「LV」と一致するもの

 ソニック・ユースといえば『デイドリーム・ネイション』というくらい、このアルバムは彼らを代表する。5枚目のスタジオ・アルバムで、〈エニグマ・レコーズ〉から1988年にダブル・アルバムでリリースされ、彼らがメジャー・レーベルにサインする前の最後のレコードである。

 『デイドリーム・ネイション』は1988年の最高傑作として批評家から幅広い評価を得ているように、オルタナティヴ、インディ・ロックのジャンルへ多大な影響を与えた。2005年には、議会図書館(DCにある世界で一番大きい図書館)にも選ばれ、国立記録登録簿に保存されている。2002年にはピッチフォークが1980年代のベスト・アルバムとして、『デイドリーム・ネイション』をNo.1に選んでいる。代表曲は“Teen Age Riot”、“Silver Rocket”、“Candle”あたりで、ノイジーで攻撃的な音が生々しく録音されている。私は、オンタイムより遅れてこのアルバムを聴いたが、何年経っても自分のなかでのソニック・ユースはこのアルバムで、 NYに来て、リキッドスカイに行って、X-Girlで働きはじめたぐらい、彼らからの影響は多大なのである。

 その『デイドリーム・ネイション』が今年で30周年を記念し、映画上映がアメリカ中で行われている。

 10/20にポートランドでスタートし、シアトル(10/22)、LA(10/23)、 SF(10/24)と来て、オースティン(11/12)、デトロイト(11/13)、フィラデルフィア(11/18)。ブルックリンは11/19で、4:30 pmと9:30 pmの2回上映だったが、どちらもあっという間にソールドアウト。私は、4:30pmの最後のチケットを取った。その後は、ミネアポリス(11/20)、アトランタ(11/21)と続くが、12/8、9にも追加上映があるらしい。
 すべての上映には、監督のランス・バングスとソニック・ユースのドラマーのスティーヴ・シェリーがQ&Aで参加し、ブルックリンの上映では特別にソニック・ユースのギタリスト、リー・ラナルドと写真家のマイケル・ラビンが加わった。リーは、ブルックリンでのショーがその2日後(11/21)に、続き12/1、ニューイヤーズデイと発表されたので、そのプロモートもあるのだが。

 まず、『デイドリーム・ネイション』がリリースされた1988年ごろのワシントンDCの9:30でのライヴ映像が上映される。
 そして監督ランス・バングスの挨拶。続いてチャールス・アトラスの1980年代のNYダウンタウン・ミュージック・シーンに焦点を当てた、1989年の映画『Put Blood In The Music』が上映され、グレン・ブランカ、リディア・ランチ、ジョン・ケージ、クリスチャン・マークレイ、クレーマー、ジョン・ゾーン、そしてソニック・ユースなど、NYのダウンタウン・ミュージックを代表するアーティストたちのコラージュ映像が紹介され、さらに初期ソニック・ユースのレア映像、リハーサル・シーンやインタヴュー(with 歴代ドラマー)が上映される。これだけで、気分は80年代にタイムトリップである。歴代ドラマーのコメントがまた可笑しかった。「彼らはノイズを出したいだけなんだ」と。

 ランス監督とSYドラマー、スティーヴ・シェリーのトークでは、彼がどのようにSYでプレイすることになったか、曲作りについて(歌詞の内容を尋ねたことがあるか、誰がヴォーカルを取るなどはどうやって決めているのか、アルバムごとの違いなど)、突っ込んだ質問が降りかかっていたが、流れはスムーズ。途中で「遅れてごめん!」とトートバッグを持ったリー・ラナルドが登場し、さらに写真家のマイケル・ラビンが加わると、トークは右から左に炸裂しはじめた。

 マイケルのプレスフォトのシューティングの様子が、スクリーンの地図上に写し出されると(マイケルのアパート→ウォールStの近くでバンドに会い→ブルックリン・ブリッジ→キャナルSt→サンシャイン・ホテル→トゥブーツピザ)と、リー・ラナルドは、その写真を自分のiPhoneでバシバシ撮りはじめ(笑)、「サンシャイン・ホテルなんて覚えてないなー」など、写真ひとつひとつについての思い出話をはじめた。リーとマイケルのよく喋ること!
 そして話は、『デイドリーム・ネイション』の再現ショーの話になり、ソニック・ユースはいつも新しいアルバムをプレイするのが好きなので、最初は断っていたがようやくOKし、2007~2008年にいくつかの再現ショーをおこなった。野外が多かったのだが(私は2008年のバルセロナでのショーを見た)、そのなかでもレアな室内ショーのひとつ、グラスゴーでのショーをマイケルが撮影し、その模様を最後に上映。20年後の彼らを見るのはつい最近な気がしたが、これはいまから10年も前なのだ。日が流れたのを感じる。
 この日来ていたお客さんは、『デイドリーム・ネイション』をオンタイムで聞いていた層だろうし(隣の男の子は、ライヴ映像になるたびに一緒に歌っていた)、30年前にニューヨークで起こっていた映像を見るのはさすがに感慨深い。映像として残しておくものだなあ、と。映画館の外では、今回の記念レコード盤(マイケルが撮影したポスター付き)が、リーとスティーヴから(CDは売り切れ。もうレコードしか残っていなかったが)直接購入できた。日本で上映されるのも遠くないと思うが、みずみずしい80年代NYの詰まった映像と、いまでも新しい『デイドリーム・ネイション』は、こうやって引き継がれていくのだろう。

Yoshino Yoshikawa × ONJUICY - ele-king

 これはおもしろい。〈Maltine Records〉からのリリースもあるプロデューサーの Yoshino Yoshikawa と、グライム~ベース・ミュージックを軸にしつつジャンルレスに活躍の場を広げているMCの ONJUICY が11月7日にコラボレーション・シングルをドロップ。ゲーム音楽由来の電子音とグライムをポップにかけあわせた“RPG”は繰り返し聴きたくなる1曲です。要チェック。

RPG - Yoshino Yoshikawa with ONJUICY
〈Maltine Records〉や〈ZOOM LENS〉でのリリースや、FPM、東京女子流、南波志帆を始めとするアーティストへのRemixを提供する等、Ultrapopを提唱し根強いファンを持つプロデューサー「Yoshino Yoshikawa」と、気鋭UKベース・ミュージック・レーベル〈Butterz〉からのリリースや、最近ではアジアからイギリスをめぐるツアーを成功に収め、mixmagやHypebeastに取り上げられる等、多方面に活躍するMC 「ONJUICY」とのコラボレーション・シングル「RPG - Yoshino Yoshikawa with ONJUICY」が2018/11/7にリリース! 本楽曲はYoshino Yoshikawaが得意とするゲーム・ミュージックからも多く影響を受けたエレクトロニックな質感のサウンドと、Grimeの基礎であるBPM 140をベースにポップにアレンジされた表題曲“RPG”と、爽やかなシンセが印象的且つグルービーな仕上がりとなっている“Green Hill”の2曲が収録されている。また、ジャケットには、 ロンドンを拠点とし、エルメスやコンバース、ビームズ等でも作品を提供しているアートレーター 「Charlotte Mei」が担当している。

RPG - Yoshino Yoshikawa with ONJUICY
1. RPG
2. Green Hill
2018年11月7日 17:00 (日本標準時) 配信開始

価格 : 3 USD
Bandcamp : https://yosshibox.bandcamp.com/album/rpg-ep
Apple Music : https://itunes.apple.com/jp/artist/383575881
Spotify : https://open.spotify.com/artist/21T30ALYp9IYZlvhnGLeos?si=vpWj0kAyR_qIU5kmrZYJQg

Yoshino Yoshikaw
東京在住のプロデューサー。Ultrapopを提唱し、ダンス・ミュージックからポピュラー・ミュージック、アニメやゲーム・ミュージックまで幅広い領域をカバーした楽曲を、ソフトウエアと共にシンセ、ガジェットを駆使しフラットな電子音楽的質感に落とし込む作風は国内外に根強いファンを持ち、これまで東京の〈Maltine Records〉やLAを拠点とする〈ZOOM LENS〉といったレーベルから複数のEP、LPをデジタル・リリース。これまでに、FPM、東京女子流、南波志帆などのアーティストにRemixを提供する一方で、音楽ゲーム「maimai」シリーズや、アニメ『きんいろモザイク』のキャラクターソング提供なども行った。2017年には初となる海外ライブを韓国Cakeshopで行い、盛況のうちに終了。英字新聞The Japan Timesや、OWSLA主催のメディア「NEST HQ」にも記事掲載あり。来年には初となるフィジカル・リリースも計画中。ライブ出演多数。

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ONJUICY
Grime・Bass・Hip Hopを中心としつつも、ジャンルレスに活動するMC。たまたま遊びに行っていたGrimeのパーティをきっかけに、2015年からMCとしてのキャリアをスタート。最近では、〈TREKKIE TRAX〉からCarpainterに続き、Maruとの楽曲に加え、UKを拠点とする気鋭ベース・ミュージック・レーベル〈Butterz〉からRoyal - Tとのコラボレーション楽曲を発表。上海/香港/ロンドンを拠点とするパーティ・コレクティブYETIOUTからリリースされた「Silk Road Sounds」に参加し、Hypebeastやmixmagに取り上げられる等、世界からも注目を集める。また、新木場ageHaにて開催されている「AGEHARD」でのアリーナMCや、ULTRAを始めとするフェスへの出演、イベント/ラジオ番組でのMC、イベントのレジデント等、その活動は多方面に渡る。Grime MCとしては、BOILER ROOMによる「Skepta Album Launch」や「JP Grime All-Stars」、「Full Circle: Grime In Japan」への出演から名が知られる様になり、英国雑誌mixmagへ、インタビューの掲載もされた。2018年にはロンドン、バンコク、中国へのツアーを実施。国内外多数のアーティストとのコラボレーション楽曲やアルバム・リリースも控えている。持ち前のフットワークを活かした、らしさ溢れるMCはジャンルを問わず様々なビートを乗りこなし、フロアを最高の空間へと導いてくれる。

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TREKKIE TRAX CREW - ele-king

レーベル6周年イベントに向けた10曲

TREKKIE TRAX 6th Anniversary

2018年10月26日(金)23:00~5:00
Glad & Lounge Neo

【価格】
前売り 3,000円(1D別)/当日 3,500円(1D別)

【出演者】

■Glad
813 (From Russia)
TENG GANG STARR
Amps
Carpainter (Live)
Cola Splash
gu2
iivvyy
Masayoshi Iimori
Ryuki Miyamoto
TREKKIE TRAX CREW

■LOUNGE NEO
Elevation (From USA)
Hojo b2b Persona (From Taiwan)
EGL
has
isagen
HAKA GANG
Native Rapper
Maru feat. Onjuicy
Miyabi

■Lounge: TREKKIE TRAX : Branch
Allen Mock
FIREMJ.
fuishoo
Herbalistek
kai shibata
niafrasco
Oyubi
UTAKICHI
Zepto

VJ : mika / Rio / hyahho
Photo : Toshimura
Food : 新宿ドゥースラー

【プロフィール】
TREKKIE TRAX CREW

TREKKIE TRAXは2012年に日本の若手DJが中心となり発足したインディーレーベルである。
これまでのテンプレートに囚われない様々な音楽を世界に向けて発信することを指針とし、全国各地で活動しているトラックメーカーとともに楽曲リリースを行っている。

レーベル発足よりこれまで50作品を超えるリリースをリリースし、その楽曲のクォリティの高さは日本だけでなく、世界中から賞賛を受けている。
これまでSkrillex, Diplo, Major Lazer, Porter Robinson, Mija, RL Grime, Djemba Djemba, Carnage, Wave Racerなど名だたるDJ達からサポートを受けており、2015年に開催されたULTRA JAPAN 2015ではメインフロアにて多くの楽曲がプレイされるだけでなく、レーベルから2名のアーティストが出演した。

またレーベルの総決算としてリリースされた「TREKKIE TRAX THE BEST 2012-2015 (CD)」が世界最大の音楽メディア「Pitchfork」へレビュー掲載されスコア【7.2】を獲得するほか、Skrillexが主宰する「NEST HQ」での特集記事やMini Mixのリリース、LuckyMe Recordsがホストを務めるRinse.fmのプログラムでのレーベルが特集ほか、「BBC Radio 1Xtra」や「Triple J Mix Up」でも楽曲がプレイされるなど各国のメディアに大きく取り上げている。

2016年にはレーベルのコアアーティストと共に3都市6公演のアメリカツアーを成功させるほか、Porter Robinson & Madeon - Shelter Live Tourのアフターパーティーにも出演を果たした。
他にもアメリカ・テキサス州で開催された「South by Southwest 2016」への出演やPC Music、Lido、DJ Paypal、Muchinedrum、Addison Groove、DJ Sliinkなどその他多くのアクトの海外公演のサポートを務めるほか、アメリカ・中国・韓国などでもツアーを行い多くの世界中のファンを熱狂させている。

日本国内ではm-floのTaku Takahashiが局長を務める日本最大のクラブミュージックインターネットラジオ「Block.fm」にてクルーのandrew, Carpianter, Seimeiによる「Rewind!!!」のホストを務める。
またHyperdub Label Showcaseへの出演を筆頭とする来日アクトのサポートや、Nina Las Vegas、Lucky Me Records所属のJoseph MarinettiやDeon Customのアジアツアーの主催、自身のレーベルの全国ツアーなど積極的に自主企画を行うほか、アパレルブランド「THE TEST」のコラボなどその精力的な活躍は今後の日本のユースシーンを牽引する今最も注目すべきレーベル、DJ集団と言える。

https://soundcloud.com/trekkie-trax
https://twitter.com/trekkietrax
https://www.trekkie-trax.com/

はてなフランセ - ele-king

 みなさんボンジュール。
 今日は昨今フランスの音楽業界で話題をさらっている兄妹をご紹介したく。
 日本の芸能界でも芸能一家は多いが、フランスでも芸能一家は結構いる。筆頭はジェーン・バーキンとその子供たちだろうか。セルジュ・ゲンズブールとの娘シャルロット・ゲンズブール、映画監督ジャック・ドワイヨンとの娘ルー・ドワインヨン。フランスのプレスリーと言われたジョニー・アリデイとその子供たちもこちらでは大メジャー。歌手シルヴィ・ヴァルタンとの息子で、父の路線を継ごうと頑張る(が大変微妙な)歌手ダヴィッド・アリデイ、実力派女優ナタリー・バイとの娘で女優のローラ・スメット。日本でもそれなりに地名度のある俳優ヴァンサン・カッセルの父は、フランスでは有名な俳優だったジャン=ピエール・カッセルで、妹はホリシーズという名義で歌手をやっている。階級&コネ社会のフランスでは、親のコネ&階級が物を言う。両親が業界人であれば、親に連れられて撮影現場やステージなどにも親しんでいる。それに名付け親が業界の大物だったりすることも多い。そのような環境に育った子供たちには、千載一隅のチャンスを頼りにオーディションを受けたりするより業界に入るチャンスも回って来やすいというもの。本日の主役のふたり、兄でラッパーのロメオ・エルヴィスと妹で歌手のアンジェルも芸能一家出身だ。一家はベルギー人なので厳密にはフランスの芸能一家ではないし、それほど有名でもないが、父がミュージシャン、母が女優の家庭だそう。それほど有名ではないとはいえ、フレンチ・ラップの伝説MCソラーは父の仕事仲間で、家族ぐるみの友人でもあるらしいので、立派な業界人と言えよう。
 では兄のロメオ・エルヴィス(25歳)のことをまず。このコラムでもフレンチ・ラップのことを度々取り上げているが、フランスではここ数年ラップがシーンの最重要ジャンルとなっている。そしてなかにはフランス語圏のベルギー勢も多い。そのなかでも思春期の子供から大人やインテリにも評価を得ているひとりがロメオ・エルヴィスだ。大人は眉をしかめるバカ&マッチョ&下品路線のコドモ向けラッパーたちとは違い、ウィード系でひねったユーモアに満ちたロメオ・エルヴィスの世界観は、評論家にも受けがいい。

Roméo Elvis x Le Motel - Nappeux ft. Grems

 このかっこいいんだか悪いんだかわからないMCネームは実は本名だ。ロメオはファースト・ネームでエルヴィスはミドルネーム。業界人か音楽好きの田舎者が付けそうなキラキラネームだ。そこそこ男前だが、それよりもダルダルな雰囲気と自虐ネタの方が目につく。ロメオ要素もエルヴィス要素もあまりないロメオ・エルヴィスは、本名であるそのMCネームとのギャップがインパクトを与えている。とはいえ、フランスではitモデルになりつつあるガール・フレンド、レナ・シモンとのイチャイチャをインスタグラムで披露しまくるあたりはロメオ感が出ているかもしれないが。この色男がラップを始めたきっかけは、美大の学生時代に友達のLe Motelにビートを作ってもらったところから。2013年には初のEPをリリース。ベルギーでは、同じブリュッセルのバンド、l’Or du Commun(ロール・デュ・コマン)にフィーチャーされたりして少しずつ注目を集め始めたが、2016年までラップ1本で食べていくことはできなかった。スーパー・カルフールのレジ係のバイトを辞めたのは2016年になってから。ここフランスでは2017年リリースの「Moral 2」あたりから注目され始めた。2017年は小さなものから大きなものまでフェスを制覇し、今年の11月に行われるパリの殿堂オランピア劇場でのライヴはすでにソールド・アウトだ。
 対する妹のアンジェル(22歳)は、音楽学校でジャズ・ピアノを習った後、パパのバンドに参加したり、ブリュッセルのカフェでライヴを行ったりして音楽の道へ。お兄ちゃんの曲に参加するなどしてバズった後、2017年10月に発表した最初のオリジナル曲「La Loi de Murphy(マーフィーの法則)」が、youtubeでいきなり100万ビュー超え(現在は1200万ビュー超え)を獲得した。

 徹底的についてない1日を、キュートでポップで間抜けに歌う。この肩の力の抜け具合と自虐ネタは兄妹ふたりの共通要素だ。「道を聞いて来たから親切に教えてあげたら、ヘタクソなナンパだった。バカのせいでトラム(路面電車)に乗り遅れた。ばあちゃんに銀行の順番譲ってあげたらクッソ時間かかるし。セキュリティドアに押し込んで閉じ込めりゃよかった」と絶妙なあるあるネタに、適度な毒舌が織り込まれている。金髪のかわい子ちゃんと毒舌と自虐。黄金のトライアングルである。続くシングル「La Thune(カネ)」では「みんなカネのことばっか考えてる。カネにしか勃たない。インスタに写真載せなきゃ。じゃなきゃなんで撮んの? でもそれってなんのため? 結局独りぼっちなくせに。人がどう思ってるかばっかり気にして」とSNSに振り回される虚しさをディスった後に「でもほんとはあたしもそのひとり」と自分を落とすことも忘れていない。こちらも現在600万ビュー超え。この2曲の大ヒットでアンジェルは2018年の夏フェスを制覇した。妹はお兄より歩みが早い。そのロメオ兄ちゃんとのデュオをドロップしてすぐ、つい先日待望のファースト・アルバムをリリースした。

Angèle feat. Roméo Elvis - Tout Oublier

 おそらく子供の頃から絶対美形だったはずなのに、前歯の抜けたブサイクな幼少期写真をジャケットにしたセンスはさすがだ。
 フレンチ・ポップ、シャンソンにはいくつかのパターンがある。例えばエディット・ピアフ・タイプ。歌唱力高く情念たっぷりに愛の歌を歌う。スタイルはアップデートされているが2018年現在もこれは健在。次にジェーン・バーキン型。センスあるプロデューサーが作り上げた、歌はへたっぴだが雰囲気は抜群のパリジェンヌ。そして日本でも80年代に少し名前の売れたリオのパターン。奇抜で突拍子も無いエキセントリックなポップがこのタイプ。自らのアートを突き詰めて誰も追いつけないところまでいく、アヴァンギャルドの女王、ブリジット・フォンテーヌもいる。もちろんそれらの型に必ずしも当てはまらないけれど、王道フレンチ・ポップ感を漂わせるアーティストもいる。だがアンジェルは、フレンチ・ポップの王道からあえてズレてDIY感を前面に出すことで、いまっぽさを強く印象付けたのだ。それこそが、彼女を2018年フレンチ・ポップ界のど真ん中にライジングスターとし押し出した要因だ。このパリジェンヌ幻想を一切寄せ付けない新世代フレンチ・ポップや、ダルダルでスモーキーなフランス語ラップが、日本で受ける日が果たして来るのだろうか。そんなことになったら、個人的にはとっても面白いと思うのだが。

Thomas Fehlmann × The Field × Burnt Friedman - ele-king

 これはすごい。UNITを拠点に展開してきた《UBIK》が新たなイベントを始動します。名付けて《LIVE IN CONCERT》。記念すべき第1回は、驚くなかれ、トーマス・フェルマン、ザ・フィールド、バーント・フリードマンの共演です。エレクトロニック・ミュージックの巨星たちが一堂に会するこの夜、見逃す理由がありません。11月2日の金曜は代官山 UNIT で決まりですね。

ubik presents
LIVE IN CONCERT
featuring
THOMAS FEHLMANN (KOMPAKT)
THE FIELD (KOMPAKT)
BURNT FRIEDMAN (NONPLACE / RISQUE)
produced by UNIT / root & branch

都内屈指のライヴ・ヴェニューである代官山UNITを拠点とするエレクトロニック・ミュージック・イベント《UBIK》が提起する新たなライヴ・イベントがスタート、その名もずばり《LIVE IN CONCERT》。記念すべき第一回目の出演者は、伝説のニューウェイヴ・バンド Palais Schaumburg からキャリアをスタート、盟友 Moritz von Oswald とデトロイト~ベルリンの架け橋としてベルリン・テクノ・シーンの礎を築き、The Orb の頭脳として数々のマスターピースを生み出したマエストロ Thomas Fehlmann が8年振りとなるソロ・ライヴで日本へ帰還。シューゲイズ・テクノと称されメロディアスでオーガニックなサウンドはロック・ファンからも熱烈に支持され、EUダンス・ミュージック・シーンの屋台骨を支える〈KOMPAKT〉を代表するアーティスト The Field は、Live A/V Set で参戦。Thomas Fehlmann は『Los Lagos』、The Field は『Infinite Moment』と共にニュー・アルバムを引っ提げての来日です。更に、Atom™ との Flanger、CAN の伝説的ドラマー Jaki Liebezeit との Secret Rhythms など様々なアーティストとのコラボレーションで常に斬新かつ独特なサウンドでエレクトリック・ミュージックをアップデイトする鬼才 Burtn Friedman が、昨年の来日でも大好評だった 7ch サラウンド・ライヴを披露します。以上3アーティストが出演する《LIVE IN CONCERT》は、数多のエレクトロニック・ミュージック・イベントに一石を投じる正に試金石となることでしょう、お楽しみ下さい!

11.2 fri 東京 代官山 UNIT
Open 18:30 Start 19:30
¥4,000 (Advance) 別途1ドリンク制
Information: 03-5459-8631 (UNIT) www.unit-tokyo.com
Ticket Outlets (Now on Sale): PIA (131-608), LAWSON (74473), e+ (eplus.jp), diskunion CLUB MUSIC SHOP (渋谷, 新宿, 下北沢), diskunion 吉祥寺, TECHNIQUE, JET SET TOKYO, clubberia, RA Japan and UNIT

【関連公演】
11.4 sun 大阪 心斎橋 CONPASS
Live: THOMAS FEHLMANN (KOMPAKT), THE FIELD (KOMPAKT)
*BURNT FRIEDMAN (NONPLACE, RISQUE) の出演はございません。
DJ: Dr.masher (Mashpotato Records)
Open / Start 18:00
¥3,500 (Advance) 別途1ドリンク制
Information: 06-6243-1666 (CONPASS) www.conpass.jp
Ticket Outlets (Now on Sale): PIA, LAWSON, e+ (eplus.jp)
メール予約: mailticket@conpass.jp に件名11/4予約にてフルネーム・枚数を送信

THOMAS FEHLMANN (KOMPAKT)
スイス生まれ。1979年にドイツのハンブルグで Holger Hiller や Moritz von Oswald と共に伝説のニューウェイヴ・バンド Palais Schaumburg を結成。バンド解散後、ソロ活動を開始。盟友 Moritz von Oswald とのプロジェクト 2MB、3MB でデトロイト・テクノのオリジネーター Blake Baxter や Eddie Fowlkes や Juan Atkins と邂逅、デトロイト~ベルリンの架け橋としてベルリン・テクノ・シーンの礎を築いた。その後、The Orb の長年のコラボレーション・メンバーとして積極的にリリースに関わる。ソロ作品は伝説のテクノ・レーベル〈R&S〉などからリリースを重ね、2002年に〈KOMPAKT〉から『Visions Of Blah』、2004年に〈Plug Research〉から 『Lowflow』、2007年に〈KOMPAKT〉に帰還して『Honigpumpe』、ベルリンのドキュメンタリーTV番組『24h Berlin』のサウンド・トラックを担当、そこに書き下ろされた作品を中心に編纂された『Gute Luft』を2010年にリリースした。2018年4月にデトロイト・テクノの雄 Terrence Dixon とのコラボ・アルバム『We Take It From Here』を名門〈Tresor〉からアナログのみでリリース。そして、満を持して8年ぶりとなるソロ・アルバム『Los Lagos』を本年9月にリリースした。彼の真骨頂と言える重厚でダビーなテクノ作品“Löwenzahnzimmer”からヒプノティックなトリッキー・テクノ“Window”、マックス・ローダーバウアーをフィーチャーした90年代テクノを彷彿とさせるユニークな“Tempelhof”などデビューから30年以上を経ても彼のテクノ・ミュージックへの探求心が冴えまくる、全テクノ・ファン注目のニュー・アルバムとなっている。アーティスト活動のみならず、Thomas Fehlmann がドイツのクラブ・シーンに貢献した功績は非常に大きい。

THE FIELD (KOMPAKT)
〈KOMPAKT〉を代表するアーティスト、The Field。2007年にリリースされたファースト・アルバム『From Here We Go Sublime』が Pitchfork で9.0の高評価を獲得、同年のベスト・テクノ・アルバムとして世界中で高い評価を獲得した。そのサウンドは〈KOMPAKT〉らしいミニマルなビートにメロディアスでオーガニックなシンセ・サウンド、細かくフリップされたボイス・サンプルを多用しテクノ・シーンでも異彩を放つ彼独特のサウンドで世界中の音楽ファンを魅了している。2009年にセカンド・アルバム『Yesterday & Today』をリリース、バトルスのドラマー、ジョン・スタニアーが参加、前作以上に生楽器を取り入れオーガニックでメロディアスなサウンドを展開、より幅が広がった進化した内容となっている。2011年10月にサード・アルバム『Looping State Of Mind』を発表、翌2012年にはフジロックへ初参戦し深夜のレッドマーキーで壮大なライヴを披露しオーディエンスを熱狂させた。2013年、デビュー・アルバム以降7年間続いたバンド・スタイルでのライヴ活動に終止符を打ち、ベルリンの自宅スタジオでファースト・アルバム以来の初となるソロ・プロジェクトとなる4作目のアルバム『Cupid 's Head』を完成させ話題を集め、Pitchfork では BEST NEW MUSIC に選出された。その後も Battles, Junior Boys, Tame Impala 等のリミックスを手掛け、インディ・ロック・シーンでも注目を集める。2016年4月に5作目となる最新作『The Follower』をリリース。そして、本年9月通算6作目のフル・アルバム『Infinite Moment』をリリースしたばかりである。本作品はユーフォリックな多幸感に満ち溢れ、リスナーのイマジネーションを掻き立てるこれまでで最も幻想的な印象の作品に仕上がっている。

BURNT FRIEDMAN (NONPLACE / RISQUE)
ドイツを拠点に約40年に渡るキャリアを誇る Burnt Friedman。カッセルの美術大学で自由芸術を専門に学び、卒業後80年代後半には音楽の道へ傾倒。常に斬新かつ独特なサウンドでエレクトリック・ミュージックをアップデイトしてきた鬼才である。これまで自身名義の作品の他、Atom™ との Flanger、Steve Jansen、David Sylvian との Nine Horses、そして昨年残念ながら急逝した CAN の伝説的ドラマー、Jaki Liebezeit とのSecret Rhythms など様々なアーティストとのコラボレーションも行なってきている。特に2000年に始まり Jaki が亡くなるまで続いた Secret Rhythms でのコラボレーションは、西洋音楽の伝統的なフォーマットや音楽的イディオムから離れ、様々な国の古くからのダンス音楽や儀式音楽に学び新たなフォームを開拓してきた。その試みは今回 Festival de Frue で初来日となるイランの伝統打楽器トンバク/ダフの奏者、Mohammad Reza Mortazavi とのユニット、YEK などに継承され、現在に続く Burnt の音楽的探求の礎となっている。2016年には2000年より続く自身のレーベル〈Nonplace〉とは別に新レーベル〈Risque〉を立ち上げヒプノティックなダブ・トラックを収録したEP「Masque/Peluche」を発表。昨年は1993年から2011年までのレア音源をコンパイルし、その活動初期からの独自性をあらためて提示した『The Pastle』をフランスの〈Latency Recodings〉より、また David Solomun と Antony West の著作からインスピレーションを得たという6曲入りEP「Dead Saints Chronicles」がカナダの〈MARIONETTE〉からリリースと、その創作意欲は止まる事を知らない。


Yves Tumor - ele-king

 2018年も10月になった。あと3か月弱で今年も終わってしまうわけだが、あるディケイドにとって「8年め」というのは重要な年といえる。その年代の爛熟期であり、次のディケイドの胎動を感じる年だからだ。68年にリリースされたアルバム、78年にリリースされたアルバム、88年にリリースされたアルバム、98年にリリースされたアルバム、08年にリリースされたアルバムを思い出してほしい。例えばビートルズの『The Beatles』も、イエロー・マジック・オーケストラの『Yellow Magic Orchestra』も、プリンスの『Lovesexy』も、マッシヴ・アタックの『Mezzanine』も、レディオヘッドの『In Rainbows』も「8年目の作品」なのだ。これらのアルバムもその年代の爛熟の結実であり、総括であり、次の時代への鼓動でもあった。
 では2018年はどうか。今年も傑作・重要作は多い。なかでもイヴ・トゥモアの『Safe In The Hands Of Love』には、「時代の総括/次への胎動」をとても強く感じた。孤高の存在であり、しかし時代のモードに触れているという意味ではワンオートリックス・ポイント・ネヴァー『Age Of』と並べて語るべきアルバムかもしれない。ここに「次の音楽/時代」の胎動がある。

 結論を急ぐ前に、まずはイヴ・トゥモアについて基礎情報を確認しておこう。イヴ・トゥモアは、ティームズ『Dxys Xff』(2011)、Bekelé Berhanu『Untitled』(2015)など、いくつもの名義で作品をリリースしていたショーン・ボウイによるプロジェクトである。
 イヴ・トゥモア名義では、まずは2015年に『When Man Fails You』のカセット版を〈Apothecary Compositions〉から発表した(データ版はセルフ・リリース)。
 翌2016年になると、ベルリンのエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈PAN〉からアルバム『Serpent Music』を送り出し先端的音楽マニアを驚かせた。これまで〈PAN〉ではあまり見られなかったエレガントなアートワークも強烈な印象を残したが、何よりグリッチR&Bインダストリアル音響とでもいうべき端正さと混沌が一体化したようなサウンドが圧倒的だった。天国で鳴っているような甘美なサンプルのループとポリリズミックなリズムとジャンクかつ不穏なコラージュを同時に展開し、先端的音楽の現在地点を示した。じっさい、『Serpent Music』はメディアでも高く評価され、多くの年間ベストにもノミネートもされた。
 その高評価は、2017年、老舗〈Warp〉への移籍に結実する。移籍を記念して(?)、フリー・ダウンロードで『Experiencing The Deposit Of Faith』が配信されたこともリスナーを驚かせた。夢のなかの幻想に堕ちていくようなムードが充満した素晴らしいアルバムで、普通に販売しても遜色のない作品であった。また、〈PAN〉からリリースされたアンビエント・コンピレーション『Mono No Aware』への参加も重要なトピックといえよう。

 2018年は、彼にとって実りの年だ。坂本龍一の『async - Remodels』へのリミックス提供、坂本龍一+デイヴィッド・トゥープなどとともにロンドンで開催された「MODE 2018」への参加などを経て、ついに〈Warp〉からの新作『Safe In The Hands Of Love』がリリースされたのだ。各サブスクリプションでのサプライズ・リリースという話題性も十分だったが、何より2018年という「10年代の爛熟期」に相応しいアルバムに仕上がっていた点が重要である。リリース後、即座に『ピッチフォーク』のレヴューに取り上げられ、高得点を獲得したほどだ。

 では『Safe In The Hands Of Love』は何が新しいのか。私は三つのポイントがあると考える。
 ①トリップホップ、アブストラクト・ヒップホップ、インディ・ロックなどの90年代的なるものの導入。
 ②コペンハーゲンの新世代モダン・ノイズ勢などのゲスト参加。
 ③10年代の「先端的な音楽」の変化への対応。
 まず、①について。先行リリースされた“Noid”や、インディ・ロック的な“Lifetime”などに象徴的だが、ストリングスのサンプリングに、ブレイクビーツ風のビート、90年代インディ・ロック的なヴォーカルの導入など、私は1998年にリリースされたアンクルのファースト・アルバム『Psyence Fiction』を不意に思い出した。『Psyence Fiction』は、DJシャドウなどのアブストラクト・ヒップホップで一世を風靡した〈Mo' Wax〉の首領ジェームス・ラヴェルによるファースト・アルバムである。DJシャドウが共同プロデュースを務め、リチャード・アシュクロフト、マイク・D、トム・ヨークなどオルタナ界のスターたちが参加するなどミッド・ナインティーズの総括とでもいうべき作品だ。

https://www.youtube.com/watch?v=76Op7MtBRSA

 アブストラクト・ヒップホップからインディ・ロックまでを交錯させ、一種のオルタナティヴ音楽の一大絵巻を制作したという意味で『Safe In The Hands Of Love』は、どこか『Psyence Fiction』に通じている。じじつ、トランペットが印象的なイントロダクション・トラック“Faith In Nothing Except In Salvation”からして90年代の〈Mo' Wax〉のようだし、“Honesty”のダークなムードのビート・トラックは、90年代のトリップホップを思い出させるものがあった。

 ここで②について解説に移ろう。本作のゲスト・アーティストについてだ。まず2曲め“Economy Of Freedom”ではコペンハーゲンのクロアチアン・アモルが参加している。彼は〈Posh Isolation〉の主宰ローク・ラーベクであり、Hvide Sejl、Semi Detached Spankers 名義、Body Sculptures、Damien Dubrovnik への参加など〈Posh Isolation〉からリリースされる多くの音源で知られるモダン・エクスペリメンタル・ノイズ・シーンの重要人物である(ローク・ラーベク名義で〈Editions Mego〉からアルバムをリリースしてもいる)。
 さらに、7曲め“Hope In Suffering (Escaping Oblivion & Overcoming Powerlessness)”には、ピュース・マリー(Frederikke Hoffmeier)が参加している点も重要だ。彼女もコペンハーゲンのモダン・ノイズ・アーティストで、アルバムを〈Posh Isolation〉からリリースしている。なかでも2016年の『The Spiral』は優美な傷のようなノイズ・アルバムで、聴き手をノイズ美のなかに引きずり込むような強烈なアルバムだ。そしてピュース・マリーは本年〈PAN〉から新作『The Drought』をリリースしている。
 また、“Lifetime”には、ヴェイパーウェイヴ初期からの重要人物ジェームス・フェラーロがグランドピアノ演奏(!)で参加している点も見逃せない。フェラーロはOPNと同じくらいに10年代の電子音楽を象徴するアーティストだが、近年の沸騰するOPNの人気の影で、真に歴史的人物として再注目を浴びる必要があり、その意味でも極めてクリティカルな人選といえる(まあ、単にファンだったのかもしれないが)。
 ほかにもトリップホップ的な“Licking An Orchid”には〈Dial〉からのリリースで知られるジェイムスKが参加。『Serpent Music』にも参加していたOxhyは、ピュース・マリーやジェイムスKとともに“Hope In Suffering (Escaping Oblivion & Overcoming Powerlessness)”に客演している。
 とはいえ、やはり〈Warp〉からのリリース作品に、あの〈Posh Isolation〉のふたりのアーティストが参加している点に2010年代後半という時代のムードを感じてしまった。いま、「ノイズ」というものがエレクトロニック・ミュージックのなかで大きな役割を果てしているのだ。

 続いて③についてだが、ここまで書けば分かるように、現在の「先端的音楽」は、世界的潮流でもある「90年代」の再導入と、〈Posh Isolation〉ら新世代のノイズ・アーティストによるノイズの導入というネクスト・フェーズを迎えている。「90年代」は、例えばオリヴァー・コーツの新作アルバムに見られるように、テクノ・リヴァイヴァル、IDMリヴァイヴァルへと結実しつつあるわけだが、本作の独創性は、参照する「90年代」がサンプリング、ブレイクビーツ、トリップホップ、90年代的インディ・ロックの大胆な援用である点だ。このアウトぎりぎりのインの感覚は鮮烈ですらある。たとえば、ラスト曲“Let The Lioness In You Flow Freely”などは「超有名曲」のサンプリングのループで終わることからも分かるように、「サンプリングの時代」であった「あの時代」のムードを濃厚に感じるのだ。
 むろん単なるレトロスペクティヴではない。そうではなく、90年代的な「あらゆるものが終わった」という「歴史の終わりの地平」を再生(サンプリング主義)し、そこに新世代の非歴史/時間的なノイズをレイヤーすることで、もう一度、「終わり=90年代」に介入し、「終わり」を蘇生することを試みているように思えてならない。「過去」をハッキングすること。歴史の「外部」から浸食してくるゾンビを蘇生すること。人間以降の世界を夢想すること。

 そう、『Safe In The Hands Of Love』は、ミニマル・ミュージックからノイズ、ヒップホップからインディ・ロックまで、ブレイクビーツからトリップホップなどなどさまざまな音楽を援用・導入しつつ繰り広げられる「死者=歴史の蘇生の儀式」である。自分には、このアルバムは「歴史の終わり」の荒野で繰り広げられるホラー映画のサウンドトラックのように聴こえた。その意味で本作にもアルカ以降、つまり10年代の先端的音楽の隠れ(?)テーゼ「ポストヒューマン的な21世紀の音像=無意識」が鳴り響いている。2018年というディケイドの爛熟期に鳴る音が、ここにある。

Forma - ele-king

 ジョージ・ベネット(George Bennett)、ジョン・オルソー・ベネット(John Also Bennett)、マーク・ドゥイネル(Mark Dwinell)ら3人によるニューヨークはブルックリンのシンセ・トリオ、フォーマは、2010年代における「ポスト・エメラルズ的シンセサイザー音楽」を語る上で欠くことのできない重要な存在である。なぜか。彼らの歩みには、このディケイドにおけるシンセサイザー音楽(シンセウェイヴ)の変化が象徴的に表れているからだ。

 まず彼らは〈エディションズ・メゴ〉傘下にして元エメラルズのジョン・エリオットが主宰する〈スペクトラム・スプールス〉から2011年にファースト・アルバム『フォーマ』、2012年にセカンド・アルバム『オフ/オン』をリリースした。この2作は10年代初期におけるシンセウェイヴのなかでもひときわエレクトロ・ポップなサウンドを放っており、ポスト・エメラルズの象徴のようなサウンドだった。特にセカンドの『オフ/オン』は無機質なシーケンス・フレーズと硬いドラムを組み合わせるといういかにも80年代中期的なサウンドを、2010年代的な緻密なミックスでアップデートした見事な仕上がりである(エメラルズのラスト・アルバム『Just To Feel Anything』は、どこか初期フォーマの音に近いものを目指していたように思えるのだが……)。

 それから4年後の2016年、リリースの拠点を〈クランキー〉に移した彼らはサード・アルバム『フィジカリスト』を発表する。4年という月日は彼らの音楽を洗練させるには十分な時間だった。サウンドは80年代のエレクトロ・ポップから70年代のソフトサイケな電子音楽へと遡行しつつも、音色の色彩感覚は繊細にアップデートされ、音のレイヤーはいっそう緻密に、サウンドの質感は滑らかになった。いわば心地よさと実験性の共存が際立ってきたのである。この『フィジカリスト』をもってフォーマ第二期の開始といっても過言ではないだろう。彼らの変化の背景には近年のニューエイジやエクスペリメンタル・アンビエントのブームへの接近という側面は少なからずあったとは思うが、安易な融合にはなっていない。音楽性そのものが深化している点が重要である。

 そして『フィジカリスト』の延長線上に、2018年リリースの本作『センバランス』があるといっていい。M1 “Crossings”とM2 “Ostinato”の軽やかなシンセ・サウンドを耳にした瞬間に、10年代後半のシンセ・ミュージックということが即座に理解できるはずだ。電子音と電子音が聴き手の意識を溶かすようにレイヤーされていく見事なトラックである。以降、ジョン・ハッセル的アンビエントとでも形容したいM3 “Three-Two”、天国的かつエキゾチックなアンビエント・トラックのM4 “Rebreather”、初期フォーマを想起させるビート・トラックにヴォイスがカットアップされるM5 “Cut-Up”、電子音とピアノと環境音によるニューエイジ風のM6 “New City”などの名トラックを連発した後、人の記憶を電子化するようなミニマル・シーケンスとメロディによるマシン・アンビエントな“Ascent”でアルバムは幕を閉じる。まさにアートワークのイメージどおりに人間をデータ化しつつ、しかしそこにヒトの身体/記憶の煌きを永遠に封じ込めたような見事な電子音楽集である。

 ここで重要なアルバムを、もう一作挙げておきたい。2018年にメンバーのジョン・オルソー・ベネットがアンビエント作家クリスティーナ・ヴァンズと「CV & JAB」名義で〈シェルタープレス〉からリリースした『ソーツ・オブ・ア・ドット・アズ・イット・トラヴェルズ・ア・サーフィス』である。
 この『ソーツ・オブ・ア・ドット・アズ・イット・トラヴェルズ・ア・サーフィス』はアート・ギャラリーでの絵画展で演奏/発表されたインスタレーション的な音楽なのだが、近年のエクスペリメンタル・ミュージックの潮流を意識したニューエイジなアンビエント・サウンドを生成していた。加えて即興性を全面に出している点も新しかった。私見だがフォーマの新作『センバランス』は、CV & JABの『ソーツ・オブ・ア・ドット・アズ・イット・トラヴェルズ・ア・サーフィス』とコインの両面のような関係にあるのではないかと考える。いわば「構築と即興の共存」、その洗練化とでもいうべきもの。
 じじつ、彼らの音楽は、どんどん自由に、かつ柔軟になってきている。その意味で『センバランス』はフォーマが追及してきた「新しいシンセ音楽」の現時点での完成形ともいえよう。

 これは何も『センバランス』だけに留まらない。たとえば元エメラルズのスティーヴ・ハウシルトの新作『Dissolvi』も非常に洗練されたシンセ音楽を展開している。
 現在、10年代的なシンセサイザー音楽は、アンビエント/ドローン、シンセウェイヴ、ニューエイジ・リヴァイヴァル、インダストリアル、ヴェイパーウェイヴなどを吸収しつつ、その境界線が次第に融解しつつある状態にある。言い方を変えれば、「いま」という時代は「10年代的なシンセ音楽や電子音楽」の爛熟期でもあるのだ。例えばOPNがここまで人気を得るような状況は8年前には想像もできなかった。これは電子音楽にとって「終わりの始まり」の光景のようにも感じられる。
 新しいディケイドの始まりである2020年まであと2年もない。電子音楽は潮流と潮流が混じり合うような大きな変化の渦中にある。

OTHER MUSIC NYC MEETS DUM-DUM LLP - ele-king

 相変わらずライヴハウス・シーンでは暗躍している高円寺の音楽事務所「DUM-DUM LLP」がNYの伝説的レコードショップ「Other Music」と合同パーティーをやるらしいですよ。
 しかも、スペシャル・ゲストに来日中のヨ・ラ・テンゴがDJ SETでの出演という。日本勢からはimai、Nyantora、トリプルファイヤーの三組が出演します。また、「Other Music」のジェラルドさんもDJやります。
 「DUM-DUM LLP」から送られてきたメールによれば、このイベント「GET TOGETHER」とは、「単なるショーケース・ライヴではありません。ジャンル不問、様々な音楽体験やNYCの音楽シーンを熟知する彼らとダイレクトに情報交換したり音楽談義もできる 100% Openなコミュニケーションの場でもあります」とのことです。
 また、「当日イベントに参加したい日本在住のアーティストも募集しています。もし興味を持ってくれた方がいらっしゃれば、是非下記アドレスからエントリーしてください。よろしくお願いします」(https://prt.red/0/GETTOGETHER-CONTACT)
 だそうです!
 応募しよう!

●公演詳細

Other Music NYC meets DUM-DUM LLP「GET TOGETHER」
2018年10月12日(金)@新代田FEVER
OP/St18:00 (終電まで)

TICKET:前売・当日共通 ¥3000 ( 1D別)
メール予約;ticket1012@fever-popo.com
e+(28日より)https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002274712P0030001
Peaticx; https://peatix.com/user/1005892/view

LINE UP:
SPECIAL GUEST: YO LA TENGO( DJ SET)
(Another Guy Called) Gerald - Other Music
imai
Nyantora
トリプルファイヤー
問い合わせ;新代田FEVER Tel:03-6304-7899 & https://www.dum-dum.tv/

●アザーミュージックとは?

アザーミュージックは、20年間、NYの音楽シーンの真ん中にいた、ユニークで、
通好みのするレコード屋だった。

1995年にオープンし、いつも発展し続ける、幅広い音楽にアプローチし、インディ、エレクトロニカ、ワールド、ジャズ、ヒップホップ、ダブ、フォーク、サイケデリア、モダンクラシック、アヴァンギャルドなどの、多種多様なジャンルを網羅していた。

ヴンパイア・ウィークエンドからニュートラル・ミルク・ホテル、DJシャドウ、マック・デマルコ、ナショナル、ボーズ・オブ・カナダ、ティナリウェン、ベル・アンド・セバスチャン、コートニー・バーネットまでの、沢山の若いアーティスト、ミュージシャンのキャリアを助け、セルジュ・ゲンズブール、フランソワ・ハルディ、カン、ノイ!、サン・ラ、ニック・ドレイク、ロドリゲス、ベティ・デイヴィスなどの、定番アーティストを、若いファンに対して、知名度をあげる大切な役割を果たした。

また、日本の音楽のチャンピオンで、ボアダムス、坂本慎太郎、ボリス、灰野敬二、DJクラッシュ、アシッド・マザー・テンプル、坂本龍一、コーネリアス、メルツバウ、ピチカート・ファイブ、トクマルシューゴ、ファンタスティック・プラスティック・マシーン、渚にてなどの、パフォーマンスをホストしたり、一緒に仕事をした。
ローリング・ストーン、ビルボード、ピッチフォーク、ニューヨーカー、タイムアウト、ステレオガム、ヴィレッジ・ヴォイス、ガーディアンなどのプレスで、世界の最も良いレコード屋として賞賛された。

2016年に20年の幕を閉じ、次の年にMoMA PA1で、カム・トゥギャザー・レーベル・フェア・アンド・ミュージック・フェスティバルを立ち上げ、世界中から、革新的で、ベストなレコード・レーベルを沢山招待し、レコード屋文化の新しい章を探索している。

For 20 years, Other Music was at the center of the New York City music scene, a unique, taste-making record store in the heart of that vibrant music city. The shop opened in 1995, with a broad and ever-evolving approach to music, embracing diverse sounds including indie, electronica, world, jazz, hip-hop, dub, folk, psychedelia, modern classical, avant-garde, and much more. Other Music helped launch the careers of many young artists, from Vampire Weekend to Neutral Milk Hotel, DJ Shadow, Mac DeMarco, The National, Boards of Canada, Tinariwen, Belle & Sebastian, Courtney Barnett, and many others. The shop also played a major role in raising the profile with young fans of classic artists like Serge Gainsbourg, Francoise Hardy, Can, Neu!, Sun Ra, Nick Drake, Rodriguez, Betty Davis, and others.

Other Music championed many Japanese artists over the years, hosting performances or working closely with Boredoms, Shintaro Sakamoto, Boris, Keiji Haino, DJ Krush, Acid Mothers Temple, Ryuichi Sakamoto, Cornelius, Merzbow, Pizzicato Five, Shugo Tokumaru, Fantastic Plastic Machine, Nagisa Ni Te, and many others.

The shop was lauded as one of the best record stores in the world by press outlets including Rolling Stone, Billboard, Pitchfork, The New Yorker, Time Out NY, Stereogum, The Village Voice, The Guardian, and many others. In 2016, after two decades, Other Music closed its doors. The following year, they launched the Come Together Label Fair and Music Festival, at MoMA PS1, bringing together many of the best and most innovative record labels from around the world, exploring the next phase of record store culture.

https://www.othermusic.com/

interview with Phew - ele-king

 数年前から軸足をソロ活動のほうに向けじはめた Phew はアナログ~モジュラー・シンセをはじめ、もろもろの機材にとりまかれ、ヘッドセットをしたその姿に私はコクピットに腰をすえた宇宙飛行士を連想したものだが、スピーカーからとびだす予測不可能な音の群はレトロな近未来感をうっちゃる独特な響きがあった。みたこともない世界とアマチュア無線に興じるさまをのぞきみるような、空間に散らばった音をハンダゴテで接着するような、音の連なりにはソフトウェア主体の音づくりではとどかない太さと強さがあり、名づけるならその呼び名はやはりエレクトロニック・ミュージックというより電子音楽のほうがしっくりくる。むろん古典的な電子音楽のセオリーに属しているというより、出てくる音が発明的なのがそう思わせるのだった。2015年の『A New World』は電子音楽の方法と歌をポップに折衷した、2010年代の Phew のドキュメントというべき重要作だが、音響の探究はとどまるところを知らず、昨年には声のみのサウンドストラクチャー『Voice Hardcore』をものしている。これはほとんど無明の荒野をひとりすすむような、その名のとおりハードコアな作品であり、未聴の方はすべからくお聴きいただくにしくはないが、ソロでの究極的な自己対話の傍らで Phew はコラボレーションもおこなっていたのである。
 アナ・ダ・シルヴァがそのお相手で、彼女の名前になつかしさをおぼえた方もそうでない方も、あのレインコーツでギターとヴォーカルを担当したひとだといえば、ピンとくるであろう。メンバー全員が女性のレインコーツは70年代末の〈ラフ・トレード〉からレッド・クレイオラのメイヨ・トンプソンがプロデュースした同名のファーストで、パンクの以前と以後を截然と劃したばかりか、『Odyshape』(1981年)、『Moving』(83年)の3枚で90~2000年代を予期しながら時代のなかに雌伏したが21世紀に復活し2010年には初の来日公演をはたしている。ふたりの交流は、Phew がレインコーツの公演をサポートしたときにはじまったというが、それがいかにしてアブストラクトでありながら多彩で自在な純電子音響+ヴォイス作品にむすびついたか、Phew にその背景を訊いた。

楽器は道具にすぎないんです。それはアナもおなじ気持ちだと思います。最初に自分の身体がある、それはふたり共通していると思います。

いまライヴではおもにアナログ・シンセとヴォイスですよね。

Phew:それとリズムボックスですね。

そのようなスタイルでソロ活動をはじめられてから、海外でライヴされる機会が増えましたよね。

Phew:ソロ・ライヴではじめて海外に行ったのが2年前で、ポーランドのフェスでした。フェスに出演したあと、ロンドンでもライヴをしたんです。お客さんも多くて、会場もあたたかい雰囲気だったんですが、そこにアナも来てくれました。アナとはレインコーツが来日したとき、私がサポートをした縁で知り合いました。とはいえ、そのときは会うには会ったものの、話はあまりしなくて、こんにちは、くらいのものでした。震災の前の年だったとので2010年ですね。

ロンドンのライヴで再会したんですね。

Phew:その前に私、CDRで作品を出していたんですね。それをアナに送ったらすごく気に入ってくれて、その後にできたアルバム『A New World』も送って、それも気に入ってくれて、みにきてくれたという経緯がありました。

メールや手紙でのやりとりがあったんですね。

Phew:でも、CDすごくよかったです、といったやりとりくらいですよ。それだけで、ライヴを観に来てくれて、しばらくしたらアナから写真が送られてきたんです。「モジュラーシンセ買いました」と文章を添えて(笑)。

Phewさんの影響ですか?

Phew:買ったのはけっこう前だったみたいですが、「いまは離れていてもファイルの交換で音楽がつくれるから一緒にやりませんか」と書いてあったんです。

連絡が来たのは何年ですか?

Phew:2016年。なので2年前ですね。連絡が来てしばらくして、彼女が録りためた音が届いたんです。たしか5、6曲。そのなかの何曲かに音を重ねたのが最初でした。

その曲はアルバムに採用したんですか。

Phew:はい。1曲目の“Islands”、6曲目(“Here to there”)もそうかな。けっこうちゃんとした曲になっていました。それまでアナに電子音楽をつくった経験があるかとか、つっこんだ話はしたことはありませんが、アナはモジュラー以前にシンセサイザーはもっていたみたいです。前のソロのアルバムは自分でミックスもやったといっていましたから。

チックス・オン・スピードのレーベル〈Chicks On Speed Records〉から2004年に出した『The Lighthouse』ですね。

Phew:機材やエンジニアリングにもともと興味をもっていたのだと思います。

音源にたがいに反応し合ううちに曲になっていったということですか。

Phew:とっかかりはアナが録ったものに私が音を重ねていった曲です。アナから来たものに音をかさねて、そのラフミックスをアナに送り、足りない部分を補い、それをまたこっちに送り返してもらう。“Konnichiwa!”とか“Bom tempo”は私が音を録った音源にアナが音を重ねています。往復1~2回でだいたいの曲ができました。作業自体はすごく早かった。

曲によって主導権がちがう?

Phew:主導権というより、きっかけですね。どういうものにするというのも、ことばでのやりとりはなくて、いきあたりばったり(笑)。とはいえ、アナはロンドンに住んでいますけどポルトガル人で、私は日本人。おたがいちがう文化をもっていて離れたところに住んでいるのは最初から意識していました。わりと早い段階でアナにこのコラボーレションのテーマはコミュニケーションということはいったと思います。それでおたがいの言語をとりかえたんです。私がポルトガル語でアナが日本語をつかうという図式ができました。

Phewさんはポルトガル語ができるんですか。

Phew:できるわけないじゃないですか(笑)。でもノリはよかったし早かったですよ。おたがいにパンク出身だから(笑)。

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だれがこの曲をつくったとか、そういった事態は避けたかった。記名性で詮索するのではなく、たがいにすごく離れたところにいて、ことばで説得するのではなく、その中間でなにができるか。そういったテーマが私にはあった。

世間的な見られ方としては、レインコーツのアナ・ダ・シルヴァとアーント・サリーのPhewさんのコラボレーションというのがまず最初にくると思います。

Phew:そうでしょうね。

Phewさんはレインコーツを当時どう思っていて、その評価はどのように変化しましたか?

Phew:レインコーツは好きでしたよ。でも好きの度合いは正直薄かった。すくなくともアイドル的なものではなかった。で、2010年にライヴを観て、すごいバンドだと再認識しました。ライヴをするとどうしても慣れてくるじゃないですか。同じ曲を何度もやっていると当然そうなる。けれども彼女たちはそれをはじめて演るような新鮮さで演奏していたんです。それは巧いとか下手ではなくて、やっぱりすごいと思いました。おそらく数えきれないくらい演った曲を演奏しているのに慣れていない、それがすごくスリリングだったんです。

当時イギリスのパンクとニューヨークだったらPhewさんはどちらに肩入れしていましたか?

Phew:音楽的にはニューヨークでした。圧倒的にそうでした。ただ世代的にイギリスのパンクのひとたちは同世代でしたから、直接的な影響を受けました。バンドを始めるきっかけになりましたね。ニューヨークはひと世代上でしたから。若者がバカやっているというのは圧倒的にロンドンのほうでしたよね。

女性性みたいなことをいうのはふさわしいかわかりませんが、女性バンドとしてレインコーツに共感した部分はありますか。

Phew:そういう面での共感はなかったです。そういうところで、このひとはかっこいいと思ったのはむしろトーキング・ヘッズのティナ(・ウェイマウス)ですよ、あの当時は。だから私はスリッツとか、女の子バンドですよというのを全面的に打ち出しているバンドはどちらかといえば敬遠していて、私のなかではティナがいちばん好きでした。ライヴを観る機会があったのなら、また違ったかもしれませんが。

ティナのどのへんに共感したんですか。

Phew:ファッション(きっぱりと)。スリッツなんかすごい恰好だったけど、ティナはショートカットに白いシャツに黒いズボン、それがすごくかっこよかった。むかしから地味好みなんですよ。けっしてパティ・スミスとかじゃない。音楽というよりファッションでいちばんかっこいいと思ったのがティナでした。アーント・サリーをやっていた当時の話で、トーキング・ヘッズの1枚目のころの話ですよ。

ジム(・オルーク)さんもティナのベースは独創的だと以前いっていた憶えがあります。

Phew:じゃあやっぱり私は正しいんだ(笑)。トーキング・ヘッズの曲なんて私、ベースで憶えていますからね。

ヤング・マーブル・ジャイアンツとレインコーツではどっちがお好きですか。

Phew:何ヶ月前にイギリスの『The Wire』という雑誌の「インヴィジブル・ジュークボックス」という連載の取材を受けたんですよ。それでレインコーツの2枚目がかかって、私ヤング・マーブル・ジャイアンツって答えちゃったんですよ(笑)。それくらいいい加減な認識なんです。でもヤング・マーブル・ジャイアンツもすごく好きでした。リズムボックスや声、スカスカのギター、音の質感が好きでした。私は当時、同時代の音楽をあまり聴かなかったのと好みがフライング・リザーズとかああいったものが好きだったから、生のバンドの音楽はあまり聴いていなかったんです。

『Island』は根を詰めてつくったというよりは日常的にやりとりをしながらできあがったという感じだったんですか?

Phew:文通するみたいな感じでやりとりして、ある程度たまったときに「SoundCloudやBandcampで発表する?」と訊ねたら、アナのほうからレーベルがあるからそこからアルバムを出しましょうとなったんです。だから一枚のアルバムをつくるという気持ちは最初はなかったです。作品をつくるよりやりとりすること自体が楽しかったんですね。

アルバムが念頭になかったということはどの楽曲がアルバム上でどういった役割を担うというふうな構成面は意識していなかったということですか。

Phew:アルバムの最後に収録している“Let's eat pasta”が最後にできた曲は、日常的で具体的なことをテーマにした曲がほしいとは思い、私から提案してアナに音源を送りしました。曲の構想は、ふたりで離れたところで、スパゲッティをつくって食べるということ。材料を買ってスパゲッティを茹でで食べる、作品が全体的に抽象的だったのでそういったところに着地したかったんです。

抽象的といいながら、全体をとらえると抑揚のある作品にしあがったと思いますが。

Phew:それはあくまで結果であって、全体のながれはあまり考えていなかったです。アナは考えていたかもしれないですけど、私はぜんぜん。

ヴォイスと各種機材での活動に入ってからのPhewさんの音楽には物理的にせよ心理的にせよ、距離というか空間性からくるコミュニケーションがテーマのひとつだと思うんですよ。

Phew:ああ、はい。

『Island』もいうなればそのようなながれに位置づけるべき作品かと思いました。

Phew:そうともいえますが、この作品はソロとは向いている方向がちがうと思います。この作品での私は外向きだと思うんです。

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感傷は安易すぎる、その失敗を私たち人類はおかしつづけています。

前作『Voice Hardcore』は2010年代の傑作のひとつだと思いますが、あのアルバムに較べると開放的ですね、真逆といってもいいかもしれない。おなじような形式をもちいても、別の方向を向かっている感じがあります。

Phew:この作品ではおたがいに電子楽器をつかっていますが、楽器は道具にすぎないんです。それはアナもおなじ気持ちだと思います。最初に自分の身体がある、それはふたり共通していると思います。モジュラーシンセをつかった最初の曲がとどいたとき、「ああアナの曲だ」とわかる。なので、このアルバムは、純粋電子音楽とはいいにくいですね。

身体、声という側面ではおふたりともヴォーカリストですから、歌らしい歌を入れる選択もあったと思いますが。

Phew:またやろうという話にはなっているので、今後も続いていくなら、そういうものも出てくるかもしれない。今回はそういうことを考える暇もなく、制作がすすんでいって、はじめてメロディらしきものがきたのは“Konnichiwa!”でした。私が送ったトラックにアナがリフをくわえてきたんです。おそるおそる、メロディックすぎないかしら、といいながら(笑)。その意味では、メロディアスな要素はおたがい抑制していたのかもしれない。私がメロディっぽい側面を出したのは9曲目の“Dark but bright”。ストリングスの音は私がつけました。たしかにそのときもちょっとためらいはありました。メロディや声という要素は、すごくつよくてそれだけでなんとかなってしまう部分もあって、最初のうち私はそれを極力避けていました。できればヴォイスもあまりつかいたくなかった。声を最初に入れたのも“Konnichiwa!”でした。

声をつかいたくなかったのは音を聴かせたかったから?

Phew:メロディをつかってしまうと曲がそれに支配されてしまい、だれがこの曲をつくったとか、そういう観点で聴かれがちじゃないですか。そういった事態は避けたかった。記名性で詮索するのではなく、たがいにすごく離れたところにいて、ことばで説得するのではなく、その中間でなにができるか。そういったテーマが私にはあったので、なるべくメロディとか歌詞も私もメッセージ性のあることばはなるべく避けようとしていました。

タイトルはどなたのアイデアですか?

Phew:アナです。詩的な連想性があることばですよね。そのようなことばはおもにアナから来たものです。私はコミュニケーションのことばと考えると、どうしても「コンニチハ」とかになってしまうんです。

事物的ですよね。私は『Voice Hardcore』のときのPhewさんのことばの散文性はすばらしいと思いますが、それも事物性に由来するとは思います。とはいえ、コミュニケーションを考えるなら、エモーショナルなことばのほうが共感度が高いので適しているともいえますよね。

Phew:真ん中になにかをつくるということです。音楽とか文学も、アートとはそういうものだと思うんです。感傷は安易すぎる、その失敗を私たち人類はおかしつづけています。

突然すごく大きな問題を提起されましたが(笑)、そのとおりです。

Phew:人類はなにも学べない(笑)。オリンピックはやるしね。私も、感情に訴える話が読んで楽しい、泣ける話に感動するというのもわかりますが、私は子どものときから犬と暮らしているんです。

藪から棒になんの話ですか。

Phew:(笑)。コミュニケーションについては犬から多くのことを学びました。これまでの人生で、9年ほど、犬のいない生活を送りましたが、いまでも2匹飼っていて、うち1匹はリコーダーやバンドネオンの音に反応して歌うんですよ。犬も1匹ごとに個性があります。それでも、犬には人間のことはわかってもらえない。さびしい気持ちもありますが、それで気持ちが離れることはまったくない。そのようなコミュニケーションのあり方を犬に学びました。

シンセには反応しないんですか?

Phew:笛や生楽器の倍音に反応しているようで、電子音は嫌いみたい。

ではご自宅で『Island』を制作されていたときはたいへんでしたね。

Phew:自宅で録音していると、ほんとうにだれとも会わなくなるし、音を録っているから声は出しているけど、何日もだれとも話さないこともまれではないですからね。家族はしゃべらないといけないような場面にはいないから、そうなるとだれとも会話していないことに気づくんです。その点でも犬がいるといいですよ(笑)。

でもにぎやかな場所が好きなわけでもないですよね。

Phew:人混みが苦手で、きのうはライヴでたくさんのひとに会ってひと酔いしちゃいました。

とはいえコラボレーションの機会は多い。

Phew:こういうかたちはひさしぶりですけどね。

プロジェクト・アンダークで(ディーター・)メビウスさんとやりとりして以来ですか?

Phew:そうですね。でもね、あれは全部曲が最初にできていたんですよ。今回みたいにやりとりしてつくったわけではなくて、トラックに声を乗せていった感じだったので、一緒につくった感じはあまりなかったです。

バンドともちがいますよね。

Phew:バンドはなつかしいですね。やりたいですけどね。

やりたいお気持ちはつねにあるんですね。

Phew:バンドは楽しいですけど、練習の時間とかスタジオが必要じゃないですか。その手配がたいへん。そう考えるといちばんの問題はまちがいなく距離です。メンバーがみんな近所に住んでいたらどんなに楽かと思いますよ(笑)。音楽をやるにあたって、最初に曲が決まっているのはつまらないです。それぞれのパートのひとがアイデアを出し合ってつくっていくのがいちばんおもしろい。

モストのときもそうでした?

Phew:最近のモストのライヴではきまった曲をやることが多かったですが、ライヴの前はかならず練習していましたし、曲づくりのためにリハーサルではメンバーそれぞれがアイデアを出し合っていました。

そういうふうに直にひとと会いながら音楽をつくるのと、今回のアナさんのように対面せずに曲をつくる場合とではなにかちがいを感じられましたか。

Phew:日本にいるミュージシャンと一緒に音楽をつくる場合は、相手が知っているひとのことが多いんですよね。会ってしゃべるといろんな情報が入ってきます、視覚的な部分もふくめて。インターネットを通じたやりとりだとそういった情報が入ってこない。今回も個人的な話はしていないんですね。アナってどういうひとか、私はほとんど知らなかったんですが、音をやりとりするなかですごく親しくなった気がする。なんにも知らないのに、この親密な感じはなんなんだろうという、それはアナも同感だったようで、去年1年ぶりにロンドンに行ったときにもアナが会いに来てくれて、すごく親しくなった気がするんだけど、とおたがいにいいあいました。きっと音楽ならではの感覚なんです。いいひととかわるいひとというレベルの話ではなく、これはミュージシャンどうしでしかなりたちえない独特の関係なのだと思います。音で伝わってくるものがあるんでしょうね。

たとえば共通言語をもたない場合、Phewさんはコニー・プランクやカンのホルガー・シューカイ、ヤキ・リーヴェツァイトともアルバムをつくられましたが、彼らとの作業はどうでした?

Phew:コニー・プランクは家がスタジオだったから家族にも会いましたが、ホルガーやヤキについてはプライベートなことは知らないけど、録音する前と後では関係がまったくちがいました。独特の信頼感というか、個人的なことに興味もないのに信頼を置けるというか。だから亡くなったというのはショックでしたよ。ありえないんですけど、どこかでずっと死なないものだと思っていた気がします。

音は他者を触発すると同時に当事者にもフィードバックするのだと思います。とくにソロ活動以後のPhewさんの音楽では自己との対話の側面があると思いますが。

Phew:音を出してはじめてわかることがあるんですね。録音物を制作するときは、機材を触っていて、この音なんか好きっていうのがあったらすぐ録音して、そこから発展させることが多いですね。

録音という意味でなにかすすんでいる作品はありますか。

Phew:すすめていることはあるんですが……最近ヴィンテージのミニムーグを導入したんですよ。何年も迷って結局買ってしまったんですが、それでどうしようかと思っているところです。ミニムーグの音は記名性がつよいじゃないですか。なにをやってもミニムーグの音だから自分の音楽というよりミニムーグの音なんです。好きなんですが、困りものです。まだまだミニムーグに負けています。ミニムーグとの勝負にまずは勝たないと。

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安室奈美恵みたいな歌は絶対できない。まずリズムがむずかしいしメロディもむずかしいですよ。だからやっぱり向いていることってあるんですよ。

A New World』のようなポップ路線というと語弊があるかもしれませんが、そのような作品にとりかかる予定はありますか。

Phew:曲はありますよ、めずらしくメロディもリズムもあるちゃんとつくった曲が2曲ぐらい。『A New World』のあと、そっちの方向に行きかけて、ライヴでも何度か演ったんですが、なぜかいまいるところに来てしまった(笑)。『Voice Hardcore』はやっぱり大きかったのかもしれない。『Voice Hardcore』はけっこう短い期間でつくったし、性に合っているんでしょうね。ああいったことがなんの苦労もなくできることなんですよ。

根っからハードコアですね。

Phew:何時間でもやっていられるし、何枚でもできますよ。

とはいえ『Voice Hardcore』も構成がありますし曲になっていますよね。

Phew:あのかたちだと即興的に曲がつくれるんですよね。ライヴでもそうですよね。即興的に構成する。芸歴の長さの賜物です(笑)。向き不向きで考えると自分に向いているのだと思います。逆にメロディを歌うのはすごくむずかしい。たとえば、安室奈美恵みたいな歌は絶対できない。まずリズムがむずかしいしメロディもむずかしいですよ。だからやっぱり向いていることってあるんですよ。

『Voice Hardcore』が向いているというのもすごい話ですけどね(笑)。

Phew:私からしたら安室奈美恵がすごいですよ。

Phewさんの場合、とくにさいきんのPhewさんの音楽では声や歌だけでなく音楽空間のなりたちが焦点だから一般的な音楽のスキルだけでは語れない部分があると思うんですね。

Phew:それも向いているということです。『Voice Hardcore』の曲は何度か音を重ねている部分もありますが、そうするとながれができて、すると次になにをすればいいかおのずと明らかになってきます。足りない音が感覚的に理解できるんです。

声を発するのは身体コントールがたいへんでもあると思うんですが。

Phew:そんなにたいへんなことはあの作品でやっていません、あと家でやっていたので大きな声を出せないという制約はありました。お隣のひとに聞こえたらマズいとか、歌詞もひとに聴かれたくないような内容だから夢中にもなれない。いっていることヤバいなと思いながらヤバいことをいう。

Phewさんの音楽は主体と独特の距離がありますよね(笑)。声を出しているのを外からみてる感覚がありますよね。

Phew:それはつねにありますね。

そのあとに『Island』を聴くと――

Phew:ホッとするでしょ(笑)。

『Voice Hardcore』は真空状態だけど『Island』には広がりがある。

Phew:そうですよ。

それがひとりのなかから出てくるというのはすごいと思いますよ。

Phew:でもアナの力が今回は大きかったと思います。選ぶ音もぜんぜんちがうし、異質なひとがふたりというのはいいことだと思いますよ。これが3人だとややこしいことになりそうですけど(笑)。ふたりが離れたところにいるのが功を奏した面もあると思います。

interview with Cosey Fanni Tutti - ele-king

 9月12日、(それはおそらくこの記事のアップ日)に、スロッビング・グリッスルの再発第二弾として、『Heathen Earth』(1980/一般的には最終作とし知られる)、『Mission Of Dead Souls』(1981/最後のライヴを収録)、『Journey Through A Body』(1982/イタリアのラジオ局のために制作された)の3枚がリリースされる。
 また同時に、創設メンバーのひとり、コージー・ファニ・トゥッティの自伝『アート セックス ミュージック』の日本版も刊行される。

 現在、日本で〈ミュート〉と契約しているトラフィック・レーベルの好意によって、今回ふたたびコージーのインタヴューを取ることができた。質問のいくつかはぼくが作成し、それを『アート セックス ミュージック』の訳者でもある坂本麻里子さんが、いつものように臨機応変にアレンジなりアドリブなどを交えて取材はおこなわれている。
 『アート セックス ミュージック』は、COUMトランスミッションズ〜TG〜クリス&コージーというノイズ/インダストリアルの話であると同時にエロ本のモデルおよびストリッパーの物語だが、それ以上に、ひとりの女性のサヴァイヴァルとその人生哲学をめぐるかなり勇敢な回顧録と言える。原書が500ページ、日本版は二段組にしておよそ500ページ、平均的な単行本の3冊分というなかなかの大著だ。
 以下、これもまた、ひじょうに長いインタヴューになるが、これでもかなり削ったです。どうか最後までお付き合い下さい。

だからなのよね、あなたがさっきも言っていたように、人びとがスロッビング・グリッスルに対する「神話」を抱くことになったのは。でも、わたしたちはすでにあの頃ですら、ギグのおしまいにマーティン・デニーを流すことでその神話を反故にしていたわけで。わたしから言わせれば、じゃあ彼らはいったいどんな神話に執着しているんだろう? みたいな。

まずはあなたの『アート・セックス・ミュージック』の日本版を刊行できることをたいへん誇りに思います。しかしものすごい分量ですね。

コージー:ええ。

この労作を執筆しようとした動機のひとつに、TGの成り立ちやその実態について歪んだ情報が流布しているということがあったということですが、よくぞ書いてくれたと思います。日本には昔から熱心なTGファンがいることはご存じでしょうか?

コージー:ええ、彼らの存在はずっと知っていたわ。ただ、わたしはこれまで日本に行ったことがなかったから……。そうは言ってもファンが存在することはずっと前から気づいていたし、かなり初期の頃から日本のレーベルがTGのアルバムをリリースしてくれていたわけで。だからわたしたちも、そうね、70年代後半〜80年代初期あたりから、日本にファンがいることは認知していたわ。それに、日本にはクリス&コージーのファンだっているし。というわけで……日本にファンがいるのはわたしも知っているし──だから、本が日本で出版されることになって本当にわくわくさせられている。うん、とてもハッピーだわ。

最後の日記が2014年4月30日になりますが、刊行までおよそ3年かかっています。じっさいものすごい文字量の大著になりますが、執筆に当たってもっとも苦労されたところはなんでしょうか? 

コージー:だからあの本はまるまる、わたしの人生についての本なわけよね。そして、わたしの人生で何が起きたか、ということについてであって。わたし以外の人間にとっての「こうすべきだった、こうするべきではなかった」という内容ではないし、だからわたしはああいう書き方であの本を書いた。というのも、あれがわたしの身の上に起きたことだった。あれらが(コージーにとっての)事実だった、と。で、あそこに書かれたことを信じずに、彼らが信じることを選んだなんらかの「神話」みたいなものについていきたいのであれば、それは読んだ人びとの自由、彼ら次第だわ。
 わたしは別に、あの本から人びとがなにを得るのか、そこを指図するつもりは一切ないから。あれはわたしのストーリーであって、他の誰の物語でもない、という。というわけで……あの本の執筆中に、自分が知っていた以上のさらなる「嘘」が明るみになったのよね(苦笑)。あの点が、わたしにとってはもっとも難しかった。というのも、自分がその場に居合わせなかった状況では、知らないところでいったい何が起きていたかまったく知らなかったから。たとえば、わたしとジェネシスとの関係のなかでのいくつかの場面だったり。そこがもっとも苦労したところね。だから、わたしと彼の関係において、様々な事柄がどれだけ間違った形で伝わっていたのか、その度合いをわたし自身はまったく知らなかった、という。そんなわけで、その点を知ったときは……執筆中に何週間か足止めを食らわされた。自分の思いをしばらくの間どこか別の場所に持っていかなくてはならなかったし、その上で(気持ちを落ち着かせた上で)再び自分の物語に立ち返った、という。だから、あの部分はとても難しかったわ。一方で、あれを体験してとても良かった、というところもあってね。というのも、(苦笑)あのおかげでいまや、わたしも自分の過去を正しく理解できるようになったわけだから。

ひとりの人間の人生が描かれているわけですが、ヒッピー・コミューンからセックス産業など、それ以上のものすごくたくさんのことがこの本には詰め込まれています。おそらく音楽ファンにとっては、COUMトランスミッションズ〜TG〜クリス&コージーの話がより知りたい部分なので、まずはそこから訊きたいと思います。

コージー:なるほど。

ある意味では、COUMやTGというのは神話化されていると思いますし、サイモン・フォードの『Wreckers of Civilization』はその神話をより強固なものにしているかもしれません。

コージー:ええ。

長いあいだ、それこそ1998年からその神話やストーリーが続いてきた、と。その意味で、あなたの本は偶像破壊的でもあると思うんです。そうした神話化されたTGの信者たちをある意味では裏切るというか、その神話をいちど破壊するというか、本当にリアルなTGの姿が明かされたわけですよね。もちろん、いわゆる「暴露本」だ、というつもりはないのですが、一部の読者にとってはこの本はショックだったんじゃないか? と。昔ながらのTGファンからの、そのへんに関する反応はありましたか? あなたの本はTG「神話」を売りつけられてきたファンたちを動揺させたと思いますか?

コージー:ええ、たぶんそうだったんでしょうね。けれども大事な点は、では、その「神話」を支えるために、COUMトランスミッションズおよびスロッビング・グリッスルのメンバーだったひとりの人間がこれまでプロモートしてきた「神話」を支えるために、わたしは自分自身の人生体験の数々を犠牲にするだろうか? ということであって。それが正しい行為とはわたしには思えない。この星の上で共に生きている人間同士として、わたしたちはお互いになにかを負い合っているわけよね。ということは、ただお互いに対して親切に振る舞うだけではなく、敬意も抱き合って生きるものだ、と。ところがそのリスペクトの念は消えてしまったわけ。だから、ここでジェンダーの問題を持ち出させてもらうけれども──COUMトランスミッションズとスロッビング・グリッスル唯一の女性メンバーだった身として、わたしにはいっさい発言権がない、ということになる。あれらのグループの実際がどうだったか、それを声に出すことはわたしにはできない、わたしが黙らされるという犠牲を払うことでそれが成り立っている、と。となると、それはやはりどこか間違っているわよね、人びとのなかにあっという間に事実とは違うヴァージョンの話が流布してしまうわけで。
で……それはなにも、スロッビング・グリッスルそのものを破壊しよう、ということではないのよ。というのも、わたしはどんな風に、スロッビング・グリッスルがどんな風にはじまったか、それをありのままに本のなかで説明したし、その背後にあった興奮もちゃんと書いた。それに、わたしたち全員がTGに送り込んだ突きの勢いについても描写したしね。あれは単にひとりの人間のやったことではなかったし、ひとりの人間のアイディアから生まれたものでもなかった。もちろんCOUMトランスミッションズは、ジェネシスがあのグループを命名したことで始まったものだった。けれどもそれ以降、COUMは参加者みんなのものになっていったわけ。「COUMは誰もに属するもの」という、それはそもそもあのグループの気風の一部だったんだしね。ということは、ではどうしてわたしが自分自身のストーリーを本に書く行為が、(苦笑)スロッビング・グリッスルのそういう気風を破壊するということになるのか? という。それはつじつまの合わない話よね。
 それに、誰かが神話を信じようとすること、それだっておかしな話であって。というのも、COUM/TGは神話以上にもっと興味深いものだから。だから、あの当時実際になにが起きていたのか、そこをまず理解しなくてはいけないし、それらを知った上で、いままで知ってきたことをまだ信じ続けていきたいか、その判断を自分で下してもらわないと。というのも、あそこで起きていたのはかなり害をもたらすものだったし、そこでわたしたちもツケを払わされて……とは言っても実際のところわたしたち3人(コージー、クリス・カーター、スリージー)は、スロッビング・グリッスルをなんとか軌道に乗せ続けたのよね。3人以外のメンバーとの間で起きた様々な難関にも関わらず、わたしたちはスロッビング・グリッスルをあるべき形で具体化させることができた、という。その点は、人びとも「すごい、よくやった」と考えるべきだと思う。いろんな困難が生じたにも関わらず、スロッビング・グリッスルは人びとが「そうあるべきだ」と考えた、そういう形でちゃんと存在していた。というのも、なにが起きてもTGはTGで変わらない、かつてあったそれそのものの強さ、そしてパワーをいまだに備えているわけで。ただ、いまや人びとは、その内面に関するもっと深い洞察を得ることになった、という。どんな風に物事がはじまっていったのか、人びとがその点を知るのは大事なことだとわたしは思っていて。それを知ったからと言って、別になにかが損なわれることはないだろう、そう思っているし。

ええ、それはないです。たとえば、『RE/SEARCH』マガジンの4&5号(1982年)に掲載されたスロッビング・グリッスルの取材を読むと、「スロッビング・グリッスルのインタヴュー」と銘打たれている割りにテキストのほぼ90%はジェネシスが発言しているんですよね。

コージー:フム。

彼に焦点が当たり過ぎだ、という。いまの自分からすればスロッビング・グリッスルはリーダー格不在の真の意味で民主的なバンドだったのに、当時のメディアでは誤ったバンドの提示の仕方がおこなわれていたんだな、と感じます。あれじゃ、まるで「ジェネシスのグループ」という印象ですし。

コージー:ああ。でも、その点に関しては、本でも触れたと思うのよね。だから、わたしたち3人は自分の声を大きく張り上げるとか、自分自身を宣伝することに興味がなかったわけ。そういうことにわたしたちは入れ込んでいなかったけれども、ただ、ジェネシスは自己宣伝を楽しんでいたし、人びとから注目を浴びるのをエンジョイしていた、と。でも我々残る3人はそれよりももっと、音楽を形にすることやテクノロジーetcに関する色んなリサーチにもっと力を注いでいたのよね。それにまあ、ああした取材のいくつかは、わたしたち自身が知らない間におこなわれてもいたんだしね!

はっはっはっ!

コージー:──だから……(苦笑)バンドの一員にも関わらずそのなかで個人的な自己プロモーションをおこなっていた人間がいた、ということだし、ずっと後になるまでそういう行為がおこなわれていたのをこちらも知らずにいたわけ。それは良くないことよね。それによって問題が引き起こされ、バンドにひびが入りはじめてしまった。というのも、あのバンドは個人云々の存在ではなかったわけだから。ところが、バンドがいったん終わったところで、また他の誰かがバンドを宣伝するようになったわけだけれども、彼らはそこでバンドの名前を傷つけていった、という。そんなわけで、わたしたち3人はまったく関与していないところで、とても奇妙な、心理的なあれこれが起きていた、ということになるわね。それは他の誰かが勝手にやっていたことだった、という。

でも、あなたの本のおかげでわたしたち読者にもスロッビング・グリッスルの真の姿がクリアに掴めるようになりました。4人が平等な民主的な、しかもまったくDIYのバンドとしてのTGを描いたということは大きいと思います。

コージー:ええ。

にしても本当に、可能な限りご自分たちでなにもかもやっていたんですよね。DEATH FACTORYのTシャツもあなたの手製だったわけで。で、このDIYの気風、Tシャツからプロモ写真はもちろん音楽まで、制作/生産面に関して可能な限り直接関わるという、このTGの気風はどこから生まれたんですか?

コージー:それはもともとは……取材の最初の方で、あなたも本に書かれたヒッピー文化について触れていたわよね? で、あの頃、1968年、69年頃から、わたしはもう(ヒッピー系の)Tシャツだのズボンだのを作って売っていたわけだし。単純な話、当時自分たちの身の回りには買いたくてもああいうものは売られていなかったし、それを作ってくれる場も存在しなかった。だから当時のわたしたちのDIYの気風というのは、自分たちの求めていたものは通常の商業ルートでは手に入らなかったし、したがって自分たちで作るほかなかった、と。ところがそれをやった結果として、DIYなら実際、自分のやりたいことを完全にコントロールできるじゃないか、という点に気づかされるのよね。なにもかも、完全に掌握できる。というわけで、その点はスロッビング・グリッスルにとって非常に重要だったし、またクリスとわたしにとっても、クリス&コージーのはじまりからいま現在に至るまで、いまだに重要な点であり続けている。

ロバート・ワイアット、AMM、ジョン・ダンカンといった名前がわりと重要な場面で出てきますが、こういうところからもいままであまり語られなかったTGの音楽的背景を伺い知ることができました。それはたぶん、TGやあなたたちのことを「インダストリアル・ミュージック」という括りでわたしが捉えていたからだと思います。あれら3組の名前は必ずしもその括りには入らないわけで、その意味で驚きだった、ということでしょうが。

コージー:思うに、いまあなたが例にあげた名前を考えてみれば……というか、それら以外の影響のいくつか、それこそもっとポップ音楽系な人たちのことを考えてみてもいいと思うけれど、彼らのことをじっくり考えてみれば、実は彼らのアプローチもわたしたちのそれととても似通ったものであるのがわかるはずだわ。非常にパーソナルで、心のなから、お腹の底からから出て来たものであり、そして自分のやることに対する自分自身を信じるパワーを持っている、という意味でね。だからなのよ、繫がりが存在するのは。それは必ずしも音楽的な意味での繫がりではなくて、その人物そのものとのコネクションかもしれない。ただ、彼らには、彼ら自身の、そして彼らの作品の背後に、そういう打ち込みぶり、そして意志の強さとが備わっている、という。

ジェネシス・P・オリッジの素顔について書くことはやはり神経を使われたことと思います。彼はあなたたち3人に続々と困難や苦情のタネを持ち込んだわけですが、それでもはやりフェアに書かなければならなかったわけだし、かつ本として客観性も維持しなくてはいけなかったわけで。かつての恋人であり、コラボレーション相手であり、しかしいつしか破壊的な存在になっていった、そういう人物を描くのは難しかったのではないかと思うのですが。

コージー:まあ、わたしがこの本を書きはじめた頃──いつになるかしらね、2015年には書き終えていたわけだから……

ああ、そうだったんですか(※英オリジナル版の出版は2017年)。

コージー:ええ。だから、さっき話に出た「日記からの最後の引用が2014年」というのも、もっと意味がわかりやすくなると思う。というのも、あの時期からわたしは本の執筆をはじめていたし、そこから出版社のフェイバーがこちらにアプローチをかけてきて。と同時にその頃、わたしは「ハル・シティ・オブ・カルチャー 2017」企画にも取り組んでもいて(※シティ・オブ・カルチャーは4年に一度選ばれる「イギリス文化都市」で文化やアート振興を目指し長期にわたって多彩なイヴェントが組まれる。コージーの生まれ故郷ハルは2017年にその座を射止め、ハルが初期の拠点だったCOUMトランスミッションズの大々的な回顧展も開催された)。
というわけである意味なにもかもが、わたしにとってきちんとこぎれいなパッケージとしてまとまっていった、みたいな。フフフッ! 自分の本の執筆、そしてCOUM回顧、という形でね。わたしがCOUM展のためにやっていたリサーチ、それがまた本向けのリサーチにも流れ込んでいた、という。そんなわけで、エモーショナルなアプローチと共に、わたしはある種客観的なアプローチも用いることになった、と。この、パラレルを描くふたつのアプローチの仕方、これが実際、わたしには上手く機能したのよね。というのも、それならわたしは客観的であると同時にまた、主観的にもなれるわけで。で、わたしは自分の本を、なんというか……なにも「積年の恨みを晴らす」めいたものにしたくはなかったから。そういう本ではないんだしね。

(苦笑)はい、もちろん。

コージー:そうではなくて、これはわたしの人生についての、わたしの物語を書いた本だ、と。で、とある誰かがわたしに対して、あるいは他の面々に対して本当にひどい仕打ちをしてきたこと──それは彼らの側の、その人間の問題であって、わたし自身の問題ではないわけ。そういう連中は、わたしのストーリーのなかに登場するキャラクターに過ぎない。彼らがあまりにひどい振る舞いをしたことについても、(苦笑)それが彼らの人なり/実像なんだから仕方ない、と。その事実を変えることは、わたしにはできなかったしね。それと同じで、逆に誰かがわたしに本当に良くしてくれたら、その事実を書き換えるつもりはないわ。それに実際の話、わたしの物語にしても、他の誰かがしでかした悪質な行為のいくつかに負っていたんだし。というのも彼らのそうした行為のせいで、わたしが立ち向かい対処しなくてはならないシチュエーションも生じたわけで。で、それらの行為はわたしの人生に本当に大きなインパクトを与えた、と。
というわけで……当時なにが起きていたか回想する意味では、それが困難だった、ということは一切なかったわ。というのも、いろいろな状況をくぐり抜けていた時点で、その都度それらに対処し乗り越えていったから。ただ、さっきも言ったように、本当に困難を感じた点というのは、本を書いていくなかでわたしはある意味欺瞞の程度の深さを明るみにすることになった、その根深さを初めて知った、そこだった。だから、自分というのは本当に、彼が敵対していたものの縮図的な存在だったんだ、その事実に気づかされたことは難しかったわね。悲しいことに、彼はそれらすべてを否定しているけれども──彼がいつも使う手口、それは「敵対」なわけだし。あの点は、だから厄介だった。

ある意味、本を書くことで嘘を発見し、あなたは再び傷つけられた、ということになりますね。

コージー:そうね。

もちろん、そのつもりで執筆したわけではないけれど、結果的に更なる嘘がばれていった、と。

コージー:そうそう、結果的に、自分が気づいていた以上の嘘があったことが明るみになった、という。

(苦笑)ひどいですね。

コージー:ほんと、まったくよね。

やぶへびになってしまった、と。

コージー:ええ、そういうこと(苦笑)。まったくもう、キリがないっていうね(苦笑)。クックックッ……。

とくに後半の6章ぐらい、TG再集合のくだりでジェネシスのやったとんでもない仕打ち等々、書いていて決して楽しくはないことにも触れていますよね。普通の人だったら伏せておきそうなところも、あなたは本に収めています。ありのままを伝えよう、あなたの経験をできるだけ忠実に書き記そう、ということだと思うのですが。

コージー:それはそうよ。だから、あれらすべての事情がまた、わたしのストレスを大きくしてもいたわけで……それ以前に、わたしとクリスは息子を病気で失いかけた、そんな大きな心的負担もこうむっていた。ところがあの時点で、わたしは他の誰かから余計なストレスまでもらう羽目になった。しかもその人間には明らかに、わたしとクリスが当時どんな状況をくぐっていたか、そこに対する同情心が一切欠けていたわけで。とにかく、心労の上にさらなる心労が重なっていって。それで遂には、わたしは疱疹で倒れることになったし、体調も相当悪くなって。自分たちの上に山積みにされていったすべてのストレスの結果がそれだったわけよね。
で……と同時に、わたしたちにはスロッビング・グリッスルのファンたちに対する責任もあったわけで。だから、あれはもう──「これがわたしの人生。こんなにつらいのに、どうやったらこの人生を好きになれる?」みたいな(苦笑)。あれはわたしの人生のなかでも大きなポイントだったし、人びともスロッビング・グリッスル再結集劇については読みたがるだろう、と。ただ、あの背後で起きていたのは、わたしたちが味わった数々の困難の物語だったのよね。

けれども大事な点は、では、その「神話」を支えるために、COUMトランスミッションズおよびスロッビング・グリッスルのメンバーだったひとりの人間がこれまでプロモートしてきた「神話」を支えるために、自分自身の人生体験の数々を犠牲にするだろうか? ということであって。それが正しい行為とはわたしには思えない。

『アート セックス ミュージック』にはユーモアもありますよね? クリスが何気に感電して、部屋の隅にまで飛ばされたり──

コージー:(苦笑)ああ。

それとか、彼がドリルで指に穴を開けてしまい、その数日後に今度は別の指を折った場面とか。

コージー:(笑)そうね、あれは可笑しい。

よく考えたらすごいことをさらっと書いていますよね。クリスの健康面で言えば冗談じゃなかったでしょうが、あなたの淡々とした書き方が逆に笑いを誘うところがあって。

コージー:でも、あれが……(笑)だから、ユーモアはわたしの人生のなかで大きな役割を果たしてきた、ということ。それから、「笑い」ね。っていうのも、わたしはべつにダークで陰気な、鬱でふさぎ込んだ人間ではないんだし。人生を愛しているし、楽しんでいる。で、わたしは他の人たちには見つけられないような場所にも、ユーモアを見出してしまうのよね。だから……そうねぇ、人生の大半を自分は笑顔を浮かべながら過ごしてきたんじゃないか、自分ではそう思ってる。もしかしたらそのせいで、わたしのかいくぐってきた色んな問題が逆にもっと際立つことになっているんじゃないか? とも思うし。
 でもほんと、ああいう「手榴弾」(※本文中に出てくるジェンからの報復/嫌がらせの比喩)にはなんとか対応しなくちゃいけないのよね。それにユーモアで応じてやろう、と。ユーモアはわたしの人生のとても大きな部分を占めてきたし、とても、とても大事なことだわ。

そういうユーモアというか茶目っ気は、スロッビング・グリッスルのメンバーも共有していましたよね。

コージー:そうね。

たとえば、『20ジャズ・ファンク』のプロモ写真で──

コージー:(苦笑)ああ。

ジェネシスがYMOのシャツを着てかっこつけていたり、TGのライヴの最後をマーティン・デニーで締めるっていうことにも通じているように思います。

コージー:ええ、だからアイロニーもあったわけよね。で、あれはちょっとこう、「ミューザック」というコンセプトで遊んでみた、というところもあったし。だから、スロッビング・グリッスルを通じてはらわたに響くとてもフィジカルななにかを体験した後で、聴き手を軽く落ち着かせてあげよう、と。あの経験の後には最高に素晴らしいマーティン・デニーのミューザックが待ち構えている、というね。彼はレズ・バクスターなんかと共にひとつの新たなジャンルをはじめたんだから、それってすごいことだと思う。

他愛のないユーモア、いたずらっ子めいた側面があったわけですね。

コージー:そう。だから、スロッビング・グリッスルとは真逆なことよね。

そのふたつは、TGのコインの裏表だったんですね。

コージー:だからなのよね、あなたがさっきも言っていたように、人びとがスロッビング・グリッスルに対する「神話」を抱くことになったのは。でも、わたしたちは既にあの頃ですら、ギグのおしまいにマーティン・デニーを流すことでその神話を反故にしていたわけで。わたしから言わせれば、じゃあ彼らはいったいどんな神話に執着しているんだろう? みたいな。

(笑)。

コージー:それにその神話は、当時のスロッビング・グリッスルすら喧伝していないものだったんだしね。わたしたちはそういう神話を絶えず自分たちで破壊してきたし、TGを終結させたのもそれだった。そうすれば、神話もなくなるわけだし。その点を人びとは誤解していたのよね。TGというのは、人びとがTGにインスパイアされて彼らがそれぞれ自ら作品を生んでいく/仕事していくための、その媒体を提供する存在だった。だから、わたしたちは人びとのために色んなドアを開けていった、ということ。せっかく開けたそのドアを人びとが閉ざしてしまい、わたしたちの実際の姿とは異なる「TGとはなんだったか」を彼らに定義してもらうことは、こちらは望んでいなかった。

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だから女性たちも、「セックスをしたらうっかり妊娠するかもしれない」という恐れを抱かずに済むようになった。そこである種の多幸感みたいなものが生じたし、突然、女性たちは「解放された!」と感じたわけ。ところがわたしたち女性が気づいていなかったのは、その解放感に伴う現実はどんなものか、ということで。

ハルという暴力的な地方都市のなかで、労働者階級の娘として生まれ育ったあなたから見た1960年代の英ヒッピーのコミューン文化の描写も、興味深かったもののひとつです。この意見は間違っているかもしれませんが──少なくともわたしが思い出す限り、イギリスの「60年代カウンター・カルチャー追想記」や「シックスティーズの物語」みたいなものの多くは、いわゆる「スウィンギング・ロンドン」が中心に描かれてきたな、と。

コージー:ああ、そうよね。

なので、当時ロンドンから遠く離れた地方都市で生きていて、基本的にはロンドンのヒッピーたちと同じようなことをやっていた人の目線から書かれた文章を読むのはとても新鮮でした。というか、「コージーはどうしてこういうことをやれたんだろう?」とすら。「なにもロンドン(首都)にいなくたって、アンダーグラウンドのカルチャーや精神に触発されるのは可能だ」と確認できて、その意味でも励まされました。

コージー:なるほどね。たしかに(地方都市で)ああいうことをやるのは、とても難しかった。そう言っても、自分の周りには仲間がいたし──かなり少人数のグループだったけれども。ただ、その小規模な集団だって、やがてどんどん大きなグループへと花開いていったんだけれどね……とはいえ、ハル全体の人口からすれば、わたしたちはごくちっぽけな集団だった。それでも、自分たちのやりたいことはこれだという、その決意はとても固い集団だったわね。

平たく言えば、あなたたちは「ハルの変人集団」だった、と。

コージー:そう。わたしたちは変人だった。

でも、あの時期のコミューン描写を読んでいて驚かされた──というか、いまでは驚きではないかもしれませんが、60年代文化というのはずっと「ラヴ&ピース」的に描かれてきたわけですよね。ところがあなたの本を読むと、実際は非常に男性優越主義なカルチャーだったことがわかる、という。

コージー:ああ、ほんと、そうだったわ。

女性であるあなたは掃除・洗濯・食事作りの役目を負わされて、一方で男性連中は居間でなごみながら政治だの革命的なアイディアを話し合っている、という図式。あれを読んで、やはりちょっと驚いたんですよね。

コージー:うん、だから、あなただってヒッピー・ムーヴメントが起きていた時期というのは、「フリー・ラヴ」の時代だった、と思うでしょうし……

ええ。男女問わずフリー、なので平等だったのかと思っていたら、そんなことはなかったわけです。

コージー:ええ、それはなかった。あの時点ではまだ男女平等は見えていなかったし……そうは言っても、ここで思い出さないといけないのは──あの当時、女性は避妊剤、ピルを手に入れられるようになったわけよね。女性たちも、「セックスをしたらうっかり妊娠するかもしれない」という恐れを抱かずに済むようになった。そこである種の多幸感みたいなものが生じたし、突然、女性たちは「解放された!」と感じたわけ。ところがわたしたち女性が気づいていなかったのは、その解放感に伴う現実はどんなものか、ということで。
 だから、ええ、わたしたち女性も自由にセックスできるようになった。けれども、それは男性たちにとっても、誰かを妊娠させることなく、好きに誰とでもセックスできるようになった、ということであって。それは男性から見れば都合の良い、二重の勝利だったわけだけど、当時の女性にとっては決してそうではなかった、とわたしは思っていて。突如としてこの自由が手に入ってわたしたちはとても喜んだわけだけど、それが男性優越主義にどう影響するか、そこまで考えてはいなかった。わたしたちはただ「自由だ、最高」とばかり思っていたし、これで家庭から出られる、婚約し結婚して子供を作り、そして職に就くという、当時若い女性が進むべきとされていたルートから出られる、そうやって自由になれる、そう考えていた。ところがその自由は、制約や条件付きのそれだった、わたしはそう思っていて。というのも、当時わたしたちの周囲にいた若い男性たち、彼らにしてもまだ「家庭の主たる男」という考え方を持ち、そうなるべく育てられた、そういう世代の人間だったわけで。で、男は家庭において女性から奉仕されるもの、という。

そういう男性たちにとって、ある意味60年代はハーレムのような状況になったわけですね。

コージー:そう! うん、実はそういうものだったんだと思う。そうは言っても、当の男性たちだって「自分たちはフリーだ、女性も解放された」、そう考えていたわけだけれども。そうやって分析してみると興味深いものよね。

もちろん、男性がハーレム状況を作ろうとした、とは言いませんが──

コージー:それはないわよ。

ただ、ピルにしても100%安全な避妊法ではないし、望んでいない妊娠をしてしまう女性もいるわけですしね。

コージー:わたしもそうだったしね(苦笑)。

ええ……。で、妊娠は難しいなと感じるんですよね。わたしは子供を持たない身ですが、子供ができるのは素晴らしい経験だろうな、とは思うんです。母親になるのも女性にとっての新たな開花でしょうし。ただ、同時にそれが女性にとって足枷になる場合もあるわけです。男性は妊娠しないので、そういうジレンマは起こらないんだろうな、と。

コージー:そうね、男性の人生は妊娠にまったく左右されることなくそれまで通りに続いていく、と。妊娠による妥協というのは存在するし、そこで妥協させられるのはまず女性なのよね。だから、「子供を持とう」という覚悟を決めないといけない。子供を持つと自分自身の人生に影響が及ぶ、それを理解した上で決心しないと。それは自分に依存する誰か、自分自身よりも優先するべき誰かが自分の人生に現れるということだし、子供がまず第一になる。そういう責任を負うことになるわけよね。わたしとクリスが息子のニックを授かったときは、わたしもその点は理解していた。ただ、17歳で初めて妊娠したときの自分には、子供を持つことが自分になにを意味するか、まったくわかっていなかったのね。だから……とてもつらかったわ。というのも、いざ子供を持ってみると、若い頃の自分がやったこと、そのリアリティが再びぶり返してきてショックを受けるわけで。本当に、悲しいことだから。

中絶や流産、そして妊娠といったことは、男性と女性とで影響の出方が違うでしょうしね。男性でも、大きくショックを受ける人ももちろんいますし。

コージー:ええ、それはもちろんそう。これは、女性も男性も共に、両方で進んでいかなくてはいけない問題だし。というのも、とてもエモーショナルな経験だから。子供を持つこと、その実際面も親の人生にもとても大きく影響するわけだけだけれど、「子供を持とう」と決心すること、それは男女双方にとって本当にエモーショナルな面で大きな決断なのよね。軽い気持ちでやれることではないから。ほんと、とても大変だしね。

あなたとあなたの父親との関係から、当時のサブカルチャーやアート界であなたが味わったひどい経験、そしてジェネシス・P・オリッジの存在もふくめて、『アート セックス ミュージック』では父権社会というものが浮き彫りにされていきます。これは、意図して描いたものなのでしょうか、それとも包み隠さず書いていったらそうなったということなのでしょうか?

コージー:ええ、隠さずに自分の人生を書いていったらこうなった、ということね。というのも、実際に起きてしまったことは変えようがないんだし。あなたは父権社会というカテゴリーに入れるかもしれないけれど、それは実際にわたしが体験したのがそういうものだったから、なのよね。それ以外にも、男性優越主義、女性嫌悪といったものもそこにぴったりと収まるわけ。ただ、それらはわたしが自分で自分に対してやったことではなかった。

ええ、どれもあなたの外部から発したものですよね。

コージー:そう! だからなにも、人びとの集まったところにわたしが入っていって、「どうぞ、女性嫌悪者として、できるだけひどい振る舞いをわたしに対してやってください。その体験について本を書くつもりなので」なんてお願いしたわけではなかったんだし。でしょう? 

(笑)ええ、もちろん。

コージー:だから……あれらが事実だった、ということ。で、事実というのは一部の人間の口に合わないこともあるわけよね。そういう人たちは、わたしはお立ち台に立って父権社会や女性嫌悪、抑圧云々について叫んでいるだけだ、そう考えたがっているわけだけど、そんなことはない。そうではなく、わたしはあれらを実際に「生きた」わけ。だからといって、それによって……わたしは犠牲者ではないのよね。自分が犠牲者だとはちっとも感じない。だからユーモアの存在も、そうした抑圧を乗り越えるための戦略だったんでしょうね。そしてまた、わたしを実際よりちっぽけな存在だと思わせようとする連中や、わたしの潜在的な可能性やなりたいものを目指す思いを引き留めようと足を引っ張る人間たち、彼らに対して挑んで反抗していく、という。自分の人生のはじまりの段階にしたって、父親とは──そうね、彼がいろんなやり方でわたしをコントロールしようとしたにも関わらず、わたしはいつだってそれを無視して外出し、やりたいことをやって支配に反抗してきた。そうやって外に出て、やりたいことをやったおかげで、わたしは最高に楽しい思いとものすごい充足感とを味わうことができた。で、そうやって楽しい思いをすること自体、支配に対するカウンター攻撃の一部でもあったのよね。そのせいでお仕置きを受けたわけだけれども、それにしたってまあ……罰を受けたりいろいろあったけれども、自分はこの家を出て行くんだ、それはわかっていたし、実際10代で家を出たわけだし。だから、家を離れる日が来るまで、自分はできるだけ楽しんでやる、そう思っていた。そうは言っても、門限を破っては父にぶたれていたわけだけど(苦笑)。

にしても、せっかく父親から「逃れた」ところで、続いてあなたはジェネシスに出くわしたわけですよね。彼も最初のうちは一見フリーな精神の持ち主、ルネッサンス・マンっぽかったものの、やがてあなたを支配し意のままに操ろうとする面が出てきた。せっかく父親のコントロールから逃げ出せたのに、またもや人生に同じようなタイプの男性が存在することになったのは、あなたとしてもさぞやがっかりさせられた体験だっただろうな、と思いましたが。

コージー:ええ。でも、そこを見極めるのに半年しかかからなかったわ。

(苦笑)なるほど。

コージー:彼との恋愛関係のはじまりの段階から、わたしはかなり懐疑的だったのよね。まあ、あなたからすれば「なんだってまた、彼女は彼を愛していると思ったんだろう?」と、さぞや不思議でしょうけれども。ただ、もうひとつあったのは、あの関係がはじまったときというのは、両親の家の外に広がっている自由な世界がわたしに見えたときと重なっていたのよね。で、その自由に至る道というのは、ヒッピーのコミューンに参加することだった、と。さっきも言ったように、付き合いの最初の頃から懐疑的だったし、だからあのコミューン内でも初めのうちは自分だけの一人部屋を借りていて、ジェネシスと一緒に暮らすことはしなかった。というわけで、そうね、家を出てわたしは外の世界に出て行ったし、ありのままの自分になれて、いろんな機会にも出会い、世界の中心に自分はいる、そんな思いを味わっていた。で、そこでもこの……イライラのタネに対処しなくてはならなくなったわけだけれども、あの手の苛立ちは、実家にいた頃から父親相手に体験してきたわけで。わたしにはもう経験済みのものだった、と。きっと、だからなんでしょうね、たまに「あんな目に遭わされたのにどうして我慢したんですか?」と、わたしの行動の理解に苦しむ、と言ってくる人がいるのは。でも思うに、そうね、17年ものあいだ父を我慢してきた経験を通じて、自分自身を失わずにいるには、自分のやりたいことをやるにはどうすればいいか、なんとかそれをやっていく方法を見つけ出していたわけで。それに、ある意味では……彼のやったこと、そして彼がどういう人間だったか、それらはわたしにとっても有用だったんだし。彼はわたしの役に立ってもいた、という。その面も考えに入れるべきよね。あの場にいたことは、実際わたしの役にも立ったんだし。

なるほど。でも、そうやって自分に有利なものへと状況を引っくり返せたのは、あなたがそれだけ強い人だった、ということでもあるんでしょうね。仮にあなたと同じようなつらい立場に立たされた女性がいたとしたら、彼女たちの何人かは屈服させられ、黙らされていたでしょうし。

コージー:それはもちろん! だからなのよね、人びとが女性の側を責めて批判することに対して、わたしが賛成できないのは。人びとは「(そんなに苦しいのなら)どうして君は家を出なかったんだ?」、「なんで相手を捨てられなかったんだ?」等々……だけど、そうやって批判する側は、ひどい目に遭ったり虐待された人間とは違う類いの人びとなわけよね。そういう人たちに、「自分はこの状況から逃れることができない」と感じている人を批判する権利はないから。というのも、「逃れることができない」とその人間が感じる理由は本当にいくらでもあるんだし、それは感情面が理由なこともあるし、実際面や金銭面、ときに政治的な理由ということもあるし、あるいはまた、アートをやっていくために、その状況から脱出できないことだってあるわけで。
 わたしがジェネシスと別れたのは、COUM〜スロッビング・グリッスルが本当に好調に進んでいたときだったわけよね。だから、あれは本当に大きな決断だった。というのも、わたしが彼から去ってしまったらCOUMもTGも終わるだろう、それは承知していたから。だけど、(笑)実はそれはどうでもいいことだったのよね。というのも、その先にはもっと素晴らしい、もっとずっと素敵なものが待ち構えていたんだし、それがクリスだった。でまあ、この本に関するインタヴューを受けるたび、話題はジェネシスに集中しがちなんだけれども、わたしの人生でもっとも大きかった存在、それはクリス・カーターなのよね。

それは、わたしも本を読んで強く感じました。彼はどれだけあなたにとって意味のある存在なのか、と。

コージー:そう。だからそれ以前に起きてきたことはすべて、わたしがクリスに出会う瞬間、その場面にわたしを連れていってくれるのに役立ってきたものだった、という。で、彼と出会ったところで、それまで自分の経てきたなにもかもの意味がわかるようになった。だから、彼と出会う以前に自分に起きてきたこと、そのなにもかもが、彼とわたしのあいだにある「これ」、この関係こそ自分がこれから保っていくものなんだ、と気づかせてくれた、というか。そしてまた、愛とは本当はどういうものなのか、自分のアートや自分自身に対して満ち足りた思いを抱くのはどういうことなのか、そこにも気づかされた。
 というのも、クリスのおかげでわたしはわたしを完全に信頼し、応援してくれる人を得たんだし、しかも彼にはわたしをコントロールしようという面が一切なかったわけで。それだけ、彼はわたしを愛してくれているのよね。でも、それが愛というものなのよ。愛している人間を変えようとは思わないでしょう? というのも、あなたはその人間をまるごと愛しているんだから。

この本は、COUM〜TG〜クリス&コージーそしてX-TGへの物語であり、同時にひとりの女性の人生譚/サヴァイヴァル譚でもあります。女性からの共感が多かったと聞きますが、男性からのリアクションで、なにか面白い感想があったら教えて下さい。

コージー:どうなのかしらね、わたしは「女性/男性」と分けて考えることはないから……「人びとのリアクション」としか考えない。もちろんそういう見方をとることもできるけれども、それでもやっぱり、わたしはあらゆるジェンダー、セクシャルな性向に向かっていきたいし、それが本の基盤にもなっているわけで。だから、「ある人間」についての本なのよね。もちろん、「男性VS女性」の図式とか、トランスジェンダーだとか、みんなそれぞれに違う。ただ、これはある人間についての、かつあなたがいま言ったように、サヴァイヴァルについての物語であって。そうは言っても、わたしは自分に生まれついて与えられたもの、渡されたカードに対して闘ったことはなかったんだけれども。とにかくただ、自分には自分の人生のなかでやりたいことをやる権利がある、そう信じてきただけのことで。だからなのよね、この本に「男性/女性」という見方でアプローチしないことが重要なのは。
 というのも、性別がなんであれ、やりたいことをやる権利は誰にとっても大切なことだから。そうは言っても男性のほうが、「自分にはこれをやる権利があって当然」という感覚が女性よりも強いものだけれども。ただ、自分自身を信じて、これはやらなくてはいけないと強く感じることをやっていくこと、それは誰にとっても大切。で、そうやって「自分はいったい何者なのか」を理解していくこと。それは大きな課題だわ。自分が誰かを理解するためには、様々な人生経験を経ていかなくてはならない。シェルターのなかに身を隠しているわけにはいかないのよね。というのも、人びとや経験、世界はそこに存在しているんだから。けれども……本当にたくさんの人たちから、本に対してとても素晴らしい反応をもらってきたわ。とは言っても、わたしはフェイスブック等々はやっていないから、あの手の場でなにを言われているかは知らないけれども。そもそも興味もないし、ゴシップだらけだしね。

でも、この本を読み終えて真っ先に個人的に感じたのは、「若い女性に広く読んで欲しいな」ということだったんですよね。あなたの本なのでスロッビング・グリッスルやクリス&コージーのファンがいちばん読むでしょうが、いま「女性に読んで欲しい」と言いましたが、実際もっと広く、性差etcに関わらず様々な形での抑圧や支配に苦しんでいる人に読んでもらえたらいいな、と。そうしたコントロールに対する対処の仕方も書かれている、ドキュメントになっている本なので。

コージー:そういえば、面白けれども、友人から「世界最初の小説は日本人の女性が書いた」と教わったのよね(※紫式部の『源氏物語』と思われます)。

ああ、はい。

コージー:だから、日本人女性のあなたから、わたしの本に対してそういう感想をもらうのはとても興味深いわね……うん、本当にそう思う。というのも、大昔の日本の宮廷で宮仕えしていた、そういう女性が小説を書いたわけでしょ? だからそれを考えてみれば、何百年も前の世界ですら、女性たちは「自分の思いを、言葉を聞いてもらいたい」という必要を感じていたわけで。で、彼女たちには耳を傾けてもらう権利がある。わたしたち女性はなにも、「沈黙したままの多数派」ではない、という。でも、そうね、とにかくこの本が、色んな層の多くの読者に届いてくれることを願っている。で、本を読んだ人たちにとっても、彼らの持つポテンシャルを活かして自分のありのままの姿を追求する、そのインスピレーションになってくれたら本当にいいな、そう思っているわ。彼らは彼ら自身であればいいんだし、流行りのファッションだとかを真似する必要はない。というか、わたしのやったことをコピーする必要すらないのよ。それくらい、誰の人生だってみんなそれぞれに違うんだし。

人びとが女性の側を責めて批判することに対して、わたしが賛成できないのは。人びとは「(そんなに苦しいのなら)どうして君は家を出なかったんだ?」、「なんで相手を捨てられなかったんだ?」等々……だけど、そうやって批判する側は、ひどい目に遭ったり虐待された人間とは違う類いの人びとなわけよね。そういう人たちに、「自分はこの状況から逃れることができない」と感じている人を批判する権利はないから。

スロッビング・グリッスルという言葉は男根の暗喩ですよね。男根はパワーの象徴で、歴史的にも崇拝されてきましたが、それを敢えてグループ名にしたのはどうしてですか? ひとつのアイロニーというか、TG内においても暗黙のなかで反父権社会的/反マチズモ的なものがあったからでしょうか?

コージー:まあ、あのタームを使うことにしたのは、わたしの友人のレズ、彼がペニスを意味するタームとしてあれを使っていたからなのよね。その意味合いは彼がすっかり説明してくれたし、あれはそれまで、わたしたちの誰ひとり行き当たったことがなかった言葉で。それに、もうひとつあったのは……あれはバンドが普通だったら絶対にバンド名にしない、そういうものだったところ。

(笑)なるほど。

コージー:というのも、あれはパンク以前の時代だったわけで。あの頃、「包皮」とか、そういう名前のバンドは存在していなかったでしょ。というわけで、スロッビング・グリッスルという名前は……だから、さっきも話した「笑える」点、ユーモアも関わっていた、ということ。誰かがレコード店に行って、「スロッビング・グリッスル(陰茎)のレコード、ありますか?」と尋ねる場面を想像する、という。

(笑)。

コージー:だから、「バンドの名前だ」とわかっているつもりでも、そこにはダブル・ミーニングもある、という。そうはいっても、あの名前は「TG」に縮められてしまったんだけどね。クリスはあの名前が嫌いだから。

らしいですよね。彼はいつも「グリッスル」か「TG」としか呼ばなかったそうで。

コージー:ええ。それから、前身だったCOUMトランスミッションズとの繫がりもあった。COUMのシンボルには「COUMペニス」があったし、あのペニスは性交後の萎えたそれだったけれども、そこからTGになったところで、勃って準備万端、世界を相手に固く立ち向かっていく存在になった、と。それが、わたしの見方ね。

1970年代、セックス産業に与しているという理由によってフェミニストから批判されたあなたが、いまとなってはフェミニズム的な文脈のなかで評価されていることをあなたはどう感じていますか?

コージー:まったく問題なし。だから、どういう文脈にわたしの作品を当てはめるかそれ次第だ、という。わたしやわたしの代理人のギャラリー側に「こういう展覧会があるので作品を貸してほしい」という提案が届くと、わたしたちは話し合い、その展示の文脈にわたしの作品の本来持っていた意味がフィットするかどうか考えるし……だからとにかく、わたしの作品に対する評価の変化というのは、時代の変化、そして物事への姿勢が変化した結果だと思っていて。だからある意味、何年も前に自分のやっていたことに時代が追いついたんだな、と。いまの人びとはあの作品をありのままに眺めるけれども、発表した当時の人びとにはそういう風に観ることができなかった。ということは、早過ぎたのかもね? どうしてそうだったのかは、わたしにもわからないけれども。ただ、あれらの作品は現在の時代に居場所を見つけてみせた。とは言っても、そこまで何年かかったのかしら……それこそ、40年近く?

(笑)ですね。長かったですね。

コージー:(苦笑)ええ。

ただ、やっぱりあなたにも新鮮な気分だったんじゃないでしょうか。「受容」や「評価」があなたの目的だったことはなかったし、自分の作りたいアートを作るのみだったとはいえ、ああして時代が追いついたことは嬉しかったのでは?

コージー:まあ、クリス&コージーの作品にしたって、人びとがあれに追いつくのに10年近くかかったわけだしね。

ああ、たしかに。

コージー:で、人びとが追いついた頃には、わたしたちはもうカーター・トゥッティに変わっていた、という。でも、それはいまでも続いているのよね。人びとはカーター・トゥッティ・ヴォイドを求めているけれども、わたしたちは既に他のなにかに取り組んでいる。たとえわたしのやる仕事の一部に対する人びとからの受けが良いからといって、それに足止めを食らわされるわけにはいかないから。わたしのやっているのはそういうことではないんだし……いま現在にしたって、わたしは他のことに取り組んでいるけれども、それでも人びとからはわたしたちが10、20、30年くらい前にやっていたようなことをやって欲しい、と求められる。だけど、自分の持ち時間のなかで、自分にやりたいことは他にもっとあるから(苦笑)。

常に先を行っているんですね。

コージー:いいえ、そんな風に考えたことはない。とにかく、常に自分のやりたいことをやっているだけ(笑)。

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まあ、わたしたちはいつだって個人として物事に対処していた、ということね。陳腐な言い回しになるけれども、「個人的な物事は政治的である」と。いまの質問である意味、あなたはわたしたちは政治に繫がっていなかったのではないか、と言ったわけだけど、そんなことはなくて、当然わたしたちも政治には関わっている。

フェミニズムに限らず、70年代、80年代のUKの音楽シーンはどこかしら政治思想、イデオロギーとリンクしていたと思います。アナキズム、社会主義、コミュニズム、反資本主義等々。

コージー:フム。

でもスロッビング・グリッスルにせよあなたにせよ、ああいう風におおっぴらに「政治的」だったことはなかった気がします。特定の政治的な「派閥」に同調したことはなかったのではないか? と。あなたは意識的に様々な「〜イズム」とご自分の作品との間に距離を保っていたのですか?

コージー:まあ、わたしたちはいつだって個人として物事に対処していた、ということね。陳腐な言い回しになるけれども、「個人的な物事は政治的である」と。いまの質問である意味、あなたはわたしたちは政治に繫がっていなかったのではないか、と言ったわけだけど、そんなことはなくて、当然わたしたちも政治には関わっている。ただ、個人のレヴェルでそこに関わっているだけ。でも個人的であっても、最終的にはとても政治的になっていくものであって。いまのようになにかひとつ、個人としてのレヴェルで物事がまずくなっている状況があったとして、ではそれを地球規模で考えるとどうだろう? と。イギリス国内に留まらず、アメリカやドイツ、世界各地のことを考えてみると、誰もが政治のせいでパーソナルな面で苦しめられているわけよね。そういう段階こそ、パーソナルが非常にポリティカルになる場面だ、と。
 というのも、政治を再び正しい軌道に戻さなくてはいけないわけだし。多数の人びとの声を代弁させなくてはならないし、ただ単にキャリアを求め権力を手にしたがっていて、金儲けをしたいだけ、そういう手合いを代弁しているわけにはいかないだろう、と。政治はそういうものじゃないんだしね。たとえばここイギリスみたいに、わたしたちにいまある政治状況では、それこそ国そのものが崩壊しかねない。人びとは権力に酔い、経済面での利害を追求している。完全に狂っているし、まったく理解できない。だから、わたしとしても民主主義社会に生きているつもりでいるのが本当に難しくて──というのも、人びとはこれを民主主義と呼んでいるけれども、実際はそうじゃないわけで。……どうもわたしも、いまやすっかり政治的になってるみたいだわね(苦笑)?

いまはそうならざるを得ないですよね。もっとも、どの時代でも困難な状況はあったでしょうが。

コージー:ええ。でも、いまは危機的状況じゃないか、わたしはそう思っているわ。

すでに『D.o.A.』の頃にはメンバーそれぞれの分担作業になっていたTGですが、それでもグループとしてのパワーを発揮していたというのはすごいことだと思います。再結成のライヴもそうですが、TGにはバンドとしてのマジックがあったんでしょうね。そのことをあなたはいろんな言い方で表現しているように思います。言葉で捉えて表現するのはそれくらい難しいなにか、だったんでしょうか。

コージー:ええ、というか、みんなどう表現すればいいか困るんだろう、と思う。あれは言葉で言い表せないなにかだったし、どうして自分は聴いてああいう感覚を受け取るのか、その理由が見出せないものであって。というのも、ひとつの空間にたくさんの人間を集めて、そこでサウンドとエモーションを同時に相手にして取り組んでいると……だから、その場の全員が一緒にそれに関わっている、という。観客の側からもらうエモーショナルなフィードバック、反応、そしてエネルギーとが、プレイしている音楽に入ってきてエネルギーを与えてくれるんだしね。だから、全員が関与しているわけ。で、あれはとても不思議な感覚で……というのも、ある意味、自分自身から抜け出すようなセンセーションが生まれるから。それぞれと繫がり合うのではなく、むしろあのエネルギーそのものとコネクトしてひとつになっている、というか。あれは集団的なエネルギーだったし、なにもわたしたち4人だけの作り出すエネルギーではなかった。とにかく、口では説明しきれない(苦笑)。

(笑)でも、本のなかであなたはかなりがんばってあれを描こうとしましたよね。

コージー:ええ、そうよね! だから、音楽やアートをやるときと同じで、とにかくただ、それが「起きる」という感じ。でもそれって本当に、それ以前に起きた様々なことの組み合わせから生じるものなのよね。で、それらを(ライヴの場という)短い瞬間のなかに凝縮させていくと、どういうわけかすべてがまとまって、完璧なものになる。そういうことを意図的に引き起こすのは不可能だったし、とにかくそれが「起こった」。というのも、その場面に至るまでに過去にやってきたいろんなこと、そしてその場での精神状態とが合わさってああいうものが生まれたんだしね。だから自らをオープンにして、様々なことが通過していく「導管」になる、ということ。ある意味、瞑想をやるときに似ているわね。

TGにライヴ音源が多いのも、それだったんでしょうね。通常の「ロック・コンサート」ではなく、そのときの、その場の、人びとの記録だった、という。

コージー:そうね。

ちょうどこの9月に再発される『Mission Of Dead Souls』は、あなたが本のなかでもっともお気に入りのライヴのひとつに挙げているサンフランシスコでのライヴを収録したものですよね? 

コージー:ええ。

どうしてあのギグが印象に残っているんでしょう? 第1期TGの終わりを告げた作品だったから、ですか?

コージー:それは、自分がほとんどもう外側から音を発しているような気がした、そういう感覚を抱いた唯一のギグがあれだったから、だわね。わたしは実際あの場にいたけれども、でもあの場にいないような感覚があった、という。ほんと、さっきギグについて話したことと同じだけれども、それまでやってきたことのなにもかもが組み合わさってライヴが生まれるわけよね。で、あれは(第1期)TGが最後にプレイしたギグだったし、そのぶんすごいものにもなった、と。
 というのも、あそこですべてが、TGも、なにもかもが最後を迎えていたわけで。それにサンフランシスコ公演の前のロサンジェルスで、わたしたちは言い合いをしたわけよね──例の、あの問題人のせいで。あのときわたしたちは「サンフランシスコではちゃんと元に戻そう、まとまらないといけない」と話し合った。っていうのも、責任は自分たちにあったわけでしょ? あれがTGのラスト・ギグになることになっていたんだし、たとえお互いに対してどれだけ個人的な問題を抱えていたとしても、わたしたち全員が揃えばそれを越えたもっとすごいものになれるんだ、と。で、あのギグはまさにそういうものだったし、素晴らしかった。あのギグ以上にアメイジングだったものと言えば、TGが再結集して初めてやったアストリア公演に……それに、クリス&コージーの音楽を久々にやったとき、でしょうね。あの3本のギグが、わたしにとっては他のなによりも際立って記憶に残っている。

その『Mission Of〜』ですが、あらためて聴くとTGからクリス&コージーへの架け橋的なサウンドにも思いました。たとえばシングル“ディシプリン”以降のテクスチャーやビートは、その後クリス&コージーに受け継がれていくものじゃないかと。

コージー:その意見は興味深いわ。というのも、あの“ディシプリン”のリズムというのは、これは本当の話だけど……ほぼもう、スロッビング・グリッスルがはじまったのとまさに同じ頃から存在していたのよね。

ほう!

コージー:クリスの手元にはいろんな実験をやったテープが残っていて、彼は最近それらを聴き返したのね。で、あの“ディシプリン”リズムはそのテープに含まれていたし、あのテープは本当にごく最初期の、まだわたしたち4人がスロッビング・グリッスルとしてライヴを始める前に録ったもので。

そうだったんですか。

コージー:だからある意味、これも円が一周して閉じた、ということじゃない? クリスがあのリズムをやり始めていて、それと同じ頃にTGもスタートしていたわけよね。ところがあなたにとってあの“ディシプリン”のリズムは、その後のクリス&コージーに至るヒントをもたらすことになった、という。だからほんと、クリスなのよね、物事を繋ぎ止めていた「岩」の存在というのは。

でも、驚きですね。あのリズム/ビートは、その後のいわゆる「インダストリアル・ミュージック」のテンプレートになって、さんざんコピーされたわけですし。

コージー:ええ。本当に、パワフルなものよね。

でも、それはTGの始まりから存在していた、と。

コージー:だから、棒立ちで動かない人間のリズムを無視することはできない、ということで(苦笑)。

(笑)で、今回の3枚の再発で、ほかに『Journey Through A Body』と『Heathen Earth』を選んだのはどんな理由からですか?

コージー:あのすべてになんらかの繫がりがある、そうわたしは思っているから。この3枚のまとまりは、再発企画で同じグループに入れられた他のタイトルほどその理由は明確に映らないかもしれない。タイミングも異なる作品だしね。ただ、あの3枚はスロッビング・グリッスルについてなにかを語っていると思うし、でもそれはノーマルな文脈のそれではない、というか。だから、いつもとは違う……普通よく言われたり書かれてきたスロッビング・グリッスルに関するあれこれからは外れた作品群だ、と。だから、これらを同時に出すのは大切なことだと思ってる。

「アザー・サイド・オブ・TG」とでもいうか、より即興性の強い、ライヴでルーズな側面を物語る作品、ということですか?

コージー:というか、聴き手にも気づいて欲しいのよね。これらの作品もまた、いわゆる「スロッビング・グリッスルのアイコニックな楽曲」と看做されてきた、そういう曲群と同じ時期に生まれていたものだという点を。だから──スロッビング・グリッスルは「これ」というひとつの存在ではなかったわけ。TGは“ディシプリン”とか“ウィ・ヘイト・ユー”とか、そうした1曲に集約されるものではなかった。『D.o.A.』でやったアンビエント調の楽曲や『20ジャズ・ファンク〜』(のラウンジ〜ディスコ解釈)にしても、わたしたちはハードコアなライヴ・パフォーマンスをこなしながら同時にああいうこともやっていた、その点を考えてもらいたいな、と。だから、スロッビング・グリッスルというのは人びとの考える「インダストリアル・ミュージック」というもの、それ以上のなにかだったのよね。要するに、機械工具だの金属製品を買い込むだとか、そういうことではない、と。

(笑)ええ。

コージー:それにTGには、さりげないところもあったしね。だから、実験だった、ということ。わたしたちはあらゆる類いの実験をやっていた。たとえば金属塊をぶっ叩き、ハードなリズムを鳴らし、苦痛に喘いでいるようなヴォーカルをそこに乗っけるとか、それって安易過ぎでしょう? TGはそういうものではなかったし、もっとそれ以上のなにかだったから。

『D.o.A.』そして『20ジャズ・ファンク』のレコーディング過程に関するあなたの本での記述は、TG1作目『セカンド・アニュアル・レポート』のそれに較べると割と簡潔であっさりしている気がしました。あの2枚にあまり文字数を費やさなかったのはどうしてでしょう。

コージー:それはだから、作ったアルバムごとに「我々はいかにしてこの作品を作ったか」みたいに詳述した本を書くつもりは自分にはなかったから。それとか、レコーディングのテクニカル面に関する解説だとか。わたしがあの本で語りたかったのは、わたしがこの世界で経てきた体験についてだった。で、わたしがこの世界で体験した様々なことは、「このアルバムの録音には何インチのテープを使った」とか「どんなタイプのテープを使ったか」といった点に終始するものではない、と。スロッビング・グリッスルの用いた技術だったり使用機材に関する分析は他の人間もやってきたし、これからもその分析は続くでしょうしね。わたしもクリスと一緒になることでそうした面を知ったけれども、詳しいところまではわからない。ただ、あの本はそうした点についてのものではない。あれはわたし自身の人生についての本だ、という。

最後の質問になります。これまでの人生を振り返って、いろいろなピンチな局面があったと思いますが、やはり病に倒れたことは大きいと思います。そもそも、あなたが体調を悪くされていたこともこの本で知りましたが、最近はいかがでしょうか? 

コージー:その日ごとに症状を抑えてコントロールしなくてはならない、そういう状態ね。だから、とても、とても厄介。というか、(本に書かれた2014年までの頃よりも)いまのほうがもっと難しいことになっている。

ああ、そうなんですね……。

コージー:ええ。

これについて質問したかったのは、あなたをなんとしてでも来日させたがっている友人がひとりいるからなんですよ。

コージー:でも、この症状があるからわたしには無理ね(苦笑)。行きたくても行けない、その主な理由が心臓の病気だから。

長時間のフライトができない、と?

コージー:そう。それはいまや、アメリカも含んでいて(※2008年頃まではコージーもアメリカでツアーや展示をおこなっていた)。

ああ、そうなんですか。

コージー:ええ。それに……だからこれまでも、ブラジルだとか、世界各地から招聘は受けてきたのね。ただ、とにかく肉体的に、わたしにはそれらの招きに応じることができない、という。そんなわけで、わたしは来る日も来る日も自分の体調を管理しなくてはならないし、ときにはとても体調が良い日もあって、「よし、不調は消えた!」なんて思うわけだけど(笑)、2〜3日したら症状がぶり返して、安静にして薬を服用しなくてはならなくなったり……。ただ、これに関しては自分でもあまりえんえんと話したくはないの。というのも、いわゆる、病弱でめそめそした、そういう人間にはなりたくないから。
 そんなわけで、どうしてわたしが一部の招待や依頼を断るのか、そこを理解してくれない人は多いのよね。ただ、そうやって様々な招待を辞退している最大の理由は、実のところ、わたしが自分にあるエネルギーを使って仕事をやろうとしているから、であって。もちろん、ライヴだってわたしたちの仕事の一部ではある。けれどもいまの時点では、わたしは物事に優先順位をつけていかなくてはならない。というのも……とにかくいまのわたしにとって、(長旅を含む海外渡航は)肉体的にあまりに課題が大きいから。

日本の側でファン・ツアーを組織して、あなたがパフォーマンスするのを観にイギリスに出向くしかないかもしれませんね。

コージー:(苦笑)そうね。ただ、イギリス国内のギグですら難しいかもしれない。というのも、多くの人間は気づいていないでしょうけど、ギグというのは……たとえば、わたしはもう夜遅くまで演奏し続けることはできない。ところが、イギリスではライヴのトリは普通、夜が更けてから出演するものと思われているわけで(※イギリスのコンサートではヘッドラインは早くて9時半頃に登場。クラブ系のイヴェントでは出演が深夜を回ることもある)。単純な話、わたしにはそれは無理。そんなわけで、誘ってくれてどうもありがとう、でも、お断りします、という。

分かりました。今日は、お時間いただけて本当にありがとうございました。長々喋ってしまいすみません。

コージー:いいのよ、気にしないで。良い質問だったわ。

ありがとうございます。本の日本語版出版が楽しみですし──

コージー:わたしも。実際に本を目にするのが待ち遠しいわ! 素晴らしいでしょうね。

お元気になられることを願っていますので。どうぞ、お大事に。

コージー:ええ、ちゃんと自分の面倒は見るわ。あなたも、元気でね。

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