「LV」と一致するもの

interview with Saito - ele-king

 千葉県船橋の齋藤一家といえば、近所でも評判のオモシロ家族で、TVや雑誌の取材も珍しくない。匿名性を重んじるテクノに限らず、一般人でさえも個人情報に神経質なこのご時世に、ありふれた住宅街の一軒家の庭に貼られたテントで寝起きをし、テントで食事をし、気が向けば釣りに興じ、毎日がキャンプファイヤーのような生活を送りながらエレクトロニック・ミュージックを作っている。それは自然に溶け込む音楽というよりも、ともすればクレイジーでやかましい音楽、住宅街には不釣り合いな変わった音響だったりする。しかもこの夫婦、コロナ禍においては世界に向けてライヴ配信までしている。そして何を隠そう、このオモシロ家族(本人たちの言葉によればエクスペリメンタル家族)の奥方こそ、galcid(ギャルシッド)を名乗るレナであり、ルアーフィッシングに夢中な夫が生まれながらのテクノ野郎、齋藤久師なのであった……。

 さて、そんな齋藤一家から生まれたアルバムのひとつが、つい先日発売となった。SAITO名義によるアルバム『Downfall』で、レーベルはフランクフルトの名門〈ミル・プラトー〉。ちょうどひと月ほど前には、〈ミル・プラトー〉の親レーベル〈フォース・インク〉から、パワフルなテクノをフィーチャーしたシングル「Bucket Brigade Device」をgalcid名義でリリースされたばかりでもある。ちなみに昨年末には、アンビエント作品集「galcid's ambient works」がカセットテープで〈Detroit Underground〉から出ている。フィジカルはすぐに売り切れてしまったが、配信ではまだ買えるし、口コミで評判が広がっているお陰で、いまもなお聴かれ続けている。
 で、最新作となるSAITO名義の『Downfall』だが、これは強いて言うならオウテカの系譜にある音で、SAITO夫妻の盟友リチャード・ディヴァインの諸作ともリンクしている。つまり不規則なマシンドラムがうねりをあげながら、自由についての感覚を模索する音楽だ。とはいえ、SAITOの音楽は実験的ではあるが、よりフレンドリーでもある。奇想天外な展開に喜びの声を上げているロケット弾のような音楽で、あらゆる方向に飛んでは旋回し、最後は無事着陸する。ドイツではすでに評判になっているようだが、SAITOは今後ふたりの主戦場のひとつになるかもしれないと思う。そしてもうひとつ特筆すべきは「galcid's ambient works」のほうで、グローバル・コミュニケーションをダブ・ミキシングしたかのよう音響──といえば良いのだろうか、これが何気に良いのだ。ドリーミーなメロディと美しい静寂は、おそらくはレナの大らかさに関連しているのだろう。
 そんなわけで、気が滅入る時代であってもじつに元気よく暮らしている齋藤家の話をどうぞどうぞ。ふたりは日々の生活をいかに面白く創造していけるのかという人類にとっての重大なテーマに取り組みつつ、アンダーグラウンドなテクノ作品を世界に向けて発信している。まずはその自由な生き方を読者とシェアしたいと思う。こんなでもいいんだと、ちょっと元気になれます。そう、日本を暮らしやすい国にする方法は、個性豊かな変人が増えること、齋藤家のような家族がもっと増えることであることは言うまでもない。

フィジカルにこだわるのは自分たちを守るためですね。若い人たちには音楽を買うって概念がないからです。そうすると、ぼくらは食っていけないじゃないですか。だから1年遅れてでも出すんですよ。

新作はコロナ禍ですごく微妙な時期にリリースされましたけど、順番でいうとgalcidの『galcid's ambient works』が最初ですよね?

レナ:そうです。それも本当は去年の9月に出ているはずだったんですけど、カセットテープの原料である磁石不足で、世界中のカセット製造工場がしばらくクローズしてしまったんです。

この作品は、ちょっと驚いたというか、すごく良いと思ったんですが、まわりの評判が良かったでしょう?

レナ:そうですね。カセットテープは一瞬にして完売しました。アメリカでも全て1週間で売れてしまって、日本ではなんと3時間で売り切れとなりましたね。一応バンドキャンプにもあがっているし、アップル・ミュージックにも入っているから聴けるんだけど、なぜかテープが欲しいって。フィジカルなものを求める人がけっこういるのかな。ヴァイナルもそうなんですけど、でもコロナで完全に工場がクローズしていて、めちゃくちゃ遅れています。通常、デジタル配信が先にリリースされるというのは順番としてありえないらしいけど、そうせざるをえなくて。

齋藤久師(以下、久師):〈Force Inc.〉のものと〈Mille Plateaux〉のものも、今年の1月には出るはずだったんですよ。

フィジカルにこだわるのはなぜですか?

久師:まずは自分たちを守るためですね。だから1年遅れてでも出すんですよ。なぜかというと、若い人たちには音楽を買うって概念がないからです。知的財産なのに。そうすると、ぼくらは食っていけないじゃないですか。さらにコロナになって、ライヴもないとなると、絶対にコピーのできないフィジカルにはこだわりたいですよね。

物体として売るものがあるかないかは大きいですよね。ちなみにコロナ前までは、ライヴに行くとき機材はどうしていたんですか?

久師:galcidの場合、レナはひとりで機材を持ってヨーロッパを周りますよ。

レナ:言ってもまぁ、40キロ程度なんで。

じゅうぶん重いですよ(笑)。

久師:ドイツとかだと道もまっすぐだけど、フランスとかボコボコだからね(笑)。

レナ:イギリスはいいんですよ、紳士の国なので(笑)。手伝ってくれるんです。でも、昔住んでいたのがニューヨークだったから、手伝うふりして盗まれるんじゃないかって疑ってしまって。罪悪感を(笑)。

久師:1年間で2回スマホを盗まれていたもんね。

レナ:そうそう。スペインで。

久師:その盗んだ人が電話を使いまくったんですよ。で、40万円の請求が来た。最悪ですよ。

その40万はどうしたんですか?

久師:払いましたよ(笑)。

レナ:一応まけてもらいましたけど。渡航する直前に格安プランに変えたんです。でも、そのシステムだと盗まれたら連絡できるところがなくて……。フリーダイヤルは海外からはかけられないし、久師に代わりにかけてもらったら、本人以外はダメですと。その間ずっと電話を使われてしまってたんです。帰国して携帯会社に事情説明したら、24万まで下げてもらえました。それでも高いですけど(笑)。

いろいろエピソードがあってすごいですね。〈Mille Plateaux〉のほうの作品は、(名物オーナーである)アヒム・ゼパンスキーさんからオファーがあったんですか?

レナ:そうです。「クレイジーなものを作ってくれないか」って。

久師:「好きなだけ好きなことをしろ」って。「できるだけ狂ったものを作ってほしい」って言われましたね。それと、〈Mille Plateaux〉の長年こだわりのしきたりがあって、名前を「galcid」以外のものにしてくれといわれましたね。OvalやALVA NOTOもそうですけど、じゃあボク達は何にしようって。それで名字の齋藤(SAITO)にしようって。「Mille Plateaux」と「saito」って韻も踏んでるし面白いかなって(笑)。

レナ:〈Force Inc.〉のほうは「メインフロアのプレミアム・タイムで流すようなものを作って欲しい」と言われました。今までそういった4つ打ちの「ザ・テクノ」みたいなオーダーは受けなかったんですけど、試してみることにしました。じつは〈Force Inc.〉のことを知らなかったんですよ、私。友だちに「〈Force Inc.〉ってところからメールがきたんだけど大丈夫かな?」って言ったくらいで(笑)。「え、有名なの! じゃあ受けとこう」と(笑)。〈Mille Plateaux〉は知っていたんですけど。

同じじゃないですか(笑)。もともと〈Force Inc.〉からはじまったんですよね。

レナ:そうみたいですね。で、「〈Mille Plateaux〉はうちの傘下だから」って〈Forc Inc〉のオーナーに言われて……。

久師:どちらかというと、僕たちの好きなサウンドの傾向は〈Mille Plateaux〉系なんです。ダンスフロア系ではなくて。

〈Force Inc.〉はハード・テクノだから。

久師:そうそう。だから作り方も変えましたね。両方とも即興で演奏したあとにエディットするんですけど、〈Force Inc.〉のほうは昔の機材を使って、クラシックスタイルでレコーディングしましたね。ジェフ・ミルズ・スタイルというか。〈Mille Plateaux〉のほうはユーロラック・モジュラーだけで作って、それをあとでこねくり回しました。

レナ:同じく『galcid's ambient works』も全部ヴィンテージ・シンセを使いました。

久師:そうですね。意図してできるだけ雑に作りました。

できるだけおかしなようにやれっていうのは言われたんですけど、ぼくらにとってはあまりおかしなことではなくて、いつもやりたかったけど我慢していたことなんです。だから仕掛けはすごく多いですね。

アンビエントをやったのは『galcid's ambient works』が初めてですよね。なぜやってみようと思われたんですか?

レナ:去年の夏に作りはじめたんですけど、猛暑だったから、ちょっと涼しげな音楽を作ってみたいっていうのがきっかけですね。

久師:でも、真冬に出ちゃったよね(笑)。『galcid's ambient works』ではシーケンサーさえ使ってないんです。TB-303でCV/GATEを出して、直接アナログシンセサイザーをテープエコーに繋いだりして、そういったノイズを含めたサウンドが味になったのかな、と思います。

レナ:なんか新しいような懐かしいような雰囲気もあって、ちょうど良かったのかな、と感じています。『galcid’s ambient works』は、いろいろ開眼させてくれるきっかけになりました。それまで私たちはメロディを入れないというか、無機質なものにしたくて、コード感を敢えてトラックに入れてきませんでした。それが『galcid's ambient works』から入ってきたんです。その後の作品はちょっとメロディが入っていたり、コード感を感じるものが入ってくるようになりましたね。

今回まさにそれをすごく感じました。

久師:まずビートの部分を全部作って、あとでメロディを入れる形ですね。ぼくらの基本である即興という手法は変わらないけど、メロディは即興だとなかなか難しいです。それこそフリー・ジャズみたいになっちゃうので、ちゃんとリフレインするようなもの、構成されたものはあとから冷静になって考えて二度書きしています。だから一回だけダビングしましたね(笑)。

レナ:リスニング作品にしたいっていう想いがあるので、前回のファースト・アルバム(『hertz』)もそうですが、今回はとくに、和声にこだわりました。私が聴いてきたもの、それこそ〈Mille Plateaux〉の全盛のときとかはメロディがあったし、そういうものを聴いて育ってきているのがどっかにあったんだろうね。いままではあまりにもシンプルすぎて、感情的にもいろいろと抑えていたものが『galcid’s ambient works』以降は出てきましたね。

久師:それまでなぜメロディを入れなかったのかというと、無機質にこだわっているのもありますけど、リスナーに想像の余地を与えたかったからなんですよね。ダンスフロアでは、自分の予定調和を崩してくれるところが楽しかったりするじゃないですか。ドラムしか入っていない部分がすごく気持ちよかったり。だから、そこに特化して作っていたんだよね。ところが、メロディを一度入れてみると、意外と評判が良くて、「あぁ、いいのかな」って(笑)。世界が少し広がりましたね。リスナーの幅も。

レナ:それがいまやっている活動にも繋がっていくんですよ。だから『galcid’s ambient works』が分岐点になった。

〈Force Inc.〉のほう(「Bucket Brigade Device」)はダンスフロアがないと機能しないサウンドですけど、〈Mille Plateaux〉の作品(『Downfall』)は、タイミングが良いのか悪いのか、家でも繰り返し聴ける音楽じゃないですか。

久師:やはり評判も〈Mille Plateaux〉のほうが断然良いですね。いまは現場で流せないから(笑)。みんな家で聴くしかないので。

レナ:(「Bucket Brigade Device」は)せっかくマイク・ヴァン・ダイクがいろいろなクラブで低音出して調整してリミックスしてくれたんですけど、いざ蓋を開けてみたら、場所がないっていう(笑)。

コロナでロックダウンされた頃に、ロラン・ガルニエにインタヴューしたら、いまいちばん聴きたくないのはハードなテクノだと(笑)。

一同:(爆笑)。

久師:じゃあ、〈Force Inc.〉のほうは出さないほうが良かったのかな(笑)。再来年ぐらいにしとけばよかった(笑)。

〈Mille Plateaux〉のアルバムはいまの時代にすごく合っている気がします。これはコンセプトがあったんですか?

久師:常にびっくりさせようっていう思いがあるんです。落とし穴的なもの。

アヒムさんからは好きなようにやれって言われたんですよね?

久師:できるだけおかしなようにやれっていうのは言われたんですけど、ぼくらにとってはあまりおかしなことではなくて、いつもやりたかったけど我慢していたことなんです。だから仕掛けはすごく多いですね。ハリウッド映画のような。3秒に1回は何かがある。ループしているところがほとんどないですね。

レナ:絶対に「作品」にするという意識はあった。描いたイラストレーションを額縁に入れると、その瞬間から落書きではなくて作品になるじゃないですか。そういうことをすごく大切にするというか。ライヴ・セッションをそのまま聴かせる方法もあるけど、今回はエディットとかミックスとかをしっかりやろうというのがあったんですよね。当たり前のことだけど、でもいまはなんでも簡単に出せちゃうから……。

重要ですよね。DIYでやるうえでもね。

レナ:音楽系のワークショップでよく「作品化するのに迷っているんですが、どうしたらいいんですか」って訊かれるんです。

久師:いま、そのような質問は本当に多いですね。でも実はすごく簡単なことなんです。僕らがやっていることは、60年代後半からのジャマイカン・ダブの連中がやっていたことと同じなんですよね。エイフェックス・ツインやクラフトワークもそうですけど、謎めいているようで、やっていることはすごくシンプル。僕らもそう。全然難しいことはやっていないんです。強いて言うなら、一番こだわっているのは、中学生のときに作ったシールドかな。

なぜシールドを作ったんですか?

久師:お金がなかったからです。それがいまだに20本あるんですよ。それを挿した瞬間に、音が中2の時の音になるんです。いわゆる「悪い音」ってやつですよ。伝導率が悪いからなんですけど、その効果が良すぎて絶対手放せないんです。音の良さと音楽の良さって別物だなっていうのはけっこう昔からわかっていて、あえて高級オーディオとかハイレゾなものは使ってないですね。

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三島(由紀夫)さんが「死ぬ死ぬ死ぬ……」ってずっと言ってるやつね。これは、面白いから録ろうってなりましたね。

エレクトロニック・ミュージックを聴くときに、いちばん気にするところはどこですか?

久師:どうやって笑えるかと、踊れるかっていうところですね。

笑えるか、踊れるか?

久師:そう。僕らのテーマはそこなんです。「笑える」っていうのは「びっくりする」という意味もあるんですけど……コミック・バンドじゃなくても、音で笑うというのはできるんですよ。「え、ここにこれが来るの!」って(笑)。例えばハンドクラップが予期せぬような全然違うところに入っていたりとか、「ちょっと待ってこの人おかしいよ」っていう笑い。

それは「笑い」というより「驚き」ですよね。

久師:そうですね。ぼくら、そういうのを聴くとニヤニヤしちゃうんですよ。

レナ:「発見」みたいな感じなのかな。

久師:意外性かな。

『Downfall』の最後の曲もそういう意図で作ったんですか?

久師:三島(由紀夫)さんが「死ぬ死ぬ死ぬ……」ってずっと言ってるやつね。これは、面白いから録ろうってなりましたね。

レナ:海外の人は言葉の意味がわからないじゃないですか。だからどういう反応を示すんだろうって。サプライズとして入れたんです。

なぜ『仮面の告白』にしたんですか?

レナ:「Mask」はコロナとも被りましたね(笑)。もともと私が三島さんの作品が好きだったのと、あと『仮面の告白』って三島さんの処女作だし、私たちもSAITOとしては初めてだったというのもあったり。それと、私のなかで『仮面の告白』って、坂本(龍一)さんのお父さんが編集者だったりして、いろいろとシンクロしちゃったんですよ。あと、三島さんの声は昔のインタヴューなんですが、音って記憶とか時代感とかを含んでいるじゃないですか。それを現代の音にあてたときの違和感もいいと思って。

いま音楽のほかにハマっているのが、7.83という周波数ですね。シューマン博士という人が発見したんですが、地球には電離層っていうのがあるんです。そこには周波数が流れている。それが7.83ヘルツ。人間の耳は20ヘルツまでしか聞こえないから、完全に聞こえません。でもセンシティヴな人は、気配を感じる人もいる。地球ではすべての物質がその7.83っていう周波数を基準に動いているんですが、それが現在7.835とか、ちょっとだけズレてきているんですよ。

音楽を作るときはふたりで一緒に作っている?

久師:galcidに関してはレナが演奏して、私がミックスプロダクションを行なっています。SAITOに関しては、演奏も二人で行い、ミックスは私が行いました。

レナ:久師はめちゃくちゃ作業が早いんですよ。普通5日間とかかけるのを2時間とかでやってしまうので。

久師:雑な方がいいんですよ。1テイク目がいちばんいい。失敗するときもあるんだけど、だいたい一発目がいいんです。

最近リリースのペースも早いですよね。

久師:最近2枚出ましたけど、実はそれよりもっと前に録音しているフル・アルバムがあるんですよ。他にも海外を中心に12インチシングルやコンピレーション作品も色々と出しています。galcidの2枚目のフル・アルバムに関しては、去年の3月に完成している作品が〈Detroit Underground〉から出るはずだったんですけど、ファーストと同じくジャケットをデザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソンに頼んだら、そのデザインだけで半年かかって(笑)。

レナ:さらに、一度でき上がったものに文句を言ってしまったんです。

久師:まさかのダメ出しをしたんですよ。最初に上がってきたのがめちゃくちゃチャイナ風で(笑)、これは絶対違う!と思って。

レナ:関係者一同みんな凍りついたけどね(笑)。

久師:イアンはデザイン界の巨匠だから、レーベルの人も「言えない」と。「じゃあ、僕たちが言う」って(笑)。

ぼくも1回会ったことがありますけど……よく言えましたねそれは(笑)。

久師:でも野田さんがもし自分のアルバムでそれがきたら、言うと思いますよ。

いやいや(笑)。やってもらえただけで嬉しいから。

久師:みんなそういう状況なんですよ。みんな凍りつくし、本人はヘソ曲げちゃうし(笑)。

レナ:でも、私にはいっさい文句を言わないかったですね。しれっとレーベルに請求額を上乗せしていたらしいですが(笑)。

久師:少数精鋭で手仕事でやっている職人さんたちだから、逆にレナの言ったことが響いたようで、「じゃあ、やったろう」ってなってすぐに作ってきましたよ。でも今度はプレス会社が大忙しになっちゃって。

レナ:向こうのプレスって、6月くらいで最後の受注を受けて、9月まで休みなんですよ。それでのびのびになって、さらにコロナになってしまった。

久師:でも最近〈Detroit Underground〉と話した結果、なんと今年の冬に出ることになったんです。

良かったじゃないですか。次のリリースが控えているのは楽しみです。

久師:でも、僕らとしてはフレッシュな方がいいじゃないですか。

たしかに。2年前の作品だと「いまだったらもっと良いものが作れるのに」って思いますよね。

久師:実は今、それを打開するべくやっていることがあるんです。昔はある天才作家に王様とかがパトロンとして曲を書かせていたわけじゃないですか。で、調べたらパトロンに直接作品を売っているシステムがあって。いまgalcidもPatreon(パトレオン https://www.patreon.com/galcid)というシステムを採用して、月に最低5ドル入れてくれれば聴き放題になるっていうサブスクをやっているんです。すごく健康的だと思うんですよね。その代わり、条件としてこちらは週に1曲あげる。

レナ:その条件は自分で縛っているんですが(笑)。

久師:毎週作ってあげているから、本当に新しいんです。

レナ:健康的だよね。聴く人は最新の音楽が聴ける喜びもあるし。

それは確かに新しいですね。

レナ:一応Patreonはクラウドファウンディング型ということになっているんですけど、サブスクという形にしていて、ダウンロードも可能なので、リスナーは好きな形で聴くことができます。

まさに広告に対しての狭告。

レナ:まさに。コメントもできるし、「今回は気に入ったから上乗せします」ということもできる。

久師:その点が投げ銭とは違いますね。

レナ:サブスクという形は私たちにとってありがたいですね。一回きりではないので、信頼関係が保てるんですよ。

それが確立されて、ベースになる経済活動みたいなものができたら大きいですよね。

久師:しかも、クライアントがいないから毎週『Downfall』みたいな過激で誰にもこびない曲を作ってアップしているんですよ。それ以上にフレッシュで新しいものを。ほぼ全曲にメロディが入っていますね。また、二度と同じことをしないというのが信条です。最近はFMシンセを多用します。それがまた新しいですね。
 FMシンセというとDX-7のイメージがあると思うんです。フュージョンとか、のど自慢とか。あれって、綺麗な音を作ろうとしてヤマハが作ったものですが、ぼくらが使っているFMシンセのモジュールは、触っちゃいけない操作子しか出ていないんです。つまり、音を壊していける。綺麗なエレクトロニック・ピアノとか、そういう音じゃなく、まともな音を出さないような装置なんです。

なるほど。すごく面白いです。それこそ303なんて、本来はベースラインとして作ったものが、あんなふうに間違った使い方のほうが面白いということになった。それと同じような話ですね。

久師:303と909と808とSHを作った菊本忠男さんとDOMMUNEで対談したんですが、そのとき303、909などのいわゆる難解シリーズはご自分で「失敗作だった」って言っていました。「でも菊本さん、これがどんな音が出るか知らないでしょ」って、DOMMUNEのサウンドシステムで鳴らしたらびっくりされて…。こんな音作った覚えはないって(笑)。当時、予算に限りがあったので、だったらしょぼい方向に合わすかということになった。そのしょぼい方向がTB-303の嘘のベースの音だったり808とか909のリアルでは無い電子的なサウンドになったんです。

レナ:逆に言うと、いまや本物だしクラシックだからね(笑)。

久師:世界中でいちばん鳴っている叩きモノだよね。そういう意味でもこれは素晴らしいんですよって言っても納得してくれませんでした。菊本さん自身は完璧に失敗したと思っているんです。そして彼は「久師さん、こんな爆音でTRシリーズを聴いたら耳を悪くするのでお気をつけください」って(笑)。

今回のコロナの状況を受けて、今後どういうふうに活動していこうっていうのはありますか?

久師:まず、この様な状況になって真っ先に揃えたのが映像配信機材です。嬉しいことに、4月にキャンセルになってしまった全ての場所からストリーミングでライヴの依頼がありました。なので、ヨーロッパのツアーはそうそうたるメンバーで自宅スタジオから配信できました。

レナ:ヨーロッパだけではなく、インドもありましたね! そちらも、ものすごくきちんとしている、といったら変ですが、メンバーもクオリティーも高かったです。そのように、オフラインでのイベントができなくなってしまった補填をするストリーミングをしつつ、去年末から行っている「音を鑑賞する」対話型のワークショップをやっています。ビジネスパーソンの方がけっこう来てくださるんですけど、そこで、私たちの作った音を流しているんです。

久師:「音楽」じゃないですよ。音です。「シューッ」とか「パッ」とか、抽象画を鑑賞するのと近くて、音を鑑賞するんです。そこにはメロディもありません。

レナ:対話型鑑賞は絵を使ってやる人は多いけど、2019年の時点で音でやっている人は誰もいなかったから、第一人者になりたいと思って。

それは場所を借りて?

レナ:今年の3月までは場所を借りてやっていたんですけど、いまはオンラインでやっています。ZOOMで。数十名の参加者から3~4名のグループにわかれて、聴いた音の印象を五感に変えて対話します。どんな色を感じるか、情景が見えるか、香りだったら? 感触とか、色々と個人で感じることを対話していくわけです。それぞれが、音から思い起こした自分の記憶やイマジネーションについて語ってくれます。絵だとなかなか言葉が出てこないけど、音だと言語化しやすいみたいですね。
音は記憶や映像と結び付きやすいようです。参加者は「こんな音聴いたことない」って人も多いですね。普段音楽を聴かないというか、聴いてもクラシック音楽とかロックくらいしか知らない人、そもそも歌詞がない音とかメロディがない音を知らない人が、いきなりエクスペリメンタルな音を聴かされて、「宇宙的なものを感じた」とか、「地下にいるような気分になった」とか。そういう違いも楽しめるコミュニケーションです。

久師:野田さんも小林さんも、レナも私も、同じ音を聴いても感じ方はそれぞれ違って、言葉も違うじゃないですか。その相手の多様性を認めるのが対話なんです。最初は「自分とは違うな」ってなるけど、何回かセッションを繰り返していくとその人の感性が開いてきて、相手との違いが楽しくなってくる。それがコミュニケーションになっていく。

レナ:音だから、正解も不正解もないじゃないですか。そうすると、「この人はこう感じるんだ」とか発見があるんです。明るく感じている人もいれば暗く感じている人もいる。たとえば、オルゴールの音を聴いて「懐かしい」って感じる人、「綺麗だな」って感じる人と、「怖い」って感じる人がいるんです。ホラー映画でオルゴールが鳴ると怖い場面とかありますよね。そういうのを過去に観たことがある人は、オルゴールの音を「怖い」と感じることもあります。そういうふうに、それぞれの感じ方が一個の音の中にある。
私は小さいころそうやって遊んでいたから、それをいろいろな人とやりたいと思ってはじめたら、意外にもビジネスパーソンの方々がおもしろがってくれました。「じゃあうちの企業でもコミュニケーションの場としてやらせて下さい」とか、中学校とか高校生とか、グレはじめる子供たちと一緒に先生がやるとか。そういう話がぽつぽつあって、新しい音との関わり方が開いた感じです。

やることがたくさんありますね。

久師:いま音楽のほかにハマっているのが、7.83という周波数ですね。シューマン博士という人が発見したんですが、地球には電離層っていうのがあるんです。そこには周波数が流れている。それが7.83ヘルツ。人間の耳は20ヘルツまでしか聞こえないから、完全に聞こえません。でもセンシティヴな人は、気配を感じる人もいる。地球ではすべての物質がその7.83っていう周波数を基準に動いているんですが、それが現在7.835とか、ちょっとだけズレてきているんですよ。

それは気候変動と関係しているんですか?

久師:かもしれない。すべてがちょっとずつズレていて、簡単にいえば整体に行って治さないといけない状態。

レナ:シューマン博士がそれを発見したのは20世紀初頭なんですが、でも仮説のまま博士は亡くなってしまった。それが、1967年くらいにアポロが飛んで、理論上正しかったことがわかったんです。じっさいに計測したら7.83だったと。20世紀の最大の発明は「振動」だと言われています。ワークショップのときもそのシューマン共振を入れたりしています。いまコロナで、「見えないもの」がキーワードになってますよね。音もそうだなって。

久師:実はヒトラーもその手法を使ってプロパガンダを行っていました。彼は人が不快に感じる周波数にこだわっていた。人間の可聴範域を超えた部分で不快な周波数を聴衆のいるところに流していたんです。それでヒトラーが壇上に出てきた瞬間に、その不快な周波数を切る、という演出をしていました。音は使い方によってはそういう悪用もできてしまうのが危険ですね。

レナ:「振動」はものすごくエネルギーを持っています。うまく使って、いま、脳科学の先生ともメンタルヘルスケアの部分でも役立てられる様に、さらなる音の研究を進めています。それをどんどんワークショップにフィードバックしているような感じです。

galcidの今後の方向性として、音そのものがあるんですね。

レナ:はい、そうですね。音と絵でコラボレーションしたこともありました。音をつけて抽象画を鑑賞すると、その絵が動き出すんです。薄く入れている色が急に際立って見えたり、とかなり面白かったです。無音で絵を5分間鑑賞するのは大変だけど、音が出ると動きが出るので、ゆっくり鑑賞できて、フィードバックももらえる。音の可能性は無限だと感じています。

久師:そういうワークショップをブライアン・イーノと教育機関などでおこなおうとしています。

それは大きな目標ですね。

久師:いや、すぐにできますよ。向こうから誘ってくると思う(笑)。

レナ:海外の人はそういう話に敏感で、すぐに興味を持ってくれますね。同じことをギターとかヴァイオリンとかピアノなどのアコースティック楽器でやろうとすると、すごく制限があるんです。音色や音階が決まっていて、音のイメージが強すぎるから。でもシンセって、ノイズからメロディまで出せるから、想像の範囲が広がって鑑賞しやすいんです。私は電子音楽は他のジャンルに比べて比較的新しいものなので、様々なことができると思っています。まさに色のパレットがあり、色自体を自分で作れますからね。これからも、電子楽器を使って可能性を追求していきつつ、作品を作り続けていきたいと思います。

「音楽はただの音楽だ。政治を持ち込むな」
 Ele-kingのようなメディアの読者であれば、すでにこの声明には反対している可能性が高いだろう。
 2020年という惨憺たる年が、世界中の人びとの人生をこれまでにないほど揺るがし続けるいま、この考えをさらに推し進め、問いかけてみる価値がある──「そもそも音楽は、政治的でなくても妥当性があるのか?」と。

 第一に、“政治的”が何を意味するのかを少し考えてみる必要がある。政治はしばしば、“問題(イシュー)”や“アクティヴィズム(行動主義)”の同義語として(たいがい否定的な意味合いで)、政府や社会の問題に直接の関与を示唆する言葉として理解される。例えば、ビリー・ブラッグ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやラン・ザ・ジュエルズなどの一部の音楽は、たしかにその意味では政治的である。しかし音楽は、人間の生活や経験──人間関係、日々の葛藤、仕事、友人、家族との関係などについて語っている時点ですでに政治的であり、これらのすべてのことが労働時間、ジェンダー的な役割、給与などへの目に見えない政治判断という形で影響を受けているのだ。メインストリームか、アンダーグラウンドであるかの違いは、単純に文化の支配的な美学や価値観によってどの場所を占めているかということで、政治的なのである。人が何かを政治的なものにしたくないと言う場合の本当の意味は、単に政治的な関わり合いについて、深く考えたくないということだ。

 しかし多くの人は、政治が生活におよぼす影響について考えている。身の周りで目にする恥知らずな正義の欠如と、不正を実行した権力者たちが招いた重大な結果に、責任を負わないことに激怒している。この春、安倍首相が法制度を自分の身内で固めようとしたことで噴出した激しい怒りと、シンガーのきゃりーぱみゅぱみゅがこの問題をめぐりツイッターで安倍首相を批判した投稿を、あっという間に削除するよう追い込まれたスピード感は興味深いものだった。これは、国全体の関心を引く政治的に大きな意味合いを持つ問題だったが、エンタメ業界は制度的にこのような感情に反応することができなった。

 COVID-19の危機により、政治は我々の方に押し出され、目の前に突き付けられた。コンビニに徒歩で行くこと、行き交う歩行者たちのマスクの使用状況をチェックすること、歩道を通る際にスペースを確保すべくうまく通り抜ける術、我々の愛する音楽をサポートするため、ライヴ会場に出かけていくかどうかの判断などはすべて、我々の生活への政治の介入なのだ。この危機はまた、世界中の不平等や不正をあぶり出し、パンデミックにより人種的マイノリティが立場の弱いサービス業を不均衡に押し付けられた影響から、Black Lives Matter運動への重要な筋道をつけた。

 音楽そのものから、またはアーティストのオフィシャルな声明を通じて、その感情と関わりを持つということは、音楽の役割の一部だと思う。それは社会として我々がどう考え、感じるかということで、個人としてのみならず集団としての自分を見る鏡であり──我々が独りではないということを教えてくれる。メインストリーム(主流派)が無能であると、その役割はインディーズやオルタナティヴ・シーンが担うことになる(そうでなければ、彼らはいったい何から独立したのか?何の代わりなのか?)。

 UKチャートで成功を収めたストームジーやスリーフォード・モッズのようなインディーズ・バンドの破壊的な台頭は、人びとの日常生活における政治と結びついた時の音楽のパワーを示している。

 Black Lives Matterのようなものは、アメリカの問題であって、日本の問題ではないように見えるかもしれない。これには議論の余地はあるが、仮にそうだとしても、それが社会に提起する、人種、民族、ジェンダー、セクシュアリティや社会的背景などによって、どのように人を受け入れるか除外するかという問題はここにも存在し、解決していくべきことだ。大きな問題であれ、個人的な相互関係であれ、我々が特に考えもせずに踏襲する社会的慣習こそ、芸術による探究を必要としている最たるものだ。音楽には、これらの問題について考える社会的責任があるばかりでなく、音楽は表面的にどうであれ、“あるべき姿”を当たり前に思わないことで、より豊かにはなっても、陳腐にはなりにくいものなのだ。

 芸術と政治の関係性は、別の意味でも重要だ。ラディカルな思想やオルタナティヴ・カルチャーの創造性と未来へのヴィジョンを伝える能力を制限するような制度の壁が、数多く存在する。単純にメディア側の風景も、それらの独立した声が挑戦しようとするのと同じ方向で利益を得て、成長を遂げてきたからだ。個人である彼らのパワーは、コンサート、集会、ソーシャル・イベント(社交的な催し)や会合などで集まって、声を上げる能力にある。しかしCOVID-19は、その能力を破壊する。中国は香港でのロックダウンを利用して、抗議活動に野蛮な一撃を加え、ドナルド・トランプは、来るアメリカの大統領選で、人びとが安全に投票できる方法を制限するよう、公然と郵政サービスを利用している。

 賭け金(リスク)は低く、はるかに暴力的ではないが、オルタナティヴ・ミュージックのカルチャーも、それなりに、これらの力の影響を受けている。今回のパンデミックは、文化を生き永らえさせるための、人びとが集うこと、口コミのネットワークや物理的なミーティング・スポット(集合場所)をも奪ってしまった。ただでさえ、メディアの所有権の問題、タレントの事務所の影響力、Spotifyのアルゴリズムなどで、幅広い議論や言説からは除外されているにも関わらずだ。パンデミックによってもたらされた制約のなかで、どのように組織化し、情報発信し、声を大きくしていくかということは、芸術および政治の分野の、相互的な緊急課題であるべきだ。

 もっとも個人的なレベルでは、根底に政治的な意識があるだけで、ラヴソングのようなパーソナルなものさえも豊にし、ありふれたものとしてではなく、リスナーにフレッシュな方法で感動を届ける一助になる。より広い社会的なレベルでは、アーティストが日常生活における政治的な問題に直接取り組む自由を感じている場合、音楽は人びとがすでに抱える不安や怒り、懸念などと結びつき、未来へのより楽観的な可能性を明確に表現することができる。純粋に現実的なレベルでは、政治活動と創造的なカルチャーは同じ障害の多くに直面しており、それらを乗り越えるためのツールの構築などで、お互いに助け合えるはずなのだ。その意味では、「音楽は政治的でなくても、妥当性を維持できるのか?」という問いかけでは不十分なのかもしれない。むしろいま、私たちが問うべきは、「音楽は政治的でなくても、存在できるのか?」ということなのではないだろうか。


Saving Music with Politics (Saving Politics with Music?)

by Ian F. Martin

“Music is just music. Leave politics out of it.”

If you’re reading a magazine like Ele-king, there’s a strong chance you already disagree with this statement. But as this disastrous year of 2020 continues shaking up lives around the world in ever more ways, it’s perhaps worth pushing this idea further and asking, “Is music even relevant if it’s not political?”

Firstly, we should think a little about what we mean by “political”. Politics is often understood as synonymous with “issues” and “activism”, words that suggest (often with negative connotations) some direct engagement with matters of government and society. And some music, whether Billy Bragg, Rage Against the Machine or Run the Jewels, is certainly political in that sense. But music is also already political in the sense that it talks about human lives and experiences — relationships between people, their daily struggles, navigating work, friends, family: all these things are invisibly influenced by political decisions that affect working hours, gender roles, salaries. The fact of being mainstream or underground is political simply by virtue of occupying one place or another in relation to culture’s dominant aesthetics and values. When people say they don't want something to be political, what they usually mean is simply that they don’t want to think about its political implications.

But many people do think about how politics touches their lives. They are enraged by the shameless lack of justice they see around them and the total lack of consequences for the powerful purveyors of those injustices. The flood of anger that erupted this spring at Prime Minister Abe’s attempts to stack the legal system with his allies was interesting, as was the speed at which the singer Kyary Pamyu Pamyu was pushed to erase her Twitter criticism of Abe over the issue. This was a specific issue with big political implications, attracting wide engagement across Japan, but the entertainment industry is institutionally incapable of reflecting those sorts of feelings.

The COVID-19 crisis has pushed politics right up to our front doors and pressed it against our faces. The act of walking to a convenience store, the assessments we make over fellow pedestrians’ mask usage, the negotiations we make over space as we pass on the sidewalk, the decision over whether to go out to a venue and support the music we love — that’s all politics intervening in our lives. The crisis has also accentuated inequalities and injustices around the world, with an important thread of the Black Lives Matter narrative coming from the pandemic’s disproportionate affect on racial minorities and the inequalities that push them into vulnerable service jobs.

Whether through the music itself or an artist’s public statements, engaging with those feelings is part of music’s role though. It is part of the landscape of how we think and feel as a society; it’s a mirror that lets us see not just ourselves individually but also collectively — it shows us that we aren’t alone. And when the mainstream is incapable, that role falls to the independent or alternative scenes (because if not, what are they even independent from, an alternative to?) The UK chart success of acts like Stormzy and the subversive rise of indie bands like Sleaford Mods shows the power music can carry when it connects to the politics of people’s daily lives.

Something like Black Lives Matter may seem like an American problem and not really a Japanese issue. This is debatable, but even if we take it as true, the issues it raises about society and how we include or exclude people based on their race, ethnicity, gender, sexuality or social background exist here and deserve to be untangled. Whether in big issues or personal interactions, the social conventions we follow without thinking about are the ones most in need of exploration by the arts. It’s not just that music has a social responsibility to consider these matters: it’s that music, regardless of what it’s about on the surface, can be richer and less prone to cliché, when it doesn’t take “the way things are” for granted.

The relationship between the arts and politics is important in another way too. There are numerous institutional barriers that limit radical thought and alternative culture’s ability to communicate their creativity or visions for the future simply because media landscapes have grown up around the same interests that those independent voices seek to challenge. Their power instead lies in the ability to gather together and amplify their voice — whether in concerts, meetings, social events or rallies — but COVID-19 disrupts that ability. China took advantage of the lockdown in Hong Kong to strike a savage blow against the protest movement there, while Donald Trump is openly using the postal service to restrict people’s ability to vote safely in the upcoming US election.

While the stakes are lower and far less violent, alternative music culture too, in its own way, is affected by these forces. The pandemic has closed down people’s ability to gather, the word of mouth networks and physical meeting spots that keep the culture alive when it is already locked out of wider discourse by media ownership, talent agency influence, Spotify algorithms. The matter of how to organise, disseminate information and amplify voices under the restrictions brought on by the pandemic should be a matter of mutual urgency to both artistic and political spheres.

On the most intimate level, an underlying political awareness can enrich something as personal as a love song, helping it slip free of clichés and touch listeners in fresh ways. On a broader social level, artists feeling a greater freedom to directly address the politics of our daily lives can help music connect to the anxieties, anger and concerns people already have, as well as help articulate more optimistic possibilities for the future. On a purely practical level, political activism and creative culture face many of the same obstacles and could could well look to each other for help building the tools to help overcome them. In that sense, perhaps asking if music can retain its relevance without politics is not strong enough. Perhaps instead, we now need to be asking, “Can music even exist if it is not political?”

 電子音楽の銀河系のずっと隅っこの広大な闇の彼方に、しかしひとつだけ眩く星があるとしたらそれがシルヴァー・アップルズだ。それは幻想的でありながら、牧歌的だった。90年代にシルヴァー・アップルズが広く再発見されたとき、時代の異端児による隠れ名盤というのも気が引けるほど、リスナーは至福の宇宙旅行──夢のようなオプティミズムに喜びを覚えていた。あのころはソニック・ブームが率先して、それを当時のサイケデリック・ロックの文脈に当てはめもしているが、やはりシルヴァー・アップルズの銀紙に包まれた1968年のファースト・アルバムがはなつ微笑ましいまでの異彩は、あの1枚にしかないものだった。

 それはまだ電子音が装飾的ないしはノベルティ的にしか使用されない時代において、楽曲における中央にその響きを持ってくるという、いわばもっとも初期型のエレクトロ・ポップであり、初期型のスペース・ロックでもあった。
 自家製の電子機材を手にしたシメオン・コックスがドラマーのダニー・テイラーといっしょに録音したアルバムには、この時代のロック・バンドの常識ではあり得ないことがふたつあった。ひとつはギター・サウンドがないこと。もうひとつはバックの演奏は電子音とドラムのみという構成だったこと。ものごとの価値観が大きく揺れていた1968年、舞台はボヘミアンたちのメッカたるニューヨークのイーストヴィレッジだったとはいえ、クワフトワークとスーサイドが生まれる2年以上前のことだ(シメオン・コックスは当時、ジミ・ヘンドリックスとセッションもしている)。

 わずか2枚のアルバムを残して解散し、長らくは歴史から消えたシルヴァー・アップルズだが、80年代後半のスペースメン3以降のサイケデリック・リヴァイヴァルのなかで再発見され、あるいはディープ・リスナーでもあるヤン富田の紹介によって日本でも広く知られるようになった。スペースメン3解散後のソニック・ブームによるバンド、スペクトラムは、1996年にシルヴァー・アップルズのセカンド・アルバム『Contact』の収録曲“A Pox On You”をカヴァーすると、1999年には復活したシルヴァー・アップルズ(シメオン・コックス)との共作によるアルバム『A Lake Of Teardrops』も発表している。他に例えばステレオラブも明かに影響を受けているし、ファンのひとりだったアンドリュー・ウェザオールは復活後(そして最後のアルバムとなった『Clinging To A Dream』収録)の曲“The Edge of Wonder”のリミックスを手掛けている。
 シメオン・コックスが永眠したのは去る9月8日、82歳だった。コズミックでありながら、どこかほのぼの系でもあった彼の音楽は、ふだんは荒んだ心でもあっても、それが開かれたときに素晴らしい旅を約束してくれる。この先も変わることはないだろう。

interview with Phew - ele-king

 Phewがアーカイヴ・レーベルをあまり評価していないことは、驚くにはあたらない。関西のパンク・グループだったアーント・サリーの解散後、これまで日本で出されたなかで(ついでに言うなら、それ以外のどこもすべてひっくるめたなかで)もっとも際立ったソロ・デビュー・アルバムをリリースしてからの40年、彼女には、過去の栄光を利用するという選択肢もあったはずだ。が、そのかわりにPhewは、ここ数年間、キャリアのなかでいちばん強力な音楽を制作している。それも2010年代にエレクトロニック・ミュージシャンとして注目に値する再生を遂げたあと、続けざまにだ。

 2015年に『ニュー・ワールド』をリリースしたあと、Phewが作りあげてきたのは、完全に異彩を放つもので、ドローン・シンセサイザーやスケルタルなリズムや不気味なヴォーカル・シンセが押しよせるサウンドだった。好評だった2枚の海外リリース『Light Sleep』や『Voice Hardcore』に加えて、彼女は大規模な海外ツアーをおこない、パンクの同輩であるザ・レインコーツのアナ・ダ・シルヴァとのデュオも試みている。

 Phewの最新のアルバム『Vertigo KO』〈Disciples〉には未発表音源と2017年から2019年にレコーディングされた新曲が収録されている。ライナー・ノーツでPhewが「無意識の音のスケッチ」と言い表しているこのアルバムは、私たちが生きている不安な時代において、力強く響き渡っているのだ。

実はコロナは関係なくて。ここ5年くらい、日本だけじゃなくてツアー先の各地で格差が広がっているのを目にし、本当に生き辛い世界だと、思っていました。だから、「なんてひどい世界」だと、コロナ前から思っています。

まず、このコロナ禍で、どのように毎日を過ごしていらっしゃいますか。

Phew:3月に全部のライヴの予定がキャンセルになってしまって、自分のペースが壊れてしまい、戸惑いもあったし、これからどうしようかと、まず思いました。非常事態宣言期間中はそのような感じでした。でも、そのペースにも慣れてきて。私はもともと家に居るのが好きなんですよ。本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たり。だから、外に出られないというのは全然苦ではなくて、いまはそのペースにも慣れてきたところです。ただ、これまで通り、生活して音楽を作る日常を繰り返すということに、意識的になりました。寝て、起きて、買い物に行って、食べて、みたいなことって以前はすごく退屈だったけど、それを意識的に繰り返しています。ライヴはまだできない状態ではあるけど、できるような状況になれば、またライヴもはじめると思います。

このアルバムが発表されたときもっとも印象に残ったのは、隠されたメッセージの「なんてひどい世界、でも生き残ろう」という言葉でした。素晴らしい言葉だと感じました。

Phew:ふふふ(笑)。実はコロナは関係なくて。ここ5年くらい、日本だけじゃなくてツアー先の各地で格差が広がっているのを目にし、本当に生き辛い世界だと、思っていました。だから、「なんてひどい世界」だと、コロナ前から思っています。

最近作っている音楽、とくに5年前から作っている音楽はすごく独りぼっちで作られたイメージでした。世界から離れたところで作っているような。家に居て、家で音楽を作ることが変わってないけど、このコロナ禍が作る音楽に影響を受けているような感覚はありますか?

Phew:それは、後になってわかることだと思います。いまは本当に、日常を繰り返すこと。それを自分に決めています。むしろ、いま起こっていること、大変なことがあちこちで起こっていますけど、それにいまは反応できないですね。だけど、そこから敢えて目を背けているわけではなくて、見えているけど、敢えてネットとか時代の大きな流れに乗らない。そこに向かっていかない。時代へのアンチテーゼというか。でも、反時代って、言い換えれば、こんな現実はなかったらいいのにということですよね。いままであったこともなかったことにしたい、一方で、なかったことにはできないということを、私自身よく理解しているつもりです。いまの現実の状況は自分が集められる情報を見て、少なくとも理解しようという姿勢ではいます。その両方の感覚があるなかで、日常を繰り返して、そこで生まれてくるアイロニー、諧謔性というか、その感覚がいま、自分のなかで音楽を作るということに対するスタンスですね。

たしかに。ロンドンの〈Cafe OTO〉のTakuRokuというレーベルで、Phewさんの書いた説明と似ているところがありました。ご自身の音楽を通して、未来を描くというか。

Phew:別に音楽だけではなくて、「未来」というものはいま考えていることだから。「過去」もいま考えていることであるし。だから、決して「いま」は何もなくて、過去と未来しかないっていう言い方。「いま」っていうものはすごく空虚。だから、いま起こっていることをいま伝えることはできない。

そうですね。

Phew:だから、たいへんな状況ではありますけど、先のことって……考えても仕方ないとまでは言わないですけど、私は「未来に向かって」というような考え方はできないんですよ。せいぜい、1~2週間から2~3日という単位で具体的な予定を立てて、みたいなことくらいですね。

私、実は今日久ぶりに『ニュー・ワールド』を聴いたんです。最初に聴いたときはそのアルバムはのちの活動の入口のように感じましたが、久しぶりに聴くとむしろPhewさんが昔やっていたことに繋がっていると感じて。ある意味、『ニュー・ワールド』でいったん終止符がついたという風に感じました。いかがでしょうか?

Phew:どうなんだろう……。実は私、自分の昔の作品は聴かないんですよ。でもね、人の昔の曲を聴いていて、聴くたびに印象が変わったり、発見があるという経験はありますよね。とくに、世代的にもアンチ・ヒッピーで、私が夢中で音楽を聴きはじめてやりはじめた頃って、60年代の音楽は避けていたというか、なんてもったいないことしたんだろうと感じることはありますよね(笑)。

わかります(笑)。

Phew:ほんとに。実際に、グレイトフル・デッドも活動していたけど、耳を閉じて逃げていたというか(笑)。若いときに聴いて「これは、ヒッピーだ!」と決めつけることって間違っていましたね(笑)。でも、若いときに好きになって、いまはさらに好きだと感じるものもありますよね。クラフトワークとかはまさにそうです。ヒッピーは嫌だったけど、カンとかクラフトワークは別だと考えていました。

アンチ・ヒッピーというのはどこかで影響をうけて、そう感じるようになったんですか?

Phew:10代の頃にその光景を実際に目撃していたんですよ。60年代の戦いに負けてその後どうなったかも含めて。70年の半ばくらいのロック・ミュージックって、本当に何もなかったんです。私が中学生のとき、デヴィッド・ボウイを自分から聴きはじめたのは『アラジン・セイン』くらいからですけど、すごくギラギラでね、あとT・レックスも好きだったけど、これもぎらぎらで空っぽな感じ。日本だけかもしれないけど当時、人気があったバッド・カンパニーとかディープ・パープルとかも嫌だったんです。服装や、音楽も嫌だし、女の子向けのミーハー心をくすぐるような記事や雑誌も嫌でした。そういうものが中学生のときから好きではなかったんです。で、バッド・カンパニーのファースト・アルバムを姉が持っていて、中袋に同じレコード会社〈アイランド・レコード〉の他のアーティストのジャケット写真が載っていたんです。そこに、スパークスがあって、『キモノ・マイ・ハウス』の写真を見て、ジャケ買いしました。はじめは、すごく変な人たちがいるなという感覚だったんですが、彼らはデヴィッド・ボウイの『アラジン・セイン』とも違うし、成功してぎらぎらになったマーク・ボランとも雰囲気が違う。聴いてみて、即、大好きになりました。ハード・ロックのディープ・パープルとかが主流ではあったけど、片隅にあった音楽を自分で探して聴くようになったのは、その辺りからですね。でも、スパークスも〈東芝EMI〉から日本盤が出ていたんですよ。それで近くのレコード屋で買うことができたんです。そこから、次第にニューヨークのパンクにも繋がっていきましたし。こんな昔話しちゃった(笑)。

いや、全然いいですよ! 『Vertigo KO』のライナーのなかで、「無意識的に音楽を作る」という言葉をよくおっしゃっていますが、音楽を作るときは意識的のときと無意識的のときの違いはどのような点にあるのでしょうか?

Phew:例えば、人から依頼があって、頼まれて仕事として、「こういうものを作って下さい」という仕事は、すごく意識的に作ります。制約もたくさんありますし。自分のソロ・アルバムのときは自由に作れるので、無意識的というか何も決めずにまず音を出して、作業を進めていきます。でも、100%無意識的というのはあり得ないことでもあって。アルバムにするためには、曲を編集したりしますから。演奏自体は半ば無意識的で、出した音によって次の音が決まってくるというやり方で音楽を作ることが多いんですけど。でも、それをパッケージにするのは極めて意識的な作業です。

でも、若いときに好きになって、いまはさらに好きだと感じるものもありますよね。クラフトワークとかはまさにそうです。ヒッピーは嫌だったけど、カンとかクラフトワークは別だと考えていました。

今作の中でレインコーツのカヴァー(2曲目“The Void”)はわりと意識的に作っていたようにも感じました。

Phew:そうです。あれはラジオ局からの依頼があって、「1979年にリリースされた曲のなかから、カヴァーしていただけませんか」という制約がありました。そのときはちょうどアナとのアルバムができたばかりの頃で、レインコーツも好きだったので、なかでもとりわけ好きだった、“THE VOID”を選びました。それをカヴァーするときはいろいろと考えました。例えば、ポストパンクやニューウェイヴの文脈でレインコーツは語られていますが、ひとつの文脈やムーヴメントとして語られることに、うんざりしているんです。私も当事者のひとりではあるけど。そう語られること、その文脈からどのように逃げ出せるか、ということを考えてカヴァー曲を録音しました。

そのカヴァーはアンナさんも聴きましたか?

Phew:はい。もちろん、すぐに送りました。

反応はどうでした?

Phew:面白がってくれました。

アナさんの新しいアルバムをリリースして、もう1枚のアルバムも作っているという話を伺いましたが……。

Phew:アルバムというか、いま、進行中のロックダウン中に作った音楽をアップするというプロジェクトがあり、そこで新作を発表すると思います。

アルバムを制作して、それと並行して海外のツアーもおこなうなかで、アナさんとのコラボレーションはどのように進化していますか?

Phew:去年はアナとツアーもしましたが、どちらかというと合間に自分のソロ・アルバムをずっと作っていました。ツアーが多かったので録音する時間をあまり作れませんでした。で、今年になってから、アナとまたコラボレーションしましょうかという話になり、6月に〈Bandcamp〉で1曲だけアップしました(“ahhh”)。本来ならば、ふたりで6月にツアーする予定だったんです。でも中止になってしまって。いまのところ、前回同様に手紙を交換するような形で制作しています。ただ、1枚のアルバムにまとめられるかどうかはちょっとわからない。それがコロナ禍以降の変化かもしれないです。
 先ほどは「未来に目標を設定にしない」と言いましたけど、アルバムを作る目標は常にあって、去年まではそれに向けて曲を作っていました。でも、今年は物流もストップしてイギリスやアメリカから荷物が届くのにすごく時間がかかるし、日本からも船便しか送れなかったり。こういった具体的な状況が積み重なって、アルバムをリリースすることを考えるのが難しくなっています。

アルバムというと、Phewさんが日本でリリースしている作品と海外でリリースしている作品がすこし解離しているように感じています。日本では『ニュー・ワールド』をリリースされていましたが、海外ではそれはほとんど知られてなかった。『Light Sleep』は編集盤で、『Voice Hardcore』は海外でも発表されていましたが日本盤とは違うし、今作の『Vertigo KO』も編集盤的だと思いました。

Phew:今作の『Vertigo KO』は、〈Disciples〉というレーベルの方がアナとのライヴを観に来てくれて、手書きのメモをもらいました。私の最近の作品をよく聴いてくれていたみたいで、音源をリリースしたいということが書かれていました。で、その次にロンドンで実際に行ったときに、レーベルの方に会って、話が進んでいきました。そのレーベルのコンセプトは、新譜ではなく未発表音源を編集してリリースするというもので、最初は、ちょっと警戒しました。未発表音源のリリースってあまり良い印象がなかったんです。80年代のレアでもないですけど、そのようなものを集めて出すというビジネスをあまり良く思っていなかったんです。でも、〈Disciples〉は昔のモノじゃなくて、ここ4~5年の音源、私がソロになってからの音源にすごく興味を持ってくれていたんです。「あ、これはなんか珍しいな」と思いましたね。いままでだったら、80年代のファースト・アルバムや、『アーント・サリー』、坂本龍一さんがプロデュースした最初のシングル(「終曲(フィナーレ)/うらはら」)だったりのお話が多かったんですけど、〈Disciples〉は違ったので、これは新しいなと思って(笑)。
 それで、日本に帰ってから、未発表音源を送って、向こうが選曲してきたんですよ。その選曲が新鮮で、1枚のアルバムにするために、新しい曲を2曲足しました。だから、『Vertigo KO』はレーベルとの共同作業ですね。私は自分の昔の曲を聴かないんですけど、でも聴かざるをえない状況になって、自分の曲をリミックスしているような感覚でした。それはすごく面白い体験にもなったし、レーベルの方とのやり取りで出てきたアイディアもたくさんあったし、タイトルとかも含めてね。

この経験後、また同じようなプロセスで制作したいと思われましたか? 今回だけですか?

Phew:今回のプロセスは楽しかったし、また機会があれば是非やってみたいですが、ずっと録音しているので、次は、この1年で録音したものをまとめてアルバムとしてリリースしたいです。

それは、今作の最後に出る “Hearts and Flowers”みたいな感じになりますか?

Phew:その続きのような形で1枚のアルバムを作るだけの曲はできているんですよ。でも、さっきも言ったように、いまは1枚のアナログ盤やCDなりを作って販売するは難しいし、思案しているところです。でも、自主制作でもやるつもりですけどね。来年になりますけど。

〈Disciples〉は昔のモノじゃなくて、ここ4~5年の音源、私がソロになってからの音源にすごく興味を持ってくれていたんです。「あ、これはなんか珍しいな」と思いましたね。

『Voice Hardcore』は自主レーベルでリリースされていましたが、それは意図的でしたか?

Phew:どうせどこも出してくれないだろうと自分で決めてしまったのもあったかもしれない(笑)。レーベルを探そうともしなかったし。ちょうど、ヨーロッパ・ツアーに行く前になんとか形にしたいという想いがあって、自分ひとりでやるとその辺は早いじゃないですか。どこかからリリースすると、時間が最低でも2ヶ月、3ヶ月かかるでしょ。でも、自分やると1ヶ月くらい。でも、『Voice Hardcore』を出してくれるようなレーベル日本にあったのかな(笑)。

『Voice Hardcore』の評価は海外では良かったと思いますよ。

Phew:日本でライヴをするとしても1000~2000人とかのキャパではやらないじゃないですか。小さなスペースで、お客さんの顔が見える所で日本ではライヴをやっていますけど、海外でも一緒ですね。ただ、世界中に聴いてくれる人が散らばっていることがわかって、ホッとはしました。だから、一緒かなとは思いますね(笑)。例えば、ロンドンやニューヨークで『Voice Hardcore』を評判が高かったといっても1000人や2000人のお客さんの前で演奏するわけではないし。規模としては一緒だと思いますよ。ただ、ニューヨークとかは実験音楽や即興音楽をサポートする団体や機関の選択肢が日本よりも多いという違いはありますけどね。

日本でも80年代とかは、大きな会社が実験音楽や即興音楽の文化を支援していたという印象がありますが、もしその時代だったらPhewさんが世界と交わっていなかったかもしれませんよね。

Phew:80年代は日本でいろいろなものが観れたんですよ。音楽だけではなく、演劇やダンス、現代美術、世界中のものを観るチャンスがたくさんあったんですよね。とくに東京は。お金があったから人は来たけど、それをいまに繋げられていない、そこから何も残っていないと感じています。私はその時代に生きてきたわけだけど、まさに80年代は反時代というスタンスで活動していました。その時代を見てはいたけど、渦中にはいなかった。

この話と繋がるかわかりませんが、コロナ禍になって、ライヴハウスや映画館がすごく苦しんでいますよね。実際、Phewさんも4月から5月にその件でツイートされていました。この状況のなかでライヴハウスに何か応援できることはあると思いますか?

Phew:自分にできる範囲で、ドネーションしたりグッズを買ったり、そうするしかないですよね。うーん……。休業補償は手厚くしなければならないと思います。ただ、コロナ禍で無傷な業種はほとんどなくて、ほぼ全業種じゃないですか。だから、ほそぼそと自分のできることをするしかないですね。俯瞰して語れないし、渦中でこれからどうなるのか見えない。だからこそ、私は毎日の繰り返しってすごく貴重なことに思えています。GDPが27%下落というニュースを昨日読みましたが、EUやアメリカはもっとですよね。先のことは全くわからないし、悪いことしか考えられない(笑)。短いところで、日常を続けていくしかないですよ。その日常がちょっとずつ変わっていくこともあるかもしれませんけど。
 ライヴハウスに関しては……心苦しいし、辛いですよね。自分の音楽を発表する場所としてだけではなくて、人がフランクに集まれる場所がないのは、辛いですよね。私は何よりもそういったクラブやライヴハウスの雰囲気が好きだったんです。オールナイトのイベントで3時とか4時になったらみんな床で寝ているじゃないですか(笑)。あの無防備さというか、みんな野良猫みたいで(笑)。クラブ以外ではありえない。音楽好きな人が集える安全な場所が危機に瀕しているのは辛いし、なくしてはいけないと思います。

インタヴューは少なくともインタヴュアーの顔が見えて、質問があって、一生懸命答えています。でも、私は顔の見えない人に向かっては何も言うつもりはないです(笑)

『Voice Hardcore』に入っていた4曲目の“ナイス・ウェザー”という曲で、天気について触れられていて、今作でも天気について触れられていましたよね。私はイギリス人でイギリスでも日常会話のなかで天気の話題はよく出てくるんです。日本では天気について触れるとき、どのようなメタファーがあるんですが?

Phew:もう、天気の話しかできないんじゃないかというのはあります。ふふふ(笑)。自由に発言できるのはごく限られた場所しかなくて、ちょっとしたことでも言葉尻だけ取られて、変な風に解釈されるし。天気だったら大丈夫だろうと(笑)。季節の移り変わりについて語ることは、誰も文句をつけられないでしょう。イギリスの場合だとわりと早い段階から多様な人たちが共存してきた国ですし、文化の違う人たちが一緒に住んでいて、一番安全な話題が天気だと解釈されているということはありませんか?

イギリスではすぐ政治の話をする人が多くて、その点で日本との違いがありますが、一番安全な話題として天気があることは共通していると思います。

Phew:政治の話とかは顔が見える人とはできますけど、公に向かって話したくはないと思います。

Phewさんは単刀直入な方だと思っていました。それはインタヴューだけでしたか。

Phew:インタヴューは少なくともインタヴュアーの顔が見えて、質問があって、一生懸命答えています。でも、私は顔の見えない人に向かっては何も言うつもりはないです(笑)。それに、顔の見えない人に向かって発せられたメッセージは政治家であれ、アーティストであれ、その言葉は一切聞くつもりはないですね(笑)。聞かないです。

良いポリシーだと思います(笑)。では、ここで終わりにしましょうか。

Phew:はい。またどこかで直接お会いできたらと思います。ありがとうございます。

(8月19日、skypeにて)

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Interview/translation: James Hadfield

It comes as no surprise to discover that Phew doesn’t think much of archival labels. Four decades after she emerged with Osaka punk group Aunt Sally, then released one of the most striking solo debuts ever to come out of Japan (or anywhere else, for that matter), she could easily have chosen to cash in on past glories. Instead, she’s spent the past few years making some of the most potent music of her career, following her remarkable rebirth as a solo electronic musician in the 2010s. Since the release of “A New World” in 2015, Phew has created an utterly distinctive sound, defined by synthesizer drones, skeletal rhythms and eerie vocal swarms. In addition to two well-received international releases, “Light Sleep” and “Voice Hardcore,” she’s toured extensively overseas, including in a duo with fellow punk survivor Ana da Silva, of The Raincoats. Phew’s latest collection, “Vertigo KO” (Disciples), compiles unreleased material and a couple of new tracks, recorded between 2017 and 2019. In the liner notes, she describes it as an “unconscious sound sketch,” and it resonates powerfully with the uneasy times we’re living in.

JH:How have you been spending your time during during the pandemic?

PHEW:All my live dates were cancelled in March, which knocked me off my stride. While the state of emergency was in effect in Japan, there were times when I felt confused, and wasn’t sure what to do with myself. I’m already accustomed to living like this, though. I like being at home―reading books, listening to music, watching films―so not being able to go out hasn’t been so hard. But it’s made me really conscious of how I was spending my everyday life. All those daily routines that used to bore me, like sleeping, getting dressed, shopping and eating―I’m doing them more intentionally now. I’d like to start playing gigs again too, once that becomes possible, though we’re not quite there yet.

JH:When “Vertigo KO” was announced, I was really struck by what you described as the album’s hidden message: “What a terrible world we live in, but let’s survive.” It felt like a wonderful way of putting it.

PHEW:(Laughs) In fact, that doesn’t have anything to do with the coronavirus. For the past five years or so, I’ve seen for myself how disparities are widening―not just in Japan, but also in places I’ve visited on tour―and this left me feeling that it’s a really hard world to live in. I was already thinking “what a terrible world” before the coronavirus came along.

JH:I feel like your music―especially your recent work―evokes a strong sense of solitude, like it’s being created in isolation from the world. You were already making music at home before the pandemic, but are you aware of it influencing your work in other ways?

PHEW:I think I’ll realise that further down the line. I’m just taking one day at a time―that’s what I’ve decided to do. There are lots of awful things happening at the moment, but I can’t respond to them right away. That’s not to say that I’m averting my eyes from all of that: I know what’s going on in the world, I’m just not getting too caught up in the current moment. It’s like (I’m creating) an antithesis to the era. Then again, rejecting the present is like saying you wish reality was different, and I appreciate it’s impossible to change what’s already happened. So I take a position of trying to understand at least something about the current state of the world, based on information I can gather myself. I’m maintaining these two forms of awareness as I go about my daily life, and the irony and humour that comes from that is reflected in the music I make. (Laughs) Did you get all that?

JH:I think perhaps this ties in with what you said about your release for Cafe OTO’s TakuRoku label (“Can you keep it down, please?”)―about how you’re creating your own future through your music?

PHEW:That’s because I’m thinking about the future at the moment, not just in relation to music. I think about the past, too. There’s no “now”: just the past and the future. What we call “now” is really a void. That’s why I can’t convey now what’s happening now.

JH:Right…

PHEW:So even though things are bad… I don’t want to say you can’t help what happens, but I can’t think too much about the future. I’m only able to make definite plans a few weeks ahead, or even only a few days.

JH:I went back to “A New World” this morning, for the first time in a while. I’d thought of that album as a gateway to the music you’ve created since, but revisiting it now, I felt it had a stronger connection with your past. In some senses, it's like it was marking the end of something, rather than the beginning. Would you agree with that?

PHEW:I wonder about that… I don’t listen to my old releases, but I’ve had times when my impressions of other people’s music have changed, and I’ve discovered something new. I’m from the “anti hippy” generation, so when I first started getting obsessed about music, I particularly avoided stuff from the 1960s. I’ve come to realize that was a real waste. (Laughs)

JH:I know what you mean!

PHEW:Seriously! The Grateful Dead were active at the time, but I’d closed my ears to it. When I was young, I jumped to the conclusion that it was all hippy music, which was a mistake. But there are things I liked when I was younger that I like even more now. That’s definitely true of Kraftwerk. I hated hippies, but Can and Kraftwerk were different.

JH:Was that anti-hippy stance something you absorbed from others, or did you come upon it by yourself?

PHEW:I’d seen everything with my own eyes as a teenager: how the battles of the 1960s ended in defeat. Rock music during the first half of the 1970s didn’t do anything for me. David Bowie dazzled me when I first heard him at junior high; I think it was around “Aladdin Sane.” I got into T-Rex, which was also dazzling, but totally empty. Maybe this was just a Japan thing, but Bad Company and Deep Purple were really popular here at the time, and I hated them! I hated the clothes, the music, the way they were marketed to girls with these titillating articles in the music press. I haven’t liked that since I was at junior high. My older sister had a copy of Bad Company’s first album, on Island Records, and there was an insert introducing the label’s other artists. There was a photo of Sparks’ “Kimono My House,” and I bought it based on the album cover. My first impression was that they were real oddballs: they weren’t like Bowie, they had a different vibe from Bolan’s glittery thing. When I listened to them, it clicked immediately. The mainstream at the time was hard rock like Deep Purple, but I started searching out music in the corners. Sparks were released in Japan, too. I was able to find them at my local record shop, and then that tied in with the New York punk scene. Sorry, I’m just rambling on about the past!

JH:No, it’s fine! In the liner notes for “Vertigo KO,” you talk at a few points about making music unconsciously, or without thinking. Can you tell me a bit about that distinction?

PHEW:For instance, if someone asks me to make something, it will be a very conscious process. There are a lot of constraints, too. When I’m making a solo album, I can work freely, so it becomes more unconscious, making sounds without deciding anything in advance. But it’s impossible to make something completely without conscious input, because I’ll still be editing tracks in order to make an album. The performance itself is partly unconscious; a lot of times, I’ll let the sound dictate what comes next. But when I have to turn that into a finished package, obviously that becomes a conscious act of creation.

JH:I take it that the Raincoats cover on the album (“The Void”) is an example of a consciously created track?

PHEW:That’s right. It was a request from a radio show, which asked me to cover a song that was released in 1979. I’d just done the album with Ana, and I liked The Raincoats, so I picked one of their songs which I was particularly of fond of, “The Void.” I put a lot of thought into how I’d cover it. For instance, The Raincoats are talked about in terms of post-punk and new wave, but I find it so boring when things are always framed in the same way―and this has happened with me as well. So when I covered the song, I was looking for a way to liberate it from that particular context.

JH:Has Ana heard it?

PHEW:Yes, I sent it to her right away.

JH:What did she think?

PHEW:She appreciated it.

JH:You’ve already released one album with Ana, and I saw that you had another one in the works…

PHEW:I’m not sure you’d call it an album. We’re doing a project at the moment where we’re uploading tracks created during lockdown, and I think we’ll compile those into a release.

JH:How has the collaboration evolved in the course of working and touring together?

PHEW:I toured with Ana last year, but my main focus was working on my solo album. I didn’t have much time for recording, as I was touring so much. We started talking about doing another collaboration earlier this year, and we uploaded a track to Bandcamp in June (“ahhh”). We’d originally planned to go on tour in Europe during June, but that got cancelled. At the moment, we’re sending files back and forth to each other, like we’re exchanging letters. I can’t really say if it will lead to a standalone album. Maybe that’s one thing that’s changed since the start of the pandemic. I was talking earlier about not setting goals for the future, but until last year, it was normal for me to work towards making an album, and I’d create music with that in mind. But physical distribution has ground to a halt this year: it takes forever for deliveries to arrive from the UK and US, and you can only send things via surface mail from Japan. Given the facts of the situation, it feels hard to think about releasing an album right now.

JH:Speaking of albums: there are some variations between the releases you’ve put out in Japan and internationally. “A New World” came out here, but not many people overseas seem to have heard of it. “Light Sleep” was a compilation, the international edition of “Voice Hardcore” is different from the Japanese one, and “Vertigo KO” is also kind of a compilation…

PHEW:Right, right. “Vertigo KO” started when the guy from Disciples came to watch Ana and me play, and slipped me a hand-written note. He’d been listening a lot to my recent work, and said he wanted to release some of my recordings. The next time I went to London, we met up and talked about it. The label’s concept is to release collections of unreleased recordings, rather than new material, so I initially had some reservations. I didn’t have a good impression of archival releases. Even if it’s not rarities from the 1980s (laughs), I don’t think much of releasing that kind of stuff as a business. But Disciples weren’t talking about music from a long time ago: they were interested in the solo material I’d recorded over the past 4 or 5 years, which was unusual. Up until then, I’d had lots of people ask about my first album (“Phew”), Aunt Sally, or my debut single that Ryuichi Sakamoto produced (“Finale”), but Disciples were different―which was a change! When I got back to Japan, I sent them some unreleased recordings and they decided the track selection. The tracks they picked felt fresh, and since it was going to be an album, I threw in a couple of new songs. So it’s really a collaboration with the label. Like I said earlier, I don’t listen to my old music, but in this case it couldn’t be helped, and it turned out to be a really interesting experience: it was like remixing my past. A lot of ideas came out during my exchanges with the label, the album title included.

JH:So do you think you’d like to do the same sort of thing again, or was it a one-off?

PHEW:I enjoyed the process this time, and I’d happily do it again given the chance, but what I really want to do now is release an album of the new material I’ve recorded over the past year.

JH:Is that going to be in the vein of “Hearts and Flowers” (the closing track on “Vertigo KO,” which Phew has described as the genesis for her next album), or something different?

PHEW:I have an album’s worth of material that’s like a continuation of that. But like I was saying earlier, it’s hard to make and sell records and CDs at the moment, so I’m still weighing up my options. I’m planning to self-release something, but that won’t be until next year.

JH:Out of interest, was your decision to self-release “Voice Hardcore” in Japan made out of necessity or choice?

PHEW:I think I’d probably come to the conclusion that nobody was going to release it for me! I didn’t even try looking for a label. I wanted to put something together before I went on tour in Europe, and figured it would be quicker to release it myself. When you release something through a label, it’s going to take a minimum of two or three months, but I could cut that down to a month or so if I did it myself. I’m not sure there were any labels in Japan that would have released “Voice Hardcore.” (Laughs)

JH:I wonder about that. It seemed to get a really good response overseas.

PHEW:When I do shows in Japan, it’s not like I’m playing at 1,000 or 2,000 capacity venues, is it? I’m doing gigs at places that are small enough for me to see the audience’s faces, and it’s the same in other countries. It was a relief to realise that there were people who’d listen to my music scattered all over the world. So it’s not a question of Japan being better or worse: I think it’s the same everywhere! Even if “Voice Hardcore” got a good reception in London or New York, I’m not going to be performing in front of 1,000 or 2,000 people over there. I think the scale is the same. The main difference is that in places like New York, there are more funding options from groups and organizations that support experimental and improvised music than in Japan.

JH:I have the impression that there was a lot more corporate sponsorship available in the 1980s in Japan, but I guess you weren’t associating much with that world at the time?

PHEW:You could see all kinds of stuff in Japan in the 1980s. There were lots of opportunities to experience culture from around the world―not just music, but also theatre, dance and contemporary art, especially in Tokyo. During the Bubble era, there was the money to bring people over, but I don’t feel like it left any kind of legacy: there’s no connection with what’s happening now. I lived through that whole period, but during the 1980s I was living in opposition to the era. I could see what was going on, but I kept my distance.

JH:I’m not sure if this is related, but venues and cinemas have been really struggling during the coronavirus pandemic. You were posting about this on Twitter back in April and May, but do you think there’s more that should be done to support them?

PHEW:I’m not sure there’s much I can do personally, besides making donations and buying merchandise. I think there has to be more financial assistance, but there are hardly any industries that haven’t been affected by the pandemic―it’s basically hit everyone, hasn’t it? We all just have to do what we can to scrape by. It’s hard to take a broader view: we’re so caught up in the midst of this that we can’t see what will come next. That’s why I’m treasuring daily life so much. I saw yesterday that Japan’s GDP had dropped 27%, and it’s even worse in the EU and US. I have no idea what’s going to happen next… and all the possibilities I can think of are bad! (Laughs) For now, all I can do is carry on with my daily life, although that might gradually change over time. With live venues, my heart goes out to them―it’s really tough. They aren’t just places for showcasing your own music: it’s hard not having somewhere for people to gather informally. More than anything, I’ve always liked the atmosphere of clubs and live venues. When it’s an all-night event, by 3 or 4 in the morning, everyone’s sleeping on the floor, right? They’re so defenceless: everyone looks like stray cats! (Laughs) That wouldn’t happen anywhere else, except at a club. It’s painful seeing these safe spaces for music lovers in such a critical state, and we can’t let them disappear.

JH:Finally: this is a weird question, but my favourite track from “Voice Hardcore” is “Nice Weather,” which features pleasantries about the weather (“Nothing happened / The weather was nice”), and you return to the theme again on this album. I’m from the UK, and it’s a regular topic of conversation there too, but what do you think Japanese people are really talking about when they talk about the weather?

PHEW:It’s like we’re not able to talk about anything other than the weather! There are only limited opportunities for people to speak freely, and the smallest thing might be misunderstood or taken out of context. It’s safe to stick to the weather, or the changing seasons. (Laughs) Nobody’s going to take issue with that! With the UK, you’ve got quite a long history of people from different cultures living together, so perhaps the weather is the safest topic of conversation?

JH:I think there’s something to that. One difference with Japan is that people in the UK are more willing to talk about politics, but I’d agree that it’s safest to stick to the weather.

PHEW:I’m happy talking politics face to face, but I don’t want to make public pronouncements about it.

JH:I thought you were pretty direct about those things. Or is that just in interviews?

PHEW:With interviews, if I can at least see the person I’m talking to, then if they ask me about these things, I’ll give them a straight answer. But I don’t want to say anything to someone I can’t see. When people start addressing messages to an invisible audience, whether it’s politicians or artists, I tune them out. (Laughs) I won’t listen!

JH:I think that’s a good policy! Shall we wrap things up here?

PHEW:I hope we’re able to see each other in person next time! Thank you.

Bright Eyes - ele-king

 アメリカにおいてフォーク(・ロック)が何かしらの説得力を増しているのではないかと感じているのはこの数年のことで、去年辺りからそれが確信に変わりつつある。ひとつにはビッグ・シーフがサウンド的にもコンセプト的にも目を見張るような作品をリリースしメディアに絶賛されたというのもあるし、ひとつにはビル・キャラハンマウント・イアリのようなヴェテランが力作を発表し若い世代に発見されているということもある。もちろんボン・イヴェールがコミュニティ・ミュージックとしてのフォークを再定義しようとしているのもあるし……さらに大きなところで言っても、ボブ・ディランの17分を超えるシングル、それに久々のオリジナル作がアメリカを激しく問うものであったこともある。あるいはまた、テイラー・スウィフトのようなゴシップと戯れてきたメガ・ポップ・スターがそれこそボン・イヴェール一派の力を借りつつ『Folklore (伝承歌)』というタイトルの、アメリカの人びとの記憶を巡るフォーク・アルバムを制作する事態まで起きている。
 それは2016年からの重い問いになっている、「では、そもそもアメリカの民主主義とは何だったのか?」というテーマともリンクしているだろうし、権力と対峙するときの「人びと」のコーラスがいまどれほどの力を持ちうるかの試みでもあるだろう。あるいはまた、個と公がどのような関係を描くのかという問い直しであるだろうし……結局、混乱する時代にあってわたしたちは何度でもそこに立ち返るしかない。

 そんななかでいま急速に再注目と再評価を集めているのがコナー・オバースト率いるブライト・アイズである(それと、ボニー・“プリンス”・ビリーも。ウィル・オールダムは『ア・ゴースト・ストーリー』のような若い世代の心を捉えたインディ映画に俳優として出演するなどして、インディ・キッズたちの間でクールなアウトサイダーとして人気を高めている)。ブライト・アイズといえば、多くのひとが思い出すのは音楽的なテンションがピークに達していた『LIFTED or The Story Is in the Soil, Keep Your Ear to the Ground』(2002)~『I’m Wide Awake, It’s Morning』(2005)の頃だろう。同時期にはブッシュ政権の傲慢を激しく糾弾したシングルにしてプロテスト・ソング「When the President Talks to God (大統領が神に話すとき)」もある。自分の混乱や不安定さを隠さないままこの社会の不条理を訴えるオバーストの姿を見て、人びとは彼を「若きディラン」と呼んだ。それももう15年前のことだ。
 それからブライト・アイズは2010年代頭に向けて批評的にじょじょに失速していく。いま思えば、彼が受けた世の過剰な期待に対応しきれず、ややスピリチュアルな方向に進んだのと関係しているのかもしれない。ライターとしてデビューしたばかりの頃の自分が書いた『The People’s Key』(2011)の拙いレヴューを読み返してみると、はっきりと落胆が記されており、まあ拙いながらも当時の自分の正直な気持ちだったのだろうと思う。ブッシュ時代からオバマ時代へと至り、オバーストは何を歌うべきか、彼自身もリスナーも見失いつつあったのかもしれない。そのことを表すように、『The People’s Key』はフォーク・ロック・アルバムではなかった。
 しかしブライト・アイズとしての作品が長く途絶えている間に、次の世代がその存在を参照しはじめる。そこでキーワードになったのがエモだ。リル・ピープやマック・ミラーのようなエモ・ラップがカヴァーやサンプリングで精神性の拠り所にし、また、エモからの影響を公言する新世代のインディ・ロック・スターであるフィービー・ブリジャーズとオバーストのフォーク・ロック・ユニットであるベター・オブリヴィオン・コミュニティ・センターが結成されるなんてこともあった。ビッグ・シーフは自分たちがかつて所属した〈サドル・クリーク〉を「ブライト・アイズがいたレーベル」として認識していたという。初~中期のブライト・アイズにおける思春期性を帯びたエモーショナルさがときを経て、メンタル・ヘルスの問題が取り沙汰される世代に発見されるのは自然な流れだったのかもしれない。時代の混迷とともに、彼の震える声が再び求められたのだ。そして、ブライト・アイズとして9年ぶりのアルバムがリリースされた。

 フォークというにはやや作りこまれたロック・アルバムだが、『The People’s Key』よりはるかにフォーク/カントリーが戻ってきているのは間違いない。メンバーであるマイク・モギスとナサニエル・ウォルコットと再び集い、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーやマーズ・ヴォルタのジョン・セオドアのような名プレイヤーの参加もあり、かなり厚みのあるバンド・サウンドとなっている。なかでもウォルコットが手がけたオーケストラはリッチかつドラマティックなもので、初期を思えばずいぶんしっかりしたなと思わせるところがある。骨格としては正統にフォーク・ロック的な “Dance and Sing” の後半でほとんど仰々しく入ってくるストリングス、“Mariana Trench” においてジョン・セオドアの激しいドラミングのなかで縦横に飛び交うブラス、ビターなピアノ・バラッド “Pan and Broom” でよく歌うバグパイプなどを聴いていると、アレンジメントのゴージャスさで聴かせる作品なのだと感じられる。とても力強い。
 それでもその中心にあるコナー・オバーストの声と歌、それはいまでも不安を抱えたままで揺らぎ、震えている。このアルバムはオバーストの元妻のスポークン・ワードで幕を開けるのだが、そんな風に人生の様々な経験を経て40代となったいまも消えることのない自身の不安定さがここにはある。そしてオバーストの視線はまた社会や資本主義の欺瞞や不条理に向かっており、しかしそれに対して太刀打ちできない自分自身の弱さや無力感が綴られている。もう彼は「フォークの若き旗手」などではないが、中年になってなお、この世に生きることの過酷さを前に膝を抱える自分を隠そうとしていない。もちろん15年間に比べると歌い方も詞作もぐっと成熟しているし、彼もやはり年を重ねているのだと気づかされる。けれど、清潔な音でピアノが響くバラッド “Hot Car in the Sun” のなかで、「ベイビー、だいじょうぶだよ。愛している」とか弱い声で歌う頼りなさこそオバーストであり、ブライト・アイズなのだ……と思ってしまう。あるいは自分がそんな瞬間を探そうとしているだけなのかもしれないが。

 僕はいまでも『LIFTED』のラスト、“Let’s Not Shit Ourselves (To Love and to Be Loved)” で「僕にはブルーズがある! 僕にはブルーズがある! それが僕!!」と絶叫する彼の危うさを耳にすると視界がぼやけてしまうし、自分が過去に持っていたのかもしれない感じやすさを掘り起こされる気分になる。『Down in the Weeds, Where the World Once Was』のクロージング・ナンバーである “Comet Song” は、それを思うとずいぶんコントロールされて安定したアンサンブルが聴けるが、じょじょに壮大になっていくオーケストラのなかで懸命に歌うオバーストの迫力に耳を奪われる。それは彼がいまも等身大の自分自身でこの世界に対峙していることの証だ。このアルバムにあるバンド・サウンドの逞しさとオバーストの不安を滲ませる歌の対比は、個と公の間にある戸惑いのなかで何かを見失いそうな、社会の巨大さや残酷さを前にしたときのちっぽけな自分を、それでも奮い立たせてくれる。

Run The Jewels - ele-king

 以下に掲げるのは、8月26日発売『別冊ele-king ブラック・パワーに捧ぐ』に収録されたジェイムズ・ハッドフィールドの原稿です。今回、同号の予告編として特別に先行公開いたします。なお彼は同誌にてビヨンセやギル・スコット・ヘロンについても書いています。(編集部)

 ラン・ザ・ジュエルズの4作目にしてこれまででもっとも重要なアルバム『RTJ4』を、5月29日のアトランタでおこなわれ、SNS上で広くシェアされたキラー・マイクのスピーチと切りはなして考えるのは難しい。数日前からはじまっていたジョージ・フロイドを殺害した警官にたいする抗議が、破壊的な展開を見せていくなかで、マイクは民衆の怒りを認めつつ、同時にまた、その怒りを自分たちのコミュニティへ向けてはならないのだと説いていた。
 「俺たちは百貨店が燃えあがるのを見たいわけじゃない」と彼は述べている。「俺たちは、体系的な人種主義を作りだしているシステムが燃えあがるのが見たいんだ」
 『RTJ4』はこのスピーチの翌週に発売されたが、これほどタイミングのいいリリースはそうそうないことである。そこには怒りがあり、ユーモアがあり、敵意を削ぐような率直さがあって、目下の状況が先取りされていると同時に、目下の状況との共鳴が見られる。ラッパー兼プロデューサーであるエルPのキャリアのなかでもっともパンチがあり、もっとも派手な作品だといえるこのアルバムは、時代の終わりのためのパーティ・ミュージックである。リード・シングル “オー・ラ・ラ” のMVのなかで予見されているのは、まさにそうしたイメージだ。そのなかで彼らは、資本主義の終わりを祝うブロック・パーティを主催し、価値のなくなった大量のドル札が燃えるそのパーティーのなかでは、浮かれ騒ぐ群衆のポップダンスが繰りひろげられている。 

 4枚のアルバムをとおしてラン・ザ・ジュエルズは、ある曲で警察の残虐さを話題にしたと思えば、次の曲ではプードルを撃ち殺すのだと冗談を言うといった調子で、まっとうな怒りと馬鹿げたユーモアを両立しつづけてきた。したがって『RTJ4』の多くの歌詞が、まるで2020年と言う年のために特注されているように見えるとしても、ことさらに予言がおこなわれていたわけではないのだ。この二人はつねにそういったことについて語ってきたのである。
 じっさい、2014年の『ラン・ザ・ジュエルズ2』収録の “アーリー” は、新しいアルバムに収録された “ウォーキング・イン・ザ・スノー” とまったく同じように、聴く者の胸をえぐるような警察の残虐さを描いたものだった──後者の曲のなかでマイクは、「その悲鳴が『息ができない』と言うかすかな声に変わるまで/俺と同じような男が」首を絞められる様子を思い描いている。このときに彼が考えていたのはエリック・ガーナーの最後の言葉だったが、死の直前のジョージ・フロイドは、同じ言葉を20回以上繰りかえしていたのだった。
 だがエルPは、インタヴューのたびに繰りかえし、現在の出来事に足並みを合わせていたいわけではないのだと語っている。自分たちの正しさが証明されるよりも、黙示録的な変人でいたいと言うわけである。こうした考えは、“プリング・ザ・ピン” に感情のこもったヴォーカル・フックを提供しているヴェテラン・ソウル歌手メイヴィス・ステイプルズ[Mavis Staples]による、次のような歌詞に表現されている。「俺が勘違いしているだけならいいんだ/だけど最悪の場合、俺ははじめから正しかったことになる」
 荒涼とした現状が描かれ、辛辣なコメディが繰りひろげられたあとで、このアルバムは、予想外にも胸を刺すような感動的なトーンで幕を閉じている。ラン・ザ・ジュエルズが仮面を取ったのは、この “ア・フュー・ワーズ・フォー・ザ・ファイアリング・スクワッド(レディエーション)” がはじめと言うわけではないが、先立つ曲の激しさのあとでは、そこで彼らが表現する感情の直接性は、いっそう印象的なものに感じられる。

 アトランタでのマイクのスピーチは、この先の彼に政治的なキャリアがありえることを示唆するものだったかもしれないが、しかしその曲のなかにおける彼の歌詞は、社会正義のヒーローというマントをまとうことを拒否している。自分の妻との会話を思いだしながら、彼は次のようにラップしている。「友人たちは彼女に、あいつなら新たなマルコムになれると言う/あいつなら新しいマーティンになれると/だけど彼女はそのパートナーに/世界は新しい殉教者を必要としているけど、そんなものより自分には夫が必要なんだと言い返した」
 たとえ世界中の注目が集まっていたとしても、頭の切れる彼には、どこで話を切りあげればいいかちゃんとわかっているのである。

It’s hard to separate “RJ4,” the fourth and most vital album by Run The Jewels, from the widely shared speech that Killer Mike delivered in Atlanta on May 29. As protests over the police killing of George Floyd a few days earlier took a destructive turn, the rapper both acknowledged people’s anger and urged them not to direct it at their own communities.

“We don’t wanna see Targets burning,” he said. “We wanna see the system that sets up for systemic racism, burned to the ground.”

“RJ4” dropped the following week, and few albums could have been better timed. At times angry, funny and disarmingly honest, it both anticipates and resonates with the current moment. Boasting some of the punchiest, most garish productions of rapper/producer El-P’s career, it’s party music for the end of times. That’s pretty much what the duo envisioned for the video for lead single “Ooh La La,” in which they preside over a block party celebrating the end of capitalism, revellers popping dance moves while burning bucket-loads of devalued dollars.

Throughout their four albums, Run The Jewels have balanced righteous anger with absurdist humour, discussing police brutality in one track then joking about shooting poodles in the next. That many of the lyrics on “RTJ4” seem tailor-made for 2020, that’s not because of soothsaying: the duo has always been talking about these things.

“Early,” from 2014’s “Run The Jewels 2,” was a depiction of police brutality ever bit as harrowing as the new album’s “Walking in the Snow”—the track on which Mike imagines cops choking “a man like me / Until my voice goes from a shriek to whisper ‘I can’t breathe’.” He was thinking of Eric Garner’s final words, but Floyd repeated the same phrase more than 20 times before he died.

In interviews, El-P has repeatedly said the duo would rather not find themselves so in step with current events: better to be dismissed as apocalyptic nut-jobs than proved right. It’s the same sentiment expressed by soul veteran Mavis Staples, who supplies the emotive vocal hook to “Pulling The Pin”: “And at best I'm just getting it wrong / And at worst I’ve been right from the start.”

After the bleakness and acerbic comedy of what’s come before, the album closes on an unexpectedly poignant note. “A Few Words for the Firing Squad (Radiation)” isn’t the first time Run The Jewels have taken their masks off, but the directness of the sentiments they express feels all the more striking after the onslaught of the preceding tracks.

Mike’s speech in Atlanta may have suggested he had a political career ahead of him, but his lyrics reject the mantle of social justice hero. Recalling a conversation with his wife, he raps: “Friends tell her he could be another Malcom / He could be another Martin / She told her partner I need a husband more than / The world need another martyr.”

Even when he has the world’s attention, he’s smart enough to know when to drop the mic.

ISSUGI - ele-king

 残念ながら8月9日に予定されていたライヴが中止になってしまった ISSUGI だけれど(コロナめ……)、最新作『GEMZ』から新たに “再生” のMVが公開されている。1枚1枚、紙に印刷して制作されたというこの映像、独特の雰囲気を醸し出していてカッコいいです(KOJOE も登場)。これを観ながら、いつかライヴを体験できるようになる日を心待ちにしていよう。

ISSUGI のバンド・サウンドを取り入れたアルバム『GEMZ』から BUDAMUNK のプロデュースによる “再生” のMVが公開! Damngood Production の Toru Kosemura、Tomohito Morita が手掛けており KOJOE も出演!

BUDAMUNK (PADS)、WONK の HIKARU ARATA (DRUM)、KAN INOUE (BASS)、CRO-MAGNON の TAKUMI KANEKO (KEYS)、MELRAW (SAX, FLUTE, TRUMPET, GUITAR)、DJ K-FLASH (TURNTABLE)がバンド・メンバーとして集結し、Red
Bull のサポートのもと制作された ISSUGI のニュー・アルバム『GEMZ』から BUDAMUNK のプロデュースによる “再生” のミュージック・ビデオが公開! 1枚1枚、紙に印刷して作られた映像作品はディレクションを Toru Kosemura (Damngood Production)、アニメーションを Tomohito Morita (Damngood Production) が担当しており、コーラスで参加している KOJOE もフィーチャーしております。

*ISSUGI - 再生 Prod by Budamunk (Official Video)
https://youtu.be/lV3JweMI8G8

[アルバム情報]
アーティスト: ISSUGI (イスギ)
タイトル: GEMZ (ジェムズ)
レーベル: P-VINE, Inc. / Dogear Records
品番: PCD-25284
発売日: 2019年12月11日(水)
税抜販売価格: 2,500円
https://smarturl.it/issugi.gemz

Members are...
RAP:ISSUGI / DRUMS:HIKARU ARATA (WONK) / BASS:KAN INOUE (WONK)/ PADS:BUDAMUNK / TURNTABLE:DJ K-FLASH / KEYS:TAKUMI KANEKO (CRO-MAGNON) / SAX, FLUTE, TRUMPET, GUITAR:MELRAW

Chari Chari - ele-king

 冒頭から私ごとで恐縮だが、自粛期間でジャズをたくさん掘る機会に恵まれた。見つけたアルバムのひとつにアルバート・アイラー『Music Is the Healing Force of the Universe』という作品がある。1969年リリース、遡ること約50年前のフリー・ジャズ。内容もさることながら、アルバムのタイトルにとくに強く惹かれるものがあった。『音楽は万物の癒しの力』音楽と同時に言葉の持つチカラは本当に偉大だ。そしていまから紹介するChari Chari『We hear the last decades dreaming』も音楽、そして言葉の持っている「癒しの力」を携えた1枚になっている。

 20年以上のキャリアを誇るDJ/プロデューサー、井上薫がChari Chari名義で放った新作。この名義では実に18年ぶりとなるアルバムで、2016年に12インチレコードでリリースされた「Fading Away / Luna De Lobos」などを含む全12曲が収録。「作曲、ミックス、マスタリング、という行程をある時期から完全に独りの作業として行っていった」と自身のブログでも語るように(是非このブログもレヴューと併せて読んでいただきたい)細部まで非常に拘り抜かれたアルバムになっている。

 イントロやアウトロなどを除けばほぼ全てが6分〜10分を超える非常に濃い内容の楽曲が揃っており、電車窓の情景を思い起こさせるような1曲目“Tokyo 4.51”が現実からアルバムが秘める異世界への橋渡しになっている。アルバムを何度か聴いていくと大きく分けて3つの構成に分かれているように感じており(是非機会があればご本人に確認したいところ)、それぞれのトラック・タイトルに“Dream = 夢”“Agua = 水”“Haze = 霧”と一寸先の見えないような幻想的な世界観が広がる1〜4曲。幻想を飛び出し、山奥や草原といった大自然の力を感じるような5〜8曲。そしてエレクトロニックでダンス・ミュージックのグルーヴも併せ持った9〜12曲。どれも井上薫自身のバックグラウンドでもある民族音楽やアンビエント、ミニマルなサウンドがこのアルバムの随所にも散りばめられており、それらが絶妙なレイヤーで増えたり減ったりを繰り返す。

 サウンドと並行してアートワークやタイトルにも強烈なメッセージが印字されており、ジャケットに記された「Music for Requiem Ritual」= 「安息の儀式のための音楽」がこのアルバムの最大のコンセプトになっている。奇しくも2020年、コロナ禍という人類の価値観や経済活動を覆す節目でリリースされたこのアルバムは18年という時を超えて本当に奇跡のような絶妙のタイミングでリリースされたとしか言いようがない。引き続き先行きの見えない世の中に不安を抱えながらも、このアルバムが持つ「癒しの力」にどっぷりと浸かりながら、過去そして未来の10年、20年(decades)に想いを馳せるのがリスナーとしてのアルバムのアンサーになるのかもしれない。

 往年の井上薫 / Chari Chariファンはもちろん、今回初めてChari Chariの存在を知った人にとっても、この挑戦的でコンセプチュアルなアルバムを是非一度聴いて欲しいと思うし、このレビューが少しでもそれを後押しできれば幸いだ。

interview with Mhysa - ele-king


Mhysa
Nevaeh

Hyperdub / ビート

PopExperimental

Tower

 どこまでも素朴なまま、さりげなく尖っている。けっして頭でっかちなわけではない。自然体でちょっと実験的──近年エレクトロニックなブラック・ミュージックの文脈で、そういうアーティストが増えてきている。道を用意したのはおそらくクラインだろう。フィラデルフィア(からブルックリンへ引っ越したばかり)のミサも、そのタイプの音楽家だ。
 2017年にラビットの〈Halcyon Veil〉からリリースされたファースト・アルバム『Fantasii』は、浮遊的な声とシンセの残響がすばらしい宝石のようなアルバムだった。3年ぶりのセカンド・アルバム『Nevaeh』は、ポップさを携えつつも、よりエッジィさを増している。“sad slutty baby wants more for the world” における声の反復や “w_me” の打撃音、“Sanaa Lathan” のキャッチーなコードや “brand nu” の天上的なハープなど、聴きどころはたくさんあるが、とりわけ注目すべきは “ropeburn”、“breaker of chains”、“no weapon formed against you shall prosper” の3曲だろう。ぎりぎりまで音数を減らした余白あふれる空間のなかで、ドローンや鈴、電子音がつつましげにヴォーカルと並走していくさまは、まるで沈黙それ自体が歌を歌っているかのようで、息を呑むほど美しい。しかも、それらがジャネット・ジャクソンやナズ&ローリン・ヒル、シャーデーのカヴァーだったりするから驚きだ(元ネタはそれぞれ “Rope Burn”、“If I Ruled The World”、“It's Only Love That Gets You Through”)。
 もっとも耳に残るのは、そして、二度にわたって挿入される “聖者の行進” のメロディである。「天国」の逆読みを題に冠した本作、その鍵を握るのはこの黒人霊歌~ルイ・アームストロングのカヴァーであるにちがいない。聖者が街にやってきたら、わたしもその列に加わりたい──そう彼女は語っているが、はたしてその真意とは? 〈Hyperdub〉が満を持して送り出すミサ、本邦初のインタヴューを公開。

セインツが来て平和になり、世の中のすべてが良くなる。わたしはそれを待っている。そして、彼らが来てくれるなら、そのなかに入りたい(笑)。一緒にいま世の中で起こっている問題と戦って、より良い世界をつくりたいと思うの(笑)。

まずは「Mhysa」の発音を教えてください。

ミサ(Mhysa、以下M):「ミサ」って読むのよ。

音楽活動をはじめることになったきっかけはなんでしたか?

M:活動をはじめたのは25歳くらい。まわりにミュージシャンの友だちが多くて、彼らがすごくサポートしてくれた。彼らと一緒に演奏するとき用に名前もつけてくれたり。スーパーヒーローのキャラクターみたいな名前にしたかったのよね(笑)。なにかと戦えるような名前を考えたの(笑)(註:「Mhysa」は『ゲーム・オブ・スローンズ』のキャラクターの愛称に由来)。子どものころは、教会の聖歌隊に入ってた。学校でも聖歌隊で歌っていたし、母親も歌っていたし、祖父も楽器を演奏して歌っていた。歌は、聖歌隊と母親から学んだの。

以前あなたは〈NON〉のいちばん最初のコンピ『NON Worldwide Compilation Volume 1』(2015)にチーノ・アモービとの共作で参加していました。その後〈NON〉からはEP「Hivemind」を出してもいますね。

M:エンジェル・ホがわたしをレーベルに紹介してくれて、あのコンピに参加する機会をつくってくれた。チーノと出会ったきっかけもエンジェル・ホよ。エンジェル・ホとはオンラインで知り合ったんだけど、そのときはチーノのことはぜんぜん知らなかった。わたしがフェイスブックにクレイジーなスピーカーの写真をポストしたんだけど、それをエンジェルが見て、「何それ!?」って反応してきて(笑)。そこから話しはじめて、その流れで「曲をつくるのか?」って聞かれたから、わたしのサウンドクラウドを教えたの。そこからコラボするようになった。チーノとは1曲だけだけど、エンジェルとはチーノとよりも作業しているわ。

今回〈Hyperdub〉からリリースすることになった経緯を教えてください。

M:前のレーベルが「じぶんたちは小さいレーベルだから、次のレコードのために、もう少し大きいレーベルに移ったほうがいい」って勧めてくれたんだけど、2018年の秋にヨーロッパをツアーしているとき、〈Hyperdub〉からアプローチがあって、彼らの「ゼロ(Ø)」パーティでプレイしないかというオファーがきたの。そこから彼らと話すようになって、わたしの新しいプロジェクトの音楽を聴いてみたいと彼らが言ってくれて、アルバムのリリースが決まったのよ。みんなほんとうにいいひとたちで、あのレーベルは大好き。ディーン・ブラントとか、ファティマ・アル・カディリとか、長年尊敬してきたアーティストがたくさん所属してるのも魅力。だから、コード9がわたしの音源を気に入ってくれて信頼してくれたのはほんとうに嬉しかったわ。彼ってほんとうにすばらしいひとだし、アーティストが活動しやすいよう居心地をよくしてくれるの。彼はわたしのメンターみたいな存在。

もっとも影響を受けたアーティストを3組あげるとしたら?

M:「もっとも!」って難しすぎる(笑)! いま出てくる名前は、R&Bシンガーのブランディとジャネット・ジャクソンね。あとは……思いつかない(笑)。

前作はジャネットの『Velvet Rope』にインスパイアされたそうですが、今回も “ropeburn” で彼女を引用していますね。

M:あの作品は、音ももちろんすばらしいんだけど、彼女がディープなテーマに触れている作品でもある。そこに魅力を感じるの。あのアルバムでは、同性愛だったり、エイズだったり、人間や人間関係の複雑さが表現されている。あの作品はすごく興味深くてパワフルだと思う。あのアルバムは、確実にわたしのお気に入りのジャネット作品のひとつだから、その作品の収録曲 “ropeburn” はカヴァーしてみたかったのよね。とうてい彼女みたいにはなれないけど、ちょっとジャネット感をもたらしたかったの(笑)。

ほかにナズ&ローリン・ヒルやシャーデーのリリックも引かれていますが、彼らのことばのどういうところに惹かれたのでしょう?

M:あの歌詞がツアー中にすごく響いてきたのよね。なんでかわからないけど涙が出てくる。だからライヴでも歌ってたんだけど、それをレコーディングすることにしたの。デーモンと戦っている様子をあんなに美しく表現しているところに惹かれたんだと思う。

本作では二度にわたってルイ・アームストロングの “when the saints” のカヴァーが登場しますね。この曲のどういうところにインスパイアされたのですか?

M:あの曲は、子どもヴァージョンみたいなものもあって、小さいときからずっとわたしの頭のなかにあって、あの曲について考え続けていたの。母親とピアノであの曲を弾いたりもしてた。あの曲は、変化が起こるって歌でもあるでしょ? セインツが来て平和になり、世の中のすべてが良くなる。わたしはそれを待っているの。セインツたちを待ってる。そして、彼らが来てくれるなら、そのなかに入りたい(I want to be in that number)(笑)。一緒に、ブレグジットとか、いま世の中で起こっている問題と戦って、より良い世界をつくりたいと思うの(笑)。だからカヴァーしたのよ。

制作はどのように進められるのでしょう? lawd knows との共同プロデュースとなっていますが、役割分担のようなものはあるのでしょうか?

M:曲によるわね。インストをつくるときは、いろんなサウンドをつなげていってかたちにしていくんだけど、コードパッドとか、MIDIキーボード・コントーローラーなんかを使っていろいろ試していくの。その過程でいいなと思うものができたらそこを深めていくわ。ヴォーカルにかんしては、まず歌詞から先に書く。ホントはビートから書くべきなんだけどね(笑)。でもわたしの場合は先に詩みたいなのを書いて、それがメロディックになっていくのよね。Lawd は、良い意味でルールを決めてわたしをジャンルのなかに留めてくれる。わたし、ときどきルールを忘れてじぶんがつくりたいものをただつくってしまうことがあるんだけど、彼が、「それもいいけど、こういうのをつくろうとしてるんじゃなかった?」って思い出させてくれるの。今回のアルバム制作では、ボードの前に隣り合わせに座って、わたしがまず何かやって、それを彼が正してくれるって感じだったわ。あと、作曲でも彼が役に立ってくれることもあった。作業中に彼がピアノでコードを弾いていて、彼はただ遊びで弾いていたんだけど、それがすごくよかったからわたしが使いたいと言って曲に使わせてもらったり。彼はドラム・プログラミングでもたくさん作業してくれているんだけど、リズムのセンスがすごく良くて、知識になる。彼のドラムってホントにクールなのよ。

本作をつくるにあたり、「こういう方向にしたい」など、事前に指針のようなものはありましたか?

M:あったほうがいいんでしょうけど、ぜんぜんなかった(笑)。頭にあったのは、じぶんの境界線を広げたいということだけ。フィーリングに従ってまず数曲つくって、そこからかたちを整えていったの。

もっともポップなのは先行シングル曲 “Sanaa Lathan” です。なぜ俳優のサナ・レイサンをタイトルに? 前作には宝石泥棒のドリス・ペインに捧げた曲がありましたけど、おなじくトリビュートでしょうか?

M:彼女が美しいから(笑)。スタイルもいいし(笑)。一般的に美しいといえばハル・ベリーもそうだと思うんだけど、サナ・レイサンのほうが彼女独特の美しさを持っていると思ったの。彼女が出ているバスケットの映画があるでしょ? あれに出てくる彼女が、この曲の美しい黒人女性のイメージなの(笑)。

わたしはなにを感じてなにを求めているのか。最初のアルバムはその答えの探索の旅のはじまりだった。2枚目は、それをもっと深く探っている。わたしにとっては、曲を書く、作品をつくるということが、黒人としての自分を理解するエクササイズなの。

プレスリリースによれば、『Nevaeh』は「黒人女性であることの経験の反映」であり、「黒人女性たちが終末的状況から抜け出し、より良い新しい世界を見つけるための祈り」だそうですね。“BELIEVE Interlude” でも「世界をより良く」ということばが繰り返されます。黒人でありかつ女性であることは、合衆国においてどのような経験なのでしょう?

M:それはアメリカに住んでいてもよくわからない。数年前にセラピーに通ってて、セラピストから「あなたはどう思う? どう感じる?」って聞かれたけど、わからなかったの。そんな質問初めてだったし。曲を書くということが、その答えをみつけるのに役立つの。わたしはなにを感じてなにを求めているのか。最初のアルバムはその答えの探索の旅のはじまりだった。2枚目は、それをもっと深く探っている。わたしにとっては、曲を書く、作品をつくるということが、黒人としての自分を理解するエクササイズなの。

冒頭のスキットでは、詩人ルシール・クリフトンの詩「won’t you celebrate with me」が朗読されています。現物は未確認なのですが、日本では彼女の児童書『三つのお願い(Three Wishes)』が小学校の教科書に載っているそうです。彼女はどのような詩人なのですか?

M:あの詩は、ここ数年インスタグラムにたくさん載っていたの。最初に読んだとき、ちょうどサンドラ・ブランドとかエリック・ガーナーの事件(註:前者は2015年、警官により暴力を受けた後、独房で死体となって発見された黒人女性。後者は2014年に警官の絞め技により殺された黒人男性)なんかについて考えさせられていたときで、どうやって黒人たちがこの状況を生き延びて、世界をより良くできるのか考えていた。そんなとき、あの詩を読んですごく美しいと思ったのよね。読んでいて涙が出てきたくらい、つながりを感じた。あの詩を使ったのは、わたしがこのアルバムで表現しようとしている空間の枠をつくり出す良い方法だと思ったからよ。

原詩の「バビロンに生まれた/非白人であり女性(born in babylon / both nonwhite and woman)」の「nonwhite」の部分を「black」に言い換えていますよね。それは非白人全般ではなく、あくまで黒人であることを強調したかったから?

M:そう。彼女が詩を書いたのは90年代だったから、「black」ということばをダイレクトに書けなくて、「nonwhite」にすることで意味をより開けたものにしたんだと思う。でもいまは2020年だから、黒人として生まれ育ったなら、そのひとの主張は黒人の主張だとハッキリ言えるし、「nonwhite」だと白人が中心っぽくなってしまう。わたしはその詩を白人だけが中心に聞こえるようにしたくなかったから、少し変えたの。

おなじくフィラデルフィアを拠点に活動しているムーア・マザーについてはどう思っていますか?

M:わたし、じつは去年の11月にブルックリンに引っ越したところなの。ムーア・マザーの音楽は好きよ。いいと思うわ。

※本インタヴューは、ジョージ・フロイド事件以前の2月におこなわれたものです。

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 2000年代にはリアルなアフリカを舞台にした超大作がハリウッドでも次から次へとつくられ、小品にも忘れがたい作品が多かったものの、現在では『ブラックパンサー』のようにおとぎ話のようなアフリカに戻ってしまうか、そもそもアフリカを舞台にした作品自体が激減してしまった(90年代よりは多い。あるいはセネガルなど現地でつくられる作品にいいものが増えてきた)。アフリカに対する注目は音楽でも同じくで、ボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロがライヴ・エイドから20周年となる2005年に世界8大都市で「ライヴ8」を同時開催し(日本ではビョークやドリームズ・カム・トゥルーが出演)、G8の首脳にアフリカへの支援を呼びかけたり、ベルギーの〈クラムド・ディスク〉がコンゴのコノノNo. 1をデビューさせてアフリカの音楽に目を向ける機会を増大させてもいる。これに続いてデイモン・アルバーンはアフリカ・エクスプレスを組織したり、コンゴの現地ミュージシャンたちと『DRC Music』を制作、ベルリンのタイヒマン兄弟も同じくケニヤなどに赴いて『BLNRB(ベルリンナイロビ)』や『Ten Cities』といったコラボレイト・アルバムを、マーク・エルネスタスはセネガルでジェリ・ジェリ『800% Ndagga』をそれぞれつくり上げている。こうした動きはしかし、第1次世界大戦前にイギリスとドイツが次々とアフリカ各地を植民地にしていったプロセスともどこか重なってみえる、個々の動きとは別に全体としては複雑な感慨を呼び起こす面もある(ディープ・ハウスのアット・ジャズが早くから南アフリカのクワイトにコミットしていったことも多面的な要素を持つことだろう)。アフリカの音楽産業は、規模でいえば1に南アフリカ、2にナイジェリアである(北アフリカとフランスの関係は煩雑になりすぎるので省略)。西アフリカを代表するナイジェリアではイギリスとアメリカの資本が暴れている一方、この数年で東アフリカを代表し始めたのがウガンダで、同地にもイギリスやドイツ、そして中国の資本が相次いで投入されている。イギリスのコンツアーズとサーヴォが現地のパーカッション・グループとつくり上げた『Kawuku Sound』、ゴリラズのジェシ・ハケットによる『Ennanga Vision』……等々。

 「先進国から来る人たちは演奏を録音して持って帰るだけ。出来上がったものを聞かせてもくれない」という不満は以前から少なからずあったらしい。アフリカと先進国の関係を変える契機が、そして、クラブ・ミュージックとともにやってくる。ウガンダのクラブ・ミュージックを牽引してきたのはDJ歴20年を超えるDJレイチェルと、2013年ごろから始動し始めた〈ニゲ・ニゲ・テープス(Nyege Nyege Tapes)〉である。東アフリカ初の女性DJとされるDJレイチェルはレコードも売っていないし、わずかなCDも高価で手の届かないものだったという90年代からDJやラップを始め、それは彼女が中流で、平均的な家族よりもリベラルな親だったから可能だったと本人は考えている(https://blog.native-instruments.com/globally-underground-dj-rachaels-journey/)。ウェデイング・プランナーとして働く彼女は結婚式で使うサウンドシステムをDJでも使いまわすことでなんとか生計を立てているようで、CDJが国全体でも3台しかないというウガンダではレンタルも簡単にはできないという。一般的にウガンダで音楽を楽しむにはスマホしかなく、それは『Music From Saharan Cellphones』(11)の頃も現在もあまり変わっていないらしい。ヒップホップからゴムまで横断的に扱うDJレイチェルの流儀に応えるかのようにして、そして、〈ニゲ・ニゲ〉がスタートする(詳細はあまりに膨大なので詳しくは→https://jp.residentadvisor.net/features/3127)。〈ニゲ・ニゲ〉の特徴を2つに絞るなら最新のエレクトロニック・ミュージックと伝統的な過去の音楽を等価に扱っていること、そして、ウガンダだけではなく、南に位置するケニアやタンザニア、あるいは西アフリカのマリやマダカスカル島東方に浮かぶレユニオンで活動するプロデューサーたちの音源もリリースしていることだろう(〈ニゲ・ニゲ〉のリリースで大きな注目を集めたタンザニアのシンゲリを紹介するコンピレーション『Sounds Of Sisso』については→https://www.ele-king.net/review/album/006179/)。〈ニゲ・ニゲ〉自体は音楽を生み出す母体として機能しているというよりDJ的な編集センスで存在感を示しているといえ、その頂点に位置しているのが現在はカンピレ(Kampire)である。DJレイチェルと同じくアクシデントでDJになったというカンピレは音楽に対する知識がなかったことが幸いしたと自身のユニークさを説明する。彼女がミックスすると、嫌いだった曲まで魅力的に聞こえてしまうので、僕もかなり舌を巻いた(ということは以前にも当サイトで書いた)。

 「ウガンダのアンダーグラウンドはどんどん大きくなっている。〈ニゲ・ニゲ〉は国際的に認知され、多くの西側メディアがウガンダを記事にしている」(DJレイチェル)


 そして、〈ニゲ・ニゲ〉が2018年にクラブ専門のサブ・レーベル、〈ハクナ・クララ(Hakuna Kulala)〉をスタートさせる(ようやく本題)。「安眠」というレーベル名とは裏腹にあまり聞いたことがない種類のベース・ミュージックをぶちかますケニヤのスリックバック(Slikback)やウガンダのエッコ・バズ(Ecko Bazz)などアルバムが楽しみなプロデューサーばかりが名を連ねるなか、〈ニゲ・ニゲ〉のハウス・エンジニアを務めるドン・ジラ(Don Zilla)と、ベルリンからやってきたエルヴィン・ブランディによるユニット、ヴィラエルヴィン(Villaelvin)のコラボレイト・アルバム『Headroof』がまずは群を抜いていた。バンクシーのように公共空間を使ったアート表現でも知られるというブランディはこれまで3人組のイエー・ユー(Yeah You)として4枚の実験的なアルバムをリリースした後、ソロでは本人名義の「Shelf Life(賞味期限)」などでアルカもどきの極悪インダストリアル路線をひた走り、とくにアヴリル・スプレーン(Avril Spleen)名義では混沌としたサウンドを背景にリディア・ランチばりの絶叫を聞かせてきた(それはそれで完成度の高い曲もある)。これがドン・ジラと組んだことでグルーヴを兼ね備えたインダストリアル・テクノへと変化。ドン・ジラ自身は昨年、やはり〈ハクナ・クララ〉から「From the Cave to the World」でデビューし、シンゲリを意識したようなトライバル・テクノや不穏なダーク・アンビエントを披露したばかり(コンゴ出身の彼は自分の音楽をコンゴリース・テクノと呼んでいる)。2人が起こしたアマルガメーションはアフリカとヨーロッパの音楽が混ざり合うという文脈でもすべてが良い方に転んだといえ、それぞれの音楽性が互いにないものを補完し合うという意味でも面白い結果を引き出している。インダストリアル・ノイズをクロスフェーダーで遊んでいるようなオープニングからシンゲリにはない重量感を備えた“Ghott Zillah”へ。タイトル曲の“Headroof”ではコロコロとリズムが変わる優雅なインダストリアル・アンビエントを構築し、これだけでも次作があるとすれば、それは〈パン〉からになるような気がしてしまう。ゴムをグリッチ化したような”Ettiquette Stomp”からアルヴァ・ノトとDJニッガ・フォックスが出会ったような“Zillelvina”へと続き、”Hakim Storm”ではチーノ・アモービを、ダンスホールを取り入れた“Kaloli”ではアップデートされたカンをもイメージさせる。全編にわたって知的でダイナミック。想像力とガッツにあふれたアルバムである。



〈ハクナ・クララ〉の最新リリースはアフリカ・エクスプレスにも参加していた南アのインフェイマス・ボーズによるメンジ(Menzi) 名義のカセット「Impazamo」で、これがなんとも不穏でダークなインダストリアル・ゴムに仕上がっていた。〈ニゲ・ニゲ〉がこれまで大々的にプッシュしてきたシンゲリとはだいぶ異なっった雰囲気であり、こうした方向性はしばらく維持されるに違いない(シンゲリを発展させたリリースももちろん〈ニゲ・ニゲ〉は続けている)。さらには、この夏、〈ニゲ・ニゲ〉の最初期からリリースを続けてきたナイヒロクシカ(Nihiloxica)のデビュー・アルバムが〈クラムド・ディスク〉から、という展開も。母体をなすのはドラムセット1人に7人のパーカッションが加わったウガンダの伝統的な打楽器グループ、ニロティカ・カルチャラル・アンサンブル(Nilotika Cultural Ensembl)で、この編成で彼らは昨年、〈メガ・ミュージック・マネージメント〉から『KIYIYIRIRA』というラヴリーなアルバムをリリースしたばかり。これにイギリスでアフロ・ハウスの佳作を連打してきた〈ブリップ・ディスク〉から“Limbo Yam”をリリースしていたスプーキー~Jとpq(もしかして〈エクスパンディング・レコーズ〉から『You'll Never Find Us Here』をリリースしていたpqか?)がプロデュースとシンセサイザーで加わり、ニロティカにニヒリズムの意味を加えたナイヒロクシカと名称を変形させたもの(pqは前述したエッコ・バズのプロデューサーも務めている)。イギリスの地下室とアフリカの伝統を結びつけたと自負するナイヒロクシカは2017年に〈ニゲ・ニゲ〉からカセットでデビューし、1年間ツアーを続けたことで伝統音楽「ブガンダン」に対する理解を深めたと確信し、そのままスタジオ・ライヴを収めたEP「Biiri」を昨年リリース、これをアルバム・サイズにスケール・アップさせたものが『Kaloli』となる。怒涛のドラミングは冒頭からアグレッシヴに響き渡り、まったくトーン・ダウンしない。次から次へとポリリズムが乱れ飛び、スリリングなドラミングをメインにした構成はさながら23スキドゥー『Seven Songs』の38年後ヴァージョンだろう。本人たちはこれを「ブガンダン・テクノ」と称し、「不吉なサウンド」であることを強調してやまない。エンディング近くに置かれた“Bwola”などはそれこそ『地獄の黙示録』でウィラード大尉が血だらけの顔を河から浮かび上がらせたシーンを思わせる。エンディングでは少し気分を変えるものの、全体に漲るパッションはとても暗く、情熱的である。

 世界中からヴォランティア・スタッフが集まり、4日間も続くという〈ニゲ・ニゲ・フェスティヴァル〉(CDJは2台!)はもちろん警察から狙われ、今後は新型コロナウイルスの影響も避けられないだろう。ウガンダはしかし、政府がしっかりとした広報機能を兼ね備えていないらしく、コロナ対策もオーヴァーグラウンドで人気のヒップホップやダンスホールが音楽に乗せて民衆にその知識を伝え、いまのところ死者はゼロだという。つーか、タンザニアでも6月7日に終息宣言が出たものの、「神の恩恵により新型コロナウイルスを克服できた」というマグフリ大統領の言葉を聞くとかえって不安に……。韓国とともにメガ・チャーチが猛威を振るうウガンダはLGBTに対してかなり厳しい視線を向けるらしく、前述したDJレイチェルもレズであることがわかった途端に友だちを何人か失ったそうで、〈ニゲ・ニゲ〉に集まる人たちのなかには、そこが「安全地帯だから」という理由も少なからずあるらしい。

 健全なオーヴァーグラウンドがあり、必要なアンダーグラウンドが機能している。ウガンダの音楽状況をイージーにまとめるとしたら、そんな感じになるだろうか。そして、それはなかなか容易に手に入るものではない。

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