Home > Reviews > Album Reviews > Pantha Du Prince- Garden Gaia
憂鬱だ。個人的に最近大きく動揺したニュースは、宮台真司襲撃事件とイランでの蜂起の弾圧だった。前者については犯人の動機が不明な以上、それが言論にたいする攻撃なのかどうかはまだわからないわけだけれど、暗い気持ちになるのは避けられない。ただただ宮台さんの恢復を祈るばかりの毎日……。後者については、当局を非難しているのが(民衆だけでなく)世界最大の軍事力を保有する合衆国でもあるという(ロシアとおなじ)図式を思い浮かべてしまって、頭がくらくらしてくる。下からも上からも横からも暴力の嵐が吹き荒れる2022年、ぼくらはいったいどうしたらいいのでしょう。
音楽の長所のひとつは、一時的にその世界へと逃げこめるところだ。ドイツのパンサ・デュ・プリンスことヘンドリック・ヴェーバーは、大変な時代を生きるぼくたちを、さまざまな苦悩から解放してくれる。世界じゅうがイラクに釘づけになっていた2000年代前半は、他方でフォー・テットのようなフォークトロニカだったり、アクフェンやヴィラロボスのようなミニマル勢がトレンドを形成した時期でもあった。あれもある種の逃避だったのだろう。2004年にファースト・アルバム『Diamond Daze』を送り出したパンサ・デュ・プリンスは、いまでも当時の時代精神を継承しようとしているのかもしれない。
ミニマル・ハウスを基調とする彼の音楽が大きな注目を集めたのは、〈Rough Trade〉からリリースされた3枚目『Black Noise』(2010)だった。パンダ・ベア(アニマル・コレクティヴ)やタイラー・ポープ(LCDサウンドシステム/チック・チック・チック)の参加が象徴しているように、ダンスとインディ・ロック双方のシーンへの訴求に成功した同作──リミックス盤にはモーリッツ・フォン・オズワルドやフォー・テットをフィーチャー──をもって、パンサ・デュ・プリンスの音楽はひとまずの完成を見たと言っていい。やさしい4つ打ち、ベルや木琴の乱反射、鳥の鳴き声や流水のフィールド・レコーディング、透明感に安心感……清らかな音響に磨きをかけるのと並行して彼は、以降、次第に「自然」のテーマを追求していくことになる。
たとえばハウス・ビートを脇に追いやり、一気に瞑想性を高めた前作『木々の会談(Conference Of Trees)』(2016)は、植物や菌類からインスパイアされたアルバムだった。そこで描かれる自然は人間に乱暴をはたらく脅威ではなく、人間がそうであってほしいと期待する自然、われわれに落ち着きや安らぎ、癒しを与える存在だった。
ふたたび4つ打ちが多く導入された新作『ガイア(地球)の庭』も、この星が持つ「自己制御システム」から触発されているという。プレス・リリースでは「マインドフルネス、そして自分の周りで起こっていること、自分の中で起こっていることに対して高い意識を持つこと」の重要性が説かれていて、なにやらニューエイジ臭が漂っているけれども、サウンド自体はそこまで極端にスピっているわけではないので、たんに「(気候変動に)気づきましょう」くらいのニュアンスかもしれない。
川のせせらぎや鳥の声をふんだんに散りばめた冒頭 “Open Day” を経たのち、2曲目 “Crystal Volcano” でアルバムは早くもひとつの頂点に到達する。ダニエル・ラノワ風のシンセの波、さえずる鳥にマリンバ──あるいは終盤の “Liquid Lights” できらきらと舞い転がる高音パートを聴いてみてほしい。安楽の極みである。ジャンベなどのパーカッションに光を当てた “Mother Drum” も、アフリカンな気配はそぎ落とし、メディテイティヴな音世界を構築している。どの曲も仕事や家事、受験勉強などですさんだ生活を送っている者たちを、美しき桃源郷へと導いてくれること間違いなしだ。
本作を聴いていると、いっさいの悩みから解放されたような気分を味わうことができる。12月11日、目前に迫った来日公演でもきっと、パンサ・デュ・プリンスはぼくたちを大いに逃避させてくれるにちがいない。
小林拓音