「LV」と一致するもの

interview with Sonic Boom - ele-king

 ソニック・ブーム。
 スペースメン3のふたりのファウンダーのうちのひとりである。イギリスのサイケデリック・バンド、スペースメン3はわずか10年に満たない活動期間(1982年~1991年)の間は一部の熱狂的なファン以外にはあまり知られることはなかったが、特にここ日本でスペースメン3の受容史はまあ、お寒いのひとことではあった。来日公演はもちろん一度もなかったし、そのアルバムがリアルタイムで発売されたのはほとんどバンドが解散状態にあった1991年の4作目にしてラスト・アルバムとなった『Recurring(回帰)』のみというぐあいである。
 しかし、実はこの『Recurring』以前にスペースメン3関連のアルバムがひっそりと日本でも発売されていた。それがソニック・ブームのファースト・ソロ・アルバム『Spectrum』だ。
 ストーン・ローゼズがデビュー・アルバムを発表し、一躍話題となった〈Silvertone Records〉から1990年にリリースされたソニック・ブームのソロ・アルバムは、ストーン・ローゼズ人気のおかげでまさかの国内盤発売が実現したのである。それがどのくらい売れたのかはまあ、あまり書かないほうがいいだろう。当時の音楽誌などで大きく取り上げられることはなかったし、そもそもそんなに大量に売れるような内容でもなかったのは確かだが。ちなみに国内盤の帯に書かれたキャッチコピーはこうだった。

「ほとんど犯罪的な覚醒サイケ~SPACEMEN3のソニック・ブームによる別プロジェクトアルバム」

「犯罪的な」とまで書かれてしまったこのアルバムは、しかし例えばソニック・ブームを知らない人が「お、ストーン・ローゼズのアルバム出したレーベル? じゃ買ってみようかな」とか言って手を出してはいけないブツだったということは間違いなく言える。


Sonic Boom
All Things Being Equal

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 その後、ソニック・ブームはソロ名義ではなく、ソロ・アルバムのタイトルであった Spectrum をユニット名として、同じ〈Silvertone〉からアルバム『SOUL KISS (Glide Divine)』を1992年にリリース。以後はこの Spectrum と、より実験的なユニットとして Experimental Audio Research (E.A.R.)のふたつの名前で活動していくことになる。
 近年はメジャーの MGMT のプロデュースなども手掛けるようになった反面、自身の音源のリリースは減っていたのだったが、2020年になって突然ソニック・ブームがアルバムを出すというニュースが舞い込んできた。しかも、それは Spectrum 名義でもなく、E.A.R. 名義でもなく、ソニック・ブーム名義による30年ぶりのソロ・アルバムだというのだからさらに驚きは倍増なのだが、やっと届いた音を聴くとさらに驚きが待っていた。なんだこの明るい曲調は? スペースメン3のラスト・アルバム冒頭のダンス・チューン “Big City” をテンポダウンさせたようなオープニング・トラック “Just Imagine” からやたら多幸感に溢れている。アルバムを貫くオプティミスティックなムードにちょっと戸惑いながら、いまは南欧のポルトガルにいるというソニック・ブームと Skype でつながった。

※本インタヴューは、『All Things Being Equal』のライナーノーツに掲載されているインタヴューと同じタイミングで収録されたものです。両方合わせて読むと、より新作の全貌に迫れます。

分業したほうがいいなんてのは現代の神話みたいなものだと思うよ。ときにはうまいこと分業するというのも必要かもしれないけど、全体を見渡す視点を持つことが大切だと思う。音楽だけじゃなく他のアートも含めてね。

1990年に〈Silvertone Records〉からリリースした『Spectrum』以来、実に30年ぶりのソニック・ブーム名義のソロ・アルバムということになります。そのアルバムをリリースした後はその名義をご自身の音源制作では使わず、Spectrum、Experimental Audio Research(E.A.R.)というふたつの名義で制作を始めることになったのはどういう理由だったのでしょうか?

ソニック・ブーム(以下、SB):「ソニック・ブーム」は自分ひとりのソロで活動するときに使う名前で、「Spectrum」は他のアーティストやソングライターとバンド形式で曲や歌をメインに活動する名前。「E.A.R.」として作る音楽は楽曲に重きを置くのではなく、サウンドを重視したものにしているんだ。この3つの名前を使いわけることにした主な理由は、区別をつけるためだ。自分だけで作ったソロの作品ではないのに自分の名前をつけるようなことはしたくなかったんだ。そういうのはグループとしての作品であるべきだと思う。もしグループではなくて自分ひとりで作ったのであれば、もちろん自分の名前を使うよ。Spectrumのアルバムは1曲につき最低でもひとりは他のアーティストと一緒に作っていた。当然彼らは楽器を弾いたりするわけでね。そう、Spectrum はコラボレーション・ユニットなんだ。

Spectrum と E.A.R. というふたつのユニットを使い分けていくなかで、自分のなかでこれらのユニットに対する態度に変化はありましたか? もしかすると、今回のアルバム・タイトル「All Things Being Equal」という言葉が、Spectrum と E.A.R. の境界線が曖昧、というか融合していくということを表しているのかなとも思ったりしますが……。

SB:確かにその境界線というのは曖昧なものではある。名義というものは、最終的に作品をどのようなものにするのかを考えるときに僕が決めなきゃいけないことのうちのひとつなんだ。Spectrum と E.A.R. も自分のなかで区別はつけてはいるけど、本質的にはすべて僕の音楽活動だし、劇的に違ったことをしようとはしていないよ。それぞれのプロジェクトで違うことをしようというよりも、いつもアルバムごとに違ったことをしてみようとしている。だから今回のアルバムもどのようなものにするか、しっかりとした意識的な決定をしたんだ。シンプルな電子音響を核として、そこにパーカッションやヴォーカルを重ねることでよりその要素を際だたせようってね。この作品は俺ひとりで作ることになるだろうとずっと思っていたし、スペースメン3のレコーディングでもよく使っていたようにドラムマシーンを使うだろうなってこともわかっていたんだ。よく言われるんだけど、「ソニック・ブームは元スペースメン3であり、Spectrum よりも世間で認知されている」っていう言葉を信じたほうがいいなっていう気もしたんだ。ただ、それぞれの活動というのは確実にお互いに影響は及ぼし合っているよ。アートワークやビデオといったものから楽曲制作のプロダクションやマスタリングまでね。 それぞれに対して過度に特化していくということは全然信じていない。分業したほうがいいなんてのは現代の神話みたいなものだと思うよ。ときにはうまいこと分業するというのも必要なのかもしれないけど、全体を見渡す視点を持つことが大切だと思う。音楽だけじゃなくて他のアートも含めてね。僕はいつもあるひとつの媒体から学んだことを別の媒体に取り入れたいと思ってる。すべてのものごとは相互に影響をおよぼしあってると思う。そういうのが僕は好きなんだ。

あなたは2016年に E.A.R. 名義で今回の新作と同じタイトルの「All Things Being Equal」というシングルをリリースしていましたね。このシングル曲は16分にも及ぶ長いインストゥルメンタル・ナンバーです。このシングルが、今回のこのアルバム制作に直接つながっていったのでしょうか?

SB:シングルがアルバムにつながっているかということについてはイエスでもあるしノーでもある。シングルで使った楽器はとても古い CASIO のキーボードなんだけど、アルバムに入っている別の曲でもそれは使っている。でもこのシングルを作ったときにはまだこのアルバムは見えていなかったんだ。そもそも E.A.R. 名義で出したのはアブストラクトなインストゥルメンタルだったからさ。その後この曲をいろいろと弄って、60年代後期か70年代の初めにコンピューターで生成された歌詞をつけて、日本盤にボーナストラックとして収録されるときにタイトルを「Almost Nothing Is Nearly Enough」に変えた。アルバムのタイトルと混同してほしくなかったからね。でも「All Things Being Equal」というタイトルは気に入っていたし、シングルの12インチはかなりレアになっていることもあるから、アルバムのタイトルとしてこれを使ったんだ。アルバムに収録されていない曲のタイトルをアルバム・タイトルにするっていう変な伝統があるんだよね。たとえば Gun Club のデビュー・アルバム『Fire of Love』には “Fire of Love” という曲は入っていない。同様にスペースメン3のデビュー・アルバム『Sound of Confusion』にも “Sound of Confusion” という曲は入っていない(笑)。どんな理由であれ、アルバムに入ることのできなかった曲の名前がアルバム・タイトルになることによってその評価を保ち続けるっていうのはおもしろいと思うんだ。

そういえばジーザス&メリーチェインのデビュー・アルバム『Psycho Candy』にも同タイトルの曲は入っていませんでしたね(笑)。さて、今回30年ぶりのソロ・アルバムを出すにあたり、ソニック・ブームという個人名義を再度使った理由は?

SB:まずはこの名前をあのクソみたいな SEGA のキャラクターから取り返さなきゃいけなかった。奴が僕の名前を盗んだんだよ! 奴はもともと Sonic The Hedgehog って名前だっただろ。僕は奴が Sonic The Hedgehog だったずっと前からソニック・ブームだった。なのに突然奴は名前をソニック・ブームに変えたんだ。だから僕は立ち上がって僕の名前を守らなきゃって感じだった。
 僕がその名前を使うと決めたときは誰もそんな名前を欲しがってなかったよ。すごくいい名前だねっていろんな人が言ってくれた。ソニック・ブームは形を持たないところがすごく好きなんだ。存在していてもそれに手を伸ばして触ったり、家に持って帰ったり、食べたりすることはできないだろう? もしかしたら食べることはできるかもしれないけど(笑)。
とは言っても、特に30年ぶりにこの名前を使うことにしたものすごく強い動機みたいなものは実はないんだ。これは僕のソロのアルバムだから、ソニック・ブームって名前を使うことは正しいと感じられた。パーソナルなアルバムとは思わないけど、確実にソニック・ブームの核があらわれているアルバムだからね。

いま身の回りに起こっている問題は僕たち全員が引き起こしたものだ。もう政治家にそれをなんとかしてもらおうなんて思ってはいけないよ。結局政治なんてビジネスなんだから。僕たち全員がその問題に取り組むべきなんだ。

この「All Things Being Equal」というタイトルには、あなたの現在のモットー、人生のテーマのようなものが込められていたりしますか?

SB:自分の人生のモットーって言えたらよかったんだけどね。若いときにそう言えるくらい賢かったら、若い頃から地に足がついた性格だったって言えたらいいんだけど、そんなことはないよ。でも、人生や人との出会いを通して自分の行動を省みることはできた。人と一緒に学ぶ機会もまだたくさんある。願わくはみんなには良いことを学んでほしいなと思ってる。僕の経験はいつも良いことばかりではなかったけど、完璧な人なんてどこにもいないし、ほとんどの場合はたとえそれがひどい体験だったとしてもなにか得るものがあるものだよ。

1990年にあなたがまだスペースメン3に在籍していた時期にソニック・ブーム名義で制作したファースト・ソロ・アルバム『Spectrum』では、ひたすら「現実世界からの逃避」と「何者かによる救済の希求」を描いていました。あの時期はスペースメン3も内部に問題を抱えていて、あなたのフラストレーションはとても大きなものだったと推測します。それがファースト・ソロのムードに現れていると思えます。
 しかしそれから30年を経て作られた今回のソロでは、響きの点でも、また歌詞の面でもポジティヴな肯定感、そして抽象的な愛、平等な愛のようなものを感じます。これは普通に考えれば、あなたも歳を重ねて成熟した大人になった、ということなのでしょうが、なにかそれ以上にあなたのなかで自分自身の考え方が大きく変わったというようなことがあるのでしょうか?

SB:実はその当時はスペースメン3はまだ臨界崩壊に至るような状態にまでは行ってはいなかったんだ。だからあのソロ・アルバムではスペースメン3のメンバーが演奏をしてくれているんだ。精神的には機能していなかったのも確かだけどね。スペースメン3は、うまいことやっていくことができない若者が集まったグループだった。だから一緒に沈んでいくような結果になってしまったんだけど、こういうのってある特定の種類のロック・バンドではそんなに珍しい話でもない。セックス・ピストルズやストゥージズ、MC5 なんかを思い出してみてよ。もちろん意識してそうなったわけではないし、僕らだって自分たちの状況に気づいていたとも言えない。そのあと何年もかけて僕たちはお互いうまくやっていけるような人間じゃないって気づいたけど、そういう経験を経ることがものごとの見方を変えてくれたりすることもある。
 ものごとの捉え方や考え方は変わったね。2010年だったかな、アニマル・コレクティヴのパンダ・ベアと仕事をすることになったときだった。そのとき僕は50代を目前にしていたんだけど(注:ソニック・ブームは1965年生まれ)、同じ場所や同じ人に囲まれた生活に人生を費やしたくないなと思い始めていた。人間関係がうまくいかない人もたくさんいたし、僕が育ったところ(イギリスの地方都市ラグビー)はいい友達もいるけどすごくフレンドリーな場所というわけでもなかった。そういう環境から出たかったし、商業化された都市にもいたくなかった。同じコーヒーショップ、同じファーストフードショップを見るのも、人々がみんな携帯を見ながら歩いているのを見るのもうんざりだった。
 そんなときにポルトガルでパンダ・ベアと一緒に作業をすることになったので、そのあたりに住む場所を探し始めたんだ。リスボンの郊外にある小さなナショナルパークを見つけてさ。美しい山に囲まれた場所なんだ。日本の北部に少し似ているかもしれないな。とにかく美しい場所なんだ。おかげで外でたくさん時間を過ごすようになったし、ガーデニングをするようにもなったんだけど、そういうことをしていると頭の中からノイズやナンセンス、クソみたいなことが消えて空っぽになるんだ。思考も明快になって、考えていたことをもっとリサーチするようになる。バックミンスター・フラー(註:アメリカの思想家。「宇宙船地球号」という言葉で知られる)が地球や人類、経済モデルのとの関わり方、経済資本モデル、その本質の一部である好景気と不景気の繰り返しについて話しているのを見たり聞いたりしてね。もし僕がもう1枚アルバムを作るとしたら、そういう問題についても言及してみたいと思ってる。何が欲しいだとか、もっと欲しい、もっと大きいものが欲しいみたいなこととか、使いまくって捨てまくって消費しまくってやるみたいなことを僕の声を使って届けたくない。
たとえばこれまでの人生で僕が消費してきたプラスチックのことを考えてみる。それらはよく考えると全然必要ではなかったことに気づくんだ。プラスチック製品は好きだったけど、もういまはプラスチックから何かを飲むのも何かをプラスチックで包むのも嫌だ。自分の人生を変えなきゃいけないって思ったんだ。そうしたら突然自分の人生がより良くなった気がするし、いままで自分がしてきたことに対しても気持ちが軽くなったような気がした。すべてのことにつながりを感じることができて、いままでとは比べものにならないくらいハッピーな人間になったよ。それを表現していきたいんだ。いま身の回りに起こっている問題は僕たち全員が引き起こしたものだ。もう政治家にそれをなんとかしてもらおうなんて思ってはいけないよ。結局政治なんてビジネスなんだから。彼らが行動を起こしたとしても牛歩だし、多くの場合政治家自身のビジネス・オペレーションの隠れみのになってしまっている。僕たち全員がその問題に取り組むべきなんだ。もちろん全員がそんなものごとの見方ができるわけではないことはわかっているけど、しっかりとした考えを持っている人はいるわけだしね。最近の気候問題は自分たちに何ができるのかということをより考えさせてくれていると思う。この地球上で起こっている問題について、僕たちはもっと真剣に取り組まなきゃいけない。僕たちは自分たちの人生に起こるノイズに対していっぱいいっぱいになるあまり、たくさんのことに目をつむり続けてきた。説教じみたことは言いたくないけど、いいヴァイブスがあるレコードは作りたいよね。

ポルトガルに住んだことで、あなたの考え方がそこまで至ったというのは興味深いところです。ポルトガルのなんという街に住んでいらっしゃるのですか?

SB:シントラという街なんだ。ここに限らず、ポルトガルは全然商業化されていない国だから気にいったよ。ここからスペインのマドリードなんて行ったら未来に足を踏み入れたような気持ちになるよ。もちろん東京もね。実際あそこは未来だし(笑)。あまりいい言葉ではないんだけど、ここはオールドファッションなんだ。ここではものごとが急速に発展したりしない。もちろんすべてがってわけじゃないよ。携帯とかラップトップ・コンピューターはちゃんと普及しているし。だけど総じて商業化されたものを見ることは多くなくて、オールドファッションなコミュニティがいたるところにあるんだ。このあたりをドライヴするとき、僕は近所のお年寄りたちに向かって手を振るんだ。そうすると彼らも手を振り返してくれる。おはよう、こんにちは、こんばんは……そんな挨拶も街角で常に交わされている。人が足早に通り過ぎるような都市部ではそんなこと起こらないだろ? そこがすごく好きだ。
 生活環境は自分の健康状態や心の健康にすごく影響がある。僕は木や美しい自然、鳥や野生動物、爬虫類、虫に囲まれた、自分が健康でいられる環境にいたかったんだけど、ポルトガルではそれがまだ見つけられるんだ。
音楽もこの生活環境に大きく影響されているよ。このアルバムはまさにシントラの音だと言っていい。童話で有名なハンス・クリスチャン・アンデルセンも家をこの地域に持っていたそうなんだけど、とにかくマジカルな場所なんだ。山に囲まれているけど海も近くにあるからすぐビーチに行ける。その昔ポルトガルの皇室が、毎年夏になると避暑のためにこの山脈に来ていたんだって。リスボンに比べると夏は5度も気温が低いからね。天気も最高で、海から風が吹いてそれが雲を作るんだけどとても美しい。太陽も美しいし、それらのムードはアルバムに取り入れられていると思う。歌詞はほとんどこの土地で書いたけど、ここにいることで感じることを最大限表現したんだ。庭で過ごしたり植物を植えていたりするときの気持ちをね。だからこの地域というのはアルバムにとっての最大の影響源になっていると思うよ。

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最良の出来事っていうのは前向きな気持ちで人生を生きて、外に出たり、経験を積んだときに突然起こったりするんだ。

アートワークにはとにかくあなたが関わってきたたくさんのアーティストの名前がクレジットされていて壮観ですね。


Sonic Boom
All Things Being Equal

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SB:彼らこそがこのアルバムの最大のインスピレーションだからね。たくさんの人たちに感謝しているんだ。覚えている限り300から400のバンドやアーティストと一緒に仕事をしてきたよ。そこまで多くなってくると、さすがにすべてのことを覚えているのは難しいし、その人たち全員をクレジットするのは不可能だ。だからいままで一緒に仕事をした人全員にありがとうという気持ちを込めて「This is dedicated to the ones I love」とクレジットして、特にそのなかでも特別な人たちの名前を載せたんだ。なかには本当に僕の活動の初期から一緒にやっている人もいるし、全然名前が知られていない人もいる。プロデューサーとしての活動の初期に関わったフランスの European Sons というバンドがいるんだけど、彼らが拠点としていたフランスの街に行くたびに「誰かこのバンド知ってる?」って聞くんだけど誰も知らないんだ。プロデュースをしたのは1990年だからすごく前のことなんだけどね。連絡先もなくしてしまって、彼らに関する情報がなにもないんだ。だけどまだCDは持っているよ(笑)。たくさんの名前を載せることで、彼ら全員に僕を助けてくれたことや僕の人生の一部になってくれたこと、そして彼らから学んだすべてのことに対して感謝したんだ。そのときは気づかないかもしれないけど、人は人と出会うことで必ずなにかを学んでいるからね。
 こんなにたくさんの人やバンドとレコーディングやミキシング、プロダクションなど、関わり方のかたちは違えども共に音楽を作ってきたなんて信じられないよ! ジャケットを作ったりビデオを作ることで関わったバンドもいる。違うタイプの人と働くのが好きなんだ。ありがたいことにいつも僕はそこから収穫を得ることのできるタイプの人間だから。考えごとをしているときとか、自分の頭のなかでこれは誰がこんなふうに考えろって教えてくれたんだっけ? って思うこともあるよ。それも祝福したかった。彼ら全員が僕の音楽をよりよいものにしてくれたから。

プロデュースを頼んでくる人たちは、あなたにどんなことを望んで来るのでしょう?

SB:彼らからこちらにアプローチしてくることもあれば、僕のほうからプロデュースさせてくれということもあるよ(笑)。君がライブハウスで来る日も来る日も違うバンドが来て演奏するのを見ていたとする。そうするとだいたいみんな似たようなタイプの人間の集まりだなって思うだろう。でも、スタジオに入って制作を始めてみると、彼らのなかにあるダイナミクスだとか、自分たちの音楽や音楽そのものに対する考え方、音楽の作り方がバンドによって全然違うんだってことに気がつくんだ。プロデュースを始めた初期の頃に気づいたことは、もし自分がスタジオに行ってその場のルールを作って、これが俺たちのやり方だ! なんてことをするのは愚かだということ。僕がプロデュースを始めた理由のひとつは、スペースメン3時代に初めて迎え入れたプロデューサーなんだ(注:おそらくスペースメン3のファースト・アルバムに関わったボブ・ラムのことだと思われる)。彼はとても優しい人だったけど、音楽のことも僕たちのこともちっとも理解していなかった。僕たちの意見よりも彼の意見の方が尊重されたんだ。僕はすぐに彼は間違ってるって気づいたけど、もうああいう人とは働きたくないと思った。少なくとも僕にとってこれはポジティヴなことじゃなかったよ。だから自分でプロデュースもやり始めたんだけど、そのうち他の人が声をかけてくれるようになった。プロデューサーとして関わるけど、決定権は依頼主である彼らにあるべきだと思ってる。僕は彼らがよりよい作品を残せるように、そしてできるだけ早くベストな結果を残せるように正しい方向に導くだけ。最終的には彼らが納得してハッピーになることが大事。僕が納得する結果を残すために他の人を僕のやり方に従わせるっていうのはまったく違うんだ。バンドごとにやり方が違うのを見るのはかなりおもしろいよ。ときにはなによりもまず楽しもうぜってなる場合もあるし……いつだって楽しいんだけどね。すべてが比較することのできない経験になっているよ。とにかく全員違うからさ。人生のなかでも最高の出来事って、いつも予定されて起こることはないだろう? 最良の出来事っていうのは前向きな気持ちで人生を生きて、外に出たり、経験を積んだときに突然起こったりするんだ。

これまでにプロデュースや共演をしたなかで、印象に残っているアーティストをいくつか挙げてその印象を教えてもらいたいのですが……そうですね、たとえば MGMT、パンダ・ベア、Dean & Britta、Cheval Sombre、No Joy、ビーチ・ハウス、Delia Derbyshire、Silver Apples……

SB:えええ? それはちょっと難しすぎるよ(笑)。たくさんの才能ある人たちと一緒にやってきたんだから! 彼らはゲームのなかでもトップの人たちだよ。ゲームといっても彼らがやりたいことをする彼ら自身のゲームのなかということだけどね。人が自分に人生のリスクを背負わせてまで夢を追いかけるために自分たちのやりたいことをするって最高だと思わない? とにかく……選べないって! それぞれの強みがあるからなあ……みんなイコールにね……All Things Being Equal (笑)。

今回のソロはあなたもパンダ・ベアやビーチ・ハウスの制作で関わったワシントンDCの〈Carpark Records〉からのリリースです。このレーベルのカラーはあなたの音楽にとてもあっていると思います。このレーベルにはあなたがスペースメン3を始めて以降に生み出した音楽への影響力が継承されている感じがします。

SB:〈Carpark〉と初めて一緒に仕事をしたのはパンダ・ベア絡みで、その後レーベル・オーナーのトッド(・ハイマン)とはたまに連絡を取り合っていたよ。それで〈Carpark〉にいたビーチ・ハウスと一緒にやることになった。だから〈Carpark〉からリリースをすることは自分にとってなんとなく意味があるような気がしたんだ。それと当時僕は、別のレーベルとの問題を抱えていたんだよ。ロイヤリティが払われなかったりとか、アルバムが売れてもそれがちゃんと経理計上されていなかったりとかさ。音楽業界ではありがちなことなんだけど。当時はそういったネガティヴなことと向きあわなきゃいけなかったんだ。彼らはすごくモラルが低くて、非人道的なビジネスをするんだ。彼らのようになって戦ったほうが楽だということはわかっていたけど、それは僕がやりたいこととはまったく逆だし、なにより嫌な感情を振り払いたかった。嫌なものをただ手放したかったんだよ。お金がすごく欲しいんだったらネガティヴなことは付きものなのかもしれないけど、もうそんなものは気にしないって決めたんだ。それよりもその経験をポジティヴなものに昇華すれば、他の人にポジティヴで公平で思いやりのある行動を起こさせるような影響を与えられるかもしれないしね。もうすでにそういう行動を起こしている人もいるけど、まだすごく大きなメジャー・レーベルではまだ信じられないようなことが起こっている。とにかくポジティヴなことに昇華したかったんだ。
 トッドには、僕のレーベルに対する気持ちを話したことがあるんだ。彼はとても公平で正直でオープンな人だからね。リリースに関しては最初は全部自分でやろうかなと考えていたんだけど、いろいろな側面からそれを考えてみると、お金は減らないかもしれないけど、作品が届く人の数や作品が広がる可能性も減るんだろうなって思ったんだ。だからパートナーとしては彼らがベストな選択だったよ。いまのところの僕たちの関係性はまさにパートナーシップという感じで、他のレコード会社でたまにあるような契約書で結ばれた奴隷みたいに感じる関係にはまったくなっていない。30年間で学習してきたこともたくさんあるしね。20歳のときにスペースメン3としてレコード会社と契約を結んだときは、なにが起きているかなんてわかってなかったからなあ。

「パイオニアは後追いの人たちにその背中を狙われる」って言葉があるんだ。俺たちがやったことは特別なことではなくて、そのときに俺たちができることのすべてだったけど、もしかしたら背中を狙われていたのかもしれないね(笑)。

もともとあなたは同時代の音楽シーンに直接的にコミットしてきたタイプではないと思いますが、いまの音楽シーンについて何か思うことがあれば教えてください。 

SB:僕はスタジオで一緒に制作をする人に、音楽を作っているんだからある程度はいまこの場所でやっていることを正確に把握しておく必要があるよって言うようにしているんだ。そのとき作っている音楽は何かに影響を与えることもあるからね。未来のことを見据えたときに、この音楽がどんな立ち位置になるのかっていうのはいつも僕が考え続けていること。なぜ、そしてどうやって音楽が定義されてきたのかということにはずっと興味があるけど、シーンというものの大きな一部になったことはないね。スペースメン3はパイオニア的な存在だったのかもしれないけど、パイオニアっていうのは自分の力でどこかに向かって行く人のことを言うだろ? 「You can tell the pioneers by the arrows in their backs (パイオニアは後追いの人たちにその背中を狙われる)」って言葉があるんだ。俺たちがやったことは特別なことではなくて、そのときに俺たちができることのすべてだったけど、もしかしたら背中を狙われていたのかもしれないね(笑)。
このあいだ「もし若手のバンドにひとつだけアドバイスをするとしたらなんと言いますか?」っていう質問をされたんだ。「オーマイガー、若手にアドバイスをする奴って大嫌いなんだよ!」って感じだった。それでも答えてくださいって言われたから「妥協をするな。心からやりたいと思うことをするんだ。友達が好きなシーンの一部になるために音楽をやってはいけない。すぐに友達がライヴを見に来てくれることはないかもしれないけど、やりたいことをやれば報われる」って言ったんだ。心に響く優れた音楽っていうのは、程度は違えど妥協をしない人たちが作ったものなんだよね。彼らは妥協せずに音楽とコミュニケーションをとることが必要だってわかっているんだ、音楽はコミュニケーションがすべてだからさ。それに音楽は素晴らしくパワフルなコミュニケーションの手段のひとつでもある。音楽って自分がそのときに考えていたことや思い出を際限なく呼び起こしてくれるよね。それって10枚のカードセットに入っているカードをある部屋で全部並べて覚えて、その後にもう一度その部屋に戻るとそのカードのすべてを覚えている、みたいなことに近いと思うんだ。もう何年間も聴いていなかったとしても、聴けばほぼ瞬時にその当時の感情や思い出を呼び起こされるという点でね。

1965年生まれのあなたはあと5年後には60歳になります。そのとき、世界はどうなっていて欲しいと思いますか?

SB:ワオ……僕は現実的だから、もし僕たちがリサイクルをすることや消費活動、長距離移動を削減することに賭けなければ……飢餓や水不足、資源不足、人の超過密といったような他のメカニズムのなかで人口はじょじょに減っていくことになると思うんだ。僕たちが抱えている問題というのは巨大だけど、地球は回復するということはあと2ヶ月くらいでわかると思うんだ。落ち込んでいる日には、「地球は人間がいなければより早く回復していくのでは」なんて考えたりもするけど、いつもは僕たちならできるって感じているよ。海にプラスチックを投げ込むのをやめて、海に浮かんでいるものを取り除いて、石油科学をやめるんだ。石油科学は有毒なものだってわかっているだろ。いまや再生可能エネルギーがあるんだから、それが唯一の回答であるべきだ。
 5年後か……夢は大きく持ってみよう……この地球はひとつで人類もひとつであるということを地球上に住む人びと全員が理解して欲しいんだ。お互いのことをレイシストと呼んだり、国家で分断したり、嫌なことやきついことはたくさんあるけど、違いを強調するよりもシェアするべきことのほうがたくさんあるということに気づいてほしい。この地球上で文化的な違いがあることは祝福すべきことだ。だけど一方で全員がこの地球の一部で、ひとりがその他の人のために地球を台無しにするなんてことがあってはいけない。もしひとつ選ぶとしたら、5年後には牛肉の消費量が大幅に減っているといいな……あと国家同士がきちんと手を組んでよりグローバリゼーションが進んでCO2の排出量のコントロールとかができるといいよね。西洋の国が中国を見て「大気汚染が深刻だ! この状況ってクレイジーだよ」って言うけど、いままで自分たちもさんざん大気汚染をしてきたじゃないか。この問題が深刻になる直前にこれはやばいって思ってちょっとだけ賢いやり方に切り替えただけでしょ。そういう問題にもっと目を向けていくべきだと思う。自分たちが「WE」であることを自覚していればいいんだけど、ドナルド・トランプやボリス・ジョンソンが当選するのは……わからないな。彼らは僕たちをつなげるよりも分裂させるだけだから。みんなが一緒になってものごとに取り組むことが大切なんだ。一緒に取り組み始めたら他のことも必然的についてくると思うよ。戦争はなくなって、お互いのことを理解し始めるし、人はそれぞれ違っているのは祝福すべきことで同じである必要はないということもわかる。違いがあることは問題ではないとね。それって両親が言っていたからその子供たちも同じことを言い続けるような、オールドファッションなことなんだよ。いまの人の行動とかものごとのありかたって、いままでずっとそうだったからそうしているだけでさ。そのことに対して疑問を持たないでしょ? 一度でも疑問を持ったら絶対に理にかなってないってわかるからね。

Wire - ele-king

 パンクが大衆の認識に与えた衝撃が完全に浸透するよりも前に、ワイアーはすでにパンクを弄び、嘲笑い、その限界を超越していた。新興のパンク世代が、より純粋であると思われる1950年代のロックンロールの価値観を称揚し、1970年代のプログレッシヴ・ロックの大仰さを軽蔑して根絶を望んでいたのをよそに、ワイアーは〈Harvest Records〉と契約を結んでピンク・フロイドと同じレーベルの所属となり、伝統的ロックンロールに残るブルース・ロックの影響を自分たちのサウンドから排除しようとした。パンク・ムーヴメントの中核に残された者たちは、パンクの限界をより深く突き詰めようとしたが、それがあまりにもあっさりと超えられたことに、ほとんど気づいてさえいなかった。

 それから40年以上が経ったいま、ワイアーの音楽が反ロックの衝撃をもたらすことはなくとも、その栄誉の一部はワイアー自身に与えられるべきだろう。彼らが短期間で鮮烈にロックの形態を歪め、解体したことによる影響は長くくすぶり続け、ここ数十年に渡ってロックを再構築しようとする動きに力を与えており、状況は1970年代の終わりに彼らが目指した方針に近づいている。一方でワイアーが少なくとも2008年の『Object 47』以来切り開いてきた道は、ロックとの和解を目指しているかのようであり、ロックの構造に対する遠回しでぎこちない攻撃は健在ながら、自分たちの言葉で曲作りの方法論を探求することで、以前より遙かに心地よい状態に繋がっている。

 また現在のワイアーは、過去の自分たちとの対話にますます没頭しているように見受けられる。ロックの既成概念を解剖するアイデアと、ほとばしるポップスの輝きを組み合わせるスタイルは当初から変わっておらず、バンドは過去の自分たちを折に触れて肯定することを厭わない。コリン・ニューマンが皮肉とともに“Cactused”の切迫感のあるサビに込めたメッセージは、バンドによる1979年の珠玉のポップ・ソング“Map Ref. 41 Degrees N 93 Degrees W(北緯41度西経93度)”と同じ無味乾燥なほのめかしを表している。それでもワイアーが現在のロックのあり方を受け入れるなかで辛辣さはわずかに鳴りを潜め、うまくいっているときに得られる純然たる喜びも多少は感じられるようになってきた。

 そこには以前に比べて少しだけ緩さも生じているのかもしれない。1970年代のワイアーの楽曲は槍のように脳をきつく刺激するもので、リリース時点ですでに彼らのミニマリズムは完成されており、バンドはそこにさらなる活力を与えて展開させることは望んでいないように見受けられたが、現在、その音楽のなかに新たな活気が生まれる余地が徐々に認識できるようになっており、とくに『Mind Hive』ではその狙いが見事に開花している。“Unrepentant”や最後の“Humming”のような曲では、ブライアン・イーノ風と言ってもいいほどの広大なアンビエントの流れができており、一方“Hung”は、8分近くにおよぶ曲の中で核となるグルーヴを乗りこなせるという自信に満ちている。そうしたエネルギーは、新たに加入したギタリストのマシュー・シムスが持ち込んだ幻惑的な色合いにもたしかに受け継がれており、彼の存在感はますます高まっているが、それはまたバンドが少なくとも過去12年間で辿ってきた進化の道筋に欠かせないものでもある。

 ワイアーが変わらず妥協のない挑戦的なワイアーらしさを保っていることは、歌詞に現れている。その歌詞は、現在のインディ・ロック・シーンで彼らの影響を受けているどの若手バンドと比べてもなお、鮮烈で鋭く、謎めいていると言っていいだろう。多くの楽曲では、オンライン空間のまとまりのない空虚な世界観が断片的な形で漂っており、“Humming”では謎めいたロシア人の存在に言及し、喪失感やうまくいかないものごとや頭をよぎる失われた自由について述べていて、“Hung”においては混乱のなかで制御を失われる感覚や「一瞬の疑念」から生まれた些細な混沌がひたすら描かれる。『Mind Hive』全体を貫いているのは、現在まさに動揺し崩壊しようとするこの世界に対する明白な意識だが、それぞれの歌が具体的な何かから引き出されたものだとしても、その直感の閃きを歌詞から辿ることはできない。歌詞に唯一残されているのは、断片的な糸口と脅迫めいた暗示であり、それは力強く感情を込めた、憂鬱と偏執からなる筆致で描かれている。これはおそらくロック・ミュージックに限らず、世界の全体が、ようやくワイアーに追いついたということなのかもしれない。

訳:尾形正弘(Lively Up)


Ian F. Martin

Before punk had even fully made an impact on the public imagination, Wire were already kicking it around, mocking it, transcending its limitations. As the emergent punk generation championed the supposedly purer values of 1950s rock’n’roll and sneered the pomposity of 1970s progressive rock into what they hoped was oblivion, Wire signed to Harvest Records as label mates to Pink Floyd and set about expelling the blues-rock influences of classic rock’n’roll from their sound, leaving the core of the punk movement digging deeper into its own limitations, mostly not even aware of how swiftly they’d been surpassed.
Now, more than 40 years on, Wire’s music doesn’t land the anti-rock impact, but part of the credit for that should probably go to Wire themselves. The slow-burning influence of their short, sharp distortions and deconstructions of rock forms has helped rock music over these past few decades to reassemble itself in a way that brings it closer to the path that Wire had begun charting in the late 1970s. Meanwhile, the path Wire have carved themselves, at least since 2008’s Object 47, feels like a sort of reconciliation with rock, retaining the band’s oblique and angular attacks on its structures but combining that with a greater comfort in exploring its songwriting conventions on their own terms.
The Wire of today also seem to be increasingly engaged in a dialogue with their own past selves. The combination of ideas that dissect rock conventions and bursts of glorious pop has been there since the beginning, and the band aren’t averse to the occasional nod to their past selves. Colin Newman’s irony-laced announcement of the impending chorus in Cactused directly references a similar dry aside in the band’s 1979 pop gem Map Ref. 41 Degrees N 93 Degrees W. Still, there’s a little less sarcasm in Wire’s nods to convention nowadays, a little more comfort in the simple joys of what works.
There’s perhaps a bit more looseness too. Where Wire’s songs in the 1970s were tightly-wound lances to the brain, already at such a point of minimalist completion by the time of release that the band seemed to feel no need to let them breathe and develop, there’s increasingly a sense of breathing space to their music now that is in particularly full bloom on Mind Hive. Songs like Unrepentant and the closing Humming have an expansive, almost Eno-esque ambient drift to them, while Hung has the confidence to ride its central groove for nearly eight minutes. Some of this must surely be down to the psychedelic tint brought by new guitarist Matthew Simms as he increasingly makes his mark, but it’s also part of an evolutionary course the band have been on for at least the past twelve years.
Where Wire are still uncompromisingly and defiantly Wire is in the lyrics, which are still fresher, sharper, more cryptic than nearly any of the younger bands that carry their influence in the contemporary indie scene. The disconnected, spectral presence of the online world haunts many of the songs in a fragmentary fashion; references to an ambiguous Russian presence, a sense of loss, of something gone wrong, of freedoms lost flicker through Humming; the sense of something spinning out of control, of mere chaos born out of a “moment of doubt” pounds its way through Hung. There’s a definite sense running through Mind Hive of our current shivering, crumbling world, but if the songs are drawn from anything specific, access to that spark of inspiration is closed off by lyrics that leave only fragmentary evocations and menacing hints, painted in powerfully emotional strokes of melancholic paranoia. Perhaps it’s not just rock music but the whole world that has only just caught up with Wire.

Michinori Toyota - ele-king

 この3月に東京から大阪へと拠点を移したシンガーソングライターの豊田道倫が、急遽明日5月22日、新曲 “明るい夜” をリリースする。緊急事態宣言下にて、引っ越したばかりの大阪の部屋でふと湧き上がってきた曲だそうで、MVも公開されている。ファースト・アルバムから25年、50歳を迎えたばかりの豊田、その新たな船出を祝福しよう。

豊田道倫(Michinori Toyota)

タイトル:明るい夜(Bright Night)
企画番号:WEATHER 81 / HEADZ 246
発売日:2020年5月22日(金)
フォーマット:Digital

Musicians
豊田道倫 : vocals & acoustic guitars
角矢胡桃 : drums & noise
みのようへい : bass, shaker & chorus
Tokiyo : electric guitar & chorus

Additional member
岡敬士 : synthesizer

Recorded & Mixed by 西川文章 at ICECREAM MUSIC on 30th, April 2020 & 4th, May 2020.
Mastered by 須田一平 at LM Studio on 5th, May 2020.

Produced by MT

Design:山田拓矢

https://www.faderbyheadz.com/release/headz246.html

豊田道倫「明るい夜」 [official music video]

監督:小池茅
出演:小川朋子, 小川大輝, 小川千晴
撮影:小川大輝, 小川朋子, 小池茅

https://www.youtube.com/watch?v=Jr6JqEOUPJg

緊急事態宣言発令の中、引っ越したばかりの大阪の部屋のキッチンで、この曲がふと出来た。

すぐに録音したくなった、バンドで。
ミュージシャンに声を掛け、リハを何とかやり、エンジニア、スタジオも確保して、録音した。
すべてが未知だったけど、ひたすら楽しかった。
何の迷いもなくやれた。

出来上がったMVを見て、デビュー25年、50歳。
でもおれは、本当に赤ん坊やと思った。
歌うこと以外、何をやってきたんだろう。

2020年の春のレコード(記録)として残せたことを、感謝します。 豊田道倫


撮影:倉科直弘

パラダイス・ガラージ名義で1995年5月25日に発表された1stアルバム『ROCK'N'ROLL 1500』から25年。
来たる2020年5月22日(金)に、シンガーソングライター豊田道倫が丁度1年振りとなるオフィシャル音源を発表します。
今年2月に50歳を迎え、3月に25年を過ごした東京を離れ、大阪に拠点を移してからの豊田の第一弾リリースとなる作品は、配信のみでリリースされる新曲 “明るい夜”。

このご時世でのリリースもあり、豊田の宅録作品と思いきや、関西在住のメンバーと共にレコーディング・スタジオにて制作され、近年の mtvBAND とのバンド・サウンドとも違う、新たなグルーヴを生み出した7分半を超える大作が完成しました。
(バンド編成でのレコーディング作品のリリースは2015年の『SHINE ALL ROUND』以来となります)

豊田道倫の新章のスタートを飾るに相応しい、世相を織り込みながらも普遍で、懐かしくも新鮮な、MT(Michinori Tokyota)のソングライティング、アレンジ、プロデュースの才能を存分に満喫できる作品となっています。

レコーディング・メンバーは、ノイジシャン、デュオ・ユニットの HYPER GAL としても活躍する角矢胡桃がドラムとノイズで、「みのようへいと明明後日」名義の全国流通作『ピクニックへ行こう』(SSR-01)で注目されたシンガーソングライターのみのようへいがベースやコーラスで、And Summer Club のメンバーでソロでも活動する Tokiyo が エレキ・ギターとコーラスで参加しており、〈Kebab Records〉を主宰する岡敬士(昨年は新バンド「自由主義」で豊田とバンドメイトだった)がシンセで彩りを加えています。

録音とミックスは ICECREAM MUSIC にて、(スタジオの主宰の一人でもある)西川文章が担当しています。
マスタリングは豊田の近作でも辣腕振りを発揮する関西のベテラン・エンジニア、須田一平(LM Studio)が手掛けています。

Music Video は、本日休演、ラッキーオールドサン 、加納エミリ、佐藤優介の映像を手掛けている小池茅が監督を務めています。

「明るい夜」のリリースに合わせ、昨年(2019年)の5月22日にパラダイス・ガラージ名義でカセットテープのみでリリースされた『SAN FRANSOKYO AIRPORT』(UNKNOWNMIX 49 / HEADZ 237)の配信リリース(サブスクも解禁)されることになりました。
カセットテープはレーベル在庫が無くなりましたので、この機会に新曲共々、是非お聴き頂ければと思います。

明るい夜

昨日の新聞 そのままで キッチンテーブル 朝の影
彼女はひとり 出て行った 帰って来るとは 言わないまま

ふたり一緒に見ていたものは もう 夢みたい
くちびるの歌も 風の中 答えは誰も 教えてくれない

煙草の味は変わらない キスの味は変わらない
この街で いつか また
世界の色が変わっても ひとの心変わっても 
僕は待つ 君を ずっと 明るい夜に

泣いてる踊り子 どこへ行く 劇場のあかり 消えたまま
花束はもう 枯れたけど 瞳の光は そのまま

僕らがずっと 見ていたものは もう 夢みたい
抱きしめた恋も 風の中 答えは本当は わかっている

煙草の味はしなくなった キスの味もしなくなった
あの街も 行けなくなった
世界の地図が変わっても ひとの言葉変わっても
僕は待つ 誰も 来ない夜も

煙草の味は変わらない キスの味は変わらない
この街で いつか また
世界の色が変わっても ひとの心変わっても 
僕は待つ 君を ずっと 明るい夜に


作詞・作曲:豊田道倫

Takuro Okada - ele-king

 いま岡田拓郎がすごい! え、以前からすごかったって? そうなんですけど……、まず驚いたのは最近彼がBandcampで発表しているアンビエント作品。今年の1月から4月まで、4か月連続で、『Passing』~『みずうみ』~『Between』、そして『Like A Water, Like A Song』と。この4作品すべてがわずか数秒で聴き入ってしまうほどの魔力を秘めたドローン/アンビエントなのだ。すべてが極めてシンプル(ミニマル=極少)で、なかには録音自体が5年以上前にものだったりする音源もあるのだが、STAY HOMEにくたびれた精神に心地良い芳香を吹き込んでくれる。なかでも増村和彦が参加している『Like A Water, Like A Song』は、あたかもクラスター&イーノの領域にまで届きそうな、いわば夜明け前のひんやりとした広がりを見せている。素晴らしいです。この4作品、フィジカルでも出して欲しいなぁ。

 それから5月20日には、Okada Takuro + duenn によるアルバム『都市計画(Urban Planning)』がデジタル・リリースされている。こちらはジム・オルークのアンビエント作品『Sleep Like It's Winter』やAna Da Silva & Phewの何気に過激な『Island』を出している〈Newhere Music〉から。近々レヴューを掲載予定です。

 そして岡田拓郎の待望のポップ・アルバム『Morning Sun』。歌モノとしては『ノスタルジア』以来の3年ぶりの2枚目。すでに配信リリースされているこのポップ・アルバムに彼の実験的なアンビエントが無関係であるはずがなく、自らのサウンドで押し広げた静寂のなかで彼のあらたなメランコリック・スタイルは築かれている。それは人影まばらないまの街にじつによく響いている。そう、まさに岡田にはじまり岡田に終わる──いくつもの岡田作品、ぜひ聴いて欲しい。

interview with Laurent Garnier & Eric Morand - ele-king

僕たちの野心は慎ましいと言えるものではなかった──なにしろそれは、パリを叩き起こすことなのだ。
ロラン・ガルニエ『エレクトロショック』

 パリのレーベル〈F Communications〉、通称Fコミ。テクノDJのロラン・ガルニエ、レーベル・マネージャーのエリック・モーランの2人によって、1995年からはじまっている。つまり今年で25年。
 ロラン・ガルニエは、たとえばデリック・メイやウェストバムのように、シーンのないところにシーンを切り拓いたフランスにおけるテクノの開拓者で、情熱がそのまま歩いているような人物である。なにしろこの男ときたら、1998年パリの路上のテクノ・パレードにおいてマイクを握り「テクノはバスティーユを奪った」と高々と宣言したほどなのだ。
 そう、たしかに革命は果たされ、〈F Communications〉は多くの名盤をリリースしていった。彼の自伝『エレクトロショック』はフランスではベストセラーとなり、映画化されることになっている。テクノに関しても、パリで大がかりな展覧会が開催されるほど文化としての評価を固めている。

 いま世界はコロナウイルスによって甚大なダメージを受け、変化を強いられている。「DJの仕事とは、場所がどこであろうと、ギャラがいくらであろうと、客を踊らせること」、『エレクトロショック』においてこう記したロラン・ガルニエをはじめ、世界中のDJたちはオーディエンスを前にブースに立つことはできないでいる。つい数か月前まであったクラブ・カルチャーがいつ戻ってくるのかいまの時点では見えていない。5月21日の時点でのフランスでの死者数は2万8千人、イギリスとイタリアに次いで多いことになる。
 以下は、そんな渦中でのインタヴューである。

僕にとってもっとも重要なことは、人びとを踊らせるためにタンテーブルの後ろに立つことだ。それが僕の使命だ。

私たちはいま、歴史のただならぬ雲行きの渦中にいるわけですが、この状況をどのように捉えていますか?

エリック:まずはその質問に対して、いま私はじっさいどのように答えられるのだろうか? つまりこの瞬間は、そしてその次の瞬間には、さらに多くの質問を引き起こしているのだから。より一般的に言えば、この地球上のすべての人間と他の生命体がどのようにして、私たちが変化とともに、たしかな進化とともに生きなければならないかということだろう。
 もうひとつ言えるのは、西洋の文化は人生、変化、未知のサイクルとのつながりを失っていると私は見ている。18世紀の「啓蒙運動」以来、フランスではより(それまで恐れていた)科学を推奨し、むしろ精神や神聖さを排除しようとしてきた。「科学的」な時代においてはすべてを明晰に説明し、すべてを制御し、すべてを計画できるという盲信がある。しかし、高度に組織化された現代の社会は、その適応能力を失っている。生命はつねに適応する方法を知っていると私は深く感じているが、おそらく現在の社会のシステムではそれができないのだろう。未知なるものに対応する私たちの能力とは、つまりそれらを制御するのではないはずだ。これらの変化において踊ること。人生の一部であるものをコントロールできると盲信するのではなく、生、死、病気とともに生きること。そういうことについていまは考えるべきではないだろうか。

なるほど。それは興味深い話です。ところで、パリはどんな感じなのでしょうか?

ロラン:状況は非常に複雑で、とても大きな不安を引き起こしている。政府からの支援もあったけれど、多くの人びとはロックダウン以来収入がないからね。特定の商業分野──たとえば旅行、ホテル、ケータリング、エンターテインメント、映画館、バー、ナイトライフ──は、この夏またはこの秋までに再開することができないかもしれない。すべてのフェスティヴァルとスポーツ・イベントはキャンセルされているし、さらに多くの失業者が出る可能性がある。経済的に見れば状況は壊滅的であり、ロックダウンの延長は僕たちの多くにとってさらに事態を複雑にするだろう。特定の都市での門限、ロックダウンを強制するための警察のパトロール、スーパーマーケットでの特定の食料品──卵、パスタ、小麦粉など──の欠如などがあって、まったく、僕たちは「戦争の時代」を生きているようでもあるんだ。
 が、その一方フランスでは現在、並外れた連帯が生まれてもいるんだよ。介護者、ホームレス、高齢者、経済的に不安定な人々ための連帯──地域社会は、もっとも弱い立場の人たちを助けるために組織している。毎晩のことフランス全土が窓やバルコニーに集まり、仲間の市民の世話をするために毎日命を危険にさらしている医師や介護者、そして働き続けているすべての人びとを称賛しているんだ。
 いまのフランスは、介護者、レジで働いている人たち、ごみ収集人、配達人、宅配便業者、ホームヘルパーが僕たちの国を回していることに気づいている。銀行員ではなくね。マクロン大統領も、それ以前にくらべてはるかに謙虚さを示しているようだけど、フランス人は本当にこの危機を契機に、より良い世界を構築すんだろうか? それはまだわからない。

ロックダウンされた状況下で、人びとはどんな風に過ごしているんでしょうか?

ロラン:できる人は在宅勤務している。多くの人はかなりの時間を掛けて子供たちが何とかうまく授業を受けらるように手伝っている。人びとは本を読んだり、音楽を聴いたり、料理したり、スポーツをしたり、ドラマ・シリーズを次々と見たりしているね。
 僕たちは皆、電話で多くの時間を過ごしたり、愛する人、友人、家族からのニュースを受け取っている。Skypeで友人と食前酒を飲んだりね! 片付けをしたり、ガーデニングをしたり、初めて絵を描くことをしたり……
 僕は、家で息子とたくさん話しているよ。ロックダウンによって僕たちは考えたり、話し合ったり、たくさんのことを共有したり、たくさんの音楽を聴いたり、クラシック映画を見たり、ボードゲームをしたり……。実際、僕たちはこの休憩時間を利用して、家族で一緒に良い時間を過ごすようにしているんだ。

そういうポジティヴな側面もあると。しかし、それにしてもFコミ25周年の年にこんなことが起きるなんて……。

エリック:現在(4月末)のロックダウンにより、フランスでは窒息について話す人もいるね。自由の欠如。音楽で逃れる人もいる。そして、それは私がフランスに住んでいる80年代の終わりに感じた感覚を直接思い出させるんだ。あの頃も音楽シーン、クラブ、レコード業界が本当に行き詰まっていた。イギリスまたはベルギーに行くとすぐに私は新しいエネルギーとすべてのダイナミックを見た。当時の私にはイギリスやオランダに住むという誘惑はあった。でも、私はフランスに残って物事を起こしたいと思った。それがロラン・ガルニエと私がパリで立ち上げたパーティ〈Wake Up〉なんだよ。そしてこれが、フランスのエレクトロニック・ミュージック・レーベルを設立する契機を与えてもくれたと。周りの人に「目を覚ませ」と伝えるというね。そのコンセプトはこうだ。つまり「別の人生は可能である!」と。「あなたには踊るし、あなたには夢を見る権利がある!」と。もしロックダウンの終わりに、物事を変えるのと同じエネルギーがあれば、ふたたびマジックが起きるかもしれない!

Fコミは25年ですが、〈Fnac〉時代から数えるともっと年数はいくんじゃないですか? 「A Bout De Souffle EP」が1993年ですし。

エリック:今年はFコミの25年だけれど、それ以前の歴史もある。たしかに1991年11月にロラン・ガルニエの最初の12"のリリースが〈Fnac Music Dance Divisio〉であった。しかし、その〈Fnac Music Dance Division〉は1994年2月に終了した。
(※Fnacとは当時のフランスにおけるもっとも大きなレコード・チェーン店で、当初はその店の事業部がダンス・ミュージックの12インチをリリースした)

これまでの25年のあいだの、とくに思い出深い出来事はなんでしょうか?

エリック:その質問に答えることができるとしたら、パリのクラブ〈La Locomotive〉で、月曜日の夜にクリシー大通りの交通を遮断して開催されたレーベルの1周年パーティになるんだろうな。でも、私個人にとっては、1995年のベオグラードでのFコミのパーティが一番の思い出だよ。

 ちょうどのそのときは、ユーゴスラビアでの戦争が数か月前に終わってはいたものの、ユーゴスラビアはまだ封鎖されていた。で、1人のプロモーターがFコミのパーティをベオグラードで開催したいと、そのために我々を彼の地に連れていきたいと言ってきてね、彼はその数ヶ月前は戦地で戦っていた。
 ロランはエレクトロニック・ミュージックが存在しなかったり、そのジャンルに対して決して好意的とは思えない国でプレイすることが大好きなDJなんだ。だから、私たちはこのクレイジーなプロジェクトに乗り出した。フランスからの直行便はないので、ブダペストに着陸し、ミニバスで移動したんだけど、軍隊がいる国境を越える瞬間が思い出深い。ロラン、Shazz、Scan X、私、プロモーター、ドライバーとライヴセット用の機材で満たされたミニバスをじっと見つめる機関銃と不吉な顔をした税関職員の顔を想像してみて欲しい。やっとの思いで通過して、ベオグラードに到着した。市長との式典に招待されて、 そのあとすぐに古いベオグラード空港でのパーティーがはじまった。戦後初のパーティでね、2000から3000人の興奮された人びとがやって来た。とても素敵な人たちだった。まさに私たちが好むクレイジーな冒険であり、素晴らしい思い出だ!

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なにもライヴ体験に取って代わることでは決してない。音楽は「その場で」体験できること、それはDJの本質でもある。瞬間を理解し、捉え、人びとと交流すること。

あなたのなかのFコミのベストな5枚は? 選ぶのはたいへんでしょうけど、ぜひ!

エリック:はい、レーベルの280枚のリファレンスから選択するのは非常に困難だ! これだけ異なる音楽ジャンルから選択するとなるとなおさらね!
 この多様性のなかで、私は常にA Reminsicent Driveのアルバム『Mercy Street』に大きな愛情を持っている。Ludovic Navarre(St Germain / Deepside)の「French」、もちろんLaurent Garnierの「Crispy Bacon」、アルバム『Unreasonable behaviour』の「Communications from the lab」、Aqua Bassinoの「Milano Bossa」、またはAvrilの「Velvet Blues」、Del Dongoの「Samiscience」の完全にサイケデリックなハイパー・グルーヴ、いまでは廃盤になったけれど、1996に再発したDJ Kudoの「Tiny Loop」もある……あ、5タイトルを大幅に超えたね(笑)!

コロナによって、音楽ファンの嗜好は変化すると思いますか?

ロラン:人びとの好みが変わるかどうかはわからないけど、ロンクダウンしている現在、人びとはより多くの音楽を聴いている可能性があるだろうね。多くの人びとが音楽を聴いている。音楽はより強く、よりそのひと個人の味方となって、内面や恩恵になるだろう。「私たちを慰めるためにそこにいる親友」のようにね。外界との接触の欠如により、おそらく現在の一部の人びとの人生のなかには音楽は別の意味を示しているかもしれないね。
 僕の場合、それは指数関数的で、いまは以前よりも多くの音楽を聴いている。もちろん以前もたくさん聴いていたけれどね。しかし奇妙なことに、新しいもの、新譜を聴くのはとても難しい。目の前を見るのに苦労しているような感じだね。
 ロックダウン以来、僕は自分のレコード・コレクションを再発見しているんだよ。完全に忘れていたアルバムを何時間も聴いている。自分はノスタルジックな人間ではないんだけれど、でもいまは、自分を形成してきた音楽を評価をする必要があるような気がする。これはおそらく、今後数週間で実際に何が起こるかについての情報がないことに関連しているのだろうけれど。
 もうひとつ少し奇妙な発見があって、それは僕はいま(ハード)テクノを絶対に聴くことができないということ。僕にとって、この時期この手の音楽を聴くことにはまったく向いてない。テクノは僕にとっての心臓の一部のはずなのに、いまはまったく無理なんだよ!

そうですよね。5年前の『La Home Box 』はテクノ、ハウスに向き合ったあなたの原点回帰とも言える内容でしたもんね。ところで、あれからアルバムをリリースしていませんよね。ご自身の制作はいまどうなっているんでしょうか?

ロラン:僕にとって、いま音楽を作ることは楽しみではあるけれど、絶対ではない。僕は自分をホンモノのミュージシャンだと思ったことはないからね。アーティストとして僕にとってもっとも重要なことは、人びとを踊らせるためにタンテーブルの後ろに立つことだ。それが僕の使命だ。
 それに……音楽を作るには時間がかかる。緊急時に作曲するのも悪いことではないだろうけどね。ただ、僕のDJツアー+毎日新譜を聴く時間+ラジオ番組の制作+僕がギャビン・リヴォワールと4年間取り組んできたドキュメンタリー・プロジェクトの制作+家族生活とすべて……以上の他に皆さんがあまり知らない小さなプロジェクトを数えると、制作に割ける時間は決して多くないんだよ。

なるほど。

ロラン:『La Home Box』以降でいえば、〈Kompakt〉のEP「Tribute EP」とRekidsのEP「Feelin' Good」があったね。Madbenと共作した「MG’s Groove」、〈Skryptom records〉のアニヴァーサリー・コンピ用に1曲提供したし、Roneもリミックスしたよ。ロック系ではフランスのバンドThe Liminanasをリミックスしたし、Steeple Removeのリミックスもやったよ。
 それから、フランスのドラマ長編映画「Paris est a Nous」のサウンドトラックの50%を作曲したし、フランスのテレビ局のドキュメンタリー番組の音楽も担当したね。僕のドキュメンタリーでは、一部のKickstarter参加者のために超限定アナログ盤企画用に新しい12分のダンスフロア・トラックも作曲したな。そして、この夏はツアーができないので、フランスのロック・バンド、The Liminanasと一緒にアルバムを共作するプロジェクトが予定されてるよ。

いろいろやることがあるわけですね?

ロラン:その他、僕が住んでいる村で毎年ポップ/ロック・フェスティヴァル(YEAHフェスティヴァル)を共催している。フェスティヴァルの傍で、僕たちはより多くの社交的な目的──刑務所、家、障害者の家、学校、大学など──のために、年間を通してたくさんのミニイベントを企画しているんだ。
 執筆にも多くの時間を費やしているよ。僕は自伝『エレクトロショック』の映画化企画に10年以上取り組んできているし。こんな感じで、あまり自分の音楽に時間をかけることができないんだけど、ずっと忙しいんだよ。ちなみに来週引っ越しをするので、新しい場所、新しいスタジオに引っ越すことで、また音楽を作る気になるかもしれないね!

いま言ったドキュメンタリー映画プロジェクト#LGOTR Laurent Garnier: off the recordについて教えてください?

ロラン:ギャビン・リヴォワール監督は4年以上も僕をフォローしている。ドキュメンタリーのアイデアは、テクノについて少し語りながら、僕のキャリアのある局面、瞬間をさかのぼってかなり親密な肖像画を作ること。実際、僕たちが興味深いと考える特定の主題、場所、瞬間に立ち止まりながら、僕が歩んで来た道をフォローしている。ドキュメンタリーの目的は、この音楽(テクノ)の全体像を伝えたいと思って教訓を示すことではない。もしそれをやるなら、25時間のドキュメンタリーを実行する必要があるだろうし。ここではむしろ、この音楽(テクノ)の歴史にとって僕にとって重要であった場所、人びと、または瞬間によって区切られた一種の個人的な歩行としての体験が強調されているんだ。だからすべては主観的だね。

長年ナイトライフの世界が維持してきた経済モデルを劇的に変化させなければならないだろうし、それが論理的に重要に思える。少しの謙虚さと親切さが僕たちに最大の益をもたらすんじゃないだろうか。

いまこういう状況のなかフランスの音楽シーンで、なにか新しい取り組みなどありますか?

ロラン:現時点では、Covid-19の影響で、今後数か月の間に何が起こるかについて明確なヴィジョンを持つことは不可能だよ。すべてのクラブは閉鎖されていて、フェスティヴァルは禁止されている。僕たちは国境を越えて隣国に行くことさえできない、現状は非常に深刻だよ。ロックダウンの開始以来、誰にも何の収入が入っていない──0セントもね! この危機が長続きすると、僕たちの多くは間違えなく職を失う。DJ、クラブ、コンサートホール、フェスティヴァルなどなど。
 リニューアルについて考える前に、このシーンが今後に単純に生き残ることができるかどうかについてまず知る必要があるんじゃないのかな。もし生き残れるのであれば、どのように、誰が? たしかなことのひとつは、フランスのテクノ・シーン──他のすべての国のシーンと同様──がこの前例のない危機から多大な影響を受けることだ。残念なことに多くの人が姿を消すことを僕たちは認識しなければならない。何が起こるかがわかるまで、しばらく待たなければならないだろうな。
 僕たちみんながいままでの職業を守り続けるためには、長年ナイトライフの世界が維持してきた経済モデルを劇的に変化させなければならないだろうし、それが論理的に重要に思える。少しの謙虚さと親切さが僕たちに最大の益をもたらすんじゃないだろうか。
 あるいは、この危機が音楽よりもお金が好きな連中、日和見主義者的DJ、無能なマネージャー、変態ツアーマネジャー、不正なプロモーターを排除することができたら、それはそれで僕たちにとってとても良いことだろうけれど。

コロナ渦においてはストリーミングはひとつの手段だけど、ほかにどんなことが考えられると思いますか?

ロラン:人びとは現在、僕たちが以前知っていたのとは非常に異なる状況で音楽を聴いている。たぶんストリーミングでのDJセットで特定の経済が発展するだろうね。
 でも音楽がそこにあっても、同じダンスフロアで一緒にいるとき、DJセットやコンサートを一緒に楽しむ体験に勝るものはないよ。いまはストリーミングも良いと思うよ。ストリーミングは人と人との間に何らかのつながりを保つから。しかし、ライヴ体験に取って代わることでは決してない。音楽は「その場で」体験できること、それはDJの本質でもある。瞬間を理解し、捉え、人びとと交流すること。

とにかく、お互い無事生き延びて、いつかダンスフロアでお会いしましょうね。

ロラン:僕も心からそう願っている。僕たちみんなが愛する音楽は、それが同じダンスフロアで一緒に聴けて、体験できるときにだけ本当の価値があるんだ。そしてそれが日本のダンスフロアでもあるとすると……僕にとってそれは本当に世界でもっとも美しいものなんだよ。

最後に、25周年ということで特別に企画していることがあれば教えて下さい。

エリック:最近になってFコミを発見し、そしてフランスの音楽の歴史において私たちがどのような役割を果たして来たかを理解したいと思ってる20〜25才くらいの若いオーディエンスから多くの要望があった。こうしたインターネットでの連絡があって、私はこの25年間を祝いたいと思ったんだよ。今日では、1991年以前にフランスのハウス/テクノまたはエレクトロニック・ミュージックのアーティストについて誰も知らなかったことを想像することは難しい。しかしじっさいは、フランスのインディペンド・レーベルがフランス国外でレコードを販売することすらなかった。Gypsy Kings(ジプシー・キングス)やMory Kante(モリー・カンテ)などのワールド・ミュージックのアーティストを除いて、フランスのアーティストはフランス国外でコンサートを行うことはほとんどなかった。
 FnacとFコミでひとつのドアを開くことができたと思っている。だからこそ、すべてのレコードを復活させる必要があると思っているんだ。25年の祝いとして、元のDATマスターから完全にリマスターされた25枚の名盤、そしてあまり知られてない作品まで25枚の12"を選択した。アナログ盤とデジタルで5回に渡って5枚づつリリースするよ。今年の終わりには、アナログ盤2枚でMegasoft Officeの特別ヴァージョンもリリースする。また、デジタルで利用可能なタイトル数も増やそうと思う。デジタルで利用できなかったタイトル、宝物がまだたくさんあるからね。

──────

 個人的なよき思い出としては、2006年に『エレクトロショック』の日本語版を出せたことと、ゴダールの映画『勝手にしやがれ』でジャン・ポール・ベルモンドが最後にぶっ倒れる道路を明け方よれよれに酔っぱらいながらいっしょに歩いたことだ。その『勝手にしやがれ』のフランス語の原題「A Bout De Souffle」が、彼の最初の出世作だった。1993年のEPでその1曲目は『勝手にしやがれ』の英語タイトル“Breathless”。彼がエリック・モランとはじめたパリで最初のアシッド・ハウス/テクノのパーティの名前となった“Wake Up”も、その「A Bout De Souffle EP」に収録されている。
 このEPはFコミからではなく〈Fnac〉からのリリースで、当時は〈Warp〉にもライセンスされている、時代を切り拓いた決定的なシングル。その筋で重要なもう1枚は、同じく1993年にデリック・メイの〈Fragile〉と〈Fnac〉からリリースされたChoice(ロランとサンジェルマン=ルドヴィック・ナヴァールによる)の「Paris EP」で、収録された“アシッド・エッフェル”は永遠のクラシックである。

Alex from Tokyo Pratによる〈F Communications〉25枚

(年代順))

St Germain-en-Laye - Mezzotinto EP
D.S. – Jack On The Groove
Shazz – A view of Manhattan EP
Nuages – Blanc EP
Juantrip – Switch out the sun
Nova Nova – Nova Nova EP
St Germain – Boulevard LP
Laurent Garnier – Club Traxx EP
Various – Musiques pour les plantes vertes CD
Nova Nova – Tones
Scan X – Earthquake
DJ K.U.D.O – Tiny Loop
Laurent Garnier – Crispy Bacon
Aqua Bassino – Deeper EP
Various- Megasoft Office 97 CD
A Reminiscent Drive – Mercy Street LP
Jii Hoo – Let me love you
Frederic Galliano – Espaces Baroques LP
Jori Hulkonen – You don’t belong here
Various – Live & Rare 3LP
Mr.Oizo – Flat Beat
Laurent Garnier – The Man with the Red Face
Frédéric Galliano with Hadja Kouyaté - Alla Cassi Magni
Avril – French Kiss
Laurent Garnier - Retrospective LP

【元F Communications日本大使としての思い出】

 文:ALEX FROM TOKYO PRAT

 1991年9月、大学のために東京から出身地のパリへ。ダンス・ミュージックに関しては東京での高校時代にからすでに心酔、フランスに来てからパリのアンダーグランド音楽とクラブ・シーンを発見しました。
 まずは毎週木曜日、伝説のRex ClubでLaurent GarnierとDj DeepがレジデントDJを務めていたフランス初のアンダーグランド・テクノ・ハウス・パーティ〈Wake Up〉に通う。そして、Gregory(グレゴリ−)とDj Deepと親しくなって、Dj Deep通して〈Fnac Music Dance Division〉のレーベル・マネージャー、Eric MorandとFnacのアーティストSt Germain(サンジェルマン)やShazz(シャズ)等と知り合いました。
 1993年にDj DeepとDJ Gregoryと共にDJユニット「A Deep Groove」を結成します。伝説的なRadio FG 98.2fmのランチタイムに放送された「リアル・アンダグランド・ダンス・ミュージック」ラジオ番組が、St. GermainやShazzなどの初期シーンのディープ・ハウス・アーティストに初めてスポットライトを当てます。
 1995年、東京に帰還しました。テクノとエレクトロニック・ミュージックが日本で爆発してるなか、来日するフランスやヨーロッパのレーベル、DJやアーティストたちの橋渡し役として活動。そのなかで、パリで仲良くなったLaurent GarnierとEric Morandのレーベル〈F Communications〉の日本大使役を1996年から2002年まで務めることになりました。
 1995年の秋、King Recordとのレーベル契約に合わせて新宿Liquid Roomで〈F Communications〉のパーティが開催されました。Fumiya TanakaがオープニングDJでしたが、そのときのLaurent Garnier, Scan X, Lady Bらが出演したパーティはいまでも鳥肌が立つほど感動的でした。
 1996年には西麻布のクラブ〈Yellow〉でレギュラー・パーティをはじめました。日本のエレクトロニック・ミュージックDJの立役者のひとり、DJ Kudoが〈F Communications〉から12”「Tiny Loop」をリリースします。日仏関係がさらに結ばれるようで、嬉しかった!
 1996年にはP-VineからSt Germainのデビュー傑作アルバム『Boulevard(ブルヴァード)』が日本盤でリリースされます。普段限られた状況だけでしかDJプレイしないSt.Germain本名Ludovic Navarre(ルドヴィック・ナヴァール)がわざわざ来日し、Yellowで2公演を披露しました。そして、美しいディープ・ハウスをプロデュースするスコットランドのAqua Bassinoとの出会いと東京と大阪での日本ツアーがありました。Scan Xが1997年に「攻殻機動隊-Ghost In The Shell」のゲーム・サウンドトラックに参加したことも忘れられません。
 1998年からは、Toys Factoryとのレーベル契約から数々の素晴らしい日本特別企画アーティスト・アルバムを発表&ツアー。2000年のLaurent Garnierのアルバム『Unreasonable Behavior』のリリースに合わせて『ele-king』ではパリの現地取材をしましたが、これはとても思い出深いです。
 1998年から2002年頃までに掛けては、Frederic Galliano(フレデリック・ガリアーノ)のジャズ&アフリカ音楽の企画が日本でも注目されました。Fredericが〈F Communications〉を通して担当していた、マリ音楽の再発/リミックス特別企画レーベル〈Frikyiwa〉では、井上薫ことChari Chariが参加しましたが、自分もTokyo 246 Ave. Project名義でAbdoulaye Diabateのリミックスを手掛けました。青山CAYでFredericがフル・バンドと女性ヴォーカリストAfrican Divas(アフリカン・ディヴァーズ)と来日ライヴを披露したときは本当に感動しました!
 それから、70年代から活動している作詞/作曲家と写真家であるJay Alanskiのエレクトロニカ/アンビエント・プロジェクト、A Reminiscent Drive(ア・レミ二セント・ドライヴ)の美しい桜の写真のアルバム『Mercy Street』も日本でとても人気がありましたよね。また、北海道、札幌のTha Blue HerbがライヴでNova Novaのピアノ傑作“Tones(トンズ)”をバックトラックに良く使っていたことを初めて聞いた時はビックリしました。
 最後に、2006年にはロラン・ガルニエの自伝『エレクトロショック』を日本語に訳して、野田努さん監修のもと河出書房から出版しました。自分が学生の頃に通っていた東京の日仏学院でロラン、野田さんと三田さんとトークショーをやって、その後日仏学院をクラブ・パーティにしたことはとくに自分の人生のなかでは重要な素晴らしい出来事でした。その後、ロランとは一緒に、日本の数々の素晴らしいパーティ&ツアーでプレイしてます。〈F Communications Japan〉では日本のミュージック・ラヴァーと感動的で楽しい思い出深い時間を共有することができた。実に素晴らしい体験でした。
 いままでサポートをしてくれた日本の音楽&クラブ業界のパートナーの皆さんや日本のファンには本当に感謝してます!
 この25周年を祝って、日本の新世代にもここで〈F Communications〉レーベルの魅力を知ってもらいたいです。
 Tres bon 25eme anniversaire F Communications!

Roger Eno & Brian Eno - ele-king

 これは意表を突かれた。クラシックの殿堂〈ドイツ・グラムフォン〉からイーノ・ブラザーズによるコラボレイト・アルバム。兄は言わずと知れたアンビエント・ミュージックの提唱者で現実派。弟は兄が敷いた路線にのりながらも、どちらかといえばニュー・エイジに傾いた資質を持ち、ララージやビル・ニルソンと共にチャンネル・ライト・ヴェッセル(Channel Light Vessel)としても活動していた夢想派タイプである(オリエンタル調のCLVはヴォーカルにドリーム・アカデミーのケイト・ジョンを加えていた)。しかも2010年代のアンビエント・ミュージックは大雑把にいってインターネット・カルチャーを背景にシェアを伸ばしたヴェイパーウェイヴ〜ニュー・エイジの流れと、ブライアン・イーノがバックボーンとするミュジーク・コンクレート〜モダン・クラシカルの刷新へとシーンは二極化し、いずれもテンションを衰えさせることなく拮抗関係を持続した上で、兄と弟は手を組んだことになる(2017年に〈パン〉からリリースされたコンピレイション『Mono No Aware』もニュー・エイジとミュジーク・コンクレートの共存や融合を模索する試みだった。2010年代のアンビエントにはさらにシューゲイザー〜ドリーム・ポップも重要なファクターをなしているものの、複雑になるのでここでは省略)。

 ブライアン・イーノとロジャー・イーノが共同作業に従事するのは、これが初めてではなく、1983年にリリースされた『Apollo』はすでにブライアン・イーノ・ウイズ・ダニエル・ラノワ・アンド・ロジャー・イーノという共作名義となっていたし、その後も『Thursday Afternoon』 (85)から2000年代初頭の諸作まで2人は途切れることなく様々なかたちで共作を続けている。80年代であればブライアン・イーノの作品にロジャー・イーノが参加し、2000年前後ではこれが逆の立場になっているという違いがあるくらいだろうか。 『Mixing Colours』は2005年から取り掛かった作品だそうで、どの辺りで集中的に作業を進めたかはわからないけれど、2015年には久々にブライアン・イーノ名義の『My Squelchy』にロジャー・イーノがイディオフォンという打楽器でOMD風の穏やかなシンセ–ポップSome Words”に参加している(ちなみに『Apollo 』は昨年、新たに11曲を追加した「Extended Edition」がリリースされている──デヴィッド・リンチ監督『デューン』に提供された“Prophecy Theme”は未収録)。

『Mixing Colours』は名義が「ロジャー・イーノ&ブライアン・イーノ」という順番になっている通り、前半はとくにロジャー・イーノの文脈を柱としている。「ロジャー・イーノの文脈」とはピアノ主体のニュー・エイジであり、ブライアン・イーノが「あの手の音楽を聴くと、誰かを殴りたい気分にさせられる」と批判するスタイルで(本誌19号のインタビュー参照)、実をいうと僕もチャンネル・ライト・ヴェッセル以降、ロジャー・イーノのソロ作はキツいと感じ、2010年代以降の作品はさきほど、このレビューを書くためにまとめて聴いたばかり。そして、誰かを殴りたいとまでは思わなかったものの、卑弥呼のマグマエネルギーが吹き出しかけ……いや。ロジャー・イーノは2010年代後半になるとジ・オーブのメンバーに加わり、『COW / Chill Out, World!』(いつもの感じ)、『No Sounds Are Out Of Bounds』(これは傑作だと思う)、『Abolition Of The Royal Familia』(これは前作の出がらしだと思う)でピアノやトランペットを演奏し、現在はすでに脱退している。音楽的なスタイルは懐古的ながらもジ・オーブとして充実の演奏を聴かせた時期だったこともあり、ロジャー・イーノへのフィードバックもそれなりに期待させるものがあったかかわらず、ここ数年の彼のソロ・アルバムは代わり映えしないどころか、あまりにスノッブなそれに終始し、悪くすれば「太田胃散、いいクスリです」のCM音楽と同じに聞こえてしまう(あれはショパンか)。しかし、ブライアン・イーノはさすが、である。『Mixing Colours』は「ロジャー・イーノの文脈」を無視することなく、それらの発展形をなし、必要なだけの抑制がブライアン・イーノによって持ち込まれている。オープニングからギリギリでイージー・リスニングと近接し、同じ音階でも楽器の種類を変えたり、ロジャー・イーノに特有のチープなコード感を活かしたまま『Music For Airports』(78)で試した音の奥行きやグラディエーションをつくり出すなどしてニュー・エイジにありがちなクリシェを避けていく。メロ・ドラマ調の“Celeste(空色)”やシューベルトにインスパイアされたというわりにやはりショパンのパロディに聞こえてしまう“Quicksilver(銀鼠色)”がこうして音響的に洗練されたモードへと移植されていく。イーノの言葉に即していえばニュー・エイジに欠けている「闇」を埋め込んだということになるのだろうか(同インタビュー)。また、”Obsidian(シャープな緑)”や“Desert Sand(ベージュ色)”と、曲名はすべて色の種類で統一され、いかにもニュー・エイジが好みそうなネーミングであると同時に(Colour=)人種を混合させるという含みも持たせたのかもしれない(ないかもしれない)。国内盤にはオリジナルの17曲目と18曲目の間に『Apollo』を思わせる“Puter(青灰色)”が追加され、レアな色ばかり全19色が取り揃えられた。

「ロジャー・イーノの文脈」では以上のような聞こえ方でいいのかもしれないけれど、『The Ship』(16)や『Reflection』(17)と続いてきた「ブライアン・イーノの文脈」に『Mixing Colours』を続けてみると、さかなクンでなくてもぎょっとする。ポップ・ミュージックの作法に則るか、さもなければ作曲のシステムそのものを考案することがブライアン・イーノのアイデンティティだと思っていれば、それはなおさらである。ブライアン・イーノに過大な期待を寄せるのではなく、ここでの彼はトリートメントに徹しているようだし、『Mixing Colours』では音響アレンジャーとしての手腕を聴くに止めるのが正解だろうと思う。エンディングに近づくにつれ、ピアノの音が残っていないほど変形され、そのことによってピアノがピアノ以上の存在感を醸し出すのは『Music For Airports』と同じく。とくにそのことは“Deep Saffron(サフラン色)”や“Cerulean Blue(セルリアン・ブルー)”に顕著で、もしかすると、このあたりはブライアン・イーノのソロ作なのかもしれない(?)。それこそ前半から続く下世話なメロディに慣れた耳が一気に浄化される思いがあり、ブライアン・イーノが主張してきた「無意識にプロセスを感じさせる」構成となっている。そして、最後の最後に納得の着地も用意されている。

〈ドイツ・グラムフォン〉も最近ではエルヴィス・コステロのオーケストラ作品やスティングの中世音楽までリリースしていて、そういった意味ではこれだけニュー・エイジ趣味が突出していても驚きはないし、レデリウスやマックス・リヒターもカタログに加えてきたことを思うとブライアン・イーノを逃す手はないという判断なのだろう。そして、ニュー・エイジとミュジーク・コンクレートが混ざり合うヴィジョンを示したことは『Mono No Aware』やフェリシア・アトキンソン&ジェフリー・キャントゥ=レデスマ『Limpid As The Solitudes』(18)以降のアンビエント・ミュージックにどんな影響を与えるのだろうか。

三田格

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interview with Brian Eno
ブライアン・イーノ、ミニ・インタヴュー
(協力:ビートインク)

 以下のインタヴューは、6月24日刊行のエレキング臨時増刊号『コロナ時代の生き方』のために、5月6日ロンドン在住の坂本麻里子氏を介してノーフォーク在住のイーノに電話を通じておこなったもので、本作『Mixing Colours』についての話の抜粋になる。川のせせらぎや野鳥のさえずりが聞こえるのどかな村にいまはひとりで暮らしているそうで、5月15日に誕生日を迎えた際も、ひとりで迎えるつもりだとこの取材では語っている。クリスマスも誕生日も、ひとりで過ごすのが好きなのだといい、寂しくなったら自転車を漕いでロジャーの家に行って、彼の家族と会うのだそうだ。アンビエントの巨匠の素朴な日常である。
 とはいえ、彼の日常で思考された言葉が人を動かすこともある。臨時増刊号『コロナ時代の生き方』は、じっさいのところイーノと経済学者ヤニス・ヴァルファキスとの対談があったから実現させようと思った企画なのだ。その対談のなかでイーノは、資本主義の限界とアートの意味について明解に話している。あらためて問う。なぜアートは必要なのか? そしてアートとは何なのか? 
 我々が5月6日に取ることができた取材はその対談とは別の単独取材だった。音楽、とりわけインディ・ミュージックに関わる人にはぜひ読んでもらいたい内容なのだが、まずは彼の作品解説と香水の話をお楽しみください。(編集部)

ロジャー・イーノとはこれまで何度も共同作業をしてきましたが、2人の名義で作品を発表するのは初めてです(ダニエル・ラノワを含めた3人による共同名義の『Apollo』から数えても37年ぶりです)。

BE:うん。

なぜこのタイミングで2人の作品を出そうと思ったのですか?

BE:(苦笑)。

やっと、ですよね。なぜいまになって連名作品なんだろう? と。

BE:(笑)ああ、たしかに可笑しいよねぇ……でもあれは本当に、かなり偶発的に生まれた作品でね。ロジャーはキーボードを使ったちょっとしたピースをあれこれとやっていて、たまにこちらにも作品をメールしてくれるんだ。そこで、「だったらMIDIファイルを送ってくれないか?」と伝えたところ、MIDIファイルを送ってくるようになって。そこから、わたしも考え始めて……だから、ロジャーは純粋にピアノだけで作っていたんだけれども、それらを聴いて思ったんだ、「というか、これはサウンド面でもっと面白いことをやれるピースだぞ」と。というわけで、わたしはピアノの音を自分でこしらえたサウンドに置き換える作業をやり始め、そこから更に、コンポジションそのものの形状にもちょっと手を加えるようになっていった。

(苦笑)。

BE:「フム、このセクションは実に素敵な響きだな。じゃあ、この箇所を最後にリピートしたらどうだろう?」云々と考え始めたわけ。いやだから……正直、ただ楽しいからやっていたんだよ。別に「2人でアルバムを作ろう」なんて狙いはなかった。実際、この作業をやり始めたのは、かれこれ15年くらい前の話だしね(苦笑)。

そうだったんですね。お腹の中で育つのに長くかかった作品だ、と。
BE いや、というか懐胎すらしていなかったというか。自分でも、ここから何かが生まれるだろうとは思っていなかった(笑)。

(笑)。

BE:というわけで、正直なところ、これが形になったのはほんの1年半か、1年くらい前の話でね。あの頃に、わたしのマネージャー、たぶん君も知っているだろうけど……?

はい。レイ・ハーン氏ですね。

BE:うんうん、で、あの頃、レイに「実は、ロジャーと一緒にやってきたインスト作品があるんだ。映画作家向けにプレゼンしてもらえないかな? きっと、いいサントラになると思うんだけど」と話していたんだ。で、そのためにいくつかの楽曲を、過去何年もの間に既に仕上げてあった楽曲をセットにまとめる作業をしていたところ、聴き返しているうちにハタと気づいたんだ、「これって実は、美しい1枚のアルバムになっているよな」と(笑)。あの段階で初めて考えはじめたんだよ、「おや? どうやら我々はアルバムを1枚作っていたようだぞ!?」と。というか、最初にそれを伝えた相手はロジャーだったな。で、彼にそう言ったら、返ってきたのは(ドライな口調で)「へえ。自分じゃそうは思わないけど。だろ?」というもので……(クククッと笑い出しながら)だから、当初の彼は、あれをアルバムだとすら考えていなかったっていう。

(苦笑)。

BE:でも、その後彼も何回か聴き直して、「うん、これは本当にいい」と認めてくれてね。だからこのアルバムは実にこう、もっとも未計画な、まったく計算外なところから生まれた1枚、ということになる。

『Mixing Colours』というタイトルの意味について教えていただければ幸いです。そもそも今回、色および自然現象をテーマにしたのはなぜでしょう? 

BE:まあ……実を言うと、各曲のタイトルとして単純に番号を振るのはどうか、という案を検討したこともあったんだよ。要するに、我々としてもあまり物語性の強い題名を曲に付けたくなかった。

イメージを特定し過ぎるタイトルは避けたかった、と。

BE:ああ。だから、この手の音楽は、得てして“暗い秋の夕暮れ”みたいな曲名になりがちだよね?

(笑)ええ。

BE:でも、あまりにかっちりしたイメージを付与したくなかったし、聴き手に定義してもらいたい。これらの色を使い、とにかく聴き手それぞれに自由に絵を描いてもらえたらいいな、そう思った。というわけで、今回のタイトル/テーマの色という点については……実は、ロンドンにある自分のフラットの一室の壁を塗っていたところだったんだ。で、色見本帳が手元にあった、と。

(笑)。

BE:(笑)。その、色んな色彩の名称を眺めているうちに、「綺麗な名前だよなあ」と思い始めてしまってね。(苦笑)というわけで、うん、そこから来ているんだ。とにかく、あまり深読みしなくて済むネーミングにはこれがいいんじゃないか? というごく単純な発想が元になっている。

パントンの色見本帳のようなものだ、と。

BE:うん、そういうこと。

だからなんですね、あなたがたがこのアルバム向けに、音楽のイメージに基づいた聴き手による自主制作ヴィデオをウェブサイトを通じて募っているのは……。

BE:うん。

あと、もうひとつ面白いなと思ったのは、『Mixing Colours』の曲目を眺めていたら、そのほとんどが香水の名前になりそうなタイトルだな、と感じたことで。

BE:(苦笑)ああ、うんうん!

「これらの曲名にちなんだ香水を調香師に作ってもらったらいいかもしれない」なんて思ってしまいました。

BE:(笑)。

(笑)「嗅ぐ」ヴァージョンのアルバム、ということで。

BE:というか、わたしの趣味は香水の調合なんだけれども。

ああ、そうなんですか! それは知りませんでした。

BE:うん、そうなんだ。で……ほんと、君には我々の先を見越されたな。というのも、このレコードの2、3曲向けに香水を作ろうかという計画を自分でも立てていて。

それは素敵ですね!

BE:だから、今から1年くらいの間に、その香水を作るつもりだ。

非常に楽しみです。

BE:そういえば、知ってるかな? どのパヒューマーも、日本の香水会社で働いた経験があるってことを?

へえ?

BE:どうしてかと言えば──わたし自身、かなりの数の調香師と知り合いだから知っているんだけれども──イギリスやフランス、アメリカの香水会社で働くとして、そこで彼らの作った香水は40ドルくらいの価格で販売される、と。ところが肝心な材料の原価は2ドル程度でね。それ以外のもろもろはすべて製品パッケージだのマーケティング費用に費やされている、と。でも日本の会社は、原価に5ドル支払うんだね。だから日本製香水は、通常、欧米の会社以上に質の高い原料を使っているわけ。だからなんだよ、調香師が日本の会社で働きたがるのは。とは言っても、これは20年前の話であって、いまでもそうなのかはさだかじゃないが。もしかしたら、その状況も今では変化しているのかもしれない。

ともあれ、あなたの香水を嗅げる日を(笑)、楽しみに待とうと思います。

BE:(笑)うん、いつかやるつもりだ。その暁には、最初の1本を送る人たちのリストの中に君もちゃんと含むようにするから(笑)。

ありがとうございます! というわけで、そろそろ終わりにしようします。またお話を聞けて本当に楽しかったです。どうぞ、お体には気をつけて。

BE:お互いにね。じゃあ、バイバイ!

Ayane Yamazaki - ele-king

 先日、細田成嗣が紹介した角銅真実らと並んで、目下、次世代シンガーソングライターとして注目される山﨑彩音。1999年生まれの彼女は16歳から作品を発表しているというおそろしい早熟娘で、すでに2枚のアルバムがある。昨年の2nd『LIFE』から、彼女の音楽的冒険が本格的にはじまったようで、それは「ニュー・ラウンジ」とも「new Tokyo city pop」とも言われているわけだが、『LIFE』からはいまや売れっ子ダンス・プロデューサーとなった工藤キキによるremix曲(kirchen song)もある。これ良いです。

kitchen song-Kiki Kudo and Brian Close Remix

https://open.spotify.com/track/2zJTtzXRDzV5oMsk7kbiw3?si=aYbVDcJVQ46KcvOQOzIuIg

 彼女の魅力的な声と東京発のドリーム・ポップ・サウンドは、イギリスのレーベル AWALから配信され、瞬く間に欧米のみならず南米やアフリカにも伝播したそうだ。海外では、「次世代の野宮真貴」という声もあるようだが、たしかに彼女の声は渋谷系ともリンクしている。そしてこの注目のシンガーの最新作は、アルバムのクローサー・トラック“眠りの理由 Sleep to Dream”のTOYOMU Remix。これが素晴らしいです。



https://open.spotify.com/album/1gyidA79GUoRepNYgiyJRN?si=qR2aGzAGSS2QWLvhs4t-BQ

 いわば冷撃沈する東京のシティポップ、甘くヒリヒリしたドリーム・ポップ──山﨑彩音、次に何をやるのか期待しましょう!

Laurine Frost - ele-king

 エディプス・コンプレックスとは男の子が母親との仲を裂かれまいとして無意識に父を敵視することで、フロイトはこれを誰にでもある普遍的な概念として定義した(女の子と父親の場合はエレクトラ・コンプレックス)。しかし、子どもが(年齢とは関係なく)そうした感情を自覚できないうちに父が病気になったり、死んだりすると、父が倒れたのは自分自身の敵意が原因だという罪悪感を持ってしまったり、悪くすれば「対象喪失」という感覚に陥るなど場合によっては生きる意欲を失ってしまう可能性もある。自分を「完璧な子ども」に育てようとした「父」を題材に、初めて本人名義のアルバム制作に乗り出したローリン・フロストはその途中で実際に父を失うこととなった。「半分まで完成したところで父が自殺した。このプロジェクトのことは知らずに」。死後ではなく、その前から制作を進めていたことで、彼は「対象喪失」に陥ることはなく、むしろ完成度の高いアルバムに仕上げられたのだろう。ヒーローだった父親が日に日に信念や尊厳を失っていく──その姿を描こうとしたのだから。

 ペトレ・インスピレスクがルーマニアン・ミニマルの「表の顔」ならローリン・フロストは「裏の顔」だろう。ルーマニアで〈オール・イン・レコーズ〉を立ち上げ(後にハンガリーに移動)、ロシアや東欧のプロデューサーを広くフック・アップし、〈オール・イン〉を逆から読んだサブ・レーベル、〈Nilla〉でもフランスのアフリクァ(Afriqua)や最近ではスウェーデンのアルカホ(Arkajo)など素晴らしいリリースを続けている。フロスト自身は13年にコールドフィッシュ名義でリリースしたアルバム『The Orphans』がブレイク作となり、同じ年に本人名義のシングル「Metafora Of The Wolves」や、とりわけ「Swings Of Liberty」では作風もミニマルにジャズを取り入れるなど『Lena』への大いなる助走は早くから始まっていた(『The Orphans』は孤児という意味で、やはりチャウセスク政権下で軍事訓練を受けていた子どもたちのことなのかしらと思いながら、いまだにどうなのかわからない。険しい表情で何かを睨みつけている少年の表情が印象的なジャケット・デザイン)。

 父を題材にするといいながら『Lena』のコンセプトはかなり複雑である。ベースとなっているのはドストエフスキーの短編「おかしな人間の夢」で、自殺しようとしている男を彼の父に置き換えたという。男は夢を見る。そして、「真理を発見」して自殺はやめにするというストーリーで、実際には起きなかったことがシュールリアリスティックに展開されている。これを音楽に移し替えたとフロストは解説している。現実には父は自殺しているわけだから「起きなかったこと」とは、父が夢を見て啓示を得ることである。そのようにして父に生きていて欲しかったということかもしれないし、あくまでも弱さを認めなかった父の存在を否定しているとも考えられる。どちらの解釈であれエディプス・コンプレックスの克服を通り越して作者が「成熟」に至ったことは確かである。テクノに美学が持ち込まれることは頻繁にあったかもしれないけれど、ここまで文学趣味を作品に押し被せた作品は珍しい。うがった見方をすれば、父はソ連(現ロシア)で、連邦体制が崩れなかった場合の東欧がフロストたちルーマニアン・ミニマルとして投影されていると見なすことも可能だろう。ルーマニアン・ミニマルの異常なまでの暗さは「対象喪失」に由来し、それは計画経済が破綻したという「歴史」を受け入れるプロセスだというか(いつのまにか話がユング的になってしまった)。

 ここまで書いたことは忘れて虚心坦懐に『Lena』を聴いてみよう。ドラムン・ベースを簡素化したようなジャズ・ドラムとヴィラロボス流ミニマルの衝突。ハットとベースが絡みつき、ドラムでアクセントをつけた退屈ギリギリの2コード・ミニマルと獰猛なベース・ライン。不協和音を響かせるピアノのループと緊張感のあるホーンに無機質なダブと、フロストが醸し出す雰囲気にはいつも「余地」が確保され、それこそ息がつまるような交響曲の暗闇へと引きずりこむペトレ・インスピレスクとは対照的である。「このアルバムはクリシェに逆らい、単なる過去の再生産に抗っている」「最も大事なことは過去に学び、未来へ繋げていくこと」とフロストは力強く書き記し、ポップ・カルチャーにおける歴史意識を強調する。そう、できることなら彼にザ・ポップ・グループ『Y』のリミックス・アルバムをつくらせてみたい。

LIQUIDROOM - ele-king

 新型コロナウイルスの影響により、現在すべての公演を中止している恵比寿のリキッドルームが、ふたたび訪れるだろういつかの日を願い、「We will meet again」なるプロジェクトを始動させている。その第1弾として企画されたのが、電気グルーヴおよび坂本慎太郎とのコラボを含むTシャツのリリース。幾多のすばらしい夜を演出してきた同会場でふたたび笑いあえる日を夢見て、このプロジェクトをサポートしよう。

◆リキッドのライヴ・レポ一覧
2018年6月13日 Autechre
2018年1月17日 坂本慎太郎
2017年12月9日 DYGL
2016年8月24日 The Birthday × THA BLUE HERB
2013年9月24日 Disclosure / AlunaGeorge
2013年5月1日 Andy Stott
2012年7月25日 電気グルーヴ vs 神聖かまってちゃん
2012年3月25日 トクマルシューゴ
2012年1月24日 Washed Out
2011年9月30日 Alva Noto & Blixa Bargeld
2011年9月22日 Mathew Herbert
2010年12月22日 神聖かまってちゃん
2010年1月9日 七尾旅人
2009年12月30日 ゆらゆら帝国、Hair Stylistics、巨人ゆえにデカイ


電気グルーヴ、坂本慎太郎と LIQUIDROOM によるこの2020年を刻む T-shirts を受注販売!

現在、LIQUIDROOM は世界中の音楽施設と同様に、新型コロナ・ウィルス感染拡大防止の協力のため、全公演の自粛をよぎなくされています。LIQUIDROOM ではこの惨禍が過ぎ去った後に、ふたたびこの場所で最高の音楽をともにする日を願ってプロジェクト〈We will meet again〉をスタートします。まずは LIQUIDROOM とも縁が深く、幾度もの伝説的な夜を作り上げてきたアーティストとメッセージ入りTシャツをリリースします。フジロックの出演も発表され、復活の機運高まる電気グルーヴとの「NO LIQUID, NO DENKI」Tシャツ。そしてリキッドで予定されていたワンマンが延期となってしまった坂本慎太郎との「Let’s Dance Raw」Tシャツ。さらに LIQUIDROOM の「We will meet again」。本日正午より受注販売をスタート、詳しくは公式ウェブサイトにて。

受注販売期間:2020年5月1日(金)12:00 ~ 2020年5月31日(日)22:00
※商品は6月末頃に順次発送を予定しております。

販売種類:

LIQUIDROOM We will meet again T-shirts ¥3,500
LIQUIDROOM We will meet again T-shirts + LRロゴ缶バッチ(designed by 五木田智央)1個 ¥4,000
LIQUIDROOM We will meet again T-shirts + LRロゴ缶バッチ(designed by 五木田智央)2個 ¥4,500


LIQUIDROOM × 電気グルーヴ NO LIQUID,NO DENKI T-shirts ¥3,800
LIQUIDROOM × 電気グルーヴ NO LIQUID,NO DENKI T-shirts + LRロゴ缶バッチ(designed by 五木田智央)1個 ¥4,300
LIQUIDROOM × 電気グルーヴ NO LIQUID,NO DENKI T-shirts + LRロゴ缶バッチ(designed by 五木田智央)2個 ¥4,800


LIQUIDROOM × 坂本慎太郎 Let’s Dance Raw T-shirts ¥3,800
LIQUIDROOM × 坂本慎太郎 Let’s Dance Raw T-shirts + LRロゴ缶バッチ(designed by 五木田智央)1個 ¥4,300
LIQUIDROOM × 坂本慎太郎 Let’s Dance Raw T-shirts + LRロゴ缶バッチ(designed by 五木田智央)2個 ¥4,800

※LRロゴ缶バッチはリキッド公演時にバーカウンターにてドリンクと交換できます。

販売サイト:https://liquidroom.shop-pro.jp

問い合わせ先:LIQUIDROOM 03-5464-0800 https://www.liquidroom.net

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We will meet again
LIQUIDROOM 2020

音楽、そしてライブを愛するすべてのみなさまへ
-再会できる未来のために-

新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、世界中の人々が、いまだかつてない経験を強いられていることと思います。

これまでアーティストたちの表現の場として活用していただいた LIQUIDROOM も深刻な問題に直面し、出口の見えない日々に不安を感じています。

LIQUIDROOM は様々なカルチャーがひしめき合う新宿歌舞伎町でスタートし、恵比寿に移転して以来25年間、たくさんのアーティストの方々、ファンのみなさまと、かけがえのない瞬間・空間・時間を共有させていただきました。これはアーティストやそれを支えるスタッフ、そしてなにより音楽ファンのみなさまと作り上げてきた、一言では語り尽くせないたくさんの思いが込められた場所です。

本来、こんな不安定な状況であれば、LIQUIDROOM は音楽で、みなさまの不安な気持ちを率先して解消させたいところですが現状それもかないません。
しかし、今後、どんな険しい道が待ち受けているのか計りかねませんが、後ろは振り向かないことにいたしました。

すでに温かいお言葉やご支援の声をいただいく機会もありましたが、この惨禍が過ぎ去った後に、ふたたびこの場で最高の音楽とともに分かち合える瞬間を願い、今、みなさまのご協力をお願いしたいです。

アーティストの方々にもご協力をいただき、決して忘れられることができないであろう2020年をライブではなく言葉でTシャツに刻んでいただきました。

いつか笑って、あの時は……なんて話せる日を願って。

LIQUIDROOM

VirtuaRAW - ele-king

 これはすごい試みだ。沖縄のクルー「赤土」の呼びかけによる企画、50組以上の出演するオンライン・フェスティヴァルが5月3日から5月6日にかけて開催される。その名も「VirtuaRAW」。北海道から沖縄まで、全国15のクラブやライヴハウスが協働した取り組みで、合計40時間にもおよぶ配信を決行する。一度チケットを購入すれば、開催中いつでも閲覧可能とのこと。出演者などの詳細は下記を(すごいメンツです)。危機に瀕しているクラブやライヴハウス、アーティストたちによるすばらしい連帯、果敢なチャレンジを応援しよう。

VirtuaRAW (バーチャロー)
~ 40時間配信!音楽フェスティバル ~

日時:
2020/5/3 (日) 13:00 〜 5/6 (水) 5:00

視聴(チケット)料金:
[前売] ¥567- [当日] ¥1,000-

★チケット購入・イベント詳細はこちらから★
https://akazuchi.zaiko.io/_item/325705

北は北海道から南は沖縄まで、全国15会場のクラブやライブハウスが連動し、50組以上の豪華出演者を迎えて40時間に及ぶライブ配信を行います。

現在日本全国のクラブやライブハウスが自粛により存続の危機に直面している状況の中、それに直結するアーティストやクリエーターも窮地に追い込まれています。

また、音楽に関わらずさまざまな業種や人々が危機に直面している中でも創造的なモノを共有し、皆んなで協力してバトンを繋ぎ、家に居る時間はみんなで楽しんでほしい、という思いから「VirtuaRAW」と題して、オンライン音楽フェスティバルを3日間に渡って初開催いたします。

各地に居るアーティストが配信という形で集結する事が可能となり、視聴者もチケットを一度購入すれば開催中はいつでも閲覧可能となっています。

離れていても、きっと音楽やカルチャーを共感できる事を信じ、未知なる未来へのチャレンジへと一歩足を踏み出すため、今回の初開催にとどまらず、今後も開催していく予定です。

[会場一覧]

北海道旭川 / Club Brooklyn
東京 / Dommune
東京中野 / heavysick ZERO
東京町田 / FLAVA
神奈川江の島 / OPPA-LA
山梨 / 一宮町特殊対策本部
名古屋 / TRANSIT
京都 / OCTAVE KYOTO
大阪 / TRIANGLE
岡山 / 三宅商店
山口 / のむの
福岡 / Kieth Flack
沖縄 / output
沖縄 / 熱血社交場
石垣 / GRAND SLAM

[出演者 (A to Z)] ※追加出演者発表あり

■LIVE
赤土・伊東篤宏・孫GONG・鶴岡龍 a.k.a. LUVRAW・三宅洋平・B.I.G.JOE・BUPPON・Campanella・CHOUJI・cro-magnon・DAIA・DLiP RECORDS・electro charge・FUJIYAMA SOUND・HIDADDY・HIDENKA a.k.a. TENGOKUPLANWORLD・HI-JET・HI-KING TAKASE・I-VAN・ifax!・J-REXXX・K-BOMB・KOJOE・KOYANMUSIC & THE MICKEYROCK GALAXY・KURANAKA a.k.a.1945 feat. Daichi Yamamoto. Ume・LibeRty Doggs・MADJAG・MAHINA APPLE & MANTIS・MONO SAFARI・m-al・NORMANDIE GANG BAND・OBRIGARRD・OLIVE OIL & POPY OIL・OMSB & Hi`Spec・OZworld a.k.a. R`kuma・RICCHO・RITTO・RHIME手裏剣・SHINGO★西成・SMOKIN`IN THE BOYS ROOM・stillichimiya・Tha Jointz・U-DOU & PLATY・Zoologicalpeak

■DJ
光・BIG-K・Daichi・HI-C・K.DA.B・SINKICHI・SYUNSUKE・POWBOYZ・YASS fr POWER PLAYERZ・UCHIDA ・VELVET PASS ・4号棟

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主催:AKAZUCHI

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