「LV」と一致するもの

 amazonさんでもすぐに品薄になってしまうのですが、おかげさまで『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』、好調な売れ行きでございます。お読みいただいているみなさま、ありがとうございます!
 さて、去る4月16日、インターネット・ラジオdublabさんにお迎えいただいて、著者おふたりが本書を紹介されました。dublabさんのアーカイヴにてそのときの模様が公開されましたので、ぜひお聴きください。ご都合のため九龍ジョーさんは途中からのご登場となっておりますが、磯部涼さんのDJとトークをたっぷりお楽しみいただけます。もちろんAZZURROさんによる、〈Ultimate Breaks & Beats Session〉も!

■DJ AZZURRO, Ryo Isobe w/ Yuho Hashimoto & Kowloon Joe – dublab.jp “Radio Collective” live from Malmö Tokyo (04.16.14)

こちらからお聴きいただけます!
https://goo.gl/WhfvY2

dublabさんサイト
dublab.jp

*磯部涼 選曲リストより
1. 浅野達彦 / LEMONADE(M.O.O.D./donut)
2. Gofish / 夢の早さ(Sweet Dreams)
3. 両想い管打団! / キネンジロー(Live at 元・立誠小学校、2013年1月13日)(NO LABEL)
4. うつくしきひかり / 針を落とす(MOODMAN Remix)(NO LABEL)
5. odd eyes / うるさい友達(less than TV)
6. MILK / My(Summer Of Fun)
7. soakubeats feat. onnen / Mission:Impossible(粗悪興業)
8. Alfred Beach Sandal / Rainbow(ABS BROADCASTING)
9. Hi, how are you? / 僕の部屋においでよ(ROSE RECORDS)
10. FOLK SHOCK FUCKERS / ロード トゥ 町屋(less than TV)
11. DJ MAYAKU feat. SOCCERBOY / DANCE WITH WOLVES(Goldfish Recordings)
12. LEF!!! CREW!!! x NATURE DANGER GANG / Speed(NO LABEL)
13. 嫁入りランド / S.P.R.I.N.G.(NO LABEL)

■『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』
発売情報はこちらから! → https://www.ele-king.net/news/003740/


服部 (PIGEON RECORDS) - ele-king

名古屋のPigeon Recordsでバイヤーをやっています。FKトリビュートからの新譜
& レコードバック常駐盤を何枚か選びました。

www.pigeon-records.jp
https://twitter.com/pigeonrecords

2014.05.09.Fri Black Cream presents Nina Kraviz @ Club Mago
2014.05.17.Sat Familia feat.威力 @ Kalakuta Disco
2014.05.23.Fri The Human Cannon Ball with Conomark & Sonic Weapon @
Kalakuta Disco


1
Jago - I'm Going To Go (Frankie Knuckles Remix) - Full Time Records

2
I:Cube - Cubo Rhythm Trax - Versatile

3
The Jaydes - Area 89 (Boo Williams Tech Dub Remix) - Dame-Music

4
Mr. G - Moments - End Recordings

5
Butric - Up - Sei Es Drum

6
Lisa Moorish - I'm Your Man (Green Velvet Mix) - FFRR

7
Earnest & Just - Still Here - Misterio

8
Heller & Farley Project - Ultra Flava (Any Mixes) - AM:PM

9
Steve Silk Hurley & The Voices Of Life - The Word Is Love - Silk Entertainment

10
James Blake - Limit To Your Love (Daniel Bortz Re-Edit) - White

11
Sydney Youngblood - Anything (Classic Frankie Mix) - RCA

interview with Kelela and Total Freedom - ele-king

「これ以上、神聖なものって、ないの?」

 いつのまにか音楽はしぼみ、日本語のナレーションがくりかえし聞こえてくる。さっきまでトータル・フリーダム(=Total Freedom)のDJで盛り上がっていたフロアは、波がひいたように静まりかえった。会場の全神経がステージ上に注がれる。ほどなくして歌声が響きはじめ、しなやかな身のこなしでケレラが姿をみせた。「Is there sacred anymore?」――そのとき、10分後の気持ちさえ誰も予測できなかっただろう。当時はアルバム一枚さえなかった。たった一曲で彼女は話題になったのだ。張りつめたムードのなか、ケレラとオーディエンスが「はじめまして」からお互いをさぐりはじめる――あまりに官能的な瞬間だった。
ケレラはイヴェントが終わる直前にも、20人もいなかっただろうフロアに降りて、ふたたびマイクを握った。あの日むかえた夏の朝5時は、とても小さいのに広がりがあって、優雅でありながら繊細で、みんなが美しい汗に濡れていた。僕にとって〈Prom Nite 3〉は、2013年どころか、ヒカリエでの〈Revolver Flavour〉と並んで、生涯の最高の夜のひとつだ。


Kelela - Cut 4 Me
Fade to Mind

Review Amazon iTunes

 念のためおさらいしておこう。2013年5月にリリースされたキングダム(Kingdom)・フューチャリング・ケレラの楽曲“バンク・ヘッド(Bank Head)”が、サウンドクラウドで〈フェイド・2・マインド(Fade to Mind)〉レーベル史上(ケタひとつ違う)最多の再生数を記録し、『ダミー』誌や『デイズド&コンフューズド』誌は2013年のベスト・トラックとして評価している。同年10月に満を持してレーベル初のアルバムとなるケレラの『カット・4・ミー(Cut 4 Me)』がリリースされ、音楽メディアが軒並み高評価のレヴューで取り上げたのはご存じのとおり。受け身(feat.)のシンガーに納まりたくなかったケレラも陽の目をみるチャンスをうかがっていたはずで、R&Bサンプリングを愛してきたキングダムにとっても、そして世に知られるための決定的なフックを必要としていた〈フェイド・2・マインド〉にとっても、『カット・4・ミー』はまさにウィン・ウィンの結晶といえる作品だ。それによってケレラだけでなくレーベルの存在も急浮上し、『ファクト』誌は〈フェイド・2・マインド〉を2013年のベスト・レコード・レーベルとして讃えた。

 また、〈フェイド・2・マインド〉にはマイノリティとしての背景/出自があることも忘れてはならない。天野龍太郎がレヴューで触れているように、ケレラは移民の娘として育ち、マイク・Q(Mike Q)はヴォーグのフィールドで名を馳せているほか、レゲトンをかけまくっていたトータル・フリーダムやングズングズ(Nguzunguzu)はラテン系移民のLGBTコミュニティが集まるLAでのパーティ〈ワイルドネス(Wildness)〉で活動していた。

ドキュメンタリー映画『ワイルドネス』(ウー・ツァン(Wu Tsang)監督、2012年)には、周囲の圧力によってパーティが中止に追い込まれる様子が記録されているようだが、いまのところ観る手段はなさそう。

 そういった事柄は〈フェイド・2・マインド〉のあくまで一面/一要素にすぎないかもしれないが、まったく無視してしまうわけにもいかない。あのパワフルな「Ha!」が幾度となくミックスされているのは、けっして故なきことではないのだから。

 2014年3月末リリースのボク・ボク(=Bok Bok)との新曲“メルバズ・コール(=Melba’s Call”を、あなたは聴いただろうか? ケレラはまだまだ野心的だ。ぶつ切りにされたエレクトロ・ファンク。脳がゆれるようなオフビート。この故障気味のトラックに歌を乗せてしまうぶっ飛び様にはただただ感服するしかない。「次はこんなに近くで(=DOMMUNE)観れないかもね」と1-DRINKさんがささやいていたように、たしかにケレラの人気は高まっていくばかりだろう。けれど、彼女はけっして安全牌に落ち着くことなく、野心的な活動を続けてくれるにちがいない。

 幸い、近くで観れなくなるかもしれないその前に、僕はケレラとアシュランド(=トータル・フリーダム)に話をきく機会に恵まれていた。帰国直前のふたりといっしょに小さな町の蕎麦屋の暖簾をくぐったのは、2013年、コンクリートもジューシーに焼きあがり、トリップしそうになるほど暑かった真夏の昼のこと………。

(※ぜひ日本のファンに読んでほしいとケレラ本人から届いたラヴ・レターを、最後に添えておきます。)

アメル・ラリューっていうシンガーのライヴを初めて見たときのことなんだけれど、彼女がわたしのなかの何かをぶちこわしたの。あんなに自分の人生を懸けて歌を歌っている人を見るのは生まれて初めてだった。

アシュランド、今年(=2013年)だけで日本には4回も来ていたけど、今回はいろいろと慌ただしい滞在でしたね。そんななかわざわざ時間をくれてありがとうございます。まずはルーツについて訊かせてください。初めて買ったレコードは何ですか?

アシュランド:初めてのレコードはトッド・ラングレンかな。名前が思い出せないんだけど、彼が80年代に出した変なエレクトロっぽいやつ。8歳のときに初めてお小遣いをもらって、家族とショッピングモールに行ったときにレコード屋で買ったテープがそれだった。見た目が可愛かったからジャケ買いしたんだ。

ケレラはどうでしょう?

ケレラ:わたしは……トレイシー・チャップマンのデビュー作だったな。

アシュランド:素敵だね。

ケレラ:うん。でも自分で買ったわけじゃなくて、父からの贈り物だった。たぶん彼は私に気を遣って買ってくれたんだと思うわ。そのとき両親は離ればなれに暮らしていて、父がいつもわたしの送り迎えをしてくれていたの。学校に車で迎えにきてくれるときにだけ、父とふたりで会うことができる時間だったのだけれど、そのときにいつもおねだりばかりしていたから……Oh、 アリガトウゴザイマス(訳者註:蕎麦を運んできた店員に対して彼女は満面の笑みでそう応えた)。

初めていまのようなアーティストになりたいと思ったのはいつ頃ですか?

アシュランド:僕は自分のことをアーティストだなんて思っていないんだ。だからそのようなことを考えたこともない(笑)。そういう誰かのレコードを聴いて、この人みたいにいつかなりたいっていうプロセスで物事を考えたことはないんだ。

ケレラがシンガーになろうと決めたきっかけはなんだったのですか?

ケレラ:アメル・ラリューっていうシンガーのライヴを初めて見たときのことなんだけれど、彼女がわたしのなかの何かをぶちこわしたの。それがきっかけよ。あんなに自分の人生を懸けて歌を歌っている人を見るのは生まれて初めてだった。彼女の歌を聴いて涙が出てきたし、同時にとても幸せな気分にもなった。彼女はべつにわたしのそばでわたしの瞳を見つめながら歌ってくれていたわけではないのよ。ワシントンDCにある大きなコンサートホールで、わたしはステージから遠く離れて座っていたの。それなのに彼女の歌声はわたしの心の奥深くまではっきりと届いた。そのときは信じられなかったわ。その事実も、そんなことができる彼女の歌唱力も。その日を境に、わたしも人生のうちで一度くらいは歌に懸けてみるべきだと思いはじめた。 

それはいつ頃の話ですか?

ケレラ:わたしはもう大学生だったから、2004年頃のことかな。それまで浴室でシャワーを浴びながら歌ったりはしていて、学校の行事とかでソロで歌わされたりしたことはあったけど。あ、そういえばわたし、高校の「将来ポップ・スターになりそうな人ランキング」で1位に選ばれたのよ!

アシュランド:ハハハ(笑)。

ケレラ:きのう考えごとをしていたらちょうどそのことを思い出して。でもとにかく若いときから毎日下手なりに歌は歌っていたわ。日に日に少しずつ上達していっていまに至ったと思う。

以前、インタヴューで「アシュランドはアートスクールに行っていないことを誇りに思っている」とサブトランカのマイルスが言っていましたが、実際どうでしょう?

アシュランド:べつに誇りになんて思ってないけど(笑)、でも多くの人が僕はアートスクール卒だと思うみたい。実際、〈フェイド・2・マインド〉の連中や周りの友だちがみんなそうだし、シカゴに住んでいたときからの知り合いも未だに深い関係にある人はみんなアートスクールの出身なんだ。恐らくそういうイメージがつきやすいのは僕の立ち位置によると思う。僕はアートの世界でコンスタントに活動しているけれど、とくに音楽活動をするときにはいつもインスティチューショナルな現代アートの世界とクラブの世界の両方を行き来するようにしてきたしね。

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それこそが歴史的にシーンと呼ばれるものが生まれてきたポイントだと思うんだ。そこにあるんだと言ってしまうこと自体がそれを生むというか。

あなたがキュレーターを務めたプロジェクト『ブラスティング・ヴォイス』(Blasting Voice)はLPとエキシヴィションの両方の形で発表されましたが、あのヴァリエーション豊かなキュレーションは、何かのシーンを総括するようなものだったのでしょうか?

アシュランド:違うよ。コンピレーションを依頼されたときに「君のシーンにすごく興味があるから何かそれを総括するような物を作ってくれないか」って言われたんだけど、実際それを聞いてすごく笑ってしまったんだ。「それっていったいどういう意味?」って。依頼してきた人のこともまだよく知らなかったし、そのときはそれがすごくおかしくてさ。彼が想像していたようなシーンはそこには存在しなかったし、それぞれのアーティストもその作品もお互いに影響しあわずにすでにそこにあった。だからきっとすごくおもしろい仕事になるなって思ったよ。互いに繋がりのないさまざまな人たちの作品をそこに何か関連があるって想像しながらひとつにまとめていくんだから。でもそれこそが歴史的にシーンと呼ばれるものが生まれてきたポイントだと思うんだ。そこにあるんだと言ってしまうこと自体がそれを生むというか。だから、それはレコードを作る理由としてはじつに楽しいアイデアだったよ。本来のゴールとは違う形だったとはいえどもね。内容の時間軸もバラバラで、2005年頃に知り合いからもらった作品もあればリリース直前に完成した楽曲も入ってる。でもコンピレーションが出るまで誰も聞いたことがなかったものばかりだよ。エキシヴィジョンも同様で、すでに存在していたシーンをリプリゼントしたようなものではないんだ。
どちらもできる限り広範囲から選ぶように努力はしたんだけど、実際思ったより狭い範囲でのキュレーションになってしまったかな。みんな僕の知っているアーティストだったからそういった意味で偏りがあるのはどうしようもないけどね。

わたしが表現した「心地の悪さ」というのは、そこにまた戻ってきたいと感じさせる類いのものなの。それはただ無益に人を傷つけることとは違うのよ。

ケレラは、『ファクト』誌のインタヴューで、「ほとんどの人に共鳴されるとともに、リスナーを心地わるく(uncomfortable)させ」たいという旨をおっしゃっていましたが、それには何か理由があるのですか?

ケレラ:それは、「不安を感じること」には「成長すること」が伴うというわたしの考えから来ていると思う。いままで心地の悪さを経験したときにはいつも、「どうして不安になるんだろう?」って考えさせられてきた。だってもうそんな気分味わいたくないじゃない? たとえそれが意図的に経験させられたものじゃなかったとしてもよ。
わたしが表現した「心地の悪さ」というのは、そこにまた戻ってきたいと感じさせる類いのものなの。それはただ無益に人を傷つけることとは違うのよ。わたしが言いたいのは、他人のパフォーマンスを見ることによって自分が成長できるような瞬間があるということなの。単に「きみは歌がうまいね」とか「あの曲を見事に次の曲にミックスしていたね」とかそういうことじゃなくて、わたしはあなたに関与したいし、あなたにも関わりを感じてほしい。わたしは芸術というフォーマットを通して人との繋がりを得たいし、それだけが人が歌を歌う理由だと思わない? もしも誰にも触れることができないのだとしたら、わたしにはこれを続ける理由がわからないわ。

心地の悪さ、不安感などを伝えることで表面的な部分だけでなく、より深い部分でコミュニケーションを取りたいということでしょうか?

ケレラ:そうね。他にいい言葉がきっとあるはずなんだけど、思い浮かばないな……。とにかく人に関わりを感じて(feel engaged)ほしい。それは「OK、いまのわたしはこの場を去ることはできない」とか「あぁ、いまは飲み物を買いにいけない」とか、いまここで起きていることしか考えられなくなってしまう感じ。それはとても楽しいことにもなりえるのよ。とてつもなく幸せな瞬間にも。ただわたしはそこに心地の悪さや不安感のような感情までも含めてあげたいと思うの。クラブだけじゃなくてどんな場所でも言えることだけど、わかりきった内容のものなんてぜんぜんおもしろくないでしょう。そのために、わたしはいつもそこにある空気を破れるように、みんなのスペースに割って入ることができるようにトライしているわ。

『カット・4・ミー』の歌詞はご自分で書かれているのですか?

ケレラ:基本的には。でも自分ひとりではどうしたらいいかよくわからなくなるときもあって。そんなときにはアズマ(=ングズングズのメンバー)がよく助けてくれる。“エネミー”の歌詞は彼女といっしょに書いたのよ。それからスタジオでもときどきみんなに「ここはこうじゃなくてこう言うべきだ!」って強く言われるときがあった。わたしも「あー! うるさいな!」って感じになっちゃうんだけど、それがよりいい結果に繋がることも多くて(笑)。だからひとりで書いているつもりはないし、みんなでクリエイトした結果だと思ってる。

パートナーとしてングズングズのアズマを選んだのは何か自分と似ているところがあるからですか?

ケレラ:そう。彼女とは知り合ってまだ1年半くらいだけれど、彼女はわたしとまったく同じところからやってきた人のように感じるの。お互い両親が移民だってことも関係しているのかもしれないけれど、彼女もわたしと同じで、ある種のコンテキストに挑戦しながら生きてきた人だし、いまはともに挑戦していける同士だと思ってるわ。だから彼女とはとても深い関係にあるわね。とくにふたりでいっしょに歌詞を考えてるときは、彼女はとても利口で立ち回りの上手な女の子だって気づかされる。英語的表現で言うところの、「Girl in da hood」ね(笑)。とても頭が良くて、必要なときにさりげなく気を利かせてくれる。それは彼女も同じ経験をしてきたから。そしてわたしも同じことを経験しているということにとても重きを置いてくれている。だから彼女と歌詞を書くことは大好きだし、彼女のフィードバックを聞くのも大好き。「ここはこのままで大丈夫よ~」 「なんでここ変えちゃったのよ~?」「ここはこうするべきだわよ~」って。彼女の意見には反発できっこないわ(笑)。

(そっくりなアズマの声真似に一同笑)

アシュランド:いつもそんな感じだよね。みんな自信ないときは「本当にこれで大丈夫なの? アズマに訊かないと……」ってなっちゃうんだ(笑)。

ケレラ:アシュランドもそういう立ち位置だけどね。

〈フェイド・2・マインド〉のアネゴ的存在なんですね(笑)。

ケレラ:わたしにとってアシュランドが父親でアズマが母親みたいな感じなのよ。

みなさん本当に仲良しですね。インク(inc.)のスタジオでおふたりは出会ったときいていますが……

アシュランド:インクのスタジオが初めて会った場所だったっけ?

ケレラ:そうよ。はっきり覚えてるわ。エレベーターの中でふたりで話していて、「友だちがフューチャー・ブラウン(Future Brown)って名前のグループやってるんだけどさ」って言われて、「『フューチャー・ブラウン』だって!? 一体どうしてこのわたしがそのバンドのメンバーじゃないのよ。どこにデモ送ればいいの?」って話したのよ。

アシュランド:(笑)

そのときのお互いの印象はどうだったのですか?

アシュランド:僕はすでにそのときレコーディングしていたティーンガール・ファンタジー(Teengirl Fantasy)のデモで彼女の歌声を聴いていたから、その印象が強かったかな。ケレラはたぶんなんで僕がそこにいたのかも知らなかったと思うよ。僕がニック(筆者註:ティーンガールのニックだろう)の彼氏だったってことは知ってたんだっけ?(笑)

ケレラ:わたしはそう聞いてたわよ。アシュランドが素晴らしいDJだってことも聞いてたけど、プレイを見たことはなかったし、彼がそこにいることの背景とかをまだぜんぜん理解してない状況だった。

アシュランド:彼女はインクのことも知らなかったんだ。その時ティーンガール・ファンタジーがスタジオを探していたから僕がインクのふたりに頼んで使わせてもらっていたんだけれど、それでその日に知ったんだよね。

ケレラ:インクも知らなかったし、トータル・フリーダムも知らなかったの。そのときにはティーンガール・ファンタジーのことも知ったばかりだったし、その背景にある世界っていうのもわたしにはまったく新しいものだった。〈フェイド・2・マインド〉も〈ナイト・スラッグス〉もぜんぜん知らなかった。

アシュランド:君はいったいどこからやってきたのさ(笑)? ティーンガール・ファンタジーの“EFX”のデモを聴いたときに、「これはいますぐにでもヴォーカルを見つけてきて完成させるべきだ! 宅録じゃ駄目だよ、絶対にスタジオでだ!」って言ったんだ(笑)。ケレラはそのときにはもうティーンガール・ファンタジーのふたりとは知り合いだったのかな?

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ティーンガール・ファンタジーの“EFX”のデモを聴いたときに、「これはいますぐにでもヴォーカルを見つけてきて完成させるべきだ! 宅録じゃ駄目だよ、絶対にスタジオでだ!」って言ったんだ(笑)。

ケレラ:たしか10月に彼らがLAでジェイムス・ブレイクとプレイしたのだけれど、その後だっけ? あまりよく思い出せないな。とりあえずそのイヴェント会場で初めて彼らに……ちょっと待って、アシュランド、あなたもあそこにいたわよ!

アシュランド:LAだったらたぶん僕もいたはずだけど……あれ、本当に?

ケレラ:わたしはそこでローガン(筆者注:ティーンガールのローガンだろう)を待っていて、誰も知らなくて不安だったら、そこにあなたもふたりといっしょに現れたじゃない! 初めて会ったのにすごく素敵でキュートな挨拶をしてくれて。そのあとみんなでハウス・パーティーに行ったのよ。

アシュランド:ダニーの家(筆者註:インクのダニエルだろうか)! そうだ思い出した。それが初めて会ったときだよ。なんか不思議だね(笑)。 

ケレラ:すごく行き当たりばったりよ。その日に顔合わせして初めて“EFX”のデモに合わせて歌ったんだけど、わたしはまだ歌詞を持ってなかったの。コクトー・ツインズみたいに自分の独自の言語を作って歌いたいって話をして、ローガンがそのアイデアをとても気に入ってくれたのを覚えてる。まだインクのスタジオに入る1ヶ月以上前の話よ。だからそのときが初めて会った日。訂正するわ。

やっぱりいつもアシュランドがキーパーソンなんですね。ニックと付き合っていたということも驚きです。

アシュランド:本当にただしい期間の間だけだよ(笑)。でも僕らの関係がなかったらケレラは生まれていない。

ケレラ:本当にそうよ。アシュランドの交友関係が広くなければインクのスタジオを使ってレコーディングすることにもなってなかったし、わたしも〈フェイド・2・マインド〉のことも知らずに生きてたんじゃないかな。

すごく興味深いです。それでは、アシュランドはどういった経緯で〈フェイド・2・マインド〉と関わるようになったのですか?

アシュランド:エズラ(=キングダム/Kingdom)とングズングズとは同時期に出会ったんだ。彼らはお互いのことはまだ知らなかったはずだけどね。当時エズラはボストンに住んでいて、とあるバンドのメンバーだったんだ。そのバンドをシカゴで僕がブッキングしたんだよ。彼とはそれ以来の付き合いかな。
その後エズラはバンドを辞めてニューヨークに引っ越すんだけど、ちょうど同じ頃に僕もングズングズとウー・ツァン(筆者註:序文で先述したとおりドキュメンタリー映画『ワイルドネス』の監督)といっしょにシカゴからLAに引っ越したんだ。彼らとは昔からいっしょに音楽を作ってはいたんだけど、LAに越してからングズングズのダニエルがダンス・ミュージックに入れ込みはじめた。そのうちアズマも彼といっしょにビートを作るようになってたんだ。そこでングズふたりにエズラの音楽を聴かせたらマイスペースで連絡をとったみたいで、彼らも友だちになった。それ以来エズラはときおりLAに遊びにくるようになったんだけど、しばらくしたらエズラもLAに引っ越すって言い出してさ。彼は当時テキサスに住んでいたプリンス・ウィリアム(Prince William)とすごく仲がよくて、新しいレーベルをはじめる計画に関してずっとやり取りしていた。それでエズラがLAに越してきてから1年くらい経ってウィル(=プリンス・ウィリアム)もテキサスから越してきたんだ。
それからはみんな毎日のように集まっては音楽を共有したり、ジャムしたりする生活がはじまった。そして〈フェイド・トゥ・マインド〉が生まれたんだ。だからとても自然な経緯だったよ。誰かが「神経質なトータル・フリーダムをレーベルに迎え入れて彼が垂らす不満を聞きながら今後のことを決めていこうじゃないか!」だなんて言い出したわけじゃない(笑)。はじめからそこにいただけなんだ。とても自然に。

アシュランドのDJに毎回テーマはあるのですか?

アシュランド:ないよ。唯一気をつけていることといえば、DJの前に自分が持っている新しい曲たちをUSBかCDに焼くのを忘れないようにすること。

ケレラ:それが彼の準備のすべてなのよ。

アシュランド:それがすべてだよ(笑)。

「いまの会話のなかで君はR&Bという言葉を1回たりとも使わなかったけど、それはどうしてなのか教えてくれるかい?」って。そこで初めて気がついたの。わたしはR&Bという言葉で自分の音楽を考えたことが一度もなかったんだって。

※アシュランドについてはもうすこし掘り下げたかったのだが、彼は一足先に帰ることになっていたので、後日メールでくわしく話しをきくことにして、ひとまず彼を見送った。

それでは、ケレラに質問していきます。現在アメリカにR&Bのシーンのようなものは存在しているのでしょうか?

ケレラ:R&Bに関する何かは起きているわね。でも正直それがなんなのかさっぱりわからないの。ちょうどいまリズラ(=Rizzla)といっしょにわたしのプロフィールを作っているところなのだけれど、わたしのバイオグラフィーに関してひと通り彼に話す機会があって、そのときに彼はこう言った。「いまの会話のなかで君はR&Bという言葉を1回たりとも使わなかったけど、それはどうしてなのか教えてくれるかい?」って。そこで初めて気がついたの。わたしはR&Bという言葉で自分の音楽を考えたことが一度もなかったんだって。それはわたしがルールよりも先に作品のクオリティのことを考えているからかもしれない。作品の完成形を追い求めているときにわたしはR&Bのことを考えていないのよ。完成した後にこれは何ですかって訊かれたら「あぁ、これはおそらくR&Bよね」って単純に思うだけで。だからその言葉を使うことに抵抗は無いし、もしあなたの音楽をまったく知らない人にごく簡潔にあなたの音楽について説明してくださいって言われたら、「これはクラブR&Bよ」って言うと思う。でも歌っているときの影響やなんでそのようなメロディなのかって訊かれたときにR&Bという言葉はそこにはあてはまらない。
それに気づいたとき、リズラといっしょにこの「R&B」現象はいったいなんなんだろうって話をしたわ。だってR&Bに関することなんて2年前には誰もわたしに質問してこなかったもの。この1~2年の間に何かが起こったの。わたしにはそれがよくわからない。でもそれはおそらく、上位中産階級の白人たちみんなに「いま、君はR&Bを聴いているべきなんだよ」って書かれたメモが配られたような、そういう類いの変化なんだと思う。そしてみんながいっせいにそれに関するオンラインのリサーチをはじめて、あたかもいままでずっとそういう音楽を聴いてきたかのように振る舞いはじめたのよ。まるで「オーマイガッド! 僕はR&Bを愛しているし、いままでもずーっとそうだったんだよ! 本当のことさ! やっぱり君は最高だよね!」みたいな感じ。そう、だから何か起きているのはたしかなのよ。
でもわたしはそんな状況をあてにしたくないだなんてカッコつけたことを言うつもりはまったくないわ。すべてのシンガーは自分の限界というものと戦わなければならない。多くのアーティストがそれを乗り越えようとしているし、いまこの瞬間にもそれは実際に起きていることなの。その暗闇は、アーティストからしたら――それはそれはとてつもなく冷たい現実なのよ。
ただ、そういうインターネットで白人でインディなる何かがそこに覆いかぶさってきたような……本当につい最近のことなんだけど。

もともとヒップスターだった白人のキッズたちのことでしょうか?

ケレラ:まさしくその通り! 「だった」というより彼らは未だにそうなの。現在のヒップスタリズムの提示する美学の中にはなぜかR&Bを聴くことも入ってしまっているの。いつからそうなってしまったのかはまったくわからないけれど。でも大事なのはここよ、次のパートよ、よく聴いていて。
そういったこともぜーんぶ含めて、わたしはそれが起きてくれて本当によかったと心から思ってる。正直小さなことはどうだっていいわ。もしヒップスターたちが「R&B」を好きになってくれるなら、それはわたしがアーティストとしてすこしでも長く生活していけるということなんだもの。不満なんてまったく言えた立場じゃないわ。ただ、自分がどこから来たのかってことをいままでよりダイレクトに、はっきりと伝えなくちゃいけないっていうことだけなの。そして何よりもいちばん重要なことは、いまこそがわたしのクリエーションがいちばんノリに乗っている瞬間ということではないっていうことをはっきりとさせることなの。だって「R&B」が流行っていなかったとしても、多少違うかたちにはなっていたかもしれないけれど、わたしの表現したかったこと、目指してきたものは対して変わっていなかったと思うもの。だからどんな理由であれ、いまの状況になってくれて本当によかった。「わたしの音楽が好きなの? アメージング! チケットを買ってショーを見に来てくれるの? グレイト! 本当にありがとう。とても感謝しています」。そういう気持ちだわ。

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現在のヒップスタリズムの提示する美学の中にはなぜかR&Bを聴くことも入ってしまっているの。そういったこともぜーんぶ含めて、わたしはそれが起きてくれて本当によかったと心から思ってる。

なるほど……。続いて「R&B」関連ですが、ジェシー・ウェアと彼女の音楽についてはどう思いますか?

ケレラ:ジェシー・ウェア?  今日中にメールで返答しなくちゃいけない他のメディアからのインタヴューがあるんだけど、そこにも彼女に関する質問があったの。ちょっとここで読ませてもらってもいいかな?

どうぞ。

ケレラ:「質問その1) われわれはあなたもジェシー・ウェアと同じようなラウンドを進めていくものと予想しています。脇役としてのアンダーグラウンド・シンガーからメインストリーム・アーティストへの素早い立ち上がり。この予想に関してはどう思われますか?」

(一同沈黙)

ケレラ:ジェシー・ウェアの音楽に関してわたしがどう思うかというと、彼女が有名になる前に当時の彼女の歌を聴いたことがあるんだけど、正直あまり好きにはなれなかった。彼女が去年くらいに出したアルバムも聴いたけど、わたしはもっとクラブよりのものが好きだし、そういう文脈で音楽を模索していた時期だったこともあって、いまいちぱっとしなかったんだ。何よりもそういうクラブの文脈の中にいるってことがわたしのファースト・ステートメントだと思っているし。
ステートメントの話から派生するとね、わたしにとって「物語(narrative)」ってとても重要なことで。ここで言われている「脇役からメインストリームへの立ち上がり」っていう物語は、わたしにとってとても問題のあるものなんだよ。誰かに付随した価値を得たいと思ったことは一度もないし、その誤解を防ぐためにつねにベストをつくしているつもりなの。たとえば、わたしが最初にキングダムとのフューチャリング・トラック(“バンク・ヘッド”)をリリースしたときのことなんだけど、プロモーターがみんなキングダムとケレラをいっしょにブッキングしたがったの。みんな「Kingdom featuring Kelela」を見たがっていた。たぶんあなたたちもそう思っていたと思うけど……。

プロモーターがみんなキングダムとケレラをいっしょにブッキングしたがったの。みんな「Kingdom featuring Kelela」を見たがっていた。たぶんあなたたちもそう思っていたと思うけど……。

たしかに、あなたが出てきたときには正直そのようなコラボレーション・シンガーのような印象をすくなからず抱いていました。

ケレラ:そう見えたと思う。わたしはそれがすごく嫌だった。エズラはもちろん素晴らしい友だちだしいっしょにやってて楽しいから、最初はイエスばかり言っていっしょにギグをしてたんだ。でも最初の4、5回がすぎた頃、わたしのマネージャーにこう言われたの。「この『Kingdom & Kelela』ってのは一体なんなの? バンドでもやってるの?」って。違うわ、そういうつもりじゃないのよってわたしは言ったけど、彼は「君はソロをやろうとしているんじゃないのかい? 僕にはそのようにはまったく見えない。」って。
つまりわたしが言いたいのは、あなたの意図っていうのはそれが物語の中に反映されていなければまったく意味がないってこと。とくにインターネットの世界では、あなたの考えている意図とはまったく関係なく、そこに提示されている物語がすべてなの。だからエズラに伝えなければならなかった。もうこれ以上はできないって。それはとても辛い会話だったわ。なぜなら、わたしは誰かに付随した価値を得たいわけじゃないんだって、はっきりと言わなければならなかったから。それと同時に、誰かがわたしに付随するDJにもなってほしくなかった。最近はアシュランドといっしょにギグをすることが多いけど、ケレラのショーではあなたのお気に入りのDJがミックスを披露することもあって、トラックを繋げたり、エフェクトを懸けたりするような形でケレラのライヴセットをサポートすることもあるっていう見え方であってほしいの。そしてケレラも彼らのミックスに合わせて歌うこともあるっていう、そういうストーリーであるべきなのよ、ケレラの物語は。ボノボ(=bonobo/イギリスのプロデューサー)っていうアーティストがいるでしょう?

アンドレヤ・トリアーナ(Andreya Triana) をプロデュースしていますよね。

ケレラ:そうよ。アンドレヤはとても長いあいだ歌ってきたのよ。ボノボとのフューチャリングをはじめるずーっと前から。
だからわたしが言いたいのは、物語っていうのはわたしにとってとても重要なことで。男性の横で――いや、それが白人だったらもう本当に最悪なんだけど――白人男性の横で歌う薄幸の黒人「R&B」シンガーの女の子が、ハンサムな彼に拾い上げられて世界の目にさらされたことで初めて成功することができたっていうシンデレラ・ストーリーはわたしのなかではまったく受け入れられないんだ。たいていの場合、そんなのぜんぜん事実じゃない。わたしはべつにジェシー・ウェアが嫌いなわけじゃないよ。おそらくわたしたちが会って話をしたらすぐに仲良くなれると思う。きっと共通項もたくさんある。でも彼女の音楽のこととなると、やっぱりその物語が好きになれないし、それは音楽を聴くときにも反映されてしまうことなの。わたしもよく訊かれるんだよ、「キングダムとの曲“バンク・ヘッド”は素晴らしい出来です。ところで彼はどこであなたを発掘したのですか?」……って。すでに質問の中に暗に含まれてしまっているのよ。わたしの才能を発見したのはわたし自身なのよ。そしてケレラのプロジェクトのほとんどにおいてキュレーションをしているのはわたし自身なのにって。そういうときは本当に悔しい。いままで歌だけ歌って呑気に生きてきたビッチが、運良く腕の良いプロデューサーに育ててもらっただけでここまで有名になれたんだ、っていうこの業界のステレオタイプには本当にうんざりしてる。そしてこういう類いのことはいつも女性に起こっているのよ。女性アーティストに対しては、ありえないくらい頻繁に起こっているの。悲しいけれど、自分の物語は自分自身で守っていくしかないのよ。だからわたしの物語というのはもっと複雑だってことをちゃんと見せていくことで、そういったものには挑戦しつづけたいと思っている。

悲しいけれど、自分の物語は自分自身で守っていくしかないのよ。だからわたしの物語というのはもっと複雑だってことをちゃんと見せていくことで、そういったものには挑戦しつづけたいと思っている。

とても素晴らしい話をありがとうございます。日本の状況を生きる我々にとっても心に突き刺さる内容でした。今回のインタヴュー中に、あなたの口から「コンテクストに挑戦する(Breaking the context)」というような表現を何度か耳にしました。それから代官山〈UNIT〉でのパーティ、〈DOMMUNE〉でのリハーサルの際に、どちらのPAスタッフも女性だったことに、あなたはおおきな喜びを表現していましたね。

ケレラ:超最高(So Sick)だったわ。

やはり、あなたの言うコンテクストというのは男性至上主義なるものなのですか?

ケレラ:そうね。たしかにわたしたちはとても男性優位な社会に住んでいるわよね。でもそれに挑戦することだけがわたしのゴールや目的ではまったくないわ。わたしはべつに男性より強くなりたいわけではないし、いまの男性のポジションが女性のものになるべきだとも思っていない。いちばん重要だと思っているのは、やっぱりわたしたちがちゃんと当たり前にいい仕事をすることなの。そしてそれらのいい仕事の副産物として、そういった社会的コンテクストにも挑戦することができたら素晴らしいと思うの。べつにその人が女性だからってPAスタッフに雇うだなんてことをわたしはしたいわけじゃないよ? わかるでしょう。たとえばクラブのフロアに入ってサウンドチェックで音がパーフェクトで、微妙なマイクの調整も何のドラマや問題もなくスムーズに起きて、すごく満足しているときに、サウンドの担当を見たら女性だったっていう事実は、やっぱり多くを語っているのよ。それはとても意味あることだと思う。

わたしたちの住むこの社会のコンテクストにおいては?

ケレラ:そうよ。そして、それは女性たちの間だけの問題ではないのよ。マッチョさがより少ないっていうのは、何かを成し遂げるときにはとくに必要なように感じる。仕事を無事に終えることを心配されるっていうのは女性たちに共通して起きていることで。自分なりに正しくあるってことよりも、そっちに気を遣ってしまっている女性はやっぱり多いと思う。アズマやファティマ(・アル・カディリ/Fatima Al Qadiri)のようなわたしとおなじシーンに属している女性たちを代表してどうこう言うつもりはないけれど、わたしたちに共通して言えるのは、わたしたちはべつに男性になろうとしているわけではないということ(筆者註:ファティマは「ゲイのムスリム・クウェート人」と中傷されたことへの怒りのツイートを残している)。アグレッシヴでハードなダンス・ミュージックに、フェミニンなタッチが正しい形で融合されることって、いままでに起きた最高のことのひとつだと思ってる(笑)。この前のテキサス州オースティンでの〈SXSW〉でのアフターパーティーのときに、レーベルのみんながバック・2・バックでDJプレイしたのだけれど、アズマがプレイする番になったときのことは言葉で表現できないくらい素晴らしかったわ。彼女の醸し出す上品さがCDJの上にまるで女神のように降臨したのよ(笑)。そして、それはとても価値あることなの。わたしたちの住むこの社会のコンテクストにおいてはね。

貴重なお話をありがとうございます。それでは、最後の質問です。今回の来日公演での1曲めで「Is there nothing sacred anymore」という歌詞を、くりかえしオーディエンスに尋ねるパフォーマンスをしていましたね。その言葉を選んだ理由はなんでしょうか?

ケレラ:1曲めのあの歌はアメル・ラリューの曲のカヴァーなの。わたしにとってとても重要な意味をもつ歌で、“セイクリッド”っていう曲よ。ユーチューブで聴けるわ。その歌詞と曲を選んだ理由は、くり返すようだけれど、みんなのスペースに割って入りたかったから。心地を悪くさせたかったからよ。あそこがクラブじゃなく、聴衆が椅子にすわって待っているような、とても静かな場所だったとしたら、おそらくあの歌は歌っていない。照明を落としてあの曲でパフォーマンスをはじめて、その場のトーンを決めたかったんだ。それに、ケレラにとってとても意味のある歌だから、だよ。

 「本当にありがとう。また会おうね!」 最後にハグをしながらケレラはそう言った。まだ8月前半だったというのに、ケレラと挨拶をしてわかれたとき、僕は夏が終わったのをはっきりと感じた。

結局あの夏から、アシュランドは追加の質問の返答をくれていないままだ。けっこう大切な質問だったんだけどなぁといまでも悔やんでいるのだけれど、なんと今年5月に〈Prom Nite 4〉でJ・クッシュ(J-CUSH)とともに来日するらしい

 今年も春をむかえようとしているさなか、ケレラから手紙が届いた。

BANK HEAD  (Translated into Japanese)

Like kicking an old bad habit
(悪い習慣を断つときのように)
It's hard, but I'm not static
(苦しいのに、落ち着いていられないんだ)
We lock eyes from far away
(遠くから目が合っても)
And then you slowly turn your face
(あなたはゆっくりと顔を背けるのだもの)
Like middle school we're a secret
(ミドルスクールのような秘密の関係ね)
There's more to it but we keep it
(本当はそれ以上だけど抑えてるんだ)
It's not a game I know
(遊びじゃないのはわかってる)
We're moving at our pace
(ただわたしたちのペースで進んでいるだけなんだ)

Remembering that one time
(あの時のことを思い出す)
Had to stop it's making me hot
(本気になってしまいそうで 止めなければならなかった)
Come on out, there's no need to hide
(姿をみせてよ、隠れる必要なんてないのに)
Could you be my new love?
(わたしの恋人になってくれますか?)
Could it be that we need some time?
(それとももっと時間が必要なのですか?)
I'm still browsing, there's no need to buy
(わたしはまだ窺っている、お金で買えるものでもないのに)

It's all I dreamed of, it can't get started
(すべてわたしが夢みていたこと、起こりえないことなんだ)
Time goes by really slow and I need to let it--
(ただ時が過ぎるのが遅すぎて、わたしは――)
And all I dreamed of, it can't get started
(それはわたしが夢みていたこと 起こりえないことなんだ)
Time goes really slow and I need to let it--
(ただ時が過ぎるのが遅すぎて、わたしは――)

Out
(吐き出さずにいられない)

I'm keeping you close you know it
(あなたの近くにいるのは知ってるでしょう)
And I'm taking my time to show it
(時間をかけてそれを伝えていることも)
You're touching me like you've had it all along
(初めから全部わかっていたかのように触れられると)
Feels like you're right
(あなたが正しいような気もするんだ)
And once you're around I notice
(でもいっしょにいると気がつく)
That I need to draw you closer
(もっと近くにたぐり寄せなくちゃならないことに)
A breath away, I wonder how you keep it all inside
(ため息がこぼれるたび、あなたがどうして内に秘めていられるのか気になるんだ)

Remembering that one time
(あの時のことを思い出す)
Had to stop it's making me hot
(本気になってしまいそうで とめなければならなかった)
Come on out, there's no need to hide
(姿をみせてよ、隠す必要なんてないのに)
Could you be my new love?
(わたしの恋人になってくれますか?)
Could it be that we need some time?
(それとももっと時間が必要なのですか?)
I'm still browsing, there's no need to buy
(わたしはまだ窺っている、お金で買えるものでもないのに)

It's all I dreamed of, it can't get started
(すべてわたしが夢みていたこと、起こりえないこと)
Time goes by really slow and I need to let it--
(ただ時が過ぎるのが遅すぎて、わたしは――)
And all I dream of, it can't get started
(それはわたしが夢みていたこと 起こりえないこと)
Time goes really slow
(ただ時が過ぎるのが遅すぎて、わたしは――)

And I need to let it out…
(吐き出さずにはいられない……)

Sad we couldn't go any deeper...
(これ以上深い関係になれなくて残念だよ……)
Something tells me you're a keeper...
(あなたしかいないような気がしているのに……)
Time. goes. by.
(時は過ぎてゆく)

[Something I can't define; Is it love? Loooooove...]
(言葉にできない何か;これが愛なの? 愛……)


Cossato (LifeForce) - ele-king

Life Force - Flower War - 2014.3.29.Sat @ Sad Cafe STUDIO (Harajuku)

これからリリースされる曲と最近リリースされたお気に入りの10曲を挙げてみました。順不同。それからチャートに挙げてますがAsusu(Livity Sound)が3月末初来日です。

https://lifeforce.jp
https://soundcloud.com/cossato
https://www.facebook.com/CossatoBeat
https://soundcloud.com/lifeforce/life-force-radio-observatory-14

GEZAN USツアー日記 2/21〜3/13 - ele-king


下山(GEZAN)
凸-DECO-

ツクモガミ/BounDEE by SSNW

Amazon iTunes

 紙エレキングにて、下津光史(踊ってばかりの国)とマヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)との対談をやったのが2月18日、そのときにマヒトゥは、「明後日からUSツアーに行ってくるんすよねー」と言った。「本当に行けるかはまだわからないんですけどね」と付け加えた。え? それってどういうこと? と思っていたら、ものすごい強引な速度で物事を進めたらしく、バンドはまんまと海を渡ったのだった。以下、GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーのツアー日記である。彼の見てきたアメリカをある程度は共有できるほど、とても面白いエッセイなので、ぜひ読んでください。(野田)

※GEZAN YOUTUBE
https://www.youtube.com/user/GEZAN13threcords

■2/21(fri)空港

3週間にわたるアメリカツアーに向けて韓国で乗り継ぎ、NEW YORKをめざす。1週間前の北海道でのライヴの際、航空券を光の速さでおとしたので今回はパスポートごと破れるほどの握力で握りしめている。にん
機内で韓国のぼっちゃんがきゃんきゃんわめいてる。キムヨナがフィギュアで金メダルをとれなかったというコリアンショックが永久歯一本もない彼の神経系全般を鋭利に駆り立てているのだろう。
窓から太平洋にいびつな銀色の斑点をみた。くらげの大群だろうか、真っ黒な夜の海にできた水疱瘡の深夜3時。

13時間後、到着
税関でギターのイーグルが七味唐辛子の説明を身振り手振りつたない英語で説明していた。あやしいものでは無いと小指につけて舐めてみせる。まったく伝わっていない。「what's this?」とビッグダディはイーグルの瞳をのぞきこむ。戦え、デコ助。

ぼくは歯磨き粉をとられた。
そんなこんなでアメリカにきたのだ。

■2/22(sat) NY

GEZAN USツアー日記

レンタカー屋まで我々を運ぶインド人タクシーの運転手は100%ランチにカレー食べたのだろう。車内にプーーンと匂いが充満している。

当然のことだけど、たくさんの人種がNYにはいる。日本では日常のなかなか感じることは少ないけど、アメリカでは当然のように生活の中に"ちがい"が組み込まれていた。
差別も自由もこういった感覚からはじまるのだなー。みとめたり、はじいたり。

この日、空き日に飛び込みでライヴをさせてくれる箱に直接かけあいに夜のNYの市街にでた。
当初20本あったライヴが3本に減ってしまったからだ。
しかも泊まる場所も決めずにとりあえずNEW YORKにきてしまっただよ。なんも予定がないからっていってぐだぐだ鼻くそほじってるほど牧歌的になれないのでとりあえず週末のクラブへ。

踊りたくてはちきれそうなヤンキーの欲望が渦巻くNYのludlowストリートへ、ポリスの乗っている馬がたらす糞を後始末をせず道路の真ん中を闊歩していく。
街中がネタ臭いのに、何を取り締まっているのだろう?
馬にのって人より高い位置から星の数を数えているのだろうか。

■2/23(sun) NY @pianos

NYのpianosは流行に敏感なだけの若者が集まり、流行りの四つ打ちで腰をくねらすNYのライヴbarといった印象。
ここが下山のアメリカ初ライヴの地となる。
ピーランダーゼットというアメリカ在住の日本人バンドのフロントマンイエローさんがスケジュールに穴のあいた下山のために急遽ねじこんでくれたイベントだった。
対バンは、才能のないビョークが勘違いをこじらせたようなシューゲイザーと、全員下をむいたいじめられっこ更生目的バンドと、顔だけパティ・スミスのおっさん弾き語りなど、涙が出るほどダサかった。バンドってなんてカッコワルイのだろう。
昼間、楽器屋にもいったが、腕に炎の刺青で脇毛まで金髪のハードロック親父がピーナッツ食いながら接客してくれて、チーム下山は苦笑いしながら店内を物色した。NYはそれを強く感じさせるシャープな空気をまとっていた。

ロックがワルくて尖っていた時代なんて思い出だよと言われんばかりに、打ち込みに群がるヤンキーの尻をみながら、かつてCBGBでこすれあったRAMONESやTELEVISION、JOAN JETの涙が蒸発する音をきいた。

別に名前や形なんてどうでもいいから狂いたいやつだけこいとわたしはおもったのでした。そして、そのまま皮膚づたいに共振する夢をみた。
そこに国境はみえなかった。みえないものはないものとおなじだ。
体温だけ信じよう。ぷーぱ

■2/24(mon) 無題

GEZAN USツアー日記

何もすることがない日があると天上ばかりみて、その染みが顔にみえてくるあたりからパズルのピースが変形してくる。それはそのままこころのかたち。
この日泊まったホテルはインド人が夜な夜なパーティをしているヘンテコな場所で、壁づたいに聞こえる音楽はブラストビートに呪文が乗っかったような、とても常人のきくものとは思えない。廊下や階段を埋めつくすカレーの匂いでぼくら、太古の彼方までぶっ飛んだ。
逃げ出すようにテラスにでて空をみたらカモメがみゃーととんでいる。どこの空もたいしてかわらないが、NYの空は雲までラッセンの書く絵のようにはっきりとした輪郭と影で描かれている。食のようにここまで大味にされるとゲンナリしてくる。

ぼくのワビとサビをカエシテ。

GEZAN USツアー日記

■2/25(tue)Brooklyn NY@don pedro

2/25日は夕方にごそごそと起き出してブルックリンの街てくてく歩いた。若いやつが街ごとジャックして好き勝手遊んでるかんじ。壁にしきつめられたグラフティがしのぎあって、その絵ずらだけでも体温2、3度あがる。てかもう描くとこないんじゃない?なんて思うけど。
DIYのライヴスペースには看板もなにもなく、パーティの音は倉庫の奥からどこどこと、無許可に街中が震えてる。風営法と戦う暇があれば抜け道みつけて命がけで遊べよと日本で思っていたけど、それをまるごと体現したような街なみだった。にゃーご
無意味な遊びにたましいを売ってる人ってなんだかピタっとグルーヴがあったりする。グラフティやってる友達、じぶんにも何人かいるけど、アートなのか? 落書きなのか? なんて議論入り込む隙間なんかないのよね。
壁の保有者に捕まったら、警察か、言い値でどんだけもふっかけれられるギリギリのリスクのところにいながら、顔を露出させるわけでもなく、金にかえれるわけでもなく、淡々と火花を散らす街遊びにはオトコノコのロマンがある。
ロマンが理由なら倫理はあっても、法律なんか一切関係ないのよねー。

そのブルックリンのDON PEDROで飛び込みでライヴがきまった。2時間後にだって。にゃー。低体温に寝ぼけていた細胞が逆立ってくのがわかる。音楽よりまえに動物には瞬発力があった。ぼくが怖いのは速度だし、憧れるのも速度だ。
その中に真っ白い国をつくりたい。0.1秒の世界に国をつくりたい。各々が血と精液とセメントで各々の王冠をつくって、家来ひとりもいなくとも王様として、昨日というコトバと未来というコトバを忘れた国家をつくりたい。

ライヴかましたら次の日もブルックリンの別の店GRAND VICTORYでライヴきまった。このかんじ。意志や個人ではない。ただの石になって転がるだけのこのかんじー。
いちばんいらないジブンという勘違い。

■2/26(wed)Brooklyn@grand victory

この日は飛び込みでライヴが決まったgrand victoryへ、前日告知にも関わらず、important recordの声がけやPee lander ZのYELLOWさんの呼び込みでわりとフロアがうまっていた。中にはDEER HOOHのさとみさんや、RAMONESのジャケットをかいていたジョン・ホルムストルムも来ていた。

箱PAとやや揉めながらもライヴ終了。
さとみさんとイベンターのemiはこの後もクラブに踊りにいくそうだ。水曜の23時からのこのフットワークの軽さがこの街の、欲望に貪欲でクールな音楽シーンを支えている気がした。というか、スタートが9時、10時は当たり前。ライヴハウスで働いてるニンゲンのための遊び場なのなー。
一緒にいきたかったが、ground stのタコス屋でいかれたインド人とギターウルフの話で盛り上がってしまっていけなかった。それもまた出会い。
この日、別の箱でDEERHOOFのグレッグが、次の日、BLACKDICEのラストライヴがあるらしい。こちらもライヴでいけないが、高揚感がうずまいた街のその中で溺れるのがただただ気持ちよかった。

このブルックリンも金持ちに建物ごと買われたりと少しづつ遊び場を侵食さへているようだ。
別に場所を守るなんていう発想はなく、追われたら場所をかえながらパーティをつづけるだってー。
別に文化でも芸術でもなく、もっと野蛮でただぶっ飛んでいたいだけの欲望の金粉が、ブルックリンのナイトクルーザーの目からは溢れていた。キラキラしてた。
それはそれは眩しくてなんだかうれしくなった。

■2/27(thu)Brooklyn @don pedro

GEZAN USツアー日記

ステイ先のシェアハウスのレゲエ好き三姉妹と遊んでたら1がおわった。ライヴもしたらしいけど、記憶が ナイ。

GEZAN USツアー日記

■2/28(fri) New Blanswick

NYから車で2時間半、New Blanswick NJのCANDY BARRELへ。
田舎町の突き抜けた高い空が車窓からみえる。歩く若者も一気にファッションが無頓着に、ださくなった印象。充満したいなたさが民家の地下に流れ込み、ぞろぞろと人が集まってくる。
NYのおしゃれ風から一変した、ナードなオタク臭と音楽愛がとても心地よかった。
10人でシェアしているらしい家の地下にステージを組んだだけなので、音漏れもひどいが、道行く人は誰も気にしていない。
下山のステージもフロアモッシュの嵐で荒れた。時代や流行りなんか知ったことかと、反応するこの街のフラストレーションがロックのすべてだった。2時間ばかり離れただけなのに、ひとつの街にある、独立したひとつの表情があった。昔、ネットがはりめぐらされる前の日本がそうだったように、田舎独特の文化と匂い。この街はださい。最高にださい。
ぼくにはとても健康的に思えた。
BARをはしごした後、プロモーターのパットの家でパーティは朝までつづく。
BLACK FLAGやALLなど、好きなのレコードを聞かせあって、合唱!ぶち上がってるキッズやおっさんたち、アルコールは一瞬も途切れない。日本もアメリカもかわらない。最高な音楽の前ではノーボーダーでそこでは皆こどもだった。
寝不足のまま、街をでる。

さよならまたくるよと別れる。その後、車の中に静寂がつづいたのはみんなさみしかったからだろう。

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■3/1(sat) Pensylvania

この日はNBからさらに車で2時間、ペンシルバニアにむかう。空腹に耐えきれずケンタッキーでフライドチキンをたらふく食べたあと、到着したhouse venueのガレージでのフードコートの家庭的なやさしい味に、チーム下山は満腹の限界ラインをはるかに更新し、爆発的な大和スマイルをママにぶちかました。家庭料理がいちばんおいしいです。
お水くれっていったら水道水をパッと渡してきた。飲んでみたらおいしくて、そうか日本て飲めないよなーなんて久しぶりに母国のおかれた不幸を思った。
NB同様、一軒家の地下にある、排水管などがむきだしになった場所にステージを組んだベースメントスタイルで、お客さんは家の玄関でお金を払ってぞろぞろと地下に集まってくる。これに集まってくるヒトたちがまたNBよりさらにいなたい空気をだしていて、地下の暗がりには掃き溜めハードコアの匂いでぷんぷん充満していた。やることなくて暇なんだろうな。
14、15才くらいのキッズが1バンド目から客席で喧嘩しだして、下山もギラギラピカーーん、緊張が絡み合うステージだった。物販も飛ぶように売れる。助かる。うれしー。
夜は、GHOSTSTARSというErese erataやAIDS WOLF直系のいかれたNEW WAVEバンドのDEVのヒッピー・コミューンのようなうちにお邪魔した。
「おい、このバンドは知ってるか?」「このバンドはどうなんだ?」と溢れんばかりに音楽を放り込んでくるKIDSの音楽愛にはやはり胸が熱くなる。ぞろぞろとルームメイトが集まり、卑猥な匂いのするパーティへなだれこむ。音楽を聞かせあってベッドの上で跳ねまわるのは、それは、まだおれがギターを触ったこともない頃からチーム下山でやってきたことなんだ。
聞かせたものの中では54-71やskillkillsへの反応がよかった。部屋にはられたアメリカ国旗が逆をむいている。こういうアンチキッズはバカっぽくておもしろい。
朝はまわりの教会にひとりで散歩にいって、霧をのんで、昼は大切なひとのお墓まいりをした。
GHOSTSTARSとのさよならがまたさみしい。別れの言葉は短い方がいい。二日酔いのゆるやかな眩暈がすでにこの毎日を懐かしくさせた。また、あおー。

■3/2(sun) NEWWARK mojomain

GEZAN USツアー日記

NEW WARKという街のMOJO MAINについて、BARの扉をあける。五秒後に「米は好きか?おれのつくる米を食え!」イタリアのシェフ、ガス(58)からGUMBOがたらふくだされる。スピード感がすごい。それがまたたまらなくおいしくて、今回のツアーの中で断トツにおいしい米料理だった。DR JHONのGUMBOのはなしなどをしながらガスの米への愛をきく。うんうん。伝わったよGOD FATHER。

ライヴはFUGAZIやNIRVANA直系のUS オルタナなメンツで正直古臭かった。でもみんなキモチのいい奴らだった。
Tシャツをライヴがはじまる前から対バンがぞろぞろと買いにきてくれて、きょうという日をいい日にしようという挨拶なのか、ツアーバンドへの応援なのかわからないが、清々しいキモチになった。
モノにお金を払うという敬意の表し方があることデータ社会になっても忘れてはいけないようにおもう。ひとにおもいをつたえるのはそんなに簡単なことじゃない。うまくあつらえたコトバなんかクソだぜ。痛みをともなったコミュニケーションしましょう。恋みたいだ。

夜はとても冷たい雪がまわりをつつみだし、寒波が流れ込んできたことをガスにきく。
本日二食目のGUMBOをご馳走になり、店をでる。ここから次なる目的地、アトランタまでは車をとばして13時間、雪道なら20時間はかかるという。
6日連続でライヴしてきて、宿無しの窮屈な箱詰め車内の20時間ドライヴにチーム下山は白目で泡をふいた。

■3/3(tue) 無題

ひたすらまっすぐの雪道。窮屈な車内で窓から葉のない木々が流れていくのを永遠にみた。
20時間のドライヴは過酷だ。
白目も水銀色。
デリで買った毒々しい色のグミがこれでもかと外れ、殺気だつ。

■3/4(tue) Louisuvile @modern cult record

ケンタッキー州のルイスビル、街にはいるなりシルバニアファミリーのような家々と雑貨屋や本屋がならぶかわいい街だった。学生が多いのかも。
「HATE ケンタッキー love ルイスビル」とかかれたTシャツを着た店員さんのいる店でガンボをたべる。ケンタッキーの中だが他の場所と一緒にするなという街の自己主張なのかなあ。大阪をおもう、京都にあるような。
その一角にあるmoderncult recordでのライヴ。店内には世界各国のサイケ、ノイズ系のLPがならぶセレクトショップで風通しがよかった。下山のも何枚か納品する。acid mothers templeやBORISのLPは中でも目立つ。
ライヴにはWILKOやジム・オルークバンドなどで叩くTIM BARNESさんがきてくれて、この街のはなしをした。田舎町ではあるが、もともとSLINTをはじめDRAG CITY RECORDまわりのバンドなどを多く輩出した街で、近年元気がなかったが、NYからTIMさんが住みだしてから活気が出てきたと現地の日本人から聞いた。
パニック・スマイルやナンバー・ガール、モーサム・トーベンダーを輩出した福岡のように、かくじつに強力な個性を打ち出していく独特の筋をもった印象があった。こういった地方がスターをちゃんと生み出せる地盤があるアメリカは懐が深くもなる。変化こそあれど大きくみると、未だ東京に進出しなきゃどうにもならない日本の盲目さにはげんなりする。

ライヴ終えて、みんなが寝たあと、ぼくはDAVID PAJOのみていた空をみながら街を夜道をてくてく散歩した。とおくまで歩きすぎたのか、通りを越えると急にゲットーな匂いと鋭い目つきをかんじる。後に出会った友人にきくと、どんなハートフルな街にも治安の悪い地域があって、そこにはディーラーの売買が盛んに行われてるそうで、銃声の聞こえない日はないそうだ。
人種や生活クラスが多用すぎて自由を認めなきゃ窮屈なんだろうな。この国は。

■3/5(wed) Atlant @GA

車で8時間、アトランタは出会った人びとから一番治安悪いから気をつけろといわれてきた街で、今回のパーティの主催はKIDSのラリークラークとのコンビでも知られるハーモニー・コリン監督の『spring breakers』で3日連続双子でセックスするという狂った役を演じたATL TWINS だった。
気温もあたたかく、街自体はロック好き、タトゥー好きといった感じでボインで活気があって良かったが、パーティピーポーの楽屋の荒れ方はなかなかジャンクだった。泡吹いてるやついたし。すぐに二人組でトイレに消えてくし。
ライヴはDARK SISTERというM.I.A直径を思わせる2人組がよかった。楽屋にはGROUPHOMEのタグなんかをかいてるライターがいてイーグルがぶちあがってた。
おれはこういうスカしたパーティ野郎が嫌いなので、陰気なイタリア女と木のしたでうどんのおいしさを説いて1日を終えた。

■3/6(thu) 無題

GEZAN USツアー日記

この日は2日前に「ギグするか?」と連絡がきたので時間にして13時間。熱意にこたえるべく一晩でぶっ飛ばすことになった。しんどいわ!
つくなり日本のことをわんわん聞いてくる、話をきくとアニヲタだった。下山の音に反応して連絡きたんちゃうんかい!というキモチが拭えず、ライヴブチかました後はマザコンの引きこもり黒人ラッパーと携帯の恥ずかしい画像を無言でみせあって一日をおえた。

■3/7(fri) NewBedford @no problemo

GEZAN USツアー日記

街につく、ラジオをやっているベイリーという男の企画でbarでのライヴだった、らしい。
頭が沸騰していてこの日はほとんど何も覚えておらず。
ブログあきてきた。

■3/8(sat) Roadiland providence@ the parlor

この街はLightning boltがいることで知っていた。
lightning boltは街の廃墟を占拠してはパーティを組んで、警察や金持ちの買収や圧力があっては場所をかえ、パーティをつづけてきたDIYの王様で、プロビデンスの皆が誇りにおもってる感じがぷんぷん伝わってきた。町おこしの立役者的側面も。
なっるほどー、そういうわけで日本でライヴする時もドラムやアンプだけでかくメインのスピーカーまで持ち込むのか。昔、梅田シャングリラであふりらんぽやマゾンナ、ボガルタと対バンをみたが、フロアで箱のシステムを全く使わず、他のバンドよりだいぶ小さな音でアホみたいに叩きたくってたあの謎を思い出す。謎とけた!どこでやっているときも彼らにとっては廃墟と同じDIYセットでやりたいのだなー。敬意がぐぃいーんとあがる。

街をあるく。らんらん歩く。
ラヴクラフトという作家のお墓があるときいていたので、お墓まで案内してもらう。インスマウスの影のはなしを思いだしながらお墓の前でお昼寝した。
他の下山のメンバーはTシャツが売り切れたのでフリマで1ドルで手に入れたマドンナのTシャツにGEZANとタギングしているみたい。
ぼんやりと薄い月をみながら、アメリカではじめての深呼吸をした。キレイな街だった。
ゆっくりと月が三次元を手にいれて、霧がはれたところで目が覚めて皆の元にもどる。

■3/9(sun) 無題

一度NEWYORKを経由してテキサスオースティンへむかう。ツアー最後のSXSWへ。
我慢しきれなくなって、ゴーゴーカレーNY支店でカレーを胃にぶちこみ、空の旅へ。
24時、テキサスについたが宿がない。とりあえず空港の自販機の裏でチーム下山、ミノムシのように固まって眠った。
でっかい掃除機の低音で目をさます。

最悪の目覚め。

■3/10(mon) Austin SXSW

GEZAN USツアー日記

オースティンはとにかく暖かい。27度もあるそうでみーんな半袖だった。
リストバンド交換所で長い行列を並びながら、YOSHIKI(CHIBA JAPAN)もここを並ぶのかと想像していた。いや、YOSHIKIならヘリで皆の頭の上を飛び越えていくんだろうなー。どこかにヘリおちてないかな。ほしいな。
とりあえず宿がないので、受け付けに誰か紹介しろとダメ元でいったら黒髪ロングを気に入ってくれたのか、マダムな友人を紹介してくれた。
いってみたら豪邸で、オースティンの山々の景色をハンモックにゆられながらバカンス気分爆発、胃袋破裂しそうなくらいピザを食べて、死んだように眠った。
それにしてもロックのうまれた国だからなのか、空港や街のいたるところにサイケ調のギターのモニュメントがあって、ロックを誇りに思っているんだなあとしみじみ感じた。そんな街ぐるみのイベントの公式フライヤーにFUCKin MUSICだなんてコトバがのるくらいだから、エネルギーにたいして敬意がある。
無菌国家・日本じゃとうていあり得ないだろうなあー。踊らせるものへの敬意なんて、このダサい国には。

■3/11(tue) Austin SXSW @liberty

GEZAN USツアー日記

街のいたるところでベースがなっている。水着一枚のおねーちゃん、ドレッド、ラスタマンなにーちゃん、ブリーフ一丁のおじいちゃん、歯のないボインのニューハーフ、様々な人種の様々なファッションが入り乱れた祭りが、BARで、屋上で、野外のテントで、360度サラウンドに鳴っている。共通しているのはとにかく楽しんでやろうというギラギラしたエネルギーだ。
道を歩いていたらBo Ningenの一団にあった。お互い初のアメリカでのライヴね。ここで会えたのはなんだかうれしい。
比較的バンドが多そう通りにあるthe LIBERTYという場所でライヴをする。街中が洗濯機のように流動する中で、足をとめ、フロアがいっぱいになっていく。アメリカのそのフィーリングと速度感はアドレナリンリン・心地いい。
本日二本目のQUANTUMにいくとGEZANの名前がないと言われた。「NO WAY!! ふざけんなよ」とかけあったら明日でした。12日のAM12時と表記されてるのを11日の24時にいってしまったのだ。てへ☆
ぼくたちバカだネって話ししてたら横でひったくり犯が取り押さえられボコすかやられてた。こっちのひとらは加害者に容赦ないのう。顔からケチャップがぴゅーぴゅーでてた。
気分をかえて、クラブが連立する一角で黒い音にまみれ気が遠くなるくらいヒップホップをのんだ。
家に帰って吐いたゲロが七色をしていた。これがオースティンの色だ。

GEZAN USツアー日記

■3/12(wed) Austin SXSW@liberty ,QUANTUM

前日よりさらに人がわちゃっと増え、カフェからどこんどこん鳴らされる低音に音漏れなんてコトバは似合わない。もはや街自体を鳴らしてる。テキサスのコンクリートの床もボロボロの壁も、いきた音を浴びてうれしそう。土の中でテキサス育ちのジャニスジョップリンも白骨顔でにっこり。
呼吸しない街は朽ちていくだけ。人もモノも同じ。磨いてるだけじゃ表面のメッキが光沢するだけだもの。

the LIBERTYの野外テラスでライヴ、テキサスロックシティの波にのまれて歪んだな夢をみた。
QUANTUMに移動してレゲエシステムのようなつくりの黒い箱でやりきった下山、アメリカツアー最後のライヴ。どこもわりとそうだったけど物販の売れ方が気持ちえかった。
思えば出発前、3本に減ってしまっていたライヴは飛び込み含め17本にまでふえた。ここでは書けないようなこともいっぱいおきた、し、おこした凸凹ツアー、まあなんだか生きてる感じでした。ナムナム

手刷りDIYTシャツも完売して荷物も軽くなったところで踊りにいく。
3週間分のつかれは、狂った夜のさらさらと流れる静脈にまぜて、ライターで火をつけて、低音の肌触りとともに喧騒にながした。
渦の中で溺れる、溺れながら呼吸の仕方をおもいだす。魚だったころみていた夢はきっとこんな泡だらけのプリズムした夢だったのだろう。


下山(GEZAN)
凸-DECO-

ツクモガミ/BounDEE by SSNW

Amazon iTunes

■3/13(thu) Austin SXSW

SXSW3日目の今日は音楽散策だけ。
the MAINでの LOU REED tributeのショーケースでblack lipsをみる。ジャンクでポンコツなビートルズみてるみたいで笑ってもうた。いつか対バンするな。きっと。
LOU REEDの“run run run”をカバーしてた。もはや当たり前のことだけど、改めてLOUの存在の大きさを現行のバンドのその影響をみていておもう。
踊ってばかりの国の下津が騒いでたのでChristopher Owensをチラッとみる。わー、下津好きそう。曲はいいけど、うたが痩せっぽっちで個人的な好みではなかった。前日に下山の前に出てたオーストラリアのMT WARNINGの方が人間力がズシンと残ってる。
FAT POSSUMから出してるfelice brothersをred7で。最高にグッドアメリカンで、身体いっぱいに喜びをあびる。好奇心と実験心をうたうボブディラン。SXSWベストアクト! というかFAT POSSUMはほんとうにアメリカの良心だな。愛してまーす。

あんまり期待してなかった分、逆に満足して、チキンを食らって飛行機にのった。SXSW、世界最大のショーケースでいくつかのステキに出会えたのは嬉しかった。お客さんより関係者のためのフェスという感は否めないけどね。
垣根をこえて、世界中の好奇心が渦になればいい。オワリ

CONGO NATTY JAPAN TOUR2014 - ele-king

 「92年はどこにいた?(Where Were U In '92?)」が合い言葉となって久しい。92年とは、UKレイヴ・カルチャーすなわちジャングルが爆発した年です。私はその年クボケンと一緒にロンドンのレイヴ会場で踊っておりました。ジャングルのパーティで。
 で、ブリアルの新作にも如実に表れていたように、紙エレキングでも紹介したブリストルのドラムステップがそうであるように、ジャングル・リヴァイヴァル(そしてそのニュー・スクール)は、目下、UKのアンダーグラウンド・ミュージックの台風の目になっている。
 来る2月14日と2月15日、ジャングルの本場からシーンのパイオニアレベルMCことコンゴ・ナッティが来日DJを披露します。UKならではのサウンドシステム文化ばりばりの、迫力満点のオリジナル・レイヴ・ジャングル・サウンド、この機会をお見逃しなく!
 主催はいつもの〈DBS〉。2月14日(金曜日)は大阪CIRCUS。2月15日(土曜日)は代官山ユニット。「ジャングルってどんなもの?」って興味がある人たちにとっても気軽に入れるパーティです。
 来日を記念して、オーガナイザーの神波京平さんが「ジャングル・クラシック20選」を書いて下さいました。以下、ジャングルの歴史をおさらいして、コンゴ・ナッティの来日を待ちましょう!

■JUNGLE CLASSIC 20選 (神波京平・編)
1.CONGO NATTY - Jungle Revolution
[2013: Big Dada]
ジャングルのパイオニア、コンゴ・ナッティ/レベルMCの最新アルバム。オリジネイター達のMCや数々の生演奏をエイドリアン・シャーウッドと共にミックスしたニュー・クラシック!
UK All Stars
2.TRIBE OF ISSACHAR Feat. PETER BOUNCER ‎– Junglist
[1996: Congo Natty]
レベルMCの変名リリース。レイヴ期から活動するシンガー、ピーター・バウンサーをフィーチャーした、まさにジャングリスト・アンセム。
https://www.youtube.com/watch?v=yXVrwuJo-6Q
3.BLACKSTAR Feat. TOP CAT ‎– Champion DJ
[1995: Congo Natty]
これもレベルMCの変名。UK屈指のラガMC、トップ・キャットをフィーチャーしたビッグチューン。
https://www.youtube.com/watch?v=SPAPDltCrIA
4.Barrington Levy & Beenie Man ‎– Under Mi Sensi (Jungle Spliff Mix)
[1994: Greensleeves]
UKレゲエ・レーベルからレベルMCによる名作のジャングルREMIX。
https://www.youtube.com/watch?v=-YQX1jnFT0I
5.CONQUERING LION ‎– Rastaman
[1995: Mango]
メジャーのIsland/Mangoからジャマイカのビーニ・マンをフィーチャーしたレベルMCのプロジェクト。
https://www.youtube.com/watch?v=J8TRMgfb7aU
6.LEVITICUS ‎– Burial
[1994: Philly Blunt]
ウェアハウス/レイヴ期から中心的DJとして活動するジャンピング・ジャック・フロストのレーベルよりフロスト自ら手掛けたアンセム。
https://www.youtube.com/watch?v=z5NMTyAuPMk
7.M-BEAT Feat. GENERAL LEVY ‎– Incredible (Underground Deep Bass Mix)
[1994: Renk]
10代からハードコアとラガをミックスしたジャングルの原型的サウンドを作ってきたMビートの全英大ヒット曲。
https://www.youtube.com/watch?v=rQGUJ7KZ7hU
8.UK APACHI With SHY FX ‎– Original Nuttah
[1994: Sour]
Mビートの"Incredible"と共にラガ・ジャングルの代名詞となる、当時10代のシャイFXによる大ヒット曲。
https://www.youtube.com/watch?v=ACCDZlLLV0I
9.POTENTIAL BAD BOY ‎– Warning (Remix)
[1994: Ibiza]
ラガ・サンプルと銃声等のSEでギャングスタ・ジャングルを完成したポテンシャル・バッド・ボーイの名作。
https://www.youtube.com/watch?v=uimZmQCptjE
10.PRIZNA ‎– Fire
[1994: Kickin' Underground Sound]
レゲエ・サウンドシステム直系のジャングル・コレクティヴ、プリズナがMCデモリション・マンをフィーチャーしたアンセム。
https://www.youtube.com/watch?v=WApv8H5RzXQ
11.TOM & JERRY ‎– Maxi(Mun) Style
[1994: Tom & Jerry]
4ヒーローのジャングル・プロジェクト、トム&ジェリーの名作。4ヒーローならではエモーショナルなセンスが光る。
https://www.youtube.com/watch?v=af9hXricyv0
12.MORE ROCKERS ‎– Dub Plate Selection Volume One
[1995: More Rockers]
スミス&マイティのロブ・スミスがピーターDと結成したブリストル・ジャングルの中核ユニットの1st.アルバム。ソウルフル!
Your gonna
13.SOUND OF THE FUTURE ‎– The Lighter
[1995: Formation]
ハードコア期からFormation Recordsを主宰するDJ SSによるアンセム。フランシス・レイ作曲のイントロから一転爆発!
https://www.youtube.com/watch?v=R8jvWnXEGJM
14.FIRE FOX & 4-TREE ‎– Warning
[1994: Philly Blunt]
ロニ・サイズの変名リリース。トリニティ名義のディリンジャ、グラマー・ゴールド名義のクラスト等、Philly Blunt作品はどれも要チェック。
https://www.youtube.com/watch?v=qfMepn9dzn4
15.DEAD DREAD - Dred Bass
[1994: Moving Shadow]
アセンド&ウルトラヴァイブ名義でも知られるコンビによるハードコア〜ハードステップの名門、Moving Shadowからの重量ベース・チューン。
https://www.youtube.com/watch?v=Uj7EO2uVfDQ
16. DJ ZINC - Super Sharp Shooter
[1995: Ganja]
DJジンクの名を知らしめた爆発的大ヒット・チューン。DJハイプが主宰するGanjaはジャングル〜ジャンプアップの必須レーベル。
https://www.youtube.com/watch?v=bwX6d4wZcso
17.THE DREAM TEAM ‎– Stamina
[1994: Suburban Base]
ビジーB & パグウォッシュのデュオ、ドリーム・チームが名門Suburban Baseから放ったメガヒット!
https://www.youtube.com/watch?v=pNGddllF7AA
追記: ドリーム・チームはやがて自らのJoker Recordsからジャンプアップ・ジャングルの名作を連発。Joker日本支部のDJ INDRA氏から推薦の1曲。
THE RIDDLER - Rock 'n' Roll
[1998: Joker]
https://www.youtube.com/watch?v=nzuPL_W1j-Q
18.KEMET CREW ‎– The Seed
[1995: Parousia]
Ibiza Recordsと共に初期からアンダーグラウンドを牽引したKemetクルー。BMG傘下レーベルにライセンスされたアルバムからのカット。Jungle will never die!
https://www.youtube.com/watch?v=h8myXqa7J6c
19.REMARC ‎– R.I.P
[1994: Suburban Bass]
バッド・ボーイ・ディージェイの代表格、マッド・コブラのヒットを極悪ジャングルに再生したリマークの代表作。
https://www.youtube.com/watch?v=qMYAiVZ-vNQ
20.D.R.S. Feat. KENNY KEN - Everyman
[1994 Rugged Vinyl]
プロダクション・デュオ、D.R.S.がジャングルのトップDJ、ケニー・ケンと組んだディープ&ドープな傑作。
https://www.youtube.com/watch?v=vFLYMXU1C2k

JUNGLE REVOLUTION 2014!!! 最新作『ジャングル・レヴォリューション』でコンシャスな音楽革命を提示したジャングルのパイオニア、レベルMCことコンゴ・ナッティが実息コンゴ・ダブスを引き連れDBSに帰還! 2014年、Congo Natty Recordings創立=ジャングル音楽20周年のセレブレーション! Get Ready All Junglist!
JUNGLE REVOLUTION 2014.......ONE LOVE
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CONGO NATTY JAPAN TOUR 2014

2014.2.15 (SAT) @ UNIT

feat.CONGO NATTY aka REBEL MC
CONGO DUBZ

with.DJ MADD(Roots & Future, Black Box - HU), DJ DON, JAH-LIGHT, JUNGLE ROCK, PART2STYLE SOUND,

open/start: 23:30
adv.3500yen door 4000yen
info.03.5459.8630 UNIT
https://www.unit-tokyo.com
https://www.dbs-tokyo.com
====================================
Ticket outlets:NOW ON SALE!
LAWSON (L-code: 78063)、
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia/https://www.clubberia.com/store/

渋谷/disk union CLUB MUSIC SHOP (3476-2627)、TECHNIQUE(5458-4143)、GANBAN(3477-5701)
代官山/UNIT (5459-8630)、Bonjour Records (5458-6020)
原宿/GLOCAL RECORDS (090-3807-2073)
下北沢/DISC SHOP ZERO (5432-6129)、JET SET TOKYO (5452-2262)、
disk union CLUB MUSIC SHOP (5738-2971)
新宿/disk union CLUB MUSIC SHOP (5919-2422)、Dub Store Record Mart (3364-5251)
吉祥寺/Jar-Beat Record (0422-42-4877)、disk union (0422-20-8062)
町田/disk union (042-720-7240)
千葉/disk union (043-224-6372)

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CONGO NATTY JAPAN TOUR 2014

2/14 (FRI) 大阪CIRCUS (問)06-6241-3822 https://circus-osaka.com/
       OPEN 21:00 ADV&MEMBERS: 3500/1d DOOR: 4000/1d
2/15 (SAT) 東京 UNIT (問) 03-5459-8630 https://www.unit-tokyo.com/
      
Total info〉〉〉 https://www.dbs-tokyo.com

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★CONGO NATTY aka REBEL MC
 ルーツ・レゲエを根底にヒップホップ、ラガの影響下に育ったレベルMCは、'80年代後半からスカとハウスのミックス等、斬新なブレイクビートサウンドで注目を集め、『BLACK MEANING GOOD』('91)、『WORD, SOUND AND POWER』('92)でジャングルの青写真を描く。また92年にボブ・マーリーの"Exodus"のリミックスを手掛ける。〈Tribal Bass〉、〈X-Project〉レーベルを経て、JJフロスト、DJロンと共にCONQUERING LIONとして活動、ラガ・ジャングルの中核となる。'94年にジャングル・ファミリーの母体となる〈Congo Natty〉を設立、自らもコンゴ・ナッティを称す。『A TRIBUTE TO HAILE SELASSIE I』 をはじめ、数多くのリリースを重ね、'02年にはMCテナー・フライをフィーチャーした『12 YEARS OF JUNGLE』を発表、初来日を果たす。'05年は足跡を伝える『BORN AGAIN』、'08年には入手困難なシングルをコンパイルした『MOST WANTED VOL.1』をリリースし、新世代のジャングリストを狂喜させ、レベル自らDJとして新たなパフォーマンス活動に乗り出す。
近年は息子のDJコンゴ・ダブス、ヴォーカルのナンシー&フェーベらファミリーも広がり、'13年にニンジャ・チューン傘下の〈Big Dada〉と電撃契約、待望の最新アルバム『JUNGLE REVOLUTION』(日本盤:BEAT RECORDS)をリリース、オリジネイターたちのMCや数々の生演奏をエイドリアン・シャーウッドと共にミックスし、ルーツ・レゲエとジャングルのヴィジョンを深く追求する。レーベル名の"CONGO"はアフリカの民族音楽の太鼓、"NATTY"はラスタファリアンに由来し、彼らの音楽のインスピレーションは主にこの2つの要素から来ており、真のアイデンティティーはもちろんJAH RASTAFARIである。

https://www.facebook.com/CongoNattyOfficial
https://twitter.com/CongoNattyRebel


wakka (SLOPE) - ele-king

1/12にGerry Rooneyがプレイする、僕も大好きなEnoshimaCurryDinner OPPA-LA。そのOPPALAの店長さん曰く、Gerryの音は『ACID LOUNGE』。
そんな『ACID LOUNGE』な曲をセレクトしました。
WAKA Facebook | SLOPE WEB

『ACID LOUNGE』 2014/1/10


1
Velvet Season & The Hearts Of Gold - Truth Machine for Lovers - Lucky Hole

2
Garben Eden - Romantic Archive - Lampuka Records

3
Anthony Naples - Moscato - Mister Saturday Night Records

4
Virgo Four - It's A Crime - Rush Hour

5
Albinos - Photosynthesis - Antinote

6
Pawas - flying drum(losoul remix) - Undulate Recordings

7
Cougarman & General Z - Susan Loves To Jack - Golden Hole

8
Disco Dub Band - Disco Dub (5:00-Re-Edit) - J.D. Records

9
Jeanne Vomit-Terror & Ed Sunspot - The Seat Of Same - Acoustic Division

10
DJ Harvey - Liftman - Black Cock

Gerry Rooney-New Year Japan Tour 2014
sunday””SUNSET””session
2014/1/12sun at EnoshimaCurryDinner OPPA-LA

act
Gerry Rooney
(Velvet Season&The Hearts Of Gold/ Black Cock / Lucky Hole )
DJ IZU
WATARUde( R.M.N. / GOD SERVICE )
wakka( SLOPE )

art work
Bush
soundsystem&pa
松本音響
OPEN/START 15:00 // FIN 22:30

MUSICCHARGE : 3000yen

Special Thanx
AHBpro
Pioneer DJ

more info
0466-54-5625
https://oppala.exblog.jp/

OPPA-LA - ele-king

 夏の「江ノ島OPPA-LA」と言えば我々日本のクラバーだけでなくその景色の良さと海へのアクセスの良さも相まって多くの来日アーティストからも人気のスポットとなっている。ここ数年「冬の江ノ島OPPA-LA」もとても熱い状況になっている。昨年暮れにはCOSMICの伝説Daniele Baldelliがプレイしたり、20周年を迎えたIDJUT BOYSも近年は来日の度に必ずプレイをしている。そして日本のアンダーグランド・シーンにも深い愛情を持つ店長和田さんを中心としたローカルの方々の努力と熱意が支持され都内からも足繁く通うファンを獲得した一因だと感じる。
 そんなOPPA-LAに今週〈Black cock records〉のGerry Rooneyの出演が決定した。多くのファンが居ながらもいまだベールに包まれた部分の多い同レーベルを知る絶好の機会です。
 2014年初sunday"SUNSET"session!!  終電までのPartyなので冬の湘南の夕暮れでも眺めながら是非!

Gerry Rooney──New Year Japan Tour 2014
sunday””SUNSET””session

2014/1/12sun at EnoshimaCurryDinner OPPA-LA
OPEN/START 15:00 // FIN 22:30
MUSICCHARGE : 3000yen

Gerry Rooney──New Year Japan Tour 2014

act
Gerry Rooney
(Velvet Season&The Hearts Of Gold/ Black Cock / Lucky Hole)
DJ IZU
WATARUde(R.M.N. / GOD SERVICE)
wakka(SLOPE)

art work
Bush

soundsystem&pa
松本音響

Special Thanx
AHBpro
Pioneer DJ

more info
0466-54-5625
https://oppala.exblog.jp/


interview with Omar Souleyman - ele-king

オマールはシリアの音楽的リジェンドである。1994年以降、彼と彼のミュージシャンたちはシリアの数カ所、folk-popの重要商品として出回っている。が、彼らはいままで国外ではほとんど知られていない。今日、シリアのどの街の店においても簡単に見つけられる、500本以上の、スタジオとライヴの録音のカセットテープ・アルバムがリリースされているというのに。 『Highway To Hassake』(2007年)ライナー

オマールの故郷は、ツーリストが想像しうる道からはほど遠い。そこへ行く外国人は、考古学者か歴史家か、さもなければヘンテコな音楽のプロデューサーである。「人は自分の国の伝統音楽で踊るべきだ。folk musicは文化遺産であり、伝統だ。それを失うことは、自分の魂を失うことだ」『fRoots』2010年11月/12月

この結婚式の退廃的などんちゃん騒ぎはYoutubeによって見られるものだが、しかし、オマールはいま他国を彷徨っている。彼の国シリアは内戦によって破壊された。「望みはそれに終止符を打つこと。すべての人びとが日常に戻れることだ」と彼は言う。(略)オマールは、クルドの分離主義者、シリアの軍隊と反体制の勢力との戦闘よって住めなくなった彼の故郷をあとにしながら、決して好んで住んでいるわけではないトルコから『ガーディアン』に話す。『ガーディアン』2013年10月18日


 年の瀬も迫った某日、下落合のフジオプロの一室で、ダブケだの、チョービーだの、日本からずっと遠い、中東の、レバントと呼ばれる東部地中海沿岸地域の、サウジアラビアとエジプトのちょい北の、イラクの東の、トルコのちょい南の、なんだかいろいろな半音階の旋律と独特のリズムのダンス・ミュージックを聴いている。2013年、ele-king最後の大仕事は、シリアの歌手、オマール・スレイマンを紹介すること。さて、どこから話そう。

E王
Omar Souleyman
Wenu Wenu

Ribbon Music/ホステス

Amazon iTunes

 まずは2004年。サン・シティ・ガールのアラン・ビショップが主催するシアトルの〈サブライム・フリーケンシー〉レーベルは、ミュージシャンであるマーク・ガージスによるコンパイルで、シリアの現地録音音源集を編集したCD2枚組『アイ・リメンバー・シリア(I Remember Syria)』をリリースする。CDのブックレットには、街の売店にカセットテープ・アルバムが壁のように並んでいる写真がある。そして、CDのなかには、オマール・ソレイマンの曲が収録されている。
 「『アイ・リメンバー・シリア』がまず最高に面白いんだよ。街中の音とか入ってて、このCDがフィールド・レコーディングなのよ」と、赤塚りえ子は説明する。たしかに聴いてみると、ラジオの音から街のざわめきまで聞こえてくる。シリアの大衆音楽がインディ・ミュージックのシーンに最初に紹介された瞬間は、おそろしくローファイで、生々しい。
 それから2007年、〈サブライム・フリーケンシーズ〉はマーク・ガージス監修によるシリアの歌手のオマール・スレイマンの編集盤『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』をリリースする。結果、2010年までのあいだ、同レーベルから計3枚の編集盤をリリースするほど彼の音楽は西側の世界で騒がれることになる。
 そして2011年、同レーベルの3枚目のコンピレーションとなる『ジャジーラ・ナイツ(Jazeera Nights)』がリリースされる頃には、彼はすでにヨーロッパツアーに招かれている……いや、それどころか、ライヴ・アルバム『Haflat Gharbia - The Western Concerts』を〈サブライム・フリーケンシーズ〉からリリースするにいたる。ビョークが彼をリミキサーに起用したのはその1年後のことだが、わずか3年のあいだにオマール・スレイマンは欧米でもっとも名が知れたシリアの歌手となったばかりか、エレクトロニック・ミュージック・シーンのもっともカッティング・エッジなところでの評価をモノにするのだった。宗教が(信仰というよりも)文化の一形態としてグローバルに受け入れつつある現代では、アラブ諸国(もしくは東南アジア)の、露店で売られるカセットテープに吹き込んでいた歌手が、あれよこれよという間に、数年後にはテクノ・シーンで騒がれ、やがてディアハンターやフォー・テットなんかと同じステージに立つのである。

 「私はこのところ『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』の4曲目の“Atabat”を聴きながら眠っているのよ」と、赤塚りえ子は自慢しやがる。そもそもele-kingがオマールさんを取材することになった原因は、この女にある。11月のある晩、赤塚りえ子はバカボンのパパよろしく「ダブケでいいのだ」と言った。
 「フォー・テットがプロデュースしてオマール・スレイマンのニュー・アルバムを作ったんだよ、当然ele-kingは取材するよね」「あ、は、はい」「ヤッラー!」「……」などと話はトントン拍子に進まなかったのだが、赤塚りえ子をインタヴューアとして、我々はホステスウィークエンダーに侵入することになった。そして、わずか15分だったとはいえ、シリアの英雄の話を聞くことができた。「あんな色気のある男はそうそういないわよね」というのが取材を終えたばかりの赤塚りえ子の感想だったが、いかんせん15分である。記事を作るには短すぎるので、オマール・スレイマンとその音楽=ダブケについての話を、このところアラブ諸国の音楽を聴きまくっている彼女との対話を交えつつ、進めたい。

私は、人が踊るのを見るのが大好きです。自分がステージに上がったら、みんなに踊ってもらいたい。ああいう風にリズムを速くして、みんなが盛り上がってもらいたいんです。

赤塚:さっきも言ったけど、2004年に〈サブライム・フリーケンシーズ〉から出た『アイ・リメンバー・シリア』というコンピレーションが、オマールが西に紹介された最初だったんだよね。オマールはもともとウェディング・パーティのシンガー。最初は伝統的な音楽をやっていたんだよね。94年から歌いはじめて、96年にリザンと一緒になる。それまでは伝統的な楽器を使っていた。結婚式で、そのときの新郎新婦にあった言葉を詩人が囁いて、それをその場で歌にして歌う。それをカセットテープに吹き込んで新郎新婦にプレゼントして、そのパーティに来た人はそのテープを買うみたいなね、そういうことをしていた。“Atabat”は伝統的なスタイルの曲だよね。

赤塚りえ子はオマール・スレイマンの音楽をいつから聴きはじめたの?

赤塚:『ジャジーラ・ナイツ』が出た頃だよ。イギリスにいるジョン(・レイト)から、「スゲー、ヤツがいる」ってリンクが送られてきて、それを聴いて一発でハマった。私はこのところずっとアラブ諸国の音楽を追いかけていたから。でも、それまで聴いていたのはエレクトロニック・ミュージックで、いくら聴かなくなったとはいえ、それはやっぱ自分の血のなかにあるんだよね。で、オマール・スレイマンは、アラブで、しかも電子音楽じゃん。ハマらないわけがないよね(笑)。

ぶっちゃけ、野田家の2013年のヒット作は、オマール・スレイマンでした。

赤塚:狂乱的なグルーヴですよね。いままでの自分の常識をブッ壊される音楽でつねにブッ飛ばされたいと思っている私にとって、オマールの音楽は、アラブ諸国の音楽(伝統的な音階や楽器を使った)とエレクトロニック・ダンス・ミュージックの要素があるという、惑星直列的快楽があります! ああ、あとね、アラビア語の発音も私は好きなんだよ。音として。

ハハハハ、ミニマルで、独特のグルーヴも良いけど、アラブ音階独特の旋律とかね。

赤塚:単音で、あれだけ脳みそ引っ掻き回されるとねー。少ない楽器編成でこれだけの雰囲気とグルーヴを作り出すのだから怪物的スゴさ! オマールもスゴイが、リザンのリズム感と演奏中に次々と音を変えていくキーボードの音選びのセンスもまたものスゴイ! 

つまり、これがただ物珍しい中東の骨董品とか民族音楽とかっていうことではなく、モダンな音楽作品として率直に面白いわけですね。

赤塚:もちろん。

マーク・ガージスの発掘はただの偶然ではなかった。それは探索の結実だった。「私は長いあいだ、父のコレクションよりも、もっとパワフルで生のアラブ音楽を探していた。私はベリーダンスものも全部聴いたし、それからライも聴いた。ライは生で、パンクの一種のようで、私は好きだったけれど、自分が望んでいるものではなかった。しかし、ジャジーラの音はワイルドで、ダブケのパンク・ヴァージョンのように思えたのだ」
『fRoots』(前掲同)

オマールさんは、1966年生まれで、僕よりも若いんですよね。故郷はラース・アル=アイン(Ras al=Ayn)というシリアの北東部、アラブ人、クルド人など多様な民族が生活しているところですね。

赤塚: ジャジーラにある村でアラブ人の一家に生まれて、イラクのポップ、ダブケ、70年代〜80年代のイラクのチョービー(choubi)なんかを聴きながら育ったという話です。音楽をやるまではいろいろな労働をしていたそうですね。最初、歌はただの趣味で、石工だったり、肉体労働だったり、ずっと仕事をしていた。友だちか誰かの結婚式で歌ったら声が良いって褒められて、それでやってみようかなと、94年に歌いはじめたのがプロへの第一歩となったと。で、96年に別のグループで演奏していたリザンを引き抜いて、いまのスタイルになった。
 彼の音楽は、ダブケという、レバントと呼ばれる地域に広がるfolk音楽で、みんなでラインダンスで踊る音楽なんだけど、面白いのは、オマール・スレイマンのダブケには、たとえば、イラクのチョービーと呼ばれる音楽──これがまた面白いんだけど(笑)、ほかにクルドの音楽、トルコの音楽も混ざっているんだよね。それは彼の故郷が、多様な民族が生活しているところで、すぐ近くはトルコやイラクだったりする。サズという撥弦楽器も取り入れているしね。レバントって、いろんな国があって、ものすごく広いからね。オマール・スレイマンにはすごくミックスされていると思う。ただ、彼はクーフィーヤ(アラブ人男性が頭に被る布)を被っているように、多様な文化が共存しつつ、伝統が残っていた地域なんだろうね。

ハサケは、コンクリートの日雇い労働の街だ。この色は、さまざまな住人たちから来ている。アラブ人、クルド人、アッシリア人、イラク人、シーア派、スンニ派、クリスチャンズ、カルデア人、ヤジーディー、アルメニア人、アラウィー派(シリアのイスラム教シーア派)。道やマーケットには顔にタトゥーを入れた歳を取った女たち、クリスチャンとアッシリア人は首にばかでかい十字架をぶら下げ、アラブの男たちは彼らの伝統であるクーフィーヤとジュラバをまとい、女性たちはヘッドスカーフを着けているもの、着けてないものもいる。みんなそれぞれ伝統的部族の服装をしている。このエリアの、シリア、そしてレバントの真実の姿は、人種学者や宗教学者の誰もが解明したがるような、豊富な文化の混合、人種の混血にある。私はオマールに、これらすべての異なるエスニックたちは、平和に共存しているのか尋ねた。「私にはクルドやクリスチャンなどいろいろな友人がいます。私自身はアラブです。最近の私のツアーには、クリスチャンの詩人が同行しました」
 『fRoots』(前掲同)

赤塚:しかもオマール・スレイマンは、伝統的な音楽にシンセとドラムマシンを取り入れて、テンポを速くした。『The Quietus』(2009年3月)のインタヴューを読むと「1994年から2000年にかけて私は売店(キオスク)で有名になった。2000年にビデオクリップを作って、アラブ諸国がそれに気がついた。それから5〜6個のビデオを作って、いま(2009年)はTVに流れている」って言っているね。フォー・テットがプロデュースした『ウェヌ・ウェヌ』に“KHATTABA”って曲が入っているんだけど、この曲は、アラブ圏内でものすごくヒットした曲なんだよね。それでヨルダンやサウジとかドバイとかの大きなウェディング・パーティなんかに呼ばれるようになる。だから、最初はローカルなウェディングから、だんだんでっかいウェディング・パーティでも歌うようになったんじゃないかな。

「私はすでにダブケに親しんでいたが、まだまだ学ぶところがあったのだ。そもそも私は、そのような速い、生な音楽を聴いたことがなかった。それは本当に私を鷲掴みにした。私が毎回『これは誰ですか?』と訊くと、いつも同じ答え、オマール・スレイマンと返ってくるのだ」マーク・ガージス
『fRoots』(前掲同)

マーク・ガージスがダブケに興味を持って、2000年に2回目のシリアへの旅に出ている。結局、ダマスカスの売店でコピーされ、それがまたコピーされ、そして鳴り響いているオマールさんのテープを大量に買い付けて(『ガーディアン』の記事よれば700本のカセット・アルバムがあったそうだが)、ベスト・トラックをコンパイルしたと。

赤塚:マーク・ガージス自身がイラク系の人で、オマール・スレイマンに初めて会ったときに、「そのアクセントは、イラクの祖父と話しているようだった」と回想しているね。そのときハサケまでバスで旅したらしいんだけど……。とにかく、ものすごいリズムのダンス・ミュージックだし、で、もう、最初はアシッド・ハウスの最新型だとか書かれたり(笑)。

「マルコム・マクラレンやザ・KLFへのシリアからの回答か」なんていう記事もあるね(笑)。そのぐらい、大きな衝撃を与えたんだね。

赤塚:〈サブライム・フリーケンシー〉の企画で、2009年にヨーロッパ・ツアーをやっているんだよね。UKとか、デンマークとか、そのときの曲も入っているのが2011年に〈サブライム・フリーケンシー〉からライヴ盤としてリリースされている。これ、格好いいよ。  私がアラブ諸国にハマったのは、まずリズムの魅力なんだよね。西側のフォーマットにはあり得ない進行の仕方があって、信じられない構成があって(笑)。ライヴ盤の2曲目“Gazula / Shift Al Mani ”とかすごいよ。私、さんざん音楽を聴き続けてきてさ、もうよほどのことでは驚かない。ただ、「ナイスだね」だけの曲は物足りない(笑)。なんか、そういう感じで。ダブケのリズムはそういう意味で、驚いた! あと、シリアのウェディング・パーティでやってきたライヴは4〜5時間ぶっ通しで演奏していたそうで、それが欧米のライヴでは40〜50分でしょう。そのギャップも大変だったみたいね。

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ベルリンを拠点にしているNHKコーヘイ君も、ステージが一緒になったことがあったというし、昔ながらのワールド・ミュージックの流れっていうよりも、テクノのシーンとシンクロしながら、最近の耳に訴えるものがあったんだろうね。

赤塚:多国籍文化の国、例えばイギリスなど、カルチャー的にもワイドな耳を持つ西側の人たちにウケるのわかる。面白いのは、シリアには、シリアの大使館がリコメンドしたいような音楽っていうのがあるじゃない。それとは違うんだよね。だってこっちは本当に大衆音楽だから。でも、そういうハイブローな感じの音楽を推進している人たちからすれば、オマール・スレイマンがシリアの音楽の代表になってしまったことは気に食わないらしいんだよね。だって、シリアには他にも有名な歌手がいると思うんだけど、西欧社会の有名なフェスとかに出るいちばん有名なシリアの歌手になっちゃったわけじゃない。

シリア国内では、あれはただのキッチュだっていう批判もあるらしいからね。

赤塚:でも、民衆から出てきた人なんだよ。

じゃあ、西側のポップ・カルチャーがオマール・スレイマンを選んだのは素晴らしかったんだね。ちょっと、マルチチュードみたいなところがあるんだろうね。

赤塚:ダブケがハイソなものではないし、民衆のダンス・ミュージックだからね。

しかし、シリア……というと、この2年、激しい内戦状態がずっと続いているでしょう。オマールさんが、西側で発見されたのが、2007年だとして、その頃とは、あまりにもシリアをめぐる状況が違っているじゃない。2010年の『fRoots』のレポートでは、ストリートのレヴェルではエスニックの調和はうまくいっていると、書かれているけど、2013年の『ガーディアン』の記事なんかは、ずばり、内戦によって崩壊したシリアを突いているよね。

赤塚:だから、欧米で、オマール・スレイマンの記事が最初に載った頃の言葉と、最近の記事の言葉とでは、テンションが違ってきているよね。最初の頃はやっぱ「ウェディング・パーティで歌いたいんだよね」みたいなことを言ってるんだけど、最近はもうちょっと違っているよね。

シリアにはもう住んでいられないからね。

赤塚:いまはシリアではライヴできないからね。『ガーディアン』の記事でオマールは、「シリアの人たちすべてに日常が戻ってきて欲しい」って言ってる。『Fader』(2013年)の記事は、トルコの国境への脱出劇の話なんだけど、読んでて涙がでそうになったよ。トルコから出発するフライトに間に合わせるため、ベイルートからシリアを通ってトルコの国境に向かう話で、アメリカで開かれるシリアへのチャリティー・コンサートに出演するため、自分の責任を果たすため、トルコから出発するフライトに間に合わせようと、決死の覚悟で爆弾の音とガン・ファイヤーの音が響き渡る破壊された誰もいない街を、タクシーで疾走するんだよ。

タクシーの運転手もよく運転したよね。

赤塚: タクシーで国を移動するのはわりと当たり前のことらしいけど、危ない旅だしかなりの金額も払うことになったし、相手がオマールだからってこともあったと思うよ。でも、読んでて、やりきれない気持ちになった。あと、彼は自分は政治的ではないと言っているね。

今回の取材でも「政治的な質問はNG」と言われてしまったけど、さんざん欧米の取材で訊かれまくって疲れたのかもね。

赤塚:最近、スイスかどっかに呼ばれたときビザがなかなかおりなかったらしいね。シリアだから、亡命者だと思われてしまって。いまはすごくハードな時期だから。言えることはひとつだし、彼が歌っているのはラヴソングだからね。
 しかし、彼の歌う愛や人びとの関係性の叙情的なラヴソングは、恋愛や結婚は人びとの日常生活の上に成り立つことで、それらさえもまともにする余裕もないようないまのシリアの悲惨な現状のなかで、彼のラブソングは人間の根源的なことをうたっているように感じてならないな。だから、オマールのラヴソングは、人びとが普通に生活できないいまのシリアの悲劇を浮き彫りにするよう。そういう意味で、オマールの歌は直接的に政治的ではないけど、私たちがイマジネーションを働かせて感じてみると間接的に関わっているように感じる。

彼はダブケを世界のオーディエンスに持ち上げた。しかし、彼の国は、スレイマンが歌うには、よりハードな苦境を迎えている。「事実、明日には何があるのかわからない。それ自体が絶望だ」彼は言う。「シリアには音楽はもうない。音楽をやりたいミュージシャンがいたとしても、それをやる喜びや意志をもって、以前のようなことはできない。この殺戮と破壊のあと、音楽を作るのは本当にハードだ。すべての人びとに影響している。しかし、私は政治に関与しない。私は解決方法を知らない」
 『ガーディアン』(前掲同)



赤塚りえ子は、どのアルバムがいちばん好き?

赤塚:私はやっぱ、『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』。このアルバムの4曲目がないと私寝れないから(笑)。このローカル感っていうの? もう、残りの500本のカセット全部聴きたくなるよ(笑)。

『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』が〈スタジオワン〉なら、『ウェヌ・ウェヌ』は〈ON-U〉みたいなものかね。

赤塚:まあね(笑)。『ウェヌ・ウェヌ』も好きだけど、ちょっと万人にわかりやすくなったよね。オマール自身のいままでの音で十分満足している私にとって、ぶっちゃけフォー・テットがプロデュースっていうことはそんなに重要ではなく、ただオマールの人気がエレクトロニック・ダンス・ミュージックのファンへも広がるのは間違いないわけで、それがスゴく嬉しい! 

インディ・ロックのファンにもウケてるよ。

赤塚:そういえば、この人、ビョークのことも知らなかったし、フォー・テットのことも知らなかったからね(笑)。ていうか、私、リザンとの関係もすごいと思うの。リザンとオマールの掛け合いみたいに聴こえる。このふたりだからこそ、少ない楽器編成で、これだけのグルーヴを創れるんじゃないかなと思う。オマール・スレイマンは、パーティ・シンガーで、盛り上げ役だから。リザンは、1990年代半ばにジャジーラから登場した、もっともハードでエッジーなダブケの発明家として評判だったそうで、コルグを使った才能あるプロデューサーとして名が通っていたと、『fRoots』の記事には書いてあるね。

欧米の評論読んでいるとリザンへの評価が高いと思うよね。

赤塚:体力もすごいでしょ、だって、ずーっと弾いているんだよ!

 さてさて、それでは、以下、12月1日、恵比寿ガーデンホールでの楽屋での15分を紹介しましょう。

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私が有名になれたのは、この伝統的な音楽をやっていたお陰です。そして、有名になって、この伝統的な音楽を見捨てるわけがありません。シリアン、クルディッシュ、ターキッシュ、イラーキーの文化的伝統を引き継いでいる。それらを大切にしたい。

赤塚&野田:アッサラーム・アレイコム!

赤塚:イスミーリエコアカツーカー(私の名前は赤塚りえ子です)。ウヒッブ・ムーシーカークム・カスィーラン(私はあなたの音楽が大好きです)!

オマール:シュクラン(ありがとう)。

赤塚:あなたは自分の町で、どんな音楽を聴いていたのですか? 具体的に好きなミュージシャンはいますか? または、影響を受けたミュージシャンはいますか?

オマール:こだわりはない。西洋も東洋も両方聴いている。いちばん好きなミュージシャンは、サアド・エルハルバーウィーという人です。その人がインスピレーションをくれました。

赤塚:1990年代半ばにダブケのニューウェイヴが出現したとあなたの記事で読んだことがありますが、それまでのダブケと違って実際にどのようなところが新しかったのですか? 伝統楽器がシンセサイザーに置き換えられたということでしょうか?

オマール:活動しはじめたときは伝統的なリズムを使っていたのですが、1996年にあの(電子)キーボードを使いました。そして、リズムを速くして、より盛り上がるようにしました。

赤塚:人をもっとダンスさせるため、速くて強い4/4ビートのリズムを取り入れることになったのですか?

オマール:私は、人が踊るのを見るのが大好きです。自分がステージに上がったら、みんなに踊ってもらいたい。ああいう風にリズムを速くして、みんなが盛り上がってもらいたいんです。

電子楽器を取り入れるきっかけはあったんですか?

オマール:特別何か理由があったわけじゃないんです。それは自然になことで、世界中が電子楽器を使いはじめたとき、世界と肩を並べるために取り入れました。みんなが使っているから使いましたし、これからもずっと使います。

赤塚:あなたの音楽がアラブ世界を越えて西洋の人たちを熱狂させ、そして、私たちアジアも熱狂させていますが、言語の壁を越えて、国境を超えて世界があなたに魅力を感じる何か共通のものがあるとしたら、それは何だと思いますか?

オマール:世界がまだ私たちの音楽に慣れていないし、まだみんなが知らないリズムだから、みんなが気に入って受け入れてくれたと思っています。

今日のライヴもすごく盛り上がってましたが、オマールさんの感想を教えて下さい。

オマール:とても嬉しいです。日本は初めてでしたが、とても良い印象を持ちました。来る前は、日本の観客のことがよくわからないから緊張しましたが、私がステージに上がった瞬間、みなさんがこの音楽を好きになってくれることを感じました。日本に感謝している。

赤塚:海外メディアのあなたのインタヴューであなたが「自分の音楽のスタイルを変えない。これが私の伝統だから」と言っているのを読みました。あなたが自分のスタイルを守る姿勢と伝統の重要性について教えて下さい。

オマール:私が有名になれたのは、この伝統的な音楽をやっていたお陰です。そして、有名になって、この伝統的な音楽を見捨てるわけがありません。シリアン、クルディッシュ、ターキッシュ、イラーキーの文化的伝統を引き継いでいます。それらを大切にしたいと思います。

赤塚:今後あなたが望むことは何ですか? 

オマール:来てくれる人が多ければ多いほど私も嬉しい。だから、世界中の大きなステージに立ちたいと思っています。そして、自分が有名になっても、自分が人のことを尊敬するように祈っています。日本がずっと安全であることを祈っています。日本も日本人もとても素敵です。本当にありがとうございました。

 ホステスウィークエンダーには僕も何度お邪魔したことがあるが、基本、インディ・ロック好きをターゲットにしたイヴェントである。オマール・スレイマンのライヴの日は、おそらくはディアハンターを目当てにした若者たちでいっぱいだった。音楽も素晴らしかったが、そんな若者たちがダブケで踊っている光景もまた素晴らしかった。

15分だったけど、無事取材もできて良かったね。赤塚キャラ風のオマール・スレイマンの絵もプレゼントできたし(笑)。

赤塚:嬉しそうに笑ってたよ。「シュクラン」(ありがとう)って言ってたね。赤塚マンガで人を笑顔にすることは、うちのオヤジがやりたかったこと。シリアの人も笑顔にできた! 

バカボンとか、どんな風に思ったんだろうね。

赤塚:オマールと天才バカボンとの組み合わせは無茶苦茶シュールだよね(笑)。

はははは。

赤塚:とにかく、マジであれ以来、私のオマール熱は上昇で、重度の熱病にかかってます。ちなみに彼の名前をアラビア語から直接カタカナにすると「オマル・スレイマーン」です。

「こんにちわ、西側のオーディエンスたち。私はこの音楽があなたにとって何らかの意味があることを願います。そして、あなたが楽しむことを願います。すべての人びとに幸運があることを、そしていつか私があなたと一緒にいることを願います」
2006年1月 オマール・スレイマン
『Highway To Hassake』ライナー

彼らが“外”に行く理由 - ele-king

 リゾートではなく、他者としての海外に向き合うようなマジメな渡航体験がどのくらいあるのかわからないけれども、国外をツアーしてまわるアーティストたちの言葉にはやっぱりリアリティとしてのそれがある。「海外ツアーに出るアーティスト」なんていうと、大きな資本によって座組みされた存在であるような印象を持つかもしれないが、今回登場してもらうふたりが活躍するのはインディ・シーンであり、彼らは自身でレーベルやプロモーターとコンタクトを取り、音を介して生まれた互いへの純粋なリスペクトと信頼のもとに、ビジネスというにはあまりに有機的なつながりをたどって海外へと出かけていく人々だ。ポスト・インターネット的な環境において、こうしたことはやろうと思えばそう難しいことではないのだが、同じ環境のもとに、あまりそうしなくてもよい状況――海外の音も国内の音も即時的に同軸でキャッチすることのできる状況――が広がってもいるわけで、彼らのような存在は全体から見ればごく少数にとどまっている。そんなことにコストをかける必要なんてあるんだろうか? と感じるのは筆者ばかりではあるまい。
 だが、「ネットがあればいいじゃない」というのが確実にひとつの真理をえぐる態度だと思いつつも、その理屈によっておのれの自己完結型の出不精に窮屈なエクスキューズを与えがちな筆者は、彼らの体験がとても気になってしまう。コストをかけて外に出ていく理由が、はたして本当に自分に関係ないことなのか?

 個人的な話にかけてすみません。そもそもこの企画は、2000年代を通じてUSアンダーグラウンドのエキサイティングな震源地でありつづけたLAについて、かの地にゆかりの深いアーティストたちから話をきいてみようというものだったのだが、両者の言葉からは、「現地の注目ライヴ・スポット」「知られざるレコード・ショップ」「レーベルと人脈図」などなどといったトピックがつまらなく感じられるようななにか、そこが何を許し、どのように人々を生かしている場所なのかという、より深部にあるリアルを垣間見るような気がした。彼らも住民ではないから、旅行者としての視線も多分に混じっていることだろうけれども、だとすればなおさらわれわれがLAに聴きとるべきことのヒントが含まれているはずだ。

 それからもうひとつ、ちょっと話が飛ぶけれど、アナログ・メディアをめぐる――というよりも「物(モノ)」をめぐる――観念・認識にも新しいひらめきとショックを感じた。それがどんなものかは、まあ以下の対談をご覧いただきたい。アナログ・リリースが有効な方法として定着しきった現在でも、カッコだけのアナログ志向には多少辟易するけれど、そんなことは大した問題ではなかった。彼らの話をきいて、それさえももしかしたらとても大切なものかもしれないと思う。「聴くことがすべて、メディアなど問題ではない」とうそぶいていた時代がわたしにもありました……。
 ともあれ、お読みいただきたい。

■Sapphire Slows(サファイア・スロウズ)
広島出身、東京在住の若き女性プロデューサー。2011年に東京の〈Big Love Records〉から7インチ「Melt」でデビュー。つづいてロサンゼルスの〈Not Not Fun Records〉から「True Breath」をリリース。海外メディアからも注目された。その後複数のシングル・リリースを経て、2013年にはファースト・フル『アレゴリア』を発表。洋・邦を問わず、インディ・シーンのホットな場所でDIYに活動するスタイルに、Jesse Ruinsらと共通する時代性や存在感がある。

Sapphire Slows / Allegoria
(BIG LOVE/Not Not Fun)

Tower HMV Amazon

■倉本諒
カセット・レーベル〈crooked tapes〉代表、イラストレーター兼スクリーン印刷屋、Dreampusherとしての音楽活動に加え、執筆活動も行うなどマルチな才能を持った放浪家。ele-kingにも多数の記事を残している。とくにLAとのつながりが深く、アーティスト/ライター両者の視点を持ったレポートとアーティスト紹介にはつねに鮮度と強度がある。2013年12月より、自身の海外放浪体験をつづる連載「スティル・ドリフティング」がスタートしている。

レコ屋からつながったLAアンダーグラウンド

サファイア・スロウズさん(以下SS)は、〈ノット・ノット・ファン〉(以下〈NNF〉)にご自身の音源を送ったことがきっかけでリリースやツアーなどの活動に結びついていったわけですよね。そもそもどうして〈NNF〉だったんでしょう?

SS:最初は〈NNF〉か〈オールド・イングリッシュ・スペリング・ビー(Olde English Spelling Bee)〉か、迷ったんですよ。西の〈NNF〉と東の〈OESB〉みたいな感じで両方すごい実験的でかっこよかったから。でもなんとなくLAのほうがアーティストたちの顔が見える感じがしたというか。アマンダ(・ブラウン)とかね。あと、いろんな国の人の作品をポンとリリースしていたりして偏見とかがないと思ったから。よくよく調べれば、リリースしているのがみんな友だちだったりはするんだけど。

倉本:〈OESB〉の場合は、ある程度は匿名性を意識していると思うけどね。

そうですね。でも〈NNF〉とかって、「顔が見えて偏見もなさそうだから決めちゃえ」というにはあまりに個性があるというか。相性も含めて何かそこにたどり着くまでの順序や研究があったんじゃないかと思うんですが、どうですか?

SS:わたしが自分の音源を送ったときは、もう〈100%シルク〉(以下〈シルク〉)がはじまっていたんですよ。アイタル(『Ital's Theme』SILK-001)とザ・ディープ(『Muddy Tracks』SILK-002)もリリースされていて、それも大きかったかも。アイタルのダニエルはブラック・アイズ(Black Eyes)、ミ・アミ(Mi Ami)のハードコアからセックス・ワーカー(Sex Worker)のドローンを経てアイタルに至っていて、ザ・ディープはダブ/レゲエ。両方普通のハウスなんかじゃなかったんだよね。めちゃくちゃいいなと思ったし、この感じ、このモードだって。そんなふうに思うものって、そのときは他になかった。

なるほど。〈100%シルク〉って、2000年代のUSインディ・ロックが培ってきたノイズとかアンビエントとかダブみたいなものが、ハウスやディスコに重なっていった場所だと思うんですが、SSさんはそのダンス・ミュージック的な部分が混じるところに反応された感じでしょうか。

SS:べつにハウスとかテクノとかが好きというわけでもないし、インディ・ロックが好きなわけでもなくて、ジャンルとかに分けられない感じがぴったりきたんです。ハウスだったりって名づけるのがアホらしいような、まだ誰にも形容されていないようなもの。……〈シルク〉は結局ハウスになっちゃったけど、最初の頃はそうでもなかったから。

たしかにはじめはもっと混沌としてましたよね。

SS:だから「ダンスっぽいところに惹かれたのか」と訊かれればそうとも言えるし、そうでもない部分もあります。

倉本:そこはこだわってるよね、前から。ジャンルレスっていうようなところ。

SS:単に自分に知識がないからっていうこともあると思うんだけどね。ルーツが何かって訊かれたときに、何かに特化して聴いてきたわけじゃないから、うまく答えられない。最近は「ルーツがあるのが当たり前」みたいな考え方自体、古い世代の価値観なんじゃないかと思う。他の子たちがどうなのかはわからないけど、わたしとかわたしより下の、新しい世代の音楽の聴き方ってたぶん違うんだよ。少なくとも自分には過去にさかのぼってのわかりやすいルーツとかヒーローみたいなのはない。いまかっこいいかどうか、それだけ。

倉本:たぶん文脈でディグっていったりしないんだよね?

SS:そうだね。レコード屋で買っていると、「最近このレーベルのよく入ってるな」って気づくじゃないですか。そこで初めてレーベル名を意識して、調べてみて、過去にリリースされている音源も聴くという感じです。

あ、レコ屋をチェックするレディだったんですね。それならよくわかります。では〈BIG LOVE〉さんとか〈JETSET〉さんとかはわりと初めから馴染みの空間だったというか。

SS:うん。あと、いまはなき〈warszawa〉さんとか。だから、バイヤーさんの傾向にもろに影響を受けている面もあるかもしれません。

西の〈NNF〉と東の〈OESB〉みたいな感じで両方すごい実験的でかっこよかったから。でもなんとなくLAのほうがアーティストたちの顔が見える感じがしたというか。(Sapphire Slows)

うんうん。そう考えると、レコ屋の果たす役割はまだ大きいですね。フェイス商品なんかがとても具体的に入口になりますよね。

SS:わたしの場合、ネットだけじゃたどりつかなかったかも(笑)。

ネットショップの「おすすめ機能」に感心することもあるんですけど、あの機能が選択肢を増やす一方で、バイヤーさんとか店頭って選択肢を絞ってくれるものですよね。
 さて、レコ屋文化というところでは倉本さんともつながってきます。

倉本:オレがレコ屋で働いてたってだけでしょ!

うん。

倉本:いや、まあ、オレも結局はかなりの部分をネットでディグるんだけど、ネットの情報だけから得るものって実のところはそれほどリアルでもなくて。たとえばヴァイナルを一枚出すとするよね。それってそれなりに大変な作業でさ。お金もかかるし、リスクもあるし、そこまで儲けがある商売じゃないし。だから、ヴァイナルでいくつか出してるってこと自体が、こいつらは本気でやってるなっていうひとつの指標になるわけじゃない? もちろんインスタントな音源をウェブで共有ファイルにするっていうのも新しいムーヴメントだしおもしろいと思うけど、モノを作るっていうのはやっぱりひとつの「本気」なんだよね。
 オレがいいと感じるレーベルにはそれがあって、だからその意味では彼女が言うように必ずしもジャンルに因る興味ではないかな。もちろんジャンルもあるんだけどね。いまはジャンルとレーベルが1:1で結びついているわけじゃないし、音楽的にはバラバラだけど、何かしら世界観を共有している……そういう点でちゃんと人格を持ったレーベルが好きですね。

SS:「人格」っていう喩えはほんとにそのとおりだと思う。なんとなく「この人好き」っていうのと「この人嫌い」っていうのとがあって、嫌いな人とはつき合えない。そういう感覚がレーベルに対してもあるし、実際に中にいるアーティストとコミュニケーションをとってもそう感じていると思います。


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LA放浪記・エピソード0

倉本さんはなんでそもそも〈NNF〉だったんです? すごく人脈があるし、もはや半分LAの住人みたいな感じでもありますけど、音楽から考えるとそれほど共通項が見えない。

SS:うん、わたしもそれ知りたい。謎だった。

倉本:いや、オレ言ってなかったかなあ?

SS:訊いたかもしれないけど、たぶんその答えに「なるほどー」ってならなかったんだと思う。

はははは!

倉本:倉本:ああ、そっか。ほんと「そもそも」からの話になるんだけど、ロサンゼルスに〈ハイドラ・ヘッド・レコーズ〉っていうハードコアとかメタルから派生したオルタナティヴ・ミュージックをリリースしているインディ・レーベルがあるんだよね。もともとはボストンからはじまったんだけど、事務所をロスに構えてからはずっとそこで運営してるの。社長がアイシスのフロントマンなんかやってたアーロン・ターナーって人なんだけど。

うん。アイシスね。そんなところからはじまるんだ!

倉本:そう。で、アーロンがイラストレーター/グラフィック・デザイナーということもあって、自分たちで全部アートワークとパッケージもやってるんだよね。……それが、毎回すごいゴージャスで。デザインも印刷もヴァイナルのカラーとかも、全部凝りに凝ってる。00年くらいからヴァイナルの需要がグンと来たのって、そういうフェティッシュなマーケットができたからだと思うんだよね。だって、音はデータでゲットできるからさ。

SS:ただでさえ儲からないものにカネをかけるわけじゃないですか。だからそれ自体がPRというか、欲しくなるものかどうかっていうのが重要だと思う。

そうですよね。「フェティッシュなマーケット」って、音楽の話をする上で切り捨てがちな、けどじつは本質的なトピックだよね。それで、そこから〈ハイドラ・ヘッド〉に倉本さんが絡んでくるの?

倉本:そう。話を戻すと、オレはそこにバイトさせてくれって行ったの。アーロンはアイシスで日本にはちょこちょこ来日してて、オレは彼の仕事の大ファンだったから作品とかをトレードしたりして交流をはじめたのだけど、ああいう日本ではあり得ないクリエイティヴなレーベルの仕事現場を見てみたかった。だから「ちょっとLAに住んでみたいから、雑用で雇ってよ」って言ってみたら「いいよ、いいよ」って言うもんだからさ。

へえ。

倉本:だからオレほんとに行ったんだよ。

SS:それがおかしいよ。

ははっ、持ち前のドリフター癖が出たと。もしかして、それが初めての漂流なの?

倉本:そうそう。いや、ほんと軽いノリで「いいよ」って言うからさ。じゃあってことでマジで行ったんだよ。そしたら「誰だお前」ってなって(笑)。

(一同笑)

ベタ(笑)。

SS:そうなるわ(笑)。

「ちょっとLAに住んでみたいから、雑用で雇ってよ」って言ってみたら「いいよ、いいよ」って言うもんだからさ。マジで行ったら「誰だお前」ってなって(笑)。(倉本)

倉本:いやいや、ちゃんとアーロンには前もって連絡して他のスタッフのコンタクトをもらってたの。彼はすでにシアトルに引っ越してて事務所にはいなかったから。で、一応そのスタッフにメールはしてたんだけど、オレが行く一週間前にクビになってて(笑)。だから誰もそのことを知らなかった。んで焦って「これこれこういうわけで、オレは雇ってもらうことになってるんです」って事務所で事情を説明したの。そしたら「ちょっとアーロンに電話で確認してくる」って言われて、待たされて。アーロン的にも、いいとは言ったけど本当に来るとは思わなかったみたいなんだよね。電話ごしに「マジで来たのかよ!」って(笑)。……でも、本当にいい連中でさ。ちゃんと雇ってくれたんだよね。だからオレは週3くらいで働きに行った。

SS:それがすごいところだよね。日本だったらそんなの拒否されると思う。

倉本:そうかもね。まあ、そんなわけでロスでレーベルの雑用みたいなことをやりつつの貧乏暮らしがスタートしたんだよね。

すごいな、隣の県とかじゃないんだからさ……。でもまだまだ〈NNF〉まで距離があるね?

倉本:そうでもないと思うよ。オレと〈NNF〉のブリットなんか、蓄積してきた音楽的背景はすごい共有してる。ちょうどその頃からオレも〈NNF〉や〈ウッジスト(Woodsist)〉、〈ナイト・ピープル(Night People)〉なんかを通してUSの新たなサイケデリック・ムーヴメントにのめり込みはじめていたし。ドローン/パワー・アンビエントとかオブスキュア・ブラックメタル、ドゥームやスラッジなんかのシリアスな音楽にも魅力を感じているけれども、自分はもうちょっとフットワークが軽いつもりだったから。だから実験音楽的だけどクラシカルじゃないもの、エクスペリメンタルだけどもっとバカバカしいもの、それでいて、バックグラウンドにパンクとかハードコアとかがあって、粗くてロウで、っていうもの。もちろん基本はサイケで……そういうものにハマりはじめてたかな。だから僕のなかで〈NNF〉は全然延長線上だった。

なるほど。ドゥームとかドローンっていうのはわかるんですけどね。ハードコア(・パンク)からの〈NNF〉っていうのがちょっと意外でもあって。でもサイケが媒介だとすればとても腑に落ちる。

倉本:それに、パッケージ的にも当時の彼らってすごくおもしろかったよ。超D.I.Y.だし、まさにパンクだよ。普通のレーベルではあり得ない作り方をしてたから。本当に、あの夫婦(レーベル主宰のアマンダ・ブラウンとブリット・ブラウン夫妻)が好きなものを出していたよね。わけのわからない、ゴミみたいなものを(笑)。

SS:カセットばっかりだったよね、最初のころは。

倉本:そうそう、ヴァイナルもあったんだけどね。なんか、ラインストーンとかがわざわざ付いていたよね。クオリティもけっして高くはないんだけど、やっぱりすごく愛嬌があるし、センスがいいから、おもしろいなと思ってた。バンドもそう。サン・アローにしても、当時まだブレイクするかどうかっていうところで。

SS:いまはすっかり有名だもんね。

倉本:うん。それで、ロスに暮らしはじめて、〈NNF〉の連中も近くのギャラリーでライヴをやっていたから、夜な夜な、カネがないながらも遊んでたんだよね。そんななかでつながりが生まれたかな。彼らが僕を受け入れてくれた理由のひとつは、〈ハイドラ・ヘッド〉で働いているということもあったと思う。やっぱり当時有名だったし、みんな聴いてたからね。「ああ、〈ハイドラ・ヘッド〉で働いてるんだー?」みたいな。


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そこが受け入れてくれるもの

なるほどね。なんか、リアルにわかりました。アイシスと〈NNF〉なんて完全に別軸で捉えてるからさ。いっしょとは言わないけど、すぐ近くにあるものなんだっていう生々しい地図が描けた。
しかし、おふたりでは入口がぜんぜん違いますね。

倉本:共通するとすれば、彼らはすごくオープンなんだってことだよね。

SS:入口は違うけど、最終的にはいっしょだから。ぜんぜん違うところから入ってきて、同じファミリーとして受け入れられている感じ。うちらは日本にいるけれど、なんとなくファミリーっぽいよね?

倉本:まあ、とにかくオープン。

SS:でも、誰でもオッケーってわけじゃないと思う。見た目は違っても、どこかで合うところがあったんだと思うな。

倉本:いまでこそすごくたくさんデモが送られてくるだろうから、取捨選択ももうちょっとシビアかもしれないけど……。好奇心が生まれればどこから来た連中であれ受け入れてくれるよね。それはべつに彼らに限らず、ロスのローカルではわりと普通のことかもしれないけどね。頭おかしいよね、〈ハイドラ・ヘッド〉にしても。粋だなって。〈NNF〉や〈ハイドラ・ヘッド〉に出会わなかったらいまの環境もないわけだし、彼らにはいつも感謝してるよ。

SS:あははは。そういえば、その最初の出会いは聞いたことがあった。けど、やっぱり「そんなことあるわけない」って思ったんだと思うの。だから忘れてた(笑)。

倉本:いやいやいや、本当なんですよ。

SS:それで、ブリットには自分のテープを渡したんだよね? それはすごい強いよね。自分で作ったカセットをポンと渡されると、何より説得力があると思うんだ。

倉本:そうそう、それで、こっちのテープとかシルクで刷ったジンとかポスター渡して、「じゃあレコードちょうだいよ」って言ってトレードするの。

トレードって素晴らしいですよね。〈NNF〉って、レーベル自体はもう10年近くにも及ぶ活動をつづけているわけですが、時代の最前線に躍り出るのはここ数年のことですよね。倉本さんはその前のタイミングでファミリーに迎え入れられたの?

倉本:そうだね。でもまあ、ファミリーって感覚はないけど。いってもそこは人間同士だから、仲違いもあればいろいろだよ。

SS:倉本さんはそういうところ詳しいよね。

ははは! ゴシップ屋なんだ。

倉本:オレはね、そういうの好きなの。

おばちゃんだなあ。サファイアさんは、わりとそのへんはボーっとしてる?

SS:そうですねー。まったくわかんない。

倉本:でもね、いっしょに住んでるとそういうあたりはいろいろ気を遣うからさ。

SS:ああ、そうかー。それは敏感になるよね。

倉本:超めんどくさいなっていうこともあるよ。

なるほどね。そう考えると、生活ぐるみというか、レーベルにしてはけっこう密な関係ですね。サークルっぽい?

SS:いっしょに住みたいとは思わないな。住むとこなかったらそんなこと言ってられないけど。

倉本:オレは日本であんまりコミュニティに属してたっていうことがないんだよね。だから生活ぐるみな環境に憧れていたのもあるよ。いろいろやっててもなんか違うというか。受け入れられている感じがなかった。まあ大半は自分が悪いからなんだけど。パンクなりハードコア・バンドなりをやっていても、なんか違うというか。受け入れられている感じがなかった。もちろん、個人としての関係からのフィードバックは感じてたよ? でもどんな環境でも俯瞰で見ちゃう冷ややかな自分がいる。それでも、ロスへ行ったときほど受け入れられていると感じたことはなかったからなあ。生活とクリエイティヴが分離してないから。

あー。そこは、すごく訊きたかった。日本の外でやる理由。それから〈NNF〉型の音楽コミュニティについて。

それでも、ロスへ行ったときほど受け入れられていると感じたことはなかったからなあ。生活とクリエイティヴが分離してないから。(倉本)

サファイアさんは以前に弊誌でLAレポートを書いてくださいましたよね(https://www.ele-king.net/columns/002198/)。すごくいい記録を残してくださったんですが、あの紀行文のなかでもっともエモーショナルなシーンが、帰国を前に「帰りたくない」ってなるところです――

SS:あれは、あれが初めてだったから。あの時期はすごくいろいろなものが変わっていって、すごくテンパってたときでもあったから、とてもハイになっていて。行く前もすごく混乱していたし。

うんうん、そういう感じがとってもよく伝わってくる、みずみずしくて素敵なレポートでした。

SS:それに、あのときはまだ英語が話せなくて。

ええっ? そうなんですか。けっこう会話のシーンもありましたし、ツアーってしゃべれなきゃ無理かと思ってました。

SS:いや、多分しゃべれてはなくて、かろうじて聞き取れたところをしっかり覚えてたって感じかな。そのくらい印象的なことが多かったから。それでも理解できたのって実際話されてたことの3分の1以下とかだと思う……もったいないよね。まあ、ツアー中はとにかく夢中で頭が真っ白だったから、帰国したら以外とコミュニケーションとれてたのかな? っていうくらい。

へえー。

SS:でも、ぜんぜんしゃべれないから、「君はしゃべらない子なんだね」って言われた。すごくおとなしい静かな子だと思われたの。メールとかだと英語ばっちりだったから、当然できるものだと思われてたみたい。

そうなんですね……。でもあの文章のなかで書かれていたのは、音楽のコミュニティがあって、仲間がいて、それがそのままレーベルになっているっていう一種の純粋さへの感動だと思ったんですね。

倉本:オレはひねくれてるからさ。そういうふうにあんまり「仲間」とは言いたくないんだけどね。

ははは、ツンデレごちそうさまです。いや、でも、その意味もよくわかるんですよ。

倉本:うん。でしょ? だけど、彼女みたいなやり方をしていたり、オレみたいなやり方をしているやつが、べつに特別じゃないって思えたんだよね。

SS:そう! そうだね。

倉本:普通じゃん? みたいなね。

SS:特別扱いしないし。

倉本:彼女のやっていることもオレがやっていることも、普通。生活として見ているっていうかね。

ああー、生活。

SS:同じ高さで受け入れてくれて。それがナチュラルだと思うんだけど、日本でそうじゃなかったのはなぜなのかなって考えた。

それは、自分のまわりになかっただけで、日本でも探せばありそうってことですか? それともあの場所だからこそのもの?

SS:それ、いろんな人に言うの。日本にそんな場所はないよって。でもひとつ行き着いた結論は、日本が単純に狭いっていうこと。

ああー、面積としてね。アメリカはやはり一にも二にもあの広大な国土や人口、人種の多さっていう点で、日本とはあまりに条件が違いますよね。

SS:こんなに似た人がいっぱいいる! って思うけど、分母が違うし。〈NNF〉みたいにアンダーグラウンドな人たちとかじゃない、もっと普通の人が多数であることは間違いないと思うから、そういう部分が見えなかっただけなのかもしれないです。
 わたしカリフォルニアしか知らないけど、もっと保守的なところは保守的なんだろうなって。日本はずっとちっちゃいなかにシーンがあってすごいと思う。

彼女みたいなやり方をしていたり、オレみたいなやり方をしているやつが、べつに特別じゃないって思えたんだよね。(倉本)

同じ高さで受け入れてくれて。それがナチュラルだと思うんだけど、日本でそうじゃなかったのはなぜなのかなって考えた。(Sapphire Slows)

倉本:ロスに限って言えば、何かしらから逃げてる人が多いかな。

SS:そういう言い方はネガティヴだよ。

倉本:いや、でもネガティヴってだけでもなくて、それも含めてやっぱりロスは夢を求めてやってくる街なんじゃないかな。

なるほど。逃げるっていうのが、必ずしも「ルーザー」としてじゃなくて。

倉本:うん、そうじゃなくてね。ただ、そういう文化を育む場所として、アメリカがどうで日本がどうでっていう比較は、オレはちょっとできないなって思う。日本には日本のカルチャーの歴史があって、それはリスペクトしてるからさ。そこで自分がやっていけるかというと別問題だけど、その重さは感じているし、ロスと比較していいとか悪いってことを判断できないな。

そうだね。なるほどね。

倉本:僕も彼女もどうなるかわからないけど、ずっと続けられたらこっちのカルチャーともまた違うものになっていくのかもしれないし。

SS:ずーっと続けてたら、この時期のものをこういうカルチャーだったんだっていうふうに見直すことができるかもしれないけど、まだわからない。

倉本:これから何年もして、サファイア・スロウズに影響を受けて、音楽を作ったりDJをしたりするっていう女の子が出てきたりしたら、また環境は変わるかもしれないよね。

SS:わたしは、いい時代だと思う。

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インディ・カルチャーって、そういうこと。

ところで先ほどのお話のように、アメリカはいろんな点で非常に大きいわけで、シーンといっても多層的ですし、マーケットも一様ではないですよね。「ピッチフォーク」とか「タイニー・ミックス・テープス」のようなメディアに接しているかぎりでは、そうしたLAアンダーグラウンドってすごく大きな話題を提供しているように見えるんですが、実際のところどんなものなんでしょう?

倉本:いや、大したことないよね。

SS:たしかにね。

倉本:ただ、爆発的に売れたバンドはいくつかはいるんだよね。ピーキング・ライツとかはすごい売れたんじゃない? わりと若い子がみんな聴いてる、みたいなさ。

ピーキング・ライツみたいなものが――いや、わたしはもちろん好きなんだけど――爆発的に売れるっていうのは、すごいよね。いいことじゃない?

SS:どうかなあ……、そんなに売れたの?

倉本:いや、ピーキング・ライツはね、売れたよ。

SS:〈NNF〉史上もっとも(売れた)ってことじゃなくて?

倉本:それもそうだし、やってるハコなんかを見てもすごいんだよ。

SS:それは、いいことだよね。

じゃあさ、〈ヒッポス・イン・タンクス〉でもいいし〈メキシカン・サマー〉でも〈ソフトウェア〉でも〈キャプチャード・トラックス〉でも〈アンダーウォーターピープル〉でも何でもいいんだけど、「TMT」なり「ピッチフォーク」なりが喧伝する新興の小規模なインディって、ちゃんと局地的な評価だけじゃなくて、文化全般にインパクトを与えてるんだ?

倉本:うーん、難しいな。でも一部が盛り上がってますって話ではないよ、確実に。どっちかといえばメディアの構造の問題かな。日本と比較すると。いま言ったメディアは確実な影響力は持っているけれども、リアリティがあるわけじゃないから。

ああ、なるほどね。

SS:なんか、むしろ世界的には評価されてるけど、ロサンゼルスのなかでは変なレーベルだと思われてるって、アマンダがインタヴューで答えてた気がする。それはすごいわかるな。情報と、実際の地元での感じ方って違うと思う。

倉本:そうだね。なんだろう、アメリカのインディ・ミュージックって超オーヴァーグラウンドと超アンダーグラウンドっていう二極だけじゃなくて、その間のグレーな部分がすごく広いんだよね。そこに細かいマーケットもいっぱいある。レコ屋同士のネットワークとか、ディストリビューター同士のネットワークとかももちろん、さっきのインターネットの音楽メディアとか。そこに多様な市場が成立してるってことが、たぶん唯一断言できる日本とアメリカのシーンの違いだね。

うん、うん。日本とUKなんかは、そのへんの構造は似てるのかも。

倉本:だから、いま挙がったレーベルなんかは、みんなそのグレーな領域にいるんだよね。かつその上でギリギリに食えてる。だから音楽メディアにしてもそのあたりの新しい動きはつねに求めてる、っていう。

SS:アメリカは、アンダーグラウンドはアンダーグラウンドでちゃんと支えるシステムができあがってる。ジャーナリストもパブリッシャーもそう。みんなそれで食べていかなくちゃいけないから、一生懸命アンダーグラウンドのものをプロモートするよね。だからすごくアングラな音楽とかでも、著作権料やら何やらが食えるだけ入ってきたりするの。それって、日本とかじゃありえないかも。そういうところはいいなって思うかな。

アメリカのインディ・ミュージックって超オーヴァーグラウンドと超アンダーグラウンドっていう二極だけじゃなくて、その間のグレーな部分がすごく広いんだよね。そこに細かいマーケットもいっぱいある。(倉本)

単純に真似のできない部分ですね。

SS:それぞれのアーティストも、ひとつだけじゃなくてたくさんのレーベルから出していたりするじゃないですか。各レーベルには各レーベルの性格とかファミリーがあるけど、アーティストはさらにそこにたくさんまたがっているから、それだけでものすごくストーリーがある。だから音楽が難しくっても、そういう人脈図とかストーリーがあることですごく理解しやすくなるのかもしれない。

ああ、たしかに外にいる人間のほうが、原理主義的に音で判断しようとして難しくとらえてしまうかもしれませんね。そう、わたし、倉本さんがいったい何で生活してるのかっていうのもいまひとつ謎なんだけどさ。倉本さんが言うような「LA的時間」――彼らにお願いしたら最後、ありえないほど時間かけてミックスしてくるとかね、そういう時間感覚がどうやったら生めるのかなって……

倉本:いや、それはただやつらがガンジャの吸いすぎっていうことだけどさ。

はは。まあまあ、そうかもしれないけどね、じゃあそんな彼らがどうしてそうやってゆったり生きていられるのかっていうところを知りたいんだよね。何で生活できてるの?

SS:それ、わたしも知りたい。

倉本:そんなのは人それぞれ。言えない事情も言える事情もあるだろうけれども。

SS:まあ、そうか。

そうなの? それは本当にただそれぞれに個別具体的な事情があるだけっていう、一般化できない種類のことなの? なんかさ、US的なシーンの構造を移植することが無理でも、シンセいじってタラタラっと生きていけるヒントみたいなものがあるんだったら参考にしたいじゃない。日本だと、どんなに余裕かましてるふうでも、どっかで必死にバイトしなきゃ生活できないでしょ。まあ、経済の仕組みの話になっちゃうかもしれないけど。

倉本:なんだろう、いろいろ思うんだけど、さっき彼女が言った小さいマーケットで経済が回るって話は、音楽に限らずサブカルチャー全般に対して言えることなんだよね。やっぱり教科書的な意味で歴史の浅い国だから、文化の長い蓄積がない。だから音楽でもアートでも何でも、そういう文化を穴埋めしようと人々が貪欲な気がする。もちろんクリスチャニティーとかもあるけど。ギャラリーにゴミみたいなもの並べといても、近所のおじいちゃんが入ってきたりするし、21時以降にゼロで爆音でライヴやったりもするし。まあ、近所の人が怒って怒鳴り込みにくる可能性はあるとしてもね。でもぜんぜん関係ない人が外から覗きにきたりとか、よくも悪くも緊張感がない。

なるほどね、やっぱ宅急便の到着がちょっと遅くてキレてるようじゃ、簡単にはいかないか。さて、そんな場所にね、おふたりともいままた向かおうとしているわけですが。晩秋に向けて、USツアー&大西洋放浪がはじまりますね。

倉本:話、とんだね! いいけどさ(笑)。

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旅の行程、2013秋

倉本:サファイア・スロウズのツアーはどんな感じなの? 誰と回るのかな。

SS:その都市によって違うんだけど、やっぱり〈NNF〉な感じ、〈シルク〉な感じだよ。あとはジャーナリズム系。まずトロントではザ・ディープ周辺が住んでるから、それ系の人たち。大きめのイヴェント会社がプロモートしてくれてる。モントリオールはEzlv。あとマリー・デヴィッドソンっていう女の子もいる。ダーティ・ビーチズの知り合い。ニューヨークはたまたま〈CMJ〉があるから、そこにかぶせて行くの。ニューヨークは最後までなかなか決まらなかったけど、友達のアーティストに訊きまくって、プロモーターとかにもメールしまくって、最終的にはけっこういっぱい入ったかな。〈デス・バイ・オーディオ〉でトーン・ホークとかとやるの。わたしルーク・ワイアット(トーン・ホーク)大好き。あとホワイト・ポピーもいる。〈ゴリラVSベア〉とか〈ユアーズ・トゥルーリー〉プレゼンツのイヴェントがあったりもする。そのあとボルチモア、フィラデルフィア。このへんはコ・ラと行くの。そのあとはコネチカットの大学。そこの生徒さんが呼んでくれて。

倉本:大学でやんの?

SS:うん。すごいリベラルな感じだよ? その後がメキシコ。メキシコはサファイア・スロウズをはじめたばっかりのときにミックスを作ってくれっていうレーベルがあって、その縁。ダメ元でメールを送ってみたら返事がきて。しっかり組んでくれたんだ。そこ、ちょっと前にディーン・ブラントとかモノポリー・チャイルド・スター・サーチャーズとかも喚んでて、わたしと音楽の趣味が似てそう。そういうアングラなアーティストをガンガン招いててさ、すごいよね。

飛び込みだったりするものなんですか?

SS:結局はレーベルのプロモート会社とか仲間のつながりかな。あとはアーティスト同士のリスペクトっていうか、「お前の音楽好きだから」みたいな関係。

あ、それは理想的というか、演る方もうれしいですよね。

SS:うん。楽しい。ビジネスにはならないけど、結局そういうのがいちばん気合入ってたりするから。ポスター作ってくれたり、デコレーションを気合い入れてやってくれたり。頼んでないのにいろいろやってくれる。仲良くなれるしね。

へえー。それは素敵ですね。ニューヨークだ、〈CMJ〉だ、ってなると、観ている側も腕組みしてそう。ショーケースとして値踏みされるというか。

SS:観てる人は批評家だったり。でも初めてだからそれも楽しみ。ぜんぜん違う雰囲気のところを回るから、わくわくしてますよ。それに、最後にロスなんですね。

ああ、最後にホームへと。

SS:そう。最後にホームだからリラックスできる。ちょうどその頃倉本さんもLAに戻ってくるしね。

倉本:いや、戻ってこれればいいんだけど。

ん?

SS:戻ってくればいいじゃん。

倉本:いや、片道しか買ってないんだよ、チケット。

ははっ、すごいね。転がる石のように。かっけー(笑)。

倉本:いや、じゃあオレの予定を説明すると、そういうのはないよ。毎回ないよ。目的とか。

そりゃ、片道切符じゃね(笑)。

倉本:そう。人の家転がって。それだけだよ。

会いたい人たちがいるし、その人たちと遊びやすい環境なんじゃないかな。何か特別にすることがなくても、集まっていたら楽しい。(Sapphire Slows)

でも、今回ヨーロッパが予定にあるのはなぜですか?

倉本:あんまり行ってなかったから。ヨーロッパにも好きなアーティストはいっぱいいるし、いままでコラボレーションとかアートワークとか、モノ作りの過程でコンタクトを取って仲良くなった連中もいっぱいいるからね。そういうやつらが実際何をどうやっているのかっていう現場も見たいし。

そこはさ、いざ行ってみたら「マジで来たの!?」みたいなことにはならないの?

倉本:まあでも、こんな変なことやってるやつらはたいていオープンだよ、そこは。東京でもそうだし、ヨーロッパでもどこでも。貧乏なクリエイター同士はそういうもんじゃないかなあ。

なるほどね、そういうなかではやっぱり、LAというのはひとつのホームではあるのかな。そこを最終的な目的地として行くわけだよね?

倉本:いや……。まあ、そこはメディカル・ウィードとかもあるけど(笑)。オレは西海岸が過ごしやすいってだけだから。

本当にツンだな。何しに行くの? 本当に、「今回はこれやって帰ってこよう」っていうような目的はないの?

倉本:いや、ピート・スワンソンをシバいてこようってのはあるよ。

SS:ははは!

ああ(笑)、来日させようと奔走してたもんね。

倉本:うん。まあ、それくらいだよ。他にシバきたいやつはとくにいないね(笑)。なんかある?

SS:わたしは一回しか行ったことがないからホームっていうのはないけど、前回行って出会った人たちに、もう一度会いにいきたい。でも、音楽的にはホームかもしれないね。

倉本:なんか、場所じゃないよね。オレも彼女もたまたまLAだったってだけだよ。仲良くなって気が合った連中がそこにいるっていうだけ。

SS:LAのビーチに行きたいとか、そういうのもない。

倉本:もちろんサイケデリックとか、スケートボードとか。あの周辺のカウンター・カルチャーの歴史には魅了されつづけているけど、いちばん大きいのは人だね。

SS:会いたい人たちがいるし、その人たちと遊びやすい環境なんじゃないかな。何か特別にすることがなくても、集まっていたら楽しい。スタジオも持ってたりするし、夜はクラブに出かけたりとか。

人っていうのは、今回キーになるお話ですね。

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物(モノ)をつくること・モノにやれること

さて、ではパッケージに寄せるフェティッシュな興味というところでもうひとつ訊きたいんですが。おふたりはべつにベタな懐古趣味でヴァイナルに向き合っているわけでもないですよね。

SS:メディアってことで言えば、アナログもCDも何でも、わたしにとってはどれも同じで――だって最初から全部あったものだから、どれが古いとか新しいとかあんまり感じない――、その中から何を選ぶかっていうだけなんですよね。年配の人がノスタルジーで買うというのともぜんぜん違うし。音楽ってかたちのないものだから、作品として考えたときに、どれだけの人の手がかかっているかっていうことはすごく大きいと思う。すごくその音楽が好きだとしても、MP3なのか、凝ったディティールを持って他人の手間を経て作られたものなのかで、少しこっちの気持ちも変わってくる。そこは、どんどんこれからの時代で変化していく指数だと思う。いまはハードが小さくなって、ほとんど何も持たなくていい。わたしくらいの年代だと、その意味でモノがないのが普通だから。その反動は、もしかしたらちょっとあるかもしれないけど。

さっき、モノを作る、とくにヴァイナルなんて作っちゃうことに「本気」を見るというお話がありましたけれども、これって、「ポスト・インターネット的な過剰な情報社会への素朴なアレルギー」みたいなロジックでアナログ志向を断罪するのとは違うレベルの話だと思うんですね。けっこうちゃんと語られていい部分だと思う。ロハス的なモチベでアナログ礼賛、っていうおめでたい話と違うよね。モノの後ろに定量化できない財があるというか――人の手間だったり、関係だったり。その視点はあんまり聞いたことがないですね。

SS:おんなじ内容でも、人の気持ちとか手間がかかっているものと、インスタントで出されたものだと、どっちを買うかっていうのは単純に迷うと思う。経済の話になってしまうけれど。

簡単に比べられないですよね。倉本さんはまさにレーベルを運営する身でもあって、作っている側の視点もあるかと思いますが、まずなんでそういうことをやってるの?

音楽ってかたちのないものだから、作品として考えたときに、どれだけの人の手がかかっているかっていうことはすごく大きいと思う。(Sapphire Slows)

倉本:オレの場合は単純で、制作ってことが自分にとっていちばん簡単なコミュニケーションだから。ポスターでもテープでもジャケットでもなんでもいいけど、何かフィジカルがあって、それを「はいよ」って渡すのがいちばんわかりやすいでしょ? 「僕はこれこれこういうことをやっておりまして」って会って説明するのもいいんだけど、オレにとっては音とかアートワーク方が早い。もうそれは、どう受け取ってもらってもいいんだよね。嫌いだったら嫌いでもいいし。

SS:うん。ビジネス・カード渡されて、「僕こういうことやってて、あとでリンク送るんで」って言われても絶対見ないもんね。

あははは!

倉本:オレ、それできないしね。得意ではないし、めんどくさいし。それに、オレがこうやってドリフトできるのも、そういうコミュニケーションというか、モノのおかげなんだよ。言語を超えていくコミュニケーションだと思ってる。

SS:普通のコミュニケーションが下手な人多いかも。

なるほどなあ。お金というか、貨幣ってさ、貯めるものじゃなくて、何かと交換するためのものでもあるわけでしょ? コミュニケーションというか。そういうアクティヴなお金みたいに働いてるんだね、作品が。

SS:いっしょにツアーを回ったりしても、そのアーティストにとっていちばんわかりやすいものはやっぱり作品で、「彼女はこういう人で……」って紹介されてもね。なんやねん? ってなっちゃう。

倉本:まあ、そこで好奇心をそそられればべつにいいんだけど。僕らの世代もなかなかドライだから、言葉で言われたからってそいつのリンク先までにはなかなか行かないよね……。よっぽどのことだよ。でもフィジカルがあってトレードして、ってことになると、そこに生まれるつながりってすごく印象的なものになるし、否応ないところがあるから。

SS:音楽を聴いてもらうって簡単なことじゃないから。

ああー。

倉本:うん、簡単じゃないよね。

SS:インターネット広告をクリックするかどうかくらいの難しさがあるかな。すごくハーロルが高いと思う。

倉本:いまはほんと、大変だよね。

SS:どこクリックしても音が鳴るからね。

ははは。たしかに(笑)。

倉本:でも僕はちょっと事情が違っていて、いちアーティストとして自分の音を聴いてほしいっていうモチヴェーションがないからなあ。もっとすごく個人的な作業なんだよね。自分の快楽のためにやっちゃってるだけというか。そこはサファイア・スロウズとか、ちゃんとアーティストとしてやっている人とは違うかもしれない。たまたまおもしろいと言ってくれる人がいたり、気が合ったりする人がいるだけでね。
 でもなあ……。なんだろう、やっぱりモノじゃないと聴かないよねー?

ああ……、その言葉はね、深いよ(笑)。思っている以上に。

SS:わたしは、本当に、聴いてもらわないと何もはじまらないから。おもしろいもので、海外からアーティストが来たときとか、わたしが行ったときとか、初めはみんなわたしに超冷たいの。

ええー。

SS:冷たいっていうか、よそよそしいっていうか。日本人の女の子ってやっぱりちょっと浮くし、単純にわたしの見た目から、サファイア・スロウズが鳴らすみたいな音って全然想像つかないでしょ? それはよくわかるんだけど、でもライヴをした後は超態度が変わる! 納得するんだと思うの。音楽を聴いて。だから、どんなに説明したって無駄で、音楽を聴いてもらう以外に方法がない。

倉本:救われるんだ、そこで。

SS:うん、救われる。

倉本:いいっすね、それは。

SS:みんな自分の音楽を好きかどうかはともかく、とりあえずそこで初めて認めてもらえて、対等になる。そこで急にいろいろ話しかけられはじめるの。ナイト・ジュエルたちもそうだった。ライヴが終わったあとに距離が詰まる。


オレがこうやってドリフトできるのも、そういうコミュニケーションというか、モノのおかげなんだよ。言語を超えていくコミュニケーションだと思ってる。(倉本)

倉本:まあ、あとは、懐古趣味に戻るっていうのも、オレはわかるけどね。そういうフェティシズムはすごくあるから。カセットもヴァイナルもモノとして好き。アートワークは単純にCDよりも大きいほうがいい。

うん。それも結局は大きいというか、それなしには生まれてこないものかもね。

倉本:アナログ・シンセが好きっていうのも同じだよ。ソフトウェア・シンセもぜんぜんオッケーだし、ライヴだってそれで足りるだろうけど、単純にアナログ・シンセが好きだから。オレの場合、制作がシルクスクリーンだったり、モジュラーシンセだったりするけど、それって誰もが使えるわけではないでしょ。いちおう習得してる技術なわけで。そういうものを持っていると、なんていうか、黙っていられる。職人でいたい。

ああー。

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それが国内だとはかぎらない

倉本:うん。それに、わざわざテープ作るとかバカバカしいことをやっている時点で、人とコミュニケーションを取れる可能性が生まれてもいる。誰でもできるけど、たまたまバカバカし過ぎて人がやっていないということをね。やっぱりそういうのがいちばん好き。

SS:うん。わたしたちのやっていることなんて何の価値もないかも。

倉本:そうね。

活きた手段として、あるいはそのまま実存として、アナログ・メディアがあるんだね。

SS:どっちかというと、倉本さんはアートワークじゃん。わたしは中身をやってる。その違いは少しあるかも。

倉本:でも、サファイア・スロウズが〈NNF〉とか〈BIG LOVE〉から出してるのは、すごく彼女のヴィジョンに合っていることだと思うから、その点――自分のヴィジョンに合ったところにちゃんと収まってるっていうところでは、オレも同じだと思う。

SS:自分とピタッとあった場所を探し当てるというのは、みんななかなかできないことかもしれないけど――

倉本:いや、ないのかもしれないよ。ピタッと合う場所なんて。

SS:ああ、そうなのかなあ。

ひとつ言えるのは、自分が想像しているよりもいい環境っていうのは、じつはあるっていうこと。(倉本)

そっか、自分たちは幸運だということ?

倉本:うーん。ただ、ひとつ言えるのは、自分が想像しているよりもいい環境っていうのは、じつはあるっていうこと。

ああー。

SS:うん。生きていけるところってあるよ。

倉本:「あー、なんか新しいことやりたいと思ってるんだけど、やりづれえな」って思ってるような人がいても、わりとどっかにあるんだよ。べつに、国内でも。

SS:うん、本当にそう。そこにたどり着く手段って絶対あるよ。

倉本:それはネットを見ててもなかなか見つからないから、動くしかないんだけどさ。オレがサファイア・スロウズでいちばんすげぇなって思ってるのは、すごくオープンなところなんだよね、何に対しても。

そうなんだねえー。

SS:そうなのかな……。

倉本:うん。オレはもう、超排他的なアナログ野郎だけどさ。「あのバンドどうっすか?」「クソっすよ」みたいなね。

はは。まあ、「すべてがクソ」ってことにおいて逆にすべてにオープンだという感じもあるけどね。

SS:ははは。ぜんぜんわかんない!

倉本:それは……ないけどね。

(笑)

倉本:まあ、とにかく、彼女は日本人離れしてるくらいに物事に対して偏見がないと思うし、人に対して閉じてないよ。

なるほどなあ。

倉本:それが、音楽とか活動にも通じていってるのかもしれないし。

SS:閉じたくなる人もいっぱいいるけどね。でも、いますごくうまくいっていると思う。

ポジティヴな状況なんですね。あ、でも偏見なく物事に接すると、そうネガティヴってこともなくなるのかな。「ガラパゴス」という表現に顕著なように、ここしばらくは閉じることに一種の開き直りを見せる考え方にも影響力があったので、おふたりのお話は新鮮な感じがしました。ツアー、気をつけて行ってきてくださいね!


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