「LV」と一致するもの

Say She She - ele-king

 これだけ世界情勢が荒れるなかにあって、当たり前に多様な文化が混ざっている音楽を聴くと胸が温かくなる。ブルックリンのディスコ・ソウル・バンド、セイ・シー・シーが奏でているのは洒落たパーティにピッタリのダンス・ミュージックで、その会場には多彩なバックグラウンドを持ったひとたちが集まっているのが想像できる。
 実際、セイ・シー・シーのフロントに立つ女性シンガー3人は人種的にもバックグラウンド的にもバラバラだが、彼女たちが生み出す清々しいハーモニーがバンドの最大の売りになっている。チカーノ・バットマンの元バッキング・シンガーでありニューヨークのファンク・バンドであるエル・ミシェルズ・アフェアのゲスト・シンガーも務めていたピヤ・マリク、元79.5のナイア・ガゼル・ブラウン、サブリナ・ミレオ・カニンガムによる掛け合いを聴いているだけで楽しいのだ。バンドのアンサンブルはヴィンテージなソウルやファンクを感じさせつつ、ドリーム・ポップやインディ・ロックに通じる軽さもある。本人たちはロータリー・コネクション、リキッド・リキッド、グレイス・ジョーンズ、トム・トム・クラブといった7、80年代に活躍したアーティストからの影響を公言しているそうだが、ジ・インターネットカインドネスクルアンビンといった10年代以降のインディとクロスオーヴァーするR&B/ソウル、ファンク・アクトが好きなひとも気に入るサウンドだと思う。

 本作は熱い注目を集めた2022年のデビュー作『Prism』につづく2枚めで、おもにリモートでの制作だったという前作に比べてぐっとバンド感が強まったアルバムに仕上がっている。シンガーの3人が先導しつつ手練れのプレイヤーとスタジオに入って制作されたとのことで、いっしょに演奏することの楽しさを記録するように曲数も倍増し、何より曲調のヴァラエティが広がった。現在はLAのファンク・バンドであるオレゴンのメンバーを含む7人編成となっており、バンドとして本格的なスタートを切ったアルバムと言っていいのではないだろうか。きらびやかなシンセ・ファンク “Reeling” のオープニングから、メロウなソウル・チューンの “Don’t You Dare Stop” や涼しげな “Astral Plane”、そしてベースが自然と腰を揺らすパーティ・ディスコ・ナンバー “C’est Si Bon” と、とにかく気持ちよさそうにアルバムは進んでいく。アナログ・テープによるレコーディングにこだわったらしくノスタルジックな風合いもあるが、本人たちのエネルギーが溌溂としていて後ろ向きな印象を受けない。
 そこにはおもにふたつの理由があると思う。まずひとつは、インド系のマリクのルーツに通じるような非西洋の音楽の要素がそこここに現れてスパイスになっていること。とくにサイケ・ロックと南アジアの旋律と70年代ファンクを混ぜたような “Bleeding Heart” はアルバムのなかでも目立って個性的な楽曲で、現代に向けてマルチ・カルチュラルな音楽を鳴らそうとする意思を感じさせる。
 もうひとつは現代の女性であることをテーマにしている点で、これはセイ・シー・シーの音楽の魅力と直結している。つまりこれは、いまを生きる女性たちの重なる声なのだ。若い女性を見くびる中年男をコケにする “Entry Level” や中絶の権利を訴える “NORMA” など今日的なフェミニズムと連動する曲があるのだが、それがパーティ・チューンとして鳴らされていることがとても大切だ。ジャネール・モネイスーダン・アーカイヴスらによるある種のシスターフッドを示す音楽は、サウンド自体が楽しいことで社会変革をアップリフティングなものとして表現している。現代の女性のひとつの闘い方である。そしてセイ・シー・シーの3人は声を揃えて宣言する――「We won't go back」、つまり、わたしたちは前に進むと(“NORMA”)。

 それにしても、タイトル・トラックにしてクロージングの “Silver” はひときわ心地いい。軽やかなドラミングとファンキーなベース、ドリーミーなシンセと戯れる清涼な歌声。基本的に、世界に対して心を開こうと聴き手を誘う音楽なのだ。こんなときこそ、パーティ・ミュージックに合わせて身体を揺らさなければ。

Alvvays - ele-king

「聞いたよ、帰ってきたんだって」フィードバックのノイズの上でモリー・ランキンがそうやって歌いはじめるとそこにあった時間の隔たりが消えたような感じがした。まるで子ども時代の友だちと久しぶりに会ったときみたいに思い出といまとがあっという間に繋がる。

 カナダのインディ・ポップ・バンド、オールウェイズの久しぶりの来日公演、エンヤの “The River Sings” を出囃子にちょっとかしこまって、だけどもリラックスしてステージに現れたオールウェイズはそんな風にライヴをはじめる。昨年、5年ぶりにリリースされた素晴らしい3rdアルバム『Blue Rev』のオープニング・トラック “Pharmacist”、この曲以上に今回のライヴをはじめるのにふさわしい曲はきっとないだろう。2018年以来のジャパン・ツアーだ。東京からはじまって名古屋、大阪、そしてまた東京、今日の追加公演の会場となった神田スクエアホールの空気もあっという間に暖かなものに変わっていく。その名の通りスクエアホールは四角く天井が高くて、それが体育館や地元の小さなホールを思わせなんだか余計にノスタルジックな気分になる。
 2分と少しで曲が終わってMCなんてなくバンドはちょっとぶっきらぼうに次の曲に入る。続くのは同じく3rdから “After The Earthquake”、最初のギターのフレーズできらめくように空気が揺れる。そうして “In Undertow”、“Many Mirrors” と2分台、3分台名曲たちが次々に繰り出されていく。ハンドマイクに持ち替えしゃがみこみエフェクトをかけながらモリーが歌う “Very Online Guy”、1stアルバムに戻って “Adult Diversion”(この曲を聞くといつも口元に手をやったあのジャケットが浮かんでくる)、全ての曲に心の奥底をなでるような力強くも美しいメロディがあって、ギターとシンセサイザーのフレーズと相まり目の前の光景がノスタルジックなものに変わって行く。そう、待ち望んでいたものがここにはあるのだ。

 それにしてもオールウェイズはイメージする以上に不思議なバンドだ。 およそインディ・ポップと呼ばれるバンドとは思えないくらいに、シェリダン・ライリーのドラムが力強く主張し、アレック・オハンリーのギターがかき鳴らされ、強度はあるのに1曲1曲が短くて、4分に到達することはほとんどない。曲が終わった後も軽いやりとりだけで余韻を残さずすぐに次の曲にいってそれもなんだかちょっとパンク・バンドみたいだなと思った。いままでまったく結びついていなかったけれど開演前にSEでバズコックスの “You Say You Don't Love Me” が流れていて、あぁ『Blue Rev』のオールウェイズにはこの要素が確かにあるなって思ったりもした。素晴らしいメロディを持っているというのは両者に共通していることだけど、オールウェイズは、さらにそこにシンセとコーラスがあってそれがインディ・ポップの部分を大きく担っているのかもしれない。確かに存在するパンク・スピリットを胸にシューゲイザーに寄せてキラキラと水面の光が反射するインディ・ポップを奏でたみたいなバンド、この日のオールウェイズはそんな印象で、まったく一筋縄ではいっていなかったけど、でも全体として出てくる音はとても優しく幸福感がまっすぐに入ってきた。それがなんとも不思議で淡々と幸せな時間がずっと流れていっているようなそんな感じがした。

 だが、やはり全ては曲の良さに集約されるのかもしれない。中盤の “Tom Verlaine”、“Belinda Says” の素晴らしい流れ、アーミング奏法でギターが鳴らされ、浮遊感が体を駆け巡る。モリー・ランキンのヴォーカルは地に足を着けその中心に存在し、ケリー、シェリダン、アビー、3人のコーラスが陶酔感をプラスする。楽曲の真ん中に歌があるからこそ、こんなにも輝きが拡散されていくのだろう。それは決して神秘的なものではなくて、とりとめなのない日常に接続しそれ自身を輝かせるようなもので、そこにきっと淡さと幸福感が宿っている。

 アンコール、リクエストに応えるみたいな形で “Next of Kin” が演奏される。そうして間を置き、ツアーの感謝の言葉が述べられた後に演奏された “Lottery Noises” は曲自体が美しい余韻のように思えて、心が満たされていくのを感じた。そうやってまた日常に帰っていく。明かりがついてパッツィー・クラインの “Always” に送り出されて会場を後にする。外はもちろん夜空だったけどそれもなんだか違って見えた。


Alvvays Japan Tour 2023 at Zepp Shinjuku Setlist 11/28/23

Alvvays Japan Tour 2023 at Kanda Square Hall Setlist 12/01/23

Alvvays Japan Tour 2023 at Zepp Shinjuku Setlist 11/28/23

Alvvays Japan Tour 2023 at Kanda Square Hall Setlist 12/01/23

蓮沼執太 - ele-king

 蓮沼執太の音。蓮沼執太の音楽。蓮沼執太のアート。
 彼の楽曲/アルバムを聴いていると、音から音楽、そしてアートへと繋げていく意志を感じる。彼は音によるアートを作っている。すなわち「音楽」だ。「音楽」とはアンサンブルであり、他者との協働である。そう、ともに奏でること。
 そしてこれが重要なのだが、蓮沼執太はアート=音楽に向ける姿勢に気負いがない。意図的にニュートラルであろうとしているというべきかもしれない。
 
 15年ぶりのインスト・ソロ・アルバム『unpeople』でもそれはまったく変わらない。過剰なエゴを押し出すというより、他者とのアンサンブルを希求し重視するということ。ここで彼は「ソロ」であり「コラボレーション」であるという二重性を見事に実現していた。
 そう、蓮沼執太は自我を全面に押し出すよりは音の遊びを細やかにして大胆な手つきで楽しんでいる。そこにゲストが入れば、自分の「砂場」をちゃんと相手のために空けてくれる。つまりは「おもてなし」の精神がある。自我を押し付けるのではなく、他者と共に音楽を楽しんでいる。それでいて自分のアートをしっかりと作りあげていくのだ。
 そうしてでき上がった音楽を聴くと、まさに「蓮沼執太」としか聴こえない署名の刻印が押されている。このバランス感覚は絶妙だ。だからこそあの灰野敬二とも定期的なコラボレーションが可能になるのだろう。音とすきま、音と共振、音による他者との共存。その感覚・実践の素晴らしさを実感する。
 だが同時に、その根底には何かもっと深い、音楽への強い意志のようなものも感じられる。ポップな装いの向こうにある底知れなさとでもいうべきか。私が蓮沼執太の音楽の底知れなさに震えたのは2010年にリリースされた『CC OO』が最初だった。もちろん2006年にShuta Hasunuma名義でリリースした『HOORAY』(〈PROGRESSIVE FORM〉)や2008年の『POP OOGA』(〈WEATHER/HEADZ〉)を聴いてはいたのだが、その頃はまだ彼の「底知れなさ」に気づかなかった。
 しかしながら未発表曲を集めた長大な4枚組であった『CC OO』を一気に聴取したことで、この音楽家は見た目のポップさとは別に、「音の自律性」に自覚的な音楽家ではないかと感じ取れたのだ。

 私見だが『unpeople』は、『CC OO』にとても似ているアルバムだと思う。音自体が自らポップに跳ねている印象を持ったのだ。エレクトロニカ、アンビエント・ミュージック、ジャズ、モダン・クラシカル、そして現代音楽までも内包している楽曲群は、とてもポップで、とても広かれていて、とても柔軟で、音、音楽を信じている意志がある。
 ゲストも多彩だ。ジェフ・パーカーコーネリアスグレッグ・フォックス、灰野敬二などの多彩なゲストを迎え、彩り豊かな作品となっているが、蓮沼執太はどこかアンサンブルから一歩引いた場所に立っている。ゲストをたてているとでもいうべきか。彼の創作のスタンスはニュートラルなのだ。コーネリアスが参加した曲など、コーネリアスがつけてきたギターがあまりに完璧だったため、それでOKとして曲が完成してしまったという。
 では、蓮沼執太の「エゴ」はどこにあるのか。「個」といいかえてもよい。アートワークなどのヴィジュアルにも蓮沼執太はこだわりを見せているが、しかし、蓮沼執太は音楽家なのだから、その答えも音にあるはずだ。じっさい最終的には、「蓮沼執太」の音としか言いようがない音楽に見事に仕上げているのだから。
 私見を述べるならば、私は彼の音はつねに「踊っている」ように感じられる。ダンスのための音楽というわけではない。音それ自体が踊っているのだ。それを蓮沼執太はポップな音楽様式を崩すことなく実践・実験・実現しているのだ。彼は音に過剰なエゴを押し付けていない。蓮沼執太の音楽の「軽やかさ」はそこにある。
 このアルバムでも、音たちが舞い、踊り「音楽」をかたちづくっている。蓮沼執太はその音たちを愛し、しかしひとつの自立した存在として認めている。自らの「個」を過剰に投入するわけではない。『unpeople』というアルバム・タイトルは、おそらく反語的な意味だろうし、根底にはもしかするとコロナ禍における人の不在が込められているのかもしれないが、私には、人と音の自律的な共存が主題が根底にあるように感じられる。音楽は人間だけではだめなのだ。「音」を信じること。エレクトロニカ的なサウンドをベースにしたインスト主体のソロでは蓮沼執太フィルより、その傾向が強くなっているように感じられる。ゲストのサウンドもまた音それ自体の自律を促しているのだ。

 音の自律性と自らのコンポジションと人たちの共存。だからこそ彼はつねにニュートラルな位置に自らを置こうとするのではないか。それは音楽家であると同時に分析家であり科学者であるような立ち位置であるのだが、彼の音楽への想いが温かく柔らかく優しい。この両極の振れ幅に蓮沼執太の「個」があると私は考える。それはこの『unpeople』も同様である。
 個人的なおすすめ曲は、グリッチ+エレクトロなタイトル・トラックにして1曲め “unpeople”、ジェフ・パーカーの深い響きのギターを満喫できる4曲め “Irie”、蓮沼流ミニマル・エレクトロニカの傑作 “Postpone”、コーネリアスのサウンド・スペースとの見事な融合である5曲め “Selves”、グレッグ・フォックスと石塚周太と共作したヴェイパーウェイヴ+ポスト・ロック/ジャズな仕上がりの8曲め “Vanish, Memoria” などだが挙げられる。
 なかでも注目したいのが、どこか「翳り」のある灰野敬二の参加曲 “Wirkraum”(12曲め)と音無史哉参加曲の “Chroma”(14曲め)である。このどこか深い陰影を感じさせてくれるこの2曲は現代の不穏なムードを捉えつつ、しかし微かな光を感じさせてくれるような味わい深い楽曲/トラックだ。私がこれまで聴いた蓮沼執太の楽曲のなかでもとても好きな曲である。

 いずれにせよ新作『unpeople』はそんな蓮沼執太の音楽の「現在形」が見事に、そしてコンパクトに収められているアルバムである。柔らかさ、ポップさ、人懐こさ、微かな実験性、繊細なサウンド、大胆なコンポジションがわかってくる。伝わってくる。聴こえてくる。聴き込むというよりは、日々の「人生」のなかに鳴っていてほしい音楽とでもいうべきか。暮らし、生活、人生とともにあるアートとしての音楽。ほかのだれかと共にあるソロ・アルバム。『unpeople』は、まさにそんな作品に思えた。

J.A.K.A.M. - ele-king

 グローバル・ビーツの開拓者として確かな支持を得るJUZU a.k.a. MOOCHY こと J.A.K.A.M. が、11月27日に新たなアルバム『FRAGMENTS』をリリースする。

 本作はJ.A.K.A.M. が2020年にインド・ケララ州でのフィールド・レコーディングを通じて得た体験とサウンドに加え、 2023年にパキスタンのカラチ~ラホール~ペシャワールにおいても敢行された録音による伝統楽器にフィーチャーしたサウンドが特徴だ。スケート・カルチャーに端を発し、世界を股にかけてマイペースに活躍する彼の新境地が体感できるだろう。まさしく収録のトラックタイトル通り「NEW ASIA」な雰囲気漂う本作には、東洋と西洋の間に横たわる断絶が和らぐ未来を目指しつつ、まず「新しいアジア」としての連帯を呼びかけるメッセージも込められている。

 また、「2038年」という時代設定で作られた小説もアルバムと同時進行で制作されており、アジア圏とアラブ圏の文化が混ざり合い、混沌のなかに土の匂いを見出すような世界との触れ方が描写されている。16ページフルカラーブックレット入り。サウンドとあわせてチェックを。

Sphere - Inside Ourselves - ele-king

BBE714ALP

Slowdive - ele-king

 スロウダイヴの音は、いつも現実から微かに、かつ決定的に浮遊している。サイケデリックなサウンドでもあるのだが、もっとヨーロッパ的とでもいうような、ロマンティックかつ幻想的ともいえるムードがある。そもそもシューゲイザー的なフィードバック・ノイズの奔流は、切り裂くような攻撃的なものはなくて、「この世から逃避するために、われわれの知覚を幻想的な領域へと連れ去ってくれる」ものだ。甘く、刹那で、しかし永遠を希求する音楽とでもいうべきかもしれない。

 そしてスロウダイヴは、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやライドなどのシューゲイザー・オリジンのなかでもとくに耽美的であり幻想的なムードを放っているバンドである。音楽における幻想性はときに不思議な影響力と普遍性を持つ。それゆえ彼らの影響力は多岐にわたっている。シューゲイザー界隈に留まらず、エレクトロニカ、ドリーム・ポップ、ヘヴィ・ロックのアーティストやリスナーからジャンルを超えてリスペクトを捧げられている。たとえば2003年という早い時期にドイツのエレクトロニカ・レーベル〈モール・ミュージック〉からトリビュート・アルバム『BLUE SKIED AN' CLEAR-morr music compilation』がリリースされているほどである。
 また今年リリースされた米国のニュージャージーのシューゲイザー・バンド、スロウ・サルヴェイション(Slow Salvation)『Here We Lie』(大傑作です)、米国のニューヨークのパトリック・J・スミスによるドリーム・ポップ・ユニット、ア・ビーコン・スクール(A Beacon School)『yoyo』、イタリアのシューゲイザー/ドリーム・ポップのバンド、グレイジィヘイズ(Glazyhaze)『Just Fade Away』などもスロウダイヴの影響を強く受けているように思う。スロウ・サルヴェイション『Here We Lie』は、スロウダイヴのサイモン・スコットがマスタリングを手がけているのだ。

 さて、前作から6年の歳月をかけてリリースされた『everything is alive』は、これまでのスロウダイヴのアルバムのなかでもとくに「純度」の高い仕上りであった。そう、つまり彼らならではの幻想的で浮遊感に満ちた「響き」が混じり気のないサウンドで実現されていたのだ(リリースは〈Dead Oceans〉から)。
 これはファースト・アルバムにして深い音像を実現している『Just for a Day』(1991)、ブライアン・イーノも参加している傑作セカンド・アルバム『Souvlaki』(1993)、音響派的なミニマルなサウンドへと至ったサード・アルバム『Pygmalion』(1995)などの90年代のアルバム、約22年ぶりの復帰作に、て彼らの新たな代表ともなった『Slowdive』(2017)などすべてのアルバムを通しての感想である。つまり彼らの「素」がもっともよく出ていた。

 『everything is alive』は、まるで澄んだ水を飲むように体に浸透していくようなアルバムである。音は濁りがなく、コンポジションはスムーズ。アンサンブルも磨き抜かれていた。だからといって簡素なアルバムというわけでもない。モジュラー・シンセを用いたミニマルな電子音や、ニール・ハルステッドやクリスチャン・セイヴィルのギターが繊細にレイヤーされたサウンド、レイチェル・ゴスウェルの透明なヴォーカルが楽曲を満たしていく音楽でもある。そこにサイモン・スコットのドラムが、まるで無重力を舞うようにビートを打ちつけるのだ。ニック・チャップリンのベースもまた同様である。まさに完璧なスロウダイヴ・アンサンブルと言えよう。

 『everything is alive』は全8曲が収録され、計42分という比較的コンパクトなアルバムである。その「適度さ」「丁度よさ」はまさにヴェテラン・バンドならではのバランス感覚であった。しかし同時に音のシャワーを浴びるように聴いていると、ふと迷路に迷い込んだような錯覚をするときもある。いっけん聴きやすい音だが、現実から浮遊する力は、これまでのアルバム以上だ。
 注目すべき曲は、やはり1曲目 “shanty” だろう。イントロはミニマルな電子音ではじまり、そこにギター、ヴォーカルが折り重なっていく。音が重なっても重くならず、どんどん浮遊感が増してくる。このアルバムはもともとモジュラー・シンセサイザーを用いたエレクトロニックな作風を目指してデモ制作がはじまったというが(結果的にはスロウダイヴ的な音に収斂していった)、その「名残り」はアルバム中の曲のそこかしこに聴きとるがことができる。とくに “shanty” は、イントロの電子音から、そのエレクトロニックなムードを聴きとることができる曲である。
 加えてポップなメロディが印象的な3曲目 “alife”、5曲目 “kisses”、8曲目 “the slab” もアルバムを代表するトラックである。ミニマムなアンサンブルとサイケデリックな浮遊感に満ちたサウンドが魅力的で、今後、彼らを代表する曲になるのではないか。個人的にはアンビエントなシンセサイザーが波のように重なり合う “andalucia plays” に惹かれた。どこか『Souvlaki』期を思わせるシンセの扱い方の曲であり、彼らのアンビエント感覚がよく伝わってくるサウンドであった。

 アルバムは、どうやらメンバーの家族の死が重要な要素になっているようだが、死の概念へと抽象的に引っ張られているわけではない。そのサウンドにはどこか「明るさ」すらあるのだから。
 こんな不思議なムードのバンド/サウンドは世界中どこにもいない。シューゲイザーの精神的オリジンともいえるコクトー・ツインズの遺伝子をマイブラ以上に濃厚に継承しているバンドといえる。本作『everything is alive』は、そんな彼ららしい現実から浮遊するような「幻想的な響き=アンビエンス」が余計なデコレーションなく、体現した稀有なアルバムなのである。

interview with Gazelle Twin - ele-king

 作曲家、プロデューサー、シンガーであるエリザベス・バーンホルツの別名として知られるガゼル・ツインの作品は、トランスフォーメイション(変化・変容)によって定義されてきた。2011年に『The Entire City』でデビューした際には、マックス・エルンストの鳥のような分身、ロプロップに触発された衣装でパフォーマンスを行った。2014年の『Unflesh』では、彼女の学校の運動着をモチーフにした衣装を身に着け、ナイロン・ストッキングを頭にかぶって顔を覆い、内臓をえぐるような(ホラーな)音楽を演奏した。これまででもっとも高い評価を得た2018年のアルバム『Pastoral』では、バーンホルツは、アディダスのトレーナーに野球帽をかぶり、ブレグジット派とリトル・イングランドの有害な遺産を標的にした邪悪なハーレクインに扮している。

 ニュー・アルバム『Black Dog』では、仮面ははずされたものの、彼女はまだ自分自身に戻ったわけではない。このアルバムでは、イギリス・ケント州にある農家を改造した家で過ごした幼少期に遡り、彼女を含む家族の何人かが遭遇した超自然的存在で、アルバム・タイトルとなった黒い犬が取り上げられている。一家は彼女が6歳の時に引っ越しをしたのだが、彼女のなかには漠然とした恐怖が残っており、一人目の子を出産した後にそれが余計に強くなっていた。そこで、彼女は古い記憶を掘り起こして幽霊話に没頭し、自分を悩ませているものの正体を解明しようとしたのだ。
 以前、バーンホルツはガゼル・ツインを操り人形に例えていたが、今回は自分自身を媒体として声をチャネリングさせている。アルバム中に撹拌された、薄気味悪いエレクトロニクスの響きは、時折不穏な静けさに中断され、聴く者を不安にし、時には不気味なサウンド・デザインと激しいヴォーカル・パフォーマンスの両面で、後期のスコット・ウォーカーを彷彿とさせる。完璧なハロウィーン向きのサウンドトラックともいえる。このアルバムは、ホラー映画『Nocturne』などの彼女の最近のスコアをリリースしているInvada Recordsからの初のソロ・アルバムとなっている。

だから子どもたちには、反抗心を植え付ける必要がある。学校では無理なら、家庭でね。

数日前に初めて『Black Dog』を聴いたのですが、ジェニファー・ケントの『The Babadook(ババドック 暗闇の魔物)』を思い出しました。この映画はご覧になりましたか?

GT:一度飛行機のなかで観たのだけど、もう一度観なくてはと思っています。自分が親になる前に観ていて、映画については微かな記憶があるだけ。いま観ると、また違ってみえると思う。

かなり不快に思われるかもしれませんね。ホラー的な要素がありながら、実生活での難しい子供の母親であることの痛みが混ざり合っていますから。見ているものが本当に超自然的なものなのか、あるいは母親の経験が明示されているのかがわからなくなります。

GT:この映画が公開され、自分が母親になってから、この映画について書かれたことをたくさん読みました。おそらくもう一度観たら、ショッキングだと思う。このレコードで出てきた表現のように。親にとっては間違いなく普遍的なものなのに、ほとんど語られることがないように思う。

その理由は、子どもを持つ経験をした人たちが、他の人が親になるのを怖がらせないようにするためでもあるのでしょうか?

GT:それもあるでしょう。そして、それは自分だけの唯一無二の経験だと思っていて、他の人が同じような経験をするとは想像したくないのかもしれない。そして、一定の人たちは、このことをどこかへ埋めて忘れてしまい、前に進みたい気持ちもあるのだと思います。女性が出産について語るときにも似ていて、あんなに痛くて大変な思いをするのは無理だと思いつつ、次の日には「ふむふむ。私はやり遂げた!」という感じ。でもときには、その経験があまりにも強烈で、無視できないこともある。想像以上に物事がひっくり返るような経験だから、みんながもっとそれについて語ればよいのにと思っている。それはすごく大きなトランスフォーメイションで、人間関係や、個人的な感覚や肉体的な感覚においてもそう。とても壮大で重大な出来事だから。これほど長い間、人間がそれを続けてきたことが信じられない! うまくいかないこともあるようだけど、それは起こり続けているしね。

幽霊や不吉なことに付きまとわれる性質には、ほとんど不安や憂鬱、そしてストレスがテンプレートのようにセットになっているのだと思う。物事には生理学的な繋がりがあって、幽霊のループでは、同じことを繰り返す幽霊と、同じ音を繰り返し出すことが繋がっているのではないかと感じる。

『Babadook』を思い浮かべたもうひとつの理由は、映画の結末を覚えていらっしゃるかわからないけれど、彼らを恐怖に陥れていた生物が、まるで手に負えないペットのように、地下室に住み着くことになってしまったからです。関係性が変わり、もはや恐怖の対象ではなく、共存することを学ぶようになった。あなたがアルバムで書いた黒い犬が、アルバムを通してヌメっと現れる存在であるところにも、共通点を感じました。

GT:そうね、それは魅力的な繋がりかもしれない。今晩、絶対に映画『Babadook』をもう一度観てみるわ(笑)。アルバムを制作する過程で、こういうものを観たり、接したりした微かな記憶を辿ったのだけど、当時は怖く感じていなかったことに気付いた。その奇妙さを思い出したのは歳をとってからで、兄弟や父と話して、彼らの同じような体験のヴァージョンを共有することで、これは奇妙で、変で、怖いことだと気がついたのです。このレコードでは、最初はごく大雑把に幽霊について書いたものだったのだけど、子ども時代から10代、大人、そして親に成長するまでの間に経験した不安や鬱との関係性と深くからみついたものになった。幼少期の記憶というのはずっと残っていて、ループされて止めることができないの。

ご兄弟やお父さんも経験したことだったのですね?

GT:たぶんね。いま、そのことを話そうとすると、兄弟はすごく積極的で真剣に語るから。彼にとっても多くのことが未解決なのだと思う。父の方は、いつもそのことを喜んで話してくれるんだけど、多くのことが、なんというか……ありがちだけど、時間がたつにつれて内容が変わっていくの。ストーリーが洗練されていったり、語り口も少し変化したり。でも、私と、特に兄弟が100%の確率で覚えているのは、それが小さな黒い犬だったということ。彼は犬がベッドの下で鳴いているのを聞いたというし、興味深いことに、犬を見たこと、匂いを嗅いだことも覚えているの。私が覚えているのはそれとはかなり違って、それはいつも、ただの影で、ベッドの横に存在する小さな頭部だった。父の話だと、夜中に犬が唸り声をあげたのを覚えていると。それはかなり怖いと思うけど(笑)。それらが、このアルバムのイメージの原動力になっているのはたしかね。でも同時に私のなかでも、それは、実存的で象徴的なものになった。幽霊や不吉なことに付きまとわれる性質には、ほとんど不安や憂鬱、そしてストレスがテンプレートのようにセットになっているのだと思う。物事には生理学的な繋がりがあって、幽霊のループでは、同じことを繰り返す幽霊と、同じ音を繰り返し出すことが繋がっているのではないかと感じる。このアルバムの制作時に、例えば何度もトラウマのような経験を思い返してしまうPTSDの仕組みと似ている部分が多くあることに気がついた。自分で助けを求めて行動を起こさなければ、そのサイクルを断ち切ることはできない。怪談も同じで、断ち切らなければならないループがあって、そのループは、トラウマになるような、精神的な苦痛をともなう経験によって引き起こされるのだと考えられる。ごめんなさい、話がゴチャゴチャになってしまった……。もう4杯もコーヒーを飲んでしまったわ。

いえいえ、全部いい話ですよ。Bandcampの『Black Dog』 のページには、このアルバムの制作期間が5年にわたったとありますが、かなり長い時間の作業だったのですね。

GT:そう、本当に長かったです。予想していたより長くかかってしまったけど、2年間は、COVIDで中断されてしまったし。COVIDよりも前に、もう一人子どもを産もうと決めていて、最初のロックダウン中にその子供が生まれた。これには良いこと、悪いことの両方があったけど、より時間をかけて考えを煮詰めることができたわ。このアルバムを作ろうと思ったのは、本当に瞬間的なことで、『Pastoral』ツアーの最終公演の会場が幽霊の出そうな場所で、一歩足を踏み入れると、瞬時に違和感と不快感に襲われた。そこに何か得体のしれないものがいるような。その場所に居るのが嫌で、ショウの間は本当に不安だった。でもその日、ショウの後に「次のアルバムは幽霊をテーマにして、自分はその霊媒になろう」と思いついた(笑)。複数の声を通す導管になるというのが2019年頃の計画だった。それ以降、その計画が頭にあって、超常現象や幽霊や祟りについての話や理論に浸っていた。ポッドキャストや映画、本などを通じて、本当に怖くなり、心が高ぶっていった。知人にもそれぞれの物語を語ってもらった。できるだけ多くのヴァージョンを集めたかったし、これまでに自分の超常現象について語ったことのない人たちの話も聞きたかったから。

このような探求プロセスを経た後、どのようにして音楽で表現するに至ったのですか?

GT:おかしな話だけど、そのこととの繋がりを意識する前に、すでに多くの曲を作っていた気がします。アルバムの大半は、今年のはじめ頃に作ったの。音楽をわりと早く完成させることができたのは、それまでに大量の感情や思考を貯め込んでいて、今にも吹き出しそうだったから(笑)。その前年の夏に友人の家でサンプルをたくさん作っていた。Moog (Sound) Labという、基本的には可動式の素晴らしいアナログ・スタジオを使用する機会を得たの。全部ヴィンテージのMoogの機材で、さらにサリー大学のものだと思われるヴィンテージのVCS3もあって、光栄にも、夏の間、借りることができた。私の家にはそれを置く場所がなくて、友人の家に置かせてもらったというわけ。私は友人の家に行って奇妙な音を出して、音源を家に持ち帰り、コンピュータに入れるだけであまり触らなかった。そして、今年の初めにまたその作業を再開し、曲に編み込み始めた。音楽作りはとても幽玄なことだと思う(笑)。私にとって、完成するまでは、それが何の意味も持たないものに思えるし、私の脳がそうなっているのかわからないけれど、半分ぐらいはやったことを覚えてもいないの。ただ、何曲かは、レコーディングするのにかなりの苦痛が伴う作業だったことは覚えている。すべてが一気に出てきて、歌詞も溢れ出てくる。レコーディング中、私はとても感情的になり、自分を律する必要があった。それと同時に、溢れ出てくるものに驚いてもいた。「これは何? 私から溢れ出てくるこれは何なの?」と。

このアルバムについてあなたが言っていた、媒体としての役割についてですが、過去にあなたはガゼル・ツインをご自身のアイディアを表現する操り人形のようなものだと説明しました。表面的には、操り人形と媒体は似たような機能を持つものだと思えるのですが、あなたにとっては違いがあるのでしょうか?

GT:そうね、とても近いものだとは思います。たぶん、媒体という概念は、幽霊のルートを辿る以前から頭にあったことだと思う。ガゼル・ツインについては、何枚かアルバムを出したり、プロジェクトを進めたりするうちに、自分自身のキャラクターやヴァージョンが乗っとられるのを許容した自分を感じたのだけれど、でも実はそれとはまた何か違うものだったりする。過去2枚のアルバム『Pastoral』と『Unflesh』では、それらのキャラクターに独自の方法で命が吹き込まれたのです。ライヴ・パフォーマンスでは、私の体のなかで事前に計画したわけではない動きが生まれ、それがぴたりと合って、自分の体のなかを力強く流れているように感じました。まるで憑かれているような、ほとんど悪魔的な奇妙な出来事で、その体験が、まるで霊媒になって自分のなかに霊魂を流し込むようなことだと感じた。その時、幽霊のことを思いついて、そのふたつを掛け合わせてみたというのが本当のところかな。

11月には、このツアーが予定されていますよね。どのような内容になるのでしょう?
この音楽のレコーディングは苦痛の伴うものだったとお話されましたが、そのような経験を何度も繰り返すことになるのでしょうか。あるいは、繰り返すうちに楽になるのでしょうか?

GT:最終的には後者の方であってほしいです。ライヴについては、おそらくそれが理由で、これまででいちばんアンビヴァレントな気持ちになっています。まず、今回は仮面を伴わずに、自分をさらけだすことになるので。完全な自分自身であるとは言わないけれど、私という者の正体が見えやすいでしょう。音楽も、このレコードでは鼓動が高まるような激しく容赦のないビートは多くない。瞬間的にはそのような場面もあるけど、今回は大きく、感情的に歌いあげる部分や大きなコード・チェンジもあります。レコードを通じてムードが大きく変化する。これまでのライヴでは、容赦なく鼓動が高まるような、まるでワークアウトのような状態を、深く考えることなくできていましたが、今回はより多くの思考や、うまくペースを作ることも必要になる。正しいウォームアップが必須だし、自分の身の置き所を間違えないようにしないといけない。

そうそう、このアルバムであなたは本当に歌いあげていますよね。思いっきり!

GT:本当に、大きく歌い上げる場面が多いんです。ツアー中に風邪でもひいたら台無し。

そういう季節でもありますしね。

GT:そうなの。すでにCOVIDや胃腸炎などの悪夢へと向かう時期だし。ツアーに出るには最悪の時期だけど、なぜかいつもこの季節になってしまう。秋にアルバムを出し、寒くて皆が体調を崩しやすいときにツアーに出るという……。

長い間、インディーズで音楽をリリースしてきたガゼル・ツインのソロ・アルバムを、初めてレーベルからリリースする理由は何でしょうか?

GT:長年、私をサポートしてくれている〈Invada Records〉との継続的で本当に素晴らしい友情と関係を築くことができ、彼らが私にチャンスを与えてくれたからです。『Pastoral』の後、私はそれを喜んで受け入れました。それまでは、すべてのレコード発売のためにPRS基金(イギリスの新しい音楽と才能開発のための慈善資金提供団体)やその他から資金を調達し、関係者に報酬を支払い、作品を制作して世に送り出すまで、あらゆることをする必要があった。いずれはレーベルと契約したいという野心は常に持っていました。誰かと一緒に仕事をすることで、スケール感を大きくすることができるし。オファーされたとき、頭を悩ます必要はまったくなかった。私は物心ついた頃からポーティスヘッドの大ファンだったし、ジェフ・バロウが〈Invada Records〉と関係があることは知っていたから。私は彼に少しばかり恐れを抱いていたと同時に、いつかは出会えるかもしれないと密に期待していました。まだ会えてはいないけど、会えることを願っています。

まだ会えていないのですか。

GT:そうなんです。彼らはブリストルにいるし、ロックダウンやら、子どもたちの誕生やら色々なことがあったので、まだブリストルに挨拶しに行けていません。でも2月にブリストルでショウをやるので、その前には彼らに会えるといいいのだけど……。これまではすべてがリモートで行われていたし。皆信じられないほどのハードワーカーで、思いやりにあふれた人たち。長いお付き合いになるといいのだけど。いまこの時というのは、音楽業界にとって非常に厳しい時期で、Brexit(英国EU離脱)がそれをさらに悪化させている。彼らには、『ストレンジャー・シングス』のサウンドトラックのような大きなリリースもあるのに、それさえも利益を出すのが難しいと聞いて、とても憂鬱な気分になります! でも、彼らは仕事を続けていて、それを目の当たりにするのはすごく刺激的。彼らはその仕事を愛しているから、やらずにはいられない。そのような姿勢の人たちと仕事をするのは最高です。

多少、頑なで血の気の多いぐらいの方が、長い道程を歩めることもありますよね。

GT:その通り。粘り強く、できることをやり続ける。沈没しない限りは。タイタニック状態でない限り!

ただただ、希望の光が差し込むことを願うばかり。トーリー党はもう終わらせなければならない。彼らが一掃されなければ、おかしいと思う。そうでなければ、その時点で私は絶望してしまう。だからこそ、私はファンタジーの世界に引きこもるの(笑)。

『Pastoral』の話に戻りますが、これはBrexitの後、私が最初に聴いたアルバムのなかで、イギリスで起こった大きな分裂について、心の中を整理する方法を教えてくれたもののひとつでした。他の多くの人にとっても、同じように心に響いたようですね。

GT:そのようですね。なぜだかはわからないけれど……。まず、タイミングはよかったのだと思う。インディーズでのリリースで、少々PRSの資金提供は受けていたけど、広く流通させるつもりはなかった。でも、なぜか人びとの心に響いたようで、いくつか素晴らしいレヴューや書き込みがありました。ただ自分が田舎に引っ越したときの気分をレコードにしたつもりだったから、驚いたというのが本当のところ(笑)。イギリス人であること、突然そのアイデンティティについて少し疑問を感じてしまうこと。私は常に歴史に興味を抱いてきたけれど、歴史と宗教などがアイデンティティを形成し、それがイギリス人のアイデンティティにどのように使われてきたのか。私は親になったばかりだったので、少し変になりそうだった。そのことを心底バカにしたり、からかったりしたいと思っていた。少しパンクな態度をとろうと思った。本当に悔しかったし、腹立たしく感じていから!

それを発表して反響を得たいま、あなたはイギリスについてどのように感じていますか? 遠くから見ていると、どんどん悪化しているように見えるのですが。

GT:相当ひどい状況だと思う。私の知り合いでも億万長者でないほとんどの人は宮殿のなかでほんの数人によって決められたことのせいで、突然、ライフスタイルのダウングレイドを余儀なくされた。私は自分の正気を保つために、政治の話についての記事や、それにまつわる日々更新されていく負のループから距離をとる必要があった。私は自分の子どもたちの幼少期を、常に絶対的な落胆や鬱々とした感覚に覆われたものにはしたくない。でも、残念ながら彼らはすでにそれらの影響を受けているし、これからの彼らの人生にもかなり影響すると思う。腹立たしいのは、1980年代のトーリー党(保守党)の時代でさえ、私はもっと良い時間を過ごしていたということ。学校では、私に親切ではなかった数人を除けば、楽しく過ごせたし、良い教育、音楽教育を受けることができた。

(音楽教育は)いつも真っ先にカットされるものですよね?

GT:本当に信じられない!  トーリー党のイデオロギーのどこかに、アーティストたちが物のわかった人たちであることを知っていて(笑)、彼らの繁栄を許せば、自分たちの所にやってくるという認識があるのではないかと思う。それはあるんじゃないかな。だから子どもたちには、反抗心を植え付ける必要がある。学校では無理なら、家庭でね。

次の総選挙に期待。

GT:ただただ、希望の光が差し込むことを願うばかり。トーリー党はもう終わらせなければならない。彼らが一掃されなければ、おかしいと思う。そうでなければ、その時点で私は絶望してしまう。だからこそ、私はファンタジーの世界に引きこもるの(笑)。まったく異なる方向に興味を持つことの方が、よほど見返りがあるというものよ。ところで、あなたは日本のどのあたりに居るの?

東京です。

GT:ああ、そうなの! 本当にいつか東京に行ってみたいと思っているの。ショウをしにでも、旅行でもいいから。息子たちがスタジオ・ギブリの大ファンだし。私、正しく発音できてた? 「ギブリ」?「ジブリ」?

「ジブリ」ですね。

GT:なるほど。これでわかったわ!

いまは、ジブリ・パークもあるんですよ。映画に出てきた場所などが再現されていて、『となりのトトロ』の家に行ったりできる。

GT:ああ、それは子どもたちより私の方が興奮するかもしれない。今日も家を出るとすぐに「Hey Let’s Go」(「さんぽ」の歌詞〝あるこう〟の英語版)を口ずさんでいたぐらいだから。うちの子のひとりは、レインコートを着て、もうひとりは小さな虎のつなぎを着ていたのだけど、車のなかではこの曲をかけさせてくれず、かわりにヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースの“パワー・オブ・ラヴ”をかけさせられたわ。

それは興味深いチョイスですね。

GT:彼らは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が大好きだからね。とくに車のデロリアンが。実は、私が子どもの頃に好きだったものばかりなんだけど。

 

interview with Gazelle Twin

by James Hadfield

The work of Gazelle Twin – the alias of composer, producer and singer Elizabeth Bernholz – has been defined by transformation. When she debuted with “The Entire City” in 2011, she performed in a costume inspired by Max Ernst’s birdlike alter ego, Loplop. With 2014’s “Unflesh,” she donned an outfit based on her school PE kit and pulled a nylon stocking over her face while performing visceral body(-horror) music. 2018’s “Pastoral,” her most acclaimed album to date, found Benrholz she adopting the guise of a malevolent harlequin in Adidas trainers and baseball cap, as she took aim at Brexiteers and the toxic heritage of Little England.

On new album “Black Dog,” the masks are off, but she still isn’t quite herself. The album reaches back to the early years of her childhood, spent in a converted farmhouse in Kent, where she and some of her family had encounters with a supernatural presence – the black dog of the title. Although the family moved when she was six, an inchoate fear stayed with her, and grew stronger after the birth of her first child. So she started dredging up old memories and immersing herself in ghost stories, trying to understand what exactly was haunting her.

While Bernholz has previously compared Gazelle Twin to a puppet, this time she saw herself as a medium, channeling voices. The album’s churning, eldritch electronics, punctured by moments of uneasy calm, make for a disquieting listen, at times recalling late-period Scott Walker both in the uncanniness of the sound design and the intensity of the vocal performances. A perfect Halloween soundtrack, in other words. It’s her first solo album for Invada Records, which has also released some of her recent scores, including for the horror film “Nocturne.”

I listened to “Black Dog” for the first time a few days ago, without reading anything about it beforehand, and it was making me think of Jennifer Kent’s “The Badadook.” Have you seen the film?

I’ve seen it once, on a plane, and I really need to revisit it. I have a faint memory of what that film is, and I watched it before becoming a parent. I think it would be very different watching it now.

Yeah, it might be quite uncomfortable. The way it has this horror element, but then just mixed in with the real-life pains of being a mother to a very difficult child. It makes you question whether what you’re seeing is something genuinely supernatural, or if it’s this manifestation of what the mother is going through.

I’ve read a lot about it since it came out, and since I’ve become a parent. I think it’s going to be a bit mind-blowing if I watch it again, in terms of what has come out on this record – which is a universal thing, no doubt, for parents. It’s just rarely spoken about, I think.

Do you think that’s partly because people who've gone through the experience of having kids don't want to scare anyone off from becoming parents themselves?

I think it is partly that. I think also, you know that it’s your experience, and unique, and you don’t want to presume that anyone else will necessarily have that same experience. I think also, there’s a certain degree of wanting to just bury it, and just move on. It’s kind of similar to how women talk about childbirth. You can’t believe that it’s possible to go through so much pain and effort, but then the next day you’re like: “Hmm! I've done it.” But sometimes, the experience can be so intense that you can’t really ignore it. I wish people did talk more about it, because it really does turn things upside down, in many ways – many more ways than I ever imagined it would. It’s a huge transformation that happens: in a relationship, but then in your own individual sense, and your physical sense. It’s just an epic, momentous thing. I can’t believe people have been doing it for so long! It doesn’t seem to work that well, sometimes, but it does keep happening.

I guess another reason I was thinking of “The Babadook” is because – I’m not sure if you remember the ending of the film, but this creature that’s been terrorising them, they end up with it living down in the basement, almost like an unruly pet. It’s like the relationship has changed, so it’s not this object of fear any more, but something that they're learning to coexist with. Reading what you’ve written about the black dog – which is this presence that looms throughout the album – it seemed like maybe there was some similarity there as well.

Yeah, that’s a really fascinating connection to make. I'm definitely going to go and watch “The Babadook” again tonight (laughs). Through the process of making the album, I went from these very faint memories of this sort of thing that I would see, and interact with – which I was never afraid of at the time. It was only through the bizarreness of remembering it when I was older, and then conversations with my brother and my dad about their version of it, that made me think: God, that’s creepy and weird, and scary. The record started out as something, very broadly, about ghosts, and became much more intertwined with my development from childhood into teenhood, into adulthood, into parenthood, and the connection with anxiety and depression. These memories of childhood just linger, and they stay with you – it's just like this loop that doesn’t stop, and I couldn't put it to bed.

So this is something that your brother and dad also experienced?

Well, supposedly. I mean, when I try to talk to them about it now, my brother’s very active and very serious about it. For him, a lot of it, I think, is unresolved too. I know that my dad was always really happy to talk about this stuff, but a lot of it’s kind of... you know, things change over time, the way people tell their story. The story gets refined, or the narrative slightly shifts. But from what I remember – and my brother absolutely, 100% remembers this – it was a small dog, a small black dog. He remembers hearing it under his bed, he remembers seeing it and smelling it – which is quite interesting. For me, it was very different: It was just a shadow, it was a small head that was by the bedside. My dad, I think, had a story about seeing it growling at him in the night, which is pretty terrifying (laughs). And obviously, that drives a lot of the imagery of the album. But also, it’s become something that's really quite symbolic to me, as an existential thing, really. I think there’s so much in the nature of ghosts and hauntings that is almost like a template for anxiety and depression, and stress. I feel like there’s connections in the physiology of things, the looping of ghosts – if you're talking about a ghost that does the same thing over and over again, or the same sounds. I became aware, when I was making this album, just how many similarities there are with how PTSD works, for example, and you’re reliving a traumatic moment, over and over again. You can’t break the cycle until you seek help and you do something about it, and it feels like ghost stories are the same. They’re this kind of loop that needs to be broken, somehow, and those loops are supposedly caused by these emotionally traumatic events. Sorry, I’m really, really waffling. I’ve had four coffees.

No, it’s all good. Looking at the Bandcamp page for “Black Dog,” it says you were working on the album over a five-year period. So it was quite a drawn-out process, right?

Yeah, really long. Longer than I really expected, but we had a couple of years’ interruption with COVID. I’d already decided before COVID that I was going to have one more child, and it just so happened that I had that child in the first lockdown – which was good and bad, really, but it gave me more time to just sort of stew. I made the decision to make the album, really, on a split-second moment – on the last show of the “Pastoral” tour, in fact, in what I felt was a haunted venue. I’d walked in and felt instantly different and weird. I just had that instant sense of, like: There’s something in this room. I really didn’t like being in there, and I was really anxious during that show. But that day, at the end of that show, I thought: I’m going to make the next album about ghosts, and I’m going to be a medium (laughs). I'm going to be like a conduit for multiple voices to come through – that was the plan, back in 2019. Then over that period of time, I kind of kept that in my head, and I just lived and breathed stories and theories about the supernatural, and about hauntings and ghosts. I was listening to podcasts, watching films, reading books – getting myself really scared and worked up. I was asking people I knew, as well, to send me their stories, because what I wanted was to have as many versions of paranormal events as I could, stuff from people that have never really spoken about it before.

When you’re going through all this process of exploration, how did you then go about expressing that in music?

Well, it’s funny, because I think I'd probably made a lot of the music before I’d clocked the connections. I think that the majority of the album was made this year, the beginning of this year. It came out quite quickly, and I think I’d just stored up so much of these feelings and thoughts that I was ready to blow (laughs). I’d made a lot of samples in my friend’s house the previous summer. I had the chance to use the Moog (Sound) Lab, which is a really amazing analogue studio, basically, that’s mobile. It’s all vintage Moog equipment – plus there was a vintage VCS3, which I believe belongs to the University of Surrey, that lent it to me for the summer. I was really privileged to have that, and my friend had to put it in their house, because I didn’t have space for it. I’d be going there and making these weird sounds, and then bringing them home and just putting them on my computer and not really touching them. But then I went back to it early this year, and started to kind of weave them into songs. Making music is a very ethereal thing, I think (laughs). For me, it doesn’t really seem to make any sense until it’s all done. I don’t remember even doing half of it – I don’t know if that’s just the way my brain is – but I do remember that quite a few of the songs were very wrenching to record. They would come out in one go, and the lyrics would just sort of pour out. I’d be very emotional during the process of recording, trying to sort of gather myself up, but also kind of surprised at what was coming out. It was like: What is this? What’s this thing flowing out of me?

With what you were saying about acting as a medium on this album: In the past, you've described Gazelle Twin as being like a puppet for your ideas. On the face of it, a puppet and a medium would both seem to serve a similar function, but what’s the distinction for you?

Yeah, I think it’s very close. I think the idea of the medium thing had already been in my head, before I’d gone down the ghost route. I’d actually thought of Gazelle Twin – you know, having come a few albums down the line, and a few projects down the line – I thought it’s like I'm allowing myself to be taken over by these characters, or these versions of myself, but they’re kind of something else. With the previous two albums, “Pastoral” and “Unflesh,” those characters came to life in their own, very unique ways. In the live performance of them, there would be movements that would just happen, in my body, that I didn’t plan, but they felt really right – like it was fully flowing through me, that energy. It’s almost like being possessed. It’s this almost demonic, strange event. So I had it in my head – I was thinking it’s like being a medium, and letting these spirits flow through me. Then I hit on the ghost thing, and I just put those two things together, really.

You're going to be taking this on tour in November. What’s that going to involve? You were just saying how wrenching it was to record some of these songs – do you think you’ll be having to go through that experience again and again, or will it perhaps become easier with repetition?

Well, I hope the latter, by the end. I am more ambivalent than ever about the live shows – for that reason, I think. Firstly, I don’t have the mask thing going on: I’m very much revealed. I wouldn't say I’m completely myself, but I’m very much visible. And with the music, there isn’t so much pounding, intense, unrelenting beats on this record. There are moments of that, but there’s a lot of moments of big, emotional singing – and chords, lots of big chord changes. There’s a lot of shifts in mood throughout the record. I think where I’ve previously been able to put on a live show that’s just relentless and pounding, and it’s kind of a workout situation – I can do it without thinking too much about it, and really go for it – this time it’s going to require a lot more thought, and a lot more pacing. I’m going to need to really warm up properly, and get myself in the right space and stuff.

Yeah, because you really belt it on this album. I mean, God!

There’s a lot of big singing, yeah. I’ll be buggered if I have a cold or anything throughout the tour.

Yeah, it’s that time of year as well, isn't it?

Yeah, exactly, I know. We’re already heading into the nightmare of COVID and stomach bugs and all that. It’s the worst time of year for me to ever be going out on the road, but it just happens that way every time. I always end up doing autumn records, and going and touring when it’s freezing, and everyone’s ill.

Having released all your music independently for such a long time, this is the first Gazelle Twin solo album that’s coming out on a label. What was the reason for that?

Just a sort of ongoing, really nice friendship and relationship with Invada Records, who had begun to support me over the years, and they just offered me that chance. I was all for it, after “Pastoral.” I’d gone through various stages of funding to release every record that I’d done; I had to have funding from the PRS Foundation and elsewhere to make that happen, to pay people, to get it made and get it out there. I’d always had the ambition to be signed, eventually, because it’s potentially a really nice thing to have – to work with somebody, and to be able to increase the scale of what you do. It was a no-brainer for me when they offered. For as long as I can remember, I was a huge Portishead fan, and I always knew that Geoff (Barrow) was associated with Invada Records. Whilst I was a bit terrified of him, I was secretly hoping that one day I might be able to meet him – I haven’t yet, actually, but I hope to.

Oh, have you not?

No, because they’re in Bristol, and since all this stuff’s been happening, it’s been lockdown and kids, so I’ve never been able to get back to Bristol to say hi or anything. But I’m doing a show in Bristol in February. Hopefully I’ll see them before then – but no, everything’s been remote so far. They all work so hard – I can’t believe how hard they work – and they really care. I hope it’s a longterm relationship. It just happens to be a really bad time for the music industry at the moment, where Brexit makes it even harder. Some of the records that they’ve released, like the “Stranger Things” soundtrack – these are huge, huge things. And to know that even that is hard to make a profit, or whatever, it’s so depressing! But they carry on doing it, which is more impressive, because they just love it so much. It’s all they know. I love working with people who have that attitude.

A bit of bloody-mindedness gets you a long way, sometimes.

Absolutely. Yeah, you’ve got to be persistent, and just carry on if you can. As long as things aren’t sinking. As long as you’re not in a Titanic situation!

Just going back to “Pastoral”: After Brexit, it was one of the first albums I’d heard that really gave me a way of, I guess, processing this great schism that had happened in the UK. It seems like it resonated with a lot of other people, too.

Yeah, I mean, I don’t know... well, I do know why. Firstly, I think just the timing was probably quite lucky. You know, it’s an independent release. I had a bit of PRS funding, but we hadn’t planned for it to get really widely distributed. But it did seem to chime with people, and there were a couple of really excellent reviews and write-ups about it. I was surprised, really, because I thought I’d just made a record about what it feels like to move to the countryside (laughs). And being English, and then suddenly facing that identity and questioning it a bit, and wondering. You know, I’ve always been interested in history as well – history and religion, and how these things make an identity, and how they’ve been used in English identity. But I was also a new parent, and going a bit crazy. Also, I felt like I really wanted to mock things. I really wanted to take the mickey a bit, and just have a little bit of a punk attitude towards it. I was really frustrated, really angry.

Having put that out and seen the response it got, I was wondering how you feel about England now? Because looking from afar, it seems like stuff just gets worse and worse.

It’s a bit of a shit show, I think. For most people I know who aren’t millionaires, they are suddenly having to downgrade their lifestyle because of decisions made by a few people in a palace. I have had to step away from reading all about political life, being connected to the eternal loop of misery that is generated on a day-to-day basis, just for my sanity. I don’t want my children’s early years to be constantly overshadowed by this sense of absolute dejection and gloom – but unfortunately, it’s affecting them, and is going to affect them for a lot of their lives. It makes me so mad that this stuff is even... you know, I had a better time in the 80s, and it was still a Tory government. I had an amazing time at school – apart from individuals who weren’t kind to me – but in terms of education, music education.

It's always the first thing that gets cut back, isn't it?

It begs belief, doesn’t it? I think, somewhere in the Tory ideology, they know that artists are enlightened (laughs) and they know that they’ll be coming for them if they’re allowed to flourish. That’s part of it, really. There’s that rebelliousness that needs to be instilled (in children) – if it’s not at school, then at home.

Roll on the next general election.

I hope that genuinely brings a glimmer of hope. I mean, the Tory party have to be finished. I’d find it ludicrous if they didn’t get wiped out. I’d be in despair at that point, I think. But I think this is why I retreat into a world of fantasy (laughs). It’s so much more rewarding, isn’t it, just to be interested in a completely other dimension. Whereabouts in Japan are you, by the way?

Tokyo.

Oh, wow. I really hope to come to Tokyo one day, whether for a show or just to visit. I’ve promised to bring my boys there one day, because they’re massive Studio Ghibli fans. Have I said that right? Is it “Gib-lee” or “Jib-lee”?

“Jib-lee."

Right. Now I know!

They have the Ghibli Park now, as well. They’ve recreated some of the locations from the films, so you can go to the house from “My Neighbour Totoro” and stuff like that.

Oh, I’d probably be more excited than my children. I was literally singing “Hey let’s go!” as we left the house this morning. My little one was in a raincoat and one in a little tiger suit. They didn’t let me put it on in the car – we had to listen to "The Power of Love" by Huey Lewis and the News instead.

That’s a curious choice.

Well, they love it because of “Back to the Future.” They love the car, the DeLorean. It’s all stuff that I loved, really, when I was a kid.

 まるでプラトンの「洞窟の寓話」みたいだ。男性優位にもとづいた家父長的な観念の数々が何千年ものあいだ女性の経験をかたちづくってきたために、その外でシスターフッドを概念化することは難しいし、ましてそれを定義することは難しい。
 いずれにせよ私は、フェミニズムがこんにち辿りついている地点を疑わしく思っている。いうまでもないことだが、たとえば日本とアメリカのあいだにある社会的・文化的なニュアンスの違いは、結果として女性の行為についての異なる基準を生みだすことになる——つまりジュディス・バトラーが述べたとおり、「ジェンダー[役割の数々]は行為遂行的なものであり[……それらが]行為されるかぎりにおいて実在する*2」ものなのだ。だけどけっきょくのところいま、ニューヨークから東京まで、誰もが同じ経験をしている。つまりいま現在のフェミニズムのなかでは、女性にたいする抑圧のメカニズムそのものが、私たちをエンパワーするための鍵としてブランド化されてしまっているのである。 
 とはいえ、10年たらず前まで、フェミニズムは刺激的な危険地帯に身を置いていた。#Metooの示した展望のあとで、いったい私たちは、どうしてこんなところに辿りついてしまったのだろうか?
 そのピークにおいて#Metooは、——そもそも女を支配し沈黙させる性質をもつ家父長的な管理が、原初的なかたちをとってあらわれたものである——性的暴行の証言とともに、有名無名を問わない女たちを公の場へと連れだした。2000年代初頭にこの運動を開始したとされるタラナ・バークの言葉を引用するなら、「”Me too”はたった二語で十分だった。(……)暴力は暴力である。トラウマはトラウマだ。だけど私たちはそれを軽んじるように教えこまれ、子供の遊びのようなものだと考えるようにさえ教えこまれている」
 だけどミュージシャンたち——つまり明確に社会のサウンドスケープを形成している者たち——は、2010年代なかばの絶頂期のさなかで、奇妙なほど沈黙したままだった。とはいえ、少数の女性たちが名乗り出たことは賞賛されるべきだろう。なかでもとくに挙げられるのは、虐待を受けたマネージャーにたいする10年以上に及ぶ訴訟につい最近決着をつけたばかりのケシャや、レディー・ガガビョークテイラー・スイフトなどの名前だ。とはいえしかし、こんにちのフェミニズムをより生産的な方向へと導きうる道しるべは、まさにいま現在ポップ・ミュージックのなかに身を置いている女性たちをより深く掘り下げてみることによって与えられる。

もうひとつの“F”ワード
——いったいいま誰がフェミニストになることを望んでいるのか?

 スキャンダラスな——いやむしろ虐待的な——男性ミュージシャンたちは、実質的にひとつの原型になっている。長い間彼らには、その行動にたいするフリーパスが与えられてきたのだ。マイケル・ジャクソンは金目当ての子供たちに性的虐待なんかしていない。たしかにデイヴィッド・ボウイは14才の「グルーピーの子供」とセックスしたが、彼女は自分からその状況を招いたのだ。だとしても、ではあの悪名高いレッド・ツェッペリンのサメ事件はどうなのか? いずれにせよいつも、「男ってのは困ったもんだ」で済まされるのだ。カニエ・ウエストでさえ擁護者を抱えている。YouTubeのコメント欄をざっと見てみると、敬虔なイーザス信者の軍勢がいることが見えてくる。なかでもとくに、以下のような悲痛なコメントは、こちらをノスタルジーというボディーブローで連打してくる。「カニエは『Graduation』を作った。『Graduation』を作った。『Graduation』を作ったんだ!」*3
 どうやら男たちの場合、アーティストと彼の作るアートは、つねに切り離すことが可能らしい。
 だがしかし、女たちの場合はどうだろう?
 人類学者のルース・ベハーは『Women Writing Culture』において、あえて発言する女たちに突きつけられる期待をあきらかにしながら、「女たちが書くとき、世界は見張っている*4」と警句めかして書いている。女性ミュージシャンたちもまた、その発言にかんして——文字どおりそれを注視するような——同様の圧力に直面している。よく知られているとおりだが、シネイド・オコナーが教皇の写真を破った直後にキャンセルされたことを思いだしておこう。より最近の例として、ラッパーのアジーリア・バンクスは、楽曲よりもそのスキャンダルで有名になっている。また誰もが覚えているとおり日本では、AKB48のメンバーが、ボーイフレンドと夜を共にするというとんでもない犯罪——嗚呼!——を犯したために、頭を丸め、公に謝罪したのだった。
 悲しいことに#Metooは、たった数年で頓挫しだしたが、おそらくそれは、不幸にも性的暴行とコミュニケーション不足が結びつけられていったからだろう。2022年になるとハリウッドは、配偶者からの虐待を主張して彼の「名誉を毀損」した元妻アンバー・ハードとの訴訟に勝ったジョニー・デップを、やさしく諸手を広げて受け入れた。#Metooのあとで、私たちに伝えられているメッセージはこれまで以上にはっきりしたものになった。私たち女は、火あぶりにならないよう目立つようなことはしないのが一番なのだ。
 当初は#Metooや、ジョー・バイデンにたいする性的暴行の申し立てを支持していたレディーガガが、にもかかわらず大統領就任式で歌うことになったのは、きっとそうした圧力があったからなのだろう。だがこのことはむしろ、アメリカの(そして他の後期資本主義社会の)政治が激しく分岐していることの証明なのかもしれない。「すべての女たちを信じる」[#Metoo運動のなかで生まれたスローガン”Belive women”の派生系。ハラスメントや暴行の申し立てをまずは信じることを主張する]——なるほどね、だけどそうすることが政治的に不都合じゃないかぎり、でしょ?
 またおそらく——以前は自身がフェミニストであることを宣言する光り輝く巨大な電飾の前でパフォーマンスをしていた——ビヨンセが、女性問題にたいする公然としたサポートをやめたのは、#Metooのあとで、もはや社会の同意が得られなくなったからなのだろう。
 あるいはまた、おそらくこのことは、あの業界の寵児について、そう、テイラー・スウィフトその人について説明するものでもあるはずだ。私は自分が「スウィフティー[Swiftie:スウィフトのファンの通称]」だとは思わないし、スフィフトが——フェミニスト的な立場を主張していたのに——カニエ・ウエストの「Famous」のなかの悪名高い歌詞(自分とスウィフトは「まだセックスしてるかもしれない」というもの)を[発表前に知っていながら]知らないふりをしていたことを、[カニエの元妻の]キム・カーダシアンが暴露したときは、真剣に眉をひそめもした。しかしキャリアがスタートに見られたコンプライアンスを重視するその公的な人格は、結果として彼女のファン層(とその経済的自由)を築きあげ、そして最終的には、いまいる場所まで彼女を辿りつかせることになった。こうして彼女はいま、倫理的な理由でSpotifyから楽曲を取り下げたり、最初の6枚のアルバムを自身のアーティストとしてのヴィジョンに合うように再録したり、摂食障害について率直に語ったりしているわけである。
 だからこそ、キム・カーダシアンには[SNS上で]すぐに捕まったとはいえ、スポットライトの外で一年を過ごしたすえに18キロも痩せて帰ってきながら、歴史に残るカムバック・アルバム『Reputation』であからさまに中指を突き立て、次のように歌っていた頃のテイラー・スウィフトこそが、私は大好きなのだ。「私は誰も信じないし、誰も私を信じない。私はあなたの悪夢の主演女優になってやる」  あれこそが最高(バッドアス)だった。

女の性の力

 #Metoo以降、他に何が起きたのかを考えてみよう。グローバル経済は着実に下降している。アメリカ人たちは2008年の破綻以降いまだにふらついたままだ。一方で日本では、バブル崩壊以後の終わりのない不況が、長い戦後史上でも最低の円安を招いている。またコロナ禍以降、インフレによって貧富を分けるうんざりするような隔たりが世界中で広がっている。
 苦境にあえぐ経済は、同じ立場で男が1ドル稼ぐあいだ、こんにちにいたってもいまだに77セントしか稼げていない女たちにとって、とくに深刻な含意をもっている。そうした状況がある以上、セックス・ワークが——なかでもOnlyfans[ファンクラブ型のSNS]のような界隈のなかや、「シュガー・ベイビーズ」というかたちでおこなわれるそれが——これまで以上に魅力的なものに見えているのも当然だといえる。『Harper’s Bazaar』誌でさえもが、カーディ・Bがストリッパーだったことを梃子にして登りつめたことを「シンデレラ・ストーリー」だと表現するくらいだ。
 「WAP」で共演しているメーガン・ザ・スタリオンは自身のリリックのなかで、ごくシンプルに、「この濡れたマンコにキスしたいなら学費を払ってよ」と歌っている。
 カーディ・Bのブランドになっている、いわゆる「売女ラップ[slut rap]」の土台には、当時としては革命的だった1990年代の遺産が横たわっている。リル・キムの“How Many Kicks”やキアの“My Neck, My Back (Lick It)”といった曲が、その当時のヒップホップの場を地ならしし、女たちも、異性をモノのように扱うことで悪名高い男たち——私がここで思い浮かべているのはスヌープ・ドッグの“Bitches Ain’t Shit”やジェイ・Zの“Big Pimpin’”のような曲だ——に肩を並べることができるようにしたのは疑いないことだ。
 だがけっきょくのところ売女ラップは、男性の眼差し(メイルゲイズ)からの持続的な解放にはいたらなかったと言えるのではないだろうか? 私は何もここで、女性のセクシュアリティや、「世界最古の職業」(このこと自体、女の「選択」よりも男の欲望の方が優先されてきたことの例だが)を侮辱しようというつもりはない。そうではなく——とくに女性のセクシュアリティの表象がどんどんと男性の眼差し(メイルゲイズ)におもねったものになっている状況のなかにおいて——こんにちのフェミニズムが、そうした選択は女性たちをエンパワーするものだと主張していることに疑問を投げかけたいのだ。もちろん、少なくともエルヴィス以来ずっと、ポップスターたちは自身のセクシュアリティを資本化してきたわけだが、ガールパワーを伝えるものだったローリン・ヒルの“Doo-Wop (That Thing)”やシャナイア・トゥエインの“Any Man of Mine”、ノー・ダウトの“Just a Girl”といった90年代のヒット曲は、“WAP”を隣に置かれると、まったくもって禁欲的なものに見えるてくる。
 つまり私たちのもとにはいま、男性ミュージシャンにたいして、何でもいいがたとえば、「バカなことするのはやめて」と頼みこむ代わりに、その先には袋小路しかない「性的エンパワーメント」なるものへと向かう道をどんどんと突き進んでいく女性のポップスターたち——しかも男性プロデューサーからなるチームに指導された*5女性ポップスターたち——がいるのだ。ドレイクが自身[と21サヴェージ]のアルバム『Her Loss』のなかでフェミニズムに言及しているのは、よく言えば自分で自分に鞭を打っているようなものだが——ああ、クソッ、俺は悪いビッチたちに惑わされた善人だ、というわけである——、悪く言えば人を侮辱するたぐいのものだ。「お前らのために50万ドル遣ってやるぜビッチ、おれはフェミニストだ」といったリリックによってドレイクは、男性の眼差し(メイルゲイズ)の外に自分たちのための価値を見いだそうとしてもがく女たちを嘲笑っている。だがそのことと、“WAP”の待望された続編である“Bongos”——そのMVのなかでは、Tバックを履いた二人のラッパーがセックスの真似をしながら、「ビッチ、私はお金そのものみたいにイケてる/私の顔をドル札を印刷したっていい/太鼓みたいにコイツを叩いてみたらどう?」とラップしている——とのあいだに違いがあるとした場合、けっきょくのところそれは、後者においては、女が主導権を握っているという点に求められることになるだろうか?
 たしかに、ポン引きに食い物にされるより、自分自身がポン引きになる方がいいだろうが、だが真剣に考えてみてほしい、はたしてそれだけが私たちの選択肢だといえるのだろうか?
 #Metoo以降メディアがどう変わったか(あるいは変わっていないか)を見ていると、私たちは完全に論点を見失っているのではないかと思えてくる。言っておくが、私はカーディ・Bのメディア上での人格が好きだ。彼女はクレバーでふてぶてしく、現代にとって決定的なものである経済的な戦いも上手くこなしている。彼女もまた最高(バッドアス)だ。だから我がシスターたちの一部とは違った考えをもっていることになるかもしれないが、とはいえ私は、ファミニズムを苦しめる内輪揉めに加わるつもりはまったくない(また平等を求めるその他の運動に加わるつもりもまったくない——この点については、次のように書くなかでシモーヌ・ド・ボーヴォワールが見事に要約しているとおりだ。「女たちの翼は切り取られている、その上で彼女は、飛び方を知らないといって責められる*6」)。プラトンの寓話の洞窟に捕らえられたあの魂のように、私たちにとって真の平等を概念化することは難しい。
 だけど、ねえ(メン)*7——カーディ・Bがあの素晴らしい声を何か他のことを言うために使ったとしたらどう思う? 
 けっきょくのところ性的暴行とは、不平等にもとづくより広範なシステムの悲劇的なあらわれなのであり、このシステムにおいて女たちは、男の期待によって拘束されつづけている。男たちに私たちの価値を定義するように頼っているかぎり、私たちの価値はあくまで、特定の(セックス)にかかっていることになる。つまり、男の喜びに向けて調整された(セックス)に。
 だがひどいセックスと同じで、そんなことはただ退屈なだけだ。

【プロフィール】
ジリアン・マーシャル/Jillian Marshall

ジリアン・マーシャル博士は、現在ニューヨークを拠点に活動しているライター、教育者、ミュージシャン。初の著作『JAPANTHEM: Counter-Cultural Experiences, Cross-Cultural Remixes』 (Three Rooms Press: 2022)は、日本の伝統音楽、ポピュラー音楽、アンダーグラウンド音楽にたいする民族音楽的研究にもとづき、大学と公共圏を架橋している。博士号取得後にアカデミアを去ったが、その理由のひとつは、同僚たちからその半分もまともに受け取れないのに、彼らの二倍も努力するのに嫌気がさしたからである。https://wynndaquarius.net/

◆注

  • 1 [訳注:原題にある”hot take”とは、大方の予想とは異なる見方を強く示すことで、受け手の積極的な反応を引き出す一種のレトリックのこと。もともとはスポーツ・ジャーナリズムで用いられた言葉だが、SNS上で一般化した。日本語の語感としては「逆張り」にも近いが、もっぱらネガティヴな面が強調されてしまう点で本稿のもつ自覚的な戦略性にはそぐわないため、ここでは、カナによる音写で多義性を残しつつ、直訳的に訳した]
  • 2 Judith Butler, “Performative Acts and Gender Constitution: An Essay in Phenomenology and Feminist Theory,” in Performing Feminisms: Feminist Critical Theory and Theatre, ed. Sue-Ellen Case (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1990), 278.
  • 3 はぁ。冗談ではなく私は、本当に昔のカニエが恋しい。
  • 4 Ruth Behar, Women Writing Culture, ed. Ruth Behar and Deborah Gordon (Berkeley: university of California Press, 1995), 32.
  • 5 カーディ・Bとメーガン・ザ・スタリオンは、自分たち以外の6人と作詞のクレジットを共有している——そのいずれもが男性だ。
  • 6 Simone de Beauvoir, The Second Sex (New York: Vintage, 1989), 250.
  • 7 [訳注:英語では、性差を問わず誰かに呼びかけるさいの言葉として”man”が用いられるが、ここではそのことが、言語そのものに刻まれた男性優位の例として強調されている。]

なお、本コラムの第二回目(2010年代のカニエ・ウェスト)は、年末号のエレキングに掲載される。

Musicological Hot Take: Pop Music Post-#MeToo By Jillian Marshall, PhD

It’s like Plato’s “Allegory of the Cave": because patriarchal notions of male superiority have shaped the female experience for millennia, it’s hard to conceptualize —let alone define — womanhood outside of it.
Nevertheless, I find myself wondering about where feminism has ended up today. Of course, socio-cultural nuances between, say, Japan and the US create different standards of the feminine performance — and, as Judith Butler wrote, “Gender [roles] are performative… and are real only to the extent that [they] are performed.”*1 But in the end, it’s the same story from New York to Tokyo: in contemporary feminism, the mechanisms of women’s oppression are now branded as the keys to our empowerment.
Yet not even ten years ago, feminism was perched at an exciting precipice. So, how did we end up here after the promise of #Metoo?
At its peak, #MeToo brought forward women of both stature and obscurity with stories of sexual assault: a primary manifestation of patriarchal control that, by its nature, dominates and silences women. Quoting Tarana Burke, who is credited with starting the movement in the early 2000s, “‘Me too’ was just two words… Violence is violence. Trauma is trauma. And we are taught to downplay it, even think about it as chid’s play.”
Yet musicians — those who explicitly shape society’s soundscape— remained curiously silent during #MeToo’s height in the mid-2010s. Perhaps it should be celebrated that only a handful of women came forward with stories: notably KE$HA, who only recently settled a decade-plus lawsuit against her abusive manager, as well as Lady Gaga, Bjork, and Taylor Swift. But a deeper inquiry into women in pop music today provides a roadmap that could guide contemporary feminism toward a more productive direction.

The Other “F” Word: Who Wants to Be a Feminist, Anyway?

Scandalous — nay, abusive — male musicians are practically an archetype, and they’ve long been awarded free passes on their behavior. Michael Jackson didn’t sexually abuse those gold-digging children. Sure, David Bowie had sex with a fourteen-year-old “baby groupie,” but she put herself in that position. And that infamous shark incident with Led Zeppelin? Well, boys will be boys. Even Kanye West has his apologists: a quick look at YouTube comments reveals legions of faithful Yeezus devotees. One lament in particular hits me with a nostalgic gut punch: “He made Graduation. He made Graduation. He made Graduation!” *2
With men, we can always seem to separate the art from the artist.
But women?
In Women Writing Culture, anthropologist Ruth Behar quipped that “When women write, the world watches,”*3 articulating the expectations thrusted upon women who dare speak up. Female musicians face similar pressures regarding their voices— literally. Consider how Sinead O’Connor was famously cancelled for ripping up a photo of the Pope before cancellation itself. More recently, rapper Azalea Banks is more famous for her scandals than her songs. And in Japan, we all remember when the AKB48 member who shaved her head and publicly apologized for the egregious crime of — gasp! — spending the night with her boyfriend.
Sadly, #MeToo began fizzling out just a few years in, perhaps due to unfortunate conflations of sexual assault with poor communication. By 2022, Hollywood opened its loving arms to Johnny Depp following his victorious lawsuit against ex-wife Amber Heard, who “defamed” him with claims of spousal abuse. Post #MeToo, the message is clearer than ever: we women best stay in line, lest we burn at the stake.
So maybe this explicit pressure explains how Lady Gaga, despite her initial support for #MeToo and the sexual assault against allegations against Joe Biden, sang at his 2021 presidential inauguration ceremony. But this might be more of a testament to the bitter bifurcation of American (and other late-capitalist societal) politics. “Believe all women”— unless it’s politically inconvenient to do so, right?
And maybe Beyonce— who once performed in front of that giant, glowing sign declaring herself a FEMINIST — dropped her overt support of women’s issues because, post-#MeToo, societal permission was no longer granted.
Or maybe this all explains the industry’s darling: yes, Taylor Swift herself. Now, I’m not exactly a “Swiftie,” and I raised a serious eyebrow when Kim Kardashian revealed that she feigned ignorance — while claiming a feminist stance, no less — regarding Kanye West’s infamous lyric about how he and she “might still have sex” in his song “Famous.” But Swift’s compliant public persona at the start of her career is what built up her fan base (and financial freedom) to ultimately arrive where she is now: pulling her catalog from Spotify for ethical reasons, re-recording her first six albums to fit her artistic vision, and speaking candidly about her eating disorder.
And though Kim Kardashian caught her red-handed, I love that Taylor Swift came back forty pounds healthier and a year out of the spotlight later, middle fingers blazing on a come-back album for the ages, Reputation, singing: “I don’t trust nobody and nobody trusts me. I’ll be the actress starring in your bad dreams.” Badass.

The Power of Female Sex

Let’s consider what else has happened since #MeToo: the steady downturn of the global economy. Americans are still reeling from the crash of 2008; meanwhile, an endless post-Bubble recession in Japan has weakened the yen to its lowest value in the long postwar. And since coronavirus, inflation cleaves a disheartening chasm across the globe between the rich and poor.
The implications of a struggling economy are particularly grave for women who, to this day, still earn just 77 cents for every dollar made by men in identical positions. So it makes sense that sex work, especially in spheres like OnlyFans or as “sugar babies,” holds seemingly more appeal than ever. Cardi B’s upward mobility, leveraged by stripping, is even described by Harper’s Bazaar as a “Cinderella Story.”
“WAP”-collaborator Megan Thee Stallion puts it succinctly with her line, “Pay my tuition just to kiss me on this wet ass pussy.”
Cardi B’s brand of so-called “slut rap” builds on a legacy from the 1990s that was revolutionary for its time. There’s no doubt that Lil Kim’s “How Many Kicks” and Khia’s “My Neck, My Back (Lick It)” leveled the hip-hop playing field for a time, enabling women to keep up with boys notorious for their objectification of the opposite sex (Snoop Dawg’s “Bitches Ain’t Shit” comes to mind, along with Jay-Z’s “Big Pimpin’”).
But can we finally admit that slut rap didn’t impart lasting liberation from the Male Gaze? I don’t mean to shame female sexuality or the “world’s oldest profession” (itself a commentary on the prioritization of male desire more than female “choice”), but to question contemporary feminism’s insistence this choice is inherently empowering— particularly as representations of women’s sexuality increasingly pander to the Male Gaze. Of course, pop stars since at least as far back as Elvis have capitalized on their sexuality, but the 90s girl-power messaging of Lauryn Hill’s “Doo-Wop (That Thing),” Shania Twain’s “Any Man of Mine,” or No Doubt’s “Just a Girl” appear downright puritanical next to “WAP.”
So rather than imploring male musicians to, I don’t know, stop being assholes, instead we have female pop stars — coached by a team of male producers*4 — marching further down a dead-end road toward “sexual empowerment.” We can all agree that Drake’s nods to feminism on his album Her Loss, is self-flaggelating at best — aw, shucks, just a good guy led astray by bad bitches — and insulting at worst. With lyrics like “I blow half a million on you hoes, I’m a feminist,” Drake makes a mockery of women’s struggle to find worth for themselves outside the Male Gaze. But when the purported difference between this and “WAP”’s much-anticipated follow-up, “Bongos” — whose video features the two rappers in thongs, simulating sex, rapping “Bitch, I look like money / You could print my face on a dollar / Better beat this shit like a drum?” — is that, here, the women are in control?
Sure, I suppose being your own pimp is better than being pimped, but seriously: these are the options?
Seeing how things have (or haven’t) changed in media since #MeToo leaves me wondering if we’ve missed the point altogether. For the record, I like Cardi B’s media personality: she’s clever, unapologetic, and in tune with the economic struggles definitive of our times. She, too, is a badass, so while I might have differing ideas on feminism from some of my sisters, I’ll never participate in the infighting that plagues feminism (and any other movement for equality_, which Simone de Beauvoir eloquently summed up when she wrote, “Women’s wings are clipped, and then she’s blamed for not knowing how to fly.”*5 Like those souls trapped in Plato’s allegorical cave, it’s hard for us ladies to conceptualize true equality.
But man — can you imagine if Cardi B used that incredible voice of hers to say something else? Ultimately, sexual assault is a tragic symptom of a broader system of inequality, where women are imprisoned by male expectation. When we look to men — themselves increasingly socialized by pornography and violence — to define our value, our worth hinges upon a particular kind of sex: one geared toward male pleasure. Like bad sex itself, it’s all just so boring.

  • 1 Judith Butler, “Performative Acts and Gender Constitution: An Essay in Phenomenology and Feminist Theory,” in Performing Feminisms: Feminist Critical Theory and Theatre, ed. Sue-Ellen Case (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1990), 278.
  • 2 Sigh. I really do miss the Old Kanye.
  • 3 Ruth Behar, Women Writing Culture, ed. Ruth Behar and Deborah Gordon (Berkeley: university of California Press, 1995), 32.
  • 4 Cardi B and Megan Thee Stallion share writing credits on “Bongos” with six others— all men.
  • 5 Simone de Beauvoir, The Second Sex (New York: Vintage, 1989), 250.

Author Bio

Jillian Marshall, PhD, is a writer, educator, and musician currently based in Brooklyn New York. Her first book, JAPANTHEM: Counter-Cultural Experiences, Cross-Cultural Remixes (Three Rooms Press: 2022) draws on her ethnomusicological research on Japan’s traditional, popular, underground music worlds, and bridges the university and the public sphere. She left academia following the completion of her doctorate, in part because she was tired of working twice as hard to be taken half as seriously by her colleagues.

Japan Vibrations - ele-king

 パリに生まれ東京で育ったDJ、アレックス・フロム・トーキョーがこのたび、日本のエレクトロニック・ダンス・ミュージックに特化したコンピレーション・アルバムをリリースすることを発表した。細野晴臣からはじまり、Silent Poetsや横田進、オキヒデ、Mind DesignやC.T. Scan等々、ジャンルを横断しながら駆け抜ける。(トラックリストをチェックしましょう)この秋の注目の1枚ですね。

 また、このリリースに併せて、11月2日から13日までDJツアーも決定。(11/2 鶴岡 Titty Twister、3日 京都Metro、4日 大阪House Bar Muse、5日は東京で6年振りにGalleryを開催、8日 東京Tree@Aoyama Zero、9日 熊本Mellow Mellow、10日 福岡Sirocco、11日 旭川Bassment。なお、11月1日にはDOMMUNEにて特番も決定しております。

V/A
Alex from Tokyo presents Japan Vibrations Vol.1

world famous
アナログ盤は日本先行で2023年11月01日発売
CDは2023年11月22日発売

トラックリスト:
1. Haruomi Hosono - Ambient Meditation #3
2. Silent Poets - Meaning In The Tone (’95 Space & Oriental)
3. Mind Design - Sun
4. Quadra- Phantom
5. Yasuaki Shimizu - Tamare-Tamare
6. Ryuichi Sakamoto - Tibetan Dance (Version)
7. T.P.O. - Hiroshi's Dub (Tokyo Club Mix)
8. Okihide - Biskatta
9. Mondo Grosso - Vibe PM (Jazzy Mixed Roots) (Remixed by Yoshihiro Okino)
10. Prism - Velvet Nymph
11. C.T. Scan - Cold Sleep (The Door Into Summer)

 Alex From Tokyoが日本で重ねた25年以上の人生における音楽の回想録、第一章!

 『Japan Vibrations Vol.1』で、80年代半ばから90年代半ばまでの日本のエレクトロニック・ダンス・ミュージック・シーンの刺激的な時代に飛び込もう。東京でDJ活動をスタートした音楽の語り部でもあるアレックス・フロム・トーキョーが厳選したコレクションは、シーンを形作った先駆者たちや革新者たちにオマージュを捧げている。
 この秋にリリースされるこのコンピレーションは、日本の現代音楽史における活気に満ちた時期を記録したタイムカプセルとなる。また、その時代を生きた本人からのラヴレターでもある。
 アンビエント、ダウンテンポ、ダブ、ワールド・ビート、ディープ・ハウス、ニュー・ジャズ、テクノにまたがる11曲を新たにリマスター。国際的なサウンドに日本的な要素が融合した、楽園のような時代のクリエイティビティに満ちた創意工夫と、そのエネルギーを共に紹介する。
 シーンのパイオニアである細野晴臣、坂本龍一、清水靖晃、クラブ・カルチャーを形成した藤原ヒロシ、高木完、ススムヨコタ、Silent Poets、Mondo Grosso、Kyoto Jazz Massive、そして新世代アーティストのCMJK(C.T.Scan)、Mind Design、Okihide、Hiroshi Watanabeのヴァイブレーションを体験しょう。このクラブ・シーンの進化をDJセットの進行とともに展開します。

 本作はサウンドエンジニア熊野功氏(PHONON)による高音質なリマスタリングが施され、日高健によるライセンスコーディネート、アルバムアートワークは北原武彦。撮影は藤代冥砂とBeezer、と全員がアレックスと親交の深い友人達が担当。プレスはイタリアのMotherTongue Records。販売流通先はアムステルダムのRush Hour。サポートはCarhartt WIP。
 『Japan Vibrations Vol.1』は、リスナーを日本の伝説的なクラブで繰り広げられるエネルギッシュな夜にタイムスリップさせ、音楽の発見と内省の旅へといざないます。


Alex from Tokyo/アレックス・フロム・トーキョー
(Tokyo Black Star, world famous, Paris)
https://www.soundsfamiliar.it/roster/alex-from-tokyo

 パリ生まれ、東京育ち、現在はパリを拠点とする音楽家、DJ、音楽プロデューサー(Tokyo Black Star)、サウンドデザイナー(omotesound.com)&インタナショナル・コーディネータ。world famousレーベル主宰。
 彼のキャリアは約30年に及び、日本、フランス、ニューヨーク、ベルリンそして現在の拠点であるパリと、世界を股にかけて国際的に活躍中。
 アレックスを、限られた時空や芸術の連続体の中に閉じ込めてしまうのは、とても考えられないことであり、誰がそんなことをするというのだろう。
 4歳の頃から、東京に住んでいたアレックス・プラットは、地球最大の都市の音と光景の中で育つ。1991年9月に生まれ故郷のパリに帰国。当初は大学進学のためだったがパリのアンダーグラウンド・クラブ・シーンに飛び込み、1993年にパリでDj DeepとGregoryとのDJユニット「A Deep Groove」を設立してDJキャリアーをスタート。
 1995年に東京に戻ってきたAlexは、日本を目指した交流あるヨーロッパのレーベル、DJやアーティスト達の橋渡し役として活躍する事となる。Laurent GarnierのレーベルF Communicationsの日本大使になり、ロンドンのレコードショップ/レーベルMr. Bongoの渋谷店及びレーベルDisorientで働き、そしてフランスのYellow ProductionsとBossa Tres Jazz 「When East Meets West」の企画と日本側のコーディネートを行う。同時に東京のレーベルP-Vine, Flavour of Sound、Rush Productions、Flower RecordsやUltra VybeからミックスCDを製作。
 1990年代末にサウンドエンジニアの熊野功とTokyo Black Star名義でオリジナル楽曲やリミックスの制作を開始(2015年に高木健一が正式メンバーとして加入)。ベルリンのトップ・レーベルInnervisionsから2009年にファースト・フル・アルバム「Black Ships」を発表。
 クラブ・シーンを超えて、もうひとつのパッションである音楽デザイナーとしてAlexはインタナショナル・ファッション・ブランド(Y-3, Louis Vuitton, Mini, Li-Ning, wagyumafia)やセレクトされたクライアントのために音楽コンサルティングや制作を提供。2006年9月に日本の河出書房社から出版されたLaurent Garnierの自伝「Electrochoc」の日本語訳を担当。
 DJとしては日本と世界の音を吸収して「ディープ・ハッピー・ファンキー・ポジティブ」なサウンドを共有しています。
 2022年までの2年間ベルギー、ブリュッセルのKioskラジオで隔月に放送されている番組「ta bi bi to」(旅する人達のための音楽)では、世界中のリスナーに多彩な音楽の旅を提供。
 現在では、ベルリンのトップ・ゲイ・パーティCocktail D’Amoreでのレギュラー、そして日本ではDj Nori、Kenji HasegawaとFukubaと共に25年続けているSunday Afternoonパーティ「Gallery」のレジデントを務める。
 2019年にはベルリンからworld famousレーベルを再起動して、2023年の秋には日本のエレクトロニック・ダンスミュージックのコンピレーション企画シリーズ『Japan Vibrations Vol.1』を世界リリース。
 2023年9月1日にリリースされた所属のイタリアのDJエージェンシーSounds Familiar の10周年記念コンピレーション・アルバム『Familiar Sounds Vol.2 』に新曲 "Wa Galaxy "で参加。
 アレックスは、今も絶えることなく、音楽の旅を続けている。

interview with Shuta Hasunuma - ele-king

 非常に微細な音にたいして、異様に感度の高いひとがいる。日本でいえば坂本龍一が筆頭だろう。けして強くは自己主張することなく、ただ静かに聴かれることを待つ『async』のさまざまな音の断片たちは、卓出した感受性(と理論)によってこそ鳴らされることのできたある種の奇跡だったのかもしれない。その坂本の〈commmons〉に作品を残す蓮沼執太もまた、そうしたタイプの音楽家だと思う。
 これまで蓮沼執太フィル、タブラ奏者 U-zhaan との度重なるコラボ、歌モノにサウンドトラックに数えきれないほどの個展にインスタレーションにと、2006年のデビュー以来八面六臂の活躍をつづけてきた彼。本日10月6日にリリースされる新作『unpeople』は、15年ぶりのソロ・インスト・アルバムとあいなった。
 エレクトロニカの隆盛が過ぎ去った2006年、まだブレイク前のダーティ・プロジェクターズをリリースしていた米オースティン〈Western Vinyl〉から蓮沼はデビューを飾っている。爾来、飽くことなく生楽器と電子音とフィールド・レコーディングの融和を探求しつづけてきた冒険者。そんな彼がもっとも羽を伸ばして制作に打ち込める形式がソロのインスト・アルバムといえるだろう。

 といっても、新作には多彩なゲストが参加している。ジャズとポスト・ロックを横断するシカゴのギタリスト、ジェフ・パーカー。今年みごとな復帰作を発表したコーネリアス灰野敬二。〈Rvng Intl.〉からも作品を発表するNYの前衛派ドラマー、グレッグ・フォックス。さらにはコムアイから沖縄の伝統音楽をアップデイトする新垣睦美まで、まるで異なる個性の持ち主たちが勢ぞろいしている。
 おもしろいのは、曲単位だと各人の特性が存在感を放っているにもかかわらず、アルバム全体としてはしっかり統一がとれているところだ。具体音から電子音、ギター、ドラムに三線、人声までが並列かつ高レヴェルに組みあわされる新作は、蓮沼の持つ鋭い感受性と長年の経験で培われたにちがいない編集力とがともに大いに発揮された魅力的な1枚に仕上がっている。

 彼はそして、たんに感覚のひとであることに満足しない。読書家でもある蓮沼は、今回のアルバムを「unpeople」と題している。人民(people)ではない(un-)もの。振りかえれば2018年、蓮沼執太フィルのアルバム・タイトルは『アントロポセン』だった。日本語では人新世──ようするに、産業革命以降の人間の活動が大きく地球を変えてしまっているのではないか、そんなふうに人間中心的でいいのか、という問いだ。
 当時は──魚の骨や鳥や虫を歌った cero に代表されるように──人間を中心に置かない発想がポピュラー・ミュージックにも浸透しはじめてきたタイミングだった。蓮沼もまたしっかり時代の気運に反応していたわけだけれど、彼は読書が音楽体験をさらに豊かにしてくれるかもしれないことを教えてくれる稀有な音楽家でもあるのだ。その点も坂本龍一とよく似ている。
 なにより大事なのは、そういった難しいテーマや実験的なサウンドに挑みながらも、彼の音楽がある種の聴き心地のよさ、上品さを具えている点だろう。マスに開かれながら、しかし媚びることなく冒険をつづけること。そんなことを実現できる音楽家は、そうそういない。

録ることよりも聴くことがたいせつだと思っています。録ったものからなにを聴きとるか、なにを発見できるか。フィールド・レコーディングっておなじ音は絶対に録ることができない。そこは魅力だと思います。

ソロのインスト・アルバムとしては15年ぶりということですが、なぜこのタイミングでふたたびソロのインスト・アルバムをつくろうと思ったのですか?

蓮沼:じつはソロのインストのアルバムをつくろうと思って重い腰を上げたわけではないんです。音楽活動自体は休むことなくずっと続けているのですが、展覧会やアート・プロジェクト、サウンドトラックなど、自分ではないだれかのためにつくることが多くて。もちろんそれらも自分のためのものではあるんですけれど、録音された音源としてはそうではないことが多い。そういった、いろんなひとのためのプロジェクトとプロジェクトの合間合間に、少しずつ自分の音をつくっていくことをはじめたのがそもそものきっかけですね。なので「インストのアルバムをつくるぞ!」と意気込んだわけではまったくないんです。徐々に未完成の音源がたくさんできていって、「これをどうにかして世に出したい」という気持ちから動き出したのが今回のプロジェクトです。とはいえやはり、外から見たら15年も空いていることになりますよね。

蓮沼執太フィルもご自身がメインのプロジェクトですよね?

蓮沼:そうですね。ただ、メンバーが決まっていて、楽器の編成も決まっていますから、彼らが演奏するための旋律やフレーズを作曲していくことは、はたして自由といえるのかなと思うこともあって。ぼくがヘッドではあるのですが、活動を長くつづけていくためにみんなで決めて進めることにしているんですよ。喧嘩になることはないんですが、とはいえやはり制限はあります。それを自分の音楽といっていいかは……少なくとも今回の新作とはやはりちがいますね。

インストという点を除けば、ソロの前作にあたるのはヴォーカル入りの『メロディーズ|MELODIES』(2016年)ですよね?

蓮沼:歌っているんですが、もともとは声をつくるところからはじめたコンセプチュアルなアルバムですね。途中から歌モノに舵を切りました。ぼくはフィルでも歌っていますので、歌があることが蓮沼執太のイメージになっている方もいらっしゃるかもしれませんが、基本的につくっているのはインストなんです。

今回、15年ぶりというよりは『メロディーズ』から地続きの感覚でしょうか?

蓮沼:いろんな活動が地続きだと思います。フィルの活動も、それ以外のプロジェクトで音楽をつくる経験も。今回アルバムのかたちに至るまでにいろいろなことがありましたので、それらが大きな川のように流れているイメージです。

今回の取材にあたり00年代の初期のソロ作品も聴いたのですが、グリッチ感が強く、アルヴァ・ノトの影響を感じました。当時のエレクトロニカはきれいな音を目指すものが目立ち、そんななかでパルス音やノイズを入れることは、時代にたいするひとつのアンサーだったのかなと思ったのですが、いかがでしょう。

蓮沼:ぼくはエレクトロニカの時代よりちょっとだけ遅いんですよね。カールステン・ニコライも池田亮司さんも好きなのですが、彼らが活動されはじめたのはぼくが音楽をやりはじめる10年以上前ですので、直接的な影響というわけではないですね。学生時代、プログラミングで音を生成するのが趣味だったんです。MAXやSuperColliderでいっぱいノイズをつくって、ばんばんレコーディングして自分の音色を入れていったり。同時に環境音にも関心がありましたし、そういうものが合わさって「音楽をつくってみよう」となりました。

アカデミックな音楽教育を受けたわけではないんですね。

蓮沼:まったく受けていないですね。ワークショップでプログラミングの講習を受けたりはしましたけれど、完全に趣味でやっていました。最初は、就職したくないと思ってアルバムをつくる方向に行った感じです。電子音も好きでしたけど、サウンド・アートとしてのフィールド・レコーディングも好きで聴いていましたし、そういったものが音楽の世界にあるんだ、と少しずつわかっていった感じです。

理工系だったんでしょうか?

蓮沼:いえ、専攻は経済でしたね。数学が得意だったので経済学を選んだんです。もともとはマルクスから入っていったんですけど、違和感もあって、その後環境経済学というものがあることを知りました。文化人類学やフィールドワーク、エコロジーなどにも関心がありましたので、その勉強をしているときにフィールド・レコーディングもはじめましたね。

フィールド・レコーディングは蓮沼さんの音楽の大きな特徴のひとつです。フィールド・レコーディングのどこに惹きつけられますか?

蓮沼:最近フィールド・レコーディング流行していますよね。ぼくは、録ることよりも聴くことがたいせつだと思っています。録ったものからなにを聴きとるか、なにを発見できるか。フィールド・レコーディングっておなじ音は絶対に録ることができない。そこは魅力だと思います。

たとえば鳥の声のように、ピンポイントで「この音が欲しい」というような場合、ほかの音も入ってきちゃうと思うんですが、そういうときはどうされていますか?

蓮沼:ある特定のものだけを狙うようなことはしないんです。もう少しコンセプチュアルで。たとえば森にも道路にも、ただ生活を送っているだけでは気づかないリズムやハーモニー、周期性があって、記録された音源を聴くとそれに気づけたりするんですよ。そういった大きいリズムや小さいリズムの発見は、既成の音楽からは得られづらい。そういうものをたいせつにしたい思いがぼく自身の根本にあるような気がしていますね。
ただ、たとえば、オリヴィエ・メシアンとかオノ・ヨーコさんみたいに鳥の声を記譜したりして音楽にするアプローチがある一方で、「音符に記譜しなくても、音として録らなくてもいいじゃないか、そのまま聴けばいいじゃないか」という思いもあるんです。マイクで録った音をヘッドフォンを介して聴くことと、じっさいに鳴っている音をそのまま聴くこと、どちらも音楽的に面白いです。

普段から持ち運べる録音機材を携帯していて、あとで聴き返して使いどころを見つけるというようなやり方なのでしょうか?

蓮沼:音楽をつくる素材としてフィールド・レコーディングをするという考え方がありますが、ぼくはそれはいっさいないんです。よく誤解されるんですが。もちろん録った音を使っているんですが、曲のためだけに録っているわけではなくて。観察する行為それ自体が目的だったり……アーカイヴとして録音している場合がほとんどですね。「いい音だったから使う」というようなことはまったくないです。「よし、今日はいい音を録りにいくぞ」ってマイクとレコーダーを持って出かける、ということはしないです。
 それに、「いまの、いい音だったな」と思って録ろうとしても、いい音ってまず録れないんですよ。ぼくたちは音を耳だけで聴いているわけではないんです。いろんなシチュエーションがあって「あ、いい音だ」って思うんですね。いい音だと思って録っても、たいていいい音にならない(笑)。なのでぼくの場合は、あらかじめコンセプトやテーマがあってレコーダーをまわすことが多いですね。

そういった音への関心は、幼いころから?

蓮沼:そうですね。そもそも音が好きなんだと思います。音楽よりも音が好きというタイプなのではないでしょうか。完成されたもの、上手なものもいいですが、未完成だったり、そのまま存在しているだけのような芸術も好きですので。

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ぼくたちは音を耳だけで聴いているわけではないんです。いろんなシチュエーションがあって「あ、いい音だ」って思うんですね。いい音だと思って録っても、たいていいい音にならない(笑)。

蓮沼さんの音楽のもうひとつ大きな特徴として、電子ノイズがありますよね。アンダーグラウンドでは珍しくない試みですが、蓮沼さんはより広い層に、クリーンなものだけではない音の魅力を伝えようとしているように感じました。

蓮沼:どんな音楽にもノイズは存在します。オーケストラにもノイズはありますし、極論をいえば生きているだけで社会にはノイズはある。それが音楽作品にも入ってくるんじゃないかな……。それと、エラーや失敗、ミスは通常ネガティヴなこととしてとらえられますが、ぼくはそういう偶然起きたことを面白く思うタイプなんです。グリッチももともとはエラーからはじまっていますよね。30代に入ってからアナログ・シンセサイザーを使うようになったんですが、サイン波をいじるだけでグリッチが発生するんですよ。それを変調させることでいわゆるシンセの音になっていく。そのアナログのアルゴリズムが身体的にわかってきて、その観点から見てもやはりどんな音にもノイズは含まれている。100%ピュアなものってないのではないかと思いますね。
電子音のいいところは、基本的に出しっぱなしなところです(笑)。音楽の世界でそんなものってほかにないですよね。とくに初期のシンセサイザーは電源につないだら、オシレーターはずっと鳴らしっぱなしで、それをどう制御していくかみたいなところがある。ふつう、音はポンとアタックがあって、徐々に消えていくものですが、電子音はずっとブーンと鳴りつづける。大げさにいえばそこに永遠性があります。そこにも惹かれますね。

蓮沼さんの音楽では、そうした電子音ときれいなピアノの旋律が一緒になっていたりします。それらは蓮沼さんのなかで同列ですか?

蓮沼:空間性のない電子音と空間性を含む生楽器の響きは音として同列ですね。もしかしたらぼくの場合はもう少しサウンド寄りに捉えているかもしれません。

サウンド寄りというのは?

蓮沼:音楽になっていないというか(笑)。いや、音楽として成立してはいるんですけれど、いわば「弱い音楽」で、非音楽的な要素が多い状態がいいな、と。

「弱い音楽」って素敵なことばですね。

蓮沼:最近ほんとうにそう思っていて。音楽が溶けていく状態というか。

どんな音楽にもノイズは存在します。オーケストラにもノイズはありますし、極論をいえば生きているだけで社会にはノイズはある。それが音楽作品にも入ってくるんじゃないかな……。

新作はソロ・アルバムですが、多くのゲストが参加してもいます。各々の個性がけっこう出ているように感じたんですが、それぞれどういう流れでオファーしていくことになったのでしょうか。

蓮沼:今回の曲は2018年ころからつくりはじめているんですが、当時はブルックリンに住んでいました。日本にいたころよりは仕事をおさえていましたので、わりと自分の音楽をつくる時間がとれて、未完のものがたくさん溜まっていったんです。そこで、「この音だったらジェフ・パーカーに弾いてもらったほうがいいかもしれない」のようにアイディアが浮かんで、オファーしていった流れです。

なるほど、では以前セッションした録音が残っていて、それを流用したのではなく、新作のためにオファーしていったのですね。

蓮沼:灰野敬二さんとの曲(“Wirkraum”)はセッションから生まれていて、そういう経緯でした。灰野さんとはコロナ禍に何度か一緒にライヴをしたことがあって、そのときのリハーサルですね。灰野さんは歌うのみでギターは弾かないというルールがあって、このリハをやったときは笛を吹いたりしていらっしゃったんですが、こんな機会はなかなかないですからずっとレコーダーをまわしていました。3時間くらいのセッションでしたが、それをチョップして、さらにぼくが音を重ねて完成させましたね。

それは日本で?

蓮沼:日本ですね。

ジェフ・パーカーとは以前から面識があったんでしょうか? 4曲目でジャズ的なムードが来たなと思ったら彼が参加していたので驚きました。

蓮沼:共通の知人がいました。連絡先を教えてもらって、「聴いてみてほしい」とデモを渡したんです。そうしたら「いいよ」という反応で嬉しかったですね。ジェフ・パーカーの大ファンなんです。

“Selves” では、小山田さんがけっこうロッキンなギタープレイをされていますよね。小山田さんとはどういう経緯で?

蓮沼:小山田さんとは2020年に渋谷で即興演奏をやったことがあって、互いに「いいね」「またやろう」という話になっていたんです。今回の制作中にそのときのレコーディングを聴いて、「この部分いいな」と思うものがあって。それで、「この感じで一緒にできませんか?」とお尋ねしたらOKしてくださったんです。ある程度 “Selves” の骨格をつくって小山田さんにお渡ししたら、ギターを入れて返してくださいました。

それはいつごろですか?

蓮沼:去年の末くらいだったと思います。

そうすると、おそらく新作『夢中夢』をつくっているのと近いタイミングですよね。

蓮沼:そうそう、ちょうど新作をつくっているというお話も聞きました。

“Sando” にはコムアイさんと、雅楽演奏者の音無史哉さんが笙で参加されています。

蓮沼:じつはこの曲はもともと、表参道のクリスマス・イルミネーションのためにつくった曲だったんですよ。完全にコミッションで。コムアイさんにはそのとき声を入れてもらって、異なるアレンジでじっさいに街で流れていたんですよね。コロナ中でしたが。でもそれだけでは終わらせたくないなという思いがあって、しっかりアレンジしなおしました。
音無さんはフィルにも参加してもらっているんですが、このときはまだ加入前ですね。ティム・ヘッカーが雅楽をやったことがありましたよね。そのとき音無さんもレコーディングに参加していたんです。今回の曲と合いそうだと思ってお声がけしました。

音無さんは最後の曲にも参加していますね。この2曲と、新垣睦美さんが三線、三板(さんば)などで参加されたエレクトロニカの “Fairlight Bright”。この3曲がアルバムに独特の質感をもたらしていると思いました。

蓮沼:九州大学の城一裕さんという方がいて。The SINE WAVE ORCHESTRA というプロジェクトなどをやられているんですが、九大のスタジオにフェアライトCMIがあると伺って、かなり触らせてもらいました。その音でつくったのが “Fairlight Bright” です。ただ、そのままだとたんにフェアライトなだけだなと思って、新垣さんに参加していただきました。新垣さんも以前、『メロディーズ』を出したときのツアーの沖縄公演で参加していただいていたんですね。それで相談して快諾いただいて。

“Vanish, Memoria” ではグレッグ・フォックスが、なんともいえないドラムを叩いていますね。彼もおそらくニューヨーク在住ですよね。

蓮沼:ほんとうになんともいえないドラムですよね(笑)。ぼくがブルックリンにいるときに知り合って、友人のひとりです。今回の曲は、もともとは蓮沼執太フィルのために書いてもらった曲なんです。でもタイミングが合わなくてレコーディングができていなかった。お気に入りの曲でしたので、なんとかしたいと思い、ドラムは残しつつ、管楽器や弦楽器のパートをすべてシンセに変換して、石塚周太くんにギターをお願いして、という流れで完成させました。この曲のグレッグと石塚くんにかんしては、最初にひとが決まっているかたちでしたね。

多くの方とコラボされているアルバムですが、いちばん大変だったのはどの曲でしょう?

蓮沼:コラボレーションの曲ではないですが、2曲目の “Emergence” かなあ。ビート主体の曲なんですが、これは苦労しました。通常の曲であれば、ふだんから素材をたくさんつくっていますので、その素材さえよければわりとすぐ完成させられるんですよ。でもこの曲は、なかなか完成に向かわない素材ばかりで。5つのセッション・ファイルを組み替えて無理やり1曲にしたのが “Emergence” なんです。それぞれ完成を夢見ていた5つの素材が一緒になった曲ですね。「emergence」ということばには「創発」という意味があって、異なるものが合わさることでそれぞれちがう要素が独自の働きをするというような考え方があるんです。セッション自体は5つともそれぞれ生きていたんですが、それを一気にまとめたほうがよさが際立つというか、足し合わせることでコントラストや不思議な展開が生まれました。これまで曲づくりでそういうことはあまりしたことがなかったので、大変でしたね。

基本的には音楽は人間ありきですよね。そこで、人間中心的すぎることをいい加減そろそろ見なおしたほうがいいのではないかと考えるようになりました。コロナも大きかったですね。アテンション・エコノミーというか、行きすぎた資本主義はどうにかならないか、みたいなこともコロナ中には考えていました。

アルバム・タイトルについてもお伺いしたいのですが、ひとを意味するピープルに否定の「un-」がついています。直訳すると「非‐人びと」といいますか、これにはどのような意図が?

蓮沼:人間を否定したいわけではないんです。「人間よ、いなくなれ」ということではない。ただ、「人間はいなくなるのか?」というひとつの問いの、トリガーのようなものになればいなと思ってつけました。2018年に出した蓮沼執太フィルのセカンド・アルバムのタイトルが『アントロポセン』だったんですが、それ以前からパウル・クルッツェンが提唱している人新世という言葉含めて、人類の活動が地球に及ぼす影響だったり、エコロジーに関心がありました。同時期に資生堂ギャラリーで「 ~  ing」という個展もやっているんですが、そのときも本格的に「人間とモノ」とか「人間と社会」の関係性を見直さなければいけない時期に来ているんじゃないか、という思いがありました。当時、それこそ学生のころに読んでいたエコロジーの思想だったり、現代的な資本主義にかんする本をたくさん読み直しました。その後、コロナ禍になってしまいましたけれど、それらの影響がかなり色濃く出たタイトルになっているんじゃないかなと思います。

読み直していたのは、どういう本でしたか?

蓮沼:12曲目の “Wirkraum”。タイトルは、ユクスキュル&クリサートの『生物から見た社会』(岩波文庫)という本からとりました。「Wirkraum」は、環世界の諸空間のひとつで、作用空間と呼ばれています。目を閉じて手足を自由に動かすとき、われわれは方向と広がりを認識できます。この空間のことを指します。前述のセッションのときに、灰野さんが目を閉じて、両手を回したんです。このとき、ぼくのなかで空間の認識を考える瞬間があって、最終的にこのタイトルになりました。古い本ですので鵜呑みにしているわけではないんですが、ものごとを考えるうえで現代でもヒントになると思います。ほかには、エマヌエーレ・コッチャというひとの『植物の生の哲学』という本だったり。ジル・クレマン、ティム・インゴルド、ティモシー・モートン、竹村真一さんなど。コッチャもそのあたりの思想家たちと同様に語られるような方で、「植物には哲学や思想がある」というようなことをいっています。逆に、フロランス・ビュルガ『そもそも植物とは何か』という著書は、植物には感覚も知性もない、といい切った、鋭い角度の論考でとても興味深い本です。社会学分野だと、京都賞を受賞したブルーノ・ラトゥール『地球に降り立つ』という本もよく読みました。

とても興味深いです。そういった背景を踏まえてアルバムを聴くと、またちがった音の世界が広がるように思います。

蓮沼:そうした背景はデザイナーの田中せりさんにもお伝えしていて、アートワークにもあらわれていると思います。まずはひとが映らない窓を撮影して。窓って人間がつくったものですよね。その窓からのぞく環境が、時間とともに変化していくものはどうでしょうとご提案いただいて、配信のシングルはそういうふうにしています。
音楽って結局は、人間の可聴範囲で聴ける音でつくられるものですよね。どう考えても人間以外のものに音楽は無理だと思うんです。もちろん植物とか、あるいは酵母に音を聴かせるみたいな実験もあるんですけど、基本的には音楽は人間ありきですよね。そこで、人間中心的すぎることをいい加減そろそろ見なおしたほうがいいのではないかと考えるようになりました。コロナも大きかったですね。アテンション・エコノミーというか、行きすぎた資本主義はどうにかならないか、みたいなこともコロナ中には考えていました。

そこまでいろいろと深く考えて音楽をつくっている方って、日本ではなかなかいないと思うんですよ。それこそ坂本さん亡きあと、蓮沼さんがそれを担っていくことになるのではないかと、期待をこめて思っています。

蓮沼:いやいや。みんなでやっていきましょう、という感じです(笑)。

坂本さんの思い出や印象深かった出来事があれば教えてください。

蓮沼:ぼくは坂本さんの息子・娘の世代にあたりますので、坂本さんもおそらくそういう年代の子、という感じで接してくれていたのではないかなと思います。ぼくがニューヨークに引っ越したときもたくさんお世話になりました。ぼくも映画や文学やアートが好きですが、坂本さんにはいつも「どうして、そこまで知っているんですか!?」と驚かされました。そうやってさまざまな分野のお話ができる音楽家はほかにいないですね。たとえば映画監督と映画の話をして共感したりすることはありますが、音楽家と「夏目漱石の……」と明治文学の話にはなかなかならない。

坂本作品でいちばんお好きなのは?

蓮沼:デイヴィッド・トゥープと即興演奏されたレコーディング作『Garden of Shadows & Light』。かっこいいですよね。

おお、そこでトゥープとの作品があがるのはなかなかないですね。

蓮沼:すごくいい即興だなと思います。ああいうふうにご自身がやってきた音楽を解体できること、解体して即興でみせることはふつうのひとには絶対にできない。技術をこえたところで、ものすごいことをされています。坂本さんの音楽の展覧会のようなことを考える思考や方向性って、ぼくがサウンド・インスタレーションでやろうとしていること、いわゆる音楽とは異なる美術の手法を導入してどう時空間をつくりあげるかということと、近しいと思うんですね。空間の話もよくしてくださいました。そんな話ができるミュージシャンはほんとうに少ないです。

蓮沼さんはソロからインスタレーション、フィルまで非常に多くのプロジェクトを抱えておられますが、ご自身の音楽活動の核になるもの、ホームはどこにあると思いますか?

蓮沼:うーん、難しいですね……悩みます。もちろん中心には核がありますが、それらがすごく大きな円を描いて、その円周がホームになっている感じですかね。中心ではなく。つねに自分が動きまわっていて、いつの間にかこことあそこがつながっているというようなことが多くて。移動するホームですよね。

遊牧民のような。

蓮沼:それも、地図を見て「次は右に行くぞ!」というように動いているのではないというか。問題意識をもってつくることもあれば、たまたま行きつく場合もある。かならずしもレコーディング作品をつくることがホームでもないですし。もちろんレコードをつくることも自分にとってすごくたいせつなことなんですが、ホームではないですね。いろんなところを移動していくホームですね。

今後のご予定をお聞かせください。

蓮沼:新作が出るころには終わっていますが、恵比寿のPOSTというギャラリーでリリース記念の展示をやります。写真がメインの展覧会で、その写真が撮影された場所でフィールド・レコーディングした音と、『unpeople』の各曲で使ったトラックからひとつの音を選んだものと、片方ずつ鳴っている展示です。そのあとは、『unpeople』のパフォーマンス&インスタレーションをやる予定で、準備をしているところです。

『unpeople』特設サイト
https://un-people.com/

蓮沼執太
1983年東京都生まれ。蓮沼執太フィルを組織して、国内外での音楽公演をはじめ、映画、演劇、ダンスなど、多数の音楽制作を行う。最新のリリースに蓮沼執太&U-zhaan『Good News』(日本 / 2021)。また「作曲」という手法を応用し物質的な表現を用いて、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンス、ワークショップ、プロジェクトなどを制作する。2013年にアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)のグランティ、2017年に文化庁・東アジア文化交流史に任命されるなど、国外での活動も多い。主な個展に「compositions : rhythm」(Spiral、東京 / 2016) 、「作曲的|compositions」(Beijing Culture and Art Center、北京 / 2017)、「Compositions」(Pioneer Works 、ニューヨーク/ 2018)、「 〜 ing」(資生堂ギャラリー、東京 / 2018) 「OTHER “Someone’s public and private / Something’s public and private」(void+、東京 / 2020) などがある。また、近年のパブリック・プロジェクトやグループ展に「Someone’s public and private / Something’s public and private」(Tompkins Square Park 、ニューヨーク/ 2019)、「太田の美術vol.3「2020年のさざえ堂—現代の螺旋と100枚の絵」(太田市美術館、群馬 / 2020)など。
第69回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。
www.shutahasunuma.com

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