「LV」と一致するもの

Plaid - ele-king

 これは嬉しいプレゼントです。UKを代表するIDMのベテラン・デュオ、プラッドがフリー・シングル「Bet Nat」をリリースしました。今回のリリースは1月18日よりはじまったかれらの北米ツアーを記念したもので、“Bet”と“Nat”の2曲が公開されています。どちらも無料でダウンロードすることが可能。ダウンロードはこちらから。

PLAID & THE BEE US TOUR DATES 2017

Tickets available at plaid.co.uk

JANUARY
18 – Washington, DC @ U Street Music Hall
19 – Cambridge, MA @ The Sinclair
20 – Montreal, QC @ Fairmount Theater
22 – Philadelphia, PA @ Underground Arts
25 – Toronto, ON @ Velvet Underground
26 – Chicago, IL @ Lincoln Hall
27 – Brooklyn, NY @ Music Hall of Williamsburg
28 – Denver, CO @ Larimer Lounge
31 – Los Angeles, CA @ Teragram Ballroom

FEBRUARY
02 – Portland, OR @ Holoscene
03 – San Francisco, CA @ The Independent
04 – Austin, TX @ Empire Garage

RPR Soundsystem - ele-king

 覚えているだろうか? 数年前、名門ミックスCDシリーズ『Fabric』がルーマニアン・アンダーグラウンド・シーンにジャックされたことを。『Fabric 72』では Rhadoo が、『Fabric 68』では Petre Inspirescu が、『Fabric 78』では Raresh が立て続けに起用されていたけれど、この3人はリカルド・ヴィラロボスとならんで世界中の様々なフェスでヘッドライナーを務めるルーマニアの重鎮たちである。
 東欧というのはある意味でもっともピュアな形で音楽が実践されているエリアで(先日お伝えした Khidja もその一例)、そのシーンは文字通りアンダーグラウンドなものだ。ルーマニアのシーンを代表するかれら3人は [a:rpia:r] というレーベルの運営者でもあるが、その3人によるユニットが RPR Soundsystem である。滅多におこなわれないこのユニットでの公演だが、来春4月1日、かれらが恵比寿に降り立つことが決定した。じつはかれらの来日公演は2年前にも実現しているのだけれど、今回はオフィシャルVJの Dreamrec も加わった「完全体」としてのパフォーマンスとなる。
 また、その直前の3月31日には DOMMUNE にて特別番組が放送されることも決定している。お見逃しなく!

RPR SOUNDSYSTEM with Dreamrec VJ @LIQUIDROOM

あの奇跡の夜は序章だった。世界のミニマル・アンダーグラウンド・シーンのトップコンテンツ、RPR SOUNDSYSTEM (Rhadoo, Petre Inspirescu, Raresh / [a:rpia:r] ) が、今回オフィシャルVJのDREAMRECを伴った完全体での究極公演を実現! 来春LIQUIDROOMにて開催決定!!

近年の世界のアンダーグラウンド・ミュージックを席巻するルーマニアン・シーンのボス、Rhadoo, Petre Inspirescu, Raresh。2015年4月4日に実現したその彼ら3人によるRPR SOUNDSYSTEMのLIQUIDROOM公演は、わが国のクラブ・シーンの歴史に偉大な足跡を残してくれた。お客さんの熱気、場内の雰囲気、彼らのパフォーマンスの内容、どれを取っても最高という言葉では言い尽くせぬ、それまで経験した事のないほどの夢のような素晴らしい一夜であり、その熱狂は日本のシーンに語り継がれる歴史の1ページとしていまも記憶に新しい。

あの興奮から丸2年。彼らがあの同じ場所に帰ってくる。
さらに今回は彼ら [a:rpia:r] のオフィシャルVJであるDreamrecの来日も決定し、彼らがついに完全体となる瞬間が訪れる。2016年2月にここLIQUIDROOMでおこなわれた『Beat In Me feat. Rhadoo with Dreamrec VJ』で見せた彼のヴィジュアル・パフォーマンスは、日本のシーンにおいてかつておよそ目にした事のない斬新なイメージでの露出で、そこに集ったクラバーたち全員に強烈なインパクトを与え、2015のRPR3人による公演にひけを取らぬ最高のパーティであったとの評価を各方面から獲得する事となった。

現在の世界のクラブ・ミュージック・シーンにおける紛れもないトップ・コンテンツであるRPR SOUNDSYSTEMに、このDreamrec VJのヴィジュアルを加えた今回のこのキャスティング。アンダーグラウンド・ミュージック・シーンにおいてこれ以上の表現はない、最上級の音と映像の究極の形を今回初めて日本のファンに見せる貴重な機会となる。

Danny Brown - ele-king

 ナイン・インチ・ネイルズのことかしらと思って蓋を開けてみると、実際にサンプリングされていたのはグル・グルだった。1曲目の“Downward Spiral”からそういう調子なのである。デトロイト出身でありながらグライムやトーキング・ヘッズへの愛を語るこの風変わりなMCは、一体何を考えているのだろう。シングルとして先行リリースされた“When It Rain”には荒んだデトロイトの情景が描かれているし、DJアサルトの名前も登場する。かつてはJ・ディラの未発表音源に様々なアーティストが手を加えた『Rebirth Of Detroit』(2012年)や、エミネムのレーベルのコンピレイション『Shady XV』(2014年)にも参加していたし、デトロイトの生まれであるというアイデンティティ自体は保守し続けているのだろう。しかしやはりこれまでダニー・ブラウンが世に放ってきた音楽は、通常「デトロイト」という単語から連想されるサウンドとはだいぶ異なっている。



 『Hot Soup』(2008年)に具わっていた「古き良き」ブラックネスは、『XXX』(2011年)以降どんどん削ぎ落とされていく。そのプロセスの終着点のひとつが2013年の前作『Old』だったのだとすれば(ラスティの起用は大正解だった)、本作は「その後」を模索するダニー・ブラウンの「エキシビション」だと言えるだろう。このアルバムでは前作と異なりサンプリングが多用されているが、それも彼の音楽的趣味の異質さを「展示」するためだと思われるし、かつてタッグを組んだブラック・ミルクの手がける“Really Doe”やエヴィアン・クライストの手がける“Pneumonia”といったダークなトラックからは、現在の彼の苦闘や葛藤を聴き取ることができる。



 他方で“Ain't It Funny”や“Golddust”、“Dance In The Water”なんかはもはやロックと言い切ってしまった方がいいような吹っ切れたトラックで、ほとんどやけくそのように聴こえる。これらのトラックを「ハイ」だと捉えるならば、先述のダークなトラックたち、あるいは“Lost”や“White Lines”といった不気味な夢を紡ぐトラック群は「ロウ」だと考えることができよう。そのふたつの極の同居こそがこのアルバムの肝なのだと思う。それらは、まさにドラッグによって引き起こされるふたつの結果だ。実際、リリックの内容は前作に引き続きドラッグに関するものばかり。ダニー・ブラウンは若い頃ディーラー業を営んでいたそうだが、では彼はこのアルバムで自身のサグさを自慢したいのだろうか?
 たしかに、本作で展開されるロック~ポストパンク風のトラックや、ドラッグ体験をひけらかすかのようなリリックについて、「白人に媚を売っている」という判断をくだすことも可能だろう。でも、本当にそうなのだろうか? むしろ本作は、「みんなドラッグについてラップしてる俺が好きなんだろ? だからその通りにやってやったよ」というメタ的な態度の表明なのではないか。アルバムのタイトルはJ・G・バラードを借用したジョイ・ディヴィジョンの同名曲から採られているが、そういう自己の見せ方まで含めて丸ごと「残虐行為展覧会」ということなのではないか。さらに言ってしまえば、〈Warp〉との電撃契約やリリースの前倒しまで含め、何もかもが演出なのではないか。
 なるほど、たしかにルックスにせよトラックのチョイスにせよフロウにせよ(ケンドリック・ラマーやBリアルの参加も話題になったが、しかしゲストよりもやはり本人のラップに耳がいってしまう)、ダニー・ブラウンが一風変わったMCであることは間違いない。そういう意味で彼は、近年のUSインディ・ヒップホップの隆盛の一端を担いながら、そのなかで異端であることを引き受け続けているようにも見える。しかし、練りに練られたこのアルバムからは「狂人」や「変人」といったイメージはそれほど呼び起こされない。じつはダニー・ブラウンは、喧伝されているそのペルソナとは裏腹に、ピュアで知的な音楽的チャレンジャーなのではないだろうか。

 と、ダークでドープなアルバムの後には、リラックスして聴ける1枚をご紹介。



 初めてOLIVE OILの名を意識したのはいつだったろう。たぶんB.I.G JOEの『LOST DOPE』(2006年)だったと思うが、エイフェックス・ツインやスクエアプッシャーが好きだったというOLIVE OILにはどうしても親近感のようなものを抱いてしまう。彼の最新作は、Popy Oil x Killer Bongによるコラージュ・アート・ブック『BLACK BOOK remix』の初回限定版に付属したサウンドトラックCDである。
 コラージュ作品のサウンドトラック、と聞くと現代アートのような何やらハードルの高い音響作品を思い浮かべてしまうかもしれないが、このCDに収められているのは非常に聴きやすい短めのトラックたちだ。『カウボーイビバップ』や『サムライチャンプルー』といった渡辺信一郎のアニメを観ているときの感覚に近いと言えばいいのか、実際には存在するはずのないあんな場面やこんな風景の断片が次々と頭の中を横切っていく。
 “UPDATERs”や“NOO$”などは、00年代前半のプレフューズ73あるいは往年の〈Stones Throw〉や〈Ninja Tune〉の諸作から最良の部分のみを抽出して引っ張ってきた、と言えなくもない。決して強く自己主張するわけではないがしっかりとトラックを支えるハットの横を、IDMを経由した細やかな音響と、美しいメロディの数々が通り過ぎてゆく。この心地よさは、ちょうど年末年始にぴったりだろう。ギャングスタやトラップに疲れてしまったあなたの耳に、最大限の快適さをもたらすこと請け合いである。

interview with Levon Vinent - ele-king

 バラク・オバマのアメリカにおける歴史。そこには、彼がフランキー・ナックルズの訃報を受け、偉大なるDJの家族へ哀悼の意を表する手紙を送った瞬間が刻まれている。この8年間、もしかしたら落胆しか感じなかった人びとの方が多かったのかもしれないが、アンダーグラウンドの祝祭的象徴であるハウスを聴く大統領の出現を予期できた者が10年前にどれだけいただろう。このインタヴューに出てくるアンディ・ウォーホルのかの有名なコーク(コーラ)に関するコメントは、資本主義がもたらす均一化への鋭いクリティークだ。大統領も街角のホームレスも、そして君も同じコークを飲む。ウォーホルのTシャツにレヴォン・ヴィンセントが袖を通す理由、それはこの言葉への共感に他ならない、と僕は勝手に確信している(詳細は本文を読まれたい)。
 90年代前半、グラフィティ・ペインター、スケーター、スコッターがひしめいていたニューヨークのマンハッタン。そのダンスミュージックの中心地でジョー・クラウゼルやシカゴのロン・トレントがセンセーションを巻き起こしていたとき、ティーンエイジャーのヴィンセントはDJとしての実力をめきめきと伸ばしていた。監視カメラの導入やルドルフ・ジュリアーニ市政が牙を剥き、街の表情が豹変してしまったときも、男はニューヨークを離れることはなかった。しかし、DJができる場所の数は激減し、マンハッタンのクラブ・カルチャーには冬が訪れた。このタイミングで彼は大学で作曲を学ぶ道を選択する。そして、その音のレンズはダンスフロアからジャズ、古代ギリシア、現代音楽へと視野を広げていくことになるのだ。
 シーンに戻ってきた2002年、自身初のレーベル〈More Music NY〉を始動させたヴィンセントにとって全てが順風満帆に動いていたわけではない。彼が注目を集めるのは2008年の〈Novel Sound〉と〈Deconstruct Music〉まで待たなければいけないのだが、そこからの跳躍がすごかった。ニューヨークの伝統とエレクトロニック・ミュージックの歴史が混在する、ディスクリートかつ深淵なミニマリズムと卓越したメロディ・センス。その斬新なサウンドは、同じく東海岸出身のジャス・エド、DJ QU、フレッドP、ジョーイ・アンダーソンらとともに世界のフロアをわかせた。UKのぺヴァラリストやピアソン・サウンドらによってヴィンセントのトラックがプレイされたとき、別の世界を知ったダブステップ世代の若者だっている。2010年に彼はベルリンへ移住し、そのシーンのトップDJであるマルセル・デットマンとも作品を発表した。


Levon Vincent
Novel Sound/Pヴァイン

HouseTechno

Amazon


Levon Vincent - Rarities
Pヴァイン

HouseTechno

Amazon

 徹底したインディペンデント・スピリットに裏打ちされたその活動も忘れてはいけない。友人のレコード職人と制作する毎回数枚しかレコード店に現れないシングル。“The Media Is The Message”や “Reves/Cost”など何かを物語るラベル上にスタンプされた曲名。デジタル時代における音楽メディアのあり方も、ヴィンセントは提示し続ける。2015年にフリー・ダウンロードと4枚組の12インチでリリースされたファースト・アルバムが多くの音楽サイトに絶賛されたことも記憶に新しい。2016年には日本限定コンピレーション『Rarities』もリリースされた。
 2016年10月、DJのためロンドンを訪れたレヴォン・ヴィンセントに僕は話を聞く機会を得た。そのとき、閉鎖していたロンドンの名門クラブであるファブリックの運営再開は霧の中で、不動産王はまだ候補席に鎮座していて、デヴィッド・マンキューソは存命だった。一寸先の未来は闇どころかブラックホールである今日、アンダーグラウンドのパイオニアは何を思い作曲し、音楽をどう捉え、それを取り巻く状況について何を思うのか。以下お届けするのはその記録である。場所はイースト・ロンドン、ショーディッチのカフェ。待ち合わせのホテルのロビーに僕が到着したとき、ヴィンセントの手元には活動家マヤ・アンジェロウの自伝『歌え、翔べない鳥たちよ』があった。

毎週新しい技術が生まれて学ぶことがたくさるある。というよりも、人は学ぶことを止めることができないだろう。60年代の現代音楽家のアルヴィン・ルシエールは脳波から音楽を作り出したけど、頭にUSBケーブルを繋いで作曲をする時代が本当に来るのかもしれない。

あなたのDJキャリアのスタートは16歳と、かなり早いですよね。

LV:ああ、92、93年頃の話だね。その頃、俺は地元でDJとしてそれなりに成功していた。だけど94年にジュリアーニがニューヨーク市長に当選すると、法律が改正されてDJの活動がかなり制限されてしまった。日本のクラブの状況と似たものかもしれない。

ジュリアーニ市政下におけるゼロ・トレランスなどの一連の「治安回復政策」ですね(注:警察官を増員し、犯罪取り締まりの強化、ホームレス排除、クラブの摘発などを行った)。

LV:あの法律によって、ニューヨークの多くのクラブDJたちが職を失ったんだ。俺は活動できる場所を求めて寿司レストランなんかでもプレイしていたな。まともにクラブでDJができる機会はそれから10年はなかったんだよ。

そこであなたは大学へ戻り、2002年の卒業と同時にレーベル〈More Music NY〉をはじめ、ダンスミュージックのシーンへ戻ってきたわけですね。

LV:その通り。大学では西洋音楽を中心に古代ギリシアから順に学んだよ。インドや中東の調性、そしてもちろんアフリカのリズムも。でも、主に勉強していたのは西洋のクラシックとアメリカのジャズ。その頃までにはダンスミュージックを作っていたんだけど、大学へ通い始めて、俺は制作から一旦離れたんだ。音楽そのものに強く惹かれていたら、もっと深く学ぼうと思ったというわけさ。
 その後はじめたレーベルは失敗に終わってしまったんだけどね(苦笑)。あの時期はMP3が台頭してきた時期で、レコード文化はかなり廃れてしまっていた。個人的にはMP3の扱いもそのフォーマットも、いままでそれが正しいと思ったことはない。ビートポートが登場して、ネット上でのダンス・ミュージックの配信が普及したのはそのすぐあとの出来事(2004年)。でもそんな状況下、多くの人びとがレコードの良さに着目するようになり、2008年頃から現在に至るレコード・リヴァイヴァルの流れが生まれたんだ。

あなた個人としては、そのリヴァイヴァルをどのように捉えていますか?

LV:とても肯定的に思っているよ。俺の両親はかなりレコード集めにシリアスだった。レコードに自分の名前を書いて、お互い別々の棚で保存していたくらいだ。そういう環境で育てば、そりゃレコードが好きになる。このトレンドが誰かに仕組まれているんじゃないかと思うこともあるが、これに限っては悪いことではないんじゃないかな。俺たちのコミュニティはMP3が全盛期だった時でも、レコードというメディアでアイディアを出し続けて、リヴァイヴァルを先導する力の一部になれたんだ。

レコード・ストア・デイ(以下、RSD)などの催しに合わせて、メジャー・レーベルがレコード工場のスケジュールを抑えてしまい、インディペンデントで活動するプロデューサーたちの制作が遅れてしまう事態も、リヴァイヴァルのなかで起きています。

LV:その問題には毎年悩まされているから、RSDには関わっていないしまったく支持もしていない。最初は素晴らしいアイディアだと思ったよ。RSDがはじまった当初、俺はレコード店で働いていて、とくに最初の2回はかなり真面目にプロモーションにも協力していた。でも、やはりイベントはビジネス優先の考えが強くてね。アーティストがインディペンデントに自律しようとする流れを、大きな企業が資本化してしまい、彼らの活動が変わってしまった面もある。
 欧米で春はレコードを出すベストな時期なんだけど、大手レコード会社は春を狙って、ザ・キュアやデペッシュ・モードのようなアーティストの再発盤を発売するから、インディペンデントで活動する俺みたいなミュージシャンは、その時期にレコードを作ることができない。夏は温度の影響もあって、多くのレコード工場は機械を稼働できないから、制作時期も限られているっていうのにさ。本当にたまったもんじゃない。レコードを制作するのに大体2ヶ月はかかるんだけど、メジャー会社のせいで1年のうち3ヶ月は自由に制作ができないんだ。9月も発売には良い時期だ。でもその時期に合わせることすらも難しい状況だね。ときには1作品をプレスするのに半年かかることもあるくらいで、作品のプロモーションのスケジューリングにも影響が出てくる。でもそういうトラブルも引っくるめて、俺はレコードで作品を発表することが大好きだ。昔から慣れ親しんできたフォーマットに自分の名前が載るのは、やはり特別な思いがする。

2015年にあなたはキャリア初のアルバム『Levon Vincent』をリリースしました。楽曲制作からデザインに至る行程を含めた制作期間はどのくらいかかったんですか?

LV:正確な時間は、この場では検討がつかないな。デザインは友人のヴィジュアル・アーティストのトマス・バーニック(Thomas Bernik)との共同制作なんだけど、レコードのラベル部分はサザビーズ(Sotheby’s;世界最高のオークション会社)のカタログや、日本の家具雑誌なんかを参照していて、その収集には5年は費やしてきたと思う。レコードのラベルは1枚1枚異なっていて、同じものは存在しないんだけど、この技術を応用したのは俺が初めてなんじゃないかな。業者との連携によって成し遂げることができたのさ。それから24時間ラベルを作り続けられる技術も使って、3000枚のレコードに貼り付けた。大多数はデザインを印刷会社に送って、約2ヶ月後にラベルが出来上がってレコードに貼り付けるんだけど、俺はその過程のすべてに携わったわけだ。
 近年のレコードの制作過程におけるイノヴェーションはそんなに多くはない。60年代に完成した古典的な技術がいまも引き継がれているからね。だからその点に着目すれば、進むべき進路は見出せるわけだ。でもそれを理解している業界人はあまり多くないように思う。そこを上手くやれたのいは、トマスによるところが大きいね。最初のレーベルの時から彼と仕事をしているから、もう長い付き合いだ。彼は奥さんとふたりレコード制作会社で働いていて、俺は彼らの最初のクライアントといったところかな。ふたりはよき友人でもあり、とても感謝している。

いまの話を聞いていて思い出すが、マーシャル・マクルーハンの言葉、「メディアはメッセージである(The media is the message)」です。あなたは2009年に発表した自身の曲名に同じ言葉を選びました。

LV:あの曲を出した時のメッセージは、音楽のフォーマットに関してのものだ。当時はいまほどレコードが人気を取り戻していたわけではなかったからね。だからその言葉を選んだんだけど、それももう数年前。いまは曲の配信でMP3を使うことだってある。もっと言えば俺はもうクラブでレコードをプレイしなくなったんだ。

昨日のDJを見ていてそれは思いました。僕が以前あなたのプレイを東京で見たのは2014年のことですが、あのときはレコードをプレイしていました。データでDJをするようになった経緯は何ですか?

LV:最近になってMCカートリッジを使うようになってね。ほら、MC型って扱いに気を使うだろう? 音質は素晴らしいけれど、下手にスピンは絶対にできない。良いプリアンプも手に入れたから、それらを組み合わせてレコードの曲をデータにしてクラブで使用するようになった。クラブでオルトフォンの針を使うよりも音質が格段にアップしたね。それから、80年代や90年代に比べるとクラブの音量がかなり大きくなってきているのも理由のひとつだ。ひとつのクラブが収容できる人数も多くなって、踊る余地もないほどのスペースに人びとが立たされることだってある。つまり、そういった環境で生まれる特有の音の反響があって、それはレコードのプレイにマッチしないんだ。

ではそういう状況でCDJを使う理由とは何ですか?

LV:もちろんDJたちのレコードに対する情熱は変わらないよ。レコードを買わない週はないし、リリースもやめることはない。プレイの面のことを考えての選択というだけのことだ。現場でドリンクをこぼされたり、移動中にレコードをなくしたりする心配もないしね。
 データは極力使いたくなかったから長年頭を抱えていたんだけど、ハイレゾの主流化と、最近のパイオニアの機材の進歩によって、俺もデータに切り替えることにした。最新のCDJは機能、音質、どれを取っても素晴らしいと思う。もちろん、データを閲覧するときにパスコードの制限をつけて、曲が盗まれるのを防ぐ機能とかは必要だと感じる。あと、CDJのキューボタンは、アカイMPCのパッドと同じくらい押しやすくなってもいいだろうね。

たしかにドラムマシンのようなCDJの使い方をするDJも増えてきています。MPCには思い入れがあるんですか?

LV:俺は世代的にMPCと育ったようなものだよ。最近はパイオニアがルーパーを出したけど、あのサンプリング機能もすごい。アカイが主流だった時代に、まさかパイオニアがサンプラー市場に進出するなんて思いもしなかった!

科学技術と音楽機材は手をつないでいるかのように、共に進歩してきました。あなたはこの関係をどう捉えていますか?

LV:子供の頃からデジタル機材には憧れがあってさ(笑)。初めてサンプラーを知ったのはファブ・ファイブ・フレディのインタヴューを読んだときだ。彼もニューヨークの地元のレジェンドでね。それで小さい頃、母親と一緒にマンハッタンの楽器屋に行ったわけだ。「ママ、お願い。僕、あのマシーンで本当に音楽を作りたいんだ!」という具合に。でも当時、サンプラーは10000ドルもしたんだよ。もちろん、買うことなんてできなかった。でもいまは数百ドルでパソコンが買えて、サンプラーも手に入る。すごい時代になったもんだ。
 クラシックの例を見てみよう。クラヴィアが普及しはじめたとき、バッハはすべての演奏者の基準となる調律を作り、それによって音楽を紙に書き、ポストで遠く離れた人へ送れるようになった。これは革新的なことだろう? それから人々が音楽を書くことがブームになって、モーツァルトなど職業音楽家だけではなくて、一般の趣味人だって曲をかけるようになった。これは現代と同じ状況だ。
 現在、1週間にリリースされるレコードの枚数なんて多すぎて検討もつかない。ひどい音楽が山のようにある一方で、素晴らしい音楽も多くある。これだけ音楽テクノロジーが発達した現在、誰でも音楽家になれると言っても過言じゃないかもね。ミュージシャンになるのにこれ以上適した時代なんて想像もできないよ。毎週新しい技術が生まれて学ぶことがたくさるある。というよりも、人は学ぶことを止めることができないだろう。60年代の現代音楽家のアルヴィン・ルシエールは脳波から音楽を作り出したけど、頭にUSBケーブルを繋いで作曲をする時代が本当に来るのかもしれない。

その昔、エイフェックス・ツインは、遠くない未来において「コンピュータが音楽作曲を作るようになっている」と言いました。コンピュータが全自動で音楽を作るという考えに、あなたは賛成しますか?

LV:音楽技術の発達という意味では賛成だけど、それってジェネラティヴ・ミュージック(注:プログラムに合わせてコンピュータが自律的に音楽を作ること)のことかな? だとしたら、プログラムを作ったプログラマーが作曲家ということになるから、話がちょっと変わってくるように思える。特定の法則に則って作曲をするのは、それこそ前衛音楽家が目指したことで、最終的に完成する曲が既存のいわゆる音楽とかけ離れることはしばしある。ジョン・ケージが良い例だ。ある種のジェネラティヴ・ミュージックは身の回りで発生した音から音楽を作り出すけれど、無音のなかで発生する音が「音楽」になるケージの『4分33秒』と共通する面もある。その意味では、何十年も前からあるアイディアが、違った形で広まりつつあると考えた方が適当なのかもしれないね。
 人間が演奏をやめてしまうことは残念に思うね。楽器と人間の間には会話があってそこに喜びが生まれる。こういった関係性は1回限りの重要なものだ。クラブにおけるサウンドシステムと人間の関係も同じで、低音を感じることに意味がある。だから、そういった意味で演奏は消えないでほしい。

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これは世界中の醜いアヒルの子、つまり白鳥のための音楽だ。もし君がくだらないラット・レース(出世争い)に夢中で、他のネズミたちと一緒に権力争いをしていたとしても、もちろんこのアルバムを聴いてくれてかまわない。でもこの音楽は君のためのものじゃなくて、君に対する反抗なんだってことを肝に命じておいてくれ。
──2015年のアルバム発表に際してレヴォン・ヴィンセントが綴ったメッセージ

今年、あなたはフェイスブックに自身が音楽理論を解説するいくつかのヴィデオを載せています。個人的には特にホールトーン・スケールの解説のなかで、序列のない音階と社会との関連性について触れているものが興味深かったです。

LV:音階についての概念的な議論はもうずっと昔からあるもので、大学時代に俺もそれについて学んだことがある。あのヴィデオで話したのは、後にシュルレアリズムに繋がるホールトーン理論の側面だ。各音階が持つ音程を市民にたとえ、そのつながりが形成するものを社会として捉えるんだ。西洋で使われる音階には、主音となる音程が存在していて、そこには音の序列があって、社会における階級序列にも類似する。上下関係から、特定の因子同士が特定の行為を生むような関係まで様々な解釈ができる。各音程が等間隔で配置されるホールトーン・スケールにおいて、各音には序列がない。つまりある種の人間関係の平等がそこ見ることもできるんだ。もっと視点を広げれば、いま世界で使われているチューニングの基準はドイツで作られたもので、そこに隠された「陰謀」のようなものについての議論もミュージシャンたちの間では行われてきたんだよ。

なぜ自分でそういった考えをヴィデオで伝えようと思ったのでしょうか?

LV:ここ最近、俺はインタヴューに対して疑問に思うことが多くてね。君とのこのインタヴューはかなり久しぶりに行うものなんだ。そのオルタナティヴとしてヴィデオの投稿をはじめたんだけど、カメラの前では率直に意見を言えてやり易いと感じたね。それが自分には合っていると思えたし、反応を含めいろいろとうまくいているよ。

SNSのがここまで発達した現代、利便性もある一方、誹謗中傷や「炎上」も頻発しています。あなたはインターネットの特性をどのように理解していますか?

LV:インターネットには、周知の通り善悪の面がある。ときとして人は他人をけなし、安全性も確保されているわけじゃない。俺のヴィデオ投稿は、人との繋がりを作るという意味で自主的なパブリック・リレーションズ(PR)行為だ。これは良い関係を作ることができる反面、面識のない人びとから罵倒される可能性もある。ユーチューブ上の子猫のヴィデオにだって、ひどい言葉が浴びせられたりするだろう? 一対一の直接的なコミュニケーションじゃそんなことはまずありえない。あれは明らかに「モビング(集団による個人への攻撃)」だ。だからミュージシャンたちはソーシャルメディア上で責任感を持つことが必要になってくる。
 俺がフェイスブックとヴィデオを使って、自分のオーディエンスとダイレクトにコミュニケーションを取るもうひとつの理由は、モビングや誹謗中傷を避けて、リスナーに音楽そのものについて考えてもらうためだ。例えば、その昔、音楽雑誌でミュージシャンがファッションについて語ることはあっても、曲の作り方を話ことはほとんどなかった。ミュージシャンと音楽は別物として意識されることが多かったんだ。でもいまはそのギャップを自分で埋めることができる。つまりコミュニケーションのあり方をデザインできるようになった。それにもしかしたら、俺のヴィデオの投稿が若手に音楽の作り方のヒントを与えるかもしれないしね。

2015年の1月に、あなたは同様にヴィデオを使って自身のアルバム・リリースの告知をしました。映像はニューヨーク発ベルリン着の架空の電車にあなたが乗っているかのような編集がされています。そのコンセプトを教えていただけますか?

LV:俺が育ったニューヨークのストリートで生まれたサウンドと、90年代のベルリンのスタイルの対話が、自分のやっている音楽だと思ったからだ。あの映像で、ニューヨークを出発した電車が到着するのは、ベルリンのクラブ、ベルグハインの最寄り駅のオストバーンハーフなんだよ。

Levon Vincent – Launch Ramp To The Sky

アルバムには予期せぬ展開を遂げる曲がいくつかあります。例えば “Launch Ramp To The Sky”。この曲は終盤でビートが止まり、それまでとは異なったメロディが展開されていきます。いわゆるダンス・ミュージックのマナーを無視した進行でびっくりしました。

LV:実はビートが止まるときに流れているメロディはホールトーン・スケールでできているんだよ。ダンス・ミュージックの本質はもちろん人を踊らせることだろう? その点を守りつつも、アルバムを作っているときには、他のミュージシャンとの接点も考えていた。あれを聴いて、予想外」と捉える作り手もいれば、「これは自分にもできる」と考える者もいるはずだ。アルバムの利点は、そうやっていろんな層の人びとにアプローチできること。シングルは片面の十数分で、ダンス・ミュージックのダンスの部分にフォーカスしなければいけない、と俺は思っている。やはり、アルバムではそれとは違ったクリエイティヴな部分を出せるよね。

前回、ジョーイ・アンダーソンが東京でプレイしたときに、彼はこの曲をフル・レングスでかけたんですね。ビートが止まった瞬間、フロアの人々が戸惑っているようにも見えたんですが、徐々に音の展開に彼らが惹きつけられていくようにも見えたんです。あなたの言う、ダンスさせることにとどまらないアルバムのクリエイティヴィティは、ダンスを必要とするフロアでも功を奏しているようです。フルでかけたジョーイもすごいですけどね(笑)。おまけに、そこから彼は再びダンス・チューンに戻っていったんですよ!

LV:それは知らなかった!  ジョーイには感謝しないとな。俺もフルでかけたことはないよ(笑)。彼は素晴らしいミュージシャンであり、真のアーティストだと思う。ジョーイは型破りなことをするのに躊躇しないからね。彼の音楽は一種の場所だ。聴くたび違う場所に連れていってくれる。言うなればコズミック・プレイスだね。

“Anti-Corporate Music”も強烈なダブテクノで幕を開け、美しいメロディが徐々にはじまりますが、これもアルバムを意図したものですか?

LV:その曲ができたのは、アルバム制作の開始よりずっと前のことだったんだ。その昔、学校のオーケストラでトランペットを吹いたことがあってね。その経験から、単音でできたメロディが俺はとても好きで、そういった構成の曲を多く作ってきた。だから俺はみんな楽器を演奏するべきだと思うのかもしれない。それが作り手や聴き手の音楽に対する姿勢に影響するからね。

先ほどベルリンの音楽のスタイルについて触れていましたが、都市としてのベルリンからもインスピレーションは受けているのでしょうか?  “Junkies On Herman Strasse”という曲もあります。

LV:ドラッグの問題は現にベルリンで起きていることだからね。現在のベルリンは80年代のニューヨークに似ていると思う。ベルリンはグラフィティで溢れているけれど、あの美学はニューヨークに由来するものだ。この文化の対話について俺は考えることが多かったね。

最後の曲“Woman IS An Angel”は、2009年に発表した“Woman Is The Devil”の続編のようなものですか?

LV:続編というよりも、コインの面と裏の関係のようなものだね。“Angel”の方も何年も前に書いたものなんだ。完成させるのに6年もかかった。だからその2曲を思いついたのはほぼ同時期だ。もともとはレコードのA面とB面にデビル・サイドとエンジェル・サイドを収録するというアイディアだったんだよ。

このアルバムからクラフトワークやロン・トレントの影響を思ったりもしました。

LV:俺は本当にロン・トレントが好きだよ。その比較は聞いたことはないけれど、俺にとっては名誉だね。彼はシカゴ出身だけどニューヨークにも長いこといたんだ。〈Prescription〉も好きだけど、彼がニューヨークで関わっていた〈Giant Step〉のリリースもとてもよく聴いていた。
 いろんな存在に影響されていることは間違いない。でも、音楽の作り方にもいろいろあるから、影響がどう出てくるかはわからない。音楽をカタルシス的に作るときもあって、それは瞑想のようなものだ。機能的な面を考えてハウスを作るときは、それとはまったく異なる。はっきりと言えることは、音楽は俺の人生で最良の友人だということ。いつでも近くにいるし、状況が良いときも悪いときも音楽をやっている。そして、自分の人生で最も一貫して続いていることでもある。

アルバムを発表したとき、あなたはリリースの詳細だけではなく、世界にむけてメッセージも残しました。あの言葉の意図とはなんだったのでしょうか?

LV:世界は大衆、探求者、社会病質者に分けられると俺は思っている。大衆は探求者にリーダーシップを求める。でも大抵の場合、探求者は人類史に大きなインパクトを残すことがあるものの、大衆を操ることには興味はない。マハトマ・ガンジー、マーティン・ルーサー・キング、マヤ・アンジェロウのような人びとがその例だ。でも探求者のせいぜい全体の5パーセントしかない。その一方で10パーセントの社会病質者がいて、残りの大衆を管理しようとする。この暗黒の三角関係が歴史上存在してきた。それをラット・レースと『みにくいアヒルの子』の物語を例に表したんだ。俺に関わるDJやダンスフロアの人びと、リスナーは「みにくいアヒルの子」だ。残りの85%のなかで周囲に惑わされず、彼らは美しい白鳥に成長する存在だと俺は思っている。

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アンディ・ウォーホルは素晴らしい観察者でもあると思う。彼もまた俺が好きな人間だ。企業文化がもたらす均一化の二面性について、ウォーホルはかなり早い段階でコメントしているよね。それはまさに俺が言いたかったことだ。キャンベル・スープの作品にも表れているように、彼はその実践もしている。それに彼はニューヨーカーの持つ一面を体現しているとも思うんだ。

2016年、あなたは自身のレーベル〈Novel Sound〉のコンピレーション『Rarities』を日本限定でリリースしました。リリースに至った経緯を教えてくれますか?

LV:日本のために何か特別なことをしたかったんだよ。俺は小さい頃、野球カードを夢中になって集めていた。いまはスケード・ボードやレコードのコレクターでもあって、集めることが常に好きだった。日本ではすごいレコード・コレクターにも会ったことがあるんだけど、あの国は集めることに対して特別な意識を持っていると思ったんだ。だから彼らに貢献できるようなことをしたかった。欧米ではディスコグスに載せるためだけにレコードを買う輩がたくさんいるけれど、日本では単純に好きだから買う人が多いという印象を受けたね。それもあって、過去にはシングル「Six Figures」の日本語表記バージョンをリリースしたこともあった。今回のコンピレーションも好評だったと友人たちから聴いているし、とても喜んでいるよ。

どのような基準で曲を選んだのでしょうか?

LV:リスナーの反応が良く、かつ自分が特別だと思う曲のセレクションになっていて、曲同士のコンビネーションも重視した。それから未発表曲も入っている。

Levon Vincent – Revs/Cost


Levon Vincent
Novel Sound/Pヴァイン

HouseTechno

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Levon Vincent - Rarities
Pヴァイン

HouseTechno

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“Impression Of A Rainstorm”のようなキラー・チューンはどのように生まれたんですか?

LV:あの曲は音楽の印象主義に基づいたものだ。暴風雨をシンセサイザーとノイズで表現したというわけさ。12年ほど前に作った“Air Raid”は爆弾の爆発を音で表している。ドビュッシーが“海”において、波がぶつかるのを表現するためにピアノを用いたようにね。彼は印象主義の最初期の例だ。ドナルド・トランプを表現するとしたら、馬鹿な喋り方する、というような感じさ。

このコンピレーションには“Revs/Cost”が入っています。この曲はダブステップ・プロデューサーであるぺヴァラリストなど、ルーツがハウス/テクノではないDJにもプレイされてきました。曲がリリースされた2011年の前後は、ダブステップやその周辺のベース・ミュージックのプレイヤーたちがテクノへと幅を広げていった時期でもあり、彼らのミックスを通してあなたのことを知ったリスナーも多いです。

LV:ああたしかに。UKのダブステップ界隈から反応がけっこうあったんだよ。“Revs/Cost”をリリースしたとき、ベンUFOがやっている〈Hessle Audio〉や、ボディカも連絡をくれたね。2015年のアルバムは『Pitchfork』のようなロック系の媒体からもこれも評価されたんだけど、自分のコミュニティの外とクロスオーヴァーできるのはとてもクールなことだ。
 もちろん、俺はコミュニティの外の音楽もチェックしている。俺はずっとハウス/テクノをプレイしてきたけど、90年代にはヒップホップやドラムンベースもよく聴いた。そういったジャンルを別個として捉えているというよりは、ひとつのエレクトロニック・ミュージックとして理解していたよ。

この曲名はニューヨークのグラフィティ・アーティストのレヴスとアダム・コストの名前から取られていますね。

LV:その通り。俺が子供の頃、住んでいたマンハッタンの近所は彼らのグラフィティだらけだった。俺が10代の頃、確実に彼らに影響されたね。16歳の頃、ウェスト・フォースのタワーレコードで働いていたときのことだ。そこから自分のフラットへの帰り道、「Revs Cost」の文字が本当に至る所にあった。フラットの向かいのビルなんか、その文字で全体が埋め尽くされていたね。

そういった意味でも、あなたはベルリンにニューヨークを見出しているのかもしれませんね。

LV:ああ。それから現在のベルリンにはスコッター(廃墟となったビルや家屋の不法定住者)がたくさんいるんだけど、それも昔のニューヨークに似ているんだ。当時のロウワー・イースト・サイドはスコッターが多かった。現在のニューヨークからはそういった文化が消えてしまったんだけど、グラフィティと同様にそれがいまもベルリンには残っている。

あなたはアイルランドのプロデューサー・デュオのテリアーズに、ベルリンでの滞在費を与え、その間彼らが楽曲制作に集中できる環境を提供しました。その意図とは何だったのでしょうか?

LV:音楽ビジネスとは、そこに関わる人びとが何をするかによって作られている。ビジネスに「誠意が欠けている」とか「コマーシャルすぎる」とか不平を言うミュージシャンが多くいるけれど、自分たちで良いビジネスを作ることは可能なんだ。でも、新しい世代のミュージシャンたちの多くは、まず何をどうすればいいのかわからない。そこで大きな企業に頼る者もいる。企業文化は人間にとって共通のものだからそれを否定するつもりは全くないけれど、人間性が均一化されてしまうこともある。もちろん均一化によって、人々の生活の質も均一に保たれ、誰もが同じものに接することができるという利点もあるのも事実だ。そこでセルフ・プロデュースの点で納得がいかないんだったら、自分たちで状況を変える工夫をすればいい。

あなたはフロアの先を読むような的確な選曲センスでも知られています。DJにおいて何を重視しますか?

LV:自分のDJセットがひとつの物語になるようになって、フロアの人びとに何かしらのインパクトを残すよう心がけているよ。ダンス・ミュージックは偉大なイコライザー(平等をもたらすもの)だ。ゲイ、ストレート、ブラック、ホワイト、リッチ、プア……、多様な人びとがひとつの部屋で同じ活動をする。デヴィッド・マンキューソがそう言っていた。彼にはフロアにおける社会変革の促進という理念があっただろ。マンキューソには常に親しみを感じていたね。尊敬していたDJのひとりだ。

そういえば、ある写真であなたはアンディ・ウォーホルのTシャツを着ていますが、彼も同じようなことを言っています。「大統領がコカコーラを飲む、リズ・テーラーがコカコーラを飲む、そして考えたら君もコカコーラを飲むわけだ。コークはコーク、どれだけ金があっても街角のホームレスが飲んでいるものよりおいしいコークなんて買えない。コークはどれもおんなじでコークはぜんぶおいしい」。これは先ほどの均一性の話にもつながりませんか?

LV:ははは! その通りだね。ウォーホルは素晴らしい観察者でもあると思う。彼もまた俺が好きな人間だ。さっき言った企業文化がもたらす均一化の二面性について、ウォーホルはかなり早い段階でコメントしているよね。それはまさに俺が言いたかったことだ。キャンベル・スープの作品にも表れているように、彼はその実践もしている。また彼はニューヨーカーの持つ一面を体現しているとも思うんだ。

ロンドンのクラブ、ファブリックの閉鎖についてうかがいます。もともと10月のロンドンでのDJであなたはファブリックでプレイする予定でしたが、閉鎖を受けて別のクラブで開催されたファブリックを支援するイベントに出演しました。閉鎖のニュースを受けてどう思ったのでしょうか?

LV:率直にとても悲しかった。ファブリックが大好きだったからね。クラブ、DJブース、どれもお気に入りでホームだと思っている。多くの人々がサポートを表明しているし、支援金もたくさん集まっているから、次の新しい活動につながればと思う(注:11月、審議のもとファブリックは営業再開が決定した)。

ロンドンの街を歩いていると、「#savefabric」のステッカーが多くの場所に貼られていて、多くの人びとが一丸となって問題に取り組もうという姿勢が伝わってきます。あなたは90年代のジュリアーニ市政を経験したわけですが、当時、クラブ文化を守るムーヴメントはあったのでしょうか?

LV:そういうわけでもなかったんだよ。議論もプロテストも起きなかった。ある日起きたら、街全体が突然変わってしまったような感じだったからね。それからニューヨークが変わってしまったのはジュリアーニの責任だけじゃなく、監視カメラが街に導入されたのも大きな要因だ。最初にカメラが導入されたとき、とても大きなデモが起きた。多くのニューヨーカーが望んでいなかったことだったからね。でも、その流れは止まらなかった。たしかに殺人事件の件数は下がったよ。俺がいた頃のニューヨークは殺人率がかなり高かったんだ。その一方で、カメラは文化的な活動にも作用し、街が変わってしまった。路上のすべてが監視される状況だ。間接的にしろ、当然それはクラブ文化の精神にも影響があったと思う。そのようにして善悪の両方がもたらされたというわけだ。議論もプロテストも起きなかったと言ったけど、俺の世代はタバコのボイコットとか、なんらかの運動は多くしていたよ。俺もいままで様々なチャリティに関わってきた。

2017年、〈Novel Sound〉からエリック・マルツ(Eric Maltz)の作品が発表されます。あなた以外のミュージシャンが同レーベルからリリースするのは初めてですよね。その経緯を教えてくれますか?

LV:俺はエリックの音楽を長いこと聴いてきたんだけど、彼は素晴らしいミュージシャンだよ。理由はそれだけさ。彼のキャリアの新しい一歩に携わることができて光栄に思う。

Levon Vincent – Birds

〈Novel Sound〉のラベルはスタンプからイラストに変わりましたが、あれは誰の絵なんですか?

LV:俺だよ(笑)。レーベルを24時間作り続ける技術について話したけど、それを応用していて、ひとつの絵から複数のラベルを1日もあれば制作できる。今年出したシングル「Birds/Tubular Bells」は鳥がテーマだから鳥の絵を描いた(笑)。“Birds”の曲自体も数百羽の鳥の鳴き声のような音が聴こえる。このシングルにはまだ遊び心があって、“Birds”はヒッチコックの『鳥』を、“Tubular Bells”は『エクソシスト』を表している。つまり両方ともホラー映画につながっているというわけさ。

最後の質問です。すべてのミュージシャンがあなたのような活動をしているわけではありません。そのなかで、インディペンデントであり続けることがあなたに課せられた役割であると考えていますか?

LV:シーンやコミュニティでの俺自身の特別な役割があるとは思わない。アーティストとして働くこと。自分のやりたいことを100パーセントやること、これに尽きる。実験続きの人生さ。来年は俺に住む場所があるとは限らないだろう? だからとにかく仕事を続けることが目標だよ。その結果として、誰かをインスパイアできたら嬉しい。俺は意見を言うけれど論争をしたいわけじゃない。曲を作り上げるために、ミュージシャンは長い時間を孤独に過ごすから、その活動を持続させるためにも、何か言ってくれる人間が必要になる。それにDJが終わった後、「あなたのレコードが好き」って言われるのは本当に光栄なことだ。

何かリスナーにコメントはありますか?

LV:本当に感謝しているよ。近いうちに日本に戻れることが楽しみだ!

Brian Eno - ele-king

 なんということだ。先日お伝えしたように、ブライアン・イーノは2017年1月1日に新作『Reflection』をリリースするのだけれど、その『Reflection』が「プレミアム・エディション」としてアプリでもリリースされることが発表された。
 たしかに、どれほど一回性を追求して作品を制作しようとも、それがヴァイナルやCDという形で発表される限り、イーノの求めるジェネレイティヴ(=自動生成的)な音楽が真の姿を現すことはない。おそらくイーノは長きにわたり葛藤してきたのだろう。彼はこれまでもピーター・チルヴァースとともに『Bloom』や『Trope』といったアプリでジェネレイティヴな音楽のあり方を探究してきたが、ついに今回、アルバムそれ自体のアプリ化に踏み切ったわけである。
 一体どんなアプリになっているのだろう? アルバムのリリースまでおよそ半月。首を長くして待っていようではないか。

巨匠ブライアン・イーノが贈る
アンビエント・シリーズ最新作『REFLECTION』
プレミアム・エディションとして
iOS、Apple TV対応アプリのリリースが決定


App images by Nick Robertson

『REFLECTION』は、長きに渡って取り組んできたシリーズの最新作である。あくまでもリリース作品という観点で言えば、その起源は1975年の『Discreet Music』にまで遡るだろう。――ブライアン・イーノ


ブライアン・イーノが、アンビエント・シリーズ最新作『REFLECTION』を、2017年1月1日(日)に高音質UHQCD仕様でリリースすることは既に発表されているが、今作のプレミアム・エディションとして、iOS、Apple TV対応アプリでもリリースされることが明らかになった。本アプリ版は、これまでにイーノが手がけた『Bloom』や『Trope』といった革新的アプリ同様、音楽家でありプログラマーのピーター・チルヴァースと共同開発されたもので、『77 Million Paintings』や『The Ship』といった代表作を生んだソフトウェア・プロジェクトのコンセプトを拡張させ、ジェネレイティヴ(=自動生成的)な音楽や画像を楽しめるアプリとなっている。


『REFLECTION』は、私にとって最新のアンビエント実験作で、これまでのところ最も精巧な作品となっている。私がアンビエント・ミュージックを手掛けることになった当初の意図は、エンドレスな(=無限の)音楽、すなわち、聴き手が望む限りずっとそこに流れている音楽を作ることであった。そしてその音楽が流れている間ずっと、常に異なる展開を生み出し続けることも求めていた。「流れる川のほとりに座っている時のように」だ。つまり、そこにあるのは同じ川だが、流れる水は常に変わり続けているということ。しかし録音作品は、アナログ盤であれカセットであれCDであれ、その長さが限られており、再生する度に毎回、全く同一の内容を聴くことになる。そのため私は従来、音楽を作り出すシステムを開発しても、その後30分もしくは1時間の音源を録音し、それをリリースしなければならないという制限を受けてきた。アルバム形式での『REFLECTION』は、アナログ盤もCDも、そのようなものとなっている。しかし『REFLECTION』の制作に用いた本アプリには、そういった制限がない。本アプリによって、『REFLECTION』という音楽作品の、エンドレスかつ無限に変化し続けるヴァージョ ンを生み出すことが出来るのである。

こういった種類の曲の制作は、3つの段階に分けられる。まず第1の段階が、音の素材及び旋法(モード)の選択、つまり一連の音程関係の選定である。これらは次の段階で、アルゴリズムのシステムによりパターン化され、探査が行われる。そのアルゴリズムのシステムは変動し、最初に私がそこに入力する要素を並べ替えながら、絶えず変容を続ける音楽の流れ(もしくは川)を生じさせる。第3の段階が、試聴だ。一旦システムを作動させると、実際、何週間にも及ぶ長い時間を費やして、私はその作用を確かめ、素材やアルゴリズムを実行する一連の規則を微調整する。それはガーデニングと実によく似ている。つまり、種を蒔き、その後、好みの庭に育つまで、世話をし続けるのだ。
- Brian Eno


コンポジション(作品)をソフトウェアに取り込むことにより、ある特別な機会を得ることができた。1日の時間帯によって、規則自体を変更することが可能になったのだ。午前中にはハーモ ニーがより明るく、それが午後にかけて徐々に変化し、夕刻までには本来のキーに到達。明け方には、新たに導入された条件によって音がまばらになり、全体の速度が落ちる。
- Peter Chilvers


ブライアン・イーノ最新作『REFLECTION』は、CD、アナログ、デジタル配信、iOS、Apple TV対応アプリのフォーマットで、2017年1月1日(日)世界同時でリリース。国内盤CDは、高音質UHQCD(Ultimate High Quality CD)仕様で、セルフライナーノーツと解説書が封入され、初回生産盤は特殊パッケージとなる。



Labels: Warp Records / Beat Records
artist: BRIAN ENO
title: Reflection

BADBADNOTGOOD - ele-king

いよいよ迫ってきた。
最新作『IV』でジャズとヒップホップの蜜月を更新した、いま最もアツいカルテット、バッドバッドノットグッド。「E王」を獲得したアルバムの方も素晴らしかったけれど、かれらはライヴでこそ本領を発揮するバンドである。BBNG待望の単独来日公演は、11月18日(金)、渋谷WWW Xにて開催。もうみんな『IV』を聴いて予習しまくっている最中だとは思うけど、改めて強調しておきます。ライヴを体験せずしてBBNGの真価はわ・か・り・ま・せ・ん!
と盛り上がっていたら、かれらの最新インタヴューが公開されました。ナイス・タイミング。このインタヴューを読みながら、11月18日を待ちましょう。

https://www-shibuya.jp/feature/007255.php

■BADBADNOTGOOD単独来日公演
日程:2016年11月18日(金)
場所:Shibuya WWW X
時間:open19:00 / start20:00
料金:ADV¥5,500 / DOOR¥6,000(税込/ドリンク代別/オールスタンディング)
お問い合わせ:WWW X 03-5458-7688 https://www-shibuya.jp/
公演詳細ページ:https://www-shibuya.jp/schedule/007034.php
<チケット>
・先行予約
受付期間:9/17(土)10:00 ~ 9/25(日)18:00 ※先着
イープラス ( e+ ) https://eplus.jp/
・一般発売:10/8(土)
チケットぴあ / ローソンチケット / e+ / beatkart / WWW店頭
主催:WWW X
協力:beatink

■BADBADNOTGOOD
トロントを拠点にマット・タヴァレス、アレックス・ソウィンスキー、チェスター・ハンセンを中心に結成。現在は、サックス奏者のリーランド・ウィッティが正式加入しカルテット編成で活動するBADBADNOTGOOD。4人体制として初のアルバムとなった好評発売中の最新アルバム『lV』には、ジ・インターネットやアンダーソン・パークを手掛け、ソロ・アルバムも話題の気鋭ケイトラナダ、トム・ウェイツ、アニマル・コレクティヴ、ボン・イヴェール、TVオン・ザ・レディオら幅広いアーティストの作品でリード奏者として活躍するコリン・ステットソン、盟友チャンス・ザ・ラッパーやジョーイ・バッドアスとの共演でも知られるシカゴの俊英ラッパー、ミック・ジェンキンス、ボルチモア・シンセ・ポップの雄フューチャー・アイランドのフロントマンであるサム・ヘリングなど旬な面々が名を連ねている。
https://www.beatink.com/Labels/Beat-Records/BBNG/
Twitter:https://twitter.com/badbadnotgood

DJ Marfox - ele-king

 キツネだらけである。誰も彼もが尻尾に「フォックス」をくくりつけてなびかせている。DJ MarfoxにDJ Nigga FoxにDJ Babaz Foxに……数えだしたらきりがない。さりげなく「コックス」も紛れ込んでいるが、一体このキツネ崇拝集団は何なんだろう。たしかにキツネはかわいいし、僕も毎晩キツネ写真館の画像を眺めては癒されているけれど、〈Príncipe〉というレーベルのもとで彼らが展開している音楽は、「かわいい」からはあまりにもかけ離れたゲットー・サウンドである。
 彼らの鳴らすトライバルでポリリズミックな音楽は、既存のスタイル名で呼称するのが非常に難しい。暴力的に単純化してしまえば、クドゥーロなどのアフリカン・ダンス・ミュージックが、ハウスやテクノ、あるいはグライムやダブステップといったベース・ミュージックと衝突する過程で、突然変異的に発生した音楽、と言うことができるだろうか。

 キツネを信奉するこの風変わりなダンス・ミュージックのシーンは、リスボンの郊外へと隔離されたアフリカ系の若者たちによって00年代半ばに生み出された。つまり彼らの音楽は行政によるジェントリフィケイションの産物であり、多分に政治的な側面を具えたものであると言うことができる。彼らの背景に関する情報がなかなか入ってこないのがもどかしいけれど、『RA』誌の記事によれば、ポルトガルで大きな影響力を持つあるジャーナリストが、「〈Príncipe〉は1000の政治集会よりも影響力がある」と書いたことさえあるらしい。要するに、正真正銘のカウンターなのである。リスボンのゲットーというと、ペドロ・コスタの『ヴァンダの部屋』(2000年)を思い浮かべる人も多いだろう。個人的にあの映画の中で最も印象に残っているのは、アフリカ系の若者がボブ・マーリーの歌を口ずさんでいるシーンなのだけれど、あの強烈な諦念の数年後にこのゲットーのシーンが胎動しはじめたわけだ。
 発火点となったのは、2006年にオンライン上に公開されたコンピレイション『DJ's Do Guetto Vol. 1』だったようである。しかしその時点ではまだ彼らの音楽は、リスボン内のローカルなものに留まっていた。彼らのシーンにとってより大きな転機となったのは、DJ Marfoxが2011年に放ったEP「Eu Sei Quem Sou」である。そのリリースとともに活動を開始したレーベル〈Príncipe〉は、DJ Nigga Foxの「O Meu Estilo」(2013年)や複数のアーティストが参加した「B.N.M. / P.D.D.G」(2013年)などのリリースを通して、着実にその特異なサウンドの胞子をばら撒いていった。そして2015年、彼らの奇妙なベース・ミュージックは、UKの名門レーベル〈Warp〉によって再発見されることになる。
 昨年の春から秋にかけてドロップされたEP3部作「Cargaa」は、OPNの『Garden Of Delete』を除けば、昨年リリースされた〈Warp〉のカタログの中で最も重要かつ最もエキサイティングなタイトルであった。その3枚の12インチは、リスボンのゲットー・サウンドをこれまで以上に広く世界に知らしめるものであると同時に(『ガーディアン』紙のような大手メディアが特集を組んだくらいである)、ベース・ミュージックがどんどんワールド・ミュージックと交錯していく近年の潮流を改めて確認する役割を果たすものでもあった。
 もしその「Cargaa」シリーズが1枚のコンピレイションという形にまとめられていたならば、そしてもう少しだけ早くリリースされていたならば、それは〈Planet Mu〉によるジューク集『Bangs & Works』(2010年)や〈Honest Jon's〉によるシャンガーン・エレクトロ集『Shangaan Electro』(2010年)と並んで、後世へと語り継がれる1枚になっていただろう。いつも少し遅いが、ポイントははずさない――たしかにそれこそが〈Warp〉のやり方ではあるものの、このリスボンのゲットー・サウンドに関しては、〈Adam & Liza〉がコンパイルした編集盤『Lisbon Bass』(2012年)がすでにその紹介者としての務めを果たしてしまっていたのかもしれない(ただし、〈Príncipe〉に焦点を絞った「Cargaa」とはコンパイルの趣旨が異なっているが)。

 このリスボンのゲットー・シーンをキツネだらけにした張本人が、DJ MarfoxことMarlon Silvaである。〈Príncipe〉の連中がこぞって「フォックス」を名乗るのは、シーンの中心人物である彼に敬意を表してのことらしい。1988年生まれのMarlonは、幼い頃にプレイしていた任天堂のゲーム『スターフォックス64』の主人公から現在のステージネームを思いついたそうだ。
 彼は上述の「Eu Sei Quem Sou」(「I know who I am」という意味)で高らかに自らの存在を世界へと知らしめた後、「Subliminar」(2013年)を挟んで、いまはFuture Brownの一員でもあるJ-Cushの主宰する〈Lit City Trax〉から「Lucky Punch」(2014年)を発表し、英米のベース・ミュージック・シーンとの合流に成功する。そして昨年は上述の「Cargaa」に参加したり、レトロスペクティヴな『Revolução 2005-2008』をまとめたりと、これまでの彼らのシーンや自身の歩みを総括するような動きを見せていたが、今年の春にようやく2年ぶりとなる新作「Chapa Quente」をリリースした。

 ここ数年の間に〈Lit City Trax〉や〈Warp〉といった英米のレーベルを経由したからだろうか、「Eu Sei Quem Sou」のような無茶苦茶な感じというか、一体どう形容したらいいのかわからない混沌とした感じはほんの少しだけ薄まっているものの、それでも十分強烈なダンス・トラックがこのEPには並んでいる。レゲトンの“Tarraxo Everyday”のみ他の曲とは毛色が異なっているけれど、先行シングルとなった“2685”から最後の“B 18”まで、基本的にはアフリカンな要素を強めに押し出したパーカッシヴなスタイルが貫き通されている。「俺がドンだ」というMarfoxの矜持が示された貫禄の1枚といったところか。

 そしてこの夏、〈Príncipe〉本体からCD作品としては初となるレーベル・コンピレイションがリリースされた。DJ Marfoxやすでに名の知られたDJ Nigga Foxをはじめ、「Cargaa」に参加していた面々(DJ Lilocox、DJ Firmeza、K30、Nídia Minaj、Babaz Fox、Puto Anderson、Puto Márcio、Ninoo、DJ Nervoso、Blacksea Não Maya)や、今回が初登場となる新人も名を連ねており、全23曲というお腹いっぱいのヴォリュームである。

 まずは、これまでの〈Príncipe〉のイメージを踏襲したスタイルの曲が耳に飛び込んでくる。DJ Danifoxの“Dorme Bem”やNídia Minajの“Festive”、あるいはDJ Nervosoの“Lunga Lunga”など、アフリカンで、トライバルで、パーカッシヴで、ポリリズミックなトラック群は、このリスボンのゲットー・シーンを外へ向けてわかりやすく紹介する役割を担っているのだろう。中でもやはりDJ Nigga Foxは頭ひとつ抜けている感があり(DJ Marfoxの「Chapa Quente」と同じ頃に出たコンピレイション「Conspiración Progresso」に収録された彼のトラックも、異様なもたつき感が脳裏に残り続ける極めてストレンジなトラックだった)、“Lua”のぶっ飛び具合は彼らのシーンの特異性を如実に物語っている。
 昨年の「Cargaa」では、まるで「シンプルなリズムを使用してはならない」という戒律でもあるかのようにみながみなポリリズミックに時を刻んでおり、そこに風変わりな上モノが重なることで独特の揺らぎが形成されていたのだけれど、このコンピレイションは「Cargaa」以上に多様なサウンドを差し出して見せる。
 DJ Cirofoxによるメロウなヒップホップ(“Moments”)、DJ Lycoxによるジャポニスム(“Dor Do Koto”)、DJ TLによるフェイク・ハウス(“Deep House”)、DJ LilocoxやDJ MabokuによるUKガラージ~ダブステップ(“La Party”、“Ruba Soldja”)、Niagaraによるシンプルな4つ打ち(“Alexandrino”)、Babaz Fox & DJ BebedeiraやNinoo & Wayneによるレゲトン(“Tarraxeí No Box”、“Cabríto”)、Puto Márcioによるフェイク・ダブ(“Não Queiras Ser”)、Blacksea Não Mayaによるエグゾティスム(“Melodias Rádicas”)、……とむりやり既存の言葉を羅列してはみたけれど、そのすべてにアフリカンなギミックが施されており、本当にストレンジなトラックばかりが並んでいる。彼らの果敢な試みに刺戟されたのか、「ドン」であるDJ Marfoxも自身の“Swaramgami”に細かく刻まれたヴォイス・サンプルを挿入するなど、新機軸を打ち出してきている。
 おそらくこのコンピレイションは、〈Príncipe〉というレーベルの底の深さを証明するために編まれたものなのだろう。しばしば、どこまでもロックの域を越え出ることのない平凡なバンドに「ミクスチャー」なる不相応な単語があてがわれることがあるが、〈Príncipe〉の連中は「ミクスチャー」という言葉の本当の意味を知っている。世界は俺らの手の中――まるでそう宣言しているかのような多彩なコンピレイションだ。

 現実がハードであればあるほど、そこで鳴る音楽は輝きを増す――リスボンの第4世界=ゲットーで生まれたこのベース・ミュージックは、まさにそのことを証明しているのかもしれない。この形容しがたい不思議なサウンドたちは、一体どのような背景から生まれてきたのだろう? かの地のアフリカ系の若者たちは、一体どのような状況に置かれているのか? かの地で進められているジェントリフィケイションは、一体どのような様相を呈しているのか?
〈Príncipe〉の音楽を聴き終えた僕はいま、そのあまりに奇妙なリズムとシンセの狂騒に、キツネにつままれたような気分になっている。

Oneohtrix Point Never - ele-king

 昨秋リリースされた『Garden Of Delete』の昂奮も冷めやらぬなか、年明け早々にジャネット・ジャクソンをドローンに仕立て直したかと思えば、ハドソン・モホークとともにアノーニのアルバムをプロデュースしたり、DJアールのアルバムを手伝ったりと、ダニエル・ロパティンの創作意欲は留まるところを知らない。そのOPNがまた新たな動きを見せている。
 昨年公開された“Sticky Drama”のMVもなかなか衝撃的な映像だったけれど、このたび公開された“Animals”のMVもまた、観る者に深い思考をうながす内容となっている。近年は過剰な音の堆積でリスナーを圧倒しているOPNだが、彼はもともとアンビエントから出発した音楽家である。そのことを踏まえてこのヴィデオを眺めてみよう。このMVは「ベッドルームとは何か?」という問いを投げかけているんじゃないだろうか?
 監督はリック・アルヴァーソン。主演はヴァル・キルマー。以下からどうぞ。

https://youtu.be/1UztCDH2xuQ

ONEOHTRIX POINT NEVER
ヴァル・キルマー主演の最新映像作品「ANIMALS」を公開

エクスペリメンタル・ミュージックからモダンアート、映画界まで活躍の場を広げ、熱狂的な支持を集めるワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが、2015年に発表し、賞賛を浴びた最新作『Garden of Delete』から、作品の核となる楽曲「Animals」のミュージック・ビデオを公開した。

Oneohtrix Point Never - Animals (Director's Cut)
YouTube:https://youtu.be/1UztCDH2xuQ
公式サイト:https://pointnever.com/animals

Val Kilmer

Directed & Edited by Rick Alverson
Story by Daniel Lopatin & Rick Alverson

Ryan Zacarias - Producer
Drew Bienemann - DP
Alex Kornreich - Steadicam
Julien Janigo - Gaffer
Paulo Arriola - 1st AC
Jess Eisenman - HMU
Dan Finfer - Home Owner

ロサンゼルスで撮影された本映像作品は、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティン原案のストーリーを元に、映像作家リック・アルヴァーソンが監督を務め、映画『トップガン』や『ヒート』、『バットマン・フォーエヴァー』などで知られる俳優ヴァル・キルマーが主演している。

また本作品は、現在ロサンゼルスのアーマンド・ハマー美術館にて開催中のアート展『Ecco: The Videos of Oneohtrix Point Never and Related Works』のオープニング・イベントにて10月18日にプレミア上映された。

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーは、『Garden of Delete』をリリース後も、人気ファッション・ブランド、KENZOのファッション・ショーにて、ジャネット・ジャクソンの「Rhythm Nation」をアレンジした160人による合唱曲を披露し、マーキュリー賞にもノミネートされたアノーニのアルバム『Hopelessness』をハドソン・モホークとともにプロデュースし、ツアーにも参加するなど、ますますその活躍の場を広げている。

label: WARP RECORDINGS / BEAT RECORDS
artist: ONEOHTRIX POINT NEVER
title: Garden of Delete
ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー / ガーデン・オブ・デリート
release date: NOW ON SALE

国内盤CD BRC-486 定価 ¥2,200(+税)
国内盤特典:ボーナストラック追加収録

[ご購入はこちら]
beatkartで購入:https://shop.beatink.com/shopdetail/000000001965/
amazon: https://amzn.to/1NbCrP4
tower records: https://bit.ly/1UodWT0
HMV: https://bit.ly/1LVZJIv
iTunes: https://apple.co/1NOGOj3

Tracklisting
1. Intro
2. Ezra
3. ECCOJAMC1
4. Sticky Drama
5. SDFK
6. Mutant Standard
7. Child of Rage
8. Animals
9. I Bite Through It
10. Freaky Eyes
11. Lift
12. No Good
13. The Knuckleheads (Bonus Track For Japan)

interview with galcid - ele-king

 金魚は目をぱちくりさせていた。
 初めてgalcidのライヴを観に行ったときのことだ。9月21日に日本橋・アートアクアリウムでおこなわれたgalcid + Hisashi Saitoの公演は、想像していた以上にダンサブルで、ハードで、でもふと虚をつくような意外性があって、不思議な体験だった。フロアは大量の金魚鉢に包囲されていた。金魚にはまぶたがないから、まばたきなんてできるはずがないんだけど、これがgalcidの力なのだとしたら、おそろしい。


galcid - hertz
Coaxial Records/Underground Gallery

Techno

Amazon Tower iTunes

 文字通りインダストリアルな環境に生をうけ、10代でニューヨークに渡り、クラフトワークやYMOなどの過去の偉大な遺産と90年代の豊饒なエレクトロニック・ミュージックを同時に大量に浴びて育ったgalcidは、ある意味では正統派であり、またある意味では異端派でもある。「ノー・プリセット、ノー・PC、ノー・プリプレーション」を掲げ、モジュラー・シンセを操り、インプロヴィゼイションにこそテクノの本懐を見出す彼女は、ソフトウェア・シンセが猛威をふるう昨今のエレクトロニック・ミュージック・シーンのなかで間違いなく浮いた存在だろう。もしかしたらそういった表面的な要素は、「あの頃」のテクノを知るオトナたちに哀愁の念を抱かせるかもしれない。だがgalcidの音楽が魅力的なのは、単にオールド・スクールなマナーをわきまえているからだけではないのである。
 以下のインタヴューをお読みいただければわかるように、galcidの音に対するフェティシズムは相当なものである。「音色マニア」あるいは「音色オタク」と呼んでも差し支えないと思うのだけれど、そのような彼女の音に対する執念が、予測不能のインプロヴィゼイションというスタイルの土台を形作ることで、ありそうでなかった独特のテクノ・サウンドが生み出されているのである。〈デトロイト・アンダーグラウンド〉が反応したり、ダニエル・ミラーやカール・ハイド、クリス・カーターといったビッグ・ネームが惜しみなく賛辞を送ったりするのも、きっとそんな彼女の職人的な細部への配慮に尊敬の念を抱いているからだろう。
 galcidの音楽には、これまでのテクノとこれからのテクノの両方が詰まっている。その不思議なサウンドが生み出されることになった秘密を、あなた自身の目で確認してみてほしい。きっと目をぱちくりさせることになるよ。

2回目に見たgalcid(ギャルシッド)はより進化していて、さらにインプロヴァイズでの自由度が増した素晴らしいパフォーマンスだった。
──ダニエル・ミラー(2016年9月21日@日本橋・アートアクアリウム)

小林(●)、野田(■))

前に『ele-king』でダニエル・ミラーのインタヴューをしたとき、彼がギャルシッドの名前を出しているのですよ。

レナ:そうなんですか!

「日本人アーティストのリリース予定はありますか?」と訊いたら、ギャルシッドを挙げていましたよ。

一同:へえー。

羽田(マネージャー):DOMMUNEの神田のイベントで1度共演したことがありまして、先日アートアクアリウムで再び共演する機会があり、当日ダニエルと話してみたら、よく覚えていてくれたんですよね。ただ、メディアでコメントをしていた、というのは初耳でしたね……。

レナ:それはすみませんでした(笑)! 実はカール・ハイドがギャルシッドの音源をネットで見つけて会いたいって言ってくれて! この前、東京に来ていたときに会ってきたんです。それをディスク・ユニオンに言ったら、セールスのコピーになっていました(笑)。その前後にダニエルの言葉も入れたかったなぁ……(笑)。

ギャルシッドの音楽は、アンダーワールドよりはダニエル・ミラーの方が近いかもしれないよね。

プラッドと写真を撮られていたのをツイッターで拝見したのですが、プラッドもギャルシッドの音源を聴いていたのですか?

レナ:あのときはたまたま会場で会っただけなんです。それよりクリス・カーターが話題にしてくれて嬉しかったです。すぐ宇川さんに連絡したら、カール・ハイドよりも燃えていましたね(笑)。

うん、クリス・カーターを好きな人のほうがギャルシッドに入りやすいと思います。

レナ:そうですよね。

それではそろそろインタヴューに入りたいと思います。まず、ユニット名の由来は、「ギャル」+「アシッド」ということなんでしょうか?

レナ:そうですね。これはプロデューサーの齋藤久師がポロッと言って決まりました。私がDOMMUNEに出ることになったときに「名前どうする?」と聞いたら、「女性だし、ギャルシッド(galcid)でいいんじゃない?」というすごく軽いノリで決まりましたね(笑)。こんなに長く使うことになるとは思わなかった。

それは何年だったんですか?

レナ:2013年の末ですね。11月末に1回やって、年末のLIQUIDOMMUNE。そこが本格的なスタートになりましたね。

レナさんが最初に音楽に興味を持ったのはいつ頃だったのですか?

レナ:2歳のときですね。「題名のない音楽会」を見て、自分でやりたいと言ってピアノをはじめたんです。あの番組に中村紘子さんが出演していて、すごくカッコよく見えたので、「(ピアノを)習わしてくれ」と両親にお願いしたのですが、当時2歳からのピアノコースが故郷の高松市(香川県)にはなかったんですよね。そこでエレクトーンをはじめました。エレクトーンのコースは小学校に入る頃に終わってしまうので、そこからはピアノという風に自然に切り替わるんです。で、そこからはピアノをやっていたんですが、だんだん課題曲が難しくなってくると、五線譜がすごい感じになってくるじゃないですか!!
 そこから耳コピの世界に入っていきましたね。先生に弾いてもらって、それを聴いて練習していたんですけど、先生は(私が楽譜を)読めているという錯覚を起こしていました。耳で聴いて何かをやるというのはそのピアノ教育のおかげだと思うんですよね。ピアノは中学生のときまでやっていました。

子供のころにピアノとか鍵盤をやっていて、途中でついていけなくなってテクノに行く人は多いよね。OPNだってそうじゃない?

(OPNは)母親がクラシック音楽の教授と言っていましたよね。そこからどのような経緯でテクノに行ったのですか?

レナ:先ずは実家が鉄工場なんですよ(笑)。もう、家がインダストリアルなんです、朝起きたら、もわーっとシンナーの匂いがしているし(笑)。だから、そこから遠いところに行きたくてクラシックやったり、フルートやったりしていました。高校生のときに坂本龍一さんの音楽をちゃんと聴きだして。当時はまだ地元にも中古のレコード屋さんがいっぱいあったんですね。そこに浅田彰さんとの『TV WAR』とか『Tokyo Melody』とか廃盤になったLDがいっぱいあって、『音楽図鑑』とかYMO直後のソロ作品をすごく面白いなあと思って、買って聴いていたんですよ。そこからテクノとは直接は繋がらなかったんですけど、何かの本に坂本さんのインタヴューが載っていて、「クラフトワーク」という言葉が書いてあったんです。それで「クラフトワークって何?」と思って探って、初めて聴いたのがライヴ盤だったんですよ。“トランス・ヨーロッパ・エクスプレス”の80年代のライヴを聴いて、これは聴かなきゃいけない、と思ってずっと聴いていました。そうしたら、だんだん好きになってきましたね。

80年代のライヴ盤って、海賊盤じゃないですか?

レナ:え! 友だちから借りたんですよね……まずいですね(笑)。

一同:(笑)。

レナ:その後は自分でアルバムを買ったりして、すごくハマっちゃったんですよね。そういうものを抱えたまま渡米をしたんです。『ザ・ミックス』が出た頃だったかな。95、6年にそれを聴いて、「(いま聴くべきものとは)ちょっと違う」と言う人も当時いたんですけど。いろんなアルバムを集めたり、クラフトワークのコンサートもニューヨークで観たりしましたね。そのときもけっこう賛否両論で、「クラフトワークに進化はなかった」と言って帰っていく人、私みたいに「生き神に会えた!」という人の両方いましたね。その会場で、エンジニアみたいな人とかゴスやパンクの人、ヒップホップの人とかオタクっぽい人とかがぐちゃぐちゃに混ざって列に並んでいるのを見たときに、「この振れ幅はハンパない!」と思ってすごく感動した覚えがありますね。

クラフトワークが『ザ・ミックス』を作った理由のひとつは、デトロイト・テクノに勇気づけられたからなんですよ。だから当時のアメリカ・ツアーは、クラフトワークにとってみたらきっとすごく意味があったと思いますよ。

レナ:そうだったんですか!! すごい長蛇の列で、ふたつ先のストリートまで並んでいましたね。最後にロボットが出てきて、もう歌舞伎とかでいう十八番みたいな感じでしたよ(笑)。

羨ましいですね。当時はクラフトワークがあまりライヴをやっていなかった時代ですからね。

レナ:その後はけっこう頻繁にライヴをやっているイメージがありますけどね。96、7年頃はアメリカの中でエイフェックス・ツインも表立って出てきたし、〈Warp〉がすごくアクティヴだったじゃないですか?

アメリカでは〈Warp〉がすごく力があったんですよね。とくに学生たちのあいだでね。あの時代、アメリカという国の文化のなかで、オウテカやエイフェックスを聴くというのはすごいことですよね。

レナ:MTVが彼らをとても推していて、『アンプ』という番組でガンガンに詰め込んで放送していたんですよね。その番組で、私が田舎で買ったLDに入っていたナム・ジュン・パイクと坂本さんの映像がちょろっと使われていて、「ここでこんなものを観るとは思わなかった!」とびっくりした覚えがあります。テクノの番組がすごく盛り上がっていて、録画して観まくっていました。ちょうどクリス・カニンガムやビョークが盛り上がっていた頃ですね。ほかにも〈グランド・ロイヤル〉とか、サブカルチャーがかっこいいという流れがあって、そこに学生としていたので、影響は大きかったですね。

ちなみにおいくつで?

レナ:当時は10代でしたけど。

ませてるナー。

10代(17歳)で、いきなりニューヨークに行くということに、特にとまどいはありませんでしたか?

レナ:あまりなかったですね。それは田舎にいたおかげだと思っていて、東京に出るというのとニューヨークに出るというのは、違うんですけど……

言葉が違うよ(笑)。

レナ:(田舎を)出るということに関して、高校生くらいの頃からみんなが選択をするんですよ。うちの場合は近場だと神戸、大阪とかで、東京組はまた感覚が違うんですよね。私の同級生でも何人か海外に行った子はいましたね。父親も変わっているから、鉄を打ちながら「全然いいんじゃん?」と言ってくれました(笑)。父親はジャズとか集めている音楽マニアで、「語学はその国に行って学ぶのがいちばんいいから、いいんじゃないの、その語学で何か学んで来なさい」とふたつ返事で許してくれましたね。

「決まったことじゃなくて、まったく決まっていないことをやる方がライヴなんじゃないか?」と考えたことは印象として残っています。

父親が聴いていたジャズの影響はあったのでしょうか?

レナ:いや、特に10代の頃はほとんど聴いていないです。でも後から知ったんですけど、父はセロニアス・モンクとかバップ系のジャズが好きで、私も速いテンポのが好きなので、もしかしたら影響はあるかもしれないですね(笑)。

小林君はその話をインプロヴィゼーションに結びつけたかったでしょう(笑)。

レナ:そうなると綺麗ですね〜(笑)。すんません(笑)。

ふつう父親が好きな音楽なんて聴かないよ。

レナ:そうですよね(笑)。

周りにレコードが膨大にあって、元々クラシック・ピアノをやっていたということで、環境は整っていたという印象を受けました。それと鉄がガンガン鳴っていたということで(笑)。

レナ:鉄は嫌いでしたけどね(笑)。まあ、そういう意味ではそうですね。

当時テクノというとヨーロッパの方が強かったんですが、なんでロンドンではなくニューヨークだったんですか?

レナ:私も行ってから気づいたんですよね。本当にバカだなーと思ったんですけど、アメリカとイギリスの文化の差があまりわかっていなくて。坂本さんはニューヨークに行ったじゃないですか。「なるほど、ニューヨークはクールなんだな」と思って、行っちゃうんですよね。でも、聴いている音楽はすべてイギリスの音楽だったんですけど(笑)。

90年代のニューヨークはハウスですよね。

レナ:そうですよね。私の場合は90年代と言っても後半ですが、当時ハウスはあまり聴いていなかったので、そういう意味ではニューヨークのものからは影響を受けていないかもしれないです……。後にドラムンベースとかのムーヴメントになってきて、その頃からいろいろなところに顔を出しはじめました。それから、エレクトロニカがいっぱい入ってきたので、オヴァルや〈メゴ〉系のものを聴いたり、結局ヨーロッパ系ばっかり聴いていましたね。ニューヨークにいなくても全然良かったという(笑)。あ、でもノイズ系、アヴァンギャルド系のものに出会えたのは大きかったです!

ハハハハ。

何年くらいまでニューヨークに住んでいらっしゃったのですか?

レナ:2003、4年くらいまでいました。テロの前後くらいにD.U.M.B.Oというブルックリンにアート地帯を作るというプロジェクトがあって、元々アップル・シナモンの工場だったところを占拠してパーティをしたりしていたんです。そこに出させてもらったりもしていて面白かったんですけど、企業が入ってきて、表参道みたいな感じで整備されはじめて。そのときにテロが重なって、アーティストたちがニューヨークを去ってしまったんですよね。私はそれが理由で帰ったわけではないんですけどね(笑)。レーベルはデトロイトにあって、どうしようかなと思っていたんですけど、東京に住んだ経験がなかったので住んでみたいと思ってたんです。住んだことがないところへの憧れってあるじゃないですか。とくにその頃、私は小津安二郎・塚本晋也・ビートたけしの映画を観たり、アラーキーさんの写真集を見ながら、『ガロ』を購読していたりしたので(笑)。

あなた何年生まれですか(笑)?

レナ:ハハハハ、ニューヨークに(書店の)紀伊國屋があって、そこで『ムー』と『ガロ』を定期購読していたんです。

だから宇川君と気が合うんだ(笑)。

レナ:『ユリイカ』の錬金術特集とか本気で見ていましたからね(笑)。それで「日本すごいな」と思って、憧れの東京に行きたかったというのが帰国の理由ですね。

先ほど、ニューヨークにいる時点で所属レーベルがデトロイトにあったとおっしゃっていましたが、その頃からレーベルとの契約があったのでしょうか?

レナ:そうですね。インディーズのレーベルなんですけど、〈Low Res Records〉というレーベルがあって、いま出している〈デトロイト・アンダーグラウンド〉も含めてみんな仲間なんです。あとは〈ゴーストリィ・インターナショナル〉とか、みんな近所なんですよね。

アーティストもダブっていますよね。

レナ:そうなんですよね。ヴェネチアン・スネアズとかが出してました。うちはたまたま白人のコミュニティだったんですよ。デトロイトって、一部の黒人になりたい白人がいたりして、私もそのなかにピョンといたんです。GMキッズと言って、お父さんがみんな車のデザイナーをやっているような人たちが、金持ちなのに一生懸命チープなやつで作っていて(笑)。ちょっと根本のスピリットが違うんじゃないか? とか思ったり(笑)。〈ゴーストリィ・インターナショナル〉はまさにそうですね。

〈ゴーストリィ〉の社長は、フェデックスの社長の息子なんですよね。

レナ:そう、そのサムはすごくいい人ですよ。ただ乗っている車がハマーとか、NYに居る妹の住んでる場所がトランプ・タワーだというだけで(笑)。
 デトロイト辺りで活動してる人ってけっこう保守的なところがあるんですけど、そのなかでも〈ゴーストリィ〉周辺の人たちは実験的なことをやっていましたね。
 昔、シーファックス・アシッド・クルーと一緒にヨーロッパをツアーで回ったんですけど、それも刺激を受けましたね。シーファックスはカセットテープと101と606でプレイしていて、「違う!」と言いながらテープを投げていたのが「かっこよすぎる!」と思ってました。606の裏を見てみたら「TOM」と書いてあったので、「兄貴の借りてるんじゃん(笑)。大丈夫なの?」と訊いたら、「彼はいまお腹を壊してるし、大丈夫!」とか言ってて、すごいなあと(註:シーファックス=アンディ・ジェンキンソンはスクエアプッシャー=トム・ジェンキンソンの弟)。そのときに、「決まったことじゃなくて、まったく決まっていないことをやる方がライヴなんじゃないか?」と考えたことは印象として残っています。

いつから自分で作りはじめたのですか?

レナ:すごく恥ずかしいやつは高校生の頃から作りはじめていますね。

ニューヨークに行ってから意識的に作りはじめたということですか?

レナ:そうですね。機材を買いはじめたのもその頃ですね。ずっと作りたいとは思っていたんですけど、機材というのは敷居が高かったですね。
 オール・イン・ワン・シンセ全盛期だったので、まず階層の深さにやられてしまいました。ステップ・シーケンスは組めるんですけど、音色もすごい量が入っていて、何をやりたかったか忘れてしまうような操作性だったんです。あの当時、ローランドだったらXPシリーズ、コルグだとオービタルが宣伝していたトリニティとかいろいろ出てきたんですよね。とりあえずオール・イン・ワン・シンセを買ったんですけど、シーケンサーに打ち込むということにすごく苦労してしまい、苦戦していたところ、ローランドから8トラックのハード・ディスク・レコーダーが手の届く値段で出たのでそれを買って、そこから幅が広がりましたね。

たしかにあの時代って、作るときのイクイップメントがわりと形式化していたというか、「こうでなきゃいけない」みたいのがいまよりありましたよね。

レナ: 88鍵もなくても別に大丈夫なこととか、少しずつわかってきて、同時に、ニューヨークにあるちょっとマニアックな楽器屋さんに通うようになって、そこで店員をしていたのがダニエル・ワンだったんです。彼はシンセに詳しくて、日本語も上手だったから、行けば教えてくれるんですよ。「オール・イン・ワン・シンセってすごく便利だけど、絶対こっちでしょ!」とミニモーグを勧めてくれて、「なるほど」という感じで、ずっと憧れの機材でした。
 当時、バッファロー・ドーターとかマニー・マークとか、メジャーだとベックとか、モンド・ミュージック要素のある音楽がブームだったんです。同時にムーグ・クックブックが出てきて、音色に感動して、またアナログ・シンセのほうに傾倒していったんです。
 ちなみにニューヨークに行って最初に買ったCDが、YMOの1枚目なんですよ。それまで聴いたことがなくて……。実は、日本にいたときには電子音楽が嫌いだったんです。当時流行っていたのが、全然自分が好きではない音だったんですよ。その当時は聴かず嫌いでYMOも好きではなかったんです。でもクラフトワークはすごいと思っていたので、日本人のシンセの音色がそういう音なのかな、と思っていたんですけど、芸者からコードが出ているジャケのアルバム(註:YMOのファーストは、日本盤とUS盤とでジャケや収録曲が異なっていた)を聴いてみようかなと思って買ったんです。「X/Y」の棚のところでXTCとYMOで迷ったんですけど(笑)。でも自分も日本人だし、「買ってみるか!」と思って、いざ聴いてみたら「すごい! こんな温かい音だったんだ!」とびっくりしてしまって。
 それで「いまさらかよ」という感じでハマっていって、10代の終わりの頃に色んな音を聴きはじめるんですよね。当時の最先端の〈Warp〉系のものと、クラシックなクラフトワークやYMOを同時に聴いていて、「すごいな、いいな」と思って楽器屋さんに通ったんです。ミニモーグは1音しか出ないのに、「こんなにするの?」って心で泣いてました(笑)。

やっぱり最初からアナログ・シンセの音色に興味があったんですね?

レナ:でもなかなか自分で手に入れるまでには至らず、IDMとかが流行って、そういう要素も取り入れながら「頭よさそうにやってみようかな?」とやってました(笑)。もちろんその時期のオヴァルやプラッドは大好きだったんですけど、自分でやるとなると、ああいう頭のいい感じではなかったですね。やっぱり野蛮な方が向いていたみたいで(笑)。ギターも触ってみたし、本当にいろいろやりましたよ。何が一番いいんだろうと思ったんだけど、やっぱりアナログ・シンセへの憧れが捨て切れなかったんですよね。
 その後、NYで出会った保土田剛さん(註:マドンナや宇多田ヒカルのエンジニア)からMK2のターンテーブルとアナログ・シンセを借りたんですよ。それをハード・ディスクで録ったりしていましたね。

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女の子ってお洒落に弱いじゃないですか(笑)。だからそっちに行きそうになったんだけど、「レナちゃんはもっとパンクじゃない?」とか言われて、すごい迷走しながら、インプロの世界に入ったんです。

音色に対するフェティシズムですね。

レナ:そうです。そうして帰国後、仕事で齋藤久師に会うんですね。それで彼のスタジオに行ったら、全部アナログ・シンセだったんですよ。スタジオに行って10時間くらい(アナログ・シンセを)触っていましたね。何も飲まず食わずでずっとやっていて、それくらい没頭しました。
 フルートをやっていた経験がアナログ・シンセの仕組みを覚えることに役立って、フルートって息の量だったり吹き方だったりで音を変えていくんですけど、シンセのモジュールもまさにそういうことで、楽器の吹き方というのをフィルターとかで弄っていく感覚でやっていくと、すぐに覚えられたんです。仕組みがスッと入ってきたので、すごく合うな、と思いました。単音の太さにもやられて、ピアノは和音勝負というかコード勝負というイメージですが、アナログ・シンセの本当に単音で、にじみが出るような音を出せるということにますます魅了されてしまって。
 これをどうやって自分の音楽に取り入れようかと思って、初めはけっこうミニモーグで曲を作っていました。昔のペリキン(註:ペリー&キングスレイ)とかああいうコミカルな感じの曲を作ったり、ディック・ハイマンとかそういう音楽を聴いて作ったりしていましたね。昔のモーグ系の音楽ってカヴァー曲が多いじゃないですか。モーグ・クックブックなんかその最たるバンドなんですけど、カヴァー曲ではなくて自分の音楽を作りたくて。
 だんだん「メロディってなんのためにあるんだろう」と思うようになって、ある意味ジャズ的にマインドが変わっていったんですよね。
 私はそれまで音楽の活動をするときに、すごく時間をかけてやることが美しいと思っていたんですよ。3ヶ月くらい山に籠って歌詞を書いてきましたとか、すんごいカッコいいと思って(笑)。「レコーディングは6ヶ月掛けてやっています」みたいなのがすごいと思っていたんですけど、でも、うちのプロデューサー(齋藤久師)はその真逆だったんですね。何か作ってみようということになったら、「5分くらいで考えて」とか言われて、「え、5分!? いま録音するんですか?」と言ったら、「だってフレッシュなうちがいいでしょ」と。そこで一生懸命絞り出して思考をするということを初めてやって。
 やったことないことにトライするのはすごく好きなので、直感的にすぐにやるということに面白さがあるということに気づいたんです。それで「セッションしてみようよ」と言われて、楽曲制作はしてましたけど、実はセッションなんてしたことがなかったんですよ。「セッションしてみないと楽器がわからない」とか「0から100までのレベルを全部使ってやってみないとわかんないから、全部セッションで試してみればいいんだよ」とか言われたので、「わかりました」と(笑)。やっている最中は「ダメだな」と感じたのに後で聴いてみたらまとまっていたりして、そういういろいろな発見があって、セッションでの制作やライヴの仕方に傾倒していったんですよね。

可能性としてはディック・ハイマンみたいな、モンドというかイージー・リスニングというか、そういうものに行く可能性はあったのですか?

レナ:すごく好きな世界だったので、可能性はありましたね。

でも結果はそれとはある意味で真逆な世界に行きましたね。

レナ:そうですね。その前からエレクトロニック・ボディ・ミュージックとかパンクとかいろんなものを聴いていたんですけど、モンドってお洒落じゃないですか。女の子ってお洒落に弱いじゃないですか(笑)。だからそっちに行きそうになったんだけど、「レナちゃんはもっとパンクじゃない?」とか言われて、すごい迷走しながら、インプロの世界に入ったんです。

なるほど。

レナ:このアルバムを作ったときに、「態度としてすごくパンクだ」と言われたんですよね。(アルバムを)聴くと、これまで聴いてきたものが、どこかしらに滲み出ているということに気づいたんです。私の世代から下の世代のって、ジャンルが細分化されすぎてひとつのジャンルをずっと聴いてるようなイメージがあるんですけど、私は周りに年上の人が多かったというのもあって、たくさんのジャンルの曲を聴きましたね。それでも、電子音楽というのは自分を表現するのにいちばん適しているジャンルだな、というのはなんとなく思っていたんですが。

ギャルシッドのスタイルに一番影響を与えたのは誰だと思いますか?

レナ:うーん、考えてもいなかったですね。

3年くらい前に『ele-king』で「エレクトロニック・レディ・ランド」という特集を組んだんですね。打ち込みをやる女性が00年代に一気に増えてきたので、それをまとめたんです。USが圧倒的に多いんですよね。そのなかでローレル・ヘイローっていう人を僕はいちばん買っているんですが、彼女にインタヴューしたら、「私が女性だからという括りで珍しいとか面白がるというのはない」と言ってきたんですが、考えてみたら当たり前で、それはそうだよなと反省したんですね。女性がテクノやっていて珍しいからすごいのではなく、ローレル・ヘイローがすごいんですね。それと同じように、ギャルシッドは、性別ではなく、やっぱ音が面白いと思うんですけど、でも、女性の感性というものが作品のどこかにはあるんでしょうね?

レナ:女の人はマルチタスクというか、何かをしながらいろいろなことを考えられるから、そういう視点はもしかしたらあるかもしれないですね。何か「この楽器1本で!」みたいな気負いはたしかに感じていないですね。

アルバムを聴いていて思ったのは、単純にずっと反復が続いていくという曲があまりなくて、展開が次々と来る感じじゃないですか。

レナ:それは私のクイーン好きから来てるのかな?(笑)。私、性格がせわしないんですよ(笑)。

一同:(笑)。

クイーンはまったく思い浮かびませんでした(笑)。と言いつつ、踊れないわけではもちろんなくて、僕はボーナス・トラックを抜きにした最後の曲が気になりまして、この曲はキックが入っていないですよね。でもキックを入れたらかなりダンサブルなハウスになると思うんですよ。

レナ:“パイプス・アンド・ダクツ”ですね。純粋にビートを入れるということを抜いて、あの曲には和声も珍しく入れたので、それもあると思います。これは私は言葉と声で参加しただけで、齋藤久師が作曲しました。あの曲を聴いているとある時代に引き込まれていく気分になるんですよね。多分、彼自身がリアルに生きていた時代に、という事だと思うのですが、やっぱり音楽は記憶と結びついていると思うので。まあ私はインダストリアルというだけで懐かしいんですけどね(笑)。

音としては電子音ですし歌詞もないし、冷たい感じに受ける人もいるかもしれないんですけど、私自身はすごくプリミティヴなものを扱っているイメージなんですよね。

テクノをやっているという意識はあるんですか?

レナ:プロデューサーの意図は別として(笑)、本人的にはあまり気にしていないんですけどね。4つ打ちにすればダンサブルになるわけだし、ライヴではいかようにもできるんですよ。でもそれだけだと「ドンチー、ドンチー」となってしまうので、「ドン、ドン、ドン、ドン」ではなくて「ドン、ドン、ドドン、ドン。ドン、ドコ、ドドン、ドン」みたいにトリッキーなリズムにしてみたり、いろいろと試行錯誤してみますね。私はいまTR-09を使っているんですけど、意図するものとは違うという意味で打ち間違いもしてしまうんですよ。そのとき面白いリズムになったりするんですよね。そっちのほうでグルーヴができたら、そのまま修正せずに作っていったりして、そういう意味では軽く縛られているのでそれが面白いですね。

ジュリアナ・バーウィックなんかは、自分の声をサンプリングしてそれを使用するんですけど、ギャルシッドはそれとは真逆で、もっと物質的ですよね。それでいてダンス・ミュージックでもある。いったい、ギャルシッドが表現しようとしているものは何なんでしょうね。それは感情なのか、あるいは音の刺激そのものなのか、あるいはコンセプトなのか……。

レナ:いまは自分でノー・プリセット、ノー・PC、ノー・プリプレーションという縛りを作っているので、まずそこをスタイルとして楽しんでいるというのがあるんですけど、最近ソロでやっているときはマイク・パフォーマンスの比重が多くなってきているんですよ。それに自分でダブをかけながら、エフェクターで低い声を使うときもあるんですけど、最近は素声でもやっていてパンキーに叫ぶときもあったり。それをダブでやっているんです。それを聴いた人が「あまりこういう感じは聴いたことないね」と言ってくれて(笑)。前までは2、3人でやって間を見計らいながらやっていたんですけど、ひとりでドラムやって、シークエンスふたつ持って、ミキサーいじって……となると仕事が多くて、最近は突然全部切って叫んだりして、また全部スタートさせるみたいなことをはじめたんですよ。

ライヴの度合いがどんどん高まっているということですか?

レナ:そうですね。だから2枚目はどうなるんだろうということを話しているんです。性格が変わってきているのかもしれない。言葉にはすごくメッセージがあるのでヘタなことは言えないんですよ。

いまは言葉にも関心があると?

レナ:そうなんです。それは元々あったものなんですが、またここにきて出てきていて、もっとコンセプチュアルになっていくのかなと思っていますね。今回(のアルバム)の最後の曲には声を入れているんですけど、2枚目へのバトンタッチのような気がしていて、あれは声そのものを音として処理しているんですけど、次はもっと声や言葉が意味を持ってくるのかなとも思っています。

クリス・カーターがギャルシッドを気に入ったのは、きっとギャルシッドの音が冷たいからだと思うんですけど、それは意識して出したものなのですか? それとも自然に出ているものなんですか?

レナ:意識はしていないですね。私自身はあまり冷たいとは思っていなくて(笑)。暴れ馬とか、プリミティヴというイメージでやっているので、音としては電子音ですし歌詞もないし、冷たい感じに受ける人もいるかもしれないんですけど、私自身はすごくプリミティヴなものを扱っているイメージなんですよね。
 クリス・カーターがまず言ってきたのは映像だったんです。YouTubeにギャルシッドの紹介ヴィデオを上げていて、それを見て「この音はなんなんだ」と言ってくれたみたいで、「デジタルを使っているのか? 使っていないのか?」とかそんなことを聞いてきたんですよね(笑)。「一応MIDIは使いましたけど……」とか答えたんですけど(笑)。あの人はそこにこだわっているのかな、という感じがしたんですけど、「グッド・ワーク」と言ってくれたので良かったです。昔、DOMMUNEでやったときに、宇川さんが「クリス&コージーだ!」と言っていたんです。そのときのセッションはたしかにノイズではじまっていたんですよ。

ファクトリー・フロアって聴いています?

レナ:聴いていないですね。

UKのバンドなのですが、クリス・カーターがリミックスしているほど好きなバンドなんですよ。最近はミニマルなダンス・ミュージックなんですけど、初期の頃はギャルシッドと似ているんですよね。まさに雑音がプチプチという感じで(笑)。そういうインダストリアルなエレクトロニック・ミュージックはいまいろいろとあるんですけど、もうひとつの潮流としてはPCでやるというのがありますよね。OPNやアルカもそうだろうし、EDMもそうですが、PCが拡大している中で、なぜギャルシッドはモジュラーやアナログにこだわるのでしょうか?

レナ:私の場合は最初にオール・イン・ワン・シンセで体験した階層の深さというのがあって、PCでやるときに操作に慣れればいいんでしょうけど、直感でノブを回すのとマウスでノブを回すというのはちょっと違うんですよね。思ったようにいかなかったりね(笑)。いまこうなんだ!という感覚がマウスやトラックパッドなどのインターフェースだとかなり違いますよね。直感的に動かせないというのが、ひとつのフラストレーションになってしまいますね。
 もうひとつの理由としては、バンドをやって歌を歌っているときにPCを使っていたんですけど、PCがクラッシュしたときほど苦しいものはないということですね(笑)。いまは起動時間がだいぶ速くなったと思うんですけど、でも何かあったときに冷や汗かいちゃう感じとか、どうしようもないときにマイクで「トラブル発生!」とか言いながら繋ぐのも嫌で(笑)。専用機って強いじゃないですか。叩けば治るとかありますし(笑)。

はははは、アナログ・レコードは傷がついても聴けるけど、CDは飛んじゃうと聴けなくなるのと同じですよね。

レナ:そうなんですよ。そこの機能性・操作性は絶対的であって、やっぱり触れば触るほどコンピュータからは遠くなってしまうというか。コントローラーのちょっとのレイテンシーも、音楽のなかではすごく長いんですよね。特にライヴで使っていると、それは私のなかでは大きなデメリットなんですよね。

大きな質問ですが、エレクトロニック・ミュージックに関してどのような可能性を感じていますか?

レナ:私はエレクトロニック・ミュージックにこれ以上技術はいらないと思っていて、楽器メーカーの流れを見てもみんなが原点回帰しているというか、昔あったシンセの6つの階層を2つにして全部いじれる場所をむき出しにするみたいな、より操作をシンプルにしていこうという流れがあって、ライヴ性が高くなるように機能する楽器が出てきているんですね。エレクトロニック・ミュージックの可能性としては縮小していく感じはいまのところまったくないじゃないですか。どこで線引きするのかは別としてですけど。

質問を変えますが、ジャケットをデザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソンが手がけているということで、そこに至った経緯を教えて下さい。

レナ:レーベルがイアンと仲が良くて、レーベルのなかでイアンがジャケを手がけているシリーズがあるんですよ。それは絶対に写真は使わないでグラフィックのみなんですけど、そのラインにギャルシッドを入れるかという話になっていました。夜光という工業地帯で撮った写真をメインに入れたくてお願いしてみたら、とりあえずイアンに見せてみよう、ということになったんです。そうしたら写真をとても気に入ってくれて、おまけに音も気に入ってくれて、即OKが出ました。結構早めにあげてくれたよね。

羽田(マネージャー):そうですね。

レナ: 「ギャルシッド」というロゴを入れているんですけど、あれは手書きでやっているみたいです。

あのカクカクの文字って彼のデザインの特徴のひとつでもあるのですが、たぶんずっと手描きなんじゃないでしょうか。

レナ:それを知らなくて、すごく失礼な質問をしちゃったんですけどね(笑)。

本当はもっと冒頭に聞くべきだったのですが、〈デトロイト・アンダーグラウンド〉からリリースすることになった経緯を教えて下さい。

レナ:オーナーのケロとはデトロイトの別のレーベルと契約していた頃からの知り合いで、私がやっていることには前から注目してくれていて、彼の友達のジェイ・ヘイズが東京に来るときにも連絡をくれたりして、ずっと繋がっていて、同レーベルのアニー・ホールが日本に来たときにうちにずっと泊まっていたんですよ。そんな経緯もあって、私のやっていることもケロはよく知っていて、「アルバムを出すことを考えているんだよね」と言ったら、「うちから出そうよ。とりあえず作ってやってよ」と手放しに喜んでくれて、その後に音源を聴いて、それでそのままリリースしたんですよね。でもあのレーベルの中でも今回のアルバムは異質だと思います。あそこのレーベルはもうちょっとグリッチ系なんですけど、私は全然グリッチしていないので(笑)。

確かに(笑)。ちなみにカール・ハイドとは何かプロジェクトをする話はあるのですか。

レナ:話だけではそうなっています。私で止まっているんです。連絡しなくちゃ(笑)。「俺が歌うよ」と言われたんですけど、「ギャルシッドが歌?」って話しになって、「じゃあギター弾くよ」と言われて、「ギター弾くとうるさくない?」と返したら本人は爆笑していました(笑)。どうやってコラボするんだろうという感じなんですけど、それもまた面白いところかなと思っていますね。でもすごくミュージシャン・シップを大事にしている方だったので、「お蔵入りなんていっぱいあるよ。U2とのやつもお蔵入りだからね。そういうものなんだって」と励ましてくれたんですけど。彼は人とやるということの大切さを語っていて、確かにそれで違う自分を発見できたりもするので、いろいろやってみたいなとは思っています。

最後に、ギャルシッドの今後の予定をお聞かせ下さい。

レナ:12月2日に渋谷ヒカリエでボイラールームに出演しますね。あと、カセットテープで『ヘルツ』のヴァージョン違いをCDと同じ〈アンダーグラウンド・ギャラリー〉から出す予定です。来年にはボイラールームを皮切りに海外でやることが多くなるので、いまはその準備という感じです。

—galcid Live Information—

10/23 (Sun) Shibuya Disk Union 4F (Workshop & Live) with Hisashi Saito
11/11 (Fri) Contact Tokyo
11/26 (Sat) Shinjuku Antiknock
12/02 (Fri) Boiler Room at Shibuya Hikarie

more info:
https://galcid.com/

BADBADNOTGOOD - ele-king

 トボけた顔して、最先端の音楽をやってのける、アノ4人組がまた日本にやってくる。しかも、今回はWWW Xでの単独公演だ。アノ4人組とは、もちろんバッドバッドノットグッドのこと。どこか憎みきれない、不思議なバンドである。
 8月にサマー・ソニック2016の出演のために来日したばかりの彼らであるが、単独来日公演は2014年以来の約2年ぶりだ。最新作『Ⅳ』は今のところ彼らの最高傑作であるし(これが更新される可能性は大いにある)、前回の単独公演ではまだ正式に参加していなかったリーランド・ウッティの存在は、今回の公演においての重要なポイントになるだろう。実際にサマー・ソニックのステージでは、彼のアグレッシヴなプレイが炸裂していたようで、これには期待せざるをえない。
 もっとも、バッドバッドノットグッドのメンバーでアグレッシヴなプレイをするのは、なにも彼だけではない。言ってしまえば、全員アグレッシヴそのものである。音源を聴くだけでも、彼らの勢いのあるプレイを感じることが出来るが、ライヴにおいては繊細さを犠牲にしてまでも、勢いに乗り続けるような演奏を繰り広げる。『Ⅲ』を出した頃には、まだその勢いが空回りしているような印象も否めなかったが、ここ最近のライヴ映像をチェックしてみると、荒々しさはそのままに勢いに乗り続けることを体得したことがよくわかる。おそらく、数多くのライヴをこなしてきたからだとか、リーランドの加入によってバランスが取れたからだとか、諸々の理由があるのだろうけど、そんなことはどうでもいいと思ってしまうほどの、勢いが感じられる。あえて言ってしまうならば、ライヴにおいての彼らはより「ロック」なのである。

バルセロナで開催されたソナー・フェスティバル2016でのBBNG。


 また、今回の来日公演の発表に合わせて、「スピーキング・ジェントリー」のミュージック・ビデオが公開された。この映像は、日本のクリエイティヴ・スタジオ「オッドジョブ」が制作しており、シンセ・サウンドとドラム、ベースのフレーズの絡み方がたまらなく気持ちいい楽曲に、爽やかサイケなアニメーションが手がけられている。

BADBADNOTGOOD - Speaking Gently (OFFICIAL VIDEO)


 今回の公演において気がかりなことは、彼らの演奏を爆音で聴けるのか、ということである。アレックス・ソウィンスキーのドラムと、チェスター・ハンセンのベースが生み出す走り気味のグルーヴを、全身で感じたいのだ。マット・タヴァレスのシンセと、リーランド・ウッティのサックスの音で頭をクラクラさせたいのだ。
 彼らの音を体感出来るのは、11月18日。まだ2ヶ月先ではあるが、爆音を期待しながら、時が来るのを待とう。(菅澤捷太郎)

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