「LV」と一致するもの

DJ HARVEY - ele-king

 DJ界の生きる伝説と言えば、DJハーヴィーである。とにかく、20年以上も、世界中のハードコアなパーティ・ピーポーを魅了し続けるバレアリックの真の王様を体験しよう。ひょっとしたら君の人生で忘れがたいほどもっともすさまじい夜になるかもしれない……また、つい先日、彼にとっての初のコンピレーション・アルバム『The Sound of Mercury Rising Complied with Love by DJ Harvey』もリリースされたばかり。こちらも外せない!

DJ HARVEY 2017 TOUR OF JAPAN

DJ HARVEY (Locussolus, Wildest Dreams / LA)

https://www.facebook.com/HarveyDJay/
https://www.instagram.com/harveysgeneralstore/


11/17(金)@江ノ島OPPA-LA(https://oppala.exblog.jp
11/18(土)@東京CONTACT(https://www.contacttokyo.com


DJ Harvey
The Sound Of Mercury Rising Complied With Love By DJ Harvey

Pikes Records / Music 4 Your Legs
国内盤特典:DJ HARVEYによる直筆サインをデザインしたステッカー付き


DJ HARVEY (Locussolus, Wildest Dreams / LA)

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ハウス、ディスコ、バレアリック・シーンのカルトリーダー、リエディットの帝王。そして、DJとしてもっとも神の領域に近い男と称されるリヴィング・レジェンド、DJ HARVEY(DJハーヴィー)。

イギリス・ケンブリッジ出身。1980年代半ばのロンドンでDJキャリアをスタート。DIYクルー「Tonka Sound System」に属し、セカンド・サマー・オブ・ラヴの狂騒の真っ只中にウェアハウス・パーティーやレイヴでその名を馳せ、1991年に自身のパーティー「Moist」を始める。Harveyのコネクションにより「Moist」には、ニューヨークの伝説のクラブParadise Garageのレジデントで今もDJの神として崇められている故Larry Levanをはじめ、アメリカやヨーロッパのDJたちが数多く出演。後のニューハウスと呼ばれるシーンの起源となった。またHarveyは、当時イギリス初の巨大クラブとなるMinistry of Soundのコンセプトおよびサウンドシステムの設計を担っていたLarryをサポートするほか、同クラブのレジデントも務め、名実共にトップDJの階段を昇りつめる。プロデューサーとしても、1993年にGerry Roonyと共にレーベル<Black Cock>を立ち上げ、近年再評価著しいディスコ・リエディットの源流となる傑作を多数リリース。1996年に自身初のミックスCD『Late Night Sessions』を<Sound of Ministry>よりリリース。2001年には、Sarcasticのプロモ・ミックス『Sarcastic Study Masters Volume 2』を発表。2000年代以降のコズミックやバレアリック・シーンに決定的影響を及ぼしたこのマスターピースは、世界最大の中古音楽市場「Discogs」で、ミックスCDとして史上最高額となる500ドルの値が付けられている。

2002年にアメリカ・ロサンゼルス(ヴェニスビーチ)に移住。国境を越えてハードコアなパーティー・ロッカーが集うウェアハウス・パーティー「Harvey Sarcastic Disco」やホノルルのThirtyninehotelでレジデントDJとして活躍。ロングセットでのDJスタイルや、レフトフィールドなディスコ、バレアリック復権への大きな流れを作った。LAアンダーグラウンドの聖地として「Harvey Sarcastic Disco」はカルト的な人気を誇り、あまりの混雑ぶりに、かのBeyoncéでさえ入場を拒否されてしまったというエピソードがあるほどだ。また、サーファー、スケーター、バイカーでもあるHarveyは、「Dogtown & Z-Boys」のオリジナル・メンバーとして知られる伝説のスケーター、Tony Alvaをフィーチャーしたエキシビション・ツアーに同行して、ミックスCD『Mad Dog Chronicles Soundtrack』を提供。ストリート・カルチャーとロックが同居する自身のバックグラウンドを垣間見せた。2007年には、同郷で盟友のThomas Bullock (Rub N Tug)とのユニット「Map of Africa」名義のアルバムを<Whatever We Want>からリリース。サイケデリック〜ダビーなバレアリック・ロックサウンドを展開した。

2010年にようやくビザの問題が解決して、アメリカ国外への渡航が可能になると、世界中からオファーが殺到。その最初のツアー国は日本であった。奇跡の再来日が実現した2010年GWのジャパンツアーでは、全国12都市を回り1万人以上を動員。狂熱に満ちたHarvey旋風が日本中に吹き荒れた。また、母国イギリスはロンドンのOval Spaceで開催された10年ぶりの凱旋パーティー「Red Bull Music Academy presents DJ Harvey」は、チケット発売後わずか1分でソールド・アウトを記録。そのほか、ベルリンのBerghain / Panorama Bar、ロンドンのFabric、Ministry of Sound、イビサのSpace、Pacha、DC-10、パリのRex、Concrete、フランクフルトのRobert Johnson、アムステルダムの​Trouw、モスクワの​ARMA17、テルアビブのBlock、バリのPotato Head、ニューヨークのOutput、シカゴのSmartbarなど、世界各国の主要クラブはもちろん、Coachella、Panorama、ADE、Sonar、Mutek、Movement、Dekmantelなどのフェスにも登場。Festival No.6ではGrace Jonesとダブル・ヘッドライナーも務めた。Rolling Stone誌でHarveyは、「DJ界のキース・リチャーズ」と評され、「世界に君臨するDJ」トップ10にランクイン。昨夏は、日本を代表する野外音楽フェス「フジロック」20周年記念の大トリも飾った。

制作面では、シングル、リミックス、リエディット作品のほかに、オリジナル・アルバムを3枚リリース。1枚目は、先述の「Map of Africa」名義のアルバムで、2枚目は、ディスコ、ロック、テクノ、そしてハウスなどをブレンドしたフロア・ライクなソロ・プロジェクト「Locussolus」名義のアルバムを、2011年に<International Feel>から発表。3枚目は、4人組サイケデリック・バンド「Wildest Dreams」名義のアルバムを、2014年に<Smalltown Supersound>よりリリース。ミックスCDはこれまでに、歴史的名盤『Sarcastic Study Masters Volume 2』をはじめ、オフィシャル、アンオフィシャルを合わせて6作発表している。そして今年9月29日に、自身初のオフィシャル・コンピレーションCD『The Sound of Mercury Rising Complied with Love by DJ Harvey』を、<Pikes Records> / <Music 4 Your Legs>(国内盤)よりリリース。この作品は、バレアリック・サウンドが生まれたスペイン・イビサ島の伝説的ホテルPikes Ibizaで、Harveyが2015年より毎夏レジデントを務めているパーティー「Mercury Rising」をパッケージ化したコンピレーション・アルバム。Harveyは、毎週月曜の「Mercury Rising」で、サンセットからサンライズまで10時間以上に及ぶロングセットをプレイしてきたが、そこでのグルーヴやバレアリック・フィーリングと共に、3シーズンに渡りフィーチャーしたトラック12曲(1976〜2016年の40年間にリリースされたディスコやダンスミュージック)をセレクト、コンパイルしている。

interview with Penguin Cafe - ele-king


Penguin Cafe
The Imperfect Sea

Erased Tapes / PLANKTON

Amazon Tower HMV iTunes

 音楽の歴史において、「ブライアン・イーノ以前/以降」という区分は大きな意味を持っている。「アンビエント」の発明はもちろんのこと、それ以前に試みられていた〈Obscure〉の運営も重要で、そこから放たれた10枚のアルバムによって、新たな音楽のあり方を思索する下地が用意されたと言っても過言ではない。ペンギン・カフェ・オーケストラを率いるサイモン・ジェフスもその〈Obscure〉から巣立ったアーティストのひとりである。同楽団は「イーノ以降」のクラシック音楽~ミニマル・アンサンブル~アヴァン・ポップのある種の理想像を作り上げ、じつに多くの支持を集めることとなったが、残念なことにサイモンは脳腫瘍が原因で1997年に亡くなってしまう。
 それから12年のときを経て、サイモンの息子であるアーサーがペンギン・カフェを「復活」させた。メンバーも一新され(現在はゴリラズのドラマーや元スウェードのキイボーディストも在籍している)、グループ名から「オーケストラ」が取り払われた新生ペンギン・カフェの登場は、ちょうど00年代後半から盛り上がり始めたモダン・クラシカルの潮流とリンクすることとなり、彼らの音楽は今日性を獲得することにも成功したのだった。であるがゆえに、彼らの新作『The Imperfect Sea』がまさにモダン・クラシカルの牽引者と呼ぶべきレーベル〈Erased Tapes〉からリリースされたことは、きわめて象徴的な出来事である。その新作は、これまでのペンギン・カフェの音楽性をしっかりと引き継ぎながら、クラフトワークやシミアン・モバイル・ディスコのカヴァーにも挑戦するなど、貪欲にエレクトロニック/ダンス・ミュージックの成分を取り入れた刺戟的な内容に仕上がっている。
 10月に日本での公演を控えるペンギン・カフェだが、それに先駆け来日していたアーサー・ジェフス(ピアノ)とダレン・ベリー(ヴァイオリン)のふたりに、これまでのペンギン・カフェの歩みや新作の意気込みについて話を伺った。

僕の場合、父が亡くなったときはまだ子どもだったということもあって、悲しみよりは、音楽にまつわる父との楽しい思い出やものを引き継いでいく、というような感覚があったんだ。 (アーサー)


Photograph by Ishida Masataka

1997年にペンギン・カフェ・オーケストラの創設者であるサイモン・ジェフスが亡くなって、2007年に没後10周年のコンサートがおこなわれました。その後2009年にアーサーさんを中心としたペンギン・カフェが始動します。ペンギン・カフェを始めようと思ったのはどのような理由からなのでしょう?

アーサー・ジェフス(Arthur Jeffes、以下AJ):父の没後10周年コンサートは3日間おこなったんだけど、そのときに父の時代のミュージシャンたちが集まってくれて、一緒に演奏することができたんだ。じつは僕にとってはそれが初めて人前で演奏するコンサートだったということもあって、緊張感もあったし、父と同世代のミュージシャンだから当然僕よりも年上で経験値もあって、あっちはあっちでこうあるべきと思っているんだけど、一応僕が父の息子という立場上、何か言わなければいけなくて……それで音楽の持つデリケートなバランスが壊れてしまったようなことがあったんだ。だから、そこから続けてやるというよりは、思い出の扉を閉めるようなつもりでやったんだよね。それから1年後にイタリアの友だちから「家に来て音楽をやってくれないか」って声がかかったんだ。

ダレン・ベリー(Darren Berry、以下DB):家ってもんじゃないな。あそこは城だったよ(笑)。

AJ:そこに呼ばれたので、ダレンとダブル・ベースのアンディ(・ウォーターワース)、ギターの(トム・)CCと行ってみたんだ。ワインを作っている広い農家で、友だちとやるという気楽さが良かったんだろうけど、プレッシャーも感じずにやってみたら、まるで父親の音楽が生き返ったような感覚を味わったんだよ。自分でも何かやってみようと思うようになったのはじつはそこからなんだよね。

芸能の分野で世襲というケースはよく見られますが、一方で政治的な分野では世襲制は好ましくないものとされますよね。父のあとを継ぐということに関してはどうお考えですか?

AJ:たしかにイギリスの音楽でも世襲でやっているアーティストはたくさんいるからよくわかるけど、僕の場合、父が亡くなったときはまだ子どもだったということもあって、悲しみよりは、音楽にまつわる父との楽しい思い出やものを引き継いでいく、というような感覚があったんだ。難しいことを言えば、その音楽のストーリー性がうんぬんとか、こういうことをするのがはたして正しいのかとか、もし自分が新しくやるのなら名前も「ミュージック・フロム・ペンギン・カフェ」にするべきなのかとか、いろいろなことを考えたけど、それよりももっと感情的な部分というか本能的な部分というか、僕はそういうところで突き進んできたような気がするんだ。あとやっぱり最初の頃は、父が残してきた音楽があって、それを僕らがライヴでやる、というキャラクターが強かったからね。もちろん譜面に書かれたものどおりじゃない、僕らなりのアレンジも自由にできたし、ライヴの場においては自分の解釈でやっていくということがけっして間違いじゃないと思っている。

DB:「ライヴでこれを聴きたい」って人がたくさんいたんだよね。求められているという感覚もあったと思うよ。やっぱりアーサーのお父さんの音楽はたくさんの人に愛されていて、「またあれを聴きたい」という声も多くあったから、それを僕らなりにやっていこうじゃないか、というのがとっかかりだったと思う。あと、バンドだから楽器があって、たとえば“Music For A Found Harmonium”ってタイトルの曲があるんだけど、それは(アーサーの)お父さんがハーモニウムという楽器を見つけたことがきっかけになって書いた曲なんだ。それを、「その楽器はこれですよ」って目の前で弾いてあげるような感覚というのが僕らが提示したかったもののひとつなんじゃないかな。

ペンギン・カフェ始動の2年後にアルバム『A Matter Of Life...』が出ます(2011年)。このときはどういう思いでアルバムを作ったのでしょうか?

AJ:そこにいたるまでの数年間にライヴ活動をやってきた結果、この先に進むにはまずいまの状態の自分たちを記録する必要があると感じて作ったアルバムだった。2010年にロイヤル・アルバート・ホールでライヴをやる機会があったんだけど、それで一区切りついたということもあって、父親の曲のカヴァーだけじゃなくて、ようするにありものの曲だけをやるミュージアム・バンドじゃないところに進んでいきたいという思いがあったから、あのアルバムははたしてそれが本当にできるのかというテストでもあったんだ。レコーディング自体は4、5ヶ月で終わって、僕らからしてみるとすごく早いペースでできた作品だったからすごく緊張していたね。そういう不安のなかで作っていて、「とにかくやってみよう」ということでやってみたんだけど、とてもいいものができたんじゃないかな。結果には満足しているよ。もちろん演奏のミスとか間違いがあったりもしたんだけど、それが逆におもしろいと思えたらキープして、不完全さを良しとするみたいなことをあのアルバムではやっていたんだよね。

その後アーサーさんは、現ペンギン・カフェのもうひとりのヴァイオリニストであるオリ・ラングフォードさんとユニットを結成して、サンドッグという名義で『Insofar』(2012年)というアルバムをリリースします。それがペンギン・カフェではない名義で発表されたのにはどのような経緯があったのでしょう?

AJ:僕はたくさん曲を書いているから、なかにはペンギン・カフェっぽくないなと思うものができあがるときもあるんだ。それがどう違うかというのを説明するのは難しいんだけど、僕の感覚としてはそう思うところがあったので、いつも一緒にいたオリとサンドッグというユニットを作ったんだ。『A Matter Of Life...』の最後に“Coriolis”という曲があって、それは僕とオリだけで静かに繊細な音を奏でている曲なんだけど、こういう音をもうちょっと追求してもいいのかなと思ったんだ。でもそれはペンギン・カフェでやることではないと思ったから、オリとふたりのユニットという形でサンドッグが生まれたんだよね。ペンギンでやっているものよりはロマンティックというか、シネマティックというか、そういう方向性を追求したデュオだったね。

そしてペンギン・カフェとしてのセカンド・アルバム『The Red Book』が2014年にリリースされます。これはどういうコンセプトで作られたのでしょうか? サンドッグの活動からフィードバックされたものもあったのでしょうか?

AJ:オリとふたりで音を作ったあとだったから、あのアルバムの制作に取りかかったときは、自分のなかにヴァイオリンとピアノの音が残っていたのかもしれない。そのふたつの楽器の色合いが強く出たアルバムだったと思う。考え方としては、世界を旅しながら、空想の世界のワールド・ミュージック、フォーク・ミュージックを作ったような感覚があって、前のアルバムに比べたら時間もかけたし、木材にサンド・ペーパーをかけてスムースに仕上げたような、すごく磨かれたアルバムになったんじゃないかなと思っているんだ。実際のレコーディングでは、グループが一同に集まって一緒に録るということをよくやったアルバムだったよ。

僕らにとっては他の人の、しかもいまのアーティストの曲をカヴァーするってこと自体が新しいことで、いままでかぶったことのない帽子をかぶるような感覚なんだ。〔……〕この楽器編成で僕らが演奏すれば絶対に僕らの音になる、という確信があるからこそできたことでもあると思う。 (ダレン)


Photograph by Ishida Masataka

それらのリリースを経て、この夏、3枚めとなるアルバム『The Imperfect Sea』がリリースされたわけですけれども、これまでの作品とは異なる趣に仕上がっているように感じました。

AJ:前作『The Red Book』とはまったく違うアルバムを作りたかったんだ。一度やったこととは違うことをやりたいという意味だけどね。フォークやチェンバー的な部分は前作でだいぶ探求できたと思ったから、今回はそれとは離れたところにあるものを探求してみようという感覚で作り始めたんだ。それにあたって、前作の活動が一段落したところで1年間くらい活動を控えて、自分たちにあるものを見直してみようというふうに考えてみた。新しいテクスチャーに出会えた気がするよ。

DB:今回はダンス・ミュージック的な要素がかなり出ていると思うんだけど、これも前作の反動なんじゃないかと思う。ようするにリズムやポリリズム、ビートに引っ張られて走っていくような音楽というのはクラシック音楽とは違う要素で、今回はそれを意識的にやってみようと思ったんだよね。それも、一度リセットしたことによって出てきた発想だろうね。

いまのダレンさんのお話とも繋がると思うのですが、今回のアルバムの9曲目はシミアン・モバイル・ディスコのカヴァーですよね。みなさんはふだんからそういった音楽を聴いているのですか?

AJ:そうだね! よく聴いているよ。いまはダンス・ミュージックの世界でおもしろいものがたくさん出てきているからね。あと僕らはいま〈Erased Tapes〉と組んでいるということもあって、そういうクロスオーヴァーは自然な発展だと思う。僕らからするとクラシカルな世界からエレクトロニックな世界へのクロスオーヴァーってことになるんだけど、エレクトロニックといっても僕らの場合は電子音を使うわけじゃなくて、エレクトロニック的なアプローチって意味でのクロスオーヴァーなんだ。

DB:僕らにとっては他の人の、しかもいまのアーティストの曲をカヴァーするってこと自体が新しいことで、いままでかぶったことのない帽子をかぶるような感覚なんだ。やってみると表現のしかたという意味でも、楽器の演奏のしかたという意味でもいろんな発見があって、自分たちが自分たちのために書いた曲とは違うから、(カヴァーを)やってみて自分を知るような機会にもなったし、すごく楽しかった。勉強になったよ。そういうふうに言えるのも自分たちのアイデンティティがしっかり確立しているからだと思うんだよね。何をどうやっても結局ペンギン・カフェの音になるんだ。この楽器編成で僕らが演奏すれば絶対に僕らの音になる、という確信があるからこそできたことでもあると思う。

4曲目はクラフトワークのカヴァーですが、これもそういった理由から?

AJ:そうだね。じつを言うとペンギン・カフェ・オーケストラが初めてやった公演はクラフトワークの前座だったんだよ。そういう意味で歴史的にも気の利いた繋がりがあるというのと、あとはやっぱりこの系統の音楽の源泉にあるのはクラフトワークだし、彼らは絶対的な存在だから、やるんだったら源泉まで遡ってやろうということもあったね。

先ほど〈Erased Tapes〉の話が出ましたが、ペンギン・カフェが始動した頃から「モダン・クラシカル」と呼ばれるような音楽が盛り上がってきて、そのムーヴメントとペンギン・カフェの復活がちょうどリンクしているように思ったのですが、そういうシーンと繋がっているという意識はありますか?

AJ:シーンの一員っていい気分だよね(笑)。でもたしかにそれはあると思う。パラレル的に、同時多発的に、いろんなところからスタートして似たようなことをやっている人たちが惹かれ合ってシーンができていくという感覚は僕もあるよ。〈Erased Tapes〉にはア・ウイングド・ヴィクトリー・フォー・ザ・サルンやニルス・フラームがいるし、そういった人たちがいろんなところから出てきて何かが始まっているという、そういうシーンのなかにいるというのはいいものだね(笑)。

ペンギン・カフェの音楽にはアンビエント的な要素もあります。ペンギン・カフェ・オーケストラの最初のアルバム(1976年)はブライアン・イーノの〈Obscure〉からリリースされましたが、彼が提唱した「アンビエント」というコンセプトについてはどうお考えですか?

AJ:たとえば布のような、あるいは背景のような存在としての音楽、という考え方だと僕は思っているよ。ようするにストーリーを色濃く語ってくるわけでもないし、パターンが決まっているわけでもないから、アプローチとしてはどうすればいいのだろうと一生懸命考えていて。音楽として取り組むというよりは、たとえば風と対峙するような、壁紙を貼るような、床板を貼るような、あるいは水の流れと対峙するような感じで音楽を作っていくのがアンビエントなんじゃないかと思う。

DB:そうなんだよね。だから自分を取り囲む環境と同じように音楽があるという、そんな質感だと思うんだ。たしかに僕らの音楽にもそういう側面はあって、たとえば僕らのアルバムを3回通して聴いたとして、どこから始まってどこで終わったのかわからなくなるような、そういうところが僕らのアルバムにはあるんだよね。まさにそういう流れがアンビエントなのかなと思うね。

イーノはここ数年、音楽に取り組む一方で政治的な活動もおこなっています。UKでは昨年ブレグジットがあったり、先日は総選挙があったりしましたが、そういう社会的な出来事はミュージシャンたちにどのような影響を与えると思いますか?

AJ:そういえば先日、バレエのプロジェクトの仕事があってアメリカに行ったんだけど、それがコール・ポーターの1921年の作品(“Within The Quota”)をリヴァイヴするというものだったんだ。それは当時、移民を禁じる新しい法律が布かれることに対するプロテストとして書かれた作品だったんだけど、じつはその仕事を受けた段階ではまだトランプが大統領に決まっていなくて、まさかこんなことになるとは思わずにプロジェクトを進めていたんだ。公演の当日にはすでにトランプが大統領になっていて、それどころか新しい移民法が布かれようとするなかでの公演になってしまった。そういうことを考えると、おそらくミュージシャンに右翼の人はあまりいないと思うんだよね。だいたいの人はリベラルな考えで音楽やアートをやっていると思うんだけれども、だからこそイングランドでもそういった政治的な動きに対するプロテストがすごく多くなっていて、実際にこの前の総選挙のときにチャートのナンバー・ワンになったのが(キャプテン・スカの)“Liar Liar”という曲だったし、音楽と政治の距離感というのはすごく縮まってきているような気がするよ。

DB:まったくそのとおりだね。アーティストで右翼ってそうそういないと思うんだ(笑)。やっぱり心を開いていないと芸術ってできないし、グラストンベリーでジェレミー・コービンが演説をするようなことがあるくらいだから、意識せずにはいられないところまできていると思う。あと、いまは学校から音楽教育が外されてしまっているんだけど、音楽はけっして贅沢品じゃないし、算数などと同じように、教育の場で提供されることによって、魂の部分だけじゃなくて脳の活性化もできるに違いないのにね。そういうことを重んじない政治が進んでいるということに対して、年配の世代だけじゃなく若い世代も敏感になっているんじゃないかな。やっぱり音楽や芸術の存在は年寄りよりも若い人にとってすごく身近なものだと思うからね。

ペンギン・カフェ来日公演2017

●10/05(木) 東京・渋谷クラブクアトロ
18:30 開場/19:30 開演
前売:6,000 円/当日:6,500 円(全自由/税込)
※チケット発売日:07/08(土)より
問:渋谷クラブクアトロ 03-3477-8750

●10/07(土) 東京・すみだトリフォニーホール
special guest:やくしまるえつこ/永井聖一/山口元輝
16:30 開場/17:15 開演
前売S 席:6,800 円/前売A 席:5,800 円(全席指定/税込)
※チケット発売日:07/08(土)より
問:プランクトン 03-3498-2881

●10/09(月・祝) まつもと市民芸術館主ホール
special guest:大貫妙子
14:30 開場/15:00 開演
一般:5,800 円/U25:3,800 円(全席指定/税込)
※チケット発売日:06/24(土)より
問:まつもと市民芸術館チケットセンター 0263-33- 2200

●10/10(火) 大阪・梅田クラブクアトロ
18:30 開場/19:30 開演
前売:6,000 円/当日:6,500 円(全自由/税込)
※チケット発売日:07/08(土)より
問:梅田クラブクアトロ 06-6311-8111

お客様用総合info:プランクトン03-3498-2881

The Beach Boys - ele-king

 サマー・オブ・ラヴから50年だという。映画で言うとアメリカン・ニューシネマ、たとえば『俺たちに明日はない』から50年だ。アメリカ文化に夢中になったことのある人間なら誰しも、あの鮮烈な時代に対して憧れを持っているものだと僕は20代のある時期まで思っていたのだが、どうやらそうでもないらしいことを最近では理解している。半世紀前に西海岸で起こったことに思い入れるのは、この21世紀において……とくに、いわゆるミレニアル世代では変わり者のようなのだ。カルチャーの側から「世界を変えられる」とした大げさな想像が、世知辛い現代に有効でないことはじゅうぶん理解できる。そうして60年代のアメリカのロック音楽は紙ジャケとなり、日本において多くは中高年のノスタルジーとして消費されている。「若者は60年代のクラシック・ロックを聴かない」という話もある。が、それはべつに悪いことではないのだろう。世代が交代すれば、価値観は変わっていくものだ。
だが……、それでも、あの頃の壮大な「夢」にいまのわたしたちが感じられる何かはないのだろうか? そんな風に考えたきっかけはいくつかあるが、極めつけは昨年出たザ・ナショナル監修のザ・グレイトフル・デッドのコンピレーションだ。アメリカのインディ・ロック勢は、いまこそ懸命に50年前を振り返っている。そこには何か切実な理由があるように思えてならないのである。


50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き
萩原 健太

Amazon Tower HMV

 アメリカ音楽を追い続けてきた音楽評論家である萩原健太氏にとっての1967年とは、「ビーチ・ボーイズの『SMiLE』が出なかった年」なのだという。サマー・オブ・ラヴ全盛の西海岸にいながら、その渦中にはいられなかったビーチ・ボーイズ。彼らが出すはずだったアルバムをこの2017年から検証するのが『50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き』だ。同書は僕のような変わり者のアメリカ音楽好きの心を見透かすように、現在のアメリカの風景を50年前のそれと重ね合わせつつ幕を開ける。そうして、あまりにも巨大な謎であった『SMiLE』というアルバムの特異性が、著者である氏のライヴ体験を紐解きながらひとつずつ語られていく。79年の江ノ島から2016年のニューヨークへ。読んでいると、その大きなアルバムのヒントをひとつ得て歓喜し、かと思えばまた煙に巻かれて悩んだビーチ・ボーイズ・ファンの道のりを追体験するようだ。
 萩原氏はビーチ・ボーイズを「永遠のカリフォルニア・ティーンエイジ・ドリーム」なのだと本書で形容する。現代のアメリカの優れたインディ・ロックを聴いていると、その図抜けたポップさと音楽的実験への好奇心は形を変えつつ確実に受け継がれていることがわかる。だが、なぜビーチ・ボーイズだけが特別なのか?
 ここでは『SMiLE』 の空白をリアルタイムで体験できなかった世代のひとりとして、萩原氏に素朴な疑問をぶつけてみることにした。「なぜ、いまビーチ・ボーイズを聴くのか」。ビーチ・ボーイズのことを話すのが楽しくて仕方ないという様子の氏と言葉を交わしながら僕は、リスナーの想像力を掻き立てるバンドとしてのビーチ・ボーイズの魅力を垣間見たように感じた。副題が『ぼくはプレスリーが大好き』の引用となっていることからもわかるように、『50年目の『スマイル』──ぼくはビーチ・ボーイズが大好き』には何よりもアメリカ文化への著者のときめきが詰まっている。(木津)

Pitchforkって21世紀のインディ・キッズにいろいろな意味で影響を与えたメディアだと思うんですけど、60年代のベスト200曲とベスト・アルバム200枚を載せていたんですね。それを見ていると『Pet Sounds』が2位なんですね。1位はヴェルヴェッツなんですけど。(木津)

そうかあ。それはうれしいかも。ビーチ・ボーイズが上に来るのは少し前のトレンドだって気がしていたから。(萩原)

それでベスト・ソングの1位が“God Only Knows”なんですよね。ようするにビーチ・ボーイズは21世紀になってもアメリカのインディ・ロックにおいてはすごく意味をもっているんですね。(萩原)

木津毅:僕は1984年生まれなんですけど、10代の後半からアメリカの音楽がすごく好きになって。

萩原健太:というともう世紀が変わろうとしている頃ですね。

木津:そのあたりからアメリカの音楽を聴きはじめて、僕は00年代のインディ・ロックがすごく好きで、ele-kingにもアメリカのロックのことについて書いたりしているんですけど、日本にアメリカのロックのことを伝えるのがけっこう難しくて。21世紀にビーチ・ボーイズを聴くということをどういうふうに考えたらいいか、というのはとても難しい問題だと思っています。そもそも野田さんが僕を駆り出したのは、いまの日本の若い音楽ファンからビーチ・ボーイズを聴いている感じがしないと言うからなんですね(笑)。60年代のクラシック・ロックみたいなものをあまり聴かないと。

萩原:言ってみればビーチ・ボーイズどころの騒ぎじゃないよね。

木津:洋楽リスナー自体が減っているというのもあるんですけど、それ以上にパンクの頃までだったらギリギリ遡れるけど、それ以前になると遡るのが難しいということがあると思うんですね。今回の対談に向けていろいろと見ていて、Pitchforkって21世紀のインディ・キッズにいろいろな意味で影響を与えたメディアだと思うんですけど、60年代のベスト200曲とベスト・アルバム200枚を載せていたんですね。それを見ていると『Pet Sounds』が2位なんですね。1位はヴェルヴェッツなんですけど。

萩原:そうかあ。それはうれしいかも。ビーチ・ボーイズが上に来るのは少し前のトレンドだって気がしていたから。

木津:それでベスト・ソングの1位が“God Only Knows”なんですよね。ようするにビーチ・ボーイズは21世紀になってもアメリカのインディ・ロックにおいてはすごく意味をもっているんですね。

萩原:確かに、若いミュージシャンの話をいろいろと聞いてみると、そういう人も多いみたいね。

木津:つまりはビートルズの『Sgt. Pepper's ~ 』なんかよりも『Pet Sounds』のほうが全然スゲエぜ、という気持ちがアメリカ人にはあるときっと思うんですよね。

萩原:でも、どうなんだろう。一瞬そんなトレンドがあったことはたしかなんだけど。そのままなってくれればよかったなあ、と。90年代に『Pet Sounds Sessions』ってボックスセットが出たことがあって。その頃をひとつのピークに、『SMiLE』という幻のアルバムの在り方とか、当時のロック・シーンとしてはとても珍しかったレコーディング方法とか、ブライアン・ウィルソンという人間のひじょうにナイーヴな心象とか、そのあたりをイギリスとか日本とか、アメリカ以外の国のリスナーや、アメリカに暮らしていてもアメリカ的ではない人たちがかなり持ち上げた時期があったんですよ。しかも、その『Pet Sounds』のボックスが一回発売延期になった。ビーチ・ボーイズのメンバーのマイク・ラヴとアル・ジャーディンからのクレームがあったとかなかったとかで、一回出ないことになったあと、1年くらい遅れてようやく発売されたんだけど。この、“発売中止”ってキーワードが、67年に出るはずだったのにお蔵入りしてしまった『SMiLE』を想起させて、90年代のビーチ・ボーイズ熱を盛り上げちゃった(笑)。その頃はまだまだ研究が進んでいなかったことも含めて、研究しがいのある音だったんだよね。ビートルズみたいにもうすでに研究されつくされているものとは違って、掘りがいがあった。それが96年から97年にかけてのことで。その頃はネットが盛り上がり始めた時代だったでしょ? なので、いろいろなファンがネットで研究成果の発表みたいなことを競うようにやり始めて、ちょっと盛り上がった時期だった。夢のような時期があったんだよね~(笑)。

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ビーチ・ボーイズの場合、あまり時代性みたいなものと繋がっていないんだよね。例えばニール・ヤングとか、あのときにもプロテストしていたし、いまもまだプロテストしているでしょ。でも、ビーチ・ボーイズはそういうのとは違って。当時もちょっと浮世離れしていたんですよね。ああいう時代のただ中にあって音楽を作っていたにもかかわらず、どこかそういう時代の空気感とは違うメッセージを放っていたのが『Pet Sounds』なんだよね。もし『SMiLE』があの時代に完成していたとしても同じようになっていたと思う。(萩原)


50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き
萩原 健太

Amazon Tower HMV

木津:僕の感覚からすると、インディ・ロックが一番先鋭的だったと言われている00年代後半のアニマル・コレクティヴやフリート・フォクシーズみたいなものがビーチ・ボーイズを引用しているのがなるほどなと思ったんです。あのコーラス・ワークはコミュニティ精神を喚起するもので、それが当時の保守的なアメリカに対抗するために必要だったのではないかと。僕が一番ビーチ・ボーイズを感じるのはグリズリー・ベアなんですけど。その60年代に起こったことというのをアメリカのインディ・ロック・ミュージシャンというのはものすごく振り返るじゃないですか。そこでなにが起こったのかということをすごく研究する。その感覚や重要性を日本に伝えるのがとても難しいんですけどね。
ただ、そこを理解するためにもいまビーチ・ボーイズの曲を聴くというのはなにか意味があるんじゃないかなと思っていて。『50年目の「スマイル」』を読ませていただいたんですけど、サマー・オブ・ラヴというのがひとつの起点になっているじゃないですか。僕もアメリカ文化が好きな人間なので67、8、9年に起こったことをいろんな映画で観てすごく憧れがあるんですけど、その憧憬というのが僕ら世代にはなくなっているからきっとビーチ・ボーイズが聴かれなくなっているんだろうなと分析をしているんですね。本の入り口でサマー・オブ・ラヴについて書かれていたんですが、萩原さんはサマー・オブ・ラヴというのをいまどういうふうに振り返ってらっしゃいますか?

萩原:いまふり返ると、あのムーヴメントは結果的に失敗に終わったものなわけじゃないですか。成果は上げられなかった。ある種の挫折を呼びこんだだけで。でも、あの時代、多くの若者がロックとかそういうカウンターカルチャーを旗印に革命が起こせるんじゃないかと信じていたわけでしょ? そういう“時代の熱”っていうのはあの時代にしかないものなんだよね。そのあとになると、「ああ、あれは失敗したよね」という思いがみんなの心のどこかに必ずあるから。音楽をやる人でも、他のジャンルのなにかを作る人でも「そういうことを信じていた時代があったのかもしれないけど、それは失敗しちゃったんでしょ。じゃ、砂漠に井戸を掘ってもしょうがないじゃん」っていう感じで。でも、当時は違った。あの時代だけは、ここからなにか生まれるはずだって心底信じてずっとその場で井戸を掘り続けていた。そういう圧倒的な熱気を内包した音楽が生まれていた時代だった。
それはそれで素晴らしいことだと思うんですよ。だって、もういまの人にはできないんだから。なにかをやみくもに信じているパワーというのは、67年から69年くらいまでの、あの数年間のロック音楽にしかない。これは反発を食らうこと覚悟で言うけど、僕はロックというのはあの時代に活動していたアーティストたちの音楽だけなんじゃないかって思ったりするのね。67~9年に音楽をしていた人の音楽だけをロックと呼べばいい、と。だから世代的にはもう死んじゃった人とか、死んじゃいそうな人ばかりなんだけど(笑)、それでもやっぱりジミヘンはロックだし、エリック・クラプトンだってロックだし、ポール・マッカートニーだってそうだし。そういう時代だったんじゃないかなあ。
ジャズもそんな感じあるでしょ。あの時代にジョン・コルトレーンとかがやっていたことを、結局その後の時代のミュージシャンがだれひとり超えられない。もちろん、今のミュージシャンなら、技術的にあのくらいのことはできちゃうと思う。みんな上手になってるし。ロックの人たちにしてもテクニカルな面ではそのくらいできるだろうし、再構築もできる。『Pet Sounds』だって、たぶん『SMiLE』ですら、いまの時代にその音像を再現することは昔と違ってわりと簡単にできるはず。ただ、信じている熱量の違いがあるんだよね。熱量の違いが音に表れちゃう。まあ、ブライアン・ウィルソンが2004年に『SMiLE』を再構築したのも、いまの時代ならではってことになるのかもしれないけれど、この場合はやっているのが本人だし、当時の思いと直結しているというか、あの時代にコネクトしている感覚があっただろうから、ちょっと例外だとして。そういう特例を除けば、いまは変に全員シニカルになっちゃってるから。
まあ、あの時代だけ変に浮き足立っていたんだろうね。で、その浮き足立ってしまったがゆえに失敗したってことをいまでは誰もが思い知ってる。でも、逆に言えばそれがいまとなってはもうできないことで。だからこそ、妙に魅力的に見えてしまうというか。そんな気がする時代ですよね。

木津:僕がアメリカ文化に憧れるのってやっぱり日本にないものが強烈にあるからだと思うんですよね。ただ、だからこそ日本にどうやってビーチ・ボーイズを伝えるかってすごく難しいことだと思うんですけど、ひとつ取っ掛かりを考えると、本の入り口にトランプ政権について書かれていましたよね。そのトランプ政権というものを考えたときに、さきほど仰っていた68、9年に起こったことはいまの時代に有効だと思いますか?

萩原:うーん、そうだな。またあの時代の時点に立ち返って「やっぱりおかしいことはおかしいんじゃねえの?」って言ったとして、どうなんだろうとは思うけど。それに、ビーチ・ボーイズの場合、あまり時代性みたいなものと繋がっていないんだよね。例えばニール・ヤングとか、あのときにもプロテストしていたし、いまもまだプロテストしているでしょ。すごいじゃないですか。でも、ビーチ・ボーイズはそういうのとは違って。当時もちょっと浮世離れしていたんですよね。ああいう時代のただ中にあって音楽を作っていたにもかかわらず、どこかそういう時代の空気感とは違うメッセージを放っていたのが『Pet Sounds』なんだよね。もし『SMiLE』があの時代に完成していたとしても同じようになっていたと思う。
そういう意味ではトランプ政権がどうであれ、そことビーチ・ボーイズはやっぱり関係ない気がするんですけどね。グループだということもあって、ちょっとそこらへんは微妙で。メンバーのなかにはマイク・ラヴというバリバリの共和党員もいて、そういうこともあってか、ブライアンはあんまり政治的な表明をしてないし。でも、それも含めて『Pet Sounds』や『SMiLE』のあり様かなという気はするんで。逆に言うとオバマのときだと目立たなかったんだけど、こういう時代になると、むしろそののほほんとした感じがいちだんと目立つのかな(笑)。それは70年代に入ってすぐに出た『Sunflower』というアルバムを聴いたときにも感じたんだよね。これは本にも書いたけどエドウィン・スターが「黒い戦争」を歌っていたり、CSN&Yが「オハイオ」を歌っていたりする時代の空気感のなかで、ビーチ・ボーイズは「あなたの人生に音楽を」みたいなことを歌っていたわけで。その「なに、ほのぼのしたこと歌ってるんだよ」という感じが情けなくもあり、でも、実はそうであるからこそ表現できるなにかがあったりして。うまく伝えにくいんだけど。

木津:まあ両方あるのが魅力ってことですよね。

萩原:一周巡ってこの時期にそういうことを歌う、逆に言うとアナーキーな感じというのを楽しめるかどうかみたいな。ちょっと上級ネタになっちゃうんだけどね。そこはなかなか人を説得できないところなんだよね(笑)。

木津:僕もビーチ・ボーイズに関しては基本的なことしかわかっていなかったので、すごく丁寧に解説していただいて勉強になりました。で、すごくなるほどと思ったのが、『SMiLE』のことを「67年にアメリカ建国を振り返ったアルバム」というふうに書かれていて。そうすることによって当時の浮足立ったアメリカになにか大切なものを追い出させようとした切実かつ美しい問いかけだと表現されていて、すごく腑に落ちたし、感動したんですよね。

萩原:そう思ってもらえてよかった。

木津:アメリカのミュージシャンってすごく自分のルーツを振り返るじゃないですか。どこから来たのかとか……。

萩原:意識的な人は振り返るんですけどね。そうじゃない人はわりとブレブレになっちゃっていると思うから。

木津:そういう意味で言うとヴァン・ダイク(・パークス)とブライアンに関しては当時からそこに意識的だったのでしょうか。

萩原:とくにヴァン・ダイクはね。そこらへんは彼がリードしたことだろうなと思うんだけど。ただそれを触発したのはブライアンだと思うのね。彼はなにか言葉で言うんじゃないんだけど、音でそれを弾いたときにヴァン・ダイクが「これはアメリカの建国に遡っていいんじゃないか」と感じたと思うし。たとえば「ネイティヴ・アメリカンの侵略の歴史みたいなことなんだな」とか、ヴァン・ダイクはブライアンが無意識に弾いたメロディーのなかから感じたんだと思う。あのふたりならではのものなんだろうなという気はします。

木津:それはブライアンにしてもヴァン・ダイクにしても、彼らの個によるものなのか、もっと時代的なものなのか、あるいはアメリカ文化というものが負っているなにかなんでしょうか?

萩原:うーん、難しいところですね。でも僕はやっぱり特異な存在としてふたりがいたんだと思うんですよ。どちらも決して単独でいたらそんなにポピュラーな存在になれる人じゃない気はするんですけどね。でも、ブライアンにはたまたま仲間がいた。マイク・ラヴとかそういう連中がいて、西海岸の若者像みたいなものを体現する仲間がいて、そのなかでちょっと変わった才能を発揮していた存在がブライアンだったんじゃないかなと。ヴァン・ダイクのほうは絶対にひとりでは無理じゃない? 現在までずっと無理なんだから(笑)。そういう人たちだったんじゃないかなあ。だからアメリカ文化を代表しているとは言えない。ただアメリカのなかにああいう人たちはかならずいる。で、そういう人がやっていることがじつはおもしろい。我々はそういうものに常に触発されながらアメリカの音楽を聴き続けてきたところもあって。ボン・ジョヴィがいて、でも同じ頃にハイ・ラマズみたいなものも出てきたりして。その両方あることがアメリカ音楽の魅力だったりするでしょ? ビーチ・ボーイズというのはひとつのグループのなかにそこらへんを両方抱えこんでいたのではないかな、というのが僕の感じ方なんですね。本ではそのふたつの要素をマイクとブライアンに代表させちゃっているけど。アメリカの音楽趣味というのは常にその両方が存在するんだけど、ひとつのバンドのなかにその両方があるというのはなかなかないことじゃないかなと思っていますけどね。

木津:僕はこのお話が出たときに強烈に思い出したのが、2002年にウィルコが出した『Yankee Hotel Foxtrot』ってアルバムで。僕はあのアルバムがすごく好きであれ以降重要な流れを生み出したなと思っているんですけど、あれはカントリーや戦前のフォークを引っ張りだしながら音をモダンなものにしてアメリカの失意みたいなものが描かれているんですよね。彼らは自分たちがどこから来たのかということをすごく意識してやっていると思うんですけど、僕はそこにすごくアメリカ文化的なものを感じるんですね。

萩原:でもウィルコって、ウィルコ全体でブライアンっぽいじゃないですか。

木津:たしかに。

萩原:もともとはアンクル・テュペロというバンドがあって、そこからウィルコとサン・ヴォルトというふたつのバンドに分かれていったわけだけど。どっちもブライアンっぽいんだよね! でも、普通はそうだと思う。『Yankee Hotel Foxtrot』でウィルコは音響派みたいなところへ接近してみせたわけだけれど、正反対の要素を取り入れたと言うよりは、ジェフ・トゥイーディのシンガー・ソングライター的な素養をもっと際立たせるものとしてそっちに寄っていった感じはする。これは僕の個人的な見解で、読み取り方はいろいろだと思うんだけど。それに対して、ビーチ・ボーイズの場合はあり得ないけど馬鹿ポップなものとすごく悲しいものが一緒にいるみたいな奇跡というか。突き抜けちゃう「どポップ」な部分とものすごくダウナーな文化みたいなものが非常に美しく融和している。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでも「どポップ」な部分がちょっと足りない。いい曲も多いしポップな曲も多いんだけど、それだけで成立しないというかさ。そういう意味ではエルヴィス・プレスリーもすごいかな。あの人はひとりのなかに万人受けするなにかカリスマ的なポップな部分と、ものすごいダメで『ツイン・ピークス』的なアメリカの病巣みたいなものを両方抱えこんでいる人なんだよね。普通は『ツイン・ピークス』的なものを出しちゃう人ってそっちだけになっちゃいがちじゃない。

木津:仰っていることは非常によくわかります。

萩原:だからビーチ・ボーイズは非常に特異なバンドで、『Pet Sounds』はまだポップな面があるんだけど、そうはいってもずいぶんとブライアン寄りに出来上がってきちゃったものなので、レコード会社がすごく不安に思ったというのはそこの部分だと思うのね。あれはあれでそこに特化した非常に美しい世界を作り上げていて、いま聴けばどこにも文句をつけようがないんだけど。ただ“California Girls”で歌われている「全米中の女の子がカリフォルニアの女の子になればいいのに」という歌詞と、『SMiLE』に収められるはずだった“Cabinessence”の「何度も何度もカラスの鳴き声がトウモロコシ畑をむき出しにする」って歌詞を比較しちゃうと「あれ?」ってことになるのはわからなくはないなと。いまから思えばその表現はありなんだけど。それは、たぶんいまだからなんだよね。あの頃だったら、ウィルコだってデビューできていないよね。ビーチ・ボーイズは、なんとなく昔ながらのショウビズの美学のなかで活動しながら、あんな地点にまで至っちゃったっていうのがおもしろいと感じますけどね。

木津:いまの話ってすごく60年代っぽい話だなと思うんですよね。『Pet Sounds』みたいなものって時代と交錯するダイナミズムみたいなものがあると思うんですけど、それ以前のビーチ・ボーイズというのもいまでもしっかり評価されているということですよね。

萩原:そう。大好きなの。初期のビーチ・ボーイズがあるからこその『Pet Sounds』だし『SMiLE』だし、やっぱり初期がいいんですよ。ただその初期の陽気な魅力のなかに「ブライアンってなんでこんな暗いの?」というのが浮かび上がってくる曲があったり、明るいサウンドに乗せてはいるんだけれども、イノセンスなものを失ってしまうことに対するものすごく悲痛な気持ちみたいなものが隠されていたりして、それがそのまま『Pet Sounds』から『SMiLE』に繋がってくる。その感じが長く付き合っていると見えてきてね。楽しいですね。なんかそれがいいんですよ。「14、15、16、17」って年齢をコーラスしながら進行する「When I Glow Up (To Be A Man)」(自分が大人になっていく)という曲があって、それなんかもただの数え歌っちゃ数え歌なんだけど、歳を重ねていってしまうことへのある種の不安みたいなものが漂っている。同じような曲がその前の時代にもいくつもあって。そういう曲たちがあったうえでの『Pet Sounds』。B面の一番最後に「君の長い髪はどこに行ってしまったの?」って歌うブライアンが出てくるわけじゃないですか。それで「キャロライン、ノー」と。「ノー」って言われたときにさ、もうバーッと来るじゃないですか! 目の幅で涙でちゃうぜ、みたいな(笑)。その感じというのがひとりのアーティストの線のなかにちゃんとある。本人たちはあんまり意識していないと思うんだけど、それでもデビューしてからたった5年くらいのあいだにそこまで来ちゃっているビーチ・ボーイズの表現の深まりというか。それでその次にあるはずだった『SMiLE』って考えると、ね。なーんか楽しいじゃないですか(笑)。

木津:やっぱり僕らの世代だと「『Pet Sounds』のビーチ・ボーイズ」であり「『SMiLE』を完成できなかったブライアン・ウィルソン」というイメージが強いから、天才の狂気なり闇みたいなものというイメージが刷りこまれているんですよね。だからそれ以前のほうがあんまり脚光が当たらないというか。

萩原:でも、昔は逆だったんだよ。みんな、とりあえずビーチ・ボーイズのこと知ってることは知ってて。でも、知っているのはせいぜい“Surfin' USA”くらいで。「ビーチ・ボーイズ大好きなんですよ」と言うと「ああ、“Surfin' USA”のね」って言われるわけですよ。それに対して山下達郎さんとか僕がいつも答えていたのは、「いや、ビーチ・ボーイズは“Surfin' USA”だけじゃない。『Pet Sounds』というすごいアルバムがあるんだ」と。そうずっと言い続けてきて。それで90年代になって、ようやくビーチ・ボーイズといえば『Pet Sounds』って時代になったんだよね。でも、今度は誰もが『Pet Sounds』のことばっかりになっちゃったもんだから、90年代以降、僕らは今度「いや、ビーチ・ボーイズは『Pet Sounds』だけじゃないんだ、“Surfin' USA”もすごいんだ」って言わなきゃいけなくなったりして(笑)。そんな逆転劇があった。ややこしいんですよね。

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実はバランスがとれたポップ・ミュージックとしてのビーチ・ボーイズというと、やっぱり66年の『Pet Sounds』の前までというか。スタジオ・アルバムで言うと64年の『All Summer Long』が一番の完成形として美しくまとまっている気がする。山下達郎さんもビーチ・ボーイズを聴きたいという人がいたらまず最初に『All Summer Long』をすすめるそうだし。あのアルバムこそがある意味でビーチ・ボーイズの到達点だと。そのあと『Pet Sounds』にいたるまでに何枚かあるんだけど、そこらへんにはだいぶ『Pet Sounds』的なニュアンスが芽生えてくるんだよね。それはそれで兆しとしてはとてもおもしろいんだけど、ある意味バランスが崩れていく過程だったというか。(萩原)


50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き
萩原 健太

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木津:2015年に日本で公開された映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』、字幕を監修されたということですが、どういうふうにご覧になられました? あれも言わば、天才ブライアン・ウィルソンの闇に焦点を当てるものですよね。

萩原:実は『Pet Sounds』こそブライアンだ、と思っているのは、思いのほか日本とイギリスだけだったりするんだよね。アメリカの人っていまだに「ブライアン・ウィルソンって誰?」と言うから。ニューヨークでブライアンのサイン会があったとき、順番待ちの列に並んでいたんだけど。『That Lucky Old Sun』が出たとき。その列を見て、通りすがりのおばちゃんが「これはなんの列?」って聞くから「ブライアン・ウィルソンのサイン会だ」と言ったんだけど、全然ピンと来てなくて。仕方なく「ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン」とビーチ・ボーイズの名前を出してはじめて「ああ」って。一般にはそれくらいの認知度なんだよね。テレビ中継とか見ていても、例えばボストンみたいな、すこし知的レベルが高いのかなって地域にマイク・ラヴが率いる現在のビーチ・ボーイズが行くと、地元のおばちゃんたちが「ギャーッ!!」って喜んでいるわけ。

木津:それはアメリカっぽい話ですね(笑)。

萩原:この本にも書いたけど、カーネギー・ホールでブライアンが『SMiLE』の全曲演奏ライヴをやって。これなんか、ある意味東海岸の知的な音楽ファンが楽しむライヴなわけですよ。カーネギーだし。しかもそのアルバムは〈Nonesuch Records〉から出ているわけだし。もちろん『SMiLE』のパートでも圧倒的なアプローズがあったんだけど、実は一番盛り上がったのはアンコールで“Fun, Fun, Fun”や“Surfin' U.S.A.”をやったときなんだよね(笑)。やっぱりアメリカはいまひとつわかってないのかも。だから、あの映画の意味はそこにあるんですよ。以前、ドン・ウォズが監督した『ダメな僕(Brian Wilson: I Just Wasn't Made for These Times)』って映画もブライアン・ウィルソンの苦悩みたいなものを描いたもので、日本やイギリスのファンはそれを観てなにをいまさらそんな話をやってんだって思ったんだけど、アメリカの人はそんな話なにひとつ知らなかったって言うわけ。そのときと同じ。『ラヴ&マーシー』のときもそんな話知らなかったって。ブライアンはそんなに悩んでいたんだって。その程度なの。アメリカではブライアンはいまだにかわいそうなんだよ(笑)。でも、マイク・ラヴが率いているもう一方のビーチ・ボーイズは別にそれはそれでOKな人たちだったりするので、そこがまた複雑なんだよね。だからあのへんの映画の存在価値というのはアメリカでこそ大きい。もちろんポール・ダノによる若き日のブライアンの演じかたは本当に素晴らしかったから、そこについては日本でも意味があったはず。やっぱりみんな忘れかけていたところもあるしね。

木津:日本ではどのあたりまで『Surfin' U.S.A』のイメージってあったんでしょうか?

萩原:80年代まではまだそんな感じだったよね。でも、実はバランスがとれたポップ・ミュージックとしてのビーチ・ボーイズというと、やっぱり66年の『Pet Sounds』の前までというか。スタジオ・アルバムで言うと64年の『All Summer Long』が一番の完成形として美しくまとまっている気がする。山下達郎さんもビーチ・ボーイズを聴きたいという人がいたらまず最初に『All Summer Long』をすすめるそうだし。あのアルバムこそがある意味でビーチ・ボーイズの到達点だと。そのあと『Pet Sounds』にいたるまでに何枚かあるんだけど、そこらへんにはだいぶ『Pet Sounds』的なニュアンスが芽生えてくるんだよね。それはそれで兆しとしてはとてもおもしろいんだけど、ある意味バランスが崩れていく過程だったというか。

木津:なるほど。それはすごくいいお話ですね。僕らの世代だと絶対に『Pet Sounds』から入りがちですもんね。

萩原:『Pet Sounds』って、ブライアン以外のビーチ・ボーイズのメンバーはヴォーカルとコーラスしかやっていない。演奏しているのはレッキング・クルーだしね。そういう外部ミュージシャンも含めてその全体をビーチ・ボーイズと呼ぶのであれば『Pet Sounds』をビーチ・ボーイズのアルバムと言ってもいいんだけど。もちろんその前のアルバムでもハル・ブレインがドラムを叩いていたり、グレン・キャンベルがギターを率いていたり、外部ミュージシャンがビーチ・ボーイズのメンバーの代役をつとめていたりするけど、そのへんはあくまでもロックンロール・バンドとしてのサウンドを追求していた頃だから。ある意味バンドとしてのビーチ・ボーイズの形だった。でも、より大きなオーケストレーションのもとでブライアン・ウィルソンが一気に持てる才能を花開かせた最初の1枚というのは、やっぱり『Pet Sounds』だったりして。ほんとにややこしいですよね。

木津:前期と後期の違いというのはすごく60年代的というか、ビートルズとかもそうなんですけど、ビートルズの60年代前半後半でまったく別物というのはいまの時代には生まれにくいものだなとは思います。

萩原:でもそうすると後半のほうがわかりやすいんだよね。ビートルズも後半のほうがある方向に振れているし、ビーチ・ボーイズも振れているってことだよね。最初の頃は両極の幅広い魅力がもうちょっと一緒くたに存在していたんじゃないかな。どっちがいい悪いじゃないですけどね。ビートルズからなにかを得たという人でも、初期みたいなことをずっと追求している人もいれば、『Revolver』みたいなことをずっと追求している人もいるし。

木津:僕は例えばグリズリー・ベアとかにもビーチ・ボーイズを感じるんですけど、でもたしかに60年代前半のビーチ・ボーイズはないといえばないかなという感じはしますね。

萩原:いまの時代に60年代前半のビーチ・ボーイズっぽいことをやる意味があるのか、ということをもしかしたら若いミュージシャンは自分に問いかけて、やっぱりこれじゃあなあと思っているのかもしれない。残念だけどね。それにしてもさ、表現によって別のペルソナを用意する人は多いけど、ビーチ・ボーイズはねえ。だってビーチ・ボーイズだよ。ビーチのボーイズ。ビーチ・ボーイズって名前で、なにやったってダメじゃん(笑)。
『Pet Sounds』をブライアンがソロ名義で出そうとしていたみたい話もあるんだけど、それは結局うまくいかなかった。“Caroline, No”のシングルだけはブライアン名義で出たんだけど、それだってやっぱりビーチ・ボーイズなんだよね。当時、まだできてもいなかった『SMiLE』のラジオ・コマーシャルが作られていて、「The Beach Boys. 『SMiLE』」と言うと“Good Vibrations”が鳴るっていうやつなんだけど、これも冷静になってみるとビーチ・ボーイズじゃ説得力ないというか(笑)。そこは別の名前を用意できるなら、したかったと思うよね。

木津:ブライアンは当時それをビーチ・ボーイズじゃないと思っていたということなんですかね?

萩原:本当はソロ名義にしたかったんじゃないかとか、そのほうが幸せだったんじゃないかとか、僕はいまでもあれこれ思うんだけど。でも例えば『SMiLE』の制作を中止したことに対してブライアンが言った「あの音楽はわれわれにとって不適切だと思った」という言葉の“われわれ”は決してブライアンとヴァン・ダイクのことではなくて、ビーチ・ボーイズのことなんだよね。だから彼はあくまでもビーチ・ボーイズとして音楽を作らなくちゃって思っていたんじゃないかな。

木津:『Pet Sounds』もビーチ・ボーイズという名前で出したから歴史に残っているところがあって、それはふり返るとそう思いますね。

萩原:『ラブ&マーシー』を観ると、そのなかのひとつのシーンでブライアンがマイクに怒られているじゃない? 「メンバーの誰も演奏してねえじゃねえか」って。ああいうことだよね。僕も子どもの頃、例えばビートルズの“Yesterday”を聴いたとき、「あれ? ドラム入ってないけど、リンゴはなにしているんだろう。チェロでも弾いているのかな」って思ったもんね。バンドの音楽はバンドのメンバーだけで演奏しているものだと思っていたからね。そういう意味で60年代ってまだバンドっていうものの考えかたが狭かった時代でもある。いま思うとそんなもん誰が演奏してもいいじゃないかって当たり前に思えるけど、当時は状況がだいぶ違ったと思う。ビーチ・ボーイズ名義で出すレコードなのに、ブライアンが全部違うミュージシャンを招集して大編成で演奏させて、ステージでできねえじゃねえかって音を作っちゃったわけだけれど、そんなこと当時はあっちゃならないことだったんじゃないかな。ほかのメンバーがツアーに出て“Good Vibrations”を初めてライヴで演奏するってとき、ブライアンはツアーなんか大嫌いだったのにわざわざ飛行機に乗って公演を観にいっているんだよね。心配で。スタジオで作り上げた理想の音をライヴで出せてなかったら、むしろそれはやらないでほしいくらいの気持ちがあったわけでしょ。そういうのってもうバンドじゃないよね。

木津:それはもう共同体としてのバンドっていうものにすごくこだわりがあったということなんですかね。

萩原:メンバーが兄弟と従兄弟だからねえ。やっぱり家族なんだよ。家族でやっていることだから解散もできない。赤の他人どうしだったら全然別の道があったんだろうけど。まだまだ親父の横暴も残っていただろうし。ヒッピー・ムーヴメントが起こって、従来あった既成の家みたいなコンセプトを打ち破って新しいコミューンを作ろうとしている時代のなかにあっても、やっぱりウィルソン家は親に対してあれだけ排除しようとしていても家は家で繋がっていた。そういう環境のもとで活動していたんだよね。そこの足かせもかなりあったなかでいろんな葛藤がブライアンにはあったのかな。

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ビーチ・ボーイズは、なんとなく昔ながらのショウビズの美学のなかで活動しながら、あんな地点にまで至っちゃったっていうのがおもしろいと感じますけどね。
(萩原)


50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き
萩原 健太

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木津:さっき僕らの世代だったら『Pet Sounds』が中心になってという聴きかたが多いという話をしたんですけど、萩原さんの世代でいまもビーチ・ボーイズを聴くかただとまだ『Surfin' U.S.A.』のイメージなのか、それとも『SMiLE』に思い入れをもって聴かれているかたが多いのか、どうなんでしょう?

萩原:ずっと聴いている人なら『Pet Sounds』、『SMiLE』、『Sunflower』あたりのビーチ・ボーイズはかなり上にいると思うんだよね。ずっと聴いている人はね。でも昔聴いていましたくらいの人はあいかわらず『Surfin' U.S.A.』なんじゃないかなあ。まあそれでいいのかなとも思うし。ただずっと聴いている人が案外すくないよね。

木津:そうですね。僕がすごく印象的だったのが、ライヴに行かれたときに近くにいた人が「懐メロじゃねえか」と言ったことに心のなかで反論したというところで、これは懐メロをギリギリのところで回避する永遠のティーン・エイジ・ドリームなんだ、と書かれていてなるほどと思ったのですが、その反論の部分を存分に聞かせていただきたいなと思います。これはひとつ個人的な話なんですけど、母親とサイモン&ガーファンクルのライヴに行ったときに、よかったんですけど僕は懐メロだなと思っちゃったんですね。音楽もいいし、テーマもいいと思ったんですけど。

萩原:79年にビーチ・ボーイズが「JAPAN JAM」のために来日したときの話ね。僕は懐メロとは違うと思ったんだよね。でもそう言われてもしょうがないなと思ったステージでもあったの。当時のビーチ・ボーイズにはそこが限界だったと思う。でもその後、2012年に結成50周年で来日したときは違った。ブライアンのバンドを基本にして、そこにビーチ・ボーイズのほかのメンバーが入って行なわれたステージで。これは確実に懐メロじゃなかった。やってる音楽は同じなんだけどね。結局、どうやるかにもよるんだよね。
あと、リスナー側が若いとだいたい古い音楽は懐メロに聴こえるよね(笑)。僕もたぶんサイモン&ガーファンクルの同じ来日公演を観にいっていると思うんだけど、僕は懐メロとは受け止めなかった。エヴァー・グリーンなもの、時代を超えたものだと思った。こっちが歳を取らないとわからないこともたくさんあるしね。ほら、“Old Friends”という曲が『Bookends』にあるでしょ。年老いた旧友ふたりがベンチに座っていて、それがブックエンドのように見えるという歌詞ですよね。彼らが若いときに歌った表現もそれはそれでよかったんだけど、まったく同じことを本当に歳をとっちゃったふたりがあそこで歌ったときに、その曲がようやく時代に対してリアルに意味のある表現になったと感じたの。こっちも一緒に歳をとったからというのもあるんだけど、その歳月の果てにあの曲がようやく意味をもったという瞬間だった気がする。それは懐メロとは言えない。古い曲ではあるけれども、いまも生きているすごい曲だなと思いました。
それはブライアンやビーチ・ボーイズに関してもそうで、ブライアンがいまの自分のバンドを手に入れてからということにすごく意味がある気がする。彼ら、ブライアンの今のバンドのメンバーがブライアンの昔の音楽をいまに意味のあるものに作り変えていく。まったく同じアーカイヴを聴かせているだけなんだけど、ちゃんといまの表現としてできるやつらが集まった。それを知り抜いている人たちがバンドをやっている。これがけっこう重要な気がしていて、今回『SMiLE』を作れたのもあのバンドがいたからだと思う。たしかに、本当に古い音楽を古いまんまいまやってもダメじゃん、みたいなことは多い。ビルボード・ライヴに行くとそんなライヴばっかりだったりもするんだけど。だけどたまにあるんだよね。古いとか新しいとか関係なくいまの表現にできているライヴが。ウマいかヘタかにもよるよね。ブライアンのバンドはめちゃくちゃウマいんだよ(笑)。でもただウマいだけだとダメで、やっぱり昔の楽曲をよく知ってリスペクトしているやつらがやると今の音になるんだよね。

木津:仰っていることはわかります。曲が時間の流れとともに、リスナーの関係性も含めて変化するということはありますもんね。

萩原:いい曲っていつの時代でも演じる人によって生きるんだなという気持ちになるのね。そういうふうに聴ける自分がリスナーとしての歳月を積み重ねているというのもあるんですよ。だから僕はジョー・トーマスが諸事情で来られなかったあの99年の日本公演を誇りに思っているわけ。ジョー・トーマスがいたらこんなことにならなかったと思う。いないから、それまではステージ後方でコーラス要員みたいな感じだったワンダーミンツのダリアン・サハナジャが前に出てきて、ブライアンのとなりでやるようになった。それがブライアンにも火をつけたと思うんだよね。そうならずに相変わらずジョー・トーマスが仕切っていたら『SMiLE』はできなかったと思う。だからあの本にも書いたけど、ブライアンがソロで日本に初めて来た初日の大阪公演で大きく変わった気がするんだよね。

木津:そういうお話を聞くと、30年以上の時を経たからこその『SMiLE』の価値というのがあるんでしょうね。

萩原:そこはファンの贔屓目みたいなところもかなりあると思う。僕がビーチ・ボーイズについて言うことは信じないほうがいいってよく言うんだけど(笑)。ほら、僕はもうビーチ・ボーイズに関しては頭おかしいから。なんだけどそういう前提で言わせてもらうと、37年あってよかった。こっちがついて行けるというか、ようやくわかったという感謝の気持ちがありますね。

木津:本を読んでいて、やっぱりファンがそういうふうに30年以上の年月のなかで想像を働かしていくことも含めての作品だったのかなと思ったんですよね。

萩原:そう。いまはそういうのがなかなかないじゃない。あの頃はテープだったから残っているんだけど、いまはハードディスクなので基本的には全部上書きしていっちゃうし、直しちゃうんだよね。ああいうかたちで素材が残ることってこれからはないような気がするんだよね。

木津:唯一カニエ・ウェストが去年出した『The Life of Pablo』みたいに途中でどんどん出していくみたいなことはあるにはありますけど。でも『SMiLE』みたいな例はたしかに本当にないもので、それってファンと双方向のなにかがあったのかなと感じますね。

萩原:たまたまその未発表音源流出のシーンというのが大きな役割を果たしているので、そこの盛り上がりというのはたしかにあったと思う。誰が流出させたのかは知らないけど。ただそういうふうな思いというのはずっと聴いてきた僕みたいなマニアしか持っていないものなのかな。それは本を書いてみてよくわかりました。

木津:僕が今日一番お聞きしたかったのはいまなぜビーチ・ボーイズを聴くかってポイントについてで。00年代後半にビーチ・ボーイズに影響を受けたバンドがいっぱい出てきたというのをお話しましたけど、もうひとつは去年ザ・ナショナルがグレイトフル・デッドのトリビュート・アルバムを出したじゃないですか。あれはすごくわかるんですよ。いま60年代後半に起こったことを再考するというのがすごく重要な意味を持っているんだろうなという。とくにザ・ナショナルみたいにリベラルなバンドが西海岸で起こったことをいまの時代でもう一度やるというのはとても重要だと思うんですけど、そういう意味で言うといまビーチ・ボーイズを振り返ることや、アメリカ建国を振り返って描こうとした『SMiLE』というアルバムをあらためて考えるということはどういうポイントで再評価できるのでしょうか?

萩原:同じだと思う。あのときは出なかったのでそのときに実際どういう意味をもったのかはわからないままなんだけど、あのときだろうが、いまだろうが、要するに「アメリカ建国のときに自分たちがなにをしたか見つめ直してみろ」ってことなんだよね。(“英雄と悪漢 Heroes and Villains”の)「Just see what you've done.」という言葉はトランプにそのまんまぶつけられる言葉でしょ? お前はネイティヴ・アメリカンを駆逐しておいてなにさまのつもりだよって。オバマがせっかく止めていたのに、ネイティヴ・アメリカンの聖地を破壊する石油パイプライン建設を強権的に承認したりして、なにさまだっていうことだから。

木津:なるほど。最後にひとつだけお聞きしたいんですけど、僕たちがいま『SMiLE』を聴くとなるとネットのストリーミング一発で聴けるわけじゃないですか。本を読ませていただいて一番いいなと思ったのは37年間かけて『SMiLE』がすこしずつわかってくるという過程で、ブライアン本人は辛かっただろうし、ファンにとっても辛いことだったのかもしれないですけど、僕にとってはすごく羨ましい体験だと思ったんですね。そういう意味ですぐ『SMiLE』を聴けてしまうような僕ら世代にいまどういう部分を聴いてほしいですか?

萩原:これは本当は本に書かなきゃいけなかったのかもしれなくて、いまさらここでだけ話したら怒られちゃうのかもしれないけど、やっぱりできあがったのはブライアン・ウィルソンの『SMiLE』なわけでしょ。それが2004年の『SMiLE』で。ビーチ・ボーイズ版も2011年に出たんだけど、これも結局はブライアン版にのっとって再構築された仮の姿というか。で、そのビーチ・ボーイズ版が収められた『The Smile Sessions』という5枚組が出ているんだけど、やっぱりこれ全部で『SMiLE』なんだよ。もし『SMiLE』に興味をもってどんなものなんだろうなと思ったら、完成形としての『SMiLE』は1枚ついているけど、その素材が他のCD4枚にわたってバーっと入っているので、これを全部浴びてみてもらいたい。こんな録り散らかしたクリエイティヴィティの発露のしかたみたいなものはいまの時代にできるのかな、というのをいまの世代に聴いてもらえると嬉しいですね。そんなことできないし、そんな馬鹿なことしないって発想してくれてもいいから。ただなんでそんな素材を用意しなければいけなかったのかということも含めて、浴びてみてもらえると嬉しい。値段は高いけどきっと買う価値はあると思う。

木津:そんなものがほかにあるかと言ったらないですもんね。

萩原:3、4時間あれば全部聴けるんだから試してみてもらえると嬉しいかなあ。1枚に組み上がったちゃんとした流れのあるものを『SMiLE』だと思わないで、ほかの素材まで全部含めて『SMiLE』なので、そのへんを追体験してもらえると嬉しい。それを30年間にわたってちょっとずつ聴いてきた人たちがいたんだから(笑)。

木津:はい(笑)。僕もそんな内容の本になっていると思います。

萩原:曲解説みたいにしてバーっと書いてあるところもあるんだけど、そこもさらにおもしろく読んでもらえるんじゃないかなと思っていますね。

MIKUMARI × OWL BEATS - ele-king

 な、なんだ、このトラックは!? 呪術的というのか辺境的というのか中毒的というのか……不思議な魅力を放つビートのうえを荒々しいラップが駆け抜けていく。「ルードボーイの荒々しいラップとエクスペリメンタル・ビート・ミュージックの最高の結合」……なるほど、これはかっこいい。
 NEO TOKAIと呼ばれ、いま大きな盛り上がりを見せている東海地方のヒップホップ・シーン。その流れを加速させるかのような注目のアルバムが10月11日にリリースされる。名古屋のSLUM RCのラッパー=MIKUMARIと、ビートメイカー=OWL BEATSの共作アルバム『FINE MALT No.7』。これは見逃せないですよ。

MIKUMARI × OWL BEATS

SLUM RCの重要ラッパー、MIKUMARIとビートメイカー、OWL BEATSの共作『FINE MALT No.7』が完成!
ルードボーイの荒々しいラップとエクスペリメンタル・ビート・ミュージックの最高の結合!

東海地方のラッパーやDJ、ビートメイカーの活躍が目覚しい。その躍進は名古屋のレーベル/クルー、RC SLUM/SLUM RC抜きには語れない。この揺るぎのない事実、彼らの影響力の大きさ、またNEO TOKAIと呼ばれるシーンの実情が近年少しずつだが多くの人の知るところになってきた。正当な評価がされつつあるということだ。そして、今年3月にリリースされたMC KHAZZのファースト・ソロ作につづき、4年ぶりとなるMIKUMARIのフル・アルバムが到着した。

ATOSONE、MC KHAZZと組むINFAMY FAM as M.O.S(MARUMI OUTSIDERS)のラッパーとしても知られるMIKUMARIは、RC SLUM/SLUM RCにおいて最も悪ノリを追求する陽気なルードボーイだ。ライムにもリリックにもその荒々しさとひょうきんさが出ている。上澄みなんかではない。MIKUMARIのラップはルードボーイの魂の原液である。ゲスト・ラッパーはMC KHAZZ、HARAKUDARIに絞られた。

すべてのビートを制作したのはビートメイカーのOWL BEATS。ダブ、ルーツ・レゲエ、ラテン、デジタル・ファンク、ジャズを歪め、エクスペリメンタル・ビート・ミュージックを作り出している。不良と実験の組み合わせは最高だ。『FINE MALT No.7』によってさらに多くの人がNEO TOKAIのヒップホップの真髄に触れることになるのは間違いない。

Artist: MIKUMARI × OWL BEATS (ミクマリ × オウル・ビーツ)
Title: FINE MALT NO.7 (ファイン・モルト・ナンバー・セヴン)
Label: RCSLUM RECORDINGS
Barcode: 4988044891050
Cat No: RCSRC014
Format: CD (国内盤)
販売価格: 2,200 円(税抜) + 税
発売日: 2017年10月11日 (水)

TRACK LIST:
01. OVERTURE
02. Fine Malt
03. The Naked Gun
04. Gun Shot Represent Me
05. Super Groove
06. No Dissolve 2017
07. Natuowari
08. VOODOO feat MC KHAZZ
09. Yota Rude Boy
10. AKUTARO feat HARAKUDARI
11. 32MF96
12. Happy Go Lucky Me
13. RC Brother Hood
14. See You Next Music

MIKUMARI × OWLBEATS FINEMALT NO.7 HP: https://t.co/EdbGErd8iC

【MIKUMARI profile】
既にO.G。メジャーリーグ入団後ネクストバッターサークルから逃亡。その後アルコール、薬物依存症に罹る。その時路上で独り言を大きな声で呟いていたら、RAPに変わる。そのセンスの良さが評判を呼びRCSLUMに加入。太る。その後『FROM TOP OF THE BOTTOM』を発表、パンチラインを封印し殺し文句を産み出す。体重増加に伴い息切れがなくなる。故にスムースなライミングを体得する。酒と麻薬でいい感じに焼けた喉はいい声を吐き出す。さらに太る。太る友達のOWLBEATSと『URA BOTTOM』を発表。すごいスピードで売りきる。発売前に完売。奇跡。原付を貰いOWLBEATSと二人乗りをしたところパンクする。その後盗まれる。新しい原付の資金を獲得するため、僕は音に乗ると言い出す。皆んな納得する。紆余曲折を経て今年10月2NDアルバム『FINE MALT No.7』を発表する ORIGINAL RC。

【OWL BEATS profile】
鹿児島―奄美大島出身、南の男。狂気的で南国的であり、不良でヲタクな雰囲気を感じる音を好み、その存在感を現場でのPlayや作り出すBeatで聞かせるDJ、BEAT MAKER、PRODUCER。2012年、First album『? LIFE』を全国に発信した後、Remix album、Beat album、DJ mix、Live dvd、beat提供など、様々な作品を様々な形で世に放つと同時に地元鹿児島で定期的にイベントを企画し各都市にいる音の猛者を収集し音で会話を楽しみ評価を得て進化を続けている。2015 年にOTAI RECORD主催の名古屋で行われたビートメーカーのバトルイベント【BEAT GRAND PRIX 2015】で勝ち抜き初代王者となる。話題と進化と自他の解放を求め続ける南国音人間。

Alvvays - ele-king

 過ぎた日の出来事や懐かしい風景を思い返すと、ついノスタルジックな気分に浸り、都合の悪いことは忘れて、あの頃は良かった、なんて思い出を美化し過ぎてしまう。昔に戻りたい? そんな馬鹿な。あの頃、視線の先には何があったのだろう。退屈から抜け出すための未来を夢みていたくせに。

 元に戻ったりしない、とヴォーカルのモリー・ランキンは“In Undertow”のなかで歌う。2014年に1stアルバム『ALVVAYS』をリリースしてからというもの、新人バンドだったオールウェイズを取り巻く状況は好転したようだ。アルバム制作やツアーの費用のためにアルバイトをしていた生活は終わり、活動拠点をカナダのノヴァ・スコシアからトロントに移し、人生を音楽に変えていく準備は次第に整っていった。3年間のあいだに生まれたアイデアと、変わらない音楽への愛情と、これからのヴィジョンを持ちながら、モリーは繰り返し歌う。元に戻ったりしない、と。地元での大切な思い出は胸にしまって、自分たちが向かうべき道を間違えたりしないと、決意するように。言い聞かせるように。少しの不安は轟音のギターがかき消してくれる。透き通った声、これ以上ないほど切ないメロディ。2ndアルバム『アンティソーシャライツ』の1曲目からすでにもう、素晴らしい。

 金髪にギターを抱えたヴォーカルのモリー・ランキンと、モリーの幼なじみでぱっつん前髪に黒縁眼鏡をかけたシンセサイザーのケリー・マクリーンの女子2人に、後ろにギターのアレック・オハンリーとベースのブライアン・マーフィーという見た目にあまり特徴のない男性2人を従えた、インディー・バンドとしては申し分のないメンバー構成のオールウェイズ。昔、〈チェリー・レッド〉傘下の〈エル・レーベル〉に同名のグループがいたが、こちらはVを2つ並べたALVVAYSと表記する。
 ラフで瑞々しい1stの楽曲の面影は残したまま、シンセを強調して趣を変えたドリーム・ポップな冒頭2曲の美しすぎるメロディに、まずはがっちり心を掴まれる。前回から続くガレージ・ロックな路線、憂いのあるアコースティックなサウンド、かと思えば〈ヘヴンリー〉のアメリアを彷彿させるような可憐な歌声で、往年のネオアコ/ギター・ポップのようにバタバタと走り抜けるような曲もあったり。7曲目にはジーザス・アンド・メリーチェインの“Just Like Honey”を聴いたあとに作ったという“Lollipop(Ode To Jim)”なんてタイトルのジム・リードに捧げるラブ・ソングも。CDの内側のいかにもな感じの可愛らしいアイスバーのイラストの横のクレジットに、グロッケンシュピールとヴォーカルで参加したティーンエイジ・ファンクラブのノーマン・ブレイクの名前が見つかるのも嬉しい。雰囲気を作るのが上手いせいか懐古的と捉えられがちな音楽だけれど、彼女たちはちゃんとユース・カルチャーのなかにいて、のびのびと自分たちの音楽を楽しんでいるように見える。そして耳にスッと馴染んでくるフレーズの数々を詰め込んだCDを最後まで聴いていると何だか胸が痛んで、歌詞カードをぎゅっと抱きしめたいような、エールを送りたいような、そんな気持ちになってしまう。

 あの映画のなかでスミスのTシャツを着ていた情緒不安定な女の子に、このアルバムを勧めてあげたらどうだろう。きっと気に入るんじゃないかと思う。だってこれは、かつて教室の隅で頬杖をついて窓の外を眺めていた女の子と、いずれその子に出会う男の子のための音楽だから。

Arca × Ryuichi Sakamoto - ele-king

 最新作『Arca』も好評なアルカが、なんと坂本龍一のリミックスを手がけました。原曲は坂本の最新作『async』収録のタイトル・トラック“async”で、このリミックス・ヴァージョンではアルカ本人が歌っております。しかも日本語で。去る7月にはOPNが坂本龍一のリミックスを発表しましたが、今度はアルカということで、現在エレクトロニック・ミュージックの最尖端を走り続けている2巨頭いずれもが坂本龍一と邂逅したということになります。この交差は2017年を象徴する出来事かもしれません。教授のリミックス・アルバム、楽しみですね。

奇才アルカが坂本龍一をリミックス
Ryuichi Sakamoto - “async - Arca Remix" (async Remodels)

ビョークやFKAツイッグス等のプロデューサーとしても知られ、今年〈XL Recordings〉からサード・アルバム『Arca』をリリース、初出演となったフジロックでは、ヴィジュアル・アーティスト、ジェシー・カンダを伴ったAVセットも話題になった他、ビョークのステージにも上がるなど、ますます注目を集めるアルカが、坂本龍一の最新アルバム『async』のタイトル・トラック“async”のリミックス・ワークを公開した。『Arca』でも全面に打ち出された自身の歌声がここでも披露されており、日本語の歌詞が歌われている。

async - Arca Remix (async Remodels)
https://youtu.be/aKxPhAb6OMA

本楽曲は、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが手がけた“Andata (Oneohtrix Point Never Rework)”、アルヴァ・ノトによる“disintegration (Alva Noto Remodel)”、エレクトリック・ユースによる“andata (Electric Youth Remix)”に続いて公開されたもので、その他、コーネリアス、ヨハン・ヨハンソン、モーション・グラフィックス、エレクトリック・ユースなどの参加が明かされている。

Andata (Oneohtrix Point Never Rework)
https://youtu.be/G0p647mDqT0

andata (Electric Youth Remix)
https://youtu.be/6g9LEBYJ1oU

disintegration (Alva Noto Remodel)
https://youtu.be/sxZ9AwIPDa4

早くからカニエ・ウェストやビョークらがその才能を絶賛し、FKAツイッグスやケレラ、ディーン・ブラントといった新世代アーティストからも絶大な指示を集めるアルカ。セルフタイトルとなった本作『Arca』は、2014年の『Xen』、2015年の『Mutant』に続くサード・アルバムとなり、〈XL Recordings〉からの初作品となる。国内盤CDにはボーナス・トラックが追加収録され、解説書が封入される。

label: BEAT RECORDS / XL RECORDINGS
artist: Arca
title: Arca
release date: 2017/04/07 FRI ON SALE

国内盤特典 ボーナス・トラック追加収録 / 解説書封入
XLCDJ834 ¥2,200+税

Portico Quartet - ele-king

 昔からUKではエレクトロニック・ミュージックとジャズの融合が盛んで、1990年代後半から2000年代にかけてのクラブ・シーンでも、カーク・ディジョージオ、イアン・オブライエン、ジンプスター、イアン・シモンズ、スクエアプッシャー、マックス・ブレナン、ハーバート、フォー・テット、シネマティック・オーケストラ、トゥ・バンクス・オブ・フォーなどの作品にそうした傾向が見られる。現在でそうした融合を引き継ぐアーティストというと、シネマティック・オーケストラ、ホセ・ジェイムズ、フライング・ロータスとも共演し、最近はセカンド・アルバムの『ザ・セルフ』を発表したばかりのドラマー、リチャード・スペイヴンが思い浮かぶ。昨年アルバム『ブラック・フォーカス』を発表したユセフ・カマールもそうだし、フローティング・ポインツの作品の一部にもエレクトリック・ジャズの要素は見られる。また、形態としては純粋なピアノ・トリオのゴー・ゴー・ペンギンも、最新作『マン・メイド・オブジェクト』においてはロジックやエイブルトンを用いて作曲するなど、エレクトロニック・ミュージック的なアプローチも取り入れている。ゴー・ゴー・ペンギンはマシュー・ハルソール主宰の〈ゴンドワナ・レコーズ〉からデビューしているが、このたびその〈ゴンドワナ〉から新作『アート・イン・ジ・エイジ・オブ・オートメイション』を発表したのがポルティコ・カルテットである。

 東ロンドン出身のジャズ・バンドのポルティコ・カルテットは、ゴー・ゴー・ペンギンよりもキャリアが長く、2007年にファースト・アルバムを発表している。今までにメンバー交代があったが、現在はジャック・ワイリー(サックス、フルート、キーボード、エレクトロニクス)、ダンカン・ベラミー(ドラムス、パーカッション、エレクトロニクス)、マイロ・フリッツパトリック(ダブル・ベース、エレキ・ベース)、キア・ヴェイン(ハングドラム、キーボード)という編成である。彼らの特徴はハングドラムという特殊な楽器(スティールパンを逆さにしたような形で、音色もそれに近い金属的なものがある)を用い、その音色も含めてジャズに民族色を持ち込んでいる点で、楽曲にはミニマルや現代音楽、ポスト・ロックの要素を感じさせるものが多い。2009年から2013年にかけてはピーター・ガブリエル主宰の〈リアル・ワールド・レコーズ〉に所属し、3枚のアルバムを残しているが、その中の1枚の『ポルティコ・カルテット』(2012年)ではプログラミングと生演奏をシームレスに繋ぐなど、エレクトロニック・ミュージックの比重がかなり高まったものとなった。そのリリース・ツアーをライヴ・アルバム化した『ライヴ/リミックス』(2013年)は、そうしたエレクトロニック・ジャズが最高のパフォーマンスで発揮されると共に、SBTRKT、LV、DVAなどポスト・ダブステップ~ベース・ミュージックのアーティストによるリミックスで、ジャズをまた新たな領域へ導いていた。その後、2015年には〈ニンジャ・チューン〉に移籍し、ポルティコ名義で『リヴィング・フィールズ』を発表。この移籍は大いに期待を膨らませたのだが、実際にはジャズの要素は後退し(と言うより、ほとんどなくなってしまっていた)、ジェイミー・ウーンやジョノ・マックリーリーなどのシンガーをフィーチャーしたダブステップ寄りのアルバムとなっていた。この変化については、ハングドラム担当のキア・ヴェインがバンドを抜け、3人となってしまったことも関係していたようだ。結果的にあの特徴的なハングドラムの音色も聴けず、正直なところ『リヴィング・フィールズ』はエレクトロニック・ミュージックとしては凡庸なアルバム、という域を出ていなかった。

 その『リヴィング・フィールズ』から2年経ち、キア・ヴェインがバンドに復帰し、〈ゴンドワナ〉へと移籍してリリースしたのが『アート・イン・ジ・エイジ・オブ・オートメイション』である。ゴー・ゴー・ペンギン以外でも、ママル・ハンズ、ジョン・エリスなど、エレクトロニクスをジャズに取り入れた意欲作を出す〈ゴンドワナ〉なので、この移籍はポルティコ・カルテットにとっても本来の音楽をやる場を獲得したと言えよう。4名のバンド・サウンドに立ち返ると共に、ヴァイオリンなどストリングスを加え、アコースティックな生演奏とエレクトロニクスの融合に再び挑んでいる。なお、一部アディショナル・ベースでトム・ハーバート(ジ・インヴォジブル、ポーラー・ベアーなど)も参加している。エスニックな響きを持つストリングスとサックスによる“エンドレス”は、ダブ効果やエフェクトの残響音によって深遠なムードを高めたジャズ・ロック調の作品。UKならではのダークで陰影に満ちた音像は、続くダウンテンポ調の“オブジェクツ・トゥ・プレイス・イン・ア・トム”へと引き継がれる。この曲は途中でリズム・チェンジし、ブロークンビーツ調の躍動的なドラミングが披露される。全体的にシンセが効果的に用いられたアルバムだが、たとえば打ち込みのハウス・ビートと生ドラムをシンクロさせた“ラッシング”では、人工のコーラスのように聴かせたりする。硬質なジャズ・ロックの“ア・リムジン・ビーム”は、生演奏のダイナミズムとエレクトロニクスによるコズミックな質感を融合させ、フローティング・ポインツにも通じるような作品となっている。“RGB”も同系の作品で、こちらではジャック・ワイリーの電化サックスが活躍する。“ビヨンド・ダイアログ”はハングドラムの浮遊感に満ちた音色から、ダブステップを取り入れたような変則的なビートも導入されるダビーな作品。“カレント・ヒストリー”や“ラインズ・グロウ”は、変則ビートながらもミニマルなグルーヴを備えた曲。生ドラムとプログラミングの融合だからこそ生み出せるものだろう。“アンダーカレント”はゴー・ゴー・ペンギン同様に叙情的なピアノと律動的なドラムがリードし、シンセによるレイヤーが壮大なサウンド・スケープを形成していく。かつての『ポルティコ・カルテット』でも、プログラミングが生演奏へとシームレスな移行する様を見せていた彼らだが、『アート・イン・ジ・エイジ・オブ・オートメイション』ではさらにその融合が高度となり、またバンド・アンサンブルや楽曲の完成度もより洗練化されたと言えよう。

Island people - ele-king

 まるでSF映画のサウンド・トラックのようなサウンドだ。あくまでイメージだが21世紀版『惑星ソラリス』の音響のように聴こえる。そう、〈raster-media〉のファースト・リリースであるIsland people『Island people』のことである。とにかく素晴らしい電子音響作品だ。全14曲79分、アナログ盤だと2枚組の大作となっている。

 それにしても〈raster-noton〉がAlva notoの〈noton〉と、Byetoneの〈raster-media〉に分裂したことは、大きな時代の転換点だったと思う。90年代末期から00年代の先端音楽の中心を担っていたレーベルがひとつの終わりを迎えたわけだから。
 正直にいえば、Alva notoの個人レーベルになる〈noton〉の行く末にはそれほどの心配はなかった。Alva notoはAlva notoとして作品をリリースしていくだけだろう。むしろ彼が抜けた後の〈raster-media〉はどうなるのだろうかと思っていた。Byetoneを主宰とすることには何も心配はない。そうではなく両輪のひとつを失ってしまったレーベルなのだから、うまくコントロールができるのだろうかと勝手に心配していたのである。誠に勝手な話だ。だが、そんな心配はとりあえず無用だった。少なくとも、このIsland people『Island people』は傑作である。
 
 ミニマルなリズム、硬質なドローン、躍動する音響ノイズ、微かに音楽的なエレメント(和声・旋律の残滓)、架空のSF映画のサウンドトラックのようなドラマチックで壮大な構成など、アルバム全体の音楽的・音響的な質の高さは、まったく申し分のない。
それもそのはずである。このグループは、実は相当なメンバーたちが結集してるのだ。まずは、マスタリング・エンジニアのConor Dalton、そしてSilicone SoulのメンバーGraeme Reedie、さらにあのCraig Armstrongのプログラマー/コラボレーターであるDavid Donaldson(04年に公開されたRay Charlesの伝記映画『Ray』のサウンド・トラックの制作・エンジニアリングでグラミー賞を受賞している)、加えてギタリストIain 'Chippy' MacLennanも参加。彼らの拠点であるベルリンとグラスゴーで、3年ほどの月日をかけ、ファイル交換をしながら楽曲を完成していったという。
 じじつ、フィールド・レコーディングからノイズ、ギターから打楽器まで多様なサウンドを用いられた楽曲は、高品質なアトモスフィアを形成しており、何度も繰り返し聴ける質の高さを誇っている。まさに磨き上げられた宝石のごとき電子音響作品である。
 また、これほどまで「音楽的」な要素を持った作品は〈raster-noton〉の時代はあまりなく、彼らの作品を最初にリリースしたことは、byetoneなりの〈raster-media〉宣言といえるだろう。簡素にして深いキックの音に、複雑な環境音、硬いノイズ、ミニマルでに民族音楽的なリズムがレイヤーされていく1曲め“Ember”を耳にした瞬間に、本作がすばらしさを確信できるはずだ。素晴らしいトラックなのだ。

 同時に、Island peopleがバンドである点も重要に思える。レーベルが準備したアーティスト写真もいかにもバンド的なイメージである。むろんイメージだけではない。こういったアンビエントな楽曲を複数の音楽家によって制作されるという事実の方が重要に思える。アンビエント楽曲が個人の音の結晶から複数の人間の多層的な融合になったとき、そのサウンドはどう変化するのか。その最初の(?)の兆候のようなものを、このIsland peopleのファースト・アルバムには、確かに感じた。
 簡単に言えば音楽と音響のレイヤーに「複数性」があるのだ。アンビエント/電子音響のレディオヘッド? なんていう妄想が思い浮かんでしまったほどである。とはいえ今後もヴォーカルなどが加わらず、徹底的に音楽/音響のみで、そのスケール感を拡張していってほしいものだ。
 いずれにせよ、本年のエレクトロニック・ミュージックの中でも一際完成度の高いアルバムであることに違いはない。ノイズの空気と層が音楽/音響のなかに、まるで惑星を包みこむ大気のような音響空間と音楽が生成している。まさに必聴といえる。

Colin Stetson - ele-king

 人間の吐く息がダイレクトに空気の振動となり、音となる――という、管楽器の身体性が、昨年のボン・イヴェールの傑作『22、ア・ミリオン』に必要であったことは象徴的なことに思える。同作はテーマの抽象性や内省にも関わらずそこに多くの人間がいることが重要であったが――ある種の音楽的コミュニティがそこでは築かれている――、サウンド面ではとりわけ管楽器が多彩な表情をつけることに一役買っていた。そこからは様々な人間の吐く息が聞こえる。そしてそれは、ときに歪められたり加工されたりすることによって、まったく個性的な「声」としてそこで共存している……。

 ボン・イヴェールやアーケイド・ファイア、アニマル・コレクティヴら北米インディ・バンドへの参加で知られるサックス奏者、コリン・ステットソンのソロ作『オール・ディス・アイ・ドゥ・フォー・グローリー』は、一言でいえばバリトン・サックスによるIDMということになるだろう。ステットソンはEX EYEというポスト・メタル、ジャズ・メタル(と、とりあえずはいまのところ呼ばれている。カテゴライズが難しい非常に実験的なメタルということ)・ユニットでも現在活動しているが、いまや北米のエクスペリメンタル・シーンをつなぐ重要人物のひとりである。これまでのソロ作や、同じくアーケイド・ファイアのライヴ・メンバーであったヴァイオリニストであるサラ・ニューフェルドとの共作『ネヴァー・ワー・ザ・ウェイ・シー・ワズ』ではそのミニマルな作風からスティーヴ・ライヒやマイケル・ナイマンと比較されることが多かったが、『オール・ディス~』では本人が明言しているとおり方法論的に雛型となっているのはエイフェックス・ツインであり、IDMである。つまり、複雑に変幻していくリズム感覚と緻密なエディットが大きな聴きどころとなっている。サックスの演奏を多重録音し、そこに少しばかりのリズム、声を加えていく作風はこれまでと同様だ。ただ、ヘンリク・グレツキの交響曲第3番を独自に解釈し、オーケストラと声楽を大きく導入した前作『ソロウ』がある種の過剰さに貫かれていたのとは対照的に、本作では音のレイヤーをぐっと減らし、少ない音を的確に配置していくことによってストイックに耳を興奮させる。
 単一の楽器によるループとその多重録音を骨格とするという点では、たとえばマーク・マクガイアの手法と近いと言えるかもしれないが、マクガイアのギターが醸すリリカルさやスピリチュアリティに比べると、サックスという楽器の特性ゆえかステットソンの吐き出す音はもっと粗暴で生々しく、フィジカルだ。“Like Wolves On The Fold”や“In The Clinches”ではキーをカチャカチャと素早く押さえる音がそのままリズムとなり、ミストーンのノイズや音の乱れもそのまま録音されている。何よりもバリトン・サックスの低音の迫力――ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーのような重々しさを内包したまま、速弾きの躍動感でドライヴする離れ業がステットソンの魅力だ。本作のオフィシャル・ヴィデオではサックスを狂おしく吹き続けるステットソンの姿とサックスのアップばかりが映されるが、人間の身体からいまその瞬間に放たれる息が音に変換しているというダイナミズムがそこでは運動する。とりわけ、終曲“The Lure Of The Mine”において、13分にわたってウネウネと姿を変えていくサックスの旋律はほとんど官能的ですらある。ミニマルなのに自在に上下するメロディと、荒々しいグルーヴ、聴き手を陶酔と覚醒で翻弄するかのような不敵な構成――スリリング極まりない。

 もうひとり、ボン・イヴェールに参加したプレイヤーのソロ作を紹介したい。ジャスティン・ヴァーノンと同郷のウィスコンシンはオークレアのトランペット奏者、トレヴァー・ハーゲンによるノイズ・アルバム『ワンダータウン』は日本のカセットテープ・レーベルである〈kolo〉からリリースされているが、これがトランペットという楽器の知らなかったポテンシャルを発見するような驚きに満ちている。プリペアド・トランペットによる乾いた高音は悲鳴のように轟き、それは切り刻まれのたうち回る。まるで音それ自体がひとつの生き物のようなのだ。けっして耳触りのいいものではないが、管楽器が呼吸器と繋がっていることを如実に感じさせるような熱がこもっている。そしてそれは、静謐なドローンへとやがて姿を変えていくが、緊迫感に満ちた音楽体験がここにはある。

 ステットソンにしてもハーゲンにしても、2000年代後半からのノイズ/ドローンと地続きのものではあるのだろう。昨年のボニー“プリンス”ビリーとビッチン・バハスのジョイント・ライヴを観たときにも感じたが、USインディ・シーンにおいてアメリカーナやフォーク・シーンとノイズやエクスペリメンタルがシームレスに繋がっていることは、そのサウンドの拡がりにおいて大きな強みとなっている。そこでは雑多な人間の実存を主張するかのように、多様な「声」が複雑にポリフォニックに折り重なっているのである。

LONDON ELEKTRICITY & MAKOTO - ele-king

 あなたがジャジーでソウルフルなドラム&ベースをうんと浴びたいと思っているなら、このイベントがおあつらえ向きでしょう。
 今年で創立21周年を迎えるUKのドラム&ベース・レーベル〈ホスピタル・レコード〉。そのボスであるトニー・コールマンのソロ・プロジェクトとして知られるロンドン・エレクトロシティが、7月21日に代官山ユニットで開催される「HOSPITAL NIGHT」に出演する。
 昨年20周年を迎えた「Drum & Bass Sessions(DBS)」が開催する今回のパーティでは、ロンドン・エレクトロシティがレーベル21周年を祝す「21 years of Hospital set」を披露するそう。
 さらに日本勢からは今年〈ホスピタル・レコード〉と契約し、9月にアルバムをリリース予定のマコトが出演する。競演はダニー・ウィーラーや、テツジ・タナカ、MC CARDZ、などなど。

UNIT 13th ANNIVERSARY
DBS presents "HOSPITAL NIGHT"

日時:2017.07.21 (FRI) open/start 23:30
会場:代官山UNIT
出演:
LONDON ELEKTRICITY (Hospital Records, UK)
MAKOTO (Hospital Records, Human Elements, JAPAN)
DANNY WHEELER (W10 Records, UK)
TETSUJI TANAKA (Localize!!, JAPAN)
host: MC CARDZ (Localize!!, JAPAN)

Vj/Laser: SO IN THE HOUSE
Painting: The Spilt Ink.

料金:adv.3,000yen door 3,500yen

UNIT >>> 03-5459-8630
www.unit-tokyo.com
Ticket 発売中
PIA (0570-02-9999/P-code: 333-696)
LAWSON (L-code: 74079)、
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia: https://www.clubberia.com/ja/events/268846-HOSPITAL-NIGHT/
RA: https://jp.residentadvisor.net/event.aspx?974718


(出演者情報)


★LONDON ELEKTRICITY (Hospital Records, UK)
"Fast Soul Music"を標榜するドラム&ベースのトップ・レーベル、Hospitalを率いるLONDON ELEKTRICITYことTONY COLMAN。音楽一家に生まれ、7才からピアノ、作曲を開始した。大学でスタジオのテクニックを学んだ後、'86年にアシッド・ジャズの先鋭グループIZITで活動、3枚のアルバムを残す。'96年に盟友CHRIS GOSSと共にHospitalを発足し、LONDON ELEKTRICITYは生楽器を導入したD&Bを先駆ける。'98年の1st.アルバム『PULL THE PLUG』はジャズ/ファンクのエッセンスが際立つ豊かな音楽性を示し、'03年には2nd.アルバム『BILLION DOLLAR GRAVY』を発表、同アルバムの楽曲をフルバンドで再現する初のライヴを成功させる。’05年の3rd.アルバム『POWER BALLADS』はライヴ感を最大限に発揮し多方面から絶賛を浴びる。’08年には4th.アルバム『SYNCOPATED CITY』で斬新な都市交響楽を奏でる。そしてロングセラーを記録した’11年の名盤『YIKES !』を経て’15年に通算6作目のスタジオ・アルバム『Are We There Yet?』をリリース、多彩なヴォーカル陣をフィーチャーし、ピアノ、ストリングスといった生音を最大限に活かしたソウルフルな楽曲の数々で最高級のクオリティを見せつける。'16年にはTHE LONDON ELEKTRICITY BIG BANDを編成し、ビッグ・ブラスバンド・スタイルでのライヴを敢行する。
https://www.hospitalrecords.com/
https://www.londonelektricity.com/
https://www.facebook.com/londonelektricity
https://twitter.com/londonelek


★MAKOTO (Hospital Records, Human Elements, HE:Digital, JAPAN)
DRUM & BASSのミュージカル・サイドを代表するレーベル、LTJ BUKEMのGood Looking Recordsの専属アーティストとして98年にデビュー以来、ソウル、ジャズ感覚溢れる感動的な楽曲を次々に生み出し、アルバム『HUMAN ELEMENTS』(03年)、『BELIEVE IN MY SOUL』(07年)、そしてDJ MARKYのInnerground, FABIOのCreative Source, DJ ZINCのBingo等から数々の楽曲を発表。DJとしては『PROGRESSION SESSIONS 9 – LIVE IN JAPAN 2003』, 『DJ MARKY & FRIENDS PRESENTS MAKOTO』の各MIX CDを発表し、世界30カ国、100都市以上を周り、数千、数万のクラウドを歓喜させ、その実⼒を余すところなく証明し続けてきた、日本を代表するインターナショナルなトップDJ/プロデューサーである。その後、自らのレーベル、Human Elementsに活動の基盤を移し、11年にアルバム『SOULED OUT』を発表、フルバンドでのライヴを収録した『LIVE @ MOTION BLUE YOKOHAMA』を経て13年に"Souled Out"3部作の完結となる『SOULED OUT REMIXED』をリリース。15年にはUKの熟練プロデューサー、A SIDESとのコラボレーション・アルバム『AQUARIAN DREAMS』をEastern Elementsよりリリース。17年、DRUM & BASSのNo.1レーベル、Hospitalと契約を交わし、コンピレーション"We Are 21"に"Speed Of Life"を提供、同レーベルのパーティー"Hospitality"を初め、UK/ヨーロッパ・ツアーで大成功を収める。そして今年9月、待望のニューアルバム『SALVATION』が遂にリリースされる!
https://www.twitter.com/Makoto_MusicJP
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https://www.soundcloud.com/makoto-humanelements
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