Home > Reviews > Album Reviews > Diskjokke- En Fid Tid
ディスク・ヨッケは、近年熱い盛り上がりを見せている北欧コズミック・ディスコ・シーンにおいて期待の新星として注目を集めているアーティストだ。2008年のデビュー・アルバム『ステイング・イン』はインディ・ミュージック批評サイト『ピッチフォーク』のレヴューでも「明るく、遊び心に溢れ、宇宙的で、カラフルな音楽」と高い評価を得ている。彼の持ち味であるその煌びやかなシンセ・サウンドは、プリンス・トーマスと並んでこのムーヴメントの火付け役のひとりでもあり、野田努言うところの"ノルウェー・コズミック・ディスコの王様"リンドストロームとも重ねられ「ポスト・リンドストローム」とか「ノルウェー・コズミック・ディスコの次なるスター」との呼び声も高い。ここ数年はリミキサーとしても名を馳せているが、そのモテっぷりはブロック・パーティやThe XXからも抜擢されるほどだ。
そんな風に目覚しい活躍を見せているディスク・ヨッケが今回リリースするアルバム『En fin tid』、訳せば"素晴らしい時間"という意味のこのアルバムで彼が差し出すのは、全編を通じてどこか牧歌的なイメージがあった前作とは打って変わって、より深度を増したサイケデリック体験である。1960年代に巻き起こったサイケデリック・ムーヴメントにおいて"セットとセッティング"が重要視されたように、今作も1曲目は来るべき"素晴らしい時間"のための"リセット・アンド・ビギン"という曲でスタートする。なにかを予感させるようにゆったりと脈打つようなシンセ・ベースに伸びやかなシンセリードとエレクトリック・ギターのフレーズが添えられるこの曲、なにかに似ているなぁと思ったら、これまた60年代サイケデリック・カルチャーを語るうえで避けては通れないクラウトロックの雄、ハルモニアのサウンドそのものだ。続く表題曲"エン・フィン・ティド"は、音楽の書法としてはジョルジオ・モロダーのミュンヘン・サウンドに近いといえるのかもしれないが、シンセサイザーのテクスチャーの質感などはむしろタンジェリン・ドリームやクラスターのそれに近い。
先日リリースされたプリンス・トーマスのデビューアルバムにも、その名も"サワー・クラウト"という曲が収録されている。今作におけるディスク・ヨッケのクラウトロックへの接近は同じシーンで活躍するプリンス・トーマスに同調した部分も多分にあったかとは思うが、そこから各人の音楽的嗜好の違いが透けて見えてくるのが面白い。マニュエル・ゲッチングへのトリビュート作品を制作したことからもうかがい知れるが、おそらくプリンス・トーマスはクラウトロックの一連の作品を鑑賞するとき、ギターを中心に聴きこんでいるのではないかと思う。そのいっぽうでディスク・ヨッケがクラウトロックから受けた影響は電子音の質感と空間処理、そしてバッド・トリップ感覚じゃないだろうか?
アルバムが中盤に向かうにつれて、ビートはファンキーさを増し、内省的だった前半からいっきに開放に向かっていくかのようにアッパーになる。そういえば60年代に経験したサイケデリック体験をDJの方法論に落とし込み、ニューヨークの伝説的パーティ〈ザ・ロフト〉を主催しているDJ、ディビッド・マンキューソはティム・ローレンスの著作『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ』のなかで、こう語っていた。
「リアリーはひとつの旅には3つの段階もしくはバルドがあると言っているけど、自分でもこの構造を使っていたことに気づいたんだ。最初のバルドはとてもスムースで完璧で穏やか。2番目のバルドはサーカスみたいな感じ。そして3番目のバルドは再入場のためのもので、このおかげでみんな外の世界に比較的スムースに戻っていけるんだ」
3番目の段階を無事に通過することで、サイケデリック・ツアーは無事完了。ナイス・トリップお疲れ様! となる。しかし、このアルバムは、2番目の段階まではまさしくこの通り進んでいくのだが、最後に待っているのは"ナッテスティド(Nattestid)"という、いかにもバッドトリップを誘発しそうな不穏なフレーズが次から次へと現れる曲だ。こ、こ、これを解除するためにはぁ......おそらく1曲目の"リセット・アンド・ビギン"に戻るのである。まさに再入場。そしてまた"素晴らしい時間"に戻っていく......。うーん、やっぱり確信犯なのだろうか......?
アボ・カズヒロ