Home > Reviews > Album Reviews > Xander Duell- Experimental Tape No 2, Vol. 1
アリエル・ピンクがカヴァーしたルー・リードの『ベルリン』を想像してみよう。エレガントだがどっぷりと疲れていて、薄氷を歩くように危なっかしいが美しく、恍惚としている。そしてそのすべては低俗さという包装紙に包まれている。
ベッドルームで生まれた数多くのポップの叙情詩を出し続けている〈メキシカン・サマー〉からの新しい作品は、70年代のソウル・ロックの......つまりグラム・ロック的な歌メロをローファイ・フィルターに流し込んで、実にモダンなポップスを13曲収録している。それがブルックリン在住のエクサンダー・デュエルのデビュー作だ。
グラム・ロック的と書いたが、この音楽のスキゾフレニックな度合いは一時期のアリエル・ピンクのように高く、たとえば歌メロが70年代ソウルでもトラックは壊れたミニマル・テクノだったり、レジデンツ的な変調した声の鼻歌がソフトロック調に展開されたり、スコット・ウォーカーがディスコをバックに歌っているようだったり......曲というよりもすべては断片的で、そしてやはりアリエル・ピンクのように低俗さ(ローファイ)への偏愛を何気に見せている。参照とするアーカイヴに違いこそあれど、こうした節操欠いた、混沌としたコラージュを聴いていると、思い出すのは90年代の暴力温泉芸者で、そのドライな方向性とウェットなその対岸とのすばしっこい往復(スウィング)も似ている。深刻に思い詰めることを忌避するように、その分裂は曲の細部にわたって展開されている。
手法的には近いとはいえ、トロ・イ・モアやウォッシュト・アウトのようなチルウェイヴと、ゼロ年代なかばのアリエル・ピンクやエクサンダー・デュエルのようなレフトフィールド・ローファイがいま同じ世代のリスナーに受け入れられているのは、デジタル時代における渋谷系現象のようなもので、要するにアメリカのサブカルチャーはインターネットの普及によって六本木WAVEをようやく手にしたとも言える。もっとも時代はより悪く、失業率の高さは彼らの音楽にメランコリーを与えているだろうし、ローファイであることの意義付けをしているに違いない。そしてアメリカの行き詰まりも多少なりとも音楽に錯乱をうながしているように思える。それはザ・ドラムスやザ・モーニング・ベンダースに代表されるようなノスタルジー(いまは亡きモノ)への執着が物語っているが、他方では、過去にしか夢を見れないという思いを捨てきれないまま、しかしそれだけでは完結できないという引き裂かれた感情をそのまま音楽にぶつけているのがアリエル・ピンクやエクサンダー・デュエルではないだろうか。
野田 努