があるように彼女の音楽はクラブ・ミュージックがベースにある。クラブで育ち、DJとして活動を始めそうしてすぐに自らの音楽を作ることを志したという彼女はジェイペグマフィアやデス・グリップスをリリースするロサンゼルスのレーベル〈Deathbomb Arc〉から2枚のEPを出し、インディ・ロックの名門レーベル〈Sub Pop〉と契約しアルバムをリリースすることになる。
そうしてリリースされたこのデビュー・アルバムは彼女の特徴であった暗く呪詛的な硬質なビートに加え、これまでの2枚のEPと比べてよりインダストリアル・ロックの要素やポップな側面が強く出ている。アルバムのオープニング・トラックでありタイトル・トラックである “GOOD LUCK” は漆黒のビートの重さを保ったまま、より軽やかに解放されたかのような彼女の声が響く。ヒップホップの要素とインダストリアルの要素が混じりあい、エレクトロニクスの痛みがやがて突き抜けた快感に辿り着くかのごとく変質していく。続く “SO HARD TO TELL” はこれまでのデビー・フライデーとはまったく違う甘いファルセット・ヴォイスが聞こえてくるユーフォリックなトラックだ。その声は甘く、決意を固めたかのように芯があり、挑みかかるようだったいままでの彼女の声とは違う魅力を見せる。孤独を抱えたメランコリックなエレクトロ・インディ・ポップとも呼べそうなこの曲はアルバムの中で異彩を放っているが、しかしこの曲こそがこのアルバムのデビー・フライデーを特別な存在にしているのかもしれない。かつて “BITCHPUNK” を標榜し牙を剥いていた彼女の違う側面、彼女の内に潜んでいたものが少しずつ溶け出して、それがより一層硬質なビートを輝かせている(それは漆黒の闇の中で輝く光がそれぞれをより引き立たせているようなこのアルバムのアートワークにも現れているようにも思える)。
デビー・フライデーはそんな風にしていくつものジャンルを並列に並べ、異質を本質に変えていく。邪悪なポストパンクのような “WHAT A MAN” で電子音の世界からギター・ロックにアプローチするスケールの大きいロック・スター然とした雰囲気を見せかと思えば、“SAFE” では再び狭くて暗い地下室に潜り硬く小さいビートの中で自問自答を繰り返すといった具合に。
このデビュー・アルバムにはデビー・フライデーが影響されてきた音楽の影がそこらかしこに潜んでいるのだ。そこにマッシヴ・アタックを感じデス・グリップスの影を見て、違う世界のイヴ・トゥモアの形を思い浮かべる。自分のようなインディ・ロック・リスナーの耳にも馴染みやすいのはこの音楽の中に様々な影を見ているからなのかもしれない。このハイブリッドな音楽はどの方向からも接続可能なアクセス・ポイントを持っていて、ジャンルの境界を意識させることなく越えていくのだ。ジャンルとは受け手が感じ取るもので、そこに隔たりなどなく、ただフックがその音楽の中に存在するだけなのかもしれない。デビー・フライデーのこのアルバムはそんなゆるやかに変わる世界の流れを感じさせる。そのうちにもっと感覚が変わって、ジャンルの枠を越えたなんて誰も言わなくなるかもしれない。
Casanova S.