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フェリシア・アトキンソンの新作『Space As an Instrument』は、ピアノを中心に据えた美しいアンビエント作品でありながら、アトキンソンの音楽に秘められた「音の本質」を深く掘り下げる試みでもあった。
本作は、アトキンソンがこれまで築いてきた音楽的世界をさらに進化させ、聴く者を新たな感動と音そのものへの洞察へと誘うアルバムである。アトキンソンは聴き手に対して「聴くこと」とは何かと問いかける。ちなみにリリースは、アトキンソン自身が主宰するレーベル〈Shelter Press〉である。
フェリシア・アトキンソンの特徴的な「語り」は、この『Space As an Instrument』でも重要な役割を果たしている。アトキンソンの「声」はたんに言葉を伝える手段ではなく、音楽そのものの一部として機能している。囁くような抑えた表現は、ピアノや電子音、環境音と調和し、すべてが平等な素材として扱われる。彼女が生み出す音楽のなかでは、「声」は特権的な存在ではなく、あくまで音響のなかの一要素である。このアプローチには、音と音、要素と要素のあいだにある関係性を問い直すアトキンソンの哲学が色濃く反映されている。
アルバム全体に散りばめられた環境音もまた、重要な役割を果たしている。雨音、風のざわめき、足音といった音が、楽曲に深い奥行きと現実感を与える。これらの音は背景として存在するのではなく、楽曲そのものの一部として聴き手に作用する。そして、その上に重なる電子音が、楽曲に抽象的な要素をもたらし、現代的な響きを付加しているのだ。こうした複雑な要素が絡み合うなかでも、最も心に残るのはやはりピアノの音色である。
アトキンソンのピアノ演奏は、派手な技巧を見せつけるものではない。しかし、その音色には濁りがなく、一音一音が丁寧に紡ぎ出される。即興と作曲のあいだを行き来しながら生まれる旋律には独自の魅力があり、聴き手を引き込む力がある。音と音のあいだに生まれる余白や静寂さえもが、音楽としての存在感を持つ。アトキンソンの演奏は、単純でありながら豊かな深みを持つものであり、それがアトキンソンの音楽を特別なものにしている。1曲目 “The Healing” を聴けばそれは即座に理解できるだろう。
アルバムのタイトル『Space As an Instrument』が示すように、アトキンソンは「音と空間の関係」の重要性を理解している。音。空間。響き。持続。消失。再生。そのすべて。
『Space As an Instrument』を聴くことで、リスナーは自身の内的世界に広がる「音空間」を創り出す感覚を体験できる。それはたんなる反復のリズムではない。身体のなかで崩れ、新たなリズムへと変化していく有機的な流れである。こうした音楽の構造は、聴き手に無理のない自然な感覚をもたらし、結果的に音楽そのものが呼吸しているかのような印象を与えるはず。
アトキンソンの音楽が持つ「自然さ」と「無理のなさ」は、このアルバムの随所に感じられる。それは音楽が技巧や理論の枠組みを超えた有機的な響きとリズムがあるからだ。この作品を通じて感じられるのは、音楽がただの娯楽ではなく、聴く人の身体や心と深く繋がる体験として存在していることだ。この自然な流れが、アトキンソンの音楽をほかのアーティストの作品と一線を画すものにしている。実験のための実験ではないのだ。
アトキンソンの音楽はたんなる音楽にとどまらず、現代アートとしての価値を持っている。それはアトキンソンがエクスペリメンタル・ミュージックの最前線に立つアーティストだからこそ可能な表現といえよう。アトキンソンの音楽には、ジャン=リュック・ゴダールの映画に見られるような断片的な語り口や、坂本龍一の音楽に通じるミニマルな美学が感じられる。しかし同時にこの『Space As an Instrument』のサウンドが極めてパーソナルな音の集積に感じられた。まるで日々の音を記した日記のような音楽なのだ。その意味で坂本龍一『12』に近い音楽性ともいえる。
今回のアルバムは、これまでの作品以上にシンプルなサウンドで構成されている。アルバムには全7曲が収録されており、ピアノとドローンと環境音が交錯する曲が多くを占めている。だがその音のレイヤーはこれまでよりいっそうシンプルになっている。
このシンプルさにより、音楽そのものの素の部分が鮮明に浮かび上がる。余計な装飾を排した結果、リスナーは音楽の本質に直接触れることができる。アルバム全体を通じて生み出される感情と想像力の豊かさは、アトキンソンの音楽が持つ普遍的な魅力を改めて感じさせる。技巧に走るというよりは、その音そのものを響かせていく方法とでもいうべきか。そこには余白があり、その余白が魅惑的な静寂を醸し出す。7曲目にしてアルバム最終曲 “Pensées Magiques” の消え入りそうなフラジャイルなピアノの音と微かな環境音の交錯は、とてつもなく静寂な感覚を聴き手に与えてくれる。真夜中の音のように静けさとでもいうべきか。
この『Space As an Instrument』を聴くという行為は、たんなるリスニングの行為を超えたひとつの音の体験となるだろう。それは、音楽が生み出す空白や余韻を感じ取り、そのなかで自分自身と向き合う時間でもある。アトキンソンの音楽は、音楽の可能性を探る探求の成果であると同時に、聴き手にとっても新たな発見の旅路となるに違いない。
このアルバムが問いかけるのは、「音楽とは何か」「それを聴くとはどういうことか」という根源的なテーマである。彼女の音楽は、音楽とリスナーの関係を問い直し、双方が互いに作用し合う場を創り出しているかのようだ。
『Space As an Instrument』は、これまでのアトキンソンのキャリアの集大成であり、新たなスタートでもある。このアルバムは、聴く者にとって「音楽の可能性と、その力」を再発見させてくれる極めて重要な作品となるだろう。
デンシノオト