「LV」と一致するもの

Boris - ele-king

 去る4月末から1か月半にわたって欧州をツアー中のBoris。今週末マドリードのプリマヴェーラ・サウンドにて掉尾を飾る彼らだが、新たなニュースが届いている。
 Borisのキャリアにおいて重要な1枚に位置づけられる2002年の『Heavy Rocks』が、なんとジャック・ホワイト主宰のレーベル〈Third Man Records〉(最近はジーナ・バーチもリリース)よりリイシューされることになった。
 またこの再発を記念し、8月から10月にかけ、USオルタナの雄メルヴィンズとのダブル・ヘッドライナーとなるUSツアーも決定している。結成30年を超えて突き進むBoris、依然とどまるところを知らないようだ。

Boris 2002年の名作『Heavy Rocks』がThird Man Recordsからアナログ再発決定!MELVINSとの合同ツアーも開催!

Borisが2002年に発表した『Heavy Rocks』のオリジナル・リリースはBorisの本拠地である日本国内のみで流通し、世界中のリスナーが長らくこのアルバムのフィジカル・コピーを熱望していた。リリース当時、レコードのプレス作業中に工場で火災が発生しスタンパーが消失。そのためアルバムは何年もの間入手不可能となり、世界的なカルト・クラシックとなっていた。

Third Man Recordsから再発は8月18日にデジタル・リリース、9月8日にCDと2枚組LPで発売となる。

またこのリリースを記念し世界のヘヴィー・ロックを共に牽引してきた盟友であるMELVINSとの合同ツアーが開催される。
Borisは『Heavy Rocks』をMELVINSは『BULLHEAD』と共にそのキャリアの重要作を再現する。

Boris + Melvins, on tour:

August 24 Los Angeles, CA @ Belasco Theater
August 25 Pomona, CA @ Glass House
August 26 Fresno, CA @ Strummer’s
August 27 San Francisco, CA @ Great American Music Hall
August 28 San Francisco, CA @ Great American Music Hall
August 29 Petaluma, CA @ Mystic Theatre
August 31 Portland, OR @ Roseland Theater
September 1 Seattle, WA @ The Showbox
September 2 Spokane, WA @ Knitting Factory
September 3 Bozeman, MT @ The ELM
September 5 Fargo, ND @ The Hall at Fargo Brewing Company
September 6 Minneapolis, MN @ Varsity Theater
September 7 Milwaukee, WI @ The Rave II
September 8 Chicago, IL @ The Metro
September 9 St. Louis, MO @ Red Flag
September 11 Indianapolis, IN @ The Vogue
September 12 Grand Rapids, MI @ Pyramid Scheme
September 13 Detroit, MI @ St. Andrews Hall
September 14 Cleveland, OH @ Beachland Ballroom & Tavern
September 15 Pittsburgh, PA @ Roxian
September 16 Maspeth, NY @ DesertFest NYC
September 18 Albany, NY @ Empire Live
September 19 Boston, MA @ Paradise Rock Club
September 20 Bethlehem, PA @ MusicFest Cafe
September 21 Philadelphia, PA @ Brooklyn Bowl Philadelphia
September 22 Washington, DC @ The Howard Theatre
September 23 Virginia Beach, VA @ Elevation 27
September 24 Carrboro, NC @ Cat’s Cradle
September 26 Nashville, TN @ Brooklyn Bowl Nashville
September 27 Atlanta, GA @ Variety Playhouse
September 28 Savannah, GA @ District Live
September 29 Birmingham, AL @ Saturn
September 30 New Orleans, LA @ Tipitina’s
October 2 Houston, TX @ Warehouse Live - Studio
October 3 Austin, TX @ Mohawk
October 4 Dallas, TX @ Granada Theater
October 5 Oklahoma City, OK @ Beer City Music Hall
October 6 Tulsa, OK @ Cain’s Ballroom
October 7 Lawrence, KS @ The Bottleneck
October 9 Denver, CO @ Summit
October 11 Albuquerque, NM @ Sunshine Theater
October 13 Tempe, AZ @ Marquee Theatre
October 14 San Diego, CA @ House of Blues

Ryuichi Sakamoto - ele-king

 坂本龍一のソロ楽曲を集めたコンピレーション『Travesía』(英語で「journey」の意)が〈Milan Records〉からリリースされている。〈Milan〉といえば、これまで海外で坂本の『async』や『ASYNC - REMODELS』などをリリースしてきたUSのレーベルだ。
 キュレイターは映画監督のアレハンドロ・イニャリトゥ。『レヴェナント: 蘇えりし者』で共同作業をした際に、今回の選曲を依頼されていたという。当初はイニャリトゥ自身の誕生日のためのコレクションになるはずだったが、坂本の逝去を受け彼の回顧録として公開。収録されているのは下記の20曲。フィジカルでも2CD盤(RZCM-77722A)、2LP盤(RZJM-77720A)が5月3日に発売されている。

Travesía
Tracklist:
01. Thousand Knives
02. The Revenant Main Theme (Alva Noto Remodel) *未発表音源
03. Before Long
04. Nuages
05. LIFE, LIFE
06. Ma Mère l’Oye
07. Rose
08. Tokyo Story
09. Break With
10. Blu
11. Asadoya Yunta
12. Rio
13. Reversing
14. Thatness and Thereness
15. Ngo/bitmix
16. +Pantonal
17. Laménto
18. Diabaram
19. Same Dream, Same Destination
20. Composition 0919

Milan公式サイト:
https://www.milanrecords.com/release/travesia/
commmonsmart:
https://commmonsmart.com/collections/compilations

 そしてもうひとつ、最新情報をお知らせしておこう。坂本龍一のマネージメント・チームにより彼の「最後のプレイリスト」が公開されている。自身の葬儀でかけるために生前、坂本本人が選曲していた33曲のコレクションで、バッハやラヴェル、ドビュッシーといった彼のルーツにあたる曲からデイヴィッド・シルヴィアンアルヴァ・ノトのような彼のコラボレイターたちの曲までをピックアップ。最後はなんとローレル・ヘイローで締められている。同時代の音楽への関心を失わなかった坂本らしいプレイリストだ。

Yo La Tengo - ele-king

 COVID-19というパンデミックがもたらした衝撃は、三波にわたり音楽を襲ったようだ。

 第一波は、フィオナ・アップルの『Fetch the Bolt Cutters』のようなアルバムで、パンデミック以前に作曲・録音されたものだが、閉塞感や孤立というテーマ、また、自宅で制作されたような雰囲気が、ロックダウン中のリスナーの痛ましい人生と、思いもかけぬ類似性を喚起した。

 第二波は、2020年の隔離された不穏な雰囲気の中で録音された作品群のリリース・ラッシュである。ニック・ケイヴとウォーレン・エリスの『Carnage』のように、緊張感ただよう分断の感覚を音楽に反映させたケースもあった。ガイデッド・バイ・ヴォイシズの『Styles We Paid For』では、離れ離れになってしまったロック・ミュージシャンたちが、電子メールで連絡を取り合いながら、デジタルに媒介された現代において失われつつある繋がりについて考察している。また、パンデミックによるパニック状態を麻痺させようと、アンビエントな音の世界に浸ることで、絶叫したくなるような静けさの中に安心感を生み出そうとしたアーティストたちもいた。ヨ・ラ・テンゴが短期間でレコーディングした、即興インストゥルメンタル・アルバム『We Have Amnesia Sometimes』の引き延ばされたようなテクスチャーとドローンは、一見するとこの後者の反応に当てはまるように思われる。

 しかしながら、この作品は、パンデミックが音楽にもたらした第三の波、つまり、リセットと再生という方向性を示しているのかもしれない。そこで登場するのが、このバンドの最新アルバム『This Stupid World』である。

 ヨ・ラ・テンゴについて、「過激な行動」や「激しい変化」という観点から語るのは、誤解を招く印象を与えるかもしれない。このバンドは、1993年の『Painful』で自身のサウンドを確立して以来、30年間にわたってその領域を拡張してきたわけだが、彼らがいままでに作ってきたどんな楽曲を聴いても、すぐに「これはヨ・ラ・テンゴだ」とわかるバンドである。それは、彼らの音楽がすべて同じに聴こえるという意味ではなく、彼らがいま占めている領域が、紛れもなく彼らのものであるように感じられるということだ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが、わずか5枚のアルバムで切り開いた道は、いまやヨ・ラ・テンゴが20枚近いアルバムで包括的に探求し、拡張しており、たとえ彼らがその道の先駆者でなかったとしても、ヨ・ラ・テンゴこそがこれらの道を知り尽くした、影響力ある道案内だと言っても過言ではないだろう。

 簡単に言うと、ヨ・ラ・テンゴは自分たちがどのようなバンドであるかを理解しているのだ。彼らが長年にわたって起こしてきた変化というのは、総じて、甘美なものと生々しいものの間の果てしない葛藤に対して、様々な取り組みをしてきたことによる質感の移り変わりであると言える。彼らは、身近にあるツールを使って、角砂糖から血液を抽出するための様々な方法を模索してきたのだ。そして、ここ10年間は『Fade』や『There’s a Riot Going On』のようなアルバムにおいて、その過程のソフトな一面の中に、彼らが抱えている様々な不安を包み込んでいる傾向があった。

『We Have Amnesia Sometimes』は、ある意味、そのような優しい世界への旅路の集大成のように感じられた。だが一方で、この作品は、メンバーだけが練習室にこもり、中央に置かれた1本のマイクに向かって演奏したものが録音されたという、非常に生々しいアルバムでもあった。その撫でるような感触は確かに心地良いものだったが、このアルバムはメロディーを削ぎ落とし、彼らがノイズと戯れ、ポップな曲構造から完全に遊離したもので、ジョン・マッケンタイアがプロデュースを手がけた『Fade』にあった滑らかなストリングスのアレンジメントからは完全にかけ離れていたものだった。それはリセットだったのだ。

 では、『This Stupid World』はどのような作品なのだろうか。バンドは今作のプロダクションにDIY的なアプローチを全面的に取り入れており、7分間のオープニング曲 “Sinatra Drive Breakdown” から、かすれたような、粘り強い前進力がこのアルバムに備わっている。規制が緩和され、パンデミックより先のことが考えられるようになったとき、音楽シーンにいる多くの人が感じたものがあったが、それは、周囲の快適さが、抑圧されていた衝動に取って変わり、その衝動が爆発する出口を求めているという感覚だった。この曲はその感覚を捉えている。新鮮な気持ちで世界へと飛び出し、全てを再開するという感覚。再び人と会い、再び何かをしたいと思い、再び一緒に音を出す。もう2年も無駄にしてしまったのだから、いまこそが、それをやるときなのだ。

 同時に、ヨ・ラ・テンゴが確実にヨ・ラ・テンゴであり続けていることは、決して軽視すべきことではない。A面の最初の数秒から、ヨ・ラ・テンゴであることはすぐに認識でき、彼ら自身もそのことに対して完全な確信を持っている。『This Stupid World』は、彼らの過去30年におけるキャリアのどの時点でリリースされてもおかしくないアルバムであり、誰にとっても驚きではなかっただろう。このアルバムの48分間は、3面のレコード盤という、通常なら忌まわしいフォーマットで構成されているのだが、ヨ・ラ・テンゴらしい遊び心と妙な満足感がある。A面は、ゾクッとするようなディストーションと力強い威嚇が暗闇から唸り声を上げ、2曲目の “Fallout” はバンドがこれまで書いた曲の中で最も快活で生々しいポップ・ソングであり、A面を締めくくる “Tonight’s Episode” は、絶え間なく鳴り続けるフィードバック音の中、シンプルなグルーヴが柔らかに跳ねている。B面では、ジョージア・ハブリーがヴォーカルを取って代わり、“Aselestine” では最も甘美なスポットライトが彼女に当たり、ヨ・ラ・テンゴの抑えの効いたサウンドへの基調が打ち出されていく。そして、最終的には、メロディーと、むさ苦しいノイズ・ロック、テクスチャーのあるドローンといった、彼らのコアとなるスタイルへと回帰する。B面の最後は、永遠にループする仕様(ロックド・グルーブ)になっており、これはちょっとしたイタズラ心か、あるいはアルバム最後の2曲を聴くために、最後のレコードを取り出す時間をリスナーに与えるためのものだろう。

 最後の面では、ヨ・ラ・テンゴのノイズ・ロック的な側面がさらに深く掘り下げられており、何層にも重なったフィードバックとディストーションの中にリスナーを没入させていく。“Fallout” が、はるか彼方の海底からつぶやくように再び現れると、音楽は音程を外すように溶け出し、シンセ・ドローンの疲れながらも希望感ある流れに取って代わり、その雰囲気からデヴィッド・リンチを彷彿とさせるようなドリーム・ポップが浮き彫りになる。この2曲は、このアルバムを見事に締めくくるトラックであり、ここ数年ロウが追求してきた、激しい音の暴力と心が震えるような美しさの衝撃的な共存というものに、ヨ・ラ・テンゴがいままでになく近づいていることを示す2曲ではないだろうか。だが彼らはそれをヨ・ラ・テンゴらしく、最初から最後までやり遂げている。彼らは自分たちが何者であるか知っているが、『This Stupid World』では、その認識がより一層強く感じられるのだ。


by Ian F. Martin

The shock to the system delivered by the COVID-19 pandemic seems to have hit music in three waves.

The first was with albums like Fiona Apple’s “Fetch the Bolt Cutters”, written and recorded before the pandemic but where the theme of being trapped and the secluded, homemade atmosphere evoked unexpected parallels with the bruised lives of locked-in listeners.

The second was the initial rush of releases that were recorded in the atmosphere of isolation and unease of 2020. In some cases, like Nick Cave and Warren Ellis’ “Carnage”, this meant channeling that tense sense of fragmentation into the music. In Guided By Voices’ “Styles We Paid For” it meant dispersed rockers working by email to reflect on the loss of connection in digitally mediated lives. Others sought to anaesthetise the panic, using ambient sonic furniture to craft a sense of security out of the screaming silence. It’s this latter response to the situation that the drawn-out textures and drones of Yo La Tengo’s speedily recorded, improvised instrumental album “We Have Amnesia Sometimes” seemed on the face of it to fall into.

However, it perhaps also points the direction towards a third wave of influence brought to music by the pandemic: one of reset and even rejuvenation. It’s here that the band’s latest album, “This Stupid World” comes in.

Talking about Yo La Tengo in terms of radical moves and sharp shifts often seems like a misleading way to discuss them. This is a band where, at least since the expansion of their sound mapped out in 1993’s “Painful”, you can hear almost anything they’ve done over those thirty years and instantly know it’s them. This is not to say that their music all sounds the same so much as that the territory they occupy now feels so indisputably theirs. Paths blazed by The Velvet Underground over a mere five albums have now been explored and expanded by Yo La Tengo so comprehensively over nearly twenty albums that even if they weren’t the first, they’re these roads’ most immediately recognisable travellers and most influential stewards.

To put it simply, Yo La Tengo know what sort of band they are. The ways they have changed over the years have generally occurred in the shifting textures of their varying approaches to the endless struggle between the sweet and the raw — in finding different ways, with the tools at hand, to get blood from a sugarcube — and over the past decade or so, albums like “Fade" and “There’s a Riot Going On” have tended to wrap up whatever anxieties they have in the softer side of that process.

In some ways, “We Have Amnesia Sometimes” felt like a consummation of that journey into gentle fields. It was also a very raw album, though, recorded by the band alone in their practice room, playing into a single centrally placed microphone. There was certainly something soothing about its caress, but it was an album that stripped away melody and let them play with noise, liberated entirely from pop song structures — as far as the band has ever been from the smooth string arrangements of the John McEntire-produced “Fade”. It was a reset.

So what does that make “This Stupid World”? Well, the band have fully embraced a DIY approach to production, which from seven-minute opener “Sinatra Drive Breakdown” gives the album a scratchy, insistent forward momentum. It captures that feeling many of us in the music scene felt as restrictions relaxed and we start thinking beyond the pandemic, the comfort of the ambient giving way to a repressed urgency seeking an outlet from which to explode. The feeling of lurching out into a world where we are starting again, fresh: meeting people again, wanting to do something again, making a noise together again. We’d wasted two years already and now was a time to just do it.

At the same time, it’s important not to understate the extent to which Yo La Tengo are always definitively Yo La Tengo. From those first few seconds of Side A, the band are immediately recognisable and completely assured in themselves — “This Stupid World” is an album they could have released at any point in the past thirty years and surprised no one. Even in how the album’s 48 minutes are sequenced over the usually cursed format of three sides of vinyl manages to be both playful and strangely satisfying in a distinctly Yo La Tengo way. Side A growls out of the darkness in squalls of thrilling distortion and reassuring menace, second track “Fallout” as fizzy and raw a pop song as the band have ever written, and side closer “Tonight’s Episode” hopping softly around its simple groove beneath a constant hum of feedback. Side B flips the story with Georgia Hubley taking vocals for one of her sweetest spotlight moments in “Aselestine”, setting the tone for a tour through the band’s more sonically restrained side, eventually returning to their core conversation between melody, skronky noise-rock and textured drones. It ends on a lock-groove — perhaps born from a sense of mischief or perhaps to give the listener time to whip out the last disc for the final two songs.

The final side digs even deeper into Yo La Tengo’s noise-rock side, immersing the listener in layers of feedback and distortion, “Fallout” reappearing in a distant, submarine murmur before the music slips out of tune and dissolves, giving way to tired but hopeful washes of synth drone, crafting Lynchian dreampop out of the the ambience. These two tracks make for an intriguing exit to the album, and together form perhaps the closest the band have yet come to the devastating coexistence of harsh sonic violence and heart-stopping beauty explored over the last few years by Low. They way they do it is Yo La Tengo all the way, though: they know who they are, but on “This Stupid World” they’re just more so.

Boris - ele-king

 去る2022年、30周年記念アルバム『Heavy Rocks』をリリースしたBoris。同作を引っ提げたツアーは北米、オーストラリアをめぐり終え、今月末からは欧州ツアーがはじまる(最終日は6月8日、スペインのプリマヴェーラ・サウンド)。それに先がけ、昨年LAおよびサンフランシスコでおこなわれたパフォーマンスの映像が公開されている。チェックしておきましょう。

Ryuichi Sakamoto - ele-king

 およそ6年ぶりのオリジナル・アルバムにして生前最後のアルバムとなった『12』。アナログ盤も発売されているのだが、初回生産限定盤(RZJM-77655~6)はそっこうで完売、一昨日の4月5日に発売となった通常盤(RZJM-77717~8:「自筆スケッチ | 譜面 プリント」は付属せず、またカラーヴァイナルではない黒盤)も品薄となったため、追加プレスが決定した。入荷時期などはまだ明かされていないため、随時公式サイトをチェックしておきたい。『12』の試聴・購入はこちらから。

Tribe Original Metal Lapel Pin - ele-king

 70年代スピリチュアル・ジャズを代表するデトロイトのレーベル、〈Tribe〉。豪華ボックスセットの発売に続いて、〈Pヴァイン〉のVINYL GOES AROUNDより新たなアイテムの登場です。今回はレーベル・ロゴがあしらわれた金属製のおしゃれなピンバッジ。金・銀・赤・緑の4ヴァージョンがあります。例によって限定品とのことなので、欲しい方はお早めに!

70年代ジャズを語る上では超重要なレーベル、TRIBEのオフィシャル・ピンバッジが登場!

1972年のデトロイトで発足したレーベル、TRIBE。ウェンデル・ハリソンとフィル・ラネリンが中心となり設立され、人種差別などのアフリカ系アメリカ人達が直面していた問題と戦いながら、生活や社会がより良くなるよう、音楽やメディア、イベントなどを通してメッセージを発信。その活動はHIP HOPやテクノなど、90年代以降のクラブ・ミュージック文脈で高く評価されました。VINYL GOES AROUNDではそのレーベル・ロゴのオフィシャル・ピンバッジを販売します。一本の矢を挟んで外側に向いた2つの顔が並ぶフォルムの、細かな部分までが表現された金属製ピンバッジ。これはまさにTRIBEの哲学が宿ったと言えるプロダクトです。

今回も超限定ですのでお早めにお買い求めください。

https://vga.p-vine.jp/tribe/vga-1037/

TRIBE ORIGINAL METAL LAPEL PIN

VGA-1037
TRIBE ORIGINAL METAL LAPEL PIN
GOLD
1200円 (With Tax ¥1,320)

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TRIBE ORIGINAL METAL LAPEL PIN
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1200円 (With Tax ¥1,320)

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TRIBE ORIGINAL METAL LAPEL PIN
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1200円 (With Tax ¥1,320)

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TRIBE ORIGINAL METAL LAPEL PIN
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1200円 (With Tax ¥1,320)

※ピンバッジの発送について
現在、COVID‑19の影響で日本国外への発送に制限があります。
小さなピンバッジですが、一つでも送料が高くなってしまいますので、他の商品と合わせたご購入をお勧めいたします。
※1万円以上のお買い上げで日本国内は送料が無料になります。
※ご注文頂いた商品は、発送準備が整い次第発送します。
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interview with Lankum - ele-king

 ノイズもエレクトロもアンビエントもヒップホップも現代音楽も飲み込んだ21世紀型アイリッシュ・フォーク・シーンの最前線に立つランクム。通算4作目となる3年半ぶりの新作『False Lankum』に感嘆すると同時に、これほどの傑作が日本では発売されないと聞いて驚いている。欧米メディアで大絶賛された2019年の前作『The Livelong Day』も素晴らしかったが、この新作では自分たちの音作りの特徴──強力なドローン、深い陰影、繊細なノイズ等々を活かしつつ、音楽的洗練度が格段にレヴェルアップしているのだ。
 全12曲は、5曲のトラッド・ソング、2曲のカヴァ、3つのインスト小曲を含む5曲のオリジナル曲という構成になっており、アルバム全体で大きな物語を描いているような印象。ドラマティックである。

 日本ではまだほとんど無名なので、改めて簡単にバンドを紹介しておこう。ランクムは、ダブリン出身のイアン・リンチ(Ian Lynch:イリアン・パイプス/ティン・ホイッスル/ヴォーカル)、ダラグ・リンチ(Daragh Lynch:ギター/ヴォーカル)のリンチ兄弟と、コーマック・マクディアーマダ(Cormac MacDiarmada:フィドル/ヴォーカル)、そして紅一点レイディ・ピート(Radie Peat:コンサーティーナ他/ヴォーカル)から成る4人組。2000年代前半からリンチ兄弟がやっていたパンク&サイケ・テイスト溢れるフォーク・デュオ、リンチド(Lynched)に伝統音楽シーンで腕を磨いてきたコーマックとレイディが加わった14年にランクムへとバンド名を変え、アイルランドのトラディショナル・フォークに本格的に取り組むようになった。
 これまでにリンチドとして『Where Did We Go Wrong ?!』(04年)と『Cold Old Fire』(14年)、ランクムとして『Between The Earth And Sky』(17年)③と『The Livelong Day』(19年)をリリースしてきたが、リンチドの2枚目『Cold Old Fire』にはコーマックとレイディが既に参加しており、実質的にはこれがランクムの1作目とみなされてきた。

 コロナ禍のロックダウン期間中にじっくりと時間をかけて制作されたというこの新作について、リーダーのイアン・リンチに詳しく語ってもらった。
 なお、過去の原稿では彼らのバンド名を「ランカム」と表記してきたが、今回から「ランクム」に変えさせていただく。

DIYパンク・シーンで活動してきたという背景があるから、巨大レーベルやメインストリームな音楽業界に対する不信感が十分に培われているんだよ。そして年齢を重ねるごとに、それはすべて実際その通りだということがわかってきた。

新作の素晴らしさに感嘆しました。音作りに関して、あなたたちの頭の中にはどのようなヴィジョンやコンセプトがあったのですか?

イアン・リンチ(Ian Lynch、以下IL):アルバムの制作開始時にあった唯一の考えは、前作『The Livelong Day』のサウンドを拡張しようということだった。つまり、ダークな部分はよりダークに、綺麗な部分はより綺麗に、繊細な部分はより繊細にというように、『The Livelong Day』のサウンドのあらゆる側面を押し広げようとしたんだ。俺たちは、あのアルバムのサウンドにとても満足していたから、過去10年間に描いてきた軌道に乗ったまま、サウンドの拡張を続けようとしたんだ。作業が進むにつれ、それ以外のアイデアも色々と出てきたけれど、アルバム制作に向けた最大のコンセプトはサウンドを拡張するということだった。最終的にどんなアルバムができるかは、やってみないと自分たちでもわからなかった。

アルバム・タイトルの『False Lankum』に込められた意図について説明してください。

IL:俺たちのバンド名であるランクムの由来は古いバラッドで、そのタイトルが「False Lankum」というんだ。だから自分の頭の中には常にその言葉があった。2014年にバンド名をリンチド(Lynched)からランクムに変えたときも、当初のアイデアでは「False Lankum」にしたいと思っていたんだよ。とても気に入っているタイトルだからね。今回、アルバム・タイトルを『False Lankum』にしたのは、少し曖昧というか不明瞭な感じを持たせたかったからなんだ。俺たちの過去のアルバムのタイトルはすべて、曲の一部からの引用だったけど、今回のアルバム・タイトルは、人々が疑問に思うような、よくわからない感じにしたかった。「False Lankum(=虚偽のランクム)」とは何だろう? 「False Lankum」があるということは、「True Lankum(=真実のランクム)」もあるのだろうか? ……という疑問をリスナーに抱かせたかったんだ。俺たちがランクムとして表現していることは、俺たちの真の形、全体像ではないのかもしれない……そんな疑問。たとえば今回のアルバムの曲に “The New York Trader” というのがあるんだけど、それは、いままでの人生で悪事ばかり働いてきたジョナという名の奴が船に乗っていて、彼のせいで、船全体が危機的状況に陥ってしまい、船員たちは自分たちの命を救うために彼を船から追放しなければいけないという話なんだ。つまり、もしそれ(=ジョナ)が俺たちだったら? ということ。ランクムはアイルランドの伝統音楽を救うためにいるのではなく、破壊するためにいて、ジョナのように俺たちが船から追放されるべき存在だったらどうする? そんなことを考えていたんだ。まあ、あまり言葉で説明したくないんだけど(笑)、意図としてはそういうことだよ。

前作『The Livelong Day』はメディアでの評価が非常に高かったから、今回はプレッシャーが大きかったのではないですか?


Lankum『The Livelong Day』

IL:いや、あまりプレッシャーはなかったよ。まあ、アルバムを作るたびにある程度のプレッシャーはあるだろう。特に、前作のできが良いと、次の作品にも前作と同じくらいの期待がかけられる。そういう外部からのプレッシャーはあるけれど、俺たちは、音楽を作っているこの4人の身内サークル内にそういったプレッシャーは持ち込まないようにしている。というか、あまり意識していない。俺たちにとって大切なのは、アルバムの音を誰よりも先に聴いて、自分たちがその音に満足し、それを誇りに感じられるということだから。いままでもそういう意識でアルバムを作ってきた。前作も、音源をマスタリングに出す前の状態で、俺たちは自分たちが作り上げたものにとても満足していた。今回のアルバム制作には約2年という長い時間をかけた。すべてにおいて自分たちが100%納得するまでは外に出さない。そして、外に出す時点で俺たちは、他の人がアルバムについてどう思うのかということは気にしていない。今回のアルバムに関しては、長年のファンの中にはこれを気に入ってくれない人もいるかもしれないと思ったけれど、それは仕方のないことだと単純に思えた。たとえそうなっても、俺たちまったく気にしないよ。

今回の制作にあたり、〈ラフ・トレイド〉からは何か注文や要望はありましたか?

IL:俺が知っている範囲ではないし、あったとしても、俺自身は何も言われていない。レーベルがマネジャーに色々と注文していて、マネジャーが密かに俺たちの脳にアイデアの種を植えたり洗脳したりしているのかもしれないけど……いや、それも多分ないと思う(笑)。〈ラフ・トレイド〉と仕事ができるのはとても素晴らしいことだよ。メジャー・レーベルと契約したバンドからは酷い話をよく聞くからね。そもそも俺には、DIYパンク・シーンで活動してきたという背景があるから、巨大レーベルやメインストリームな音楽業界に対する不信感が十分に培われているんだよ。そして年齢を重ねるごとに、それはすべて実際その通りだということがわかってきた。でも、俺たちと〈ラフ・トレイド〉の関係はとても良好だ。俺たちの音楽的ヴィジョンを自由に追求させ、それを応援してくれる。彼らのアプローチもライトというか、あまり介入してこない。本当に素晴らしいと思うよ。同じようなアプローチでやっているレーベルは他にあまりないと思うから、そういう意味では非常に恵まれていると思うな。

ある曲の中には、セロリが育つ音がピッチダウンされた状態でどこかに忍ばせてあるんだよ。そういう細かいことをたくさんやったから、今回のアルバムではどの曲も、ものすごい数のレイヤーが含まれている。

前作『The Livelong Day』に対する反応で、特に嬉しかったもの、印象深かったものはどういったこと(言葉や事象)でしたか?

IL:アルバムに対する嬉しい反応やコメントはたくさんあったよ。特に感激したのは、ノルウェーのバンド、ウルヴェル(Ulver)の反応だった。彼らが90年代にリリースしたブラック・メタルのアルバムの何枚かは俺がとりわけ好きな作品で、彼らはその後も素晴らしいエレクロトニック音楽を作り続けていた。そんな彼らがランクムのヴィデオ・クリップをSNSにアップしてくれたんだ。「オーマイガッド!!!」と感激したよ。それからアメリカのロード・アイランド州プロヴィデンス出身のアーティスト、リングア・イグノタ(Lingua Ignota)がランクムもやっているトラッド・ソング “Katie Cruel” のカヴァーを発表したときに、インスピレイション源としてランクムの名を挙げてくれたんだ。彼女の音楽は大好きだからすごく嬉しかった。


Lingua Ignota “Katie Cruel”

 あと、イギリスのザ・バグ(The Bug=ケヴィン・マーティン)も俺たちのアルバムを高く評価してくれて感激した。俺たちが大好きな音楽を作るアーティストや尊敬するアーティストにランクムの音楽がようやく届くようになったということがすごく嬉しかった。仲間というか、同じような活動をしている人たちや自分が尊敬している人たちからのポジティヴな反応ほど嬉しいものはない。新聞や雑誌のレヴューで高く評価されるのも嬉しいけれど、やはり、自分が尊敬しているミュージシャンから評価されるのはまったく違う嬉しさがある。

前作『The Livelong Day』からこの新作までの約3年の間で、バンド内、あるいはバンド周辺で何か変化はありましたか?

IL:変化はたくさんあったよ。パーソナルなものからアーティスティックなものまで。一番大きな変化はコンサーティーナのレイディ・ピートに赤ちゃんが生まれたことだね。それはとても良い変化だった。その一方で、みんなの精神衛生面が悪くなってしまったり、健康面での問題もあった。ロックダウンにも大きな影響を受けたけど、そのせいで逆に、俺たちは各自のソロ・プロジェクトやアルバムに専念することができた。だから悪い時期ではなかったと思う。この数年間で俺たちは各自の成長を遂げることができた。コロナという状況を最大限に活かすことができたと思う。このアルバムもその期間内に作ることができたし、各メンバーもそれぞれの変化を体験して、進化していった。3年前に比べると、バンドのランドスケープ(=置かれている状況や環境)がまったく違うものになったと感じられるね。

コロナ禍が本作に及ぼした影響について、もっと具体的に語ってもらえますか。

IL:影響は大きかったね。俺がいまいるこの大きな部屋は、ダブリン南部にある築200年くらいの塔なんだ。ロックダウン中にこの塔の所有者が俺に連絡をくれて、「自分はこの塔を所有していて、管理してくれる人を探している」と言うので、しばらく塔で暮らすのも悪くないなと思い、承諾した。しかも、バンドを連れてきて、ここで作業してもいいと所有者は言ってくれたんだ。ちょうどアルバムの制作にとりかかるいいタイミングだった。ロックダウン中で、お互いに会いに行ったりすることができない状況だったから、バンド・メンバー全員がこの塔に来て、みんなで一緒に暮らすことにしたんだ。とても良い体験だったよ。この塔からは海が見渡せるんだ。屋上からダブリンの町全体も見える。確か1803年か1804年、ナポレオン率いるフランス軍の侵略を恐れていたイギリスが、ダブリンの湾岸に沿って建てたんだよ。

軍事的見張り塔だったんですね。

IL:うん。その環境が無意識にアルバムの内容に反映されていったのだと思う。今作に「海」や「海軍」的な要素が多く含まれているのもそのせいだと思う。ほとんどの収録曲が「海」と何らかの関係があるんだ。もしも状況が違っていたら、まったく違うアルバムができていたと思うよ。俺たちはそれまでの数年間、結構ハードなツアー活動をやってきていて、ロックダウンになる前は、かなり疲弊していた。ツアー中は、アルバムに向けて新しい曲を作っていくのが難しい。前作の評判がすごく良くて、ようやく俺たちにも道が開けてきた! と思っていたところに、コロナ禍ですべてが急停止してしまったわけだが、もしロックダウンになっていなかったら、この新作の内容がどうなっていたか想像もつかないね。

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特に伝統的な曲をアレンジする場合は、映画音楽を作っているようなイメージなんだ。つまり、曲の感情的な部分を、ときには絶妙に、また、あるときには強烈に引き出したいと考えている。映画音楽を制作するということは、映画監督が描くストーリーを表現する手助けをしているということだ。そこには、観衆を絶妙に導いていく役目があり、観衆がどう感じるべきかをダイレクトに主張するのとは違う。物語を優しく語る手助けをする。

今回も、ジョン “スパッド” マーフィー(John ‘Spud’ Murphy)がエンジニアを務めていますが、ランクムにおけるスパッドの立ち位置や役割について、具体的に説明してください。私には、彼はほとんど第5のメンバーのように思えます。

IL:まさにその通りなんだ! スパッドはアレンジからプロダクション、その他の作業でも、俺たちと同じくらいの役割を果たしているからね。今作では、彼が中心的役割を担った箇所もある。たとえば、曲と曲の間にあるインストの「フーガ」3曲(“Fugue I”~“Fugue III”)はすべて彼のアレンジによるものだ。彼がアレンジしたものを俺たちに聴かせて、そこに俺たちが手を加え、また彼に戻したりしていた。他の曲に関しても、自分たちでは思いつかないような素晴らしいアイデアをたくさん提案してくれた。彼は音楽に対する耳が非常に良くて、音階を完全に理解している。エンジニアの達人だよ。スパッドはまさに第5のメンバーだ。彼がいなかったらこれはまったく別のプロジェクトになっていた。
 スパッドと初めて一緒に仕事をしたのは、2015年に「パーラー(The Parlour)」という音楽番組で演奏し、その中の1曲 “Rosie Riley” のヴィデオを作るときだった。スパッドはそのヴィデオのサウンド・エンジニアを担当したんだけど、そのときに、ランクムに欠けていた低音域の音をうまく引き出してくれたんだ。


Lankum “Rosie Reilly” [Live at The Parlour]

 当時の俺たちは、扱っている楽器がシンプルだったということもあって、みんなそれぞれひとつかふたつくらいの楽器しか演奏していなかった。いまではみんな10種類くらいの楽器を各人が扱っているけどね。当時の俺たちはそんなミニマルな編成だったわけだが、スパッドはその音を聴いて、ベース音を引き出したり、それ以外の素敵な要素を引き出し、EQで音質の補正をおこない、完璧なサウンドにしてくれた。そのことがあって以来、俺たちのサウンドは急速に良くなり、ドローンや低音域のサウンド、サブベース音などを追求するようになった。俺たちはいまでもその旅路を続けているのだと思う。スパッドの存在なしでは不可能だったことだ。彼はいまでは俺たちのライヴ音響もやっているんだよ。スパッドに頼む前までは他の人にやってもらっていたんだけど、彼のように明確なヴィジョンを持っている人はあまりいなかったと思う。他の人は「あるバンドのためにライヴ音響をやっている」という普通のお仕事スタンスだったけれど、スパッドが担当になったときは、「ランクムのサウンドはこういうものだ」というヴィジョンが彼の中にすでにあった。そして幸運なことに、そのヴィジョンは俺たちが描いているものと同じだった。彼と一緒にこのような旅路ができていることを嬉しく思うよ。

今作では、初めてジャケットにメンバーの写真が使われていますね。しかも撮影は、あのスティーヴ・ガリック(Steve Gullick)で。

IL:ハハッ、そうなんだよ、なぜだろうな(照れ笑い)。確かにバント・メンバーの写真を使ったのは今回が初めてだね。俺たちがティーンエイジャーの頃は、彼が撮ったニルヴァーナやブリーダーズといったバンドの写真を自分たちの部屋に貼っていたんだ。だから今回彼が撮影してくれることになったときは、素晴らしい機会だと思った。アルバム・ジャケットのコンセプトとしては、スティーヴ・ガリックが撮った写真と、ギュスターヴ・ドレによるイラストを使うということだった。スティーヴ・ガリックの写真はアイコニックだし、イラストも含めて全体的にとても良い感じに仕上がったと思う。撮影当日、彼はどんな写真を撮るかということについて、色々なアイデアを提案してくれたけれど、スティーヴ・ガリックが撮るなら絶対にかっこいいものになると信じていたから、俺たちからは特に何も伝えなかったよ。そして彼は期待通り、かっこいい写真を撮ってくれた。このアルバム・ジャケットからは、グランジ・バンドのような、90年代初頭っぽいテイストが感じられる。俺自身が当時のグランジ・ロックに目がなくて、特に12歳から14歳くらいの頃はそういう音楽を熱心に聴いていたということもあり、あの時代の美的感覚がたまらなく好きなんだよ。

スティーヴ・ガリックが撮影したジャケット例
https://www.discogs.com/ja/master/18393-Nick-Cave-The-Bad-Seeds-The-Boatmans-Call
https://www.discogs.com/ja/master/611610-Gallon-Drunk-Black-Milk
https://www.discogs.com/ja/master/178891-The-Waterboys-A-Rock-In-The-Weary-Land
https://www.discogs.com/ja/master/77388-Richard-Ashcroft-Alone-With-Everybody
https://www.discogs.com/ja/master/166975-Mercury-Rev-Little-Rhymes
https://www.discogs.com/ja/master/8066-Bonnie-Prince-Billy-Master-And-Everyone

海のような潮の満ち引きが感じられるようにしたかった。だから意図的に、ダークで強烈な曲の次には、波が引くようにリラックスした曲を配置し、その次は、また強烈な感じの曲にするという構成にしたんだ。

今回ゲスト参加したミュージシャンについて具体的に教えてください。

IL:ゲスト・ミュージシャンは何人かいるが、特に印象的だったのはアイルランド人コンサーティーナ奏者のコーマック・ベグリー(Cormac Begley)だね。彼はソロ・アルバムも数枚出している。様々な種類のコンサーティーナを持っていて、大型のベースのようなコンサーティーナをよく使っている。彼はリズムに対する感覚が特に素晴らしいんだ。④“Master Crowley's” では、コーマックとレイディ、レイディの妹のサイド・ピートが3人一緒にコンサーティーナを演奏している。あとこれも身内の繋がりなんだが、フィドルのコーマック・マクディアーマダの兄のジョン・ダーモンディが数曲でドラムとパーカッションを演奏している。実は俺は1996年くらいに、ジョンとパンク・バンドを一緒にやっていたんだ。だから彼がアルバムに参加してくれたのはとてもクールだった。


Cormac Begley “O'Neill's March”

 それから、アメリカのノースカロライナ州在住のシンガー・ソングライター、アンディー・ザ・ドアバム(Andy the Doorbum)にもゲスト・ヴォーカルで参加してもらった。彼の音源データをアメリカから送ってもらったんだけどね。俺たちは長い間、彼の音楽の大ファンだったんだ。ランクムが前回アメリカをツアーしたときは、彼も同行し、移動の運転を引き受けてくれたり、ライヴにも参加してくれたんだ。


Andy the Doorbum “Wolf Ceremony and the Howling”

楽器や機材の点で、これまでと違う新しい試みは何かありましたか?

IL:新しい試みや実験的なことは今回たくさんやったよ。前作で使われていた基本的な楽器は、ギター、フィドル、ヴィオラ、コンサーティーナ、アコーディオン、イリアン・パイプスだったけれど、今回は、パーカッションやダルシマーを多くの曲で使用したり、俺がハーディ・ガーディを多用したりもした。バンジョーやギターのボウイング奏法も多くやったね。それからイリアン・パイプスにマイクを入れて、それをペダルボードにつなげて、ディストーションやディレイやリヴァーブのエフェクトを実験的に加えたりもした。その他、タスカムの4トラックのカセット・マシーンを使ってテープ・ループ機能で実験し、その素材でアンビエントなテクスチャーを作ったし、フィドルの弓でピアノの弦を擦って音を出してみたりもした。こんな感じで、楽器を変則的に扱って実験的な音遊びを続けていたから、スタジオの所有者が中に入ってきたときに、慌ててピアノの中のフィドルの弓を隠したなんてこともあったよ(笑)。あと、部屋で歌っているときの共鳴音を、ピアノの弦からのみ録音したりとか。ファウンドサウンド(自然音などのサンプル集)の音源を使うこともやった。ある曲の中には、セロリが育つ音がピッチダウンされた状態でどこかに忍ばせてあるんだよ。そういう細かいことをたくさんやったから、今回のアルバムではどの曲も、ものすごい数のレイヤーが含まれている。だからこそ、スパッドの細部にこだわる性格にはとても助けられた。俺たちはとにかく色々なことを試しては、トラックを次々に録っていっただけだったからね。たとえば、俺はハーディ・ガーディで20の異なるトラックを1日で録音したりした。弦のチューニングを上から順に動かしてやったり、1本の弦だけをずっと弾いてみたりも。そんな音源をスパッドは整理して、俺たちが録音した荒素材からトラックを作っていってくれたのさ。とにかく自分たちが持っている楽器とスタジオで使える楽器すべてを録音したいという思いがあった。俺が一番楽しいと感じられる瞬間だったね。色々な楽器のサウンドやノイズに没頭して迷い込む……そういうことに瞑想的な効果を感じるんだ。たとえば、パイプのドローン音を2時間くらいずっと録音し続ける。ただそこに座ってパイプのドローンだけに没頭するんだ。俺が一番好きな午後の時間の過ごし方さ。そういうのが大好きなんだ。

① “Go Dig My Grave” はアメリカのアパラチアン・フォーク・シンガー、ジーン・リッチー(Jean Ritchie)の音源を参考にしたそうですが、他4つのトラッド・ソング④⑤⑧⑨の参照出典を教えてください。また、それらの原典の中で、特に思い入れのある作品/楽曲/ミュージシャンと自分との関わりについて、何か面白いエピソードがあったら、教えてください。


Lankum “Go Dig My Grave”

IL:⑧ “The New York Trader” は俺が知っていた曲で、ルーク・チーヴァーズ(Luke Cheevers)というアイルランドのトラッド・シンガーが歌った音源を参考にしている。俺たちは彼の音源を聴いて、曲を学んだんだ。いまでは彼と交友関係にあるけれど、彼が実際に歌っているところを見たことはなくて、1980年代に彼がパブのセッションで歌っている音源しか聴いたことがない。俺たちは、その音源が昔から好きだったんだ。この曲は制作初期にできた曲で、レコーディング開始の最初の週に完成させた。


Lankum “The New York Trader”

 ⑨ “Lord Abore and Mary Flynn” ではフィドルのコーマックがリード・ヴォーカルをとっているが、俺も以前は歌っていた。この曲は、イングランドやスコットランド由来の古い歌を集めた『チャイルド・バラッド(The Child Ballads)』という本(アメリカの文献学者フランシス・ジェイムズ・チャイルドが19世紀後半にまとめた民謡集)に収録されている。ブリテン諸島やアメリカなどでは伝統として残らず、民俗学者たちはもう継承されていないと思っていたんだけど、70年代初めにトム・モドリーというソング・コレクターが、この曲をダブリンのパブで誰かが歌っているのを聴いて衝撃を受けたらしい。それが唯一録音されている伝統的なヴァージョンだそうだ。だからこの曲はダブリンとも関連がある。母親が自分の息子と彼のガールフレンドに嫉妬して、息子を毒殺してしまうというとても悲しくて美しい物語歌だ。


Lankum “Lord Abore and Mary Flynn”

 ④ “Master Crowley's” はレイディ・ピートが幼い頃、コンサーティーナ奏者のノエル・ヒル(Noel Hill)から直接教わったものだ。この先生は、クレア州出身の非常に有名なコンサーティーナ奏者だよ。


Lankum “Master Crowley's”

 そして⑤ “Newcastle” は弟のダラグがルームメイトから教わった曲だ。彼の名はショーン・フィッツジェラルド(Sean Fitzgerald)といって、デッドリアンズ(The Deadlians)というダブリンのフォーク・ロック・バンドで活動している。数年前にショーンがこの曲を録音して、ダラグがそれを気に入ったんだ。


“Newcastle” を収録した The Deadlians『Ruskavellas』

 実は最初はダラグが歌ったものを録音したんだけど、レイディが歌った方がいい感じだったからレイディの声を採用した。俺たちはいつも、「誰が何をやるべきか」ということにこだわりすぎないで、音にすべてを委ねて、一番良いと思うサウンドを目指している。誰がどの曲を歌うとか誰かの見せ場を作るとかは重要視していない。それがランクムの良いところだと思っている。個人のエゴが音楽の邪魔をしないというか、「俺はこれがやりたい」とか「これは私がやる」というよりも、みんながバンドにとって最適なサウンドを求めているんだ。


Lankum “Newcastle”

⑧ “The New York Trader” は途中で一度途切れ、後半でよりロック的なサウンドになりますが、こういう構造にした理由、目論見について教えてください。

IL:これは自分でも最近よく考えていることなんだけど、俺たちのアレンジの仕方、特に伝統的な曲をアレンジする場合は、映画音楽を作っているようなイメージなんだ。つまり、曲の感情的な部分を、ときには絶妙に、また、あるときには強烈に引き出したいと考えている。映画音楽を制作するということは、映画監督が描くストーリーを表現する手助けをしているということだ。そこには、観衆を絶妙に導いていく役目があり、観衆がどう感じるべきかをダイレクトに主張するのとは違う。物語を優しく語る手助けをする。俺たちが伝統的な曲をアレンジする時は、そういうアプローチに近いものがあると思うんだ。“New York Trader” が一度中断し、途中からヘヴィーな感じになる箇所は、海で嵐に巻き込まれている様子を再現しようとしたんだ。曲の中で起こっている事柄に音楽の感じを合わせるようにしたのさ。

つなぎの3つのインスト曲 “Fugue” を含め、アルバム全体の構成と流れがかなり緻密ですが、この点についてはかなり意識したんでしょうね。

IL:俺たちは、アルバムというひとつの作品として機能するものを作りたいと思っている。最近の若い人たちはアルバムを通しで聴かずに、ストリーミング・サービスで自分が聴きたい曲しか聴かないなどとよく言われているから、そういう意味ではランクムは古風なのかもしれない。でも俺たちがアルバムを作るときは、やはりひとつのアルバムとして完結しているものを作りたいと思うんだ。ひとつの旅路のようなアルバムというか。今回のアルバムのコンセプトとして念頭にあったのは、「海」のようなものにしたいということだった。先ほども「海」との関連性について触れたけど、アルバム全体で海のような潮の満ち引きが感じられるようにしたかった。だから意図的に、ダークで強烈な曲の次には、波が引くようにリラックスした曲を配置し、その次は、また強烈な感じの曲にするという構成にしたんだ。あと、どの順番がいい流れに聴こえるかということも重要だった。だから、今回録音した曲の中にはアルバムの枠組みに収まらなかったものもいくつかあったから、アルバムから外すという選択をした。曲単体としては非常に良いものでも全体の構成に合わないものはアルバムに含めないで、またの機会に使うことにしたんだ。

ランクムと並ぶ、現在のアイリッシュ・フォークの新しい旗手たち──イェ・ヴァガボンズ(Ye Vagabonds)、ジュニア・ブラザー(Junior Brother)、リサ・オニール(Lisa O'Neill)が最近立て続けに新作を発表しました。こういった他ミュージシャンたちとの連帯意識と、実際の活動状況(共演とか)について教えてください。

IL:俺たちは、いま、挙げられたイェ・ヴァガボンズともジュニア・ブラザーともリサ・オニールともダブリンのセッションを通して仲良くなったからみんな友だちだよ。俺たちはみんなアイルランドの伝統に魅力を感じ、大なり小なりのインスピレイションを受けているという点においては共通していると思う。けれど共通しているのはその点だけで、バンドとしてのアウトプットはそれぞれとても違うものなんだ。音楽に対するそれぞれの嗜好や感性もかなり違うと思うし。彼らとの共通点は、アイルランドの伝統を扱っているということだけだね。もしイェ・ヴァガボンズを街のセッションで見かけたら、一緒に曲を歌ったり演奏したりすることはあると思うけれど、俺たちがアルバムで表現したいことや、バンドとしてやっていきたいことは、彼らのそれとはまったく違うことだと思うんだ。だからこれらのバンドが何らかのシーンを形成しているというよりも、そこには、友人同士のゆるいつながりがあって、それは音楽的というよりも社交的なつながりという感じがするな。

この新作に自分でキャッチ・コピーを付けるとすれば?

IL:そんなことはしないよ(笑)。俺は、自分が作った音楽を言葉で説明するのが好きではないというか、そもそも苦手だし。俺はとにかくノイズを出して音に迷い込んでいたい。ただそれだけなんだ。その音楽をどのように説明するか、どのようにカテゴライズするのかは他の人に任せたい。俺にはできないから。俺は様々な音楽やジャンルからインスピレイションを受けたり、色々なアイデアを思いついたりするけれど、それをいちいち切り離して、ひとつずつ理解しようとはしないんだ。様々な要素がごちゃ混ぜになった自分の音楽を作り、「はい、できあがり! めちゃくちゃだけど俺はこれに納得してるからそれでいい」、そんな感じなんだ。いつか日本に行く機会があればと願っているよ!

Alva Noto - ele-king

 アルヴァ・ノトの新作情報がアナウンスされている。タイトルは『Kinder Der Sonne』で自身のレーベル〈NOTON〉より5月5日リリース……とのことなのだけれど、収録される14曲はスイスの作家サイモン・ストーンによる舞台作品『Komplizen』のために2021年に作曲されたものだという。
 タイトルの『Kinder Der Sonne』は英訳すると『Children Of Sun』で、文豪ゴーリキーがロシア革命の年にものした戯曲『太陽の子』に由来している。どうやらサウンドのほうも登場人物たちが遵守したり抵抗したりしている複雑な社会規範を反映しているようだ。
 現在、リード・トラックの “Die Untergründigen(=アンダーグラウンド)” が公開中。演劇作品ともども注目しておきたい。

artist: Alva Noto
title: Kinder Der Sonne
label: NOTON
format: CD, Digital, Vinyl
release: 5 May 2023

01. Kinder Der Sonne - Intro
02. Verlauf
03. Die Untergründigen
04. Sehnsuchtsvoll
05. Ungewissheit Im Sinus
06. Kinder Der Sonne - Reprise
07. Unwohl
08. Sehnsuchtsvoll - Reverso
09. Ungewiss
10. Aufstand
11. Die Untergründigen - Redux
12. Virus
13. Son
14. Nie Anhaltender Strom

https://noton.info/product/n-058/

 ‟ガールズ・バンド ” という概念は、元来不条理なものだ。
 勿論、ガールズ・グループに対してボーイズ・バンドという言葉も存在する。これは最近では、おおむね作りこまれたポップな商品であることを意味する。この業界のある側面は、しばしば搾取的であり、このようなアーティストたちはあきらかにメンバーの性的な魅力を利用して売り出されていることも、すべての加担者が基本的に理解していることだ。しかし、ロックの分野では “ガールズ・バンド ” という言葉は通常、外部から押し付けられたものであり、女性の芸術形式を男性の規定値から分離し、女性たちの作品が何を伝えようとしているかに関わらず、性別というレンズを通した型にはめてしまうのだ。私が東京で時々一緒に仕事をしている、女性がリードする素晴らしいポスト・パンク・バンド、P-iPLEは、Twitterのプロフィールに素っ気ない調子で「私たちはガールズ・バンドではない」と記している。
 もうひとつ、明らかにガールズ・バンドではない男性ばかりから成るアイルランドのノイズ・パンクスであるガール・バンドは、最近バンド名をギラ・バンドに改名した。10年前に元のバンド名を採用したのは、まさにその不条理さにこそあり、多くの人にとっては今でもどちらかというと無害な皮肉ぐらいに捉えられるのは、名前に込められたジョークがあきらかにバンド自身のことを指しているからだ。それでも彼らには絶え間ない反発が寄せられ、何年も前に馬鹿々々しいジョークとしてつけたバンド名を使い続ける利点よりも、最終的にはこの言葉が人を不快にする、あるいはノン・インクルーシヴ(非包括的)であると受け取られるリスクの方が高いと判断したようだ。

 社会の生々しい部分を指摘する人たちへの無責任な対応は、何も新しいことではなく、激しい対立や整合性のない指摘は、リスナーに音響的な不快感を与えようとする音楽と密接に結びついている。スティーヴ・アルビニが1980年代にビッグ・ブラックやレイプマン時代に放った過激な挑発の数々は、ガール・バンドという間抜けなバンド名のユーモアと比較するのは必ずしも有効とは言えないが、アルビニが当時について語ったことから、このような問題やそれを指摘する人への対応の背景にある暗示などの興味深い洞察を得ることができる。
 それは、大雑把でリベラルであるアーティスティックなバブルのなかで生活をしていると、自分が属する社会集団の規範が、必ずしも外の世界と共有されていないことを忘れがちになることに起因する。アルビニは「自分自身、そして多くの仲間たちは思い違いをしていた。人びとの平等とインクルーシヴネス(包括性)の獲得への戦いはすでに勝利で終わり、やがては社会においてもそれが発現し、私たちが対立や衝撃、嘲りや皮肉で何かを害することはないと思っていた」と総括している。

 4人組の男が “ガールズ・バンド ” というような馬鹿げた発想で遊ぶのは、性差別に打ち勝った勝利のダンスをしているように見えるかもしれない。だが、音楽の世界で活動する女性たちがあらゆる障害に直面し続けることを考えると、このジョークはもはや同じようには通用しないし、ミュージック・シーンでハラスメントや差別を経験した女性たちは、それらの問題を顔面に突き付けられたように感じるかもしれないのだ。
 バンド名の変更は、ほんの数文字を変える小さなもので、バンド自身は軽視していたもの確かだ(彼らは私がここで問題提起しているよりもずっと小さなこととして扱った)。だが私にとって興味深いのは、彼らの芸術がオーディエンスにますます敬意を持って受け入れられている様であり、それこそがギラ・バンドのニュー・アルバム『Most Normal』の素晴らしさの鍵となるかもしれないということだ。

 ノイズ・ロックは元来、不条理な音楽だ。
 それは、聴く者に居心地の悪さを与えようとする音楽だ。メロディやハーモニー、そして従来の心地よさや満足感をもたらす全てのツールを意図的に除去するかわりに、ディストーション、騒音や断片的なリズムを武器としている。それはまた、ある種の子供じみた音楽でもあり、物を壊してかき混ぜ、そこに出現するカオスや混乱、悪臭などに喜びを見出す。
 だがそれは同時に遊び心があり、好奇心をそそる音楽でもある。思いがけない音のテクスチュアに、厳格なロックの伝統の外側にあるものを感じ、再発見する喜びに没頭できるのだ。この分野で活動するバンドが3枚目のアルバムを作る際、冒険心を失わずに成長するにはどうすればいいのだろうか?
 ひとつの方法は、鳴り響く金属的な不協和音や、吹き出す紙やすりのようなディストーション、そして対立するリズムの一つひとつがどのように着地するのかに注意を払うことだ。どの混乱した音が痺れるようなものに変化するのか、どこで喜びと痛みの間に走る緊張感を保つのか、そしていつそのバランスを、酔ったようなよろめきで一方向に傾かせるのかに敏感になることだ。

 『Most Normal』は、1トンの爆発物のような着地を見せるが、バンドの過去2作のアルバムと比較して、その分野に対しての高まり続けるインテリジェンスや自覚に導かれている。オープニング・トラックの ‟The Gum“ の金切り声のようなディストーションを強調するように反復するディスコ・パルスは、バンドがエレメントのバランスを取ることに確信を深めているのが分かり、2曲目の ‟Eight Fivers” を際立たせる轟音の爆発は、拳を突き上げるような高ぶりからEDMのビート・ドロップに着地する。アルバムを通して、ギラ・バンドはサウンドをこれまでにないほどの挑戦的な極限へと押しやり、ほとんどメロディを落ち着かせることはないながらも、それぞれのエレメントの、オーディエンスへの作用を敏感に感じ取り、恍惚とした残酷さでリスナーの感覚を操っている。
 微かな旋律の気配が漏れ出る最後から2曲目の ‟Pratfall” では、Lowの前2作のアルバムの特徴であった素早く走るようなディストーションに引き裂かれ、ふるいにかけられる。他でも同様に、アルバムがタイトでまばらなビートと吐くようなノイズの発作の間を飛び火する様は、リスナーを、その忍耐力の限界までプッシュすることを存分に意識した内部のリズムによって作られている。

 ギラ・バンドが改名についての説明をする際に、あまり深く考えずに決めたことで、「この選択を正当化したり、説明したりすることは不可能だとわかった」と言及している。この、説明できないということこそが、彼らが名前を変えたことが正しかった理由であり、『Most Normal』の音楽が、不快感を享受しながらより鮮明な音楽的な理由でもって、それを証明している。それは未だに馬鹿げた、生意気なパンク的な面白さだが、薄っぺらに着想されたものでも気まぐれなものでもない。いまやすべての要素が、なぜそこにあるのかを正確に把握しているようだ。


Gilla Band – Most Normal
Rough Trade /ビート

 

Gilla Band, girl bands, and musical discomfortby Ian F. Martin

The idea of a “girl band” is essentially an absurd one.

Of course the term boy band exists too, as the alliterative counterpart to the girl group: nowadays meaning a more or less manufactured pop product. Exploitative as this side of the industry often is, it’s basically understood by all participants that these acts are being sold explicitly on the gendered appeal of the members. In the rock arena, though, the term “girl band” is typically imposed from the outside, segregating women’s art from the implicitly male default, framing their work through the lens of their gender regardless of what they intend to communicate. One band I sometimes work with in Tokyo, the wonderful female-led post-punk band P-iPLE, put it bluntly on their Twitter bio: “We are not girls band.”

Another band who are definitely not a girl band are all-male Irish noise-punks Girl Band, who recently renamed themselves Gilla Band. The absurdity of the term was at the heart of their adoption of it as their band name ten years ago, and to a lot of people it probably still seems like a more or less harmless bit of irony, where the joke is clearly on the band themselves. Still, they received a steady stream of pushback over it and eventually seem to have decided that the potential for it to be read as mocking or non-inclusive outweighed the benefits of sticking with a name they clearly came up with as a silly joke years ago.

This sort of playing fast and loose with signifiers that poke at raw spots in society is nothing new, with harsh juxtapositions and mismatched signifiers going hand in hand with music that seeks to sonically provoke discomfort in the listener. The extremeness of the provocations Steve Albini unleashed via Big Black and Rapeman in the 1980s mean they’re not necessarily a very useful comparison with the goofy humour of a band name like Girl Band, but Albini’s subsequent discussion of that time does offer some interesting insights into the thinking behind and implications of playing with these issues and signifiers.

Partly, it comes down to how life in a broadly liberal artistic bubble makes it easy to forget that the norms of your social group aren’t always shared by the world outside. Albini summarises, “For myself and many of my peers, we miscalculated. We thought the major battles over equality and inclusiveness had been won, and society would eventually express that, so we were not harming anything with contrarianism, shock, sarcasm or irony.”

So four guys playing with a patently absurd idea like the notion of a “girl band” might feel like a victory dance over defeated sexism. However, once you consider that women in music continue to face all manner of obstacles, the joke doesn’t work in the same way, and to women who have faced harassment or discrimination in the music scene, it could feel like having those troubles thrown in their face.

It’s true that the name switch was a small change, of just a couple of letters, and one the band themselves downplayed (they made it far less of a deal than I’m making of it here). What interests me, though, is that it shows a growing respect fot how their art lands with its audience, and this maybe offers a key to what’s so fantastic about the new Gilla Band album “Most Normal”.

Noise-rock is essentially absurd music.

It’s music that wants to make you uncomfortable, It deliberately strips songs of their melody, harmony and all the conventional tools to trigger comfort and satisfaction, instead reaching for distortion, discord and fractured rhythms as its weapons. It can be a childish sort of music too, that breaks things and stirs the shit just to delight in the chaos, mess and bad smells that emerge.

But it’s also playful and curious music. It delights in the unexpected, in the texture of sound, it’s steeped in a sense of rediscovery outside the rigours of rock tradition. For a band in this general arena making their third album, how do you mature without losing that sense of adventure?

One key way is to pay attention to how every piece of clanging dissonance, blown-out sandpaper distortion and rhythmical confrontation lands — to be conscious of which fucked-up sounds resolve into something electrifying, when to hold the tension between pleasure and pain and when to let the balance lurch drunkenly one way or the other.

“Most Normal” lands like a tonne of explosives, but it’s guided with a growing intelligence or awareness of its terrain compared to the band’s previous two albums. The repetitive disco pulse that underscores the screeching distortion of opening track “The Gum” offers an immediate sense of the band’s growing assurance in how they balance their elements, while the bursts of thundering noise that punctuate second track “Eight Fivers” land with the fist-pumping heart-surge of an EDM beat drop. Throughout the album, Gilla Band push sounds to ever more challenging extremes, hardly ever reaching for the comfort of melody, but somehow applying each element with a keen sense of how it’s working on the audience, puppeteering the listener’s senses with ecstatic cruelty.

Where the hint of a tune does filter through, on penultimate track “Pratfall”, it’s ripped apart and filtered through the sort of skittering distortion that characterised Low’s last couple of albums. Elsewhere, the way the album ricochets between tight, sparse beats and convulsions of vomiting noise happens according to an internal rhythm that’s aware of the limits of the listener’s patience just enough to push them.

When explaining their change of name, Gilla Band noted that they had chosen it without much thought and increasingly “found it impossible to justify or explain this choice.” This inability to explain is the most important reason why they were right to change it, and the music on “Most Normal” in its own way proves the point, revelling in discomfort but with an increasingly clear musical reason. It’s still silly, snotty punk fun, but it’s not flimsily conceived or whimsical: every element now seems to know exactly why it’s there.

LEX - ele-king

 初めて発表した曲は XXXテンタシオンのリミックス。それが14歳のときだというから早熟だ。2019年に16歳で初のアルバムを送り出した若き湘南出身のラッパー、LEX はその後〈Mary Joy〉とサインし、この4年ですでに4枚ものアルバムを送り出している。近年の日本のラップ・シーンを牽引する代表的プレイヤーのひとりだ。
 彼はラップをメッセージをこめることのできるアートフォームとして大いに活用してもいる。たとえば1年前に発表された “Japan”。ニルヴァーナ風のトラックをバックに、抽象的な発声で「若者金ない 大人も病んでいる/なのにこの国はシカトをかます/大胆な演説をカマして何度も嘘をつく」「不満がある奴は俺と叫んでくれ」とラップされている。あるいはセカンド収録の “GUESS WHAT?” のMVには国会答弁中の安倍元首相が映し出されていたり。「若者の政治離れ」なんて言ったのはだれだ? すくなくとも LEX はまったく萎縮していない。
 というわけでエレキング注目のラッパーが本日、5枚目のアルバム『King Of Everything』をリリースしている。今回の新作にも “大金持ちのあなたと貧乏な私” なる、ロミオとジュリエット的な格差社会を思わせる曲が収録されている。ぜひチェックしてほしい。

LEXが最新アルバム『King Of Everything』をリリース!
LEXをフィーチャーしたAmazon MusicとGQ JAPANのコラボドキュメンタリー「RPZN Stories」が配信開始。

湘南出身のアーティストLEXのニューアルバム「King Of Everything」が本日リリースされた。

客演にJP THE WAVY、Young Coco、Young Dalu、Leon Fanourakis、Only U、ShowyVICTOR、UKのBEXEY、USのMatt OxやKid Trunksなど国内外のアーティストを迎え、LEXらしいレパートリーに富んだ17曲を収録している。

また、アルバムの制作中に撮影されたAmazon MusicとGQ JAPANとのコラボレーションドキュメンタリー「RPZN Stories」が、GQ JAPANのYouTubeチャンネルにて配信開始された。ドキュメンタリーの中で、LEXは自身のキャリアにおける葛藤やメンタルヘルスにまつわるパーソナルなエピソードを赤裸々に語っており、家族や仲間からの証言を交えて、普段のSNSやライブでは知れないLEXの意外な一面を見せている。

LEX - King Of Everything
https://lexzx.lnk.to/KingOfEverything

Tracklist:
01. GOD (produced by 1bula)
02. King Of Everything (produced by VLOT, MrOffbeat, kaaj & evanmoitoso)
03. Killer Queen (produced by Trippop)
04. Busy, Busy, Busy (feat. Only U) (produced by june)
05. 金パンパンのジーンズ (feat. Young Coco & JP THE WAVY)
06. READYMADE (feat. Leon Fanourakis) (produced by k4stet)
07. 1/3 (feat. Kid Trunks)
08. Hertz (feat. Matt Ox)
09. Move (feat. ShowyVICTOR) (produced by DJ JAM)
10. LOVE PISTOL (feat. Young Dalu) (produced by FOUX)
11. Strength blindness (feat. Only U) (produced by Dee B)
12. Come To My World (feat. BEXEY)
13. This is me
14. 大金持ちのあなたと貧乏な私 (produced by In Bloom)
15. If You Forget Me (produced by eeryskies & Arcane)
16. Need It (produced by Kevin Jacoutot)
17. 庭の花 (produced by prodkult)

Artwork by Anton Reva, Photography by Uran Sakaguchi, Motion Cover by FROMKIERAN
Mix & mastering by KM, except #2 “King Of Everything” by VLOT. Contributors: KM, VLOT, DJ JAM & STEELO

「RPZN Stories」
GQ JAPAN YouTube チャンネル 【1月25日(水)9時30分より「RPZN Stories」配信】
https://www.youtube.com/watch?v=e0uB-_IRgC4

LEX (レックス) Profile:
湘南出身、2002年生まれのヒップホップ・アーティスト。天性のメロウボイスと、攻撃的な楽曲とのギャップ、感情むき出しのリリックがユース世代を中心に熱狂的な支持を得ている。14歳からSoundCloudに楽曲をアップロードしはじめ、2019年4月、16歳のときにファースト・アルバム『LEX DAY GAMES 4』で衝撃的なデビューを果たす。2019年12月にセカンド・アルバム『!!!』、2020年8月にサード・アルバム『LiFE』を次々と発表。2021年にはBAD HOPやJP THE WAVYらの作品に客演参加し、ロンドンのBEXEYとのコラボEP「LEXBEX」、横浜のOnly U & Yung sticky womとのコラボEP「COSMO WORLD」を発表するなど、勢いは更に加速。8月にJP THE WAVYを客演に迎えたシングル “なんでも言っちゃって”、9月には4枚目となるアルバム『LOGIC』を発表し、同年GQ Men Of The YearのBest Breakthrough Artistを受賞するなどその活動が高い評価を受けた。

2022年3月にSoundCloud初期音源と未発表曲をコンパイルした『20 (Complete Mixtape)』を発表。4月には10代最後となるシングル “大金持ちのあなたと貧乏な私” をリリースし、8月からはZepp Yokohama、なんばHatch他6都市を周る “With U Tour” を成功させた。メンタルヘルスの問題も抱えながらプレッシャーや葛藤と向き合い、2023年1月に満を持して5枚目のアルバム『King Of Everything』を発表する。

2021 GQ Men Of The Year Best Breakthrough Artist
2022 Space Shower Music Awards Best Hip Hop Artist

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