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ケンドリック・ラマーの『DAMN.』は、〈ブラック・ライヴズ・マター〉という米国の社会現象ともリンクした『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』(2015年)とはまた異なる色合いのアルバムで、比較的オーソドックスなスタイルのラップ、トラップ以降のヒップホップ・サウンドをベースとしたものだった。プロデューサーにはマイク・ウィル・メイド・イット、ジェイムズ・ブレイク、DJダヒなどを迎え、ジャズやファンクの要素が絡み合った『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』に対し、比較的シンプルなプロダクションでまとめられた印象だ。そして、これらプロデューサー陣の中でも、最多となる8曲を任せられていたのがベーコンことダニエル・タネンバウムである。ベーコンはトラック制作に加えて歌やコーラスなども披露しているが、彼の手掛けたトラックは非常にゆったりとしたビートをバックに、スウィート・ソウルやドゥー・ワップのような古き良き時代の米国黒人音楽のエッセンスと、1960年代のソフト・ロックやアシッド・フォークなどのサイケデリック・サウンドが合体したような不思議なムードを持っていた。ときにニーノ・ロータとかエンニオ・モリコーネのようなイタリアの映画音楽のような印象もあり、ビーチ・ボーイズからフリー・デザイン、ロータリー・コネクションからピンク・フロイドの一部のサウンドにも通じるところもあるなといった感想を抱いた。近年のプロデューサーでは、同じくケンドリックの『アンタイトルド・アンマスタード』(2016年)に起用されたエイドリアン・ヤングに近いタイプだろうか。
ロサンゼルスをベースに活動するベーコンは、少年時代は教会の聖歌隊で歌い、バッハやモーツァルトのようなクラシックから、フィリップ・グラスのような現代音楽も学んだ。こうした経験が後の作曲活動に生かされることになる。2000年代に入ってDJカリルと一緒にヒップホップの制作活動を始め、そのカリル繋がりでエミネムの『リカヴァリー』にも参加している。その頃はダニー・キーズ名義で制作活動をしており、主な仕事ではスヌープ・ドッグの『ドギュメンタリー』、RZAの『ディジ・スナックス』、レクレーの『グラヴィティ』、ドクター・ドレーの『コンプトン』から、近年ではBJ・ザ・シカゴ・キッドの『イン・マイ・マインド』へ参加している。主にソングライターとしての裏方仕事が多かったのだが、『DAMN.』でのメイン・プロデューサーへの抜擢で、一躍アメリカ西海岸の注目のアーティストのひとりとなった。2017年は『DAMN.』のほかにも、同じくアンソニー・ティフィス主宰の〈トップ・ドッグ〉からリリースされたSZAの『Ctrl』にも参加している。そして、『コンプトン』に参加したアンダーソン・パークが、その後ソロ・アルバムをリリースしてプロデューサー/シンガー・ソングライターとしてブレイクしたのを追うかのように、ベーコンも初のソロ・アルバム『ゲット・ウィズ・ザ・タイムズ』をリリースした。
今までの経歴からすると、多くのラッパーやR&Bシンガーが参加しても不思議のないところだが、数名のスタジオ・ミュージシャンやバック・シンガーらが参加するのみで、基本的にベーコンが独力で作り上げたアルバムとなっている。彼は作詞作曲、ヴォーカル、プロダクション、キーボード、ピアノ、ヴァイオリン、ミキシングをこなしており、ヒップホップやR&Bのアルバムというより、シンガー・ソングライター・アルバムというべきだろう。本作を聴いて、近年のモッキー、ディグス・デューク、フランク・オーシャン、初期のメイヤー・ホーソーンなど、いくつか思い起こされるアーティストがあるのだが、一番ピンときたのがニック・ハキムの『グリーン・ツインズ』(2017年)である。「RZAがポーティスヘッドをプロデュースしたら」と形容された『グリーン・ツインズ』だが、『ゲット・ウィズ・ザ・タイムズ』も『DAMN.』の延長線上にあるスウィートなソウル・ミュージック、ロー・ファイなダウン・ビート、サイケデリックな音響が有機的にブレンドされたものとなっている。シングル曲の“コールド・アズ・アイス”にそうした彼のサウンドの特徴が表われており、トラップを基調としたプロダクションだが、メイヤー・ホーソーンのようにノスタルジックなヴィンテージ・ソウルのエッセンスに溢れ、優美なストリングスやドリーミーな音響で包み込んでいる。コーラスも含めたヴォーカル・アレンジには、聖歌隊で歌っていたという彼の教会音楽やゴスペルからの影響も見つけられるだろう。『DAMN.』収録曲“XXX.”のイントロのコーラス部分をそのまま使った“アメリカ”も、賛美歌を思わせる重層的なヴォーカル&コーラス・アレンジが印象的。モリコーネからビーチ・ボーイズなどの影響も顕著で、ベーコンの幅広い音楽性が露わになっている。アルバム中で唯一のラッパーをフィーチャーした“ゲット・ウィズ・ザ・タイムズ”も、バック・コーラスは聖歌隊による賛美歌をイメージしたものだ。“マダム・バタフライ”もまるでモリコーネのサントラ風だが、プッチーニの“蝶々夫人”のようにクラシックやオペラからの影響がベーコンの作品にあることを示す好例だろう。“30”はオペラなどの素養がないと生まれてこない作曲技法だろう。
“オクシゲン”や“キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン”あたりに見られるように、ヴォーカル・アレンジと共にオーケストレーションやギター、ヴァイオリンなどのストリングス・アレンジも非常に効果的なアルバムだ。“ママ・オリヴィア”でのムーディーなサックスの音色もそうだが、こうしたレトロさやノスタルジックなムードと、現代的なビート・メイキングのセンスをうまく融合しているのが『ゲット・ウィズ・ザ・タイムズ』である。ピッチシフト・ヴォーカルを駆使した“イン・ユア・オーナー”は、ベーコンがプロデューサーとして多くのアーティストからオファーを受けるのがわかるプロダクションである。そして、ピンク・フロイドとかキング・クリムゾンのようなプログレと同列に聴いてもおかしくないような“7 pm”から、ボサノヴァ調の“キャンディ・アンド・プロミス”まで、幅広く豊かな音楽性に溢れたアルバムである。
小川充