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季節の即興音楽、あるいは形式に還元されざる余剰の響き

演奏の展開はいつも同じで、まず手探りのようにはじまり、まんなかで盛り上がり、静かにおわる。この曲線がかならずついてまわる。これ以上の形式がないとしたらまったく空疎だとしかいいようがない。 ――ギャヴィン・ブライアーズ

 昨年の夏、とあるミュージシャンが率いるグループのライヴを観に行った話から始めよう。そこでは電子楽器とアコースティックな楽器が入り混じった7、8人ほどの演奏者たちによる、いくらか「決めごと」を設けられた即興アンサンブルが披露されていたのだが、演奏が開始したとき、もの凄く奇妙な体験をしたことをよく覚えている。まるでサイン波のような電子的な音を発する管楽器や声が、エレクトロニクスの響きと混ざり合い、どちらがどちらともつかないような、どの音がどの人間から発されているのかわからなくなるような、視覚的な風景と聴覚的な体験が撹乱されるような不可思議な音響空間が成立していたのである。「これはすごい! ここからどういうふうに展開していくのだろう」と思ってしばらくすると、しかしアンサンブルは、そのミュージシャンの音盤で経験したことのある「あの感じ」に近づきはじめていく。それぞれのプレイヤーが短いフレーズを繰り返すことで即興を織り成していくその演奏は、そこからは案の定「あの感じ」を追体験/再確認させるかのようにして、予想した通りの展開になっていった。探り探り始められたアンサンブルは盛り上がりをみせ、その後静かになっていき終了した。

 もちろん、音盤と同じ展開をみせるのは、なにも悪いことではない。むしろそのミュージシャンの変わらぬ個性を聴くことができた、と言うこともできる。しかしその日の演奏で素晴らしかったのはやはり、最初の段階でみられた「聴いたことのない」サウンドだったのだ。そしてこと即興演奏に関しては、互いの探り合いから始まり、それがノってくると盛り上がり、そこから終わりへ向けて静かに収束していく、という展開は、このミュージシャンに限らず広くみられるものである。

 こうした展開を前にして、即興音楽の形式の単調さに絶望し、作曲へと活動領域を移したのが、かつてデレク・ベイリーのもとでベーシストとして活躍していたギャヴィン・ブライアーズだった。たしかに言葉に還元してしまえば、多くの即興音楽はことほどさように単純極まりない形式をとっているようにみえる。じっさいに、こうしたある種の予定調和のような展開に安住する即興演奏家も少なからずいる。そのほうが展開を気にしなくていいぶん、より「自由」だとも言えるのかもしれない。だがしかし、同時に、言葉にしてしまえば単純だとしても、現実に鳴り響く音楽はより複雑で多様なありようをみせているものである。冒頭に書き記したライヴの体験でいえば、その展開と成り行きは「あの感じ」から逸脱するものではなかったのだとしても、少なくともその始まりの部分では、「探り探り」でありながら、この言葉には絡め取ることのできないようなサウンドに満ち溢れていた。そしてそうした言語化しえないような、還元された形式の外へと零れ落ちる響きを聴かせてくれるグループとして、たとえばここに、ザ・ネックスがいる。

 オーストラリア連邦最大の都市であるシドニーを拠点に活動してきたザ・ネックスは、ピアノのクリス・エイブラムズ、ベースのロイド・スワントン、ドラムスのトニー・バックという3人のメンバーによって1987年に結成された。かつて90年代の初めごろ、トニー・バックは日本とも交流をもち、大友良英らとともにバンドを組んでいたので、そこから彼らの存在に辿り着いたという日本のリスナーも多いのかもしれないが、とりわけ昨年の暮れにザ・ネックスは活動30周年を前にして初めての来日を果たし、東京、大阪、滋賀の3箇所でツアーをおこなったので、そのことから彼らの存在を知るに至った人も多いのかもしれない。東京公演にはわたしも駆けつけ、1時間近くも続けられるトリオ・インプロヴィゼーションに圧倒された。しかしながら彼らの音楽は言葉にしてしまうともの凄く単純である。メンバーのそれぞれが短いフレーズをひたすら繰り返す。彼らはそのフレーズを即興でゆるやかに変化させていく。時折フレーズ同士が絡み合い、グルーヴする場面もみられるが、無関係に並走することもある。3人ともにフレーズの繰り返しをおこなっているため、通常の即興演奏におけるような丁々発止のインタープレイはみられず、まるで植物の生長のような、あるいは広々とした空に流れる雲のような、じっと耳を凝らしていないと変化していることにさえ気づかないような緩慢な移り変わりを聴かせてくれる。それは静かな演奏から幕を開け、中盤では盛り上がりをみせ、また静かになって終えられる。

 ブライアーズが非難した単純極まりない形式である。けれどもそれは、予定調和と言ってしまうとちょっと違う。盛り上がった後に静まりかえって終わるのだろうなという予想はつく。しかし彼らの音楽は、その始まりからは予想だにしないような成り行きをいつも聴かせてくれるのだ。それはたとえば、緩慢な四季の移ろいが、春の後には夏が来て、秋の後には冬が来るとわかっていながらも、昨年の夏と今年の夏が異なっていることにも似ている。反復することが同じ結果をもたらすのではなく、繰り返すことが異なる結果をもたらすようなものとしての音楽。

 そんな彼らの19枚めのアルバムがリリースされた。リリース元は、1994年以来ザ・ネックスの音源を発表し続けてきた彼らの自主レーベル〈フィッシュ・オブ・ミルク〉ではなく、エレクトロニカ/電子音響作品で知られる〈エディションズ・メゴ〉の傘下にあり、Sunn O)))のスティーヴン・オマリーが監修するレーベル〈イデオロジック・オルガン〉である。過去の大半のアルバムでは1時間近くの長尺の演奏が1曲だけ収録されているというパターンが多く、それは74分間もの長さを記録することが可能なCDというフォーマットが、音楽の流通手段として人口に膾炙し始めたのと同時期に、ザ・ネックスが活動を始めたことと無関係だとは思えないのだが、ならばなおさら本盤が、2枚組LPおよび音源配信のみで出されているということは興味深い。収録されているのは15分ほどの曲が2曲、20分ほどの曲が2曲の計4曲で、それらはちょうどLPの片面の長さに相当する演奏である。だがCDというフォーマットの栄枯盛衰を眺め続けてきた彼らにとって、これがLPでリリースする初めてのアルバムというわけではなく、過去に『Mindset』(2011)『Vertigo』(2015)と2枚のLPアルバムを出している。

 ついでにザ・ネックスのこれまでの活動を音盤から振り返ってみると、彼らは1989年にファースト・アルバム『Sex』を発表し、同じフレーズが1時間近くも延々と続けられるその衝撃的な音楽を世界に提示した。しかし翌年にリリースされたセカンド・アルバム『Next』(1990)では早くもコンセプトをやや変えて、6曲の短い演奏(とはいえ、うち1曲は30分近くある)を、複数のゲストを迎えながら収めたものとなっている。続く3枚め『Aquatic』(1994)はそれから4年後にリリースされ、30分弱の、タイトルと同名の楽曲が2曲収録されているのだが、片方はトリオで、片方はハーディ・ガーディ奏者をフィーチャリングしたカルテットによる演奏。4枚めのアルバム『Silent Night』(1996)では1時間1曲というスタイルに戻り、しかしそれが2枚組アルバムとなって2曲まとめて発表された。その後は映画音楽を手掛けそのサントラ『The Boys』(1998)を出したり、ライヴ・アルバム『Piano Bass Drums』(1998)をリリースしながらも、スタジオ・アルバムとしては1時間1曲というスタイルが踏襲されていく(『Hanging Gardens』(1999)『Aether』(2001))。もちろん、同じスタイルとは言っても内容はそれぞれに異なるモチーフが扱われているためまったく別ものの演奏となっている。そして2002年にリリースされた4枚組のライヴ・アルバム『Athenaeum, Homebush, Quay & Raab』は、オーストラリアにおけるグラミー賞とも言うべきARIAミュージック・アワードにノミネートされた。続けざまにライヴ・アルバム『Photosynthetic』(2003)を出した彼らは、同年にリリースした『Drive By』(2003)でARIAミュージック・アワードのベスト・ジャズ・アルバムに選出されることになる。12枚めとなるアルバム『Mosquito / See Through』(2004)は2枚組で、木片が飛び散るような物音と力強いベースのグルーヴなどは、同じく1時間1曲の2枚組だった『Silent Night』を思わせもする。そしてさらに『Chemist』(2006)では2度めのベスト・ジャズ・アルバムに輝いてしまうのだ。同作品はそれまでのスタイルとは異なり、20分前後の楽曲が3曲収録されている。スティーヴ・ライヒmeetsロック・ミュージックな3曲め“Abillera”は、ポストロックにも通じるサウンドを聴かせてくれる。また、このあたりからドラムスのトニー・バックが積極的にギターも使用し始める。4枚めのライヴ・アルバム『Townsville』(2007)を挟んでからは、2曲収録されたLP作品『Mindset』(2011)を除いて、1アルバムに長尺の1曲というスタイルで『Silverwater』(2009)、『Open』(2013)、『Vertigo』(2015)の3枚の作品をリリースしていく。

 ここまで振り返ってみて興味深いのは、ゼロ年代の終わりごろを境にして、彼らの音楽性がやや変化しているということである。それまでは「リフ」とも言うべきベースとドラムスの具体的/音楽的なフレーズの反復を基盤にして、その上で主にピアノが装飾的な彩りを加えていく、というアンサンブルの組み方がなされていたのだった。場合によってはベースとドラムスは徐々に変化するということもなく、『Sex』のように全く同じフレーズを1時間ひたすら続けるということもあった。しかし『Townsville』あたりからそうしたスタイルに変化の兆しが見え始める。ベースとドラムスはともに同じリズムを奏でるのではなく、それぞれが独立し各々のフレーズをゆるやかに変化させていく。そのフレーズも具体的/音楽的というよりは、反復されることで初めてリズムやパターンを見出せるような抽象的/音響的なものとなっていく。『Open』や『Vertigo』などに顕著だが、リズムを生み出す下部構造としてのベース&ドラムスに対して彩りを添えるウワモノとしてのピアノ、というのではなく、むしろ三者がそれぞれリズムもサウンドも担いながら三様に変化していき、それらが絡み合いときに衝突しあるいは共振するアンサンブルといったものになっていく。その時点でザ・ネックスは結成からすでに20年以上経っているわけだが、彼らの音楽がクラウト・ロックやミニマル・ミュージックとは全く異質な独自のインプロヴァイズド・ミュージックとなったのは、むしろここからのようにも思える。しかも彼らはあくまでピアノ・トリオという伝統的なジャズ・フォーマットを踏襲した上でそれをおこなっているのである。新たな音楽性へと突き進むためにメンバーが次々に楽器を持ち替えていくというわけではなく。

 そして本盤『Unfold』はまさにそうしたザ・ネックスに独自の音楽が収められた現時点での最高傑作である。叙情的なピアノの旋律から幕を開ける1曲め“Rise”は、さらにオルガンの揺らめく響きとベースのアルコ奏法による持続音が漂うなかで、雨音のようにパラパラと叩かれるシンバルが絡み合い、終始穏やかな音の風景を聴かせてくれる。2曲めの“Overhear”では、アルコ奏法の持続音が鳴り響く一方で、ドラムスは速度感のあるパルスを刻んでいき、そしてそれらのサウンドの波に乗るようにしてオルガンは旋律を奏で続けていく。より「波」の形容が相応しいのは3曲め“Blue Mountain”だ。ベースは太い低音を出しゆったりとしたリズムを形成し、ドラムスは強くなったり弱くなったりするスネアやシンバルのロール奏法を聴かせ、そこにオルガンの揺らめきが加わるサウンドは、まるで打ち寄せては引き返していく浜辺の波のようでもある。だが後半では、ドラムスのリズムが速度を増していき、それに呼応するようにベースとピアノも変化することで、演奏の緊張感が高まっていく。その高まりを打ち破るかのように4曲め“Timepiece”は強烈な打撃音から幕を開ける。不規則なパルスがポリリズミックに絡み合うその演奏は、しかしながらしばらく聴いていると、ある周期で反復されているために一定のグルーヴを生み出しているのがわかるようになる。そこにオルガンが入ったサウンドは、どこかエレクトリック期のマイルス・デイヴィス・グループを彷彿させる。あるいはその揺らぎモタつくシャッフル・ビートは祭囃子のようでもある。それはいくつもの自動機械が置かれた工場のなかで、それぞれの機械が自らの周期で反復することから生まれる、空間全体のアンサンブルを耳にしていると形容することもできる。

 1時間に長尺の1曲だけが収録されたアルバムというのは、いかにも取っつき難そうに思えるかもしれず、その意味では本盤は、抽象化/音響化以降のザ・ネックスの音楽が、それぞれに特徴的な4つの楽曲として、LP片面というほどよい短さで収録された、彼らについて知るための導入口として打って付けのアルバムになっている。ちなみに余談だが、本盤に収録されている楽曲の長さを合計すると74分40秒弱になり、CD初期の収録可能時間74分42秒とほぼ一致する。それが偶然の産物なのか意図的に編集されたものなのかは定かではないものの、たとえLPというフォーマットでリリースされた「ほどよい短さ」の楽曲であったとしても、ザ・ネックスの音楽にCDのフォーマットが纏わりついているという事実は、基本的にはアコースティックなピアノ・トリオでありながら、多重録音やプログラミングにも取り組んできた彼らの、音響テクノロジーとの関わりを象徴的に示しているように思える。この30年はザ・ネックスの活動の軌跡であるとともにCDというフォーマットの栄枯盛衰の歴史でもあったのだった。生きた即興音楽を録音するとは如何なる行為なのか? それは避けられるべき演奏を殺す行為なのだろうか? 少なくともザ・ネックスにとってそれは、彼らの表現を成立させるための基盤になってきた条件のひとつであった。彼らの即興音楽はCDになることで死物と化するのではなく、むしろそのフォーマットによって生み出された身体感覚を備えることではじめて可能になるような特異性を内包している。それはLPでは短すぎ、音声ファイルでは際限がなさすぎるのである。そうした特異性の影が、「ほどよい短さ」であるLPの片面に収められた演奏にも、ひっそりと刻印されていると考えることはできないか。余談が過ぎたようだ。ともあれ、これまでとはレーベルを変えて出されたということも含めて、活動を始めてから30周年を迎えたザ・ネックスにとって、本盤のリリースが画期となる出来事であることはあらためて述べるまでもないだろう。

 最後に付言しておくと、ザ・ネックスの音楽にじっくりと耳を傾けてみるならば、ここまで述べてきたような様々な発見と出会いと驚きがあるものの、かといってバックグラウンド・ミュージックのように聞き流すことができないものであるというわけではない。その点では、集中的聴取に耐え得る強度を備えた音楽でありながら、同時にその場の空間に溶け込んでしまうこともできるような特徴もあるという、「環境音楽」(ブライアン・イーノ)としての側面を備えている。聴感的にもアンビエント・サウンドやポスト・クラシカルな傾向と共振するものがあるとも思う。とはいえ、やはり彼らの音楽はあくまでも「即興音楽」なのである。少なくともこの側面なくして彼らの音楽は成立することはないだろう。なぜなら事前に音を配置しては決して得られることのないようなサウンドの移り変わりこそが、ザ・ネックスの音楽に特有の独自性であると言うことができるから。そしてそれはやはり、変わりゆく移ろいそのものの美しさというものであり、あるいはわたしたちが気づかぬ間にそこで生成し変化していき、ふと振り返ると美しく佇んでもいるような、迷路のように複雑に入り組んだ「季節」に似ている。

Donato Epiro - ele-king

 〈ルーピー〉は、〈4AD〉のA&R、サミュエル・ストラングが設立したレーベルで、〈サブテクスト〉からのリリースでも知られるFISのアルバム『ザ・ブルー・クイックサンド・イズ・ゴーイング・ナウ』を、2015年に送り出している。まさに現在、注目すべきアンダーグラウンド・エクスペリメンタル・ミュージック・レーベルのひとつといえよう。
 その〈ルーピー〉の2017年におけるファースト・リリースが、イタリア人アーティストのドナート・エピロ『ルビスコ』である。ドナート・エピロは、カニバル・ムーヴィーのメンバーでもあり、ソロとしても、あの〈ブラッケスト・レインボウ〉や〈ブラック・モス〉からダーク/アヴァンなエクスペリメンタル・ミュージックをリリースしている。また、00年代後半からレーベル〈スタームンドラッグス・レコード(Sturmundrugs Records)〉を主宰し、あのディープ・マジックやTHEAWAYTEAMなどの作品を送り出してきたという重要人物でもある。
 本作は、これまで少部数のCD-R作品として発表した曲をまとめたアルバムだが、しかし、その廃墟のような音響空間は、まさに2017年的ポスト・インダストリアル・ミュジーク・コンクレート・サウンドである。聴き込むほどにドナート・エピロの先見性と、この作品を、2017年の今、リリースするレーベルの審美眼の鋭さに唸らされてしまう。

 細やかなノイズ、鼓動のようにパルスをベース、打撃のようなリズム、分断される環境音。それらは断片化され、まるで終わりつつある世界を描写するようにインダストリーなサウンド・スケープを展開していく。それはドローンですらない。新しい時代のミュジーク・コンクレートが生みだすアンビンエスがここにあるのだ。
 アルバムは、環境音らしき音の持続/反復から幕を開ける“Rubisco”からスタートするわけだが、いくつもの霞んだ音色のミュジーク・コンクレート的なトラックは、まるで世界の廃墟を描写するように静謐に、そしてダイナミックに展開する。さながら映画の環境音のように、もしくは夢の中の環境音のように、である。そして、アルバムは次第に音楽としての反復を獲得しながら、反復と逸脱を重ねていくだろう。特に5曲め“Nessuna Natura”、6曲め“Scilla”のサウンドを聴いてほしい。

 私には、このアルバムに収録されたトラックは、いわば、ジャンクな世界に満ちたジャンクなモノの蠢きによって再構築し、それによって、廃墟的なロマンティズムをコンポジションした稀有な例に思えた。これが2009年から2010年までに少部数リリースされたCD-R作品からの曲というのだから、そのあまりの先見性に、もう一度、唸ってしまう。音楽とSFは世界を預言するもの、とはいえ。
 世界が最悪になっているのなら、その最悪さを引き受け、人というモノ以降の世界の廃墟のセカイを音によって描き切ってしまうこと。そのような「廃墟のアンビエンス」が本作にはある。美しさと郷愁がともに存在し、そして鳴っている。私には、その「ヒトのいない世界のザワメキ=音響」が、とても穏やかなアンビエンスに聴こえてしまうのである。

interview with YURUFUWA GANG - ele-king

いい意味でぶっ壊したかなとは思います。──Ryugo
うん。ぶっ壊した。──Sophiee


ゆるふわギャング
Mars Ice House

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 ele-king読者の耳にはもう届いているに違いない。ゆるふわギャング(Ryugo IshidaとSophiee、ビートを手掛けるAutomaticのユニット)の1stアルバム『Mars Ice House』が4月5日にリリースされる。クラウドファンディングで制作資金を募集するや即座に目標金額を上回り、すでに話題沸騰のゆるふわギャング。フロント・メンバー、Ryugo IshidaとSophiee、インタヴューでこちらの質問に答えるふたりを見ていると、いつの間にかその場の空間全体を俯瞰しているもうひとりの視点に気付かされる。あるいは映画をVRで見ているような感覚に陥るとでも言えばいいのか。ふたりの紡ぎだす空気はまるで映画のようだ。「ね?」とSophieeが横のRyugo Ishidaに微笑みかけると、「うん」とRyugo Ishidaが答える。言葉は少ないがこのやりとりが醸す空気は雄弁で温かい。新作アルバムの話からふたりの生い立ちにまで遡ってのロング・インタヴュー!

昔から学校嫌いで、小学校5年生ぐらいから学校行ってない……学校はとりあえず嫌いでしたね。中学校いっても、常にひとりでいるのが好きだったから、保健室にいるかどっかで寝てるか。──Ryugo

ゆるふわギャングの1枚目ですね。

Ryugo Ishida(以下、Ryugo):やっと……

Sophiee:やっと……

Ryugo:……できたっていう。

ゆるふわギャングのはじまりは去年(2016年)の夏……でしたよね? 

Ryugo:……ぐらいにふたりで“Fuckin’ Car”という曲を作ったのがきっかけです。PVも撮ったんですけど、この曲をゆるふわギャングで出そうというのがきっかけで、そこから色々曲ができていって、名前もそのままゆるふわギャングでという感じです。

ゆるふわギャング“FUCKIN CAR "

でも、楽曲ができたのとゆるふわギャングの結成はほとんど同時で……と、そこからのアルバムと考えると早いですよね。

Ryugo:早いんですけど……やっぱり1枚目だし、ちゃんとした形でリリースするのは初めてだから嬉しいですね。いままでとは全く違うっていうか、気持ちが……

Sophiee:ね? 気持ちが全然違うっていうか、アーティストだ! っていう(笑)。

Ryugo:まず最初のクラウドファンディングでふたりで出したやつよりもこれは自信が違う。俺たちはこれっていう……

Sophiee:うちらがこうです! みたいな……たぶん一番クラシックだと思う。次に何が出ても(笑)。

Ryugo:それはある。

Sophiee:固い……

Ryugo:すべての始まりでもある……

Sophiee:まだ序章に過ぎない……

Ryugo:実際のところこのアルバムができてからも、別の曲もバンバン作っちゃってるから、俺たちの中では初めてだけど、もう古いというか(笑)。どんどん自分たちがアップグレードしていってるから。

Sophiee:ネクストレベル。常に先を見て曲を作ってる。

Ryugo:でもなんか戻れる場所がちゃんとあるっていうか、このアルバムを聞けばこの感じだなっていうか。わかるというか。

Sophiee:たしかに。

バンバン作ってるということですが、もう何曲くらい録りましたか?

Ryugo:10曲いかないくらいはもう録りましたね。

Sophiee:10曲くらいは作ってるか……曲作りの仕方自体はあまり……スタイルは変わらないんですけど、気持ちも変わったし、前よりも全然楽に曲を作れるようにもなった。いい意味で。

それはコミュニーケーションがよりスムーズに取れるようになったということですか?

Ryugo:コミュニーケーションというよりは感覚というか、自分たちの曲を何か作ろうと思った時の曲作りの仕方が決まったというか。いままではリリックを書くのも大変とかもあったけど、いまはもうないもんね。よっぽど集中力が切れてなければリリックが出てこないっていうことは滅多にないし。曲を作ろうってなったときには、大体自分たちの力がバーンって、100%出せるようになったというか。どのタイミングでも。いまなんかその調整をしているというか。

Sophiee:ね。何か細かいところまで目がいくようになった。前はリリックを書くのに精一杯、でもいまはもっと余裕ができて、音の聞こえ方だったり声の出し方だったりとか、そういうところまでちゃんと気を使えるようになった。そういう意味でも100%の自分で曲を作れるようになった。

このアルバムを作ったのが大きかったんですね。

Ryugo&Sophiee:ですね。

Ryugo:これを作って、スーパーモードになったっす。サイヤ人モードに常に入れるようになったっす。

Sophiee:ワンナップキノコみたいな。このCDが(笑)。

アルバムの内容に踏み込む前に、ここで一度生い立ちまで遡って少しお話を聞かせてください。まずRyugoさんの地元は土浦でしたよね。

Ryugo:土浦ですね。

ご兄弟はいらっしゃいますか?

Ryugo:妹と弟がふたりいます。4人兄弟の長男です。

土浦にいたときはずっと実家にいたんですか?

Ryugo:そうですね。自分でアパート借りたりとかもあったけど、基本的には実家ですね。

どういう子供でしたか?

Ryugo:昔から学校嫌いで、小学校5年生ぐらいから学校行ってない……学校はとりあえず嫌いでしたね。中学校いっても、常にひとりでいるのが好きだったから、保健室にいるかどっかで寝てるか。高校は仲良い先輩が行ってて、誰でも入れる高校だったからただちょっとノリでいって、適当に卒業したって感じなんですけど。そうですね……遊ぶのは好きだったけど、とりあえず勉強とかもすごい嫌いだったし……っていうのはありますね。あんまり人と関わりたくなかった。グレてたし。

いつ頃からグレてました?

Ryugo:自分は中1ぐらいですかね。サッカーをやってたんですけど、サッカー辞めて、中1ぐらいの時に本格的にグレ始めた感じですね。

グレるというのは具体的にどんな感じだったんですか? 

Ryugo:学校は嫌いだったけど、先生がいちばん仲良かったから、グレてても何してても絶対怒られなかったというか、逆に(笑)。もうそれでいいからみたいな。放っといてくれたというか……どうグレてたんだろう? とりあえず先生も仲が良い先生としかいなかったし……それ以外の先生とか先輩が嫌いでしたね。

上下関係みたいなのが気持ち悪いんですかね。

Ryugo:そうですね。ちょっとあんまり得意じゃないですね。難しいです。

サッカーが好きだったんですか?

Ryugo:サッカーはすごい好きでしたね。小学校のとき少年団に入ってサッカーやってました。フォワードやってましたね。下手くそだったんですけど足が速かったんで(笑)。

ああ、足速そうです。

Ryugo:100m11秒台でした。

それは速いですね。

Ryugo:そうなんですよ。めちゃめちゃ速かったんです。100m走で県大会の決勝戦まで行きました。だからサッカー下手くそでも足速かったんで選抜チームにも入ってましたね。

ボール持ってゴールまで運ぶ感じですね。

Ryugo:そういう系ですね。それしかできなかった逆に。

なかなかかっこいい不良ですね。

Ryugo:でも不良ってわけでもないんですけどね。ただなんかちょっとヤンチャなだけだったというか。とりあえず昔っから人が嫌いだったというか。目が悪かったからよく喧嘩とかも売られてたけど、喧嘩はそういうときにするぐらいでした。

暴走族とかはやってないんですか?

Ryugo:自分たちの地元に暴走族もなかったし、バイクにも興味なかったんですよ。どっちかっていうとそのときギャングの方が興味があって、上下のディッキーズとか着て溜まってるのが好きだったというか。

Sophiee:カルチャー?。

Ryugo:そうですね。カルチャーにすごい憧れていたんですよね。従兄弟がちょっとやんちゃだったんですけど、そういうファッションをしていて、それにすごい憧れてたから。従兄弟は2つか3つ上なんですけど、ヒップホップが好きで、俺もそれに憧れて改造した制服を着たり、ディッキーズとか着て街でたむろってるのが好きでした。

それが中学ですか?

Ryugo:はい。高校の頃はもう割と落ち着いちゃってて、その頃には音楽のことばっか考えてました。

Ryugo Ishida "Fifteen"

ラップをはじめたのは15歳とおっしゃってましたね。

Ryugo:中学校終わるぐらいの頃にはラップが好きになってたから、みんなは高校に入ると同時にバイクに走っていくけど、俺はクラブ遊びに走っちゃって……ハマっちゃってというか。そうですね……って感じでした。

DEAR’BROさん(※ディアブロは土浦のラッパー。Ryugo Ishidaがラップをはじめるキッカケとなった)と会ったのは?

Ryugo:中2か中3どっちかですかね。そのときは……初めてクラブに行って、クラブから自転車に乗って帰ろうとしたときに、いきなり「おまえ待て」って言われて、「おまえいくつだ?」って。「14です」って言ったら、「俺の曲聴け」って言われて、怖って(笑)……思ったのがきっかけだったんですけど。なんだこのおっさんはって思って。帰って先輩の家でもらったCD聴いたらめちゃめちゃかっこいいと思って、CDの裏に書いてあった番号に速攻電話して、で、その次の日に飯に連れてってもらったんです。1週間後ぐらいには「俺のステージ立て」って言われて、サイドMICとかをやってたりとかしたのがはじまりで、あとは自分の同級生に音楽を勧めて、「一緒に曲をやろうよ」って言ったりして、やったりとかもしてたんですけどね。いつの間にかみんないなくなっちゃって……って感じでした。結局先輩と一緒にいるか……って感じでしたね。仲良いのは地元の1個上の人たちで、3人仲良い人がいるんですけど。その人たちとしかほとんど遊ばなかったです。この先輩たちはいまも仲良いですね。だから孤立はしてたかもしれないです、常に。グレてるときもひとりだったし。

そういうひとりのときって何を考えてたんですか?

Ryugo:クソだな〜と。毎日つまらないなーと思ってました。ずっと。なんか面白いことないかなぁーと思って。だから学校の先生が鍵をいっぱい持ってるんですけど、それを盗んでひとりで学校を冒険したりしてました。みんなが勉強をしている間とかにひとりで鍵のかかった部屋に忍び込んだり、ひとりでサボってましたね。

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Sophieeはお兄ちゃんがギャングスターで、悪いんですよ。地元でけっこうボス的なお兄ちゃんがいて、妹もいて……妹はまったく真逆で超まじめで勉強もできる。でも私は何もできなかったんですよ。──Sophiee


ゆるふわギャング
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音楽を最初にかっこいいと思ったのはいつなんですか? 最初にCDを買った音楽というか。

Ryugo:ああ。小学校6年生ぐらいの時に同級生がロスだかどっかに行ったときに2パックのCDを買ってきてくれたんですよ。「好きそうだよ」って。それがはじまりだったかもしれないですね。いちばん最初のCDはそれで、あと従兄弟がヒップホップを聴いてたんですけど、その影響でZEEBRAの『STREET DREAMS』とかEMINEMの『カーテンコール』を聴いたり。それで学校には行かずに夕方まで寝て、夜中はどっか遊びに行くかみたいな感じでしたね。ずっとそんな感じでした。

2パックが原体験というのは少し秘密に触れた感じがしますね。では、ここからはSophieeさんにはお話を伺いたいです。Sophieeさんはどんな子供でしたか?

Sophiee:Sophieeはお兄ちゃんがギャングスターで、悪いんですよ。地元でけっこうボス的なお兄ちゃんがいて、妹もいて……妹はまったく真逆で超まじめで勉強もできる。でも私は何もできなかったんですよ。なんかもう本当に……なんていうんだろう? 悪さしかしないし、親にもずっと怒られてた。けど、お兄ちゃんとは気が合ってて……って感じで。学生のときもとくにやりたいこととかもなくて、私も毎日つまんないなって感じでした(笑)。

ずっと品川ですか?

Sophiee:品川ですね。本当東京にしかいなくて、ずーっと。地方遊びに行ったりとかも全くなかったし、東京から出なくて、地元で遊ぶとかもなくて、遊ぶってなると渋谷とか、ほんと東京のただの女の子みたいな感じなんですけど。

品川の、駅でいうとどの辺りになるんですか?

Sophiee:駅だと天王洲アイルっていうところですね。お父さんは離婚していなくなったんですけど、それまでは親もずっと喧嘩してるし、なんか部屋でずっとぼーっとしてるとかそんな感じでしたね。

地元の中学校に通ってたんですか?

Sophiee:地元の中学に行ってて、昔からずっと海外に興味があって。そのときくらいから日本を出たいなと思いはじめて、それで自分でバイトをして海外行こうと思って、そのためにバイトを中学生からしてました。Sophieeもけっこうひとりが好きで、そうやって貯めたお金でひとり旅とかしに行ってましたね。最初に行ったのがスペインなんですけど、それが高校1年生の頃です。あとはニューヨーク行きたいなと思って、そのためにまたアルバイトしてお金貯めてニューヨーク行ったりとか。

英語やスペイン語が話せるんですか?

Sophiee:海外にはずっとすごい興味があったから英語の授業だけはめっちゃ真面目にやってて、自分でネットを使って海外の人とSkypeしたりして喋ったりして……独学? で、英語は多少、ほんとちょっとだけど喋れるようになりました。でもスペインに行ったときに痛感したのは、スペインは英語が全く通じないんですよ。英語で喋りかけてもスペイン語で返してくるし、意地悪でした。あっちの人はプライド高いっていうか、スペインだったらスペイン語話せよみたいな。すごい冷たくされて。そういう国なんだなと思って、それでちょっとスペイン語も勉強しなきゃなと思って、スペインにいる間は自分でスペイン語の本を買って読んだり、それでちょっとですけど覚えましたね。高校で選択授業というのがあって、何か国語の中から選択して自分で勉強できるコースがあって、それで私はスペイン語を選択して、ちょっと勉強したりとかしてました。

スペインに行ったのは高校1年の夏休みとかですか? どのくらい行ってたんですか?

Sophiee:2週間くらいですね。夏休みとかじゃなかった気がしますね。普通に高校に行かないで行ったと思います。それで高校も途中で辞めたんです。ひとり旅が楽しくなっちゃって。別に高校行ってるんだったら、海外遊びに行ったほうが面白いかなと思って。友だちとかも普通に仲良かったし、成績もそんなに悪くなかったし、先生ともそんなに仲悪くなかったけど、いきなり友だちとかにも言わないで高校辞めちゃって。けっこうびっくりされたんですけど。「辞めたの?」みたいな。突発的なんですよ。行動が。あんまり先を考えない。高校も辞めるって言ったら辞めるし、親も私がなんかやるとか辞めるとか言ったら、もう聞かないってわかってるから。(高校を辞めるって言ったときも)「はい、わかりました」みたいな感じでした(笑)。

それが高校何年の時ですか?

Sophiee:2年生に上がってすぐですね。けっこう変わってましたね。友だちを作ろうともあんまり思ってなかったけど、自然にできて。高校の友だちとかも普通に仲良かった。周りにも変わってる友だちしかいなかったですけど。でもそんなに派手ではなかったですね。

少し話戻りますけど、海外に行きたくて中学2年からアルバイトしてたんですよね。

Sophiee:お兄ちゃんの仲良い友だちがやってるピザ屋に年齢嘘ついてアルバイトやったりとかしてて、もう15歳くらいからけっこう六本木で遊んだりしてました。クラブに行ったりとか。そのときはIDチェックとかもあまり厳しくなかったから。でもそういう話を高校ではしなかったですね。なんか夜遊ぶ友だちと学校の友だちみたいな感じで分けてました。

ニューヨークはいつ行ったんですか?

Sophiee:ニューヨークは高校辞めてすぐですね。ニューヨークは初めて行ったアメリカだからかもしれないけど、すごい好きなんです。音楽とかヒップホップを知りはじめてすぐ行って、ビギーの映画を見てかっこいいなと思ったり……すごい影響を受けましたね。アメリカの音楽がずっと前から好きだったから、日本人の音楽はあんまり知らないんですよね。今もアメリカの音楽しかあんまりわからないです。

Sophieeさんは独特の言語感覚がある気がしますね。

  起きてる時間を今日と呼ぶなら
  今日は続くよね all night long “Go! Outside”

  ミシュランにも載らないようなメニューで
  星じゃ表せられないようなテイスト
  処女みたいなpureな心
  見る世界はゴミの紙袋
“Dippin’ Shake”

ゆるふわギャング "Dippin' Shake"

こういったリリックにそれを感じます。日本語だけどメタファーが日本語の感覚にとどまっていないというか。

Sophiee:英語とかだといろんな言い方があるじゃないですか。アメリカの音楽が好きなのも歌詞とか上手いなと思って。言い方とか伝え方が、日本人ってけっこうストレートじゃないですか。そっちの方が伝わりやすいのもあるし。Sophieeはアメリカの言い回し方が好きで、ちょっとくどい言い方みたいなのを日本語でもできたらいいなと常に思ってて、けっこうリリックもくどい言い方をしているんですけど。そういうのは常に意識してます。

昔からそういうのが自然な感じでしたか?

Sophiee:アメリカかぶれじゃないけど……とにかくアメリカのカルチャーに憧れてて。だから子供のときは早い段階で@#$%もやったし、お兄ちゃんがギャングスタだったのもあるからその影響で@#$%とかを覚えて一回ちょっと頭おかしくなっちゃったときもあるし。いろいろ乗り越えていまがあるけど、ニューヨークに行ったことがけっこういまの自分に影響しているかもしれないですね。タフだったなぁと思って。

人間の汚さ……ですかね。昔から感じていたことはたくさんありますけどね。なんだろう、やっぱり信用していた、自分たちが心を開いた人が全部嘘だったりするときは、ああ、こんなもんなんだなっていう。──Ryugo
別にうちらワルぶってるわけでもないのに、まぁそう見えるのかもしれないけど……そう見てガッとくる人もいるし、別にそんな何もしてないのに……。──Sophiee

いまお話に出た「早い段階。というのはどのくらいの年の頃なんですか?

Sophiee:うーん。もう中学生のときとかもバンバンいろいろやってたし、だからなんか普通にタメの人とは話合わなかったり。けっこう背伸びしてた時期はありましたね。そんなつまんない遊びしないみたいな。

ずっと何かに「染まる」みたいな感覚が嫌なんですかね。

Sophiee:でもなんかそう、自分の意思は絶対だから、自分の中で。だから人に何を言われても、へーみたいな。そう思うんだぁみたいな。でも私は違うけどみたいなのはありました。

ざっと振り返りましたが、いま聞いたお話だけでもふたりともけっこう共通するものがありますね。ひとりでいるのが好きだったり……

Ryugo:いまはいろんなものを乗り越えたっていうのはあるかな。見たし。

いろいろ……何を見ましたか?

Ryugo:人間の汚さ……ですかね。昔から感じていたことはたくさんありますけどね。なんだろう、やっぱり信用していた、自分たちが心を開いた人が全部嘘だったりするときは、ああ、こんなもんなんだなっていう。そういうことは何度もありました。だから地元でも、こういう人間たちのなかに染まりたくないというのはありましたね。こうなりたくないというか。

Sophiee:ね。なんか……そういう人ってけっこう寂しがりじゃないですか。人に強く当たって満足するじゃないけど、なんかすごい冷めた目で見ちゃうんですよね。別にうちらワルぶってるわけでもないのに、まぁそう見えるのかもしれないけど……そう見てガッとくる人もいるし、別にそんな何もしてないのに……。うちら好きなことやってるだけなのに、何でこうなっちゃうんだろうって思うことはよくあったかもしれないですね。もっとうちらの素直な心を受け取ってほしいなっていう。まぁ別にそんな狭いとこを見てないし。うちらは世界行きたいだけだから。

そういう発想でいた方が絶対良い気がします。いまSophieeさんのリリックに少し触れましたが、Ryugoさんのリリックの持ち味はまたSophieeさんとは違いますね。感じたことをまんま口にしているというか。

Ryugo:そうですね。基本的には、感じたことというか見たものですね。いちばんダイレクトにというのを心がけてるんですけど。

ああ。「感じたこと」と「見たもの」はたしかに違いますね。言葉を工夫しているように聞こえないのがRyugoさんの個性かもしれないです……と思いました。

Ryugo:昔はやっぱり飾ってましたけどね。いろいろ経験してきたことが自分たちの中であって、自分が地元を離れて東京に来て、すべてこうゼロになったとき……ふたりでこうなったときに、今まで飾っていたものは必要ないんだというか。Sophieeのリリックを聞いてからも書き方も全部変わったんですよね。。こういう風に言えばいいんだみたいなのがわかってから、いまみたいなリリックになったんです。それまでは飾ってたやつばっかだったし、だからSophieeに会ってからですかね。こういう風に書けるようになったのは。

  ai ai ai ai 俺らの世界
  でかい海を支配する狙い
  金金金金 財宝全部頂き
  面舵一杯帆を上げな
  風向きに全てお任せな
“パイレーツ”

この曲も勢いあります。

Ryugo:俺はけっこう『グーニーズ』とかキッズが出てくる映画が好きなんですけど、そういうイメージですね。この曲は『パイレーツ・オブ・カリビアン』を見ててそっからできた。船が出てきて宝探しするとかそういうイメージというか。全部奪ってやろうと思って、そういう奴らから。

Sophiee:汚い大人?。

Ryugo:(笑)。

(笑)。とにかくふたりが出会い、ゆるふわギャングになってからRyugoさんも完全にギアチェンジした感じですね。

Ryugo:ですね。

出会いと曲を作りはじめたこと、ゆるふわギャングの結成がほとんど同時なんですもんね。
Ryugo&Sophiee:そうですね、同時です。

ここで話がインタヴューの最初のところまで一周しましたね。では、ここからアルバム『Mars Ice House』を掘り下げさせて下さい。

  好きなことに夢中
  広がる妄想まるで宇宙
  目に見えないことが普通
  でもなぜか見えちゃってる
  それに気づく大人
  もちろん不機嫌な面  “Stranger”

これはRyugoさんのリリックです。この曲はアルバムのなかでも重要な位置付けの曲だと思いました。

Ryugo:“Stranger”はまた悪魔みたいな人が…。

Sophiee:現れて……。

Ryugo:いい加減にもういいなと思って。どこに行ってもこういう人たちはいっぱいいるんだなと思って。ちょうどこの時に『Stranger Things』を見ていたんですけど……。

Sophiee:Netflixのドラマ。うちらあれ大好きで。『Stranger Things』の物語も汚い大人から子供たちが逃げるような物語なんですけど、悪魔とか。それとうちらをシンクロさせて。

Ryugo:遊びに行ってるときにそういう面倒くさいと思うようなことがけっこうあって、リリックが1回書けなくなったんですよ。そのときにKANEさんと会って、“Stranger”が書けたことによって、そこからまったく違うものになった。

なるほど。ある意味ターニングポイントとなる曲ですね。

Ryugo:そうですね。“Stranger”“大丈夫”らへんはターニングポイントにはなってるかなとは思います。

聴いていても“Strangerから“大丈夫”の流れは印象的です。KANEさん(今回のアルバムのジャケットはKANE氏のアートワーク。SDPのグラフィティライター)と会ってリリックが書けるようになったということですが、何か具体的なことがあったのですか?

Ryugo:山梨に『バンコクナイツ』っていう映画を見に行って、そこにすげえいろんな人たちがいたんですけど。みんなが俺たちのことをホメたりとかしてくれてて、号泣しながら帰ったんですよ(笑)。帰りの山梨の高速のパーキングエリアで温かい気持ちになって高まっちゃって……号泣しながら「大丈夫だよ」っていうことを言いたくなった(笑)。

Sophiee:山梨行ったときにKANEさんとかWAXさん(SD JUNKSTA)に会って、KANEさんは前から会って知ってたけど、WAXさんはこのとき初対面で「ゆるふわじゃん!」みたいにすごい温かく迎え入れてくれたんですよね。その山梨の帰り……パーキングに停めた車の中でリューくんがSophieeの方ずっと見て黙ってて。なに? なに? どうしたの? と思って。でもずっと黙ってて、リューくんのその顔を見てたら涙出てきちゃってまずSophieeが号泣して、そうしたらリューくんも号泣しだして。なんでうちら泣いてるんだろう? 1回考えようってなって。これ嬉し涙だって。そっからバーって泣けるだけ泣いて、これ曲作ろうみたいになって。そのとき送られてきていたAutomaticさん(※もうひとりのゆるふわギャング。Ryugo Ishida名義のアルバム『Everyday Is Flyday』から現在のゆるふわギャングのビートまで一貫して手掛けるプロデューサー)ビートでリリックを書いた。そのときSophieeが「大丈夫だよ、大丈夫だよ」ってリューくんにずっと言ってたんです。だから“大丈夫”っていうタイトルをつけた。車を走らせては泣いて、止まって曲書いて、また走らせて泣いて止まって曲書いてみたいな(笑)。

Ryugo:KANEさんと会ったのはいちばんデカかったかな。完璧に変われたっていうか。俺もハタチの頃からずっと自分で店をやったりしていたんですけど、自分がやってきたことを否定され続けてきたんですよね。何やってもダメなんだなぁじゃないけど、自分でこう表現しているのに、けっこうそういうもんなんだな、そっけないなと思っていたんですよ。でもKANEさんみたいに良いって言ってくれる人がいるっていう。それでけっこう変わったかな。ポジティヴなヴァイブスになったというか。いい大人の人たちとちゃんと出会って心を開けるようになったというか、少しづつ柔らかくなってったかなぁなと思います。

そもそもKANEさんとの出会いはいつだったんですか?

Sophiee:去年(2016年)です。

Ryugo:ですね。

Sophiee:なんか夏に、まだゆるふわギャングでアルバムを出すという話にもなっていない時期に、渋谷でリュー君がライヴに呼ばれていて、そのときにもう“Fuckin’ Car”ができてたんで、ライヴで1曲やろうみたいな。そこにゆるふわギャングで出て、そのライヴの後にKANEさんが声をかけてくれて、「いまのヒップホップってこうなんだ!」みたいな。すごい感動してくれたみたいで。目をキラキラさせながら話しかけてきてくれて。その時PE▲K HOUR(KANE氏プロデュースのブランド)の撮影とインタヴューの話をくれたんですよね。

Ryugo:それでモチベーションがバリ上がって……みたいな。そこからふたりでアルバム作っちゃおうみたいな。

Sophiee:うちらは絶対間違ったことしてないっていう、その自信がすごい湧いてきて。一気にそれから曲も書けるようになったよね。それまで良いものは良いみたいにちゃんと言ってくれる大人の人とかに触れ合うことが少なかったから、すごい嬉しかったんですよ。肥後さん(現ゆるふわギャングのA&R)が声をかけてくれた時もそういう感動があって、そういう人たちとずっと、常に一緒にいたいんで、ヴァイブスも下がんないし、好きなことを突き詰めてできるし。曲もそうだし、だからそういう面ですごい変わって。エネルギーを音楽だけに費やせるようになりました。

お話を伺っていると、KANEさんはゆるふわギャングのキーマンかもしれないですね。

車を走らせてるEvery Night
助手席に座る彼女を見てたい
それだけで景色は2倍
目の前あった霧はもう俺は見えない
アクセルはベタブミであける未来
無理な事なんてほら1つもない   
 “大丈夫”

これもRyugoさんのリリックですね。Ryugoさんは「感じたもの」というより「見たもの」を歌っているとお話していますが、これはまさに「見たもの。」すね。僕は「それだけで景色が2倍」というリリックが好きです。人を好きになるってそういうことだなと。

Ryugo:このリリックはSophieeに対してもあるし、Automaticさんに対してもあるけど、いちばんは地元の後輩でふたり捕まってる子がいて。その子たちがWAXさんのことをすごく好きだったんですよ。WAXさんたちに会った帰りに作った曲だし、ここまで来たんだなって思いもあって……だからみんなに対してありがとうじゃないけど……そういう気持ちが一気にパーンってなって、このリリックができましたね。

Sophiee:“大丈夫”に関しては溢れる想いがこもってる。エネルギーがあるから。

“大丈夫”から後半の高揚感はこのアルバムの聴き所のひとつですね。

Ryugo:そうなんですよ。

Sophiee:後半の曲はどんどん高まって……。

Ryugo:前半の曲っていうか、クラウドファンディングで作った曲は、ほぼノリで作ってる曲だけど、それ以外の新曲は全部意味があって作られてる曲というか……。

Sophiee:前半は本当に遊びの延長線上で作った曲っていうか、ブンブンで飛ばしているような曲ばっかだもんね。

Ryugo:“Stranger”“大丈夫”からの流れで“Escape To The Paradise”は爆発したのかな。

“Escape To The Paradise”は後半のクライマックス的な1曲ですね(インタヴュー後この曲を聴き直すと、この曲のフックは筆者にはOASISのリアム・ギャラガーを彷彿させた。自分の感情のままに歌い上げてしまっている感じだ)。これはどのタイミングでできた曲なんですか?

Ryugo:これはいちばん最後です。

Sophiee:最後に完成した曲です。

いつ頃ですか?

Ryugo:年が明ける前ですね。

  Escape To The Paradise 
  ぶっ飛びたい
  Escape To The Paradise
  これじゃいけない
  Escape To The Paradise
  ドア叩きな
  Escape To The Paradise
  抜け出しな
 “Escape To The Paradise”

ゆるふわギャング "Escape To The Paradise"

……となるとこのアルバムはちょうど2016年下半期の半年間で作り上げた感じですね。長い時間お疲れ様でした。最後にアルバム・タイトル『Mars Ice House』について伺いたいです。

Ryugo:『Mars Ice House』は……宇宙が好きで宇宙の博物館みたいなとこに行って……。

Sophiee:森美術館でやってて(※宇宙と芸術展)。そこにあった夫婦がつくった模型みたいな……。

Ryugo:美術品のタイトルが『Mars Ice House』(※「火星の氷の家。。2015年秋にNASA主催で行われた宇宙探査のための3Dプリント基地考案プロジェクトで優勝した、日本人建築家曽野正之・祐子両名含むニューヨークの建築家チームによる作品)。

Sophiee:火星に人が住めるようにするために研究するラボみたいな、火星移住計画の模型なんですよ。その夫婦ふたりともうふたりで火星で人が住めるように研究するみたいなプロジェクトで。うちらがやっているようなことと似てるなと思って。それにめっちゃくちゃ食らったんですよね。その模型を盗んで帰りたかったくらいなんですけど(笑)。ヤバかったよね。

Ryugo:うん。だから……そうですね。俺たちのプロジェクトにみんなを乗っけて、みんなを俺たちの曲のなかに住ましてあげるっていう(笑)。『Mars Ice House』は夫婦とプロデューサーの4人のチームの作品なんですけど、うちらもAutomaticと……。

Sophiee:肥後さんを入れて4人で。

Ryugo:作品を見たときうちらはまだ3人でしたけど、『Mars Ice House』を見ていて4人のプロジェクトだと気付いて、4人の力ってすごいんだなと思ったんですよ。それからすぐくらいに肥後さんと会った。

そしてジャケットはこのインタヴューでもキーマンとして登場するKANEさんの作品ですね。

Sophiee:KANEさんの絵はエネルギーが出てるのが見えるんですよね。目で。キラキラがすごい出てる。

Ryugo:元々はアートブック(クラウド・ファンディングの出資者へのリターンとして作られた)用に提供してもらった作品だったんですが、KANEさんとの出会いから全部アルバムに繋がったっていうのもあって、ジャケットにさせて貰いました。

Sophiee:ジャケットにさせて下さいって。

Ryugo:あとジャケットにはクラウドファンディングで投資してくれた人たちの名前が入ってます。だからいろんな人のパワーが詰め込まれてるアルバムというか。

Sophiee:投資してくれた人にはすごい感謝してます。

では、この作品について最後に締めの一言をお願いします!

Ryugo:いい意味でぶっ壊したかなとは思います。

Sophiee:うん。ぶっ壊した。

何をぶっ壊したと思いますか?

Ryugo:それは聴いてみて下さい。

オッケーです。ありがとうございました!

JAMES VINCENT McMORROW - ele-king

 アイルランドはダブリン生まれのシンガー・ソングライター、2014年の『ポスト・トロピカル』が欧米のみならず日本でもヒット、つい先日も新作『WE MOVE』をリリースしたばかりのジェイムス・ヴィンセント・マクモローが来日する……ていうか、来週ですよ、来日公演は。
 ボン・イヴェールに対するダブリンからの回答というか、フォーキーかつエレクトロニックな、現代のブルーアイド・ソウルの美しい音楽をお見逃しなく~。



●JAMES VINCENT McMORROW来日公演
2017/3/15 (Wed)
Shibuya WWW
OPEN 18:30 START 19:30
スタンディング 前売り:¥5,500(ドリンク代別)
[お問い合わせ]
SMASH 03-3444-6751
[公演詳細]
https://www.smash-jpn.com/live/?id=2642


ジェイムス・ヴィンセント・マクモロー/ウィ・ムーヴ
James Vincent McMorrow / We Move

now on sale
PCD-24581
定価:¥2,400+税
★日本盤ボーナス・トラック2曲収録
Amazon

POWELL - ele-king

 UKテクノ・シーンの未来を担うと言って良いでしょう。パウウェルがついに来日します。大推薦しますね。NHKコーヘイも出演します、あと李ペリーさんも。

POWELL LIVE IN TOKYO 2017
2017年3月30日(木)
open19:00/start19:30
Adv: 3,000yen(+1 drink order 500yen)

Line Up /
POWELL (DIAGONAL / XL RECORDINGS / UK) [Live]
NHK yx Koyxen (DIAGONAL / L.I.E.S. / PAN / JP) [Live]
Le Perrie [DJ]


(チケット情報)

プレイガイド /
PIA (P:325-929), LAWSON (L:77369), e+
Eチケット / RA, CLUBBERIA
取扱い店舗 / DISK UNION SHIBUYA CLUB MUSIC SHOP, DISK UNION SHINJUKU CLUB MUSIC SHOP, DISK UNION SHIMOKITAZAWA CLUB MUSIC SHOP, DISK UNION KICHIJOJI, TECHNIQUE, UNIT

POWELL(パウエル)
本名Oscar Powell(オスカー・パウエル)
UKテクノ、次世代の本命。人気レーベルDiagonalを立ち上げ、2011 年に「The Ongoing Significance Of Steel & Flesh」をリリース。シーンの寵児となる。翌年には「Body Music EP」をリリース。その後はTHE DEATH OF RAVEや(ミュート傘下の)LIBERATION TECHNOLOGIESといったレーベルからもリリースし、英名門レーベル、XL Recordingsと契約。2015年に「Sylvester Stallone / Smut」を発表。昨年はアルバム『スポート』を発表。

interview with YUKSTA-ILL - ele-king

E王
YUKSTA-ILL
NEO TOKAI ON THE LINE

Pヴァイン

Hip Hop

Tower HMV Amazon iTunes

 ラップの巧みな技術を披露しながら、そのリリックの意味や作家の意図するところをリスナーまで届けるのは簡単なことではない。それは単純にラップ・ミュージックは言葉数が多いということもあるし、リスナーの耳に頼らざるをえないという側面もある。いま大人気のMCバトルのテレビ番組が字幕を付けている、あるいは「付けざるをえない」事実からもわかるだろう。これは皮肉や揶揄ではないのでそこは勘違いしないでほしい。ヒップホップ、ラップ・ミュージックという音楽文化に特有の言語(スラングや専門用語)や文脈やコードというのも深く関係している。もちろん解釈や聴き方はリスナーの自由だ。それでもラッパー=作家が「伝える」ことを諦めないのであれば、彼/彼女らは努力を怠らず試行錯誤をくり返す必要があり、そしてその過程と軌跡がそのラッパーの音楽の個性や魅力になっていく。

 そこで三重県鈴鹿市のラッパー、YUKSTA-ILL(ユークスタイル)のセカンド・アルバム『NEO TOKAI ON THE LINE』である。この作品でYUKSTA-ILLはその類いまれなラップ・スキルを披露した上でアルバム1枚を通してストーリーを紡いでいく。これまで彼は、ファースト『questionable thought』(2011年)、EP『tokyo ill method』(2013年)、ミックスCD『MINORITY POLICY OPERATED BY KOKIN BEATZ THE ILLEST』(2015年)といった作品をリリースしている。それらと比較すれば、本作が彼の中で「伝える」ことに重きを置いた作品であることもわかる。

また、YUKSTA-ILLはSLUM RCという名古屋を拠点とするラップ・グループのメンバーでもあり、この近年まれに見るハードコアなマイク・リレーを武器とするポッセにはC.O.S.A.やCAMPANELLA(本作にも参加)という昨今注目を集めるラッパー(C.O.S.A.はビートメーカーでもある)や、3月にファースト・アルバム『SNOWDOWN』を発表するMC KHAZZらが所属している。SLUM RCについてはヒップホップ・メディア『Amebreak』に掲載した取材記事を参照してほしい。つまり、本作のラップの言語感覚やビート、アグレッシヴなサウンドには東海地方という地域のヒップホップの特殊性も加わっている。

多彩なビートメーカー――GINMEN、Olive Oil、MASS-HOLE、PENTAXX.B.F、PUNPEE、DJ SEIJI、OWL BEATS、SNKBUTNO、RAMZA――が参加、ビート選びからしてYUKSTA-ILLの独特の個性が出ている。当然そこにも彼なりの意図がある。ということで、僕は『NEO TOKAI ON THE LINE』を聴く際の手がかりとなるような取材を目指した。この記事を読みながら作品を聴けば、より深く理解し楽しめることを保証しよう。本作のA&RのひとりであるWDsoundsのファウンダーのJ.COLUMBUSも同席しておこなわれたインタヴューをお送りする。

YUKSTA-ILL “KNOCKIN' QRAZY ~ GIFT & CURSE” (Official Video)

今回のアルバムはこれまででいちばん、聴き取りやすくなったんじゃないかなと。アメリカのヤツらがラップを口ずさんで街を歩いてるように、俺のラップを聴いた人に口ずさんでほしいんですよ。

どのように制作していきました?

YUKSTA-ILL(以下、Y):8割ぐらいできるまでは誰とも話さずに作り続けて、去年の10月ぐらいに一度マーシーくん(J.COLUMBUS)に相談しましたね。

ということは、セルフ・プロデュースの比重が大きいということですよね。ビート選びに関して意識したことはありますか?

Y:まず、当たり前なんですけどかっこいいビートでやりたいっていうのがありますね。ビートメーカーからこれでラップしてほしいと言われてもらったビート、膨大なストックの中から選んだビート、制作終盤でピンポイントで作ってもらったビートもあったりする。でも基本、俺はどんなビートがきてもラップできますね。

トラップとかブーム・バップとか簡単にカテゴライズできないビートを選んでいると感じましたね。例えば、MASS-HOLEにしても、RAMZAにしても、それぞれのビートメーカーのオルター・エゴ・サイドのユニークなビートを選んでいるって感じてそこが面白かったです。

J.COLUMBUS(以下、J):たしかに。

Y:それぞれのビートメーカーの味が出ればいいと思っていますけど、ヒネリのあるビートも選びましたね。OLIVEくんのビートも“RIPJOB”はまさにOLIVEくんっていう感じだけど、“KNOCKIN' QRAZY”の方はめちゃくちゃ破壊力があって、これまでの自分が抱いていたOLIVE OIL像を超えた新しい感じがあると思ってて。ビートメーカーの人たちも俺のチャレンジングな気持ちを受け取ってやってくれてると思いますね。

ビートメーカーにディレクションはそこまでしなかった?

Y:RAMZAにだけしましたね。RAMZAのビートがアルバムのタイトル曲なんですけど、いちばん最後に作った曲なんです。あの曲はアルバム全体の流れを考えてここにハメたいというイメージがはっきりあったので。あとアルバムの軸になったのが、4曲のビートを作ったGINMENだと思います。彼は『questionable thought』でも2曲のビートを提供してくれてて、MVにもなってる“CAN I CHANGE”がそのひとつです。GINMENは出身は宮崎で、いまは鈴鹿に住んでいて自分と家がすごく近いんですよね。FACECARZのベースでもあり、ラッパーでもあり、ビートメーカーでもある、マルチなヤツなんです。GINMENはもっと脚光を浴びて欲しいと思う。

YUKSTA-ILL“CAN I CHANGE”

“FCZ@MAG SKIT”のスキットってそのFACECARZのライヴですよね。FACECARZは東海地方の音楽の話になると、必ずと言っていいほど名前が出てくる鈴鹿のハードコア・バンドですよね。

Y:もともとDOSっていう名前でやってたみたいで。自分もその頃は知らないんですけど、DJのBLOCKCHECKが改名後に出したテープを持ってて、「ジャンル関係なくかっけーヤツはかっけーんだよ」っていう勢いであいつに車の中で聴かされたんです。

J:緑色のテープ(『DEMO TAPE』2002年)だ。

Y:そうそう、それです。

J:もう10年以上前になるけど、俺がレコード屋で働いていたときにFACECARZはかっこいいって噂になってた。FACECARZは出てきたときからかっこよかった。俺と同じ世代なんですよ。ニューヨーク・ハードコアから派生したイースト・コーストのスタイルで、音楽性もオンタイムですごく洒落てた。ヒップホップの要素も強くて、ドラムの取り方、音の取り方もわりと直球のヒップホップに近いよね。

Y:そう。ヒップホップが好きなヤツが聴いてもノれる。

J:鈴鹿のフッドスターだよね。三重にはFACECARZのヴォーカルのTOMOKIの格好を真似してるヤツが超いっぱいる。アイコンみたいな人ですね。

Y:まさにアイコンですね。TOMOKIくんは〈KICKBACK〉って服屋もやってるんですよ。

鈴鹿のゑびすビルに入ってるお店ですか。

Y:そうですね。地元の鈴鹿に本田技研があって、鈴鹿サーキットを貸し切った〈HONDA祭り〉っていうのが昔あったんですよ。今も本田の敷地内で社員のみでやってるみたいですけど、当時は一般開放されてて芸能人がゲストに来てたりするような夏祭りだった。そこに遊びに行ったら、TOMOKIくんが〈MURDER THEY FALL〉のフライヤーを配ってて、俺は「地元にもこんな人がいるんだ」ってなって。〈MURDER THEY FALL〉は東海地方でバンドやヒップホップやってるヤツだったら、誰もが憧れるような伝説的な名古屋のイベントで、俺らがTYRANTで名古屋にガンガン出て行く前から、FACECARZは名古屋、そして全国に出て行っていて、勿論〈MURDER THEY FALL〉にも出ていたんですよね。

僕は体験したことがないけれど、〈MURDER THEY FALL〉は東海地方の音楽を語る上で絶対に欠かせない重要なイベントですよね。TOKONA-Xも、もちろんTYRANTも出演していますよね。

Y:そうですね。

ところで、YUKSTA-ILLくんは、日本語を英語のアクセントでラップするというスタイルを採っていますよね。90年代後半にアメリカのペンシルベニア州に住んでいた時期もあって英語もある程度話せる状態で帰国して、本格的に日本語でラップをし始めたときからどのようにいまのスタイルを確立してきましたか?

Y:最初は日本語と英語を混ぜてラップしていたんですよ。でも、日本語と英語を混ぜたら日本人には半分しか意味が伝わんねーなと思って日本語でラップするようになった。ATOSONEとの『ADDICTIONARY』(2009年)、TYRANTの「KARMA」(2009年)のあたりから、アメリカのラップっぽく日本語を乗せようというアイディアをひらめいて、英語のような乗せ方でラップし始めて。だけど、若気の至りじゃないけれど、難しいラップをしすぎて聴いている人は何を言っているのか意味がわからなかったと思う。いま自分が聴いても理解するのが難しかったりするから(笑)。テクニカルなことをやりすぎていた。そこからさらに試行錯誤して、今回のアルバムはこれまででいちばん、聴き取りやすくなったんじゃないかなと。アメリカのヤツらがラップを口ずさんで街を歩いてるように、俺のラップを聴いた人に口ずさんでほしいんですよ。

J:全部英語でラップしようと思ったりはしないの? 世界のヤツ、英語圏の人間に自分の音楽を聴いてほしいっていうモチベーションが生まれたら、全部英語でラップするっていう設定は頭の中にあったりするの?

Y:英語でやりたいっていう気持ちがないことはないですね。これまでにもFACECARZとTYRANTでやった“B.O.W”、FACECARZと俺でやった“OVERCOME”って曲があって、ラップじゃない部分の絡みは全部英語でやってる。だから、その可能性は閉じてはいないけど、そういう考えもある中で、あえて日本語に落とし込んだのが今回のアルバムですね。

ここ最近のアメリカのラップで聴き込んだアルバムとか曲はありますか?

Y:ケンドリック・ラマーの2枚のアルバムには感銘を受けましたね。俺もアタマからケツまで構成があって起承転結がある作品を作りたかったから、今回のアルバムはそういう風に作ってますね。小説にしてもそうですけど、クライマックス迎えてからのその後があるじゃないですか。そこは今回意識しましたね。

ラスト曲“CLOSED DEAL”のあとに、OWL BEATSが作った激しいドラムンベースの隠しトラックがありますよね。

Y:もともとGINMENビートの“CLOSED DEAL”で終わろうと思ってたんです。あの曲で終わってもういちど頭に戻ってくると流れとしては良かった。ただ、“CLOSED DEAL”がラストだとネガティブに終わるとも考えて、ポジティブに終わらせたくてあの曲を入れましたね。制作終盤に鹿児島へ行ったとき、OWL BEATSからもらったビート集に入ってたもので、これでラップしたいと思ったのが大きい。今回のアルバムでは超絶早口でスピットするラップは比較的抑えていたから、自分のそういう側面も最後に見せつけときたい!っていうのもありましたね(笑)。

なるほど。ケンドリック以外だとどうですか?

Y:J・コールの新しいアルバム『4 Your Eyez Only』もすごく良かった。

やっぱりJ・コールはリリックも含めて好き?

Y:そうですね。コンセプチュアルなアルバムですよね。あと、アルバムには入っていないけど、MVもある“False Prophets”はかっこよかった。最初のヴァースは、おそらくカニエ(・ウェスト)のことをラップしている。昔の自分のアイドルだったラッパーが自分でリリックを書いていなくて幻滅する、というような内容のリリックで。そういう気持ちを率直にラップしているのがかっこいい。

J. Cole“False Prophets”

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フリースタイルがどれだけうまくてバトルで優勝してもかっこいい作品を作って良いライヴができなかったら意味がない。ヒップホップはそいつのライフスタイルを作品やライヴで表現する音楽でアートだと俺は思います。

E王
YUKSTA-ILL
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あと、YUKくんと言えば、バスケですよね。

Y:タイトル曲のリリックに現役バスケット選手のデイミアン・リラードが出てくるんですけど、そいつはDame D.O.L.L.A(デイム・ダラー)という名前でラップもしているんですよ。デイミアン・リラードは才能やプレーが常に疑問視されてきた選手で、バスケのエリート・コースを歩んできたわけではない。でも、オークランドのゲットー育ちで反骨精神があって土壇場の勝負強さがある。で、当初の低い評価を覆していまはスター選手の仲間入りしている。苦労人なんです。ラップにもそういう彼の人生が反映されていて興味深いですね。そのデイミアン・リラードが1、2年前ぐらいからインスタで始めた「#4BarFriday」がまた面白い。動画をアップして自慢の4小節をキックするんです。で、ハッシュタグを付けて拡散していった。そうしたら、その「#4BarFriday」が全米中で火が点いちゃって一般のヤツらまで同じようなことをやり出して、いまや「#4BarFriday」のコンテストまで開催されたり、謎のムーヴメントになっている。しかもDame D.O.L.L.Aが今年出したアルバム(『THE LETTER O』)にはリル・ウェインとかがゲストで参加していて、けっこう良いんですよ。アメリカではヒップホップとバスケは密接ですよね。(アレン・)アイバーソンはラップするし、マスター・Pはバスケ選手だったりして。

“GIFT & CURSE”ではいまのフリースタイル/MCバトル・ブームを受けてだと思うんですけど、フリースタイルをダンクに喩えているのはうまいと思いました。「まるでダンクぶちかました後にゲームボロ負け」というラインがありますよね。

Y:フリースタイルはあくまでヒップホップ、ラップの付加価値だと思うんですよ。ダンク・コンテストで優勝しても試合に勝てなかったら意味がないでしょと。つまり、フリースタイルがどれだけうまくてバトルで優勝してもかっこいい作品を作って良いライヴができなかったら意味がない。ヒップホップはそいつのライフスタイルを作品やライヴで表現する音楽でアートだと俺は思います。もちろん、そういう意味でドープさを競うスポーツ的要素はあるかもしれない。俺も最初はMCバトルに勝ったことで名前が広まったし、メディアがフリースタイル/MCバトルのようなわかりやすいエンターテインメントにフォーカスするのはしかたのないことだとは思う一方で、本来付加価値であるものの優先順位が入れ替わってしまってるのは複雑だし、そんな現状を悲しく思いますね。

NEO TOKAI DOPENESSやSLUM RCのラップには「ドープ=DOPE」というのが重要な要素としてあると思うんですけど、YUKくんが定義するドープとは何ですか?

Y:それは難しい質問すね。ただひとつ言えるのは、リリックやラップに忍ばせられているダブル・ミーニングや裏に潜む意味の中にドープさはあると思います。俺が若いころにアメリカのヒップホップやラップに魅力を感じたのもそういう部分なんですよ。さっきも話しましたけど、若いころはラップをテクニカルにやりすぎていて、そういう言葉が持つドープさが伝わりにくかったと思う。だから、今回のアルバムではドープな部分をよりわかりやすく提示しようとしています。

その一方で、PENTAXX.B.F がビートを制作した“OVERNIGHT DREAMER”みたいなキラキラしたメロウ・ファンク風の曲はYUKくんにとって新たなトライですよね。

Y:PENTAXXくんは三重県の横の滋賀県に住んでて、BOSSさんの流れで知り合ったんです(YUKSTA-ILLとPENTAXX.B.Fはともにtha BOSS『IN THE NAME OF HIP HOP』に参加)。それで大量のトラックを送ってきてくれたんですけど、アルバムの流れの中でのハメ所が見当たらず戸惑っていたんですよ、最初は。そんなときに聴いたこのアーバンなトラックから暖色の夜の街灯のイメージがわいてきてこの曲ができたんです。ラップしろ!って言われたら、どんなビートでも俺はできます。ただ、今回のアルバムは全体の構成を練って作りたかった。

J:最後に曲を並べ替えて作ったというよりも曲順まである程度最初に決めて作った感じ?

Y:そうですね。GINMENが作った1曲目“NEW STEP”と最後の曲“CLOSED DEAL”が前提で始まっている。

J:自分が制作、プロデュースにも関わった仙人掌『VOICE』(YUKSTA-ILLは“STATE OF MIND”に参加)やMASS-HOLE『PAReDE』(YUKSTA-ILLは“authentic city”に参加)も最初の段階で曲順や全体の構成を本人たちが考えて作っている。KNZZくんの『Z』とかもそういう作り方に近いと思う。シングルとして切れるような独立した曲としてすべてがあった上で全体の流れの中で存在感も持つ。そこがヒップホップのアルバムらしいと思う。例えば、ビギーの『レディ・トゥ・ダイ』とかもそうじゃないですか。ここで名前を挙げた“1982S”の人たち、その年代の人ら特有の何かがある気がする。お互い交流もあるし、制作に関する真面目な話もするだろうしね。

Y:ビギーの『レディ・トゥ・ダイ』は俺のヒップホップへの入り口でもありますね。あの作品はまさにストーリー・アルバムじゃないですか。最後に自殺して死んでしまう。“CLOSED DEAL”もビギーのそのアルバムの最後に若干近いイメージで作りました。

メディアも名古屋までは来るんですよ。でも三重県や鈴鹿までは来ないしフォローしない。それはかなりローカルだからわかるんだけど、すごく魅力的な音楽のシーンがありますよ。俺が鈴鹿に住み続けている理由もそこにあるし、そのシーンを伝えていくのも自分の役目だと思っていますね。

ラッパーのSOCKSをフィーチャーした“LET'S GET DIRTY”はクラブ・バンガーで、“WEEK-DEAD-END”はクラブ空けの週末の曲で、“RIPJOB”という仕事を退職することについてラップした曲へ、という流れがしっかりあったりしますよね。風景が見えてきますよね。

Y:で、“LET'S GET DIRTY”の前の“OVERNIGHT DREAMER”は車で鈴鹿から名古屋に行く曲だったりして、そういう風に流れがありますね。

“LET'S GET DIRTY”のPUNPEEのビートはクリプスをプロデュースしていたころのネプチューンズのビートを彷彿させるなと。

Y:このビートは、俺が『TOKYO ILL METHOD』(2013年)をリリースしたころから予約していたんですよ。レッドマンに“LET'S GET DIRTY”って曲があるじゃないですか。その曲のタイトルを拝借している。イントロの「LET'S GET DIRTY」っていう声はレッドマンのその曲のサビ部分をアイバーソンが試合前に歌ってるところですね。PUNPEEくんにその声ネタを投げてイントロを付け加えてほしいって頼んだんです。

Redman“Let's Get Dirty (I Can't Get In Da Club)”

そういう仕掛けが張り巡らされているのがこのアルバムの面白さだなと思います。

Y:そうですね。仕掛けはいっぱいあります。

SOCKSも名古屋のラッパーですよね。

Y:SOCKSくんのアルバム『Never Dream This Man』(2015年)でも一緒にやってて、“Ownerz of Honor”っていう曲で刃頭さんのビートでラップしていますね。俺、刃頭さんのビートでやれることにぶち上がっちゃって、自分のヴァースのシメは「YUKSTA-ILLMARIACHI!!」ってキックしてて(笑)。

SOCKS“Ownerz of Honor feat. Yuksta-ill”

ビートの年代はそれなりの幅があるんですね。

Y:そうなんですよ。“WEEK-DEAD-END”のSEIJIさんのビートは、SEIJIさんのアルバム(2014年リリースの『BOOM BAP BOX』)に参加したころにもらったものですし、“TO MY BRO”のGINMENのビートはもっと古くて、2011、12年ぐらいかな。“RIPJOB”のOLIVEくんのビートも、『questionable thought』をリリースしたころに福岡のOLIVEくんの家にお邪魔してもらっていますね。だから、「お待たせしてすみません!」って感じです(笑)。

J:NERO IMAIもOLIVEくんのビートでけっこう録ってますよね。

Y:そうっす。実はNEROは録ってて。自分が参加してる曲もあります。

J:でも全然出てないんだよね(笑)。

ははは。それだけ年代に幅のあるビートを選んで1枚のストーリー・アルバムを作っているのが面白いですね。

Y:そうですね。いずれやるつもりでストックしていたビートと最近お願いして作ってもらったビートで構成されている。

J:そうやってちょっと前のビートもあるのにこのアルバムは古く感じない。そこが良いところですよね。

Y:まあ言い訳なんですけど、フィーチャリングや客演の仕事が多くて、なかなかアルバム制作に本腰を入れるペースをつかめなかった。だから、余裕ができたタイミングで一気に作った感じですね。

今後はツアーをやっていくんですよね?

Y:そうしようと思ってます。いまいろいろ調整してます。

ツアーのコンセプトやアイディアもあったりします?

J:バスケのセットじゃない?

Y:ドリブルして出てくるってことですか?

J:いや、ボールとマイクを両方持ってたらちょっとした大道芸になっちゃうから(笑)。

Y:そうっすね。たしかに。

J:バスケのセットを組むとか(笑)。

Y:でも真面目な話、日本でもヒップホップとバスケはもっとリンクしてもいいと思いますね。ちなみにB.LEAGUEのアルバルク東京っていうチームのヘッドコーチは俺と同い年で鈴鹿出身なんですよ。その弟も選手でロスター入りしてて。もっとリンクしたいっすね。

日本のラッパーでヒップホップとバスケで思い浮かべるのは、SHINGO★西成ですかね。

Y:西成くんはたしかにそうっすね。実は昔、誘ってもらって一緒にバスケの試合を観に行ったことがあります。

J:俺の勝手な妄想としては、ファイナルは鈴鹿のクラブでYUKの仲良いメンツが集まったら面白いと思う。

Y:ゑびすビルの2階の〈ANSWER〉ってライヴハウス兼クラブでやりたいですね。鈴鹿のシーンをもっと推したいんです。名古屋はもう心配しなくていいというか、メディアも名古屋までは来るんですよ。でも三重県や鈴鹿までは来ないしフォローしない。それはかなりローカルだからわかるんだけど、すごく魅力的な音楽のシーンがありますよ。俺が鈴鹿に住み続けている理由もそこにあるし、そのシーンを伝えていくのも自分の役目だと思っていますね。

YUKSTA-ILL 『NEO TOKAI ON THE LINE』 Trailer

Campanella - ele-king

誰が光で 誰が影で 誰がサグで 誰がオタクで 誰も知らねえ
俺は光で 俺は影で 俺はファックで 俺はカスだ 全部当たりまえ
誰がバビロン 誰がファッション 誰がボスで 誰がルールだ 誰が決めたね
俺がラッパーで俺が詩人で俺が俺であるがゆえの俺のプレイ
“OUTRO” 

 「アンダートウUNDERTOW」という言葉があって、ジャンルを問わないアンダーグラウンド・ミュージックを聴いていてよく思い出す。表面の波に逆らって最深部を力強く流れる底流。KOHHが宇多田ヒカルとコラボレーションし、バトル・ブームの熱気に後押しされた若い世代のトラップが勢いよくポップ・フィールドへと流れこみつつあるいま、日本のヒップホップ・シーンにおけるアンダートウはどこにあるだろう? 2017年1月14日、深夜の渋谷WWWで開催されたCAMPANELLA『PEASTA』のリリース・パーティに足を運んで確信した。現在の日本でもっとも強力なアンダートウのひとつは、NEO TOKAIにある。

 NEO TOKAI。名古屋を中心とする近隣エリアを指すそのスラングを初めて耳にしたのはたしか2、3年前で、やがてそれがHIRAGENのあの『CASTE』を輩出したTYRANTクルーを源流のひとつにしていることを知った。冷却装置がぶっ壊れたように沸騰するその熱をパッケージしたコンピレーション『WHO WANNA RAP』とその破壊的再構築『WHO WANNA RAP 2』。そしてC.O.S.A.が自主流通のみでリリースした傑作『CHIRYU YONKERS』の衝撃……。西日本に大雪が降った1月の真夜中、WWWでのパーティはJET CITY PEOPLEの鷹の目のDJで始まり、Fla$hBackSのJJJとKID FRESINOの東京組がばっちりとオーディエンスをあっためた後には、FREE BABYRONIAとRAMZAのビート・ライヴが会場を襲い、NERO IMAI、呂布カルマ、C.O.S.A.というスタイルは違えどどれもヘヴィ級のMCたちがその夜の主役、CAMPANELLAの登場を準備していた。もちろんその日のアクトに限らず、現在流通している音源や飛び交う噂だけでも、東海地方にうごめく凶暴でソリッドなうごめきを黙殺するのは不可能になりつつある。

 そして名古屋といえばなにより、2004年に急逝したTOKONA-Xという大き過ぎる存在なくしては語れない。しかしその喪失はすでに、彼の姿を熱っぽく見つめていた若い世代によって埋められつつあるようだ。ATOSONEとDJ BLOCKCHECK主催の不定期開催のパーティ<METHOD MOTEL>は名古屋を中心に東海各県の猛者を集めてぶつかり合わせる地下闘技場としてこのシーンの母胎となった。エクスペリメンタルでレフト・フィールド……だがそれだけじゃなく、叩き上げならではのタフな精神性がある。NEO TOKAIはすでに独自の音楽性と毅然としたアティテュードによって東京や大阪に牙をむく、オルタナティヴ・ヒップホップの音楽的爆心地となっている。

 しかし『PEASTA』はNEO TOKAIというよりももっと濃密な、三人の人間のトライアングルから生まれている。C.O.S.A.のシャウトアウトにも登場する名古屋郊外のベッドタウン、小牧市桃花台。そのニュータウンで生まれ育ったCAMPANELLAはまだ十代半ばで、今回すべてのトラックを手がけたビート・メイカーRAMZAとFREE BABYRONIAの二人と出会った。フライング・ロータスに導かれたINDOPEPSYCHICSの子どもたち。そんな言葉さえ浮かぶインタヴューの通り、アンビエント~ノイズ~エレクトロニカのフィールドでも注目を集める二人の仕事は、既存のヒップホップの枠をはみ出し、だが結局はヒップホップと呼ぶしかない異形の音像でそのアートフォームを更新している。

 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』からアーティスト・ネームを拝借したというCAMPANELLAは2014年のミックステープ『DETOX』では、タイラー・ザ・クリエイターの“ヨンカーズ”とともに、レディオヘッドの“ナショナル・アンセム”もビート・ジャックしていた。強烈な個性のラッパーがひしめくNEO TOKAIにあって、CAMPANELLAが武器にするのはときにナンセンスなユーモアとリリシズム、そしてフリーキーなフロウだ。刺繍作家RISA OGAWAの赤い刺繍糸が印象的な今作のアートワークにはオズの魔法使いやアルチュール・ランボーのコラージュが並び、楽曲にはチリの革命詩人パブロ・ネルーダやイスラムのスーフィズム由来の詩がまぎれこみ、ミュージック・ヴィデオでは花飾りで顔を隠したコンテンポラリー・ダンサーが踊る。

 狂騒のパーティを繰り返したその先、退廃を拒絶し、怠惰を遠ざけるストイックなストリート・マナーは、ポスト・Jディラ的なビート・ミュージックの音楽的実験性と融合し、トラップ以降の享楽主義とはひと味違う、洗練されたアートの花を咲かせている。このフレッシュさは、USヒップホップの最新トレンドの日本的翻訳ではなく、世界中に拡散するヒップホップそれ自体の実験性が、極東の地方都市の歴史の中で独自に進化し、溢れだした結果だ。

                   *

 アルバムの幕開け、タイトル・トラック“PEASTA”。丁寧に音響処理されたブレイク・ビート、綿密に計算されたタイミングでインしてくるピアノ、ベース、ヴォーカリーズ的にたゆたう女の歌声。チリチリとしたノイズが鼓膜の内側の空気の圧まで調整するような繊細さと緊張感を漂わせる。仲間とハニー、すれ違うビッチズ。ドラッグでヨレるヒマはねえ、というルードなストイシズムと、リリックはため息混じり、ビートは日々の意味、と言い切る詩情。次いで“THE HAVIT”は低音を抜かれたドラム・パターンとループする効果音、腹を震わせるベースで軽快に疾走する。クラブは太陽で音楽は月、というリリカルなパンチラインとともに、ノー・ギミック、完全に言いたいことを言う宣言。

 「A Little Wind Cleans the Eyes…」。13世紀のイスラム神秘主義者、ジャラール・ウッディーン・ルーミーの詩「ライク・ディス」の一節を英女優ティルダ・スウィントンが囁く声で始まる“INDIGO”。「グラスに注いだビアみたいな日々」…それを「うたかたの日々 Mood Indigo」とするなら、ここにあるのは衝動まかせに快楽を追いかける青春を飲み干した後の、葛藤と内省の日々のスケッチだ。美しい恋人と愛する音楽、それ以外のものはすべて消え去っていい。そう言い切れる若い勢いを失って、不規則なブレイク・ビートの上を千鳥足で行ったり来たりする言葉。デューク・エリントンの往年の曲によればインディゴはブルーよりも深い憂鬱を意味する。焦燥と苛立ちから自己を解放するまでの自問自答のモノローグ。

 双璧をなす“BIRDS”は、もともとFREE BABYRONIAのビート・テープ『KOMAKI』に収録されていた同タイトルのインストゥルメンタルを再構築し、ラップをくわえたもの。「わたしになりたい」という回帰願望と「あなたになりたい」という変身願望が、アシッド・トリップ的な鳥の目の幻視を通じて結合される。イントロとアウトロ、そしてピアノのブレイクとともに混線するテレグラフは、タイトルの由来であるパブロ・ネルーダの英詩を伝えるゲリラ・レディオ。去年ついに倒れたフィデル・カストロとチェ・ゲバラは、1956年たった12人でシエラ・マエストラに上陸して始まったキューバ革命の途上、夜になると野営地で兵士たちにネルーダの詩を朗読して聴かせたそうだ。
 
 物騒なのは中盤の2曲。前曲からの鳥のさえずりをディープなベースラインとゆったりとしたブレイク・ビートがかき消す“KILLEME”。幻聴かと思うほどかすかに鳴らされるアコースティック・ギター。ドローン的な音像にのせて引き伸ばされ、それでも棘々しく尖る攻撃的な言葉。次は間髪入れずに威嚇射撃のような強烈なスネアが鼓膜を突き刺す“SHOOT-IN”。逃げ遅れた/あえて逃げ出さなかった人間に突きつけられるC.O.S.A.の16小節。ダセえDJ、ダセえMC、セルアウターをまとめてなぎ倒すタフな殺気と、愛やクルーという言葉の裏に貼りつく寂しさと孤独。「みんな違ってみんないい」とお互いの多様性を認め合って仲良くやれればいいのだけれど、このゲームのルールは「白黒以外必要ねえ」。フックで挑発するのはバンダナを顔に巻いたNERO IMAI。オラついた相棒二人のストレートさに煽られても、CAMPANELLAのラップはフリーキーさとナンセンスさを失わない。このあたりは外野がはやし立てる話じゃないから聴きたければ自分の耳で。

 寝静まったベッドタウンで意識を夜間飛行させる“BLACK SUEDE”以降は、“RELAX, BREAK”の言葉通り、アンビエント的なチル感やナーサリー・ライムを織り交ぜながらぐっとピースフルなムードに変化していく。今じゃUSも日本もビーフの勃発やリスペクトの表明はSNS経由で、便利な反面ずいぶん軽くもなったそのやりとりに「写真にいいね押していい気分に浸ると/なぜか遠くなった気がしたストリート」と正直な逡巡を告白する“NINE STORIES”。ぐにゃりと曲げられたギターの音色がブルース・シンガーのように歌う九番目の雲……そんな幸福な一夜の感覚を永遠に引き延ばすような“YUME NO NAKA”。肌寒い夜にコンビニの前で開ける缶ビールとくゆらすウィード。記憶を飛ばすほどの多幸感は暖かなグルーヴのハンド・クラップによるエンディングに着地する。

 スタンド・アローンでラストに待ち受ける圧巻の“OUTRO”は、ずいぶん前に“COLD DRAFT”というタイトルで配信されていた曲をそっけなく改名したもの。冒頭、きらめき陶然と遊んでいたエレピが、最初のキックの音を合図に意志を持って走り出す。フリークアウトする生のベースとRAMZAのマシンの腕が操るドラムによるコズミック・ファンク。仲間と女、背中を押してくれる歓声、それでもけして他人には触れられない影。吐き捨てるライムの怒りと焦燥の矛先はほかでもない自分自身に向けられ、ラッパーであり詩人であるひとりの青年のメンタルの肖像を彫刻する。たんにエモーショナルというのでもない。アルバムで最初にレコーディングされたというこの曲がすべての葛藤と成熟の出発点だ。

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 DJ クラッシュとDJ シャドウが1990年代に世界中にバラまいたビート・ミュージックとしてのヒップホップ、いわゆるアブストラクト・ヒップホップは、それ自体コンペティティヴ(競争的)な独自のバトル・フィールドを構成した。フリースタイルに端を発した去年のラップ・ブーム以降、バトルと言えばMCバトルのみが想起されるような風潮もあるかもしれないが、ヒップホップでコンペティションに晒されるのはラップだけじゃない、ビートもだ。そしてその熾烈なバトルはもちろんラップとビートの間にも勃発する。トラックに対して、インストゥルメンタルとしても通用する、というのはよく言われる褒め言葉だが、もっといえば、突出したビートは生半可なラップを拒絶する。鍛錬と引き換えに獲得した互いの自由と自由がぶつかり合い、挨拶がわりに口にするだけなら簡単な「リスペクト」という言葉の真の対価を要求する。

 ラップとビートの衝突から生まれる先鋭的な音楽的オリジナリティにくわえて印象的なのが、アートワークや楽曲に臆面もなく散りばめられた古今東西の文化的なコラージュ。ドラッグや喧嘩をやっていれば不良で読書やアートにハマっていればオタクで……なにもかもテレビ向けのキャラクター的なストーリーに落としこんでしまう向きにとってはどうか知らないが、無菌室で育ちでもしない限り、人間は薬物や暴力とも文化や知識とも、自分なりの基準で向き合いながらその人格をつくる。誰に媚びる必要も何を恥じる必要もない。トリップの経験だろうが詩だろうが映画だろうが、自分の血肉になったインスピレーションをすべて遠慮なくつむいで創られたこのアートは、どうにも魅力的だ。傷だらけの拳に光るリングや花束に忍ばされたナイフのように、喧嘩腰の啖呵にリリシズムがきらめき、美しい詩に血の味が混じる。

 「これは音楽、輩の手なら届かない」、「言葉で負けた際に出る手」というCAMPANELLAのラップを聴いて思い出したのは、「誰か殴るわけじゃなく歌詞を書く」というC.O.S.A.のいつかのリリックだった。それはアンセムを一緒に歌うとか、コラボするとか、そんなものよりもっと深いレベルでNEO TOKAIの人間たちが共振していることを教えてくれる。知らざあ言って聞かせやしょう、と居並ぶ男たちのケツを蹴り上げていたTOKONA-Xの豪放なメンタルは、彼が知ることのなかった青春の終わりを生き延びた後輩たちによって、強く、しなやかに受け継がれた。若くして倒れた巨大な背中を見ていたキッズたちが成長し、やがてその年齢を追い越したのだ。

                *

 現在の東海のこの熱は2010年代なかば、「アンダーグラウンド」という言葉を再定義するだろう。2000年代のハスリング・ラップの本格的な台頭以降あいまいになってしまったことだが、本来アンダーグラウンドとは知名度のあるなしとも、アウトロー的な犯罪性とも本質的には関係がない。ストリートのトラブルで負った傷を地上波でふてぶてしく晒すMC漢のスキャンダラスな態度を見ればわかるように、言ってしまえばギャングスタ・ラップとコマーシャルなショウビズとの相性は必ずしも悪くない。

 清貧主義やギャングスタ・メンタリティの根底にあるアンダーグラウンド・ヒップホップの精神性とはなによりも、インディペンデントであることだ。いまじゃ珍しいものではなくなったアーティストによる独自のレーベル運営という意味で日本のシーンにアンダーグラウンドの種をまいたTHA BLUE HERBのBOSS THE MCのかつての言葉を借りれば、それは「レコード会社の奴隷にならず自ら皿を作り/テレビやラジオに利用されずに利用し/自分だけのアイディアで金を作り/責任を持ち/各地にいる同じ志の仲間達と/イカレた音楽をデカイ音でならす」という独立不遜の哲学だ。

 知っての通り、北と東海とのあいだには因縁がある。今でも語りぐさになるほどのインパクトを持ったTHA BLUE HERBに対するTOKONA-Xのディス“EQUIS. EX. X”、あのトラックを提供したのはINDOPEPSYCHICSのD.O.I.だった。それにSLUM RCのコンピレーションに新たな生命を与えたBUSHMINDやDJ HIGHSCHOOL、MASS-HOLE、アルケミストのビート遺伝子が繋げたC.O.S.A.とKID FRESINOの昨夏の『SOMEWHERE』、そしてあの日のWWWのパーティに集結したNEO TOKAIの面々を迎えた東京のアーティストたち……。M.O.S.A.D.に衝撃を受けたかつてのCAMPANELLA少年は、東京のラッパーのCDをすべて売っぱらったらしい。しょうがない。これは生まれや育ちが違う、ともすればそれだけで拳を交える理由になる物騒なカルチャーだ。しかしそもそも名古屋のレジェンドであるTOKONA-Xその人は、少年期に横浜から東海へと流れてきた異人だった。ウータン・クラン由来の筆で描かれたNEO TOKAIの地図は、すでに地理的な環境の制約をはみ出し、都市と都市を越えた力強いユニティを産み出してもいる。

 実際、このアルバムはとても小さなコミュニティから生まれたレフト・フィールドなたたずまいながら、不思議なほど風通しがいい。「PEASTA」というタイトルは、桃花台にあるショッピング・モールの名だそうで、PEACHにFESTAをかけて作られたというなんとも言えないその造語のセンスは、たぶんいまの日本のニュータウン的な地方都市で育った人間にとってはどこか懐かしいものなはずだ。文化資本など一見まるで見当たらない場所に生まれ育ったキッズたちが、自分や仲間の目と耳、腕だけを頼りに創りあげたアウトサイダー・アート。郊外の子ども部屋やモールのたまり場に響く無邪気な笑い声が聴こえてくるようで、リリースからしばらく経ったいまでも何度も聴き返してしまう。

             *

 ここ最近熱っぽく口にされる日本のヒップホップの夜明け……やっと朝がきたのだとすればここ10年ほどは夜だったということだろう。だがその長い夜の時代、ひときわ光の射さない地方都市で鍛えられた言葉と音、そして耳は、あらゆる熱狂に浮つきはしない。去年はさんピンCAMPから20年ということで、その黄金時代の思い出が口々に語られたけれど、あの日凄まじいステージングを見せたという弱冠17歳のTOKONA-XとDJ刃頭の姿はその後の映像作品からは完全にカットされている。同じくさんピン以降の東京に敵対心むき出しで登場したTHA BLUE HERBにせよ、日本の地方都市には熱に沸く中央に冷水を浴びせ、強烈なオルタナティヴを突きつける伝統的なマナーがある。

 「オルタナティヴ・ヒップホップなんてものは存在しない。なぜならヒップホップの唯一のオルタナティヴとして知られているのは完全な沈黙だけなのだから(There’s no such thing as Alternative Hip hop Because the only known Alternative to Hip hop is dead silence)」。スワヒリ語で「鳥のように自由」という意味の名を持つミシェル・ンデゲオチェロのファースト・アルバムのインナースリーヴにはそんな書き出しで始まる檄文が刻まれている。「オルタナティヴ」という言葉が切実に求められるのは必ず、ある文化がメイン・ストリームに溢れだし、バブルのように巨大化するときだ。しかし、ヒップホップはオルタナティヴの存在を認めず、対抗的なエネルギーをあくまでその内部に抱えこむ……それじゃヒップホップって?

 バイセクシャルであり、コンシャスなアクティヴィストであり、そして異彩のグルーヴを生み出すベーシスト/コンポーザー/シンガー/ラッパーであるンデゲオチェロの痛烈な檄文は、オルタナティヴ・ヒップホップの存在否定というよりも、むしろ本来オルタナティヴという名で呼ばれるものこそが真にヒップホップの名に値するのだ、と言わんばかりに、次のように締めくくられる。つまりヒップホップとは、「デジタルにグラインドされ、テクノ・モルヒネを生み出すジェームズ・ブラウンの骨盤」……「最高にぶっ飛んでいるときの感覚喪失に対する唯一の解毒剤」……なによりそれは「ドープ認識学/ドープノロジー(DOPE-KNOW-LOGY)」である、と。

 なるほど。たとえ誰もが動画やサイトのヴュー数、視聴率とセールスばかりに目を奪われていたとしても、ヒップホップ・サイエンスの審美眼はいつだってシンプルきわまりない。それは誰が一等ドープかを知るための科学(DOPE-KNOW-LOGY)だ。あらゆるライムとビートはオルタナティヴという冠に満足せず、あくまで文化の正統な後継者の地位を要求する。オルタナティヴ・ヒップホップが存在するとすれば、それは商品ラベルに書きこまれるジャンル名なんかじゃなく、現状の秩序を転覆(Revolve)しようとする、そのエネルギーのことだ。

 CAMPANELLAはつい先日JJJプロデュースでEGO WRAPPINの中納良恵とのジョイント曲“PELNOD”をリリースし、シーンの重鎮YUKSTA-ILLは待望のフル・アルバム『NEO TOKAI ON THE LINE』をドロップ、さらにはMC KHAZZの新譜も予告されている。2017年もNEO TOKAIからの轟音は止みそうにない。ここには確かに、馴れ合いも、ましてや沈黙も拒否する言葉と音がある。なにがドープか知っている人間は、東海の地殻変動からけして目を離せないはずだ。

Visible Cloaks - ele-king

 ヴィジブル・クロークスは、ポートランドを拠点に活動をするニューエイジ・アンビエント・ユニットである。メンバーは、スペンサー・ドーランとライアン・カーライルのふたり。スペンサー・ドーランは00年代に、プレフューズ以降ともいえるサイケデリックかつトライバルなアブストラクト・エレクトロニカ・ヒップホップをやっていた人で、00年代のエレクトロニカ・リスナーであれば、知る人ぞ知るアーティスト。スペンサー・ドーラン・アンド・ホワイト・サングラシーズ名義の『インナー・サングラシーズ』など愛聴していた方も多いのではないか。
 その彼が、〈スリル・ジョッキー〉からのリリースでも知られるドローン・バンド、エターナル・タペストリーのライアンと、このような同時代的なニューエイジ・アンビエントなユニットを結成し、アルバムをリリースしたのだから、まさに時代の変化、人に歴史ありである。

 そう、ここ数年(2010年代以降)、いわゆる80年代的なニューエイジ・ミュージックが、エレクトロニカ/ドローン、OPN以降の、新しいアンビエントの源泉として再評価されており、ひとつの潮流を形作っている。そのリヴァイヴァルにおいて大きな影響力を持ったのが、オランダはアムステルダムの〈ミュージック・フロム・メモリー〉であろう。同レーベルは80年代のアンビエント・サウンドを中心とする再発専門のレーベルで、なかでもジジ・マシンを「再発見」した功績は大きい。じじつ、ジジ・マシンのコンピレーション盤『トーク・トゥー・ザ・シー』は日本でも国内盤がリリースされるほど多くのリスナーに届いた。そのピアノとシンセサイザーの電子音を中心とした抒情的で透明で美しい音楽は、現代にニューエイジ・アンビエントという新しいジャンルを作ったといっても過言ではない。まさに「過去」が「今」を作ったのだ。再発レーベルとしては、理想的な成功である。

 その〈ミュージック・フロム・メモリー〉がリリースした、唯一の日本人アーティスト・ユニット作品がディップ・イン・ザ・プールの『On Retinae』の12インチ盤であった。ディップ・イン・ザ・プールは、1980年代から活動をしている甲田益也子(ヴォーカル)と木村達司(キーボード)によるユニットで、日本でも根強い人気とファンがいるし、1986年には〈ラフトレード〉からデビューを飾ってはいるが、しかし、それをニューエイジ・アンビエントの文脈と交錯させた〈ミュージック・フロム・メモリー〉のセンスは、やはり素晴らしい(ちなみに香港のプロモ盤がもとになっているらしい)。だが、ふと思い返してみると、日本の80年代は、細野晴臣をはじめ、安易な精神性に回収されない音楽的に優れたニューエイジ/アンビエント的な音楽が多く存在した。それはときにポップであったり、ときに実験的であったりしながら。

 ヴィジブル・クロークスのスペンサー・ドーランは、そんな80年代の日本音楽のマニアなのだ。細野晴臣、小野誠彦、清水靖晃らを深く敬愛しているという。彼らの楽曲を用いた「1980年~1986年の日本の音楽」というミックス音源を発表しているほど。当然、ディップ・イン・ザ・プールの音楽も愛聴していたらしい。そして、本作『ルアッサンブラージュ』は、そんな日本的/オリエンタルな旋律やムードが横溢した作品に仕上がっている。そして、先行シングルとしてリリースされた“Valve (Revisited)”は、ディップ・イン・ザ・プールとの共作であり、甲田益也子がヴォイスで参加。アルバム2曲めに収録された“Valve”には甲田益也子が参加しているのだ(ちなみに、“Valve (Revisited)”は国内盤にはボーナス・トラックとして収録)。

 ここで思い出すのだが、昨年、戸川純が復活し、ヴァンピリアとの共演盤にしてセルフ・カヴァー・アルバム『わたしが鳴こうホトトギス』をリリースしたことだ。同時期に『戸川純全歌詞解説集――疾風怒濤ときどき晴れ』も刊行されたこともあり、本盤は、かつて戸川マニアのみならず若いファンからも受け入れられ、大いに話題になったが、こちらは「ニッポンの80年代ポップス/ニューウェイブ」再評価における総括のように思えた。
 対して、ヴィジブル・クロークスにおける、ディップ・イン・ザ・プール/甲田益也子参加は、たしかに80・90/2010世代の新旧世代の共演なのだが、文脈はやや異なり、ジジ・マシン再評価以降ともいえる近年のニューエイジ/アンビエント文脈にある。先に書いたように、ディップ・イン・ザ・プールがジジ・マシン再評価の流れを生んだ〈ミュージック・フロム・メモリー〉からリイシューされたことも考慮にいれると、ヴィジブル・クロークスがやっていることは、世界的な潮流である「80年代ニューエイジ/アンビエント文脈」の再解釈なのだろう。そこにおいて、日本の80年代的なニューエイジ・アンビエント、そしてそのポップ・ミュージックが重要なレファレンスとなっているわけだ。〈ミュージック・フロム・メモリー〉からのリイシューや、本作におけるディップ・イン・ザ・プールの参加は、その事実を証明しているように思える。

 くわえて本作には、ディップ・イン・ザ・プール/甲田益也子のみならず、現行のニューエイジ/アンビエント文脈の重要な電子音楽家がふたり参加している。まず、昨年、〈ドミノ〉からアルバムをリリースしたモーション・グラフィックス。あのコ・ラのサウンド・プロダクションを手掛けたモーション・グラフィックスだが、彼が昨年リリースしたアルバムにも、どこか80年代の坂本龍一を思わせる曲もあった。また、〈シャルター・プレス〉などからアルバムをリリースする現在最重要のシンセスト/電子音楽家Matt Carlsonも、参加しているのだ。

 アルバム全体は、ニューエイジ的なムードのなか、現代的な音響工作を駆使し、現実から浮遊するようなオリエンタル・アンビエント・ミュージックを展開する。非現実的でありながら、どこか80年代末期の日本CM音楽のようなポップさを漂わせている。あの極めて80年代的な「日本人による、あえてのオリエタリズム」を、外国人が参照し、実践すること。そのふたつの反転が本作の特徴といえよう。
 本作に限らず現在のシンセ・アンビエントは、80年代中期以降の音楽/アンビエントをベースにしつつ、そこに2010年代的な音響を導入し、アップデートしているのだが、本作などは、アルバム全編から「1989年」的な感覚が横溢しているように思える(たとえば、細野晴臣の『オムニ・サイト・シーング』を聴いてみてほしい)。

 余談だが、この80年代初期から後期へのシフトは重要なモード・チェンジではないか。それは「バブル感」の反復ともいえる。ちなみに、80年代と一言でいっても、前半と後半では随分と違う。いわゆる日本のバブル経済は1985年のプラザ合意以降のことで、世間的にその実感が伴ってきたのは、「株投資」と「土地転がし」が(一時的に)一般化した80年代末期(1988年~1989年あたり)だったはず。
 そう、最近のいくつかの音楽には、この「景気の良かった時代」への憧憬があるように思えるのだ。それこそ大ヒットしたサチモスは、1989年くらいの初期渋谷系(と名付けられる以前。田島貴男在籍時のピチカート・ファイヴ)的なもののYouTube世代からの反復だろう。そういえば、ディップ・イン・ザ・プールの『On Retinae』も1989年だった。

 あえていえば、本作(も含め、近年の音楽)は、「景気が良かった時代の音楽を、景気が悪く最悪の政治状況の時にアップデート」することで、「景気が良かった時代への夢想や憧れ」を反転するかたちで実現しようとしているとはいえないか。つまり、30年以上の月日という時が流れ、新鮮な音楽としてレファレンスできる時代になったわけである。
 これは、若い世代には80年代という未体験の時代への憧憬も伴うのだろうが、私などがこの種の音楽を聴くと歴史の平行世界に紛れ込んだような不思議な感覚を抱いてしまうのも事実だ。しかしこの感覚が重要なのだ。つまり、リニアに進化する歴史の終わりという意味を、現在の音楽は体現してまっているのだから。これこそポストモダン以降の、アフター・モダンというべきで状況ではないか?

 ヴィジブル・クロークスも同様である。逆説的なオリエタリズムの反転。景気の良さへの憧憬。経済の上部構造と下部構造のズレ。その結果としてのニューエイジ・ミュージックのリヴァイヴァル。そこにレイヤーされるOPN以降の精密な電子音楽の現在。
 それらの複雑な文脈が交錯しつつも、仕上がりは極めて端正で美しい電子音楽であること。それが本作ヴィジブル・クロークス『ルアッサンブラージュ』なのである。1曲め“Screen”の細やかな水の粒のような美麗な電子音を聴けば、誰の耳も潤されてしまうだろう。

 本作は、ニューヨークの名門エクスペリメンタル・レーベル〈RVNG Intl.〉からのリリースだ。つまり文脈といい、リリース・レーベルといい、近年のニューエイジ・アンビエントの潮流における「2017年初頭の総決算」とでも称したい趣のアルバムなのだ。非常に重要な作品に思える。

special talk : Arto Lindsay × Caetano Veloso - ele-king

 どれでもいい、『ケアフル・マダム』から1曲抜き出してみよう。

WHERE HAIR BEGINS
WHERE IN THE AIR
LEAST WEIGHT DISPLACED
LIKES STRINGS AND SEAMS
CROSSED AND UNCROSSED ROADS

毛がはえはじめるところ
空中で
一番少ない重量が
とってかわった場所
糸や縫い目のように
交差し、交差しない道
“アンクロスト(交差しない)”(喜多村純訳)


Arto Lindsay
Cuidado Madame(ケアフル・マダム)

Pヴァイン

AvantgardeAvant PopBossa NovaNo Wave

Amazon Tower HMV

 ホウェアとヘアとエアーで韻を踏み、髪のイメージを糸や縫い目がひきとり、重力に逆らい逆巻き、縺れあったりあわなかったり――視覚と関係性の官能を二重写しにするこの曲はもとより、アート・リンゼイの歌詞のほとんどが短詩形で詩的ヴィジョンをもつのはDNAのころから変わらない。とはいえ、“Horse”の歌詞のネタ元が「リア王」だったとは、アートの基本姿勢が異質なものの同居にあるとしても、連想ゲームとしてはなかなかに高度である。なにがアートをアートたらしめるのか、詳しくは『別冊ele-king』を手にとっていただきたいが、歌詞、とくにポルトガル語での詩作において、アートはカエターノ・ヴェローゾを意識していたのはもって認めるところである。むろん、カエターノの歌詞は、ことばのイメージが科学反応をおこすアートの歌詞よりも、展開の妙味を読む散文詩的なものだが、詩の背負う世界の飛躍の距離と角度において通ずるものがある。
 本稿は『別冊ele-king』第五号に収録したアート・リンゼイとカエターノ・ヴェローゾの特別対談の、紙幅の関係で割愛した部分である。本書ではおもに音楽についての対話を掲載したが、以下はその前段にあたる、音楽におけることばについて、アートとカエターノふたりきりで語っている。いささか高踏的に思われる向きもあるやもしれぬが、やすっぽい感情やメッセージや思想によらない音楽のことばを考えるヒントに!

     

ドロレス・ドゥランの歌詞に感激したんだ。彼女の作詞は、ヴィニシウスより優れていると思うこともあった。(カエターノ・ヴェローゾ)

最初にぼくが歌詞に魅了されたうちのひとつは、ジミ・ヘンドリックスだったんだ。ある種ボブ・ディランに影響されているようなひと。(アート・リンゼイ)

アート・リンゼイ(Arto Lindsay、以下AL):歌詞と音楽の関係性について意識的に考えはじめたのはいつなの? 子どものころからだったの? コンポーザーか歌手か誰かきっかけになったひとがいるの? なにかそのへんのことについて憶えている?

カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso、以下CV):それが、子どものころからなんだ。ことばとメロディに関係がある、歌詞のある歌について考えることがあったんだ。そういうことが印象に残って、頭から離れなかった。子どものころからそういうことを考えるのが好きだった。ベターニア(註1)の名前も、ある歌にちなんでぼくが名づけたんだよ。あのときぼくは4歳だった。

AL:うわぁ。

CV:大好きな歌だったんだ。カピーバ(註2)の“マリア・ベターニア”。ペルナンブッコのひとだ。その曲はネルソン・ゴンサルヴェス(註3)が録音して、詞が大好きだった。「Maria Bethânia / Tu és para mim / A senhora do Engenho」の「Engenho(構想力、発明の才の意)」がなんなのかもわからなかったけど、なんて美しいんだって思ったんだ(笑)。

AL:はい。あははは。

CV:愛するひとに捧げた曲のタイトルで、至極美しい。成長しながら、そういうことに気づいていったこともある。なんというか、年長者からサインを受け取ったというか。少年だったころに、口笛などめったに吹かない、歌うことなんてなかった父が、母はね、よく歌っていて、いろんな歌を歌うひとだったんだけど、父はメロディとかそういうものが頭に入ることもなかったようでいっさいそんなことがなかった、その父が、誰かと話をしていて、こういったんだ「“Três Apitos(三つの笛)”(註4)はブラジルで作られた最高作だ。なんとすばらしい歌詞なんだ!」と。

AL:うわぁ。

CV:ぼくはすごくうれしい驚きを感じたんだ。ぼくがノエル・ホーザの“Três Apitos”に関心を寄せていたからさ。だって、曲のタイトルはすべてを語っていたし、どんな種類の笛だろうとあれこれ想像させるからね。工場から聞こえてくる汽笛なのか、「apito(笛)」はここで繰り返さないけれど、車のクラクションなのかと。最後にわかるわけだよ、曲の主役が夜勤の守衛なんだってことが。父は、曲が非常によくできているということがわかっていたわけだ。だからなおさら、歌詞について考えた。そうして、他にもいろいろあったわけさ。成長して、18歳のころだったか、ぼくはカイミ(註5)が誰よりも完璧だと思っていた。

AL:そういう理由から?

CV:歌詞と音楽の関係性においてね。「Você já foi a Bahia nega não / Então vá / Quem vai a Bonfim minha nega(愛しい人よ、バイーアに行ったことないのか?/じゃあ、行きなよ/ボンフィンに行く人はね……)」。人が語っているようだと思ったよ。だけど、メロディもそこにあって、語りのすべてのイントネーションが含まれているんだ。疑問符も、句読点も、それでいてこうコロキアル(話し言葉的)、誰かに話しかけているみたいでありながら完全に音楽なんだ。ぼくはそれにとても感激した。そうして、ぼくの音楽の素晴らしい二大素地でもあるノエル・ホーザとカイミのおかげでほかのことにも気がついていったんだ。どちらが先だったか憶えていないけどドロレス・ドゥラン(註6)とヴィニシウス・ヂ・モラエスの歌詞が世に出はじめたころのことを思い出すよ。どちらも同時期に出てきたと思う。ドロレス・ドゥランの歌詞に感激したんだ。彼女の作詞は、ヴィニシウスより優れていると思うこともあった。ヴィニシウスは詩人で、後から作詞家になったからね。彼の詩はより複雑で、彼女がしないようなことを書いていたけど、彼女の詞は音節ひとつひとつまでもが完全に音楽を成していた。アイデアもとても明確で、非常によく書かれていた。ヴィニシウスが優れているとわかるまで、時間がかかったくらいだよ。ドロレス・ドゥランはとても――

AL:カイミのようなんだね。とてもパーソナルで、コロキアル。

CV:そうとてもコロキアル。そしてとてもインスパイアされている。コロキアルなんだけれども、フラットではないんだ。その逆だ。

AL:ぼくの経験を語ると、ぼくはナット・キング・コール、それからドリヴァル・カイミをたくさん聴いた。青春時代の初期に母のレコードを聴いていたんだ。印象に残るものはあったけれど、歌詞と音楽にかんしてそこまで意識的に考えたことはなかった。最初にぼくが歌詞に魅了されたうちのひとつは、ジミ・ヘンドリックスだったんだ。ある種ボブ・ディランに影響されているようなひと。

CV:そうだね。すごくボブ・ディランっぽいね。

AL:完全にボブ・ディランに影響されている。

CV:彼がボブ・ディランの詞が大好きだったのがわかるものね。

AL:彼はそこからスタートして、だけどちょっと息切れしちゃった感じがあるよね?

CV:そう。

AL:ボブ・ディランより音楽的だとも思うんだ。彼はちょっと前衛的なアティテュードがあった。厳密にいえば、ボブ・ディランのケースではなかった。ボブ・ディランは結果的に前衛的になったけれど、ジミ・ヘンドリックスのようにみずから前衛的なスタイルをとらなかった。
 ボブ・ディランはまた詩的な意志を、他のアヴァンギャルドとは異なる詩的なアヴァンギャルドをミックスする。詩人のアヴァンギャルドで、それとフォークロアな音楽との類似性を認識させるね。

CV:アメリカのフォークロアとブルースもね。

AL:ブルースとかカントリーとか古いものすべてね。ヒルビリーとかそういうのもすべて。

CV:フォークとカントリー・ブルースもね。じつはぼくにとってアメリカの曲の歌詞も、とても存在感があったんだ。英語がまったくしゃべれないときから。いまはすこししゃべるけど、あのころはまったくしゃべれなかった。フランク・シナトラとか、ビリー・ホリデイとか、中学生のころみんなと同じように英語を勉強していたからね、なにを歌っているかわかったんだ。でもロックンロールが登場してからは、もう全然わからなくなっちゃった。

AL:そうだね。昔は理解できるように作詞がされたけど、ロックの後は、理解されないように作詞されるようになったからね。

CV:ふたつの意味でね。ことばそのものの選択という意味でも、発声の仕方においても。

AL:どちらかというと発声の仕方においてだと思う。

CV:でもどちらもだよ。歌詞を読んでもあんまりさ……わかる? なんか投げられた感じのフレーズで聴くひとの頭に残るような、とても刺激的じゃない? 聴きながら、歌詞を辿っていける感じのものではないというか……

1) Maria Bethânia:1942年生まれのカエターノの4歳年下の妹。トロピカリズモ周辺に出入りし、歌手デビューした65年の“Carcará”で早くも頭角をあらわす。78年の『アリバイ』でブラジル国内に広く知られた。2005年の『キ・ファウタ・ヴォセ・ミ・フェス(Que Falta Você Me Faz)』は全編、文中にも言及のあるヴィニシウス・ヂ・モラエスの楽曲からなるアルバム。カエターノは軍事政権下のブラジルを脱し、亡命したロンドンで1971年に発表した3作目の『Caetano Veloso』に妹に宛てた手紙を模した同名異曲を英語で吹き込んでいる。

2) Capiba(1904~1997):本名ロレンソ・ダ・フォンセカ・バルボサ。ノルデスチ(ブラジル北東部)のカーニヴァルを象徴する音楽形式フレーヴォの作曲家として知られる。

3) Nélson Gonçalves(1919~1998):リオグランデ・ド・スル州生まれ、サンパウロ育ちのシンガー・ソングライター。1950年代(カエターノの幼少期)もっとも人気を集めたラジオ歌手のひとりだった。

4) 20世紀ブラジルのポピュラー音楽を代表するシンガー・ソングライター、ギター/マンドリン奏者ノエル・ホーザ(1910~1937)が1933年に作曲した楽曲名。

5) Dorival Caymmi(1914~2008):バイーア州サルヴァドール出身の歌手、作曲家。のちにハリウッドで成功するカルメン・ミランダの映画『Banana-da-Terra』(1933年)に“O Que É Que A Baiana Tem?”を提供したことで名を知られる。54年に『Canções Praieiras』でデビュー。アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトにも影響を与えた。カエターノが文中であげているのは“Você já foi a Bahia(君はもうバイーアに)”の一節。

6) Dolores Duran(1930~1959):ボサノヴァ成立前の1950年代に活躍した歌手、作曲家。ジョビンの“Por Causa de Você”、“Estrada do Sol”などの共作者でもある。

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DNAのやることは強烈だった。ロックの先端の、エッジというか、ぼくには非常に印象が強かった。ラディカルな経験を思い起こす。歌詞はそれでいて、コミュニケーションへの切迫感があった。(カエターノ・ヴェローゾ)

理念そのものにとても迷いや疑問があった。芸術に横たわっていた哲学的な理念や、60年代からきた、それらの理念の源に疑問があった。それで、ぼくたちはなにか突っ込んでいこうとするところがあったんだ。(アート・リンゼイ)

AL:ヘンドリックスのやったことがおもしろいと思うんだよね。ヘンドリックスは、三つ、四つ、五つくらいのパターンでことばと音楽とを関係づけるというか。ポルトガル語でなんて言うのかわからないんだけど、彼は「ポエティック・デヴァイス」のレパートリーをもっていた。詩的な仕掛けというのか、くりかえして、拍子やアップ、ダウンと関係があって、抑揚とリズムと……彼は早くに亡くなったんだよね。彼が27歳で亡くなったのを忘れるくらい。若すぎたよね。ぼくは作詞をはじめたとき、あなたの最初のインプレッションと似たような、歌詞を会話のようにしたかった。しかしよく聴いて、文字を追えば、より複雑で抽象的で独特なものになるように。歌ったときにまるで自然に響かなければいけないと。DNAの初期の歌詞はすべてそうだった。まるでなんというか……

CV:うん。DNA(の曲)は、ひとがまるで差し迫って主張している感じする。

AL:そう。とても……プレッシャーがかかっていた。

CV:そのスタイルに真の緊急性があるようだった。とても美しいと思う。とても、なんというか……DNAのやることは強烈だった。ロックの先端の、エッジというか、ぼくには非常に印象が強かった。ラディカルな経験を思い起こす。歌詞はそれでいて、コミュニケーションへの切迫感があった。フレーズがとても――

AL:投げられている感じ?

CV:そうなんだけど、よく聴くと、各パーツとても統合的で、いろいろなものが含まれている。とても濃い。

AL:ぼくが思うに、それはあの青春、衝動、願望とがすべて混ぜ合わさった――

CV:青春のバイタリティだね。

AL:そう、青春のバイタリティ。理念そのものにとても迷いや疑問があった。芸術に横たわっていた哲学的な理念や、60年代からきた、それらの理念の源に疑問があった。それで、ぼくたちはなにか突っ込んでいこうとするところがあったんだ。

CV:ぼくは66年から67年ころに確固たる意志をもってそうしようとしはじめた。ぼくは、ほんとうはわざと、子どものときに会得した美的感覚に背いたんだ。

AL:なるほど。でもその後背いたことにさらに背いたよね。

CV:そうだね。背いたことに背いた。いくつか美しい作詞をしたからね。

AL:いや、待って。たくさんだよ。

CV:幼少期から青年のときまで身につけた美的感覚に背いた、その多くが、世に出てきた当時は誰にもそう美しく捉えられなかったんだ。いまでこそ、容易に美しいと認識されるけれど。

AL:その通りだね。英語ではテレグラフと呼ばれるものがあるんだ。なにが言いたいかというと、ある文章が、その方向に要約されるというか。文章それぞれが、世界観がある。別々の異なった世界観が。

CV:それは、ぼくよりあなたのほうが強いよね。ぼくの作品にもいくつかそんなところに行き着くものがあるけれど、でもあなたのほうがずっとそうだよね。でも、よく考えてみたら、アメリカ文学の伝統は、ブラジル文学の伝統というかポルトガル語文学のそれよりその傾向があるよね。テレグラフに寄りかかるところが。

AL:そうね。でも、おもしろいよね。例えば、20世紀の終わりの詩をみてみると、ブラジルの詩はとても具体的で、なんというか、ミニマリストだ。

CV:そうだね。ミニマリストだね。長詩だったビート派と同じ時代にしてね。

AL:ジョン・アシュベリー(註7)とか、そのへんはみんなとても長いよね。苦痛にすら感じるほどに、終わりのない感じ、リズムがない。だけどこの会話とアシュベリーを関連させられる唯一の共通点はコロキアルということだ。彼はさまざまな文章を寄せ集めて、混ぜ合わせて、すべてどこからかとってきて小さな変更を施しただけのような。

CV:ちょっとレディ・メイドみたいなね。レディ・メイドのパーツを寄せ集めた感じ。でも興味深くて、美しい。彼特有の良質な空気感をそれで作り出すから。でも、おもしろいね、あなたがそう話し始めたとき、エズラ・パウンド(註8)について話しているように聞こえたよ。そうそれで、アシュベリーは、リオで見たことがあるよ。彼はリオでおこなった講演で、エズラ・パウンドは大嫌いだと語っていたよ。エズラ・パウンドが書いたものはすべて醜いといったんだ。「ugly」という言葉を使ったからね。彼はエリザベス・ビショップ(註9)が好きだと語っていた。彼にとってアメリカの偉大な詩人であると。

AL:うわぁ。クレイジーだ。

CV:フラメンゴ公園での講演だった。

AL:憶えているよ。たしかワリー(註10)とシーセロ(註11)とが招いたんだ。

CV:そう。それにジョアン・ブロッサもね。ジョアン・ブロッサと、それにジョアン・カブラル・デ・メロ・ネトもね。

AL:ジョアン・カブラルもいたのは知らなかった。

CV:ジョアン・カブラルはすごかったよ。信じられないようなことがあったんだ。ジョン・アシュベリーは唯一のアメリカ人だった。講演の最後に客席からの質問も受けたんだ。3人に対しての質問が客席からあった。こんな質問だった、「ご自身の作品を、声に出して読むことは好きですか?」と。ジョアン・カブラル・デ・メロ・ネトを敬愛するジョン・ブロッサが最初の回答者だった。彼はこう答えた「私にとって詩は、自分自身で声に出して読み、満足できたときにはじめて存在する。だから、ひとり読み上げて、詩の音も含め楽しむのだ」と。それから、ジョアン・カブラルにマイクが渡って彼はこう言った「いや。私は自身の詩を読むのが大嫌いだ。正直、この世にぼくの本を手にとって、ぼくの詩を声に出して読む人がひとりたりともいてほしくない。ぼくは年齢とともに視力が弱くなってきたが、耳が聞こえなくなった方がよかった」って。

AL:うわお。あはは

CV:それで、アシュベリーにマイクが渡って、「ご自身の詩を声に出して読まれることに対してどう思いますか」と質問されて彼は言ったんだ。「それでお金がもらえるならね」と(笑)。それぞれの特徴が表れているよね。ジョン・アシュベリーのユーモア・センスはとてもアメリカ的だ。この返答はハードな皮肉であると同時に、アメリカ的なものを反映している、アメリカン・ジョークだよね。

AL:とてもアメリカ的だ。わかる気がするんだ。エズラ・パウンドをいま読むと、彼はとても他の言語の形式を模倣する人だったのがわかる。それを英語で読む人は――

CV:まるで英語ではないように感じるんだね。

AL:なにか偽りのようなものがあって、まるで彼が英語そのものに喜びを感じていないように感じるんだよ。

CV:ぼくは英語話者ではないのでわからないけれど、エズラ・パウンドの作品をいくつか読んだとき、そのページでぼくは迷子になったよ。中国語の要素があったり、表意文字があったり。文章はオリエンタルなものに似ているかと思えばコロキアルな、ちょっとアメリカっぽい平俗なものが入ってくる。

AL:コラージュのようだよね。

CV:そうして語調が変わる。すごく魅力的だったけど、ぼくは迷子になってしまったよ。でも、ひとつ言っておくと、インターネットとかいう技術のおかげで、エズラ・パウンドが詩を読んでいる映像を見たんだ。なんとも美しいんだ。叫びがあって、そのうちに重低音な声ですごくコロキアルになって、そのあとまた別のものがくる……すばらしく美しかった。詩が非常に美しくなる。

AL:探してみる。彼が読んでいるのは見たことがない。

CV:ぜひ聞いて見てほしいね。

AL:ジョン・ケージ(の朗読)を聞いたことある?

CV:ケージはリオで見たよ。直接、読んでいるのを見た。

AL:彼自身の文章を?

CV:(ジェームス・)ジョイスの文章を(註12)。

AL:彼自身が語を刻みながら?

CV:そう。

AL:ぼくはニューヨークで見たよ。いままで見たなかで最高なパフォーマンスのうちのひとつだった。

CV:最高だよね!? すばらしいと思ったよ。彼は『フィネガンス・ウェイク』の一節を読むんだ。

AL:そう。ハシッ、キッ、ハシッ、キッ(とケージを真似る)。ぼくと同じ作品を見ているかわからないけど、彼は言葉を刻むんだ。

CV:ほんとうに小さなピースにしてしまう。

AL:音節の小さな一部だけが聞こえるんだ。

CV:子音の一部のあとに文章全体とかね。

AL:ぼくも見て、すごく感激したんだ。パフォーマスとして。経験として。芸術の……なんだか定義しないでおいて、とにかく信じられないパフォーマンスだった。

CV:T・S・エリオットが自身の詩を読んでいるのは見たことある?

AL:聞いたことがあるけど、実のところあまり憶えていないよ。エリオットを読むのは大好き。

CV:美しいよね。エズラ・パウンドのような苦しみはない。すべて美しく、英語も美しい。でもエズラ・パウンドが読んでいるのを聞くと、そっちの方がもっと好きなんだ。

AL:あなたがそういうのなら聞かないといけないな。エリオットは、ひととして最悪だったというか、抑制された、存在することに問題を抱えていたというか。プロテスタント的なものが強いというか。

CV:カトリックに改宗したんだよね?

AL:より一層人間らしくなくなっていったというか……

CV:それとも、英国国教か。彼は、アメリカの近代的なプロテスタンティズムよりもクリスティアニズムのよりフォーマルな伝統的なほうへ行ったんだね。

AL:あの当時はなかったものだけど。でも……ぼくはとてもよく聞いたのはバース(註13)だ。音読するバース…

CV:それは聞いたことがない。

AL:なんと! これこそ信じられないほどにすばらしいよ。彼はとても皮肉的で、本は……読んだことある?

CV:読んだよ。

AL:彼はとても気を楽にしてくれるというか…

CV:クレイジーだよ。

AL:そう、クレイジー。でもそこまでではないよ。2回読むと、とてもよく書かれているとわかるんだ。

CV:そうだね。とてもよく書かれている。

AL:彼はとても調節された韻律をもっていて、安定していて、とても……とても皮肉的でおもしろい。エリオットとはとても異なっていて、パウンドが音読しているのは見たことがないけれど、彼は南部の人で、アフリカの影響を受けたアメリカの要素があって、リズムがあり、グルーヴがあり、流れるようなグルーヴ感のある読み方なんだ。(了)

7) John Ashbery(1927~):現代アメリカを代表する詩人。アッシュベリーとも。作風はポストモダンを経由した実験的なもので、米国の主要な文学賞を数多く受賞している。翻訳書に『波ひとつ』(書肆山田)、『ジョン・アッシュベリー詩集』(思潮社)。

8) Ezra Pound(1885~1972):アイダホ州ヘイリー生まれのアメリカの詩人。20代でヨーロッパに渡り、イギリスでイェイツやT・S・エリオットらと親交をもち、パリ、イタリアと移り住むなかで、長文の自由韻律詩を発表し、俳句、漢詩、能などの東洋文化の紹介者として活発に活動した。第二次大戦中、ムッソリーニを支持し反ユダヤ主義をとったかどで告発され、米国に強制送還ののち、精神障害を理由に12年の病院暮らしをおくる。退院後イタリアで没したが、死後20世紀モダニズム運動の中心人物と見なされた。

9) Elizabeth Bishop(1911~1978)アメリカの詩人。マサチューセッツ州ウースター生まれ。1951年の南米旅行で立ち寄ったブラジルに15年間居住し、その間発表した『北と南/寒い春』でピューリッツァー賞を受賞。ほかに全米図書賞、全米批評家協会賞の受賞歴もある、20世紀アメリカを代表する詩人のひとり。

10) Waly Dias Salomão(ワリー・サロマゥン、1943~2003):詩人、作詞家、音楽プロデューサー。トロピカリズモ運動の立役者のひとりであり、ガル・コスタの“Vapor Barato”やベターニアの“Mel”、“Talisma”の作詞者でもある。

11) Antonio Cicero(アントニオ・シセーロ):1945年、リオ・デ・ジェネイロ生まれのブラジルの詩人、作曲家、作家。1993年ワリー・サロマゥンとともに「Banco Nacional de Idéias(アイデアの国立銀行)」をたちあげた。スペインの前衛詩人ジョアン・ブロッサ、具象派の詩人ジョアン・カブラル・デ・メロ・ネトらが参加した後述のイベントもその一環だと思われる。

12) ケージが講演などで話すことばを作曲作品と見なしていたことは主著『サイレンス』(水声社)所収の文章などでもあきらかだが、カエターノの言及する、ジョイスの集大成『フィネガンズ・ウェイク』を朗読するのは1970年の“ロアラトリオ”。ケージはこの曲で、『フィネガンズ・ウェイク』からのランダムなテキストの引用と、作中に言及のある音を録音した音源と、小説に登場するダブリン市内の環境音とを組み合わせる。

13) ピンチョンらとならぶ、米国ポストモダン文学を代表する小説家ジョン・バース(John Barth、1930~)を指すと思われるが、バースが朗読活動をおこなっているかは不明。またバースは南部出身でもない。発言者に問い合わせたが、期日まで回答を得られなかった。追って修正の可能性あり。

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