「LV」と一致するもの

Corey Fuller - ele-king

 ゴミがなくなった。道ばたに紙くずやポリ袋、空き缶やタバコの吸い殻なんかが転がっているのは、10年くらい前まではごくありふれた光景だったはずだけど、最近では街を歩いていてもめっきりゴミを見かけなくなってしまった。滅菌、滅菌、とにかく滅菌。汚いものは視界から全力で一掃。どうやら上層部には人間の痕跡を抹消したくてしかたのない連中が少なからず陣取っているらしい。

 伊達伯欣との Illuha で知られるコリー・フラー、彼の〈12k〉からは初となるソロ・アルバムは汚れに満ちている。それはまずアナログ機材に由来する独特のラフな質感に体現されているが、エレクトロニック・ミュージックの作り手でありながらそれほどテッキーでないところは彼の大きな持ち味だろう(元ドラマーである彼は、じっとしたままPCをいじくりまわすよりも、じっさいに身体を動かして機材を操るほうが好きなんだとか)。
 冒頭の“Seiche”は「Adrift」「Asunder」「Aground」という三つのパートに分かれている。弦とピアノの間隙に吐息が乱入する序盤、ティム・ヘッカー的な寂寥を演出するノイズの波がメロディアスなシンセの反復を呼び込む中盤、密やかな具体音と重層的なドローンとの協奏を経て穏やかなハーモニーが全体を包み込む終盤──アルバムのあちこちで繰り広げられる種々の試みを一所に集約したようなこの曲は、本作の顔とも呼ぶべきトラックだ。
 このアルバムの魅力のひとつは間違いなくそのあまりに美しい旋律にある。Illuha がどちらかといえばフィールド・レコーディングを駆使し、その編集作業に多くの時間を投入するプロジェクトであるのにたいし、コリーは今回のソロ・アルバムの制作にあたってメロディとハーモニー、つまりはコンポジションのほうを強く意識したのだという。その成果は2曲目の“Lamentation”にもっともよく表れていて、出だしのピアノの音を聴いたリスナーはもうそれだけで泣き崩れそうになってしまうことだろう。“Look Into The Heart Of Light, The Silence”のピアノも麗しいが、これらのコンポジションにはもしかしたら『Perpetual』で共演した坂本龍一からの影響が落とし込まれているのかもしれない。いずれにせよ重要なのは、それら美しい旋律を奏でるピアノの音が絶妙に濁っていたり具体音を伴っていたりする点だ。

 濁りということにかんしていえば、アイスランド語のタイトルを持つ“Illvi∂ri”がもっとも印象的である。この曲に聞かれるノイズは、コリーがじっさいにアイスランドで遭遇した出来事の結晶化で、深夜に強烈な暴風雨に見舞われた彼はすぐさまレコーダーを回し、風が窓を叩く音を伴奏に、その場にあった楽器で演奏をはじめたのだという。ピアノよりもそのノイズのほうに耳が行くこの曲の造形は、彼がダーティなものに目を向けさせようと奮闘していることの証左だろう。それは彼がアルバム中もっとも具体音にスポットライトの当たる最終曲に“A Handful Of Dust(ひと握りのほこり)”という題を与えていることからも窺える。
 汚れたもの、濁ったもの、それは壊れたものでもある。決定的なのは“A Hymn For The Broken”だ。タイトルにあるようにどこか聖歌的なムードを携えたこの曲は、「壊れたもの」にたいする慈愛に満ちあふれている。英語の「break」にはさまざまな意味があって、ひとつはもちろん「壊す」とか「壊れる」ということだけれど、その言葉は「breaking wave(砕波)」のように「波」という言葉と結びついたり、「dawn breaks(夜が明ける)」のように光が差し込むイメージと関連したりもする。コリーいわく、それこそがこの『Break』というアルバムのテーマなのだそうだ。ザ・ブロークン、ようするにそれは壊れそうになったり溺れそうになったりしながらも必死にもがいて光を索める、われわれ人間の姿そのものなのだろう。

 このアルバムはあまりに美しいメロディとハーモニーに彩られている。だからこそわれわれリスナーはその音の濁りやノイズにこそ誠実に耳を傾けたくなる。だって、汚れていることもまた人間のたいせつな一側面なのだから。

interview with Akira Kobuchi - ele-king

 昨年末マンスール・ブラウンのレヴューを書いたときに改めて気づかされたのだけれど、近年はテクノやアヴァンギャルドの分野のみならず、ジャズやソウル、ヒップホップからグライムまで、じつにさまざまなジャンルにアンビエント的な発想や手法が浸透しまくっている(だから、このタイミングでエイフェックスの『SAW2』がリリース25周年を迎えたことも何かの符牒のような気がしてならない)。Quiet Waveと呼ばれるそのクロスオーヴァーな動向は、もはや2010年代の音楽を俯瞰するうえでけっして語り落とすことのできない一翼になっていると言っても過言ではないが、ではなぜそのような潮流が勃興するに至ったのか──いま流行の音像=Quiet Waveの背景について、元『bmr』編集長であり『HIP HOP definitive 1974 - 2017』や『シティ・ソウル ディスクガイド』の著作で知られる小渕晃に話を伺った。


もはやジャンルから解放されていますよね。それよりも出音がすべてみたいなところがある。今は圧倒的にアブストラクトでアンビエントな音が気持ち好いよねというモードになっている。

ここ数年アンビエント的な手法がいろいろな分野に浸透していて、テクノの領域ではノイズやミュジーク・コンクレートと混ざり合いながらさまざまな展開をみせていますが、それはQuiet Waveというかたちでジャズやソウル、ヒップホップにも及んでいます。

小渕:今は求められている音像が、どのジャンルでもみんな同じですよね。歌モノをやっている人にもインストをやっている人にも、ジャンルの垣根を超えてアンビエントが広がっている。FKJなんかがそのちょうど真ん中にいる印象で。歌モノもやるしインストもやる、ハウスもやればジャズもやる。FKJにはぜんぶ入っている気がします。


FKJ
French Kiwi Juice

Roche Musique / Rambling (2017)

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Yuna
Chapters

Verve / ユニバーサル (2016)

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Nanna.B
Solen

Jakarta / Astrollage (2018)

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Richard Spaven
Real Time

Fine Line / Pヴァイン (2018)

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彼はフランスですよね。Quiet Waveは、たとえばユナはマレーシアでナナ・Bはデンマークというふうに国や地域がばらばらという点もおもしろいですが、やはりジャンル横断的なところが特徴ですよね。

小渕:歌モノとジャズなど他ジャンルの才能たちが一緒になってやっていますよね。もう分けてはやらなくなっている。

リチャード・スペイヴンを聴いて、当初ダブステップの文脈から出てきたフローティング・ポインツも同じ観点から捉えられるのではないかと思ったのですが、そのフローティング・ポインツが発掘してきたファティマもアンビエント的なタッチでLAビートとグライムを繋いでいます。

小渕:クラブ・ミュージックや四つ打ちの流れから出てきた人たちが今また歌モノをやっているというのはありますね。アンディ・コンプトンやノア・スリーがそうですし、エスカを手がけているマシュー・ハーバートや、FKJのレーベルメイトのダリウスもそうです。

ただジャンル横断的とはいっても、比較的ソウルとの親和性が高いのかなとも思ったのですが。

小渕:くくる側の意識次第だと思いますよ。たとえばトム・ミッシュって、昔ならロックに分類されていたと思うんです。でも今なら、彼の音楽はソウルとくくられることが多い。ですが、彼のやっていることは音楽的にはジョン・メイヤーに近くて。時代が違ったからジョン・メイヤーはロックと呼ばれているだけで。ジョーダン・ラカイもそうだと思います。今の人たちってもはやジャンルから解放されていますよね。それよりも出音がすべてみたいなところがある。その音像も時代が違ったら変わっていくものですが、今は圧倒的にアブストラクトでアンビエントな音が気持ち好いよねというモードになっている。

R&Bのサブジャンルというわけでもないんですよね。

小渕:R&Bって、何より歌の音楽なんです。とにかく歌を聴かせるためのもので、基本的にラヴソングなんです。Quiet WaveがR&Bと異なるのは、たとえば自らの孤独について歌ったりもしていて、けっしてラヴソング一辺倒ではない。そして、彼らは自分のヴォーカルも完全にサウンドのひとつとして捉えてやっている。たとえばソランジュも、最近出た新作については「私のヴォーカルだけじゃなく、サウンド全体を聴いてほしい」というようなことを言っています。R&Bのワクからはみだしている決定的な理由はそこなんです。

誰か突出した人がQuiet Waveのスタイルを発明して、みんながそれを真似しているというよりも、自然発生的にそういう状況になっていった、という認識でいいんでしょうか?

小渕:間違いなくそうですね。ヒップホップとかR&Bとか、ブラック・ミュージックって特に集団芸なんですよ。誰かひとりの天才が何かを発明する音楽ではない。みんなでやっているうちにすごいものができて、するとみんながそれを真似していく。だから個人ではなく、常にシーン全体がオモシロイ、興味の対象となる音楽なんです。Quiet Waveもそうです。ただもちろん、そのなかからフランク・オーシャンのような突出したヴォーカリストも出てくるわけですけど、サウンドに関してはそれを生み出したシーン全体がすごいのであって、誰かひとりが偉いという話ではないですね。


80年代のロックの音像って、イギリスで育った人には刷り込まれていると思うんですよ。その音像が10年代になって再び出てきたのかな、というふうに感じています。けっしてブラック・ミュージックだけの文脈では語れない。


Fatima
And Yet It's All Love

Eglo / Pヴァイン (2018)

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Andy Compton
Kiss From Above

Peng / Pヴァイン (2014)

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Noah Slee
Otherland

Majestic Casual / Pヴァイン (2017)

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Darius
Utopia

Roche Musique (2017)

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とはいえ、いくつか起点となった作品はあるんですよね?

小渕:Quiet Waveの2010年代の動きを決定づけた作品のひとつは、2011年のジェイムズ・ブレイクのファーストだと思います。イギリスの音楽ならではの特徴といえばレゲエとダブからの影響ですよね。それはジャマイカからの移民の多さがもたらす、アメリカにはないもので、イギリスの良い音楽家はみなレゲエやダブから影響を受けている。ジェイムズ・ブレイクの場合はダブですが、はずせないのはマッシヴ・アタックの存在です。今は彼らの子や孫の代が活躍している時代という言い方もできると思います。
 それともうひとつイギリスの音楽の特徴として、ニュー・オーダーやザ・キュアー、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの影響力の大きさを挙げることができます。そういった80年代のロックの音像って、イギリスで育った人には刷り込まれていると思うんですよ。その音像が10年代になって再び出てきたのかな、というふうに感じていますね。あとアメリカではザ・スミスの人気が00年代になってから火が点きましたよね。アメリカではUKのオルタナティヴなものが遅れて盛り上がる感じがあって、その影響が今になって出てきているのではないかと。だから今流行りの音像、Quiet Waveについては、けっしてブラック・ミュージックだけの文脈では語れないんですよね。

ブラックもホワイトもアンビエント的な音像に流れている。

小渕:今の時代への影響という点で重要なのがU2なのではないかという気がしています。彼らの『The Joshua Tree』という決定的な作品のサウンドを作ったのは、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワですよね。だから今流行りの音像、Quiet Waveも遡れば実は、アンビエントの第一人者であるブライアン・イーノに行き着くのかなと。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのシューゲイズ・サウンドをアンビエント的な観点から捉えたのもイーノでしたよね。その後じっさいにスロウダイヴとは共作していますし。U2にかんしても、イーノ本人のアンビエントとは分けて解釈する見方もあるとは思うのですが、僕は『The Joshua Tree』のギターの残響やシンセ遣いにはイーノとラノワの影響が強く表れていると考えています。

小渕:その通りだと、僕も思います。それで、イーノとラノワはU2の次にネヴィル・ブラザーズの『Yellow Moon』を手がけていますよね。

これもふたりの色が濃く出たアルバムですね。

小渕:収録曲のひとつがグラミーを受賞していて、音楽好きなら知らない者はいないくらいの名盤ですが、やはりその影響力はすごく大きいと思います。僕は初めてジェイムズ・ブレイクのファーストを聴いたとき、『Yellow Moon』を思い出したんですよ。ボブ・ディラン“With God On Our Side”のカヴァーが入っているんですが、完全にノン・ビートで、アンビエントな音像のなかをアーロン・ネヴィルがひたすら美しく歌っている。ジェイムズ・ブレイクが自分なりの歌モノというのを考えたとき、ダブのバックグラウンドと、ネヴィル・ブラザーズのあの曲などをヒントにして、自分なりのヒーリング・ミュージックを作ったのではないでしょうか。

すごく興味深い分析です。

小渕:他方でアメリカでは、ジェイムズ・ブレイクの1年後、2012年にフランク・オーシャンの『Channel Orange』が出ています。ふたりは共演してもいますし、ジェイムズ・ブレイクのファーストからの影響は少なからずあるはずです。加えて、フランク・オーシャンはニューオーリンズ育ちです。ネヴィル・ブラザーズのホームタウンです。そして、アメリカのサウスといえば、これはテキサス発祥ですけれどスクリュー&チョップです。その影響も大きいと思いますね。

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今のアメリカのR&Bでは、アリーヤの影響力がすごく大きい。彼女とティンバランドが90年代の終わりにやっていた音楽的な試みが今になってすごく効いている。


Tom Misch
Geography

Beyond The Groove / ビート (2018)

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Jordan Rakei
Cloak

Soul Has No Tempo / Pヴァイン (2016)

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James Blake
James Blake

Atlas / ユニバーサル (2011)

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Frank Ocean
Channel Orange

Island Def Jam / ユニバーサル (2012)

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もう少し近いところでQuiet Waveの源流となるような動きはあったのでしょうか?

小渕:ティンバランドがアリーヤとやっていたことは大きいですね。

あの赤いアルバムですか?

小渕:その前後です。今のアメリカのR&Bでは、アリーヤの影響力がすごく大きい。死により伝説になったからというのもあるのでしょうが、それ以上に彼女とティンバランドが90年代の終わりにやっていた音楽的な試みが今になってすごく効いている。ティンバランドはトラックを作るとき“下”=ドラムスをポリリズムで敷き詰めましたけど、そうして“上”には広大な空間を作りだしました。だから自由に歌えるし、アンビエンスも多い。“We Need A Resolution”などがその好例ですが、その影響が今いろいろなところに表れています。

目から鱗です。アリーヤをアンビエントの観点から捉えたことはありませんでした。

小渕:そのアリーヤ由来のアンビエント・スタイルの流れを決定づけたのが、ジェネイ・アイコです。彼女のオフィシャルなファースト・アルバム『Souled Out』は、完全に今の流れの先駆けですね。彼女は日系だから、わび・さびのような感覚も持ち合わせていて、それがQuiet Waveを表現するのに適していたとも思うんですけれど、ヴォーカルはそこまで歌い上げる感じではない。いわゆるディーヴァではないんですよ。では、どうやって自分のヴォーカルを活かすかというのを考えたときに、アリーヤのように小さい声でささやくように歌うことを選んだのではないかなと想像しています。2014年当時ジェネイ・アイコは、アメリカでは新しい歌モノのアイコンになっていました。ケンドリック・ラマーとも共演していましたし。そこでアンビエントな音像、アブストラクトなメロディ、囁くような歌、というフォーマットが確立されて、今に至る。それがアメリカの流れですね。

その流れに、ミシェル・ンデゲオチェロのような90年代組も乗っかってきている。

小渕:彼女はもともとこういうサウンドが好きな人でしたけれど、ブラック・ミュージックってやっぱりそのときの流行に乗っていかなきゃいけない、乗っていくからオモシロイ音楽なので、たとえばレイラ・ハザウェイのようなヴェテランも今はアンビエントなサウンドでやっています。ミシェルの場合はさらに、ディーヴァ系ではないので、今流行りのスタイルがハマるというのもあると思います。やっぱりディーヴァ系の人がQuiet Waveなサウンドでガーッと歌ってしまうと、「ちょっと違う」ということになってしまうのではないでしょうか。たとえばマシュー・ハーバートがサウンドを作っているエスカ、彼女はものすごいゴスペルを歌えちゃう人なんですよね。でもちゃんとハーバートの求める歌い方ができている。ほんとうにしっかり歌い上げてしまうとQuiet Waveにはハマらないのかなと思います。

ビヨンセはアウトだけど、ソランジュならイン、ということですね。

小渕:ソランジュはデビュー当時から姉とは違うオルタナティヴなスタンスでやっていて、ディーヴァとして歌い上げなかったんですよね。だからこそ、今のQuiet Waveの流行のなかでは姉より輝いている。ビヨンセは今に限って言えば、次に打つ手がないのかなという気もします。たった今は、あのハイパーな歌は合わないんですよ。ただ音楽の歴史は反動の繰り返しですから、いまこれだけアンビエントが流行っていると、次はまたハイパーな時代が間違いなく来ると思います。


10年代の「ネオ・ソウル~Quiet Wave」の関係性って、70年代の「ニュー・ソウル~Quiet Storm」の関係性と非常に似ているんです。


Jhené Aiko
Souled Out

Def Jam / ARTium (2014)

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Meshell Ndegeocello
Comet, Come To Me

Naïve / Pヴァイン (2014)

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Eska
Eska

Naim Edge / Pヴァイン (2015)

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ビヨンセは『Lemonade』の“Formation”で#ブラックライヴズマターとの共振を示しました。サウンドは異なりますが、ソランジュも同じ年の『A Seat At The Table』で人種差別にかんする歌を歌っています。そういうポリティカルな要素も、Quiet Waveに影響を与えているのでしょうか?

小渕:コンシャスになっているというのは確実にそうでしょうね。たとえば今調子がいいのは、ほとんどがシンガー・ソングライターです。スティーヴィ・ワンダーが最大のロールモデルになっていて、逆にメアリー・J・ブライジのように誰かに書いてもらった曲を歌うというタイプのシンガーが出にくくなっている。それはやはり、自分の言葉で歌わないとリアルじゃないという、ヒップホップ以降の感覚が浸透した結果だと思うんです。

70年代のソウルも社会的・政治的でした。

小渕:ニュー・ソウルと呼ばれるものはそうですね。1971年にマーヴィン・ゲイの『What's Going On』が出て、ダニー・ハザウェイやカーティス・メイフィールドもすごく社会的なメッセージ性のある音楽を発していました。ただ『What's Going On』って、毎日聴きたい音楽ではないんですよ。毎日メッセージばかり聴いてはいられない。そこで、1975年にスモーキー・ロビンソンが『A Quiet Storm』というアルバムを発表していますが、ずっとコンシャスなものばかり聴いてはいられないよ、ということだったんだと思います。アメリカでは70年代半ば頃から増えてきた中間層に向けた、夜のBGMとして作っていた側面もあったと思います。中間層向けだから演奏も洗練されたもので、ベッドのうえのBGMでもあったからうるさくない。今のQuiet Waveの要素は、スモーキー・ロビンソンの“Quiet Storm”にすべて入っていたのかなという気がしています。「Quiet Storm」という言葉はその後ラジオのフォーマット、ひいてはジャンル名にまでなってしまうくらいでしたが、それくらいすごい曲だったんだと思います。

社会的・政治的であることに対するカウンターということですね。

小渕:今の時代の人びとにとっての『What's Going On』って、ディアンジェロの『Black Messiah』ですよね。ただあれは、ずっとそれだけを聴いていられる音楽ではない。Quiet Waveはその反動なんだと思いますね。あるいは「#ブラックライヴズマター疲れ」と言ってしまってもいいかもしれない。10年代の「ネオ・ソウル~Quiet Wave」の関係性って、70年代の「ニュー・ソウル~Quiet Storm」の関係性と非常に似ているんです。大きくて強いムーヴメントが起こると、必ずそのカウンターが来る、というのがアメリカの音楽業界ですね。

弁証法的ですね。

小渕:音楽はとにかくカウンター、カウンター、カウンターで進んでいくことが、歳を取るとほんとうによくわかります。その前に流行っていたものに対するカウンターが次の時代を拓いていく、そういう動きが何十年も繰り返されている。いま静かでアブストラクトなQuiet Waveが流行っているのは、そのまえのEDMやエレクトロ・ポップのブームが強大だったからこそだと思うんです。


テクノロジーの進化によって00年代とは異なる音像が作れるようになって、アーティストたちはそれを楽しんでいるんだろうと思いますね。

Quiet Waveの流行は、テクノロジーの変化も関係しているのでしょうか?

小渕:実はそれが最大の要因かも知れなくて。今の聴取環境の主流は、欧米はサブスクリプションですよね。サブスクは定額だから、ずっとつけっぱなしで曲を鳴らすことができる。そうすると一日のなかで、うるさい曲をずっと続けて聴くことはなくて、むしろBGM的に流している時間のほうが多い。あと、サブスクはイヤフォンかヘッドフォン、あるいはスピーカーでもハンディなもので聴くことが多いと思うんですが、そういった機器で聴いたときに気持ちの良い音像って、音数が少なくて立体的なものです。Quiet Waveはそういう聴取環境の変化にも対応していると思いますね。これは細野晴臣さんがラジオで言っていたことなんですが、今の音はヴァーチャルだと。

それは、生楽器ではなく打ち込みである、という意味ですか?

小渕:いえ、打ち込みが2010年代になって進化したという話です。たとえば低音って、以前は実際に「ブーン」と出ていて、身体にボンッと振動が来ていたわけですけれど、細野さんいわく、今の音は実際には波動が出ていないんだと。でもあたかも低音が「ブーン」と鳴っているかのように作れてしまうと。

物理的に違ってきていると。

小渕:それは、ハリウッド映画のサウンドから始まり、波及してきたそうなんですけど、音楽で最初にやったのはDr. ドレーだったと思うんです。『2001』(1999年)は音楽の新時代のはじまりでした。あのアルバムは、ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』のために作ったTHXという映画用のサウンドシステムのシグネイチャー音で幕を開けます。あれは、「これから一編の映画がはじまる」という合図であるのに加えて、「これまでとはサウンドの次元が違うんだ」ということをドレーは言いたかったんだと思うんですよ。『2001』から打ち込みサウンドがかつてない、超ハイファイになって、ひとつ違う段階に入った。あのときと同じように、10年代になってから、テクノロジーの進化によって00年代とは異なる音像が作れるようになって、アーティストたちはそれを楽しんでいるんだろうと思いますね。ソランジュも新作について、歌詞を削ってでもビートを、サウンドを聴かせたかったと言っています。ひとつのドラムの音を決めるのに18時間かかったと。彼女のような人にとっては、10年前とまったく違う音楽を作れることがおもしろくてしかたがないんじゃないでしょうか。

Quiet Waveはヴェイパーウェイヴともリンクするところがあるのではないかと思っています。おそらくリスナー層はかぶっていないんでしょうけれど、ヴェイパーウェイヴもある意味で現代のアンビエントですよね。

小渕:おっしゃるとおりだと思います。いまのサブスク時代の聴取のあり方を考えると、20代とか10代にとっては、ああいうちょっとアンビエントなスタイルがいちばん合っているんでしょうね。僕はサンプリングが好きだからヴェイパーウェイヴもよく聴くんですが、小林さんのおっしゃるとおり動きとしては重なっていると思いますよ。

時代の無意識のようなものですね。

小渕:聴取環境の変化と制作機材の進化、そのふたつがいちばん大きいですね。それを背景に、アンビエントな音像とメロディのアブストラクトな歌モノが合わさって出てきたのがQuiet Waveで。もちろんそれは前の流行に対するカウンターでもありますから、次はきっとまた違うスタイルの音楽が盛り上がっていくことになるでしょうね。

Cosey Fanni Tutti - ele-king

 『トゥッティ』のなかに一貫して存在している、不吉で、ゾッとするような、何かを引きずって滑っていくような感覚──いいかえるなら、すぐ側にまで迫りくる湿り気のある暗さが生む、閉所恐怖症的な強度。オープニング曲“トゥッティ”の単調なベースラインと機械的でガタガタと騒々しいパーカッションのなかにはそうしたものがあり、そしてそれはそのままずっと、クロージング曲“オレンダ”のもつ、近づきがたいような重い足どりのリズムのなかにも存在しつづけている。最初から最後までこのアルバムは、息苦しいほどの霧に、隙間なく包まれている。

 この霧をとおして、おぼろげな影がかたちを結んでいく──ときに現れた瞬間に消えてしまうほどかすかに、そしてときに水晶のような明るさのなかにある舞台を貫き、それを照らしだしながら。オープニング曲では、トランペットのような音が暗闇を引き裂いていく一方で、5曲目の“スプリット”における、音の薄闇のなかを進んでいく、かすかに光る金属の線のような粒子は、おぼろげだが、しかし距離をおいてたしかに聞こえてくる天上的な雰囲気をもったコーラスによって、悪しきもののヴェールを貫いてるそのメランコリックな美しさによって、そのまま次の曲“ヘイリー”へと繋がっていく。

 おそらくはきっと、メランコリーの感覚へとつづいていく、ガス状のノスタルジーのフィルターのようなものが存在していて、それがトゥッティのこのサード・アルバムに入りこんでいるのだろう。このアルバムは、コージー・ファニー・トゥッティの2017年の回想録『アート・セックス・ミュージック』のあとに作られる作品としては、またとないほどにふさわしいものとなっている。というのもそれは、部分的に、彼女の生まれ故郷であるイングランド東部の街ハルで、同年に開催された文化祭のために作られたものをもとにしているからだ。やがてロンドンにおいてインダストリアルの先駆者となるバンド、スロッビング・グリッスルを結成する前の時代を、彼女はその街を中心にして過ごしていたわけである。

 1969年における、パフォーマンス・アート集団COMUトランスミッションの結成からはじまり、スロッビング・グリッスルやクリス&コージーによるインダストリアルでエレクトロニックな音の実験を経由する、過去50年にわたる経験と影響関係を描いていくなかで、過去について内省し、ふかく考えるそうした期間が、『トゥッティ』という作品の性格を、根本的な次元において決定づけているようにおもわれる。その回想録や近年に見られるその他の回想的な作品をふまえると、トゥッティはこのじしんの名を冠したアルバムによって、ひとつの円環を──はじめてじしんの名義のみでリリースした1983年の『タイム・トゥ・テル』以来の円環を、閉じようとしているのだという感覚がもたらされる。

 だが、コージー・ファニー・トゥッティはまた、まとまりのあるひとつの物語のなかに収めるにはあまりに複雑で、たえずその先へと向かっていくアーティストでもある。たしかにトゥッティは、幽霊的な風景をとおって進むビートとともに、彼女の作品のなかに一貫して拍動している人間と機械の連続性のようなものを、じしんの過去から引きだしている。だが彼女にとって過去とは、みずからの作品を前方へと進めていく力をもったエンジンなのである。『タイム・トゥ・テル』におけるリズムは、捉えがたく、ときに純粋なアンビエントのなかに消えさっていくようなものだったが、それに比べると『トゥッティ』は、はるかに攻撃的で躊躇を感じさせないものとなっている。こうした意味で、この作品に直接繋がっている過去の作品はおそらく、比較的近年にリリースされた、クリス・カーターと、ファクトリー・フロアーのニック・コルク・ヴォイドとともに制作された、2015年のカーター・トゥッティ・ヴォイドでのアルバムだろう。とはいえこの作品と比べると『トゥッティ』は、より精密に研ぎすまされ、より洗練されたものとなっていて、その攻撃性や落ちつきのなさは、節度をもって抑えられている。

 ゾッとするような暗さをもつものであるにもかかわらず、そうした落ちつきのなさと節度の組みあわせのなかで、『トゥッティ』はまた、これ以上ないほどに力強い希望の道を描きだしてもいる。というのも、このアルバムが強力で完成されたものであればあるほど、そこらからさらに多くのものがもたらされるのだという兆しが高まっていくからだ。
(訳:五井健太郎)


A sinister, creeping darkness slithers through “Tutti” – the claustrophobic intensity of humid darkness that clings too close. It’s there in the grinding bassline and mechanical, clattering percussion of opening track “Tutti”, and it lingers on in the grimly trudging rhythm of the closing “Orenda”. From start to finish, the album is wrapped tight in a suffocating fog.

Through this fog, shapes take form – sometimes faintly, fading away as quickly as they appeared, sometimes piercing through and illuminating the scene in a moment of crystal clarity. On the opening track, a trumpet cuts through the darkness, while on “Split”, solar winds seem to shimmer matallic through the sonic murk, joined on “Heliy” by a celestial chorus, blurred but distantly chiming, a touch of melancholy beauty piercing the veil of evil.

There’s perhaps a gauzy filter of nostalgia to the melancholy that creeps into the Tutti’s later third, which is fitting for an album that comes off the back of Cosey Fanni Tutti’s 2017 memoir “Art Sex Music” and has some of its roots in work she created for a culture festival in her hometown of Hull that same year, which she based around her own early years before leaving for London with her then-band, industrial pioneers Throbbing Gristle.

This period of introspection and reflection seems to have informed “Tutti” on a fundamental level, drawing on five decades of experiences and influences from the founding of the COUM Transmissions performance art collective in 1969, through the industrial and electronic sonic experimentations of Throbbing Gristle and Chris & Cosey. Taken together with her memoir and other recent reflective works, there is a sense that Tutti is closing a loop with with this self-titled release – her first album solely under her own name since 1983’s “Time to Tell”.

But Cosey Fanny Tutti is also too complex and forward-thinking an artist to let that be the whole story. Certainly “Tutti” draws from the past, with the beats punding through the ghostly soundscapes a continuation of a man-machine heartbeat that has always pulsed through her work. However, for her the past is an engine powering her work ahead into the future. Where the rhythms of “Time to Tell” were subtle, occasionally dissolving into pure ambient, “Tutti” is far more aggressively forthright. In that sense, the release it hews closest to is perhaps the comparatively recent 2015 “Carter Tutti Void” work, produced with Chris Carter and Factory Floor’s Nik Colk Void. Still, “Tutti” is a more finely honed, more refined work, its aggression and restlessness tempered by restraint.

Through its creeping darkness, it’s in that combination of restlessness and restraint that “Tutti” also holds out its strongest line of hope, because as powerful and accomplished as this album is, it also extends the promise of more to come.

sugar plant - ele-king

 90年代の日本の音楽シーンにおいてもっとも重要なバンドのひとつ、シュガー・プラントが超久しぶりにワンマンをやります。ヴェルヴェッツ系のサウンド、ヨ・ラ・テンゴやギャラクシー500とも音楽的同士といえるそのサウンドをたっぷり堪能しましょう。なお、当日の入場者全員には、名作『headlights』からの6曲のダブ・ヴァージョンを収録したCDRがプレゼントされます。

sugar plantワンマン『another headlights』
4月20日 (SAT)
新代田FEVER
open / start 16:30
sugar plant on stage 18:30
guest DJ : マイケルJフォクス
前売3,000円 当日3,500円 ドリンク別
チケット:e+、ローソン(Lコード:70464)、FEVER店頭にて発売中

入場者全員に6曲入りDub Album『Another Headlights』CDRプレゼント

sugar plantのキャリアを総括するワンマンが決定!
94年リリースの『hinding place』から昨年リリースの『headlights』まで25年の歴史を振り返るスペシャル・ライヴ。
また当日ご入場のすべての方に『headlights』収録曲のうち6曲をオガワシンイチ自身がDub Mixした『another headlights』のCD-Rをプレゼント!『another headlights』は5月中に配信でリリースの予定。

sugar plant
Galaxie500やYo La TengoなどのUSインディーに大きな影響受けたロック・バンドとして活動を開始、当初からはっきりと海外志向があり実際すべての音源が海外リリースとなっている。3度にわたるアメリカ・ツアーではSilver ApplesやLow、Yo La Tengoなどとの共演も経験し当時まだ人気のあったカレッジ・チャートでは大きな評判となった。90年代中旬、日本のクラブ・シーンの黎明期をメンバーがその中心で体験したことによりバンドのサウンドもより広がりを見せ、ポスト・ロックや音響派の先駆けとしても評価は高い。
sugarplant.com

 ヒップホップは、個人のオリジナリティやアイデンティティを尊重するが、ひとつの音楽ジャンルとしてのヒップホップは、集団性によって更新されてきた。トレンドセッターが切り開いた方法論を共通のルールとするかのように、ヒップホップ・ゲームの競技場のプレイヤーたちが集団となって更新されたルールをフォローし、互いの似姿に多かれ少なかれ擬態し合い、互いのヴァースのみならずスタイルをもフィーチャーし合い、互いに切磋琢磨し、表現を洗練させ、ジャンル全体(あるいは各サブジャンル)を発展させる。隣の仲間が進行方向を変えれば自分も向きを変える、ムクドリの群れさながらに。数え切れないほどのビートが、フロウが、僅かな差異を積み重ねグラデーションを描きながら上方に堆積していく。より高み(ネクストプラトゥー)を指向して。しかし、そのような集団性のなかで、トレンドをセットするわけではないほどにアヴァンギャルドさを持ち合わせているがために、単独で逸脱する、ベクトルを異にする個体が、突如として現れる。
 たとえば2000年前後のアンダーグラウンド・ヒップホップの興隆の中でも、特にアンチ・ポップ・コンソーティアムやアンチコンの作品群の記憶が鮮烈に蘇るし、ゴールデンエイジにおけるビズ・マーキーやクール・キースを端緒に、ODB(オール・ダーティ・バスタード)の孤高を思い出してもいい。もっと近年ではクリッピングクラムス・カジノリー・バノンデス・グリップスヤング・ファーザーズシャバズ・パレセズらのビートとフロウがもたらす異化、ダニー・ブラウンジェレマイア・ジェイ、スペース・ゴースト・パープの変態性、そしてタイラー・ザ・クリエイターやアール・スウェットシャーツらオッド・フューチャー勢の快進撃がこのジャンルの外縁を示し、僕たちはその稜線を祈るような思いでみつめてきた。「ヒップホップ・イズ・ノット・デッド」と呪文のように繰り返しながら。特に近年、ネットというインフラ上で発光するエレクトリック・ミュージックの多面体と、その乱反射するジャンルレスの煌めきは、明らかに、ヒップホップの集団性からの逸脱を誘引する磁力として働いている。

 ルイジアナ出身の28歳のペギー(Peggy)こと JPEGMAFIA は、その乱反射を吸引し尽くし、自らが多面体化するのを最早留められなくなった如き異能の人だ。彼のオフィシャルでは2枚目のアルバム『Veteran』は、エスクペリメンタルなトラップ以降のビートをベースに、ローファイに歪ませたサウンドのバラバラの欠片やグリッチーに暴走するリズムをあちこちに地雷のように仕組んで、全体を多重人格的な──多声による──メタラップで塗り固めた怪作だった。
 メタラップというのは、前作『Black Ben Carson』収録の“Drake Era”に“This That Shit Kid Cudi Coulda Been”や、シングルの“Puff Daddy”、そして“Thug Tear”といったようにラップ・ゲームやリリックで歌われることをメタ視点で俯瞰する、人を食ったようなタイトル群を見ても明らかだろう。
 しかし彼がそのメタ視点を用いて差し出すのは、モリッシーをディスったことで大きな話題をさらった“I Cannot Fucking Wait Until Morrissey Dies”に代表されるような、ポリティカルなメッセージ群だ。初めはインスト音楽を作っていたペギーは、自分がラップすべき本当に言いたいことがあるのかという懐疑に捉われていた。多くのラップのリリックを聞いても、所詮皆同じことを歌っているだけではないかと。だがジャーナリズムで修士号を持つ彼は、アイス・キューブのやり方と出会うことで、ポリティカル・ラップに活路を見出したという。
 1990年にリリースしたファースト・ソロ・アルバム『AmeriKKKa's Most Wanted』において、フッドの現実を過激な言葉で描写したアイス・キューブは、実存というよりも、「アイス・キューブ」という視座を仮構してみせた。そして同アルバムのオープニング“The Nigga Ya Love To Hate”では、人々が「ファック・ユー・アイス・キューブ!」と叫ぶ様をフックとした。
 一方のペギーはオフィシャルのファースト・アルバム『Black Ben Carson』で、2015年に共和党から初の大統領選への黒人立候補者となり早くからトランプ支持を表明、現在アメリカ合衆国住宅都市開発長官を務めるベン・カーソンにあえて「Black」を付けて、リリックのなかで「white boys」を煽ってみせる。ここには確かに、キューブの方法論と通底するメタ視点が働いてはいないか。さらに後述するように、彼は表現のレベルにおいても、従来のコンシャス・ラップを俯瞰するように、異なる方法で実装してみせる。

 『Veteran』というタイトルは二重の意味を持つ。文字通りペギーは元空軍出身(=退役軍人/veteran)だということ。そして14歳から音楽制作を始めていた彼は、クリエイターとしてキャリアを積んでいるということ。自身、インタヴューで次のように語っている。曰く、この世界には誰にも知られることなく長い間音楽を作り続けている人間(=ベテラン)がいるし、『Veteran』収録曲の中にもどうせ誰も聞くことはないと思って作ったものもある、と。
 かつての MySpace はそのような音楽家たちが論理上は万人に開かれるインフラとして機能したし、SoundCloud や Bandcamp においてもその点は同様だ。しかし星の数ほど存在するアカウントの小宇宙を相手取り、衆目を集めるのは簡単ではない。『Veteran』は高評価で受け入れられたが、このようなメッセージ面でもサウンド面でもエッジィな作品が受け入れられたのは、たまたまタイミングが合ったからだと本人は分析している。
 しかし逆に、誰にも聞かれることがないと思っているからこそ、クレイジーな音楽が生まれる可能性もまた、存在するだろう。そしてそのようにして作られた音楽が世界に接続されうるメディウムとして、インターネットは、かつての人々が抱いた理想像の残滓を担保したまま、そこに存在し続けている。
 2019年3月9日現在ペギーの SoundCloud のアカウントにアップされている最も古い楽曲は“Fatal Fury”で、アップの日付は7年前と表示されている。総再生回数は6478回と、決して多いとは言えない数字で、5件のコメントが付いているがどれもこの10ヶ月以内だ。つまり、この楽曲は2012~2018年まで、具体的には『Veteran』のブレイクまで、ほとんど誰にも発見されずにインターネットの小宇宙の片隅に鎮座していたのではないか。
 しかしその〈黙殺〉にも関わらず/のおかげで、彼のエッジィな創作意欲は『Veteran』と名付けられた作品にまで昇華された。そう考えることはできないだろうか。この作品は幸運にも、巨大な迷宮として、その姿をはっきりと僕たちの前に示している。

 この『Veteran』という複雑に入り組んで先の読めない迷宮はしかし、いかにも平熱を保った表情で幕を開ける。冒頭の“1539 N. Calvert”は、ウワモノのメロウな響きが支配する耳障りの良いオープニングだが、そこかしこに痙攣するように乱打されるビートが顔を覗かせ、様々な素材からサンプリングされ引用される短い文言の断片や、多重人格さを披露するペギーのヴァースがジャブのように繰り出される小曲だ。だが決して、その喉越しの爽やかさに騙されてはいけない。いや、一旦は彼の策略に乗ってみてもいい。すぐにやってくる狂乱とのギャップを楽しむために。
 ODBの喉ぼとけの震えのループがトライバルなドラムを狂気に駆り立ててしまう2曲目“Real Nega”を前に、僕たちはどんな風に四肢を振り回しながら踊ればいいのか? しかも、ベッドルームで。というのも、彼の表現はクラブのダンスフロアよりも、僕たちの薄汚れたベッドルームで踊り狂う想像力を掻き立ててくれるからだ。これらのビートの雨あられに身を曝し、どうしようもなくエレクトするプリミティヴな欲求を必死に隠し薄ら笑いを浮かべながら、僕たちは終盤の子供声のようなハイピッチ・ヴォイスが煽るフレーズに頷くしかない。こいつは「ホンモノのxx」だ。
 続く“Thug Tears”でも、分裂症の残酷さが開陳される。冒頭のキックと逆回転で乱射されるグリッチの雨から、転がる電子音のリフとその間を埋め尽くすボンゴのリズムに楔を打つゴミ箱を叩くようなローファイなスネアに、僕たちのダンスステップはもつれる。今度は体を揺らさずに黙って聞いていろと? ペギーの透明感溢れるコーラスと捻くれたシャウトの対比をベースにしつつも、そこに次々と闖入してくるサンプリングされた文言の数々が、綿密にデザインされたコラージュの語りを駆動する。しかし突然ビートのスカスカな時空間を埋めるブリブリに潰れたベースラインが現れる中盤以降、今度はペギーの語り口は一気にクールを気取り、剃刀のフロウで溌剌とビートを乗りこなす。
 シングル曲“Baby I'm Bleeding”が匿う快楽。冒頭から僕たちのアテンションをコルクボードに画鋲で止めてしまうミニマルなヴォイスの反復の上に、ペギーのフロウが先行して絡まり、やがてキックとスネアが後を追うようにビートに飛び込んでくる瞬間のカタルシスよ。さらに1分35秒で聞かせるハードコアなシンガロングとEDMのアゲアゲシークエンスの超ローファイ版を挟み、またもやモードを変化させるキックとスネアの上で何が歌われているのか。もともとは“Black Kanye West”という曲名だったというヴァースは、「ペギーをキメる田舎者/俺は次のビヨンセさ/俺の銃には悪魔が憑いてる/ダンテのように切り裂く(カプコンのヴィデオゲーム、デビルメイクライのキャラクター)/絶対カニエのように金髪にはしないと約束するぜ(カニエ は2016年、ライブ中にトランプを賛美する演説をしてツアーの残り日程をキャンセル、その後金髪にして再びその姿を見せた)/その代わり俺はたくさんのスタイル(so many styles)を持ってるからペギーAJと呼んでくれ(WWEのチャンピオン、AJ Stylesと掛けたワードプレイ)」とのこと。分かった。しかしこの男が匿っているスタイルの数は「so many」じゃない、「too many」だ。

 そのスタイルの多声性は、ビートのサウンドにも、リズムにも、旋律にも充満している。そして勿論ラップのサウンドにも、ライムにも、デリヴァリーにもだ。そしてメッセージという観点で見れば、前述の通り、いわゆるコンシャス・ラップと呼ばれうる、ポリティカルなスタンスを表明するライムが混沌としたサウンドに包囲され異彩を放っている。しかし彼曰く、彼はそれをコンシャス・ラップの括りではなく、「イケてる」曲として援用できるというのだ。そう聞いて想起されるのは、次の事実かもしれない。パブリック・エネミーがあれだけ人気を博した大きな原因のひとつは、彼らのヴィジュアル面を含めた方法論が「イケて」いたからだ。しかしペギーのアプローチはそれとは異なる。
 モリッシーを直接的にディスったことで話題となった“I Cannot Fucking Wait Until Morrissey Dies”では、その直球なタイトルそのまま、右翼的発言を繰り返し、ジェイムズ・ボールドウィンをデザインしたTシャツを売るモリッシーに対し「俺は左翼のハデスさ、フレッシュな.380ACP弾で武装した26歳のね」と怒りを爆発させる。しかしそれはあくまでも「イケてる」方法でだ。確かにビートを牽引するシンセのアルペジオがポップかつ美しく、音楽的な洗練とペギー自身の歌唱の先鋭さが、ある種のコンシャスなメッセージに含まれる鈍重さを無化してしまうようだ。
 他にも“Germs”ではトランプをメイフィールドのようにのしてしまいたいと批判するし、“Rainbow Six”でも銃とフラッグを掲げて集会を開くオルタナ右翼をからかう。それらはどれも、サウンドや歌唱の徹底的にエクスペリメンタルな展開のなかにあって、多重に張り巡らされたレイヤーのひとつとして、受け取られる。
 かつてタリブ・クウェリは、コンシャス・ラッパーとしてレッテルを貼られることへの違和感を指摘した。一旦そのイメージが付いてしまうと、リスナーを著しく限定してしまうことになるというのだ。しかしペギーのやり方はどうか。厳めしい顔で説教めいたライムをドロップするでもない。パンチラインとしてリフレインするでもない。あくまでもそれらは多くのレイヤーのうち、次々と通り過ぎていく一行として、表明される。そしてその言葉が発される声色やフロウも、それを支えるビートも、音楽的かつ現在進行形のテクスチャーが担保された──こう言ってよければ──「ポップさ」に満ちている。イケてるコンシャス・ラップとは、そのような多才さ=多重人格性の所以と言えるのではないか。

 しかし、、、数え上げればキリがないほど、このアルバムには豊かな細部が溢れている。折角なのでもういくつか数え上げておこう。またもや逆回転攻勢のアトモスフェリック・コラージュ・アンビエントの上で、何度目か数え切れないが明らかにペギーがロックを殺す瞬間を目撃できる“Rock N Roll Is Dead”。ペギー流のイカれたメロウネスが炸裂する“DD Form 214”では、ドリーミーなフィメール・ヴォーカルやウワモノを提出したそばから、下卑たキックと割れたベースのコンビネーションがくぐもったニュアンスを加えるために、いつまで経ってもドリームに到達できないという、つまりイキ切れない一曲。シャワーでパニック発作に襲われた際にレコーディングしたという“Panic Emoji”では、文字通りシャワーの環境音と並走するメロウなアルペジオにブーミンなベースがこれまでないエモい、エクスペリメンタル・トラップチューン。パニック発作に襲われ「俺は厄介者で/使えない奴だ/最悪だ/苦しい」と嘆く抑えたフロウが悲痛に響く。
 最後にもう一度触れておきたいのは、ペギーのサウンドの質感だ。たとえばノイジーなアンビエント・ラップ“Williamsburg”では、アクトレスことダレン・カンニガムばりに粗いヤスリで磨かれたノイズの層が、ビートにこれでもかと言わんばかりに馴染んでいる。組み合わされているサウンドのひとつひとつが、元々そのようなロービットな音像で、生まれ落ちたものであるかのように。しかしローファイをデザインするとき、ここまで馴染みのよい肌理を見つけ出すことのできる所以は? それこそが、JPEGという非可逆圧縮方式をその名に持つ彼の、天賦の才なのだろう。
 繰り返し、繰り返し、決して飽くことなくイメージをJPEG変換するように、サウンドの粒子は荒く膨張していく。この奇才の脳内に溢れ返るロービットの想像力に押しつぶされないよう、僕たちは、本作を噛みしだく、噛みしだく。

第二回:俗流アンビエント - ele-king

 さて、第一回でも触れたとおり、そんな風にネット上に新たに生まれてきたコミュニティで出会った人びとからの触発も絡み合いながら、その頃私はブックオフの売り場で、ふとシティ・ポップ以外にも視線を向けてみようかなと考えたのでした。折しも渋谷のブックオフ(CLUB QUATTRO階下の大型店舗。R.I.P.)が閉店に向けて売り場整理をはじめている折で、ちょうどその頃Visible Cloaksの活動や彼らの啓蒙、あるいは様々なレーベルから過去作がリイシューされたりというニューエイジ〜アンビエントの復興に興味をいだいていた私は、「もしかしたらブックオフの捨て売りコーナーにもなにか面白いものがあるのでは?」と思い、ヒーリング/ニューエイジコーナーを探ってみたのです。セール開催中だったこともあって、280円の8割引という暴力的な安値で投げ捨てられていたそれらの中には、エンヤやディープ・フォレスト、エニグマといった大御所(そういうモノに用はないのです……)に混じって、正体不明の(とそのときは思っただけど後に調べていくと界隈では名のある作家だったりする)日本人アーティストや、さらには安眠、リラックス、集中力強化、ダイエットなどの効能を謳ったいわゆる〈実用的〉なヒーリングCDなどが相当数あり、何枚か買ってみたのでした。

 さて、自宅に帰ってそれらのCDをなんとなく再生してみると……まさしく前述のようなVaporwave以降に興ってきたニューエイジ・リヴァイヴァルの心性に驚くべきほどにフィットしたのです。思えばこれは当たり前の話というか、EccojamsやUtopian Virtual 、Mallsoftなどの細分ジャンルに顕著なように、Vaporwaveが胚胎する諧謔性(もっといえば反動性といってもよいかもしれないですが)は、このコラム・シリーズの表題にもなっている所謂〈ミューザック〉や〈BGM〉、〈エレヴェーター・ミュージック〉、〈実用音楽〉、のような、ハードなリスニングをすり抜けるものを価値逆転的に音楽要素として取り込もうとするベクトルを持つものでもあったのですから。だから、2018年に、90年前後に量産された日本ドメスティックのヒーリング音楽を消費するという行為自体、この諧謔性の引力に引き寄せられる他ないし、むしろだからこそ、これまで批評的には無価値とされてきたこれらの音楽が、いってみれば〈価値の向こう側〉から亡霊のように復権してきたというわけなのでしょう。あの時代(主にバブルの時代)に夢見られた、輝かしき社会と〈健全〉な精神、それを磨き上げるための夢想的BGM。かつて抱かれ、いまは朽ち果てた夢からは、不思議と甘い香りがするのです。当初こうした音楽に対して私の中にあった嘲笑はいつからか耽溺にとってかわり、そのバランスの間で微妙な緊張感を保ちながら、どんどんと掘り進んでいくことになります。そのころ私は、そうした背反的な感情を反映する名称として、こうした音楽を〈俗流アンビエント〉と呼びはじめるようになりました。(*)
 
 そうやって暇さえ見つけては未踏のブックオフに向かい、ヒーリング/ニューエイジ・コーナーを突っつく日々を続けながら、ちらほらと漁盤報告をツイッターなどに挙げていると、意外にも少なくない人たちから反応があったりしました。半分くらいは旧来の友人たちからの好奇の目でしたが、ここでもやはり前述の台車さんやタイさんなどのディガーたちからのアクションがあったと記憶しています。そんななか、前述の捨てアカウントさんから一通のDMをもらうことになります。曰く、私のディグ活動に興味を持っていること、〈俗流アンビエント〉という概念へのシンパシー、そして、Local Visionsのミックスシリーズで〈俗流アンビエント〉ミックスをアップしませんか、云々……。
 このミックスシリーズでは、それまでも台車さんによるオブスキュアなシティポップのミックス、そしてモ像さんによるゲーム音楽ミックスがアップされており、Vaporwave以後における音楽ディグの注目すべき流れとしてそれらを愛聴してしていた私は、このオファーを一も二もなく快諾したのでした。
 そういう経緯を経て、〈俗流アンビエント〉ディグのそれまでの成果として、昨年秋にアップされたのが、“Music for the Populace:The World of Commercial Ambient Music in Japan 1985-1995”(邦題:「ストレスを解消し、心にLoveとPowerを… 日本の商業アンビエントの世界 1985-1995」)と題された以下のミックスです。

 一概に〈俗流アンビエント〉といっても、その作風はさまざまで、なかには本当に聴くのがツラくなってくる退屈なものもあるのですが、このミックスは導入編と位置づけ、アンビエント音楽としての完成度とともに、うっすらとでもビートがあるもの、あるいはバレアリックな質感を持つもの、フュージョンに片足を突っ込んだもの、より敷衍的にいえばニューエイジ・リヴァイバル以降の感覚で面白く聴けるであろう楽曲を選んでいます。
 大変ありがたいことに、Local Visionsの発信力もあり、このミックスは思いの外様々な方々に楽しんでもらったようで、末にはロック・バンドBase Ball Bearの小出祐介さんの耳にも達し、11月にはTBSラジオの人気番組『アフター6ジャンクション』で特集されるという予想外の展開に至るのでした……。俗流アンビエントという概念の周辺を紹介するにあたり、Vaporwaveにも触れながらVektroid(a.k.a. Macintosh Plus)の「リサフランク420 現代のコンピュー」をオンエアしたこともあり、そういった界隈でも話題にしていただいたようです。

 いま思い返すに、昨年2018年にかけては、サブスクリプション・サービスの本格的浸透と並行的なものとして、例えば、竹内まりや「プラスティック・ラブ」のYouTubeアルゴリズムによるスタンダード化などがあるとおもうのですが、ある種それらへの反射として、ネットでは聴くことのできないものを執拗に追い求めるという行為、それまで個々人の活動としてディープなレベルに点在していたそういうものが、表層にあらわれてきた期間と捉えることも可能かもしれません。その渦中における静かな熱狂を経た2019年のいま、そのような見取りを冷静に置いてみたい気持ちになっています。
 これまで共有されてきた価値、例えば神話的な作家性であったり、既存システム/産業内でいうところの〈クオリティ〉であったり、唯一的なもの、記名的なものの絶対性、そういうものが揺らぎ出してしまって久しいいま、そういった価値の〈向こう側〉から、未体験のものとして、自分でない誰かがかつて夢見た音楽が、大規模に蘇りつつある。私達がかつて夢見てきた〈未来〉が失われていく、その喪失感を癒やすために、〈かつて観られた夢〉は媚薬として、蠱惑として、我々をうっとりさせるのかもしれません。これは一種の逃避なのでしょうか。オピウムなのでしょうか。それともさまよいゆく現代を有効に診断する検査薬でもありうるのでしょうか。

次回へ続く……


 この時期発掘したCDで、従来の批評的価値の向こう側からやってきた究極の盤は、上述のTBS『アトロク』でも紹介し反響があった、100円ショップダイソーが(おそらく2002年前後)にオリジナルで作成して自社店頭で販売していた〈100円アンビエント〉のCD『アンビエント・リラクゼーション VOL.2』です。当時ダイソーは(今でも一部店舗で展開していますが)、クラシック名曲や落語などを手軽に編んだCDを大量にリリースしていたのですが、その一環として、なんとオリジナルのアンビエント・ミュージックも制作していました。(同シリーズではこのvol.2を含め計2枚リリースされていたよう。好事家によると、vol.1の方はアンビエント的にはたいしたことないらしいけれど…)。
 2002年といえば折しもスピリチュアル・ブーム華やかりし頃、いかにも抹香臭い音楽内容を想像しますが、これがなかなかどうして相当に良質なアンビエントなのです。ブライン・イーノから続くアンビエントの正統を押さえながらも、アンビエント・テクノや同時代のエレクトロニカとも共振するこの音楽を制作した作者は不明(クレジット記載なし)。おそらくギャラ一括払いの〈買い取り仕事〉というやつだと思いますが、少なくとも才能のあるミュージシャンがかなりの力量を注いで作ったものであることは間違いないでしょう。
 ちなみに、私はこのCDを渋谷のレコファンにて108円で入手(中古)しました。新品同様価格です。

「あんなに楽しいフェスは経験したことがなかった。だからフェスが嫌いなひとのために、自分でもやってみようと思ったんだ」

 ポルトガルのマデイラ島で開催されている、マデイラディグ実験音楽フェスティヴァルのオーガナイズ・リーダーであるマイケル・ローゼンは、大西洋を見晴らす崖に面したホテルのバーのバルコニーに座っている。雨と汗と泥にまみれた、よくあるフェスの体験からは数百マイルも隔たった雰囲気がそこにはある。というかその雰囲気は、ほかのどんな場所にも似ていないものだ。
 フェスの来場者の大半が滞在する小さな町ポンタ・ド・ソルは、高く深い谷の上に位置している。フェスの運営を取り仕切るメインとなる中継地点であるホテル、エスタラージェン・ダ・ポンタ・ド・ソルはとくに素晴らしく、まるで崖沿いを切りだしたようにして作られていて、海に沿った通りからはただ、崖の岩肌を上に向かってホテルへと至る、すっきりとした作りのコンクリート製のエレヴェーターだけが見えている。

 エスタラージェンでのアフター・パーティーや毎晩行われるライヴはあるが、フェスのメインとなるプログラムは、ホテルから車ですこし移動したところにあるアート・センターで行われる、午後の二つのショーのみである。

 ローゼンは次のように述べている。「毎日たくさんのパフォーマンスが行われるフェスが好きじゃないんだ。テントを張って、雨が降って、人混みに囲まれてっていうやつがね。僕らが借りている会場のキャパは200人くらいで、それがちょうどホテルが受けいれられる上限でもあるから、そのくらいが集客の上限なんだよ」

 フェスは金曜の夜、ポルトガルのサウンド・アーティスト、ルイ・P・アンドラーデ&アイレス[Rui P. Andrade & Aires]によるアンビエント・セットとともに開幕し、アナーキーで混沌としたフィンランドのデュオ、アムネジア・スキャナー[Amnesia Scanner]によるデス・ディスコがそれに続く。マデイラディグのプログラムはみな、多くの人が実験音楽と理解しているものの元にゆるやかに収まる音楽ばかりなわけだが、主催者側がはっきりと意図して普通とは異なったアプローチを見せているこの組みあわせ方によって、2組のアーティストのあいだにある違いが強調されることになっている。


アナ・ダ・シルヴァとフュー

 日曜日の夜は、不気味さや打楽器のような調子や、美しさや激しさのあいだで移り変わっていく自らの演奏から生みだされるループによって音楽を構築する、ポーランドのチェリスト、レジーナ[Resina]の演奏とともに始まる。彼女の演奏は、つねに変化するアニメーションによるコラージュや、戦争の映像、自然や文明や、コミュニケーションやテクノロジーといったものの相互の関係を映しだすヴィデオの上映を背景して行われる。コミュニケーションというテーマは、より遊び心に満ちたものとして、ただ一つのテーブル・ランプに照らしだされた多くの電子機材を前に演奏される、アナ・ダ・シルヴァ[Ana da Silva]とフュー[Phew]による、めまぐるしい展開によって方向感覚を狂わせるようなライヴのなかでも取りあげられている。参加したアーティストのなかで、フェスの開催日に到着したフューはもっとも遠くからやってきている人物だが、その一方でダ・シルヴァは、生まれ育った島に戻ってくるかたちとなっている。2人のアーティストのあいだにあるこのコントラストは、それぞれの言語を使い、ひとつひとつの言葉にたいし、ユニークかつときに不協和音的な解釈を与えている彼女たちのパフォーマンスそのもののなかにも、はっきりとその姿を見せているものだ。演奏のある地点で彼女たちは、曲間のおしゃべりの一部分を取りあげてループさせ、それをパフォーマンスのなかに組みこむことで、ライヴのもつ遊び心に満ちた親密な性格を強調している。

 ローゼンは、そうした彼女たちのライヴを生む根底にある自身の哲学を次のように説明している。「普通では一緒に見ることのないような二組のアーティストに同じ舞台に上がってもらうんだ。まったく異なっているように見えながら、だけど質の部分で繋がっているアーティストにね」

 こうしたアプローチは、ドイツのクラブ「キエツザロン」[Kiezsalon]で彼がオーガナイズしているイヴェントにも見られるもので、マデイラディグについて理解するためには、多少ベルリンのことについて触れておく必要がある。というのも、ローゼン以外のオーガナイザーだけではなく、オーディエンスの大半もその街からやってきているからだ。

 ローゼンはベルリンのシーンを退屈でバラバラなままの状態だと述べている。いわくそこには、すでに存在しているオーディエンスに媚びたありきたりなイヴェントばかりがあり、結果として、シーンやジャンルを分断する区別を強化することになっているのだという。オーストリアを拠点にしたスロバニアのミュージシャンであるマヤ・オソイニク[Maja Osojnik]もやはりこの点を繰りかえし、彼女が暮らしているウィーンも同じように、まれに土着的な「ヴィーナーリート」[Wienerlied]という民謡の一種がジャンルを横断した影響を見せているくらいで、パンクがあり実験的な音楽があるというかたちで、内部での音楽シーンの分断という状況にあると述べている。東京のインディーでアンダーグラウンドなシーンのなかに深くかかわっている人たちもきっと、すぐに同じような状況に思いあたることだろう。


マヤ・オソイニク

 マヤ・オソイニクは、パリを拠点としたカナダのミュージシャンであるエリック・シュノー[Eric Chenaux]による、キャプテン・ビーフハートの経由したニック・ドレイクといった雰囲気のジャズ・フォークの後に続いて、金曜日の夜の最後に出演した。シュノーの演奏が、いったん心地よく美しく伝統的な音楽的発想を取りあげ、それをさまざまなかたちで逸脱させていくことによって特徴づけられるものであるのにたいし、オソイニクの音楽は、不協和音の生みだすことを恐れることなくさまざまな要素を重ねていき、そのすべてが、彼女がときに「ディストピア的な日記」と呼ぶ、音によるひとつの物語をかたちづくるものにしている。全体の雰囲気や演奏に通底する低音やパルス音は、催眠的でインダストリアルな高まりを見せ、オソイニクのヴォーカルは、豊かな抑揚をもった中世の歌曲からポストパンクの熱を帯びた怒りまで、自在に変化していくものとなっている。


エリック・シュノー

 後に彼女と話したさいオソイニクは、同時代の音楽からの影響ももちろんあるが、古典的な音楽教育を受けてきのだという事実を明かしてくれた。一三〇〇年代にフランスのアヴィニオンに捕囚されていた教皇たちのためだけに作曲された、あまり知られていない音楽に興味があるのだと、興奮気味に彼女はいう。自身が受けてきた折衷的で渦を巻くような影響にかんして彼女は、次のように述べている。「いろんな音楽をアカデミックに学んでみた結果、そこには多くの並行性があることに気づいたんです。たしかに規則は違うし、アプローチも違う、根底にある美学も違っていますが、同じ鼓動が感じられるときがあるんです」

 シュノーとオソイニクが共有しているのは、二組のライヴがともにどこかで、人間は複雑で、つねに仲良く議論しているわけではないのだという事実を感じさせるものだという点にある。したがってオーディエンスにたいするメッセージは、オソイニクがいうとおり、「目を覚ますこと。受けとるだけでいるのをやめて、探すことをはじめること」にあるのだといえる。

 マデイラディグは、多くの点で伝統的な音楽フェスと異なるものとなっているわけだが、一方でそれは、参加する者たちのなかに普通とは異なる現実を創造するというその一点において、真の意味で伝統的なフェスティヴァルといえるものとなっている。フェスの初日の時点では、どこか気後れしたような初参加者と毎年参加しているヴェテランのあいだに目に見えるはっきりとした違いがあったが、フェスのオーガナイズの仕方によって、そこにはすぐに、その場にいる人間たちによる共同体の感覚が育まれることとなっていた。イベントの後の食事やエスタラージェン・ダ・ポンタ・ド・ソルでのアフター・パーティーは、交流の機会となり、毎回あるメイン会場への車での移動が、参加者をひとつにすることを促している。日中に辺りの自然のなかや最寄りの大きな町であるファンシャルへ旅することは二重の意味をもっていて、参加者がひとつのグループとして絆を深める機会となっていると同時に、イヴェントの会場でもあるホテルの盛りあがりからの息抜きとしても機能している。

 またマデイラ島は並外れて美しい島であると同時に、不思議なことにどこかで日本に似たところもある場所だといえる。通りに沿ってその島を旅していると、山がちな景色が必然的にトンネルのなかを多く通ることを強いてくるわけだが、気がつけばやがて古い通りに出て、島がその本当の姿を見せてくる。そこには雲を突きぬけ緑で覆われた、ぐっと力強く迫りだしている火山の多い地形があり、谷に沿って並ぶ家々や急な勾配に沿った畑があり、浅くコンクリートで舗装されれ、海まで続く川が見られる。海を見張らしながら、古い時代の商人たちが登った道のひとつを登っていたとき、ポルトガルの現地スタッフのひとりが、「この景色を見るためには、ここまで登ってこなきゃいけないんですよ」と述べていた。

 美しさを見いだすためには努力が必要だというこの発想は、風景についてだけではなく、音楽についても当てはまるものだろう。フェスの最終日は、カナダのアーティストであるジェシカ・モス[Jessica Moss]による繊細で複雑なヴァイオリンの演奏とともに始まる。彼女はマデイラディグに参加する多くのアーティスト同様、ループによってレイヤーを生みだし、自らの音楽のなかにテクスチャーとパターン(そしてパターン内部におけるパターン)を作りだしている。その後に続くのは、デンマークのデュオであるダミアン・ドゥブロヴニク[Damien Dubrovnik]によるハーシュ・ノイズの荒々しい音である。彼らはまるでモルモン教徒の制服のモデルのような出で立ちでステージに上がり、会場を音による恐怖で連打していく。


ダミアン・ドゥブロヴニク

 マデイラディグは間違いなく、オーディエンスにたいし、このフェスがステージ上で生みだそうとする美のために協力するように求めているのだといえるが、一般的にいって実験音楽にかんするイヴェントや、とくに遠方からの参加を前提とした特殊なフェスには、参加を阻む誤った種類の障害を設けてしまうという危険性が存在しているものである。すぐに思い当たることだが、日本で行われる同様のイベントは、全員ではないにしろ、多くの熱心なファンには厳しい金額が参加費として設定されているし、結果としてそのことが、音楽シーンの断片化を助長し、多くの地方都市における文化の空洞化に繋がることとなってしまっている。
 マデイラディグの参加費は目をみはるほど安い(チケットの料金は4日間で8000円ほどであり、ホテルの価格も納得のいく範囲に維持されている)。だがいずれにしてもそれは、もっぱら市場の情けによって生き残っているだけであるヨーロッパのアートを手助けしている、ファウンディング・モデルなしには機能しなかったものだといえるだろう。ローゼンはこうした状況を自覚したうえで、それでもやはり、難解で聞きなれないような音楽を集めるイヴェントは、可能なかぎりアクセスしやすいものではくてはならないという点にこだわる。

 「音楽にかかわりのないような人にも届いてほしいと思っているんだ」。「ホテルの予約間違い」でフェスを知り、結果として、いまでは毎年参加しているベルギーのカップルの話をしながら、ローゼンはそんなふうにいう。

 「文化を近づきやすいものにしたい。これは音楽だけじゃなく、文学でも哲学でも何でもそうであるべきだと思う。誰もが参加できるファンドによるフェス、政府から資金を引きだすフェスというかたちで、僕はそれを立証しているんだよ」

https://digitalinberlin.eu/program2018/

Madeiradig experimental music festival
November 30 (Fri) to December 3 (Mon)

by Ian F. Martin

“I've never been a fan of festivals, so I wanted to make one for people who don't like festivals.”

Michael Rosen, the lead organiser of the Madeiradig experimental music festival on the Portuguese island of Madeira, is sitting on the balcony of a hotel bar, situated on a cliffside overlooking the Atlantic Ocean. It feels a million miles from a typical festival experience, drenched in a cocktail of rain, sweat and mud. It feels a million miles from anywhere.

The village of Ponta do Sol, where most of the festival guests stay, nestles in the mouth of a tall, deep valley. The main organisational hub of the festival's activities, the hotel Estalagem da Ponta do Sol, is a particularly striking, looking almost as if it has been carved out of the cliffsides, visible from the road only by the thin, concrete elevator shaft that rises skywards out of the rock towards the hotel proper.

The main festival programme is limited to two shows an evening, held at an arts centre a short coach ride away, while the Estalagem hosts after-parties with DJs and live acts into the morning every night.

“I don't like festivals where there are lots of performances every day – all the tents, rain, crowds,” explains Rosen, “The capacity of the auditorium we use is about 200 people, which is also all the hotels in Ponta do Sol can accommodate, so that’s the audience limit.”

The opening Friday night of the festival opens with a spacious, ambient set by Portuguese sound artists Rui P. Andrade & Aires, which is followed by the anarchic, chaotic death disco of Finnish duo Amnesia Scanner. While Madeiradig’s programme all falls loosely under what most people would understand as experimental music, it’s clear through the choices of pairings that the organisers are keen to see different approaches rub up against each other.

Saturday night opens with Polish cellist Resina, whose music builds around loops that draw from her instrument sounds variously eerie, percussive, beautiful and harsh. Set against this are video projections featuring an ever-shifting collage of animations and images exploring subjects such as war and the relationship between nature, civilisation, communication and technology. The theme of communication recurs more playfully in the lively and disorientating set by Ana da Silva and Phew, performing behind masses of electronic equipment and lit intimately by a single table lamp. Of all the artists at the festival, Phew has travelled by far the furthest to be there, having arrived from Japan on the first day, while da Silva is revisiting the island where she was born. This contrast between the two performers informs the performance, with each member delivering their vocals in the other’s language, adding their own unique and sometimes dissonant takes on the words. At one point, they pick up and loop what seem to be snatches of inter-song backchat and integrate that into the performance, reiterating the playful and intimate nature of the set.

Rosen explains his philosophy as being based on, “Placing two artists on the same stage who you wouldn’t normally see together. Artists who are connected in terms of quality, but nonetheless quite different.”

It's an approach that he follows with the “Kiezsalon” events he organises in Berlin as well, and in understanding Madeiradig, we really need to talk a bit about Berlin, since that's where not only othe organisers but the vast majority of the audience come from.

Rosen describes the scene in Berlin as boring and fragmented, with events typically pandering to existing audiences, in the process reinforcing the divisions that separate scenes and genres. Austrian-based Slovenian musician Maja Osojnik echoes the point, saying that her adopted hometown of Vienna suffers from similar internal divisions in the music scene, with punk, experimental and the unique local “Wienerlied” folk style rarely interacting. Anyone who has spent much time immersed in the Tokyo indie and underground music scene will find their complaints immediately familiar.

Maya Osojnik closed Sunday night after the rhythmically dislocated Nick Drake-via-Captain Beefheart jazz-folk of Paris-based Canadian musician Eric Chenaux. While Chenaux’ set was characterised by the way he would take conventionally pretty or beautiful musical ideas and then investigate multiply ways of knocking them off centre, Osojni's music layers element over element, not shying away from dissonance, but bringing them all together in the service of a single sonic narrative – what she sometimes calles a “dystopic diary”. Tones, drones and pulses build up to a hypnotic, industrial crescendo, Osojnik’s vocals ranging from richly intoned, almost medieval sounding singing to haranguing postpunk rage.

Speaking to her later, she reveals that, despite her more contemporary influences, she was classically trained and she talks excitedly about her interest in obscure music composed only for the exiled popes of the French town of Avignon in the 1300s. She explains her music's eclectic swirl of influences, saying, “Studying all this music academically made me realise that there were many parallels. There are different rules, different approaches, different aesthetics, but you can find the same heartbeat.”

Where Chenaux and Osojnik are perhaps similar is that their sets both feel in some way like people having complex and not always friendly discussions with themselves. The challenge to the audience is, as Osojnik puts it, “To wake up. To stop receiving and start seeking.”

Despite the many ways Madeiradig diverges from a traditional music festival, one way it is a traditional festival in a very real sense is in the way it creates a kind of alternate reality around its attendees. On the first day, there is a visible division between the rather intimidated-looking first-timers and the veterans who return every year, but the way the festival is organised very quickly fosters a sense of community among those present. Post-event food and after-party entertainment at the Estalagem da Ponta do Sol give us opportunities to interact, while the ritual of the coach trip to the main venue regularly hustles everyone together. During the daytime, trips into the countryside and the main town of Funchal served the dual purpose of giving us chance to bond as a group and at the same time breaking us out of the hotel-venue bubble.

And it has to be said that Madeira is an extraordinarily beautiful island, but also one in some ways strangely reminiscent of Japan. Travelling around it by road, the mountainous landscape means that you spend a lot of your time in tunnels, but finally finding our way out onto the old roads, the island’s real form revealed itself, the volcanic topography thrusting aggressively skyward, piercing the clouds, swaddled in thick vegetation, houses clinging to valleysides and farmland carved out of steep slopes, shallow, concrete-lined rivers racing seaward. Hiking along one of the crumbling ancient merchants’ roads, overlooking the ocean, one of the local Portuguese staff remarked that, “To get this beauty, you have to work for it.”

The idea that to find beauty requires effort feels just as appropriate to music as it does to a landscape. The closing night of the festival opens with the fragile, fractal violin of Canadian artist Jessica Moss, who, like many artists at Madeiradig uses loops to build layers, textures and patterns (and patterns within patterns) in her music. She is followed by a raw blast of harsh noise, delivered by Danish duo Damien Dubrovnik, who stalk the stage like models from a Mormon menswear catalogue, pummeling the theatre with sonic terror.

While Madeiradig undoubtedly wants its audience to work for the beauty it gives a stage to, there is always a danger with experimental music events in general, and exotic “destination festivals” in particular, that they put up the wrong kinds of barriers to participation. It's easy to imagine a similar event in Japan being priced far out of the ability of any but the most dedicated fans to access, and that in turn feeds the fragmentation of the music scene and contributes to the cultural hollowing-out of much of rural Japan.

Madeiradig is remarkably cheap (a festival ticket costs about ¥8,000 for four days, and the hotels are also kept very reasonable) and I don't think it's unfair to say that it would never be able to function without the arts funding model that ensures European arts aren't left solely at the mercy of the market. Rosen is aware of this situation, and adamant that an event offering difficult or unusual music needs to be as accessible as possible.

“I want to reach people who have nothing to do with music,” he explains, recounting the story of a couple from Belgium who discovered the festival because of “a booking mistake” and ended up returning every year.

“I want to make culture accessible, and this should be true not just for music but also literature, philosophy, anything,” he continues, “I make a point that at a funded festival – one that’s getting money from the government – anyone should be able to go.”

ともしび - ele-king

 シャーロット・ランプリングは笑わない。少なくともそのイメージは強い。かつて桃井かおりは自分の演技に限界を感じてイッセー尾形の元に弟子入りした際、演技することが苦しいと感じるようになった理由は「桃井かおりが桃井かおりしか演じていないから」とかなんとか言われたそうで(いまなら木村拓哉とかほとんどの役者がそうだけど)、シャーロット・ランプリングも演じる役柄に幅がなく、同じイメージを厚塗りしていくことに息苦しさを覚えたりはしないのかと心配になってしまう。「シャーロット・ランプリングは笑わない」と最初に僕が思ったのは1974年のことだった。どっちを先に観たかは忘れてしまったけれど『未来惑星ザルドス』と『愛の嵐』を立て続けに観て、表情筋がピクリとも動かない彼女の表情がそのまま海馬の奥深くに焼き付いてしまったのである。当時、色気というものを覚え始めた僕はジャクリーン・ビセットがひいきで、胸の開いたドレスを吸い込まれるように凝視していたはずなのに、45年後のいまもインパクトを保っているのはシャーロット・ランプリングの方であった(偶然にもランプリングもビセットもデビュー作は『ナック』)。『マックス、モン・アムール』ではチンパンジーと愛し合い、『エンゼル・ハート』ではあっという間に殺されてしまう占い師、最近では『メランコリア』で結婚式の雰囲気を台無しにするシーンも忘れがたい。ショービズで無表情といえば元祖はマリアンヌ・フェイスフルで、日本だとウインクなのかもしれないけれど、老齢というものが加わってきたランプリングにはそれらを寄せ付けない迫力があり、やはり説得力が違う。クイーン・オブ・ポーカーフェイスが、そして最新主演作となる『ともしび』で、またしても表情からは何ひとつ読み取らせない老女役を演じた。

 「脚本の段階、しかもオーランド・ティラドと一緒に書いた最初の一言目の段階から、シャーロット・ランプリングのことを想定していました」と監督のアンドレア・パラオロはプロダクション・ノートに記している。オープニングはちょっとびっくりするようなシーンなので、監督の言葉が本当だとしたら、ランプリング演じるアンナを常識とはかけ離れた人物という先入観に投げ込み、観客とは一気に距離を作り出したかに見える。しかも、夫は何らかの罪を犯して自ら刑務所に足を向け、何が起きているのか掴みきれないままに話は進行していくのに(以下、ある種のネタバレ)その後はひたすらミニマルな日常だけが流れていく。だんだんとアンナの行動パターンがわかってくるので、時間の経過とともに特別なことは何もなく、むしろ日常的な惰性や疲れに引きずり込まれていくだけというか。一度だけ孫に会いに行こうとして息子らしき人物に拒絶され、トイレにこもって号泣するシーンがあり、そこだけは物語性を帯びるものの、それも含めて「伏線」や「回収」とは無縁の断片化された日常の継続。新しい日が始まると、喜びはもちろん、今日も生きなければならないのかという嘆きもなく、ただ淡々と日課をこなすだけである。近年の傑作とされる『まぼろし』では夫が波にさらわれて死んでしまったことを受け入れられず、夫が生きているかのように振る舞うマリーを演じ、4年前の『さざなみ』では結婚45周年を迎えたものの、夫婦関係がゆっくりと崩壊していくことを止められないケイトを演じ、これらに『ともしび』のアンナを加えることで、いわば物理的に、あるいは心理的に「夫と離れていく妻の日常を描いたミニマル3部作」が並びそろったかのようである。どれもが女性の自立からはほど遠く、夫への依存度が高かったことが不幸を招き、3作とも自分を見失う設定になっていることは興味深い。「笑わない」というイメージから連想する「強さ」やリーダー的存在とは正反対の役どころであり、それこそランプリングは女性たちに最悪のケースを見せることで逆に何かを伝えようとしているとしか思えない。

 アンナの視界は狭い。彼女以外の視点から語られる場面はないので、何が起きているのか観客にはわからないままの要素も多い。このように「神の視点」を排除した語り口やカメラワークは近年とくに増えている。最近ではイ・チャンドン『バーニング』やリューベン・オストルンド『ザ・スクエア』にもそれは部分的に応用されていたし、『ともしび』では他の人の感情や存在感もほとんど消し去られていた。これは一見、主観的な表現のようでありながら実際にはヴァーチュアル・リアリティを模倣しているのだと思われる。あらゆるものをあらゆる角度から見渡せるといいながら、自分の視点からしか見ることができない視野の狭さがヴァーチュアル・リアリティには常に付きまとう。他の人の視点を交えることができない時に、映画というものはどのように見えるのか。こうした客観性や間主観性の排除がトレンドとなり、いわば古臭い物語でもヴァーチュアル・リアリティのような体験として蘇らせることがフォーマット化されつつあるのである。それこそスマホやSNS時代の要請なのだろう。フィリップ・K・ディックの世界と言い換えてもいい。そして、そうした方法論を最初から徹底的に突き詰めていたのがハンガリーのネメシュ・ラースロー監督であった。彼のブレイクスルー作となった『サウルの息子』(16)はホロコーストに収容されたユダヤ人の眼に映る光景だけですべてが構成され、主人公はいわば一度も客体視されず、観客が主人公となってホロコーストを「目撃」し、あるいは「体験」するという作品であった。自分の背後や周囲で起きていることが完全には把握できないことが無性に恐怖感を煽り、70年以上前のホロコーストをリアルなものへと変えていく。

 ネメシュ・ラースローの新作が公開されると知り、偶然にもハンガリーでデモが起きた当日に試写室に押しかけた。ブタベストで起きたデモは残業時間を年間250時間から400時間に引き上げるという法案が議会を通過したことに対して抗議の声が上がったもので、当地では「奴隷法」と呼ばれているものである。デモは昨年末に5日以上続き、催涙弾が飛び交う悲惨な事態となったようである(日本ではちなみに先の働き方改革法案で残業時間は年間700時間と定められた)。冷戦崩壊後のハンガリーはソヴィエト時代を嫌うあまり王政復古を望む声の高かった国である。そのことが直接的に現在の右派政権につながったかどうかは軽々に判断できないものの、ラースローが『サンセット』で描くのはそうした王政の最後、いわゆるハプスブルク家支配の末期である。ユリ・ヤカブ演じるレイター・イリスが帽子店で働こうと面接試験を受けに来るところから物語は始まる。イリスはその外見をカメラで捉えられ、客体視はされているものの、しばらく見ていると『サウルの息子』よりも少しカメラの位置が後退しただけで彼女の眼に映るものがそのままスクリーンに映し出されているものとイコールだということはすぐにわかる。ほんとにちょっとカメラの位置が後ろにズレただけなのである。イリスが働こうとする帽子店はとても高級で、どうやら王室御用達であることもわかってくる。イリスは経営者と交渉するが、その過程で彼女の家族に関する大きな秘密を明かされる。イリスは経済的に困っていただけでなく、アイデンティティ・クライシスにも陥り、いわば何もできない女性の象徴となっていく。そして、歴史が大きく動き始めたにもかかわらず、自分がどうすればいいのかはまったくわからない。当時のオーストリア=ハンガリー二重帝国がその直後にフランツ・フェルディナンドが狙撃され(サラエボ事件)、第1次世界大戦が始まることは観客にはわかっているかもしれないけれど、イリス(=ヴァーチュアル・リアリティ)が体験させてくれるものはその中で迷子になっていく市民たちであり、とっさにどれだけのことが個人に判断できるかということに尽きている。このところハンガリー映画が面白くてしょうがないということは『ジュピターズ・ムーン』のレビューでも書いたけれど、ラースロー作品にはハンガリー映画をヨーロッパ文化の中心に近づけようとする強い意志も感じられる。

 『ともしび』のアンナも『サンセット』のイリスもどちらも名もない女性である。彼女たちの内面ではなく、その視点だけを通して、この世界を見るというのが両作に共通の構造となっている。時代の転換という大仕掛けを用意した『サンセット』とは違って『ともしび』には格差社会や人種問題といったマイノリティの理屈さえ入り込む余地はなく、アンナの目に映るものは実にありふれた光景ばかりである。にもかかわらず、そのラスト・シーンで僕は心臓が止まるかと思うようなショックを受けた。映画が終わるとともにいきなりヴァーチュアル・リアリティのヘッドギアを外されたように感じたのである。

映画『ともしび』予告編

ジム・オルーク - ele-king

 ジム・オルークはいかなる音楽ジャンルもマスターできる人だと立証する必要がもっとあるとしたら、アンビエント/エレクトロニック音楽に焦点を絞った新レーベル〈ニューホェア・レーベル〉から6月にリリースされた『スリープ・ライク・イッツ・ウィンター』は確実にその証拠をもたらしてくれる1枚だ。豊かな質感を備え、ときに驚くほど耳ざわりなサウンドから圧倒的で不気味な美の感覚を作り出す音楽作品『スリープ・ライク・イッツ・ウィンター』は、パワフルで心を奪う。

 そのアルバムをライヴ・パフォーマンスへと置き換える行為には常にチャンレジが付きまとうもので、というのもライヴ会場のリスニング環境次第でその音楽経験も変化するからだ。エリック・サティが開拓しブライアン・イーノによって統合された本来のアンビエント・ミュージックは「音楽的な家具」――すなわちその聴き方に特定のモードを押し付けてこない音楽だった。しかし、数多くの観衆がひとつのホール内に囲い込まれ、立ったまま、ステージを見つめながらの状態で集団としてアンビエントのパフォーマンスを体験するというのは、そうしたライヴ環境そのものの性質ゆえに、音楽をとある決まったやり方で味わってくださいと求められることでもある。
 
 それだけではなく、2年越しでまとめられ、『スリープ・ライク・イッツ・ウィンター』を形作っていくことになった繊細にバランスがとられたテクスチャーと音の重なりとを、このライヴ・パフォーマンスがそっくりそのまま再現するはずがない。ジム・オルークのようなミュージシャンは、いったん自分の中から外に送り出してしまった作品を再び訪ねたり再構築しようという試みくらいでは満足できない、変化を求め続けるアーティストである点も考慮に入れるべきだろう。そもそも、彼のおこなったアルバムのライヴ解釈の演奏時間はCD版の倍の長さであり、ルーズな構成の中に新しいサウンドやアイディアを盛り込みつつ、それでもアルバムに備わっているのと同じ音響面での文法のいくつかはちゃんと維持している、そういう内容なのだから。

 アンビエント・ミュージックの本質はロックのリズムを否定するというものではあるが、『スリープ・ライク・イッツ・ウィンター』には特有のリズムがあり、完全な静寂の瞬間とは言い切れないものの、それにかなり近いものによって句読点を記されながら、そのリズムは満ち欠けしていく。アルバムにはキーとなるふたつの静止場面があり、そこで聴き手は可聴域のぎりぎりのところで音や振動波を探しまわることになるのだが、音楽はごく漸次的で慎重なペースでもってしか耳に聞こえるレヴェルにまでこっそりと忍び戻ってはこない。ライヴの場でも、同様に静寂がたゆたうプールふたつの存在がパフォーマンスの構成を定義するのを助けていた。それでも会場のウォール&ウォールに訪れたそうした静寂の瞬間は、スタジオに生じる漠たる静寂にはなり得ない──それは屋根で覆われたコンクリートの箱の中にめいっぱい詰まった、たくさんの押し黙った身体が懸命に息をひそめようとしている、そんな場に生まれる静けさの瞬間だ。

 音源作品としての『スリープ・ライク・イッツ・ウィンター』とオルークがしょっちゅうやっている「スティームルーム・セッションズ」のオンライン・リリースとの関係が、少なくとも同アルバムに何かしらの痕跡を残しているらしきことは、オルークが「スティームルーム」で発表されたもののいくつかはある意味『スリープ・ライク・イッツ・ウィンター』の「できそこねたヴァージョンなのかもしれない」と示唆していることからもうかがえる。今年6月にあのアルバムが発表されて以来、「スティームルーム」からは他にもう2作が浮上してきているし、これらの新音源に備わった遺伝子が、音楽をまた新たな何かに変容させつつあるという印象を抱かされる。そこから生まれるのは刻々と変化する奇妙な日没、ぼんやりとした、歪んだ「蜃気楼(Fata Morgana)」(※)が溶け出し、彼方に浮かぶサブリミナルな拍動へと組み変えていくようだ。

※筆者補遺=Fata Morganaは蜃気楼(訳者註:アーサー王物語に登場する魔女・巫女Morgan le Fay=モーガン・ル・フェイにちなみ、イタリア読みがファータ・モルガーナ。水平線や地平線上に見える船や建物などの「上位蜃気楼」を意味する)を意味する言葉だが、このパフォーマンスとも関係がある。オルークの演奏中、その背景には異星の景色っぽく見える歪曲されたヴィデオ・プロジェクションが流れていたのだが、友人はその映像の元ネタはヴェルナー・ヘルツォークの映画『蜃気楼(Fata Morgana)』(1971年)ではないかと指摘していた。


Jim O'Rourke

Live@Wall & Wall Aoyama, Tokyo
17th Nov, 2018

text : Ian F. Martin

If the world needed any further evidence of Jim O'Rourke's ability to master any musical genre, the release in June of Sleep Like It's Winter for new ambient/electronic-focused label Newhere Music provided it in spades. A richly textured piece of music that creates an overwhelming sense of eerie beauty out of sometimes surprisingly harsh sounds, Sleep Like It's Winter is a powerful and captivating album.
Turning it into a live performance was always going to provide challenges, due to the way a live listening environment changes the experience of the music. Ambient music as originally pioneered by Eric Satie and consolidated by Brian Eno was musical furniture – music that doesn't insist on a particular mode of listening. However, a large crowd of people all corralled into a hall to experience an ambient performance collectively while standing, facing the stage are by the nature of the environment being asked to consume the music in a certain way.
There's also no way a live performance is going to recreate exactly the delicately balanced textures and layers that over the course of two years combined to form Sleep Like It's Winter, and you've got to guess a musician like Jim O'Rourke is too restless an artist to be satisfied attempting to revisit or recreate a work he has already got out of his system. For a start, his live interpretation of the album is twice as long as the CD, incorporating new sounds and ideas into a loose structure that nevertheless retains some of the same sonic grammar as the album.
While the nature of ambient music is that it rejects the rhythms of rock music, Sleep Like It's Winter has a particular rhythm of its own, waxing and waning, punctuated by moments of, if not exactly silence, then something quite like it. The album features two key moments of stillness, where your ears are left to hunt for tones and frequences at the very edge of your hearing, the music creeping back into the audible range at only the most gradual and deliberate pace. Live, two similar pools of silence help define the structure of the performance, although at Wall & Wall, these moments cannot be the silence of the studio: they are the silences of a high-ceilinged concrete box filled to capacity with quietly shuffling bodies, trying not to breathe.
The relationship between the recorded form of Sleep Like It's Winter and O`Rourke`s frequent Steamroom Sessions online releases appears to have left at least some mark on the album, with O'Rourke suggesting that some of the Steamroom releases might be in part “failed versions” of Sleep Like It's Winter. Since the album's release in June, two more Steamroom releases have emerged, and it feels like the DNA of these new recordings has gone to work mutating the music into something new. The result is an ever-shifting alien sunset, a blurred, distorted Fata Morgana dissolving and reformulating to a distant, subliminal pulse.

The reference to "Fata Morgana" is maybe a bit difficult to translate. Of course the phrase has a meaning in relation to optical illusions and visual distortions in the atmosphere. However, it's also relevant to Jim's performance. While he was playing, there was a distorted video projection of what looked like an alien landscape, and I was talking to a friend about it who thought it looked like the original clip was from the Werner Herzog documentary movie called "Fata Morgana" . I don't know how you'd translate that, but there is a kind of double-meaning in the phrase.

追悼 ピート・シェリー - ele-king

 近頃はみんながハッピーだ
 僕たちはみんなそれぞれのインスタグラムでポップ・スターをやっていて、最高に楽しそうな、もっとも自己満足できるヴァージョンの自らのイメージを世界に向けて発している。僕たちは文化的なランドスケープの中を漂い、愉快そうでエッジがソフトな人工品に次から次へと飛び込んでいく。そこでは硬いエッジに出くわすことはまずないし、蘇生させてくれる一撃の電気を与えることよりもむしろ、締まりのない、無感覚なにやけ笑いを引き起こすのが目的である音楽に自分たち自身の姿が映し出されているのに気づく。

 近頃では、バズコックスにしてもポップ・カルチャーのほとんどに付きまとう、それと同じ麻痺した喜びのにやけ顔とともに難なく消費されかねない。ノスタルジーの心あたたまる輝き、そして40年にわたって続いてきたポップ・パンクのメインストリーム音楽に対する影響というフィルターを通じてそのエッジは和らげられてきた(AKB48の“ヘビーローテーション”はバズコックスが最初に据えた基盤なしには生まれ得なかったはずだ、とも言えるのだから)。ピート・シェリーとバズコックスはファンタスティックなポップ・ミュージックの作り手だったし、その点を称えるに値する連中だ。

 だがもうひとつ、ポップ・ミュージックはどんなものになれるかという決まりごとを変えるのに貢献した点でも、彼らは称えるに値する。ザ・クラッシュとザ・セックス・ピストルズの楽曲が、それぞれやり方は違っていたものの、怒りや社会意識と共に撃ち込まれたものだったのに対し、バズコックスは60年代ガレージ・ロックの遺産を労働者階級系なキッチン・シンク・リアリズムの世界へと押し進め、十代ライフのぶざまさを反映させてみせた。彼らのデビュー作『スパイラル・スクラッチEP』に続くシングル曲“オーガズム・アディクト”は自慰行為の喜びを祝福するアンセムだった(同期生のジ・アンダートーンズも同じトピックをもうちょっとさりげなく歌ったヒット曲“ティーンエイジ・キックス”で好機をつかんだ)。そのうちに、ハワード・ディヴォートがマガジン結成のためにバンドを脱退しシェリーがリード・ヴォーカルの座に就いたところで、“ホワット・ドゥ・アイ・ゲット?”や“エヴァー・フォールン・イン・ラヴ(ウィズ・サムワン・ユ―・シュドゥントヴ)”といった歌では欲望というものの苦痛を伴う複雑さを理解した音楽作りの巧みさを示すことになった。

 バズコックスだけに焦点を絞るのはしかし、ピート・シェリーの死を非常に大きな損失にしている点の多くを見落とすことでもある。バンド結成の前に、彼はエレクトロニック・ミュージックで実験していたことがあり、その成果はやがてアルバム『スカイ・イェン(Sky Yen)』として登場した。そして1981年にバズコックスが解散すると、彼はシンセサイザーに対する興味と洗練されたポップ・フックの技とを組み合わせ、才気縦横でありながらしかしあまり評価されずに終わったと言えるシンセポップなソロ・キャリアを、素晴らしい“ホモサピエン”でキック・オフしてみせた。

 シェリーはバイセクシュアルを公言してきた人物であり、概して言えば満たされない欲望やうまくいかずに終わった恋愛といった場面を探ってきたソングライターにしては、“ホモサピエン”でのゲイ・セックスの祝福は一見したところ彼らしくない直接的なものという風に映った。ここには事情を更に複雑にしている層がもうひとつあり、それは当時の一般的な英国民が抱いていたホモセクシュアリティは下品で恥ずべきものという概念を手玉にとる形で、シェリーがホモセクシュアリティを実に喜ばしいロマンチックなものとして描写した点にあった。言うまでもなくBBCは躍起になってこの曲を放送禁止にしたしイギリス国内ではヒットすることなく終わったが(アメリカではマイナーなダンス・ヒットを記録した)、ブロンスキー・ビートやザ・コミュナーズといったオープンにゲイだった後続シンセポップ・アクトたちは少なくともシェリーに何かを負っている、と言って間違いないだろう。
 
 ピート・シェリーはポップ・ミュージックのフォルムの達人であったかもしれないが、我々アンダーグラウンド・ミュージック・シーンにいる連中にとって、彼の残した遺産そのものもそれと同じくらい重要だ。『スパイラル・スクラッチEP』はその後に続いたDIYなインディ勢の爆発そのものの鋳型になったし、ミュージシャンがそれに続くことのできる具体例を敷いたのは、もっと一時的な華やかさを備えていてポリティカルさを打ち出したバズコックスの同期アクトがやりおおせたことの何よりも、多くの意味ではるかに急進的な動きだった。その名にちなんだ詩人パーシー・ビッシュ・シェリーのように、ピート・シェリーもまたラディカル人でロマン派だったし、彼の影響は深いところに浸透している。

R.I.P. Pete Shelley

text : Ian F. Martin

Everybody’s happy nowadays.
We’re all pop stars of our own Instagram accounts, projecting the happiest, most self-actualised version of ourselves out to the world. We drift through a cultural landscape, bouncing from one cheerfully soft-edged artefact to another without encountering any hard edges, finding ourselves reflected in music whose goal is to induce a slack, anaesthetic grin rather than a resuscitating jolt of electricity.
Nowadays, Buzzcocks can be comfortably consumed with the same slack grin of numb enjoyment that accompanies most pop culture, the warm glow of nostalgia and the filter of 40 years of subsequent pop-punk influence on mainstream music softening its edges (AKB48’s Heavy Rotation could arguably never have existed without The Buzzcocks having first laid the foundations). Pete Shelley and The Buzzcocks made fantastic pop music and deserve to be celebrated for that.

However, they also deserve to be celebrated for helping change the rules for what pop music could be. While The Clash and The Sex Pistols’ songs were, in their own differing ways, both shot through with anger and social consciousness, Buzzcocks pushed the legacy of ‘60s garage rock into the realm of kitchen- sink realism, reflecting the awkwardness of teenage life. Orgasm Addict, which followed their debut Spiral Scratch EP, was a celebratory anthem about the joys of masturbation (contemporaries The Undertones made hay from the same topic slightly more subtly in their hit Teenage Kicks). Meanwhile, as Shelley settled into the role of main songwriter following Howard Devoto’s departure to for Magazine, songs like What Do I Get? and Ever Fallen In Love (With Someone You Shouldn’t’ve) showed a knack for music that recognised the tortured complexities of desire.
Focusing only on Buzzcocks misses a lot of what made Pete Shelley’s death such a loss though. Prior to the band’s formation, he had experimented with electronic music, the results of which eventually appeared as the album Sky Yen, and following his band’s dissolution in 1981, he combined his interest in synthesisers with his knack for sophisticated pop hooks, kicking off a brilliant if underappreciated synthpop solo career with the magnificent Homosapien.

Shelley was openly bisexual, and for a songwriter who typically sought out moments of frustrated desire and love gone wrong, Homosapien was on the face of it uncharacteristically direct in its celebration of gay sex. The complicating layer here lay in the way Shelley played with the British public’s perception at that time of homosexuality as something tawdry and shameful by depicting it in such joyous and romantic terms. Obviously the BBC fell over themselves to ban it and it was never a UK hit (it was a minor dance hit in America) but the subsequent success of openly gay synthpop acts like Bronski Beat and The Communards surely ows at least something to Shelley.
Pete Shelley may have been a master of the pop music form, but for those of us in the underground music scene, his legacy is just as important. The Spiral Scratch EP was the template for the whole DIY indie explosion that followed and as an example for musicians to follow was in many ways a more radical move than anything Buzzcocks’ more flashily political contemporaries managed. Like the poet Percy Bysshe Shelley, from whom he took his name, Pete Shelley was a radical and a romantic, and his influence runs deep.

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