「LV」と一致するもの

interview with galcid - ele-king

 金魚は目をぱちくりさせていた。
 初めてgalcidのライヴを観に行ったときのことだ。9月21日に日本橋・アートアクアリウムでおこなわれたgalcid + Hisashi Saitoの公演は、想像していた以上にダンサブルで、ハードで、でもふと虚をつくような意外性があって、不思議な体験だった。フロアは大量の金魚鉢に包囲されていた。金魚にはまぶたがないから、まばたきなんてできるはずがないんだけど、これがgalcidの力なのだとしたら、おそろしい。


galcid - hertz
Coaxial Records/Underground Gallery

Techno

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 文字通りインダストリアルな環境に生をうけ、10代でニューヨークに渡り、クラフトワークやYMOなどの過去の偉大な遺産と90年代の豊饒なエレクトロニック・ミュージックを同時に大量に浴びて育ったgalcidは、ある意味では正統派であり、またある意味では異端派でもある。「ノー・プリセット、ノー・PC、ノー・プリプレーション」を掲げ、モジュラー・シンセを操り、インプロヴィゼイションにこそテクノの本懐を見出す彼女は、ソフトウェア・シンセが猛威をふるう昨今のエレクトロニック・ミュージック・シーンのなかで間違いなく浮いた存在だろう。もしかしたらそういった表面的な要素は、「あの頃」のテクノを知るオトナたちに哀愁の念を抱かせるかもしれない。だがgalcidの音楽が魅力的なのは、単にオールド・スクールなマナーをわきまえているからだけではないのである。
 以下のインタヴューをお読みいただければわかるように、galcidの音に対するフェティシズムは相当なものである。「音色マニア」あるいは「音色オタク」と呼んでも差し支えないと思うのだけれど、そのような彼女の音に対する執念が、予測不能のインプロヴィゼイションというスタイルの土台を形作ることで、ありそうでなかった独特のテクノ・サウンドが生み出されているのである。〈デトロイト・アンダーグラウンド〉が反応したり、ダニエル・ミラーやカール・ハイド、クリス・カーターといったビッグ・ネームが惜しみなく賛辞を送ったりするのも、きっとそんな彼女の職人的な細部への配慮に尊敬の念を抱いているからだろう。
 galcidの音楽には、これまでのテクノとこれからのテクノの両方が詰まっている。その不思議なサウンドが生み出されることになった秘密を、あなた自身の目で確認してみてほしい。きっと目をぱちくりさせることになるよ。

2回目に見たgalcid(ギャルシッド)はより進化していて、さらにインプロヴァイズでの自由度が増した素晴らしいパフォーマンスだった。
──ダニエル・ミラー(2016年9月21日@日本橋・アートアクアリウム)

小林(●)、野田(■))

前に『ele-king』でダニエル・ミラーのインタヴューをしたとき、彼がギャルシッドの名前を出しているのですよ。

レナ:そうなんですか!

「日本人アーティストのリリース予定はありますか?」と訊いたら、ギャルシッドを挙げていましたよ。

一同:へえー。

羽田(マネージャー):DOMMUNEの神田のイベントで1度共演したことがありまして、先日アートアクアリウムで再び共演する機会があり、当日ダニエルと話してみたら、よく覚えていてくれたんですよね。ただ、メディアでコメントをしていた、というのは初耳でしたね……。

レナ:それはすみませんでした(笑)! 実はカール・ハイドがギャルシッドの音源をネットで見つけて会いたいって言ってくれて! この前、東京に来ていたときに会ってきたんです。それをディスク・ユニオンに言ったら、セールスのコピーになっていました(笑)。その前後にダニエルの言葉も入れたかったなぁ……(笑)。

ギャルシッドの音楽は、アンダーワールドよりはダニエル・ミラーの方が近いかもしれないよね。

プラッドと写真を撮られていたのをツイッターで拝見したのですが、プラッドもギャルシッドの音源を聴いていたのですか?

レナ:あのときはたまたま会場で会っただけなんです。それよりクリス・カーターが話題にしてくれて嬉しかったです。すぐ宇川さんに連絡したら、カール・ハイドよりも燃えていましたね(笑)。

うん、クリス・カーターを好きな人のほうがギャルシッドに入りやすいと思います。

レナ:そうですよね。

それではそろそろインタヴューに入りたいと思います。まず、ユニット名の由来は、「ギャル」+「アシッド」ということなんでしょうか?

レナ:そうですね。これはプロデューサーの齋藤久師がポロッと言って決まりました。私がDOMMUNEに出ることになったときに「名前どうする?」と聞いたら、「女性だし、ギャルシッド(galcid)でいいんじゃない?」というすごく軽いノリで決まりましたね(笑)。こんなに長く使うことになるとは思わなかった。

それは何年だったんですか?

レナ:2013年の末ですね。11月末に1回やって、年末のLIQUIDOMMUNE。そこが本格的なスタートになりましたね。

レナさんが最初に音楽に興味を持ったのはいつ頃だったのですか?

レナ:2歳のときですね。「題名のない音楽会」を見て、自分でやりたいと言ってピアノをはじめたんです。あの番組に中村紘子さんが出演していて、すごくカッコよく見えたので、「(ピアノを)習わしてくれ」と両親にお願いしたのですが、当時2歳からのピアノコースが故郷の高松市(香川県)にはなかったんですよね。そこでエレクトーンをはじめました。エレクトーンのコースは小学校に入る頃に終わってしまうので、そこからはピアノという風に自然に切り替わるんです。で、そこからはピアノをやっていたんですが、だんだん課題曲が難しくなってくると、五線譜がすごい感じになってくるじゃないですか!!
 そこから耳コピの世界に入っていきましたね。先生に弾いてもらって、それを聴いて練習していたんですけど、先生は(私が楽譜を)読めているという錯覚を起こしていました。耳で聴いて何かをやるというのはそのピアノ教育のおかげだと思うんですよね。ピアノは中学生のときまでやっていました。

子供のころにピアノとか鍵盤をやっていて、途中でついていけなくなってテクノに行く人は多いよね。OPNだってそうじゃない?

(OPNは)母親がクラシック音楽の教授と言っていましたよね。そこからどのような経緯でテクノに行ったのですか?

レナ:先ずは実家が鉄工場なんですよ(笑)。もう、家がインダストリアルなんです、朝起きたら、もわーっとシンナーの匂いがしているし(笑)。だから、そこから遠いところに行きたくてクラシックやったり、フルートやったりしていました。高校生のときに坂本龍一さんの音楽をちゃんと聴きだして。当時はまだ地元にも中古のレコード屋さんがいっぱいあったんですね。そこに浅田彰さんとの『TV WAR』とか『Tokyo Melody』とか廃盤になったLDがいっぱいあって、『音楽図鑑』とかYMO直後のソロ作品をすごく面白いなあと思って、買って聴いていたんですよ。そこからテクノとは直接は繋がらなかったんですけど、何かの本に坂本さんのインタヴューが載っていて、「クラフトワーク」という言葉が書いてあったんです。それで「クラフトワークって何?」と思って探って、初めて聴いたのがライヴ盤だったんですよ。“トランス・ヨーロッパ・エクスプレス”の80年代のライヴを聴いて、これは聴かなきゃいけない、と思ってずっと聴いていました。そうしたら、だんだん好きになってきましたね。

80年代のライヴ盤って、海賊盤じゃないですか?

レナ:え! 友だちから借りたんですよね……まずいですね(笑)。

一同:(笑)。

レナ:その後は自分でアルバムを買ったりして、すごくハマっちゃったんですよね。そういうものを抱えたまま渡米をしたんです。『ザ・ミックス』が出た頃だったかな。95、6年にそれを聴いて、「(いま聴くべきものとは)ちょっと違う」と言う人も当時いたんですけど。いろんなアルバムを集めたり、クラフトワークのコンサートもニューヨークで観たりしましたね。そのときもけっこう賛否両論で、「クラフトワークに進化はなかった」と言って帰っていく人、私みたいに「生き神に会えた!」という人の両方いましたね。その会場で、エンジニアみたいな人とかゴスやパンクの人、ヒップホップの人とかオタクっぽい人とかがぐちゃぐちゃに混ざって列に並んでいるのを見たときに、「この振れ幅はハンパない!」と思ってすごく感動した覚えがありますね。

クラフトワークが『ザ・ミックス』を作った理由のひとつは、デトロイト・テクノに勇気づけられたからなんですよ。だから当時のアメリカ・ツアーは、クラフトワークにとってみたらきっとすごく意味があったと思いますよ。

レナ:そうだったんですか!! すごい長蛇の列で、ふたつ先のストリートまで並んでいましたね。最後にロボットが出てきて、もう歌舞伎とかでいう十八番みたいな感じでしたよ(笑)。

羨ましいですね。当時はクラフトワークがあまりライヴをやっていなかった時代ですからね。

レナ:その後はけっこう頻繁にライヴをやっているイメージがありますけどね。96、7年頃はアメリカの中でエイフェックス・ツインも表立って出てきたし、〈Warp〉がすごくアクティヴだったじゃないですか?

アメリカでは〈Warp〉がすごく力があったんですよね。とくに学生たちのあいだでね。あの時代、アメリカという国の文化のなかで、オウテカやエイフェックスを聴くというのはすごいことですよね。

レナ:MTVが彼らをとても推していて、『アンプ』という番組でガンガンに詰め込んで放送していたんですよね。その番組で、私が田舎で買ったLDに入っていたナム・ジュン・パイクと坂本さんの映像がちょろっと使われていて、「ここでこんなものを観るとは思わなかった!」とびっくりした覚えがあります。テクノの番組がすごく盛り上がっていて、録画して観まくっていました。ちょうどクリス・カニンガムやビョークが盛り上がっていた頃ですね。ほかにも〈グランド・ロイヤル〉とか、サブカルチャーがかっこいいという流れがあって、そこに学生としていたので、影響は大きかったですね。

ちなみにおいくつで?

レナ:当時は10代でしたけど。

ませてるナー。

10代(17歳)で、いきなりニューヨークに行くということに、特にとまどいはありませんでしたか?

レナ:あまりなかったですね。それは田舎にいたおかげだと思っていて、東京に出るというのとニューヨークに出るというのは、違うんですけど……

言葉が違うよ(笑)。

レナ:(田舎を)出るということに関して、高校生くらいの頃からみんなが選択をするんですよ。うちの場合は近場だと神戸、大阪とかで、東京組はまた感覚が違うんですよね。私の同級生でも何人か海外に行った子はいましたね。父親も変わっているから、鉄を打ちながら「全然いいんじゃん?」と言ってくれました(笑)。父親はジャズとか集めている音楽マニアで、「語学はその国に行って学ぶのがいちばんいいから、いいんじゃないの、その語学で何か学んで来なさい」とふたつ返事で許してくれましたね。

「決まったことじゃなくて、まったく決まっていないことをやる方がライヴなんじゃないか?」と考えたことは印象として残っています。

父親が聴いていたジャズの影響はあったのでしょうか?

レナ:いや、特に10代の頃はほとんど聴いていないです。でも後から知ったんですけど、父はセロニアス・モンクとかバップ系のジャズが好きで、私も速いテンポのが好きなので、もしかしたら影響はあるかもしれないですね(笑)。

小林君はその話をインプロヴィゼーションに結びつけたかったでしょう(笑)。

レナ:そうなると綺麗ですね〜(笑)。すんません(笑)。

ふつう父親が好きな音楽なんて聴かないよ。

レナ:そうですよね(笑)。

周りにレコードが膨大にあって、元々クラシック・ピアノをやっていたということで、環境は整っていたという印象を受けました。それと鉄がガンガン鳴っていたということで(笑)。

レナ:鉄は嫌いでしたけどね(笑)。まあ、そういう意味ではそうですね。

当時テクノというとヨーロッパの方が強かったんですが、なんでロンドンではなくニューヨークだったんですか?

レナ:私も行ってから気づいたんですよね。本当にバカだなーと思ったんですけど、アメリカとイギリスの文化の差があまりわかっていなくて。坂本さんはニューヨークに行ったじゃないですか。「なるほど、ニューヨークはクールなんだな」と思って、行っちゃうんですよね。でも、聴いている音楽はすべてイギリスの音楽だったんですけど(笑)。

90年代のニューヨークはハウスですよね。

レナ:そうですよね。私の場合は90年代と言っても後半ですが、当時ハウスはあまり聴いていなかったので、そういう意味ではニューヨークのものからは影響を受けていないかもしれないです……。後にドラムンベースとかのムーヴメントになってきて、その頃からいろいろなところに顔を出しはじめました。それから、エレクトロニカがいっぱい入ってきたので、オヴァルや〈メゴ〉系のものを聴いたり、結局ヨーロッパ系ばっかり聴いていましたね。ニューヨークにいなくても全然良かったという(笑)。あ、でもノイズ系、アヴァンギャルド系のものに出会えたのは大きかったです!

ハハハハ。

何年くらいまでニューヨークに住んでいらっしゃったのですか?

レナ:2003、4年くらいまでいました。テロの前後くらいにD.U.M.B.Oというブルックリンにアート地帯を作るというプロジェクトがあって、元々アップル・シナモンの工場だったところを占拠してパーティをしたりしていたんです。そこに出させてもらったりもしていて面白かったんですけど、企業が入ってきて、表参道みたいな感じで整備されはじめて。そのときにテロが重なって、アーティストたちがニューヨークを去ってしまったんですよね。私はそれが理由で帰ったわけではないんですけどね(笑)。レーベルはデトロイトにあって、どうしようかなと思っていたんですけど、東京に住んだ経験がなかったので住んでみたいと思ってたんです。住んだことがないところへの憧れってあるじゃないですか。とくにその頃、私は小津安二郎・塚本晋也・ビートたけしの映画を観たり、アラーキーさんの写真集を見ながら、『ガロ』を購読していたりしたので(笑)。

あなた何年生まれですか(笑)?

レナ:ハハハハ、ニューヨークに(書店の)紀伊國屋があって、そこで『ムー』と『ガロ』を定期購読していたんです。

だから宇川君と気が合うんだ(笑)。

レナ:『ユリイカ』の錬金術特集とか本気で見ていましたからね(笑)。それで「日本すごいな」と思って、憧れの東京に行きたかったというのが帰国の理由ですね。

先ほど、ニューヨークにいる時点で所属レーベルがデトロイトにあったとおっしゃっていましたが、その頃からレーベルとの契約があったのでしょうか?

レナ:そうですね。インディーズのレーベルなんですけど、〈Low Res Records〉というレーベルがあって、いま出している〈デトロイト・アンダーグラウンド〉も含めてみんな仲間なんです。あとは〈ゴーストリィ・インターナショナル〉とか、みんな近所なんですよね。

アーティストもダブっていますよね。

レナ:そうなんですよね。ヴェネチアン・スネアズとかが出してました。うちはたまたま白人のコミュニティだったんですよ。デトロイトって、一部の黒人になりたい白人がいたりして、私もそのなかにピョンといたんです。GMキッズと言って、お父さんがみんな車のデザイナーをやっているような人たちが、金持ちなのに一生懸命チープなやつで作っていて(笑)。ちょっと根本のスピリットが違うんじゃないか? とか思ったり(笑)。〈ゴーストリィ・インターナショナル〉はまさにそうですね。

〈ゴーストリィ〉の社長は、フェデックスの社長の息子なんですよね。

レナ:そう、そのサムはすごくいい人ですよ。ただ乗っている車がハマーとか、NYに居る妹の住んでる場所がトランプ・タワーだというだけで(笑)。
 デトロイト辺りで活動してる人ってけっこう保守的なところがあるんですけど、そのなかでも〈ゴーストリィ〉周辺の人たちは実験的なことをやっていましたね。
 昔、シーファックス・アシッド・クルーと一緒にヨーロッパをツアーで回ったんですけど、それも刺激を受けましたね。シーファックスはカセットテープと101と606でプレイしていて、「違う!」と言いながらテープを投げていたのが「かっこよすぎる!」と思ってました。606の裏を見てみたら「TOM」と書いてあったので、「兄貴の借りてるんじゃん(笑)。大丈夫なの?」と訊いたら、「彼はいまお腹を壊してるし、大丈夫!」とか言ってて、すごいなあと(註:シーファックス=アンディ・ジェンキンソンはスクエアプッシャー=トム・ジェンキンソンの弟)。そのときに、「決まったことじゃなくて、まったく決まっていないことをやる方がライヴなんじゃないか?」と考えたことは印象として残っています。

いつから自分で作りはじめたのですか?

レナ:すごく恥ずかしいやつは高校生の頃から作りはじめていますね。

ニューヨークに行ってから意識的に作りはじめたということですか?

レナ:そうですね。機材を買いはじめたのもその頃ですね。ずっと作りたいとは思っていたんですけど、機材というのは敷居が高かったですね。
 オール・イン・ワン・シンセ全盛期だったので、まず階層の深さにやられてしまいました。ステップ・シーケンスは組めるんですけど、音色もすごい量が入っていて、何をやりたかったか忘れてしまうような操作性だったんです。あの当時、ローランドだったらXPシリーズ、コルグだとオービタルが宣伝していたトリニティとかいろいろ出てきたんですよね。とりあえずオール・イン・ワン・シンセを買ったんですけど、シーケンサーに打ち込むということにすごく苦労してしまい、苦戦していたところ、ローランドから8トラックのハード・ディスク・レコーダーが手の届く値段で出たのでそれを買って、そこから幅が広がりましたね。

たしかにあの時代って、作るときのイクイップメントがわりと形式化していたというか、「こうでなきゃいけない」みたいのがいまよりありましたよね。

レナ: 88鍵もなくても別に大丈夫なこととか、少しずつわかってきて、同時に、ニューヨークにあるちょっとマニアックな楽器屋さんに通うようになって、そこで店員をしていたのがダニエル・ワンだったんです。彼はシンセに詳しくて、日本語も上手だったから、行けば教えてくれるんですよ。「オール・イン・ワン・シンセってすごく便利だけど、絶対こっちでしょ!」とミニモーグを勧めてくれて、「なるほど」という感じで、ずっと憧れの機材でした。
 当時、バッファロー・ドーターとかマニー・マークとか、メジャーだとベックとか、モンド・ミュージック要素のある音楽がブームだったんです。同時にムーグ・クックブックが出てきて、音色に感動して、またアナログ・シンセのほうに傾倒していったんです。
 ちなみにニューヨークに行って最初に買ったCDが、YMOの1枚目なんですよ。それまで聴いたことがなくて……。実は、日本にいたときには電子音楽が嫌いだったんです。当時流行っていたのが、全然自分が好きではない音だったんですよ。その当時は聴かず嫌いでYMOも好きではなかったんです。でもクラフトワークはすごいと思っていたので、日本人のシンセの音色がそういう音なのかな、と思っていたんですけど、芸者からコードが出ているジャケのアルバム(註:YMOのファーストは、日本盤とUS盤とでジャケや収録曲が異なっていた)を聴いてみようかなと思って買ったんです。「X/Y」の棚のところでXTCとYMOで迷ったんですけど(笑)。でも自分も日本人だし、「買ってみるか!」と思って、いざ聴いてみたら「すごい! こんな温かい音だったんだ!」とびっくりしてしまって。
 それで「いまさらかよ」という感じでハマっていって、10代の終わりの頃に色んな音を聴きはじめるんですよね。当時の最先端の〈Warp〉系のものと、クラシックなクラフトワークやYMOを同時に聴いていて、「すごいな、いいな」と思って楽器屋さんに通ったんです。ミニモーグは1音しか出ないのに、「こんなにするの?」って心で泣いてました(笑)。

やっぱり最初からアナログ・シンセの音色に興味があったんですね?

レナ:でもなかなか自分で手に入れるまでには至らず、IDMとかが流行って、そういう要素も取り入れながら「頭よさそうにやってみようかな?」とやってました(笑)。もちろんその時期のオヴァルやプラッドは大好きだったんですけど、自分でやるとなると、ああいう頭のいい感じではなかったですね。やっぱり野蛮な方が向いていたみたいで(笑)。ギターも触ってみたし、本当にいろいろやりましたよ。何が一番いいんだろうと思ったんだけど、やっぱりアナログ・シンセへの憧れが捨て切れなかったんですよね。
 その後、NYで出会った保土田剛さん(註:マドンナや宇多田ヒカルのエンジニア)からMK2のターンテーブルとアナログ・シンセを借りたんですよ。それをハード・ディスクで録ったりしていましたね。

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女の子ってお洒落に弱いじゃないですか(笑)。だからそっちに行きそうになったんだけど、「レナちゃんはもっとパンクじゃない?」とか言われて、すごい迷走しながら、インプロの世界に入ったんです。

音色に対するフェティシズムですね。

レナ:そうです。そうして帰国後、仕事で齋藤久師に会うんですね。それで彼のスタジオに行ったら、全部アナログ・シンセだったんですよ。スタジオに行って10時間くらい(アナログ・シンセを)触っていましたね。何も飲まず食わずでずっとやっていて、それくらい没頭しました。
 フルートをやっていた経験がアナログ・シンセの仕組みを覚えることに役立って、フルートって息の量だったり吹き方だったりで音を変えていくんですけど、シンセのモジュールもまさにそういうことで、楽器の吹き方というのをフィルターとかで弄っていく感覚でやっていくと、すぐに覚えられたんです。仕組みがスッと入ってきたので、すごく合うな、と思いました。単音の太さにもやられて、ピアノは和音勝負というかコード勝負というイメージですが、アナログ・シンセの本当に単音で、にじみが出るような音を出せるということにますます魅了されてしまって。
 これをどうやって自分の音楽に取り入れようかと思って、初めはけっこうミニモーグで曲を作っていました。昔のペリキン(註:ペリー&キングスレイ)とかああいうコミカルな感じの曲を作ったり、ディック・ハイマンとかそういう音楽を聴いて作ったりしていましたね。昔のモーグ系の音楽ってカヴァー曲が多いじゃないですか。モーグ・クックブックなんかその最たるバンドなんですけど、カヴァー曲ではなくて自分の音楽を作りたくて。
 だんだん「メロディってなんのためにあるんだろう」と思うようになって、ある意味ジャズ的にマインドが変わっていったんですよね。
 私はそれまで音楽の活動をするときに、すごく時間をかけてやることが美しいと思っていたんですよ。3ヶ月くらい山に籠って歌詞を書いてきましたとか、すんごいカッコいいと思って(笑)。「レコーディングは6ヶ月掛けてやっています」みたいなのがすごいと思っていたんですけど、でも、うちのプロデューサー(齋藤久師)はその真逆だったんですね。何か作ってみようということになったら、「5分くらいで考えて」とか言われて、「え、5分!? いま録音するんですか?」と言ったら、「だってフレッシュなうちがいいでしょ」と。そこで一生懸命絞り出して思考をするということを初めてやって。
 やったことないことにトライするのはすごく好きなので、直感的にすぐにやるということに面白さがあるということに気づいたんです。それで「セッションしてみようよ」と言われて、楽曲制作はしてましたけど、実はセッションなんてしたことがなかったんですよ。「セッションしてみないと楽器がわからない」とか「0から100までのレベルを全部使ってやってみないとわかんないから、全部セッションで試してみればいいんだよ」とか言われたので、「わかりました」と(笑)。やっている最中は「ダメだな」と感じたのに後で聴いてみたらまとまっていたりして、そういういろいろな発見があって、セッションでの制作やライヴの仕方に傾倒していったんですよね。

可能性としてはディック・ハイマンみたいな、モンドというかイージー・リスニングというか、そういうものに行く可能性はあったのですか?

レナ:すごく好きな世界だったので、可能性はありましたね。

でも結果はそれとはある意味で真逆な世界に行きましたね。

レナ:そうですね。その前からエレクトロニック・ボディ・ミュージックとかパンクとかいろんなものを聴いていたんですけど、モンドってお洒落じゃないですか。女の子ってお洒落に弱いじゃないですか(笑)。だからそっちに行きそうになったんだけど、「レナちゃんはもっとパンクじゃない?」とか言われて、すごい迷走しながら、インプロの世界に入ったんです。

なるほど。

レナ:このアルバムを作ったときに、「態度としてすごくパンクだ」と言われたんですよね。(アルバムを)聴くと、これまで聴いてきたものが、どこかしらに滲み出ているということに気づいたんです。私の世代から下の世代のって、ジャンルが細分化されすぎてひとつのジャンルをずっと聴いてるようなイメージがあるんですけど、私は周りに年上の人が多かったというのもあって、たくさんのジャンルの曲を聴きましたね。それでも、電子音楽というのは自分を表現するのにいちばん適しているジャンルだな、というのはなんとなく思っていたんですが。

ギャルシッドのスタイルに一番影響を与えたのは誰だと思いますか?

レナ:うーん、考えてもいなかったですね。

3年くらい前に『ele-king』で「エレクトロニック・レディ・ランド」という特集を組んだんですね。打ち込みをやる女性が00年代に一気に増えてきたので、それをまとめたんです。USが圧倒的に多いんですよね。そのなかでローレル・ヘイローっていう人を僕はいちばん買っているんですが、彼女にインタヴューしたら、「私が女性だからという括りで珍しいとか面白がるというのはない」と言ってきたんですが、考えてみたら当たり前で、それはそうだよなと反省したんですね。女性がテクノやっていて珍しいからすごいのではなく、ローレル・ヘイローがすごいんですね。それと同じように、ギャルシッドは、性別ではなく、やっぱ音が面白いと思うんですけど、でも、女性の感性というものが作品のどこかにはあるんでしょうね?

レナ:女の人はマルチタスクというか、何かをしながらいろいろなことを考えられるから、そういう視点はもしかしたらあるかもしれないですね。何か「この楽器1本で!」みたいな気負いはたしかに感じていないですね。

アルバムを聴いていて思ったのは、単純にずっと反復が続いていくという曲があまりなくて、展開が次々と来る感じじゃないですか。

レナ:それは私のクイーン好きから来てるのかな?(笑)。私、性格がせわしないんですよ(笑)。

一同:(笑)。

クイーンはまったく思い浮かびませんでした(笑)。と言いつつ、踊れないわけではもちろんなくて、僕はボーナス・トラックを抜きにした最後の曲が気になりまして、この曲はキックが入っていないですよね。でもキックを入れたらかなりダンサブルなハウスになると思うんですよ。

レナ:“パイプス・アンド・ダクツ”ですね。純粋にビートを入れるということを抜いて、あの曲には和声も珍しく入れたので、それもあると思います。これは私は言葉と声で参加しただけで、齋藤久師が作曲しました。あの曲を聴いているとある時代に引き込まれていく気分になるんですよね。多分、彼自身がリアルに生きていた時代に、という事だと思うのですが、やっぱり音楽は記憶と結びついていると思うので。まあ私はインダストリアルというだけで懐かしいんですけどね(笑)。

音としては電子音ですし歌詞もないし、冷たい感じに受ける人もいるかもしれないんですけど、私自身はすごくプリミティヴなものを扱っているイメージなんですよね。

テクノをやっているという意識はあるんですか?

レナ:プロデューサーの意図は別として(笑)、本人的にはあまり気にしていないんですけどね。4つ打ちにすればダンサブルになるわけだし、ライヴではいかようにもできるんですよ。でもそれだけだと「ドンチー、ドンチー」となってしまうので、「ドン、ドン、ドン、ドン」ではなくて「ドン、ドン、ドドン、ドン。ドン、ドコ、ドドン、ドン」みたいにトリッキーなリズムにしてみたり、いろいろと試行錯誤してみますね。私はいまTR-09を使っているんですけど、意図するものとは違うという意味で打ち間違いもしてしまうんですよ。そのとき面白いリズムになったりするんですよね。そっちのほうでグルーヴができたら、そのまま修正せずに作っていったりして、そういう意味では軽く縛られているのでそれが面白いですね。

ジュリアナ・バーウィックなんかは、自分の声をサンプリングしてそれを使用するんですけど、ギャルシッドはそれとは真逆で、もっと物質的ですよね。それでいてダンス・ミュージックでもある。いったい、ギャルシッドが表現しようとしているものは何なんでしょうね。それは感情なのか、あるいは音の刺激そのものなのか、あるいはコンセプトなのか……。

レナ:いまは自分でノー・プリセット、ノー・PC、ノー・プリプレーションという縛りを作っているので、まずそこをスタイルとして楽しんでいるというのがあるんですけど、最近ソロでやっているときはマイク・パフォーマンスの比重が多くなってきているんですよ。それに自分でダブをかけながら、エフェクターで低い声を使うときもあるんですけど、最近は素声でもやっていてパンキーに叫ぶときもあったり。それをダブでやっているんです。それを聴いた人が「あまりこういう感じは聴いたことないね」と言ってくれて(笑)。前までは2、3人でやって間を見計らいながらやっていたんですけど、ひとりでドラムやって、シークエンスふたつ持って、ミキサーいじって……となると仕事が多くて、最近は突然全部切って叫んだりして、また全部スタートさせるみたいなことをはじめたんですよ。

ライヴの度合いがどんどん高まっているということですか?

レナ:そうですね。だから2枚目はどうなるんだろうということを話しているんです。性格が変わってきているのかもしれない。言葉にはすごくメッセージがあるのでヘタなことは言えないんですよ。

いまは言葉にも関心があると?

レナ:そうなんです。それは元々あったものなんですが、またここにきて出てきていて、もっとコンセプチュアルになっていくのかなと思っていますね。今回(のアルバム)の最後の曲には声を入れているんですけど、2枚目へのバトンタッチのような気がしていて、あれは声そのものを音として処理しているんですけど、次はもっと声や言葉が意味を持ってくるのかなとも思っています。

クリス・カーターがギャルシッドを気に入ったのは、きっとギャルシッドの音が冷たいからだと思うんですけど、それは意識して出したものなのですか? それとも自然に出ているものなんですか?

レナ:意識はしていないですね。私自身はあまり冷たいとは思っていなくて(笑)。暴れ馬とか、プリミティヴというイメージでやっているので、音としては電子音ですし歌詞もないし、冷たい感じに受ける人もいるかもしれないんですけど、私自身はすごくプリミティヴなものを扱っているイメージなんですよね。
 クリス・カーターがまず言ってきたのは映像だったんです。YouTubeにギャルシッドの紹介ヴィデオを上げていて、それを見て「この音はなんなんだ」と言ってくれたみたいで、「デジタルを使っているのか? 使っていないのか?」とかそんなことを聞いてきたんですよね(笑)。「一応MIDIは使いましたけど……」とか答えたんですけど(笑)。あの人はそこにこだわっているのかな、という感じがしたんですけど、「グッド・ワーク」と言ってくれたので良かったです。昔、DOMMUNEでやったときに、宇川さんが「クリス&コージーだ!」と言っていたんです。そのときのセッションはたしかにノイズではじまっていたんですよ。

ファクトリー・フロアって聴いています?

レナ:聴いていないですね。

UKのバンドなのですが、クリス・カーターがリミックスしているほど好きなバンドなんですよ。最近はミニマルなダンス・ミュージックなんですけど、初期の頃はギャルシッドと似ているんですよね。まさに雑音がプチプチという感じで(笑)。そういうインダストリアルなエレクトロニック・ミュージックはいまいろいろとあるんですけど、もうひとつの潮流としてはPCでやるというのがありますよね。OPNやアルカもそうだろうし、EDMもそうですが、PCが拡大している中で、なぜギャルシッドはモジュラーやアナログにこだわるのでしょうか?

レナ:私の場合は最初にオール・イン・ワン・シンセで体験した階層の深さというのがあって、PCでやるときに操作に慣れればいいんでしょうけど、直感でノブを回すのとマウスでノブを回すというのはちょっと違うんですよね。思ったようにいかなかったりね(笑)。いまこうなんだ!という感覚がマウスやトラックパッドなどのインターフェースだとかなり違いますよね。直感的に動かせないというのが、ひとつのフラストレーションになってしまいますね。
 もうひとつの理由としては、バンドをやって歌を歌っているときにPCを使っていたんですけど、PCがクラッシュしたときほど苦しいものはないということですね(笑)。いまは起動時間がだいぶ速くなったと思うんですけど、でも何かあったときに冷や汗かいちゃう感じとか、どうしようもないときにマイクで「トラブル発生!」とか言いながら繋ぐのも嫌で(笑)。専用機って強いじゃないですか。叩けば治るとかありますし(笑)。

はははは、アナログ・レコードは傷がついても聴けるけど、CDは飛んじゃうと聴けなくなるのと同じですよね。

レナ:そうなんですよ。そこの機能性・操作性は絶対的であって、やっぱり触れば触るほどコンピュータからは遠くなってしまうというか。コントローラーのちょっとのレイテンシーも、音楽のなかではすごく長いんですよね。特にライヴで使っていると、それは私のなかでは大きなデメリットなんですよね。

大きな質問ですが、エレクトロニック・ミュージックに関してどのような可能性を感じていますか?

レナ:私はエレクトロニック・ミュージックにこれ以上技術はいらないと思っていて、楽器メーカーの流れを見てもみんなが原点回帰しているというか、昔あったシンセの6つの階層を2つにして全部いじれる場所をむき出しにするみたいな、より操作をシンプルにしていこうという流れがあって、ライヴ性が高くなるように機能する楽器が出てきているんですね。エレクトロニック・ミュージックの可能性としては縮小していく感じはいまのところまったくないじゃないですか。どこで線引きするのかは別としてですけど。

質問を変えますが、ジャケットをデザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソンが手がけているということで、そこに至った経緯を教えて下さい。

レナ:レーベルがイアンと仲が良くて、レーベルのなかでイアンがジャケを手がけているシリーズがあるんですよ。それは絶対に写真は使わないでグラフィックのみなんですけど、そのラインにギャルシッドを入れるかという話になっていました。夜光という工業地帯で撮った写真をメインに入れたくてお願いしてみたら、とりあえずイアンに見せてみよう、ということになったんです。そうしたら写真をとても気に入ってくれて、おまけに音も気に入ってくれて、即OKが出ました。結構早めにあげてくれたよね。

羽田(マネージャー):そうですね。

レナ: 「ギャルシッド」というロゴを入れているんですけど、あれは手書きでやっているみたいです。

あのカクカクの文字って彼のデザインの特徴のひとつでもあるのですが、たぶんずっと手描きなんじゃないでしょうか。

レナ:それを知らなくて、すごく失礼な質問をしちゃったんですけどね(笑)。

本当はもっと冒頭に聞くべきだったのですが、〈デトロイト・アンダーグラウンド〉からリリースすることになった経緯を教えて下さい。

レナ:オーナーのケロとはデトロイトの別のレーベルと契約していた頃からの知り合いで、私がやっていることには前から注目してくれていて、彼の友達のジェイ・ヘイズが東京に来るときにも連絡をくれたりして、ずっと繋がっていて、同レーベルのアニー・ホールが日本に来たときにうちにずっと泊まっていたんですよ。そんな経緯もあって、私のやっていることもケロはよく知っていて、「アルバムを出すことを考えているんだよね」と言ったら、「うちから出そうよ。とりあえず作ってやってよ」と手放しに喜んでくれて、その後に音源を聴いて、それでそのままリリースしたんですよね。でもあのレーベルの中でも今回のアルバムは異質だと思います。あそこのレーベルはもうちょっとグリッチ系なんですけど、私は全然グリッチしていないので(笑)。

確かに(笑)。ちなみにカール・ハイドとは何かプロジェクトをする話はあるのですか。

レナ:話だけではそうなっています。私で止まっているんです。連絡しなくちゃ(笑)。「俺が歌うよ」と言われたんですけど、「ギャルシッドが歌?」って話しになって、「じゃあギター弾くよ」と言われて、「ギター弾くとうるさくない?」と返したら本人は爆笑していました(笑)。どうやってコラボするんだろうという感じなんですけど、それもまた面白いところかなと思っていますね。でもすごくミュージシャン・シップを大事にしている方だったので、「お蔵入りなんていっぱいあるよ。U2とのやつもお蔵入りだからね。そういうものなんだって」と励ましてくれたんですけど。彼は人とやるということの大切さを語っていて、確かにそれで違う自分を発見できたりもするので、いろいろやってみたいなとは思っています。

最後に、ギャルシッドの今後の予定をお聞かせ下さい。

レナ:12月2日に渋谷ヒカリエでボイラールームに出演しますね。あと、カセットテープで『ヘルツ』のヴァージョン違いをCDと同じ〈アンダーグラウンド・ギャラリー〉から出す予定です。来年にはボイラールームを皮切りに海外でやることが多くなるので、いまはその準備という感じです。

—galcid Live Information—

10/23 (Sun) Shibuya Disk Union 4F (Workshop & Live) with Hisashi Saito
11/11 (Fri) Contact Tokyo
11/26 (Sat) Shinjuku Antiknock
12/02 (Fri) Boiler Room at Shibuya Hikarie

more info:
https://galcid.com/

BADBADNOTGOOD - ele-king

 トボけた顔して、最先端の音楽をやってのける、アノ4人組がまた日本にやってくる。しかも、今回はWWW Xでの単独公演だ。アノ4人組とは、もちろんバッドバッドノットグッドのこと。どこか憎みきれない、不思議なバンドである。
 8月にサマー・ソニック2016の出演のために来日したばかりの彼らであるが、単独来日公演は2014年以来の約2年ぶりだ。最新作『Ⅳ』は今のところ彼らの最高傑作であるし(これが更新される可能性は大いにある)、前回の単独公演ではまだ正式に参加していなかったリーランド・ウッティの存在は、今回の公演においての重要なポイントになるだろう。実際にサマー・ソニックのステージでは、彼のアグレッシヴなプレイが炸裂していたようで、これには期待せざるをえない。
 もっとも、バッドバッドノットグッドのメンバーでアグレッシヴなプレイをするのは、なにも彼だけではない。言ってしまえば、全員アグレッシヴそのものである。音源を聴くだけでも、彼らの勢いのあるプレイを感じることが出来るが、ライヴにおいては繊細さを犠牲にしてまでも、勢いに乗り続けるような演奏を繰り広げる。『Ⅲ』を出した頃には、まだその勢いが空回りしているような印象も否めなかったが、ここ最近のライヴ映像をチェックしてみると、荒々しさはそのままに勢いに乗り続けることを体得したことがよくわかる。おそらく、数多くのライヴをこなしてきたからだとか、リーランドの加入によってバランスが取れたからだとか、諸々の理由があるのだろうけど、そんなことはどうでもいいと思ってしまうほどの、勢いが感じられる。あえて言ってしまうならば、ライヴにおいての彼らはより「ロック」なのである。

バルセロナで開催されたソナー・フェスティバル2016でのBBNG。


 また、今回の来日公演の発表に合わせて、「スピーキング・ジェントリー」のミュージック・ビデオが公開された。この映像は、日本のクリエイティヴ・スタジオ「オッドジョブ」が制作しており、シンセ・サウンドとドラム、ベースのフレーズの絡み方がたまらなく気持ちいい楽曲に、爽やかサイケなアニメーションが手がけられている。

BADBADNOTGOOD - Speaking Gently (OFFICIAL VIDEO)


 今回の公演において気がかりなことは、彼らの演奏を爆音で聴けるのか、ということである。アレックス・ソウィンスキーのドラムと、チェスター・ハンセンのベースが生み出す走り気味のグルーヴを、全身で感じたいのだ。マット・タヴァレスのシンセと、リーランド・ウッティのサックスの音で頭をクラクラさせたいのだ。
 彼らの音を体感出来るのは、11月18日。まだ2ヶ月先ではあるが、爆音を期待しながら、時が来るのを待とう。(菅澤捷太郎)

 6/25に惜しまれながら閉店したアザー・ミュージックは、6/28に最後のインストアライブを行った。バンドは、75ダラービル、リック・オーウェン率いるドローンでジャミングなデュオである。5:30開演だったが、4:30にすでに長い行列が出来ていた。こんな人数が店内に入るのかなとの心配をよそに、時間を少し過ぎて、人はどんどん店の中に誘導されていく。すでにレコード、CDの棚は空っぽ、真ん中に大きな空間が出来ていた。こんながらーんとしたアザー・ミュージックを見るのは初めて。たくさんのテレビカメラやヴィデオが入り、ショーはリック・オーウェンの呼びかけでスタート。デュオではじまり、順々にスー・ガーナーはじめ、たくさんの友だちミュージシャンが参加し、ユニークで心地よいジャムセッションを披露した。たくさんの子供たちも後から後から観客に参加し、前一列は子供たちでいっぱいになった。私は、ジャム・セッションを聴きながら、いろんなアザー・ミュージックでの場面がフラッシュバックし、なきそうになった。インストア・ショーが終わると、彼らはそのままストリートに繰り出し、この後8時から、バワリー・ボールルームで行われる、「アザーミュージック・フォーエヴァー」ショーへ、マタナ・ロバート、75ダラービルなど、この日のショーで演奏するミュージシャンとプラスたくさんのアザー・ミュージックの友だちが、セカンドライン・パレード率い誘導してくれた。アザー・ミュージックの旗を掲げ、サックス、トランペット、ドラム、ギター、ベース、などを演奏しながら、アザー・ミュージックからバワリー・ボールルームまでを練り歩いた。警察の車も、ニコニコしながら見守ってくれていたのが印象的。バワリー・ボールルームの前で、散々演奏したあと、みんなはそのまま会場の中へ。


Geoff & daniel @ other music staff。私個人的にとってもお世話になりました。


Juliana barwick


Frankie cosmos

 バワリー会場内もたくさんの人であふれていた。コメディアンのジャネーン・ガロファロがホストを務め、バンドを紹介する(いつの間にか、アザー・ミュージックの共同経営者ジョシュ・マデルに変わっていたのだが)。ジョン・ゾーン、サイキック・イルズ、マタナ・ロバーツ、ビル・カラハン、ヨラ・テンゴ、ヨーコ・オノ、ジュリアナ・バーウィック、シャロン・ヴァン・エッテン、フランキー・コスモス、ヘラド・ネグロ、メネハン・ストリートバンド、ザ・トーレストマン・オン・アースがこの日の出演陣。ドローン、サイケデリック、ジャズ・インプロ、フォーク・ロック、ポップ、ロック、アヴァンギャルド、エレクトロ、インディ・ロック、ファンク、ラテン、ビッグ・バンド、などそれぞれまったくジャンルの違うアーティストを集め、それがとてもアザー・ミュージックらしく、ヘラド・ネグロのボーカルのロバート・カルロスは、「これだけ、さまざまなミュージシャンを集められるなら、アザー・ミュージックでミュージック・フェスティヴァルをやればいいんじゃない」、というアイディアを出していた。オーナーのジョシュが、バンドひとつひとつを思いをこめて紹介していたことや、お客さんへの尊敬も忘れない姿勢がバンドに伝わったのだろう。


Sharon Van etten

 サプライズ・ゲストのヨーコ・オノが登場したときは、会場がかなり揺れたが、ヨーコさんのアヴァンギャルドで奇妙なパフォーマンスが、妙にはまっていておかしかった。ヨ・ラ・テンゴとの息もばっちり。個人的に一番好きだったのは、トーレスト・マン・オン・アースとシャロン・ヴァン・エッテン、ふたりとも、個性的な特徴を持ち、いい具合に肩の力が抜け、声が良い。最後に、アザー・ミュージックの昔と今の従業員たちが全員ステージに集合し、最後の別れをオーナーのジョシュとクリスとともに惜しんでいた。スタッフを見ると、なんてバラエティに富んだ人材を揃えていたのか、それがアザー・ミュージックの宝だったんだな、と感心する。スタッフに会いにお店に通っていた人も少なくない(私もその中の一人)。バンド間でかかる曲も、さすがレコード屋、アザー・ミュージックでよく売れたアルバム100枚が発表されたが、その中からの曲がキチンとかかっていた。最後のアクトが終わり、みんなで別れを惜しみながら、写真を取ったり挨拶したり。会場で、最後にかかった曲はコーネリアスの“スター・フルーツ・サーフ・ライダー”だった。21年間、ありがとうアザー・ミュージック。

https://www.brooklynvegan.com/yoko-ono-yo-la-tengo-sharon-van-etten-bill-callahan-more-played-other-music-forever-farewell-pics-review-video/

■Other Musicで売れたアルバム100枚

1. Belle and Sebastian – If You’re Feeling Sinister
2. Air – Moon Safari
3. Boards of Canada – Music Has the Right to Children
4. Kruder and Dorfmeister – K&D Sessions
5. Yo La Tengo – And Then Nothing Turned Itself Inside Out
6. Os Mutantes – Os Mutantes
7. Neutral Milk Hotel – In the Aeroplane Over the Sea
8. Sigur Ros – Agaetis Byrjun
9. Arcade Fire – Funeral
10. Magnetic Fields – 69 Love Songs
11. Belle and Sebastian – Boy with the Arab Strap
12. Cat Power – Moon Pix
13. The Strokes – Is This It
14. Yo La Tengo – I Can Hear the Heart Beating As One
15. Talvin Singh Presents Anokha: Sounds of the Asian Underground
16. Joanna Newsom – Milk-Eyed Mender
17. Interpol – Turn on the Bright Lights
18. Cat Power – Covers Record
19. Cornelius – Fantasma
20. Serge Gainsbourg – Comic Strip
21. Belle and Sebastian – Tigermilk
22. Godspeed You Black Emperor – Lift Your Skinny Fists
23. Amon Tobin – Permutation
24. DJ Shadow – Endtroducing
25. Animal Collective – Sung Tongs
26. Dungen – Ta Det Lugnt
27. Beirut – Gulag Orkestar
28. Belle and Sebastian – Fold Your Hands Child, You Walk Like a Peasant
29. Clap Your Hands and Say Yeah – S/T
30. ESG – South Bronx Story
31. Cat Power – You Are Free
32. Broadcast – Noise Made by People
33. The Notwist – Neon Golden
34. Animal Collective – Feels
35. Mum – Finally We Are No One
36. Elliott Smith – Either/Or
37. White Stripes – White Blood Cells
38. Bjorn Olsson – Instrumental Music
39. Boards of Canada – In a Beautiful Place
40. Tortoise – TNT
41. Handsome Boy Modeling School – So How’s Your Girl?
42. Antony and the Johnsons – I Am a Bird Now
43. Zero 7 – Simple Things
44. Broken Social Scene – You Forgot It in People
45. Flaming Lips – Soft Bulletin
46. Devendra Banhart – Rejoicing in the Hands
47. Panda Bear – Person Pitch
48. My Bloody Valentine – Loveless
49. Kiki and Herb – Do You Hear What I Hear?
50. Thievery Corporation – DJ Kicks
51. Boards of Canada – Geogaddi
52. Yeah Yeah Yeahs – S/T EP
53. TV on the Radio – Desperate Youth
54. Yo La Tengo – Sounds of the Sounds of Science
55. Sufjan Stevens – Greetings from Michigan
56. Stereolab – Dots and Loops
57. Tortoise – Millions Now Living Will Never Die
58. Neutral Milk Hotel – On Avery Island
59. Le Tigre – S/T
60. ADULT. – Resuscitation
61. Langley Schools Music Project – Innocence and Despair
62. The Shins – Oh Inverted World
63. Slint – Spiderland
64. Air – Premiers Symptomes
65. Roni Size – New Forms
66. Shuggie Otis – Inspiration Information
67. Nite Jewel – Good Evening
68. Fennesz – Endless Summer
69. Bonnie ‘Prince’ Billy – I See a Darkness
70. Radiohead – Kid A
71. Stereolab – Cobra and Phases Group Play Voltage in the Milky Night
72. Franz Ferdinand – S/T
73. Amon Tobin – Supermodified
74. Fischerspooner – S/T
75. Stereolab – Emperor Tomato Ketchup
76. Cat Power – What Would the Community Think?
77. Elliott Smith – XO
78. TV on the Radio – Young Liars
79. UNKLE – Psyence Fiction
80. The Clientele – Suburban Light
81. Clinic – Walking with Thee
82. The xx – xx
83. Serge Gainsbourg – Histoire de Melody Nelson
84. Vampire Weekend – S/T
85. J Dilla – Donuts
86. Massive Attack – Mezzanine
87. Joanna Newsom – Ys
88. Sufjan Stevens – Illinoise
89. Portishead – S/T
90. Jim O’Rourke – Eureka
91. Pavement – Terror Twilight
92. Modest Mouse – Lonesome Crowded West
93. Sleater-Kinney – Dig Me Out
94. Tortoise – Standards
95. Sam Prekop – S/T
96. Blonde Redhead – Melody of Certain Damaged Lemons
97. Arthur Russell – Calling Out of Context
98. Aphex Twin – Selected Ambient Works Vol. 2
99. Grizzly Bear – Yellow House
100. Avalanches – Since I Left You

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Danny Brown - ele-king

 デトロイトといえば何よりも先ずテクノだが、もちろんそれだけではない。かの地はエミネムやJ・ディラを筆頭に、多くのヒップホップのタレントを送り出してきた土地でもある。ミックステープとして発表された2011年の『XXX』や2013年の『Old』が各方面から高く評価されたダニー・ブラウンもまた、デトロイト出身のMCである。
 風変わりなルックスと個性的なラップが特徴的なこの異端児(何しろデヴィッド・バーンを「レジェンド」と呼ぶ男である)は、これまでエル・Pやバスドライヴァー、バッドバッドノットグッドのアルバムに参加したり、つい最近ではアヴァランチーズの16年ぶりの新曲 "Frankie Sinatra" にMFドゥームとともに客演したりするなど、様々なコラボレーションをおこなってきた。
昨日、そのダニー・ブラウンがUKの名門レーベル〈Warp〉とサインを交わしたことが発表された。同時に、配信でリリースされたニュー・シングルのMVも公開されている。



 2012~13年頃から台頭してきたチャンス・ザ・ラッパーやミッキー・ブランコ、リーフといった新世代MCの存在や、近年勢いを増しているインターネット上のミックステープ文化は、いまのUSインディ・ヒップホップの盛り上がりを象徴しているが、今回の契約はそのようなシーンの充実に対する〈Warp〉なりの目配りと言っていいだろう。いつも少し遅いが、ポイントは外さない。それが〈Warp〉のやり方である。
 因みに、ダニー・ブラウンの2013年作『Old』にはラスティが参加しており、またラスティの2014年作『Green Language』にはダニー・ブラウンが参加していたので、今回の契約はおそらくラスティの仲介によるものなのではないかと思われる。
続報に注目である。

ピーチ岩崎 - ele-king

それでもおとずれる夏のために!ラテン音楽10選!
いろいろあるけど楽しくやろうぜ!

坂本龍一、Alva Noto、Bryce Dessner - ele-king

 なんと厳しくも、美しい音楽だろうか。まさに極寒の音響空間。アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の映画『ザ・レヴェナント 蘇りし者』のサウンド・トラックのことである。

 本作を生み出した音楽家は、坂本龍一、アルヴァ・ノト、ブライト・デスナーの3人。坂本龍一ファンでもある監督から坂本個人にオーダーがあり(『バベル』では“美貌の青空”が使われていた)、坂本がアルヴァ・ノト=カールステン・ニコライに協力を求め、さらに監督がオーケストラ的要素としてブライト・デスナーを起用したという。 ここでは中心人物である坂本龍一に焦点を当てて分析してみたい。

 坂本龍一の音楽には、大きく分けて2つの系譜がある。ひとつはリリカルで叙情的なメロディと浮遊感のある和声で、20世紀フランス印象派、ドビュッシーの系譜に繋がる作曲家の系譜。もうひとつは、未知の音色と音楽を希求して追求する実験的な音楽家としての系譜である。

 このふたつは、坂本龍一という音楽家のなかで分かち難く一体化しており、氏のソロ.・アルバムにおいては、フランス印象派風の響きと電子音楽から無調、未来派によるノイズまで、近代から20世紀以降のあらゆる音楽的な実験のエレメントや、アフリカ音楽から沖縄民謡までの非西欧音楽などが交錯していく。それは初期の『千のナイフ』『B-2ユニット』から近年の『キャズム』『アウト・オブ・ノイズ』まで変わらない。

 いわば巨大な音楽メモリ/装置としての存在、それが坂本龍一なのだ。その意味で、氏は言葉の真の意味でポストモダンな音楽家である。氏は自身に「根拠がない」ことを繰り返し語っていた。ゆえに「外部」が必要になるとも。だからこそ坂本龍一にとって「外部」としてのコンピュータが重要であり、それは「電子音楽」への追求でもあった。自己を相対化すること。じじつ坂本龍一の先鋭的な個性はコラボレーションやサウンド・トラックに表出しやすい。『エスペラント』、『愛の悪魔』などなど。

 だが「外部」はコンピュータに限らない。真の「外部」は「人」ではないか。それゆえ彼は多くのコラボレーションを実践してきた。カールステン・ニコライやクリスチャン・フェネス、テイラー・デュプリーなど電子音響/エレクトロニカのアーティストとのコラボレーションなどは、コンピュータが「外部」というより、自分の拡張デバイスとなった時代において、当然の帰結であったのだろう。そもそも彼らの音楽は、人との聴覚を拡張するアートであったのだから。

 なかでも『Vrioon』以来、10年を超える共闘を続けているカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトとの仕事は重要である。音の建築の中に、微かなポエジーとロマンティシズムを称えるカールステンの作品と、坂本との音楽性との相性は(意外にも)良い。残響の果てに溶けあうノイズへの感性が共通するからだろうか。

 そのふたりの新作が本作だ。真冬の、身を切るような、氷の音響。ここでは弦も、電子音響も、音楽の消失点に鳴るような過酷なノイズを生成している。オーケストラとの共演という意味では、2008年の『utp_』を思わせもするが、それよりも遥かに厳しい音のタペストリーだ。

 1曲め“ザ・レヴェナント・メインテーマ”のギリギリまで和声が削ぎ落とされた響きが、本作のトーンを決定していく。まるで絶望の中の光のような音楽。背後に微かに鳴る電子音も素晴らしい。2曲め“ホーク・パニッシュ”はアルヴァ・ノトとブライト・デスナーの曲だが、メインテーマの変奏であるのは明確だろう。3曲め“キャリング・グラス”は坂本とアルヴァ・ノトの共作で、微かな記憶の片鱗のような電子音に、硬質な弦、砂塵のような電子ノイズが折り重なる。5曲め“キリング・ホーク”は坂本単独曲で、『愛の悪魔』を思わせる低体温の電子音に、鋭くも厳しい弦楽が鳴り響く。また、坂本単独曲の13曲め“ザ・レヴェンタント・テーマ2”、“ザ゙・レヴェナント・メイン・テーマ・アトモスフェリック”で聴かれる香水のような芳香を放つピアノも美しい。19曲め“キャット&マウス”は坂本龍一、アルヴァ・ノト、ブライト・デスナーの共作で、電子音からオーケストレーション、アフリカン・リズムが交錯し、音楽史と音楽地図と越境するような刺激的なトラックに仕上がっている。3人の共作では、電子ノイズと打楽器と弦楽が拮抗しあう“ファイナル・ファイト”も緊張感も印象的だ。

 どの曲もサントラの機能性を保持しながらも、しかし独立した楽曲として素晴らしいものである。オリジナル・アルバムとしてカウントしても良いのではないかと思うほどに(『エスペラント』がそうであるように)。

 とはいえ、このような音楽作品に仕上がったのは、やはり「映画」という「外部」が重要に思えるのだ。映画とは監督のものだ(もしくはプロデューサー?)。そこでは音楽家は否が応でも、映画というプロジェクト=「外部」と接することになる。ことイニャリトゥ監督は音楽に拘りを持っている映画作家であり(氏はメキシコでDJもしていたという)、『バードマン』では、アントニオ・サンチェスのドラム・ソロ・トラックを映画音楽のメインに据えるという革新的なことを成し得たほど。つまり音楽への要求は(異様に)高いはず。

 じっさい、その音楽制作は度重なる修正などが6ヶ月ほどに渡り続くという過酷なものであったようだ。加えて坂本は重病の治療から復帰したばかりでもあった。いわば映画という「外部」、病という自身の身体に起きた「外部」という二つの状況のなかで、本当に大切な響きを吸い上げるように、音を織り上げていったのではないか。そこにおいて「外部」としてのコラボレーターの存在は、暗闇を照らす光のような存在だったのではないかとも。

 じじつ、坂本は素晴らしい共演者と巡り合うことで、自身の音楽の深度をより深めてきた音楽家である。このサウンド・トラックの仕事はたしかに過酷であったのだろうが、しかし、生み出された作品は、氏のディスコグラフィにおいて、ほかにはない「光」を放っている。ギリギリまで和声を削いだ響きに、苦闘の果てのルミナスを聴くような思いがするのだ。それは命への光、のようなものかもしれない。

 急いで付け加えておくが、このアルバムにエゴは希薄だ。外部としての映画。外部としてのコラボレーション。相対化し複数化する個。カールステン・ニコライ、ブライト・デスナーらという共演者と音楽は、それぞれの音の層が重なり合い、電子音響でも、アンビエントでも、クラシカルでもない音響を生み出していく。あえていうならばサウンドスケープだ。個がありながらも、個が消え去り、ただ音響が生成すること。

 日本盤ライナーでカールステン・ニコライがタルコフスキーの名を出していたが、たしかに本作には「ポスト・タルコフスキー的宇宙」とでも称したい、現実の世界との音響の境界が消えゆくような音楽の未来=サウンドスケープが鳴り響いているように聴こえてならないのだ。

David Sylvian - ele-king

 ポップスターを止めてアートの道に入る人は珍しくないけれど、デイヴィッド・シルヴィアンほどその転換をはっきりと、潔く打ち出している人もそうそういない。
 UK音楽業界の伝説的な仕掛け人サイモン・ネピア・ベル(ヤードバーズ〜Tレックス〜ワム)がニューウェイヴ時代に手掛けた美形4人組のバンド、ジャパンの中心人物だったデイヴィッド・シルヴィンは、バンドを解散させると、華やかなポップの世界から身を退いて、さっそうと芸術的冒険に乗り出す。ジャズ、エレクトロニック・ミュージック、アンビエント、フリー・インプロヴィゼーション、エレクトロニカ/IDM……それら音楽シーンの周縁的領域は、ジャパン時代のファンの誰もが望んでいたことではなかったかもしれないが、それでもデイヴィッド・シルヴィアンは、ポップの世界への未練を残さず、ときには思い悩みながら、しかし自らの芸術的な欲望に忠実に突き進んでいる。
 この度ele-king booksから刊行された世界でたった一冊の評伝、本書『デイヴィッド・シルヴィアン』の原題は『周縁にて(On the Periphery)』という。文字通り、シルヴィアンが飛び込んだ〝周縁〟をことこまかに解説するもので、ジャパン解散後のソロになってからのすべての作品、共作、全歌詞、そしておもだった共演者のすべてが丁寧に紹介されている。
 坂本龍一をはじめ、ジョン・ハッセル、デレク・ベイリー、フェネス、ステファン・マシュー、大友良英、サチコM、高木正勝……などなど多くの個性的な共演者たち。シュトックハウゼンやジョン・ケージといった現代音楽の巨匠やAMMを起点とするフリー・インプロヴィゼーション・シーンのソロ活動をやるうえで参照した音楽家たち、そしてタルコフスキーやコクトーなど、インスピレーションの源となった作家たちについても詳細に解説されている。
 本書『デイヴィッド・シルヴィアン』は、もちろん稀代の音楽家たる彼のいまのところ世界でたった1冊の評伝であり、その冒険的な活動の軌跡の詳細を追ったものではあるが、同時にこの30年間におよぶエクスペリメンタルな音楽シーンの変遷をも眺望できる。(伊達トモヨシがデレク・ベイリーが好きでなぜアンビエントへと転じたのか、松村正人が好きなモノとは何か……などなど、その他いろいろな発見もある)
 たいへんな大著であり、とにかく、ものすごい情報量ではある。デイヴィッド・シルヴィアンが発表してきた、ひとつひとつの作品の背後には、これだけの情報が孕んでいるということでもある。それは過去と未来、あらゆるジャンルを横断する。
 ぜひ、デイヴィッド・シルヴィアンという名の大いなる周縁的冒険を知っていただきたい。

デイヴィッド・シルヴィアン
クリストファー・ヤング (著)/沼崎敦子 (翻訳)

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Omar from Berlin - ele-king

2016.3.1

Massive Attack, Young Fathers - Voodoo In My Blood - ele-king

 すでにご存じの方も多いかと思いますが、マッシヴ・アタックの新作PV、格好良すぎです。昨年『ホワイト・メン・アー・ブラック・メン・トゥー』が前作『デッド』に続いて高評価された、エンジンバラの3人組ヤング・ファーザーズをフィーチャーした新曲のPVですが、なんといまもっともエロティックかつデンジャラスな女優、ロザムンド・パイクが出演!!!! 
 これは2016年のベストPVでしょうな。ロザムンド・パイクの演技を見れるだけでも素晴らしい……

interview with agraph - ele-king

 遠くから眺めると光ばかりの美しい夜の都市は、寄ればそれがさまざまな要素の過密な集合であることを露呈する。同じように、大雑把な環境で聴けば抒情的なエレクトロニカだと思われるagraphの音楽は、微視的に検分すれば、音響的な配慮をきわめてコンセプチュアルに凝らされた、細密な情報の塊であることが見えてくる。

 寄っても寄っても細部がある。それは世界の構造を模写するようでもあり、あるいは音のオープンワールドともたとえられるかもしれない。その意味で、agraphは彼自身がそう述べるように「表現者」ではない。つくる人、だ。

E王
agraph
the shader

ビート

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 だから、彼が彼自身を「作曲家」と呼ぶのはとてもしっくりくるように思う。エゴを発信するのではなく、世界の構造をつくることを自らの仕事だとする認識。さらには、これはagraphの憧れと矜持とをともに表す肩書きでもあるだろう。作曲家とは、スティーヴ・ライヒなりリュック・フェラーリなり、彼が思いを寄せる先人たちに付せられた呼び方でもあるから。

 しかし、そうした偉大な名前や以下語られる愛すべき小難しさにもかかわらず、agraphの音楽は本当に開かれていてポピュラリティがある。この『the shader』は、たとえばフィリップ・グラスの『フォトグラファー』が多くのひとに聴かれたというように、ジャンル意識や予備知識にわずらわされない地点で、ミニマル・ミュージックを更新する。

 ポップなものが偉いと言うわけではない。しかし、たとえば“inversion/91”が、そうした彼の中の両極端な嗜好や音楽性をとても高い水準で結びあわせていることに感動せざるをえない。わかりやすいのではなく、普遍性がある。自由でありながら、聴かれるということを考えぬいている。自分の神に正直でありながら、ひとが見えている。「ミュ~コミ+プラス」とインディ・ミュージック誌とにまたがって新譜を語る。そんな若いひと、じっさい他にいるだろうか。

 オーディオセットの前で腕組みをして聴けばそれに応えてくれ、雑踏や車中に聴けば、何気なく置かれたバケツさえ、本作の持つ「構造」の上に配置されたものであるかのように感じられる。これを書き終えたら田舎の母親に商品リンクをメールしてあげようと思っている。彼女はきっと「なんやわからんけど、いいわ~」と言ってくれるにちがいない。「なんやわからんけど」が時代を進め、「いいわ~」が時代をなぐさめるだろう。それはオーヴァーグラウンドでもアンダーグラウンドでも変わらない。筆者にとっても本作は2016年のベストだ。

agraph / アグラフ
牛尾憲輔によるソロ・ユニット。2003年、石野卓球との出会いから、電気グルーヴ、石野卓球、DISCO TWINS(DJ TASAKA+KAGAMI)などの制作、ライブでのサポートでキャリアを積む。ソロアーティストとして、2007年に石野卓球のレーベル〈PLATIK〉よりリリースしたコンビレーション・アルバム『GATHERING TRAXX VOL.1』にkensuke ushio名義で参加。
2008年にソロユニット「agraph」としてデビュー・アルバム『a day, phases』をリリース。WIREのサードエリアステージに07年から10年まで4年連続でライヴ出演を果たした他、2010年10月にはアンダーワールドのフロントアクトを務めた。2010年にはセカンド・アルバム『equal』をリリース。2016年2月、サード・アルバム『the shader』が発表される。

agraphさんのインタヴューってけっこうたくさんネットで読めるんです。なので、基本的なバイオの部分をざっとまとめさせてくださいね。
 まず、石野卓球さんにご自身のデモ──イタロ・ディスコを聴いてもらうところからはじまるんですよね。そこでかなり辛い反応をもらって、もっと自分に素直に音をつくらなければと反省・奮起なさる。そしていまの音楽性というか、agraphの始点ともなる“Colours”(コンピ盤『GATHERING TRAXX VOL.1』にkensuke ushio名義で収録)が生まれる。

agraph:はい。

そして、その「素直」につくった音楽がやがてファースト『a day, phases』(2008年)になり、そこからダンス要素なんかも引いていって、さらに正直に自分の音を追求していく先に、セカンド『equal』(2010年)が形を結んでいく、と。

agraph:はい。

その追求の過程にはレイ・ハラカミさんであったり、カールステン・ニコライだったり、あるいはエイフェックス・ツインであったり、そういったアーティストへの素朴な憧憬も溶け込んでいるでしょうし、ジョン・ケージからスティーヴ・ライヒ、あるいはマルセル・デュシャンといった人たちの思考なり実験なりの跡が、まさに「graph」として示されている……。

agraph:いやあ、「はい」しか言えないですね。

すみません、強引に物語みたいにしちゃって。そこまではいろんな記事に共通する部分なんですよね。なので、「はい」と言っていただければひとまず次に進めます(笑)。

agraph:はい。すべて私がやりました(笑)。

僕がこれまで影響を受けてきた要素を俯瞰的に配置することが、今回の作品をつくっていておもしろかったことです。

ありがとうございます(笑)。では今作はというところですが、すごく部分的な印象かもしれないですけど、冒頭の“reference frame”の声のパートだったり、ラストの“inversion/91”のマレットを使う感じとかライヒっぽいんですけど──

agraph:ああ、マレットを使おうとすると、どうしてもああいうフレーズが出てきてしまうというか。ライヒの印象が骨身に沁みているんですよね。他の曲でも使っている「フェイジング」っていう技法なんかもそうで。

なるほど、でも今回念頭にあったのはリュック・フェラーリなんだそうですね。

agraph:リュック・フェラーリのほうが大きいですね。ケージであったりライヒであったり、僕がこれまで影響を受けてきた要素を俯瞰的に配置することが、今回の作品をつくっていておもしろかったことです。その配置の仕方とか俯瞰的に見るという行為自体がフェラーリの影響ということになるかもしれない。

“プレスク・リヤン”だと。

agraph:そうですね。ひとつひとつのメロディとか、あるいは細かいアレンジを追っていくと、それぞれライヒだったりいろいろな影響があると思うんですけど、それはもう一要素に過ぎないというか。

たしかに、そういう部分もあるというだけですよね。なるほど、ご自身の影響源を意識的に編集してるわけですね。

agraph:そうですね。それからサーストン・ムーアがやった“4分33秒”。あれは音が鳴っている“4分33秒”なんですね。演奏を4分33秒分切り取っているというだけ。つまり、4分33秒っていう枠の中で何かが起きていればいいっていうところまで音楽を俯瞰的に見ているんですよ。そういうことにすごく共感したということもあります。ミュージック・コンクレートみたいなものって、とても現代音楽的なアプローチなんだけど、その構造自体がおもしろいというか。3曲め(“greyscale”)なんて、ラジオ・エディットをつくったりするようなキャッチーなフレーズの出てくる曲ではあるんだけど、それもじつは、そんなフレーズなりメロディがあって、後ろには不穏なテクスチャーが鳴っていて……というパースペクティヴがおもしろいのであって。
 そうやって構造をつくると、世界観が立ち上がると思うんですね。……世界観というか、雰囲気というくらいの曖昧なものですけれども、そのかたちをつくりたかったんです。

なんというか、前作の『equal』について、「イコール」っていうのはバランスなんだというようなことをおっしゃっていましたよね。世界を構成している情報量はものすごいわけだから、人間にはその全部は処理しきれないと。全部受け取ったらパンクしちゃう。でも、どうやったらパンクしないで適度に世界を感知できるのかっていう、その適度さを探るための調節弁がイコールなんだ──強引にまとめると、そういうようなことを説明されていたと思います。

agraph:そうですね。

で、そうやって世界の情報量を適度に調節することが『equal』の取り組みだったとすれば、いまのお話をうかがう限り、今作はその構造自体を……

agraph:うん、構造自体を把握すること。『equal』について思っていたことはその通りなんだけど、いま言われたような言葉で考えたことがなかったので、なるほどなあって感じですね。今回のアルバムはすごく長い時間をかけた結果、ものすごく細かいことをやれていて、『equal』に比べてずっと情報量も多いと思うんです。メロディを追いきれないし、リズムのパターンに乗りきれないし、コードのプログレッションを把握しきれないと思う。で、そこまで突き放すと、音楽を俯瞰的に見れるんですよね。主観的に歌おうとか踊ろうとか思わないから。そして、そんなふうに前のめりに聴けなくなったときに、構造が見えてくる。そこに世界観が立ち昇る。……と、思うんですよね。今回の制作にあたっては、本当によくリュック・フェラーリを聴いていた時期があったんです。そのときは、意識があるんだかないんだか、寝てるんだか起きてるんだかが曖昧で、ぼやっと視界を把握していたような、すごく説明しづらいリリカルな状況が生まれてきたりしましたね。

inversion/91”……あの曲ができたときに、このアルバムのことがわかった。

agraph:それからもう一点。“inversion/91”っていう曲は、アントニー・ゴームリーっていう彫刻家のつくった「インマーション(IMMERSION)」っていう作品をオマージュしてるんです。日本語では「浸礼」ってタイトルで呼ばれてたりします。コンクリートの塊なんですけど、中に人型の空洞があるんですよ。それで、「浸礼」っていうのはキリスト教の儀式のひとつなので宗教的な意味がある作品なんだとは思うんですが、僕がその作品を見たときに感じたのはもっとちがうことなんですね。その……彫刻って、彫り上げたり作り上げたりするものじゃないですか。たとえば人型であるならば木から削り出したり粘土で練り上げたりする。でもこの作品は、空間をコンクリートで埋めることで空間を削りとる作品なんだなと思ったんですよ。ということは、これは彫り上げ作り上げるという意味での彫刻の概念に、マイナス1を掛けたものだなって。反転してるんですよね。

あ、「反転(inversion)」ってそういうことですか! うまい。

agraph:そうです。でも同時に、これは彫刻の概念そのものだとも思った。彫刻って何? と問われたときの答え。辞書にこのまま載っていいものだって感じたんです。背理法で考えると、これの反対が彫刻になるっていうことだから。

なるほど、それで「マイナス1を掛ける」っておっしゃったわけですか。

agarph:そう、絶対値は一緒なんだけど反対側に行っている。だから、逆に、向こうに彫り上げているものが鮮明に見える──というのはただの僕の解釈なので、そんなこと作者はもとより、誰も思ってはいないかもしれないですけども。
 で、今回は、音楽に含まれる構造を意識させるっていうことに、最後の曲で行きつけたので、そういうアルバムなのかなと思いました。

おお、ラストの曲で「反転」ってタイトルを見ちゃうと、つい短絡的に「これまでやってきたことをひっくり返す」みたいな意味かなって想像するんですけど、ひっくり返すんじゃなくて反対側に出っ張るみたいなニュアンスなんですね。

agraph:そう、反対側に出ることで、いままでやってきたことがよく見えるってことです。なんか、狙ったというよりは行きついたという感じで。アルバムのタイトル『the shader』のベースには文学的なコンセプトがあるんですけど、それは同心円状に影響が広がっていくというようなものなんですね。で、その円のエッジの部分に“inversion/91”があったんです。そこまで行きついた……だからあの曲ができたときに、このアルバムのことがわかった。

僕は「表現する」っていう言葉がすごく嫌いで。インタヴューとかで思わず「表現する」って言っちゃって、「つくる」って言い直すんですけど(笑)。

「同心円状に広がる」というのは、さっきおっしゃっていた、(世界の)構造部分を築くことによって上に表れてくる影響、みたいなことですか。

agraph:そうです。構造っていうのは、いちばんマスな話なのでもちろん大事なんですが、『the shader』っていうタイトルについて、いちばん最初にその言葉の器に入れる水としてあったものは、もうちょっと感覚的なんです。散歩しているときのことだったんですが、ちょうど陽が昇ってきて、そのとき、木についてる葉っぱの、葉脈が透けて見えたんですよ。で、葉が光を隠すことによって、光がそこにあることを理解できるなって思った。「影なすもの」によって光は感知される。それで「影なすもの=the shader」というタイトルにしたんです。同心円状に広がっていく上に、影を成すなにかがあって、それによって構造がわかるという、そういうコンセプトで。まあ、それは文学的な意味においてのことなので、わざわざ言うものでもないんですけど。

なんか、コウモリって目が見えなくて、超音波をぶつけて、その反響というか跳ね返りでモノがそこにあることを感知するっていいますけれども、agraphさんが物事を理解するやり方自体が、ちょっとそういう独特の傾向をもっておられるみたいに感じますね。今作のコンセプト云々にかかわらず。

agraph:単純に、僕には物理趣味があって。詳しくはないんですけど、そういう本を読むのが好きなんです。統一場理論とか相対性理論とか。そうした世界のありかたみたいなものを読んでいると、ちょっと神秘主義すぎるかもしれないけれど、翻って音楽の場合はどうなのかなって、観測者の立場みたいなものに立って考えてしまう。そうすると、いまソナーに喩えてくださいましたけど、自分は少し引いて、俯瞰したところから物事をつくっていきたいんだろうなって思います。

agraphさんの音楽は、表面的な音の上ではベッドルーム・ポップに近接するものとして考えることができると思うんですけど、でもベッドルームって、ある意味では自意識の延長みたいな場所じゃないですか。あるいはロックのような音楽も自分の内側からじかにつかみにいくものだったりしますよね。agraphさんはそういうエゴというか、直接的に世界をつかみにいくみたいなことはぜんぜんないわけですか。

agraph:僕は「表現する」っていう言葉がすごく嫌いで。それ、あんまりよくわかんないんですよ。なぜ嫌いかっていうこともよくわかんないんですけど。だから、よくインタヴューとかでも思わず「表現する」って言っちゃって、「つくる」って言い直すんですけど(笑)。

ああ、なるほど!

agraph:自意識みたいなものを自分で言ったり、「俺はこうなんだ」っていう意識をすることがすごくイヤで。それは思い返せば自分のアート趣味に根ざしていると思うんですけどね。個人的にはまずデュシャンがあって、ジョセフ・コスースがあって、90年代のターナー賞作家たちがある。つまり僕はネオ・コンセプチュアリズムのアーティストが好きなんです。たとえば日本なら2011年以降に顕著だと思うんだけど、リレーション・アートみたいなものが主流にあるじゃないですか。アートにはサジェストがあるべきものだし、90年代以降は、そのサジェストの方向が人間だったり社会だったりに行くものが多く目について。僕、そういうものにまったく興味がないんですよ。コスースとかって、ひとつひとつの物体に対して、その先にあるアイコンを目指していくっていうか、イデアを目指していくじゃないですか。そういうふうに概念自体を語り上げることに興味がある。人間には惹かれないんです。

ははは! たしかに「表現する」っていうと木から像を彫り上げていくみたいな方向のニュアンスですよね。

サンプリングとコンクレートって、誤用があるんですけど、まったくちがうものなんですよね。絵画と写真くらいちがう。

ところで、agraphさんはあまりサンプリング・ミュージックというか、ヒップホップ的な方法にはならないですよね? “プレスク・リヤン”というお話も出ましたが、テープ・ミュージックのようなものがイメージされていて。

agraph:意識しているわけじゃないんですが、そんなにサンプリングはやらないんですよ。サンプリングっていう手法を取りはじめたこと自体が最近で。

前作の中の“a ray”とかはビル・エヴァンスをサンプリングされてますけども、なんというか、ヒップホップのサンプリングとはちょっと発想がちがうような感じがするというか。

agraph:サンプリングとコンクレートって、誤用があるんですけど、まったくちがうものなんですよね。絵画と写真くらいちがう。それで僕の場合、コンクレートでありたいという気持ちが少しあるんです。いわゆるカットアップの手法とかは自分の中にあまりない。……職業柄、たとえば電気グルーヴの仕事をするときに、サンプリングをしたりということはあるので、技術としては知っているんですけど、僕のルーツになくて。

あはは。

agraph:日本でコンクレートをちゃんとやったり、論じていらっしゃる方として、大友良英さんとか鈴木治行さんがいらっしゃいますよね。僕の通っていた大学には鈴木さんがいらっしゃったんですよ。僕は指導を担当いただいたわけではないんですけど、尊敬も影響もあって、コンクレートについては調べたりもしたんですね。そんなこともあって、音を録る、録音して使うっていうっていうほうに意識が向かなかったんです。

そうなんですね。加えて、ビートへの意識なんかもそれほど強くはないというか。どちらかというと音響に関心が向かれるという感じなんでしょうか。

agraph:そうですね。ビートっぽいもの、「ステップ」のつくもの、あるいはグライムだったりとか……そういうものはまったく通ってないんですよね。マネージャーさんによく「お前は黒さが足りない」って言われるんですけど(笑)。

黒さ信仰はありますよね。コンプレックスというか。でもagraphさんは自由でいらっしゃる(笑)。

agraph:いやいや、僕はコンプレックスだらけですよ。だからこうやって難しげなことを言って虚勢を張ってるんですよ(笑)!

いつかもっと何も気にしなくなったときに、きっと「ピー」とか「ガー」とかやっちゃうんだとも思うんです。それをやるために必要な経験はものすごく大きいはず。

でも、「難しげ」とはいいつつ、agraphさんが目指されているのは一種の快楽性でもあると。他のインタヴューでも読んだんですけどね。それはやっぱり、ミュージシャンとしての目標というか。

agraph:そうですね、ミュージシャンというか、ポピュラー作曲家としての矜持なのかなあと。

「ポピュラー作曲家」という意識がおありになる?

agraph:あるんですよね。象牙の塔にいるわけじゃないですし。音大閥どころか、ちゃんとした音楽教育を受けているわけでもなくて、憧れているだけなんですよ。いま普通のひとが小難しい現代音楽といって思い浮かべるのは、滅茶苦茶やってるようにみえる曲だと思いますけど、そういうものも書けないし、数学を使ったようなもの、みたいなものも書けないし。自分のできることの範囲でそういうものへの憧れを取り入れて、つくりあげていくというだけなんです。

よりポピュラリティのあるものを積極的に目指されたいということではなく? 「ポピュラー作曲家」みたいなかたちを意識されるのはなぜなんですかね?

agraph:なぜなんでしょうね。僕はこの5年間、agraphとして音楽をつくっていたので、agraph以外ほとんど何もやっていなかったんですよ。つまりポピュラリティのあることをやらせていただいてたというか。電気グルーヴでもやらせていただいたり、アニメの劇伴だったり、LAMA(中村弘二、フルカワミキ、田渕ひさ子とのバンド)だったりとか。だから、その揺り戻しでもっとマニアックなことをやっていてもおかしくないはずなんですけどね。

なんでしょう、原体験みたいなものと関係があるとか?

agraph:ああ、TMNETWORKとか。それもそうかもしれないですけどね。

だって、憧れているものと、目指されているものが、すごいちがってるじゃないですか(笑)。ある面では。

agraph:いやあ、でも、僕が「ピー」とか「ガー」とかってノイズだけ出していたら、こんなふうに取材に来てくれないじゃないですか(笑)。それに、「ピー」「ガー」っていうのは、自分だけでできることなんですよ。だけど、それを一人でやるには自分にはまだ深みがないというか。いまは、より難しい音楽を追求するのと、もっとポピュラリティを持ったものの間にいて、遊んでいたいという感じなんです。僕が今回のアルバムでやったようなことって、一生はやれないと思うんですよ。
 でも、いつかもっと何も気にしなくなったときに、きっと「ピー」とか「ガー」とかやっちゃうんだとも思うんです。それをやるために必要な経験はものすごく大きいはず。表面的には、やろうと思えばすぐにやれちゃうことなんですね、それって。でもちがいを出すのはとても難しいんです。そのためにいまは人のできないことをやったりしたい。

いまは、ポップ・ミュージックという形態を通して他者に出会う、みたいなことでしょうか。しかして、ひとりでやれる「ピー」「ガー」に向かう……。

agraph:そうかもしれないですね。そういう音は、いまは昔よりずっとつくりやすくなっているはずなんですけどね。でも最初からそうしていたら……もしagraphをやっていなかったら、僕は電気グルーヴの裏方ではあったかもしれないけど、ステージでやることはなかったかもしれない。バンドも組まなかったかもしれないし、mitoさんとやることもなかったかもしれないし、劇伴やプロデュース、楽曲提供だってそうです。そういうところの経験は、誰もかれもが持っているものでもないから、おもしろいものにつながるんじゃないかなという期待もあるんです。先の見通しはぜんぜんないので、どうなるかはわからないですけどね(笑)。

agraph - greyscale (video edit)

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普通のポップ・アルバムとして聴ける要素を残したいし、(抒情的なピアノが用いられていることは)ポピュラリティのある作曲家としての矜持なのかもしれないです。

さて、ではアルバムの話に戻りまして。冒頭の曲のタイトルなんですが、“reference frame”っていうのは何の「基準」なんですか?

agraph:「こういうアルバムですよ」っていう。

ははは! すごい。

agraph:これからいろんなことを言いますけど、こういうグラフになってますよ、という。x軸とy軸がこう引かれてますよ、基準点はこれですよと。

なるほど。では、その基準点にピアノが鳴っていることの意味を考えたりとかしていくのは、ちょっとちがいますか?

agraph:なるほど、そこは、配置のひとつというか。今回はひとつひとつの楽器自体にそれほど意味はないんですよね。

冒頭でピアノが出てきて旋律が奏でられると、つい叙情的なアルバムの幕開けと考えてしまうというか。

agraph:いえいえ、それもそうだと思うし、さっきの快楽性の話もそうですけど、普通のポップ・アルバムとして聴ける要素を残したいし、ポピュラリティのある作曲家としての矜持なのかもしれないです。もちろんどう取っていただいてもかまわないんですけどね。僕自身としては、よくピアノのことを指摘されはするんですが、そんなに意識していないんです。というか、あんまりピアノを弾いていたときの意識自体が残ってないかも。今回、構造のことを考えた記憶はあるんだけど、ひとつひとつの音のことを覚えていないんですよね。
 僕はこの5年間のうちに、一度アルバムを放棄しているんですけど──『equal』のつづきになるからやめよう、って思って捨てちゃったものがあるんです。で、今回はそれをコンクレートでいうテープみたいなものとして使ってつくっているんですけど、そうすると5年前の自分のことなんて覚えていないから、本当に再配置という感じだったんですよね。演奏しているときの細かい意識のことは覚えていない。

ピアノ弾きみたいな意識はないんですね。なるほど。

agraph:いろんなひとに出会う中で、僕よりピアノに思い入れのある人はいっぱいいるなあって思って。じゃあ僕はいっか! と。音に対するフェティシズムはあるので、使っている音はいっぱいあるんですけどね。

同心円状に広がる時間はきっとあると思うんですよね。そうだ、「時間」は今回の裏テーマだったと思います。

“asymptote”という曲ですけれども、「漸近線」というとこれは「基準」たる“reference frame”に対して漸近していくという?

agraph:“reference frame”でxとyを引いて、ああ漸近していくんだなあという。

交わらないという。その交わらなさって何のことなんですかね?

agraph:あれは、終わらない曲なんですよ。もちろん時間で切ってますけれどね。そういうふうに極限にいたる、というか。同心円状に広がっていくっていうイメージのお話もしましたけれど、この曲は、その先がどこまでもどこまでも、極限まで行くんだろうなって思ったんですよね。有限ではあるんだけど果てがない……そんな意識をつくっていこうとした曲ですね。

終わらない時間というのは、なにか、リニアなものとしてのびていくイメージでいいんですか?

agraph:同心円状に広がる時間はきっとあると思うんですよね。そうだ、「時間」は今回の裏テーマだったと思います。音楽って時間芸術であって、時間以外に音楽を特徴づけるものはないというか、時間しか持っていないということが音楽の唯一の特徴だと──僕はそう考えるので。“inversion/91”では時間の使い方に発展や発見があったけど、“asymptote”も「終わらない、極限にいたる」というところで、時間に対する意識が強かったですね。逆に1分くらいの曲もつくってみたいと思ったけど(笑)。

そういえば終わらないわりに短く切られている。

agraph:「終わらない」と「始まらない」は同じかなと。

抒情的でロマンティックな部分というのはやっぱり要素なんですよね。自分がピアノを弾いているときの気持ちは封入されているんだけど、それはすべてもう息をしていない。

「すべての要素をドライに配置しただけ」というふうにおっしゃいますが、その語りの中にもしかしたらトリックがあるのかもしれないですけど、でも一方で、もっと普通にドラマチックな、エモーションの幅を感じるようなところもあるんですが。

agraph:それはね、いま思い返すとなんですけど、アンドレアス・グルスキーの、ジャクソン・ポロックの絵を撮った作品があるんですけど、僕はその写真がすごく好きで。ポロックのああいうアクション・ペインティングみたいなものって、すごく熱量をもって描かれるものじゃないですか。関連して、「絵の中にいるときに絵なんか意識しない(=自分が何をしているかなんて意識しない)」っていうような言葉もあったと思うんですけど、そんなふうにつくられるものの、その写真を撮るっていうのはすごい残酷なことだなと思ったんですよね。ポロックの無意識とか、絵の中にいるというすごくエモーショナルな状態をパッケージしてしまう。封をしてしまう。真空にしてしまう。その行為ってすごく力のあることだなと思って。それで、僕の音楽をエモーショナルに聴けるというのは、さっきの話のように、ひとつひとつの要素としてピアノを弾いているし、盛り上げるためにエフェクトを使っているし、叙情的な部分も含んでいるからなんだけど、それを一歩引いてパッケージするということでもあったかもしれない。だから、抒情的でロマンティックな部分というのはやっぱり要素なんですよね。自分がピアノを弾いているときの気持ちは封入されているんだけど、それはすべてもう息をしていない。

撮られて配置されている。なるほど……こんなふうに作者に解題を求めるのって、はしたないことなのかもしれないですけど、やっぱり聞いておもしろいこともあると思うんですよね。

agraph:いや、僕もなるべく言いたくないんですけどね。文章家じゃないし、伝わり方だっていっぱいあるし。でも音楽雑誌とか批評で自分の評価が辛いと、わー、伝わってなーいって思いますね(笑)。

あはは!

agraph:傷ついて帰って、枕を濡らすんですよ。

そんな抒情的なシーンがあったとは(笑)。

すごく悔しいんですけど、OPNには耳を更新されたという気持ちがあって。

一方で、部分や要素で聴くと“reference frame”のマレットというか、マリンバみたいな音が出てくる部分は、一瞬OPNみたいになったりもするじゃないですか。

agraph:ギャグですけども(笑)。

「ニヤッ」て言うとちょっとやな感じですけど、すごい同時代のものが聴こえてうれしいというか。

agraph:すごく悔しいんですけど、OPNには耳を更新されたという気持ちがあって。今回リュック・フェラーリを聴いていた時期とOPNやヴェイパーウェイヴを聴いていた時期があるんですけど、後者については誰もべつにメロディもコードもリズムも聴いていないと思うんですよね。僕自身はそうで。そこに立ちのぼっている湯気のような世界観だけを聴いている。リュック・フェラーリもそうなんです。それから、とくに理由もないままリュック・フェラーリとベーシック・チャンネルを聴いたりもしていたんだけど、ベーシック・チャンネルもそうだしアンディ・ストットもそうだと思って。テクノとかハウスとかも、それからカールステン・ニコライにしても、僕はテクスチャーと世界観を眺めているというか、それが好きだと思って聴いていたんですよね。僕の聴取体験の中では、歌える部分や踊れる部分に惹かれて聴いていたこともあったけど、いまはそういうことがないなと思いました。そういう気づきのきっかけにはなりましたね。

OPNを似たようなアーティストと分けているのはコンセプチュアルなところかなと思いますね。アルカとかはその点、一時の若さで成立しているものでしかなくて、それが美しくもあるけど圧倒的に弱いというか。

agraph:彼もまた構造的なんだと思うんですよね。一つ一つの要素には、どうしても読み取らなきゃいけないような意味はない。そこには勝手に共感を覚えるんです。アラン・ソーカル事件はご存知ですか? アラン・ソーカルというひとが、ある哲学論文を評論誌に送るんですけど、それは文学とか哲学にすごく難解な数学とか物理とかを結びつけて書かれた、まったくでたらめな意味のないものだったんです。当時はそういうものを結びつけるのが流行っていたので、彼はわざとそういうことをして、そのでたらめさが見破られるかどうか試したわけなんですよ。でも、評論誌には「そういうものを結びつけるのはよくない」という意見に反論する論文としてそれが掲載されてしまったので、ほらやっぱり意味がないじゃないかということになった。……という時代に、まさにフランスの現代思想を数学と結びつけていた急先鋒である女性哲学者がいるんですが、OPNが彼女のことをフェイヴァリットに挙げているのをたまたま見て。僕は彼とも話したんだけど、彼はこの事件のことを知らないと言いはっていた。でも、たぶん嘘じゃないかって(笑)。

ははは! ええ、だって……

agraph:そう、だって、あんたがやっていることがアラン・ソーカルじゃないか、と。

いや、お話の途中でオチが見えましたよ。たしかに。

agraph:僕はそこに勝手に共感するんですよね。いや、本当に知らないんだと思うんですが(笑)

agraphさんご自身がたとえ時代やシーンを意識していなかったとしても、OPNがいたりagraphさんがいたり、それぞれの点が結びたくなってしまうように存在しているんですよ。その意味で時代性のあるアーティストさんなんだと思うんですが。

agraph:いやー、早く見つけてほしいですよ。

ヴェイパーウェイヴは、90年代の文化、っていう具体的な形をテープにしてるんだと思うな。あれは写真に近いんじゃないかな。すごく偽悪的な。

しかし意外だったのがヴェイパーウェイヴをちゃんと聴いていらっしゃるというところで。いったい、牛尾さんにヴェイパーウェイヴなんて必要なんですか?

agraph:ヴェイパーウェイヴは単純に質感がよかったです。流行った頃は好きでした。もうけっこう経ちますよね。

でも、あれこそはサンプリング・ミュージックの──

agraph:いや、僕はあれコンクレートだと思う。

なるほど。とすると、インターネットという環境からの?

agraph:うーん、90年代の文化、っていう具体的な形をテープにしてるんだと思うな。あれは写真に近いんじゃないかな。すごく偽悪的な。

へえ! 表面的な行為としては、「ネット空間からゴミをたくさん拾ってきてどんどん奇怪なものをつくりました」ってだけのイタズラか遊びみたいなもので、でもそのこと自体が時代の中で批評的な意味を帯びて見えたわけですよね。ただ、ご指摘のように、引っぱってこられるネタがなぜかしら特定の年代や国に固執しているのはたしかで。それで盛り上がったんだという部分も否定できない。

agraph:そうそう。おもしろいんですよ。それに、もっと僕の個人的な趣味嗜好の部分で言うなら、シンセサイザーの音色について発見があったということですね。90年代の前半の音がわりと使われているじゃないですか? 僕は83年生まれなので、ちょうどそのころは意識が芽生えはじめた時期なんです。だから、そういう音がいちばんカッコ悪く感じられる。絶対にさわっちゃいけない音色だったし、シンセサイザーだったんだけど、それを忘れていたところに放たれたカウンター・パンチだったんですよね、ヴェイパーウェイヴは。あの時期「~ウェイヴ」はいっぱいあったけど、僕はそのなかでいちばんおもしろかったかな。在り方が。

結局ジェイムス・フェラーロとかは現代美術館にまで入りこみましたからね(東京アートミーティングⅥ “TOKYO”──見えない都市を見せる https://www.mot-art-museum.jp/exhibition/TAM6-tokyo.html)。

agraph:そうですよね。それもわかるんですよ。ただ──さっき触れたように、彼らの求めるテープの先が90年代なのだとすれば、きっと、社会だったり文化だったり人類だったり、「ひとの営み」に視座があるじゃないですか。僕の趣味からすれば、そこには興味がないんですよね。

なるほど、構造と、あとは音だったと。

agraph:リュック・フェラーリは2007年に亡くなっているんですけど、作品はいまも出ているんですよ。それは彼が遺した作品の中に、このテープを使って何かやれっていうようなものがあるようで。たとえばそれで、奥さんであるブリュンヒルド=マイヤー・フェラーリさんが作品をつくられたりしている。その構造と同じかなと思うんです。僕は奥さんも音楽家としてとても好きなんですけどね。

僕は詩に対する理解がまったくないんです。

ところで、「言葉」っていうレベルにはとくに探求しようという欲求はないんですか? 言葉というか……ライヒとかには、たとえば“テヒリーム”みたいなものがあるわけじゃないですか。ルーツにつながるヘブライ語の中に降りていくというか。今回の作品の中にも声とか言葉を持った部分がありますけど、今後そういうテーマなんかは?

agraph:あれはすごく迷いました。人間を描くのがいやなので、発声をどうしようかなと思って……音楽を規定するときに詩が入ってくるのがすごくいやなんですね。僕は詩に対する理解がまったくないんです。大学ではケージの『サイレンス』の詩を扱ってもいるんですけど、でもやっぱり自分でつくるというのは難しかったですね。セカンドで円城塔さんに文章をお願いしたのは、あの方だったら意味にとらわれない複素数平面を音楽と言葉でつくれるんじゃないかと思ったからで……。なかなか難しいですね。

そうか、前作には円城さんが添えておられますよね。でも、「詩」というと複雑になりますけど、「言葉」というともうちょっと算数や科学で扱えそうな対象になりませんか。

agraph:それはまだ僕の能力不足ですね。群論的な──言葉が指し示すことができる領域とそうでない領域があるという、そういう複雑系の話から使えるものは出てくるかもしれないですけど、理解も足りないし。

いやいや、五・七・五・七・七って、もう千何百年も残ってきた韻律ですけど、あれとかをagraphさんが微分積分してくださいよ。

agraph:あれはおもしろいですよね。「タタタタタ・タタタタタタタ・タタタタタ」……。僕は子どものころからああいう韻律をぜんぶ変数にして、たとえば「タタタタタータ」っていうリズムがあったとして、そこに何を入れるのがおもしろいかっていうのを考えていたんですよね。「ハシモトユーホ」とか、入りますね(笑)。韻律っていうものにはすごく興味があるんだけど、でも自分の中ではなかなか解決のつかない要素が多いから、いつかは。

agraphさんがやってくれないと。楽しみにしていますね!

5年間で、過去3日だけ霧がかかった日に巡り会えて、いまのところその3日は逃さず写真を撮りに行っているんですよ。

最後に、今作のジャケットについてうかがってもいいでしょうか。アートワークとして用いられているのは、ずばり渋谷です?

agraph:あれは●●●●です。内緒です。

内緒ですか(笑)。

agraph:特定できるものを何も残したくないんですよね。インタヴューでこんなに話しておいて言うことでもないですが(笑)。「何だろう?」って思ってほしくって。アルバムをつくるときに杖の代わりになるような写真を撮ることがあって、その中の一枚です。

「何だろう?」って思いましたよ。ご自身で撮られた写真なんですね。

agraph:そうです。

最近は、アー写ひとつとっても、ミュージシャンがどこの街で写ってたら画になるんだろうというのがわからなくて。渋谷下北ではないし、どこで写ってたとしても「たまたま」というだけで。そもそも地理が何も語らないというか。

agraph:ないですよね。

あのジャケは、だからといって「どこでもなさ」を表している感じでもなくて。

agraph:この5年間で、過去3日だけ霧がかかった日に巡り会えて、いまのところその3日は逃さず写真を撮りに行っているんですよ。それでたまたま撮れたものなんですが。

構造の上に霧のように立ち上がる世界っていうイメージにもつながりますね。

agraph:もやっとしたもの。それに、器に注ぐ水が「shader」(=影なすもの)であるという、作品のコンセプトも出せればなと思いました。

では記事の中でもぜひ数枚ご紹介させてくださいね。本日はありがとうございました。

agraph - the shader(ティザー)

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