「LV」と一致するもの

Tohji, Loota & Brodinski - ele-king

 驚きのコラボかもしれない。ここ数年注目を集めつづけるラッパーの2人、つい先日 “Love Sick” で共演したばかりの Tohji と Loota が本日、突如コラボ・アルバム『KUUGA』をリリースしている。
 プロデューサーを務めるのは、2007年の「Bad Runner」で注目を集め、昨年はロウ・ジャックとのコラボ12インチも送り出しているフランス出身・アトランタ拠点のプロデューサー、ブロディンスキ。その冷たくもリズミカルなトラックのうえを、加工された2人の音声が流れていきます。人気ラッパーたちの新たな展開に注目。

現代における「プログレッシヴ」とは何か?

ジャンル誕生から半世紀を経て、いまやオルタナティヴ/ポスト・ロック等あらゆる音楽性をも吸収し、かつてなく広大で多岐に渡る百花繚乱さを誇る現在のプログレッシヴ・ロック、そしてプログレッシヴ・メタル。

現代シーンに大きな影響を与えたスティーヴン・ウィルソン/PORCUPINE TREEや、DREAM THEATER、クラシックなプログの精神を継承し続けるTHE FLOWER KINGSやSPOCK‘S BEARD/ニール・モース、そしてMARILLIONからANATHEMAに至るまで、現代プログの全容を、2000年代以降の作品を中心とした500枚以上に及ぶディスクガイドとして包括的に紹介。

マイク・ポートノイ、スティーヴン・ウィルソンのほか、OPETHやDEVIN TOWNSENDの敏腕マネージャーとして知られるNorthern Music Co.社長アンディ・ファローといった、プログ界キーパーソンの独占インタビューも収録。

その他レビュー掲載アーティスト: BETWEEN THE BURIED AND ME、CIRCUS MAXIMUS、LEPROUS、HAKEN、THE MARS VOLTA、MESHUGGAH、TOOL、ULVER …and so on!

監修・ディスク選: 高橋祐希 with Prog Project(櫻井敬子/楯 弥生/井戸川和泉)

執筆陣(50音順): 井戸川淳一/大越よしはる/奥村裕司/川辺敬祐/渋谷一彦/鈴木喜之/清家咲乃/関口竜太/長坂理史/中島俊也/夏目進平/西廣智一/平野和祥/高橋祐希/櫻井敬子/楯 弥生/井戸川和泉

[目次]

Introduction
DREAM THEATER
 Interview: Mike Portnoy
 DREAM THEATER 解説: 高橋祐希
 Disc Review DREAM THEATERと関連作品
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Interview: ARCH ECHO
コラム: '80年代メタルに継承され変異を遂げたプログ・ロック独特の物語性と異端性 by 平野和祥
STEVEN WILSON
 Interview: Steven Wilson
 Steven Wilson 解説: 櫻井敬子
 Disc Review Steven Wilsonと関連作品
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コラム: トラヴィス・スミスのアートワークの世界 by 井戸川和泉
MARILLION
 MARILLION 解説: 高橋祐希
 Disc Review MARILLIONと関連作品
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Interview: THE OCEAN
THE FLOWER KINGS
 THE FLOWER KINGS 解説: 長坂理史
 Disc Review THE FLOWER KINGSと関連作品
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SPOCKʼS BEARD & NEAL MORSE
 SPOCKʼS BEARD 解説: 関口竜太
 Disc Review SPOCKʼS BEARDと関連作品
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コラム: 今だから語りたい世界のプログ・フェス by 渋谷一彦、楯 弥生、櫻井敬子、奥村裕司、高橋祐希
ANATHEMA
 ANATHEMA 解説: 井戸川淳一
 Disc Review ANATHEMAと関連作品
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Interview: Andy Farrow
掲載アーティストIndex

[監修者プロフィール]

高橋祐希
音楽ライター。『ヘドバン』『EURO-ROCK PRESS』誌でコラム連載中。AERIAL名義で即興ノイズ/アンビエント音楽も演奏。https://twitter.com/yuki_sixx

櫻井敬子
1999~2009年『EURO-ROCK PRESS』編集部に在籍後、3年間のデザイン留学のため渡英、現地のプログ・シーンを肌で感じて帰国。本書では主に企画・編集を担当。

楯 弥生
ライヴが生き甲斐で、何度も欧州遠征するうちに、いつか日本で『Be Prog!』のようなフェスを開催したいという野望を抱き始め、あれこれ画策中。本業はデジタルマーケター。

井戸川和泉
QUEENSRŸCHEの「Empire」のアートワークに衝撃を受け、デザイナーになることを決意したグラフィック・デザイナー。デヴィン・タウンゼンド教信者日本代表。

Prog Project Twitter
https://twitter.com/prog_project

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Mika Vainio - ele-king

 パンソニックはノイズ=音響を変えた。テクノや電子音楽とノイズを結びつけたのだ。ノイズとテクノの拡張でもあった。90年代末期はテクノイズ系、グリッチもしくは接触不良音楽などと呼ばれたが、それらの音響的な交錯の果てに現在の「エクスペリメンタル・ミュージック」があると私は考える。つまり10年代以降のエクスペリメンタル・ミュージックは、パンソニック、そしてアルヴァ・ノト、ピタ、ファマーズ・マニュアル、池田亮司などのグリッチ・電子音響派第一世代を継承しているのだ。
 たとえばノイズとエレクトロニック・ミュージックを交錯させて、10年代以降のエクスペリメンタル・ミュージックの立役者になったベルリンのレーベル〈PAN〉のような存在は、かつてパンソニックらグリッチ・電子音響派第一世代が切り開いた領域の延長線上にあると考えてみるとどうだろうか。
 じっさい、現行エクスペリメンタル・ミュージックの世界において「電子音響派第一世代」の影響は世代を超えて今なお健在に思える。だからこそパンソニックのひとりであるミカ・ヴァイニオが2017年に亡くなったとき、多くのアーティストやレーベルが深い哀しみと敬意と追悼の念を示したのだろう。そう今や「ミカ・ヴァイニオ」の名はエクスペリメンタル・ミュージックの世界において神話的ともいえる響きを放っている。じじつ彼の未発表音源は死後もなお多くリリースされた。

 2021年、故ミカ・ヴァイニオの「新作」アルバム『Last Live』がリリースされた。没後4年。今なお電子音響音楽の世界に多大な影響を与え続ける巨星の知られざる音源が聴ける。それだけでも僥倖といえる。
 同時にこの『Last Live』は没後にリリースされた『Lydspor One & Two』(2018)、『Psychopomp For Mika Tapio Vainio (M.T.V. 15.05.63 ~ 12.04.2017)』(2020)、Mika Vainio + Ryoji Ikeda + Alva Noto『 Live 2002』(2018)、Mika Vainio & Franck Vigroux『Ignis』(2018)、Joséphine Michel/Mika Vainio『The Heat Equation』(2019)、Charlemagne Palestine, Mika Vainio, Eric Thielemans『P V T』(2020)などいくつもの作品がリリースされているが、そのどれとも趣が違っている。まず共作でもないし、そしてアーカイヴ音源でもない。 このアルバムには2017年2月2日にスイスのジュネーブにある「Cave12」において披露されたミカ・ヴァイニオの最後のライヴ演奏が収録されているのだ。ミカは2017年4月12日に亡くなったので、まさに彼がこの世を去る直前の演奏の記録である。つまり亡くなる2カ月前のミカのサウンドを聴くことができるわけである。
 この事実をもって本作を彼の「遺作」ということは可能だろうか?元はライヴ演奏でもあるので、そう断言して良いのかは分からない面もある。はたしてミカが存命ならばこの演奏をリリースしたのだろうか。
 だがである。『Last Live』を虚心に聴いてみるとミカ・ヴァイニオが至った音響的な境地がはっきりと分かってくることも事実だ。まるで透明な電子音=ノイズが、それらを超えた新しい音響体に結晶していくようなノイズ・サウンドが展開されているのだ。この美しいノイズの奔流には本当にため息すら出てしまいそうなほどだ。
 死後にリリースされた音楽ののなかでも『Last Live』は群を抜いて素晴らしいサウンドを展開している。なぜか。ここには「2017年2月」における彼の現在進行形のサウンドが横溢しているからだ。逆にいえばこのアルバムが「ライヴ録音」である事実は、彼の音響=音楽=ノイズが、このような領域にまで至っていたことの証左になる。

 リリースは〈Edition Mego〉と〈Cave12〉だ。リリース・レーベルは2020年6月にミカとコラボレ-ターでもあったダンサーのシンディ・コラボレーションと本公演の音源を聴き、そのリリースの必要性を確信したという。残された音源を編集しアルバムに仕上げたのは、スティーブン・オマリーとカール・マイケル・ハウスヴォルフの二人の音響巨人だ。そして彼らが編集を行ったのはストックホルムの名門EMSスタジオ。しかもマスタリングを描けたのはベテランのデニス・ブラックハムなのである。まさに最良かつ最強の布陣で制作されたアルバムといえよう。私見では本作こそ〈Editions Mego〉からミカ・ヴァイニオへの「追悼」でないかと思ってしまった。そのリリースに足掛け4年の歳月が必要だったことに強く心を揺さぶられてしまう。いずれにせよ『Last Live』は、間違いなく特別なアルバムだ。

 アルバムは“Movement 1”から“Movement 4”まで全4トラックに分かれている。ノン・コンピュータでミニマムなモジュラー・シンセのシステムで演奏されたサウンドにはどこか崇高ともいえるノイズ・サウンドスケープが横溢していた。激しいノイズと細やかなミニマリズムが、どこか秘めやかな音響的持続の中で交錯し、まるで一筆書きの文字のように自然に、しかし大胆に変化を遂げているのだ。思わずパンソニックからソロまで含めて彼の最良の音響がここに結晶していると言いたくもなってくるほどである。
 まず“Movement 1”は無色透明な電子音がノイジーなサウンドへと変化していくさまが鳴らされる。繊細かつ大胆なサウンド・コントロールは「圧巻」のひとこと。続く“Movement 2”は細やかなリズムと持続音によるインダストリアルなサウンドで幕を開ける。それもすぐにノンビートのノイズへと変化し、やがて暴発するような強烈な電子音が炸裂する。
 アルバム後半の“Movement 3”と“Movement 4”では電子ノイズ・サウンドが断続的に接続し安易な反復を拒むようなノイズの奔流が生まれている。特に“Movement 4”の終わり近くに放たれる咆哮のようなノイズには、どこか徹底的な孤独さを感じもした。
 これら4トラックを聴くと強烈なノイズ、リズム/ビートと静謐な持続音が交錯する構成になっていたことに気が付くだろう。持続と接続の断片的なコンポジションは、まさにミカ・ヴァイニオのサウンドだ。同時にかつての彼のソロ作品と比べて非反復的な断片性が希薄になり(特に前半2曲にその傾向がある)、永遠に続くかのような持続性が増していた。そのせいかどこかミカのもうひとつの名義「Ø」と共通するような「静謐さの気配」をサウンドの隅々から感じ取れたのだ。本作で展開されるノイズ/サウンドは孤独と隣り合わせの音響のように鳴っているのである。Øの透明かつ静謐な音響と同じく、たったひとりでフィンランドの満天の星空を見上げるような感覚があるとでもいうべきか。

 2017年2月の段階でミカ・ヴァイニオの音響は、そのような境地へと至っていた。孤独の、孤高の、個のノイズ音響。その生成と炸裂と消失は、まるで星空のノイズのようである。私は『Last Live』とØ『Konstellaatio』をこれからもずっと聴き続けるだろう。不安定と永遠。持続と断片。永遠と有限。音響と瞬き。ここには電子音響音楽の過去と未来が内包されている。私にはそう思えてならないのだ。

Peel Dream Magazine - ele-king

 ニューヨークを拠点とするシューゲイズ/ドリーム・ポップ・バンドのピール・ドリーム・マガジンが2020年にリリースしたセカンド・アルバム『Agitprop Alterma』は、この時代のモダン・シューゲイズ・バンドらしく、ステレオラブなどの90年代的なインディ・ロック・サウンドを基底に、クラウトロックから60年代中期的なサイケデリック・ロックまでを臆することなく展開した見事なアルバムだった。リリースが米国インディ・レーベルの名門〈Slumberland Records〉ということも興味深い。

 ピール・ドリーム・マガジンは、ジョー・スティーヴンスのプロジェクトとしてスタートし、2018年にファースト・アルバム『Modern Meta Physic』を〈Slumberland Records〉からリリースした。この時点ですでにヴェルヴェッツ・チルドレン的な90年代リヴァイヴァルとでもいうべきインディ・ロックなのだが、そこには「60年代のリヴァイヴァルである90年代のインディ・ロックを10年代後半視点で再構成する」というような捻じれた感覚(つまりアルバム名にあるようなメタ)がある。おそらくいまの時代に90年代インディへの憧憬を示すということに批評性があるのではないか。
 それから2年を経てリリースされたセカンド・アルバムが『Agitprop Alterna』だ。ファーストの『Modern Meta Physic』ではジョー・スティーブンスの個人プロジェクトだったピール・ドリーム・マガジンだが、『Agitprop Alterna』ではよりバンド的な佇まいへと変化した。つまり参加したミュージシャンの存在感が重要になっているのである(メンバーの集合写真だったアーティスト写真にも表れている)。特にヴォーカルの Jo-Anne Hyun はツイン・ヴォーカルの重要な要である。彼女の声が重なることであのステレオラブを思わせるアンサンブルが生まれているのだから。さらにドラムスのブライアン・アルヴァレス(Brian Alvarez)とケリー・ウィンリック(Kelly Winrich)も、ときにクラウトロック的な曲も展開するピール・ドリーム・マガジンにおいて、その柱ともいえる重要なビートを鳴らしている。とうぜんジョー・スティーヴンスも、ギター、ヴォーカル、オルガン、ドラムマシンと曲・サウンド作りの中心として活躍だ。
 そんな新生ピール・ドリーム・マガジンが放つ『Agitprop Alterna』だが、なかでも1曲目 “Pill”、3曲目 “It's My Body”、9曲目 “The Bertolt Brecht Society”、11曲目 “Do It” などは格別の名曲だ。ツイン・ヴォーカルの妙、アナログ・シンセの音色、オルガン的な音色のドローン・バッキング、60年代サイケ・ロック的なサウンドなど『Emperor Tomato Ketchup』期のステレオラブやオリヴィア・トレマー・コントロールなどの90年代中期の米国インディ・レーベル〈エレファント6〉勢を思わせるエクスペリメンタル・ポップなバンド・サウンドを存分に展開していたのだ。

 そして『Agitprop Alterna』後にリリースされた「Moral Panics」にはさらに驚かされた。「Moral Panics」は2曲を追加したヴァイナル・エディションが2021年にリリースされているので、まさに今年の新譜でもある。
 「Moral Panics」は、特に1曲目 “New Culture” に打ち抜かれてしまった。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの “You Made Me Realise ”、もしくは『Isn't Anything』を思わせるシンプルにしてソリッド、かつ浮遊感のあるシューゲイズ的なサウンドなのだ。もしくはロケットシップが1996年にリリースした『A Certain Smile, A Certain Sadness』収録の “I Love You Like The Way That I Used To Do” が2020年初頭に転生したらこうなるのではないかと思わせるタイニー・シューゲイズ・サウンドだったとでもいうべきか。つまりこの曲には初期マイブラへのオマージュとして90年代のロケットシップ、00年代のザ・ペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハートを継承する意志を感じてしまったのだ。むろん『A Certain Smile, A Certain Sadness』も『The Pains Of Being Pure At Heart』も、〈Slumberland Records〉からリリースされたアルバムなので、90年代以降のインディ・ロックの系譜を強く感じてしまうのは当然だろう。
 続く2曲目 “Verfremdungseffekt” はミニマル・シンプルな曲と演奏はどこかヴァセリンズを思わせる。そして3曲目 “Dialectrics” に至ってはジャングリーなステレオラブかといった趣の曲調で堪らない。ヴェルヴェッツ・チルドレン的な曲・演奏に90年代インディ・ロックへの憧憬すら感じる5曲目 “Life at the Movies” もいうまでもなく最高だ。さらにはコーネリアスの “Tone Twilight Zone” や “Blazil” をほんの少しだけ思わせる7曲目 “The Furthest Nearby Place” もチル&アンビエントなモンド・トラックで実に心地よい。

 サウンドの「凝り方」としてはアルバム『Agitprop Alterna』は実に作り込まれている。まさにモダン・インディな音だ。対して『Moral Panics』はサウンドや演奏の「風通しの良さ」「自由さ」「曲のよさ」という意味で群を抜いた魅力を放っている。また80年代~90年代以降のインディ・ロックとの継承を意識しているようにも思えた。要するに二作ともに2020年から2021年のインディペンデントなロック/ポップのありようを実にヴィヴィッドに聴かせてくれるアルバムなのだ。
 つまり二作、甲乙つけがたい。2021年には二作をまとめたデラックス・エディションも配信されている。まさに必聴の作品である。

Loota - ele-king

 2015年。韓国のラッパー、キース・エイプの “It G Ma” にフィーチャーされ、翌年にはフランク・オーシャン『Blonde』に参加、近年は Tohji とのコラボもおこなうなど、着々とその存在を知らしめてきた埼玉出身のラッパー Loota が2年ぶりの新作シングル「Sheep / Melting Ice」を発表している。耳に残るフロウとパリのプロデューサー、サム・ティバによるトラックとが描き出す、寂しげな風景に注目だ。

Loota による2年ぶりの新譜「Sheep / Melting Ice」がリリース。プロデュースは Sam Tiba、MVは Mall Boyz の Yaona Sui が担当。

盟友 KOHH らと参加した “It G Ma” で世界に轟かせ、Frank Ocean 『Blonde』の制作に参加するなどグローバルな活躍で注目され続けているラッパー、Loota。近年では Sebastian、Surkin といったヨーロッパ圏のプロデューサーとの協業や、Tohji ら若手アーティストとのコラボレーションなど、さらにその活動の幅を広げ続けている。

本作は、2019年2月に 2nd album 『Gradation』のリリースから2年ぶりとなるスプリット・シングル。プロデューサーとして両曲に Sam Tiba を起用し、独自のフローと内省的なリリックが冬に合う印象的なリリースとなった。

リリースと共に公開される “Melting Ice” MVは Mall Boyz の Yaona Sui が、アートワークはスイスのデザインチーム ARMES を率いる Philippe Cuendet が担当しており、曲の持つ寂しさや肌寒い情景を見事にビジュアルに落とし込んでいる。

これまでも静かに、しかし確かな作品を発表し続けてきた Loota。国境と世代を超えたそのクリエイティビティが遺憾無く発揮されている今作を、耳や目の肥えたリスナーは是非一度聞いてみて欲しい。

“Melting Ice” MV
https://youtu.be/epI4kW8e6kI

各種配信サービスにてリリース
https://linkco.re/gBQUfc0A

◆商品情報
アーティスト:Loota
タイトル:Sheep / Melting Ice
リリース日:2021年1月29日

◆About Loota

Loota

盟友 KOHH らと参加した “It G Ma” で世界に轟かせ、Frank Ocean 『Blonde』の制作に参加するなどグローバルな活躍で注目され続けているラッパー。

近年では Sebastian、Surkin といったヨーロッパ圏のプロデューサーとの協業や、Tohji ら若手アーティストとのコラボレーションなど、さらにその活動の幅を広げ続けている。

Instagram:https://www.instagram.com/supadupaloo/
Twitter:https://twitter.com/_Loota_
Youtube:https://www.youtube.com/channel/UCv5ca0LVoMsLSs1MQjJEb_A

レコードは死なず - ele-king

アナログ盤はメディアではない、人生そのものである!

若き日パンクに心酔した僕は
いまでは妻子あり貯金無し、四〇代半ばのフリーランサー、
はたして自分の人生、これで良かったのか!?
僕の常軌を逸した究極のレコード探しがはじまった

嘘のような本当にあった話、
“『ハイフィデリティ』の実話版” と評されたベストセラー!!

序文:ジェフ・トゥイーデイ(ウィルコ)
装画:よしもとよしとも

四十五才の子持ち男の “僕” は、大手の雑誌で著名人とのインタビューなどもこなしているが、収入はまるっきり不安定。
毎月綱渡りしながら妻と交代で愛息の面倒をみる日々だ。
何を失くし、どうやってここまできたのかもすでによくわからなくなっている。
ところが取材相手のクエストラヴから、今まで買ったレコード盤は全部大事に持っていると聞かされて、いてもたってもたまらなくなった。
そんなもの、自分はとっくに売り払ってしまっていたからだ。
そしてカーラジオから流れ出した、その日二度目の「リヴィング・オン・ア・プレイヤー」が心のどこかに火をつけた。取り戻さなくちゃ。
何を? 何のために?
それすらも定かではないままに、僕のいわば “アナログ盤クエスト” が幕を開けた──。

●出てくるアーティストの一例
ハスカー・デュ、リプレイスメンツ、キッス、ニューヨーク・ドールズ、シュガーヒル・ギャング、ピクシーズ、ローリング・ストーンズ、ボン・ジョヴィ、ザ・キュアー、ジョイ・ディヴィジョン、ビリー・ジョエル、イギー・ポップ、ザ・スミス、デッド・ケネディーズ、ニルヴァーナ、ソニック・ユース、アニマル・コレクティヴにディアハンターまで、膨大なロック系

●著者について
エリック・スピッツネイゲル(Eric Spitznagel)
シカゴ在住。『エスクワイア』『ローリング・ストーン』『ニューヨーク・タイムス』『ビルボード』などに寄稿する売れっ子ライター。著書はすでに6冊あり、そのうちの1冊はドイツでも翻訳されているが、2016年に出版された本書がもっとも有名。

目次

本書の巻頭に置かれたこの文章が、そこまでまるっきりイカれている訳でもない、その説明とでもいったほうがよさそうな序文的何か(ジェフ・トゥイーデイ)

はじめに

One
Two
Three
Four
Five
Six
Seven
Eight
Nine
Ten
Eleven
Twelve

謝辞

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Outro Tempo II - ele-king

 テクノ、アンビエントなど80年代の埋もれたブラジル音楽に光を当てた〈Music From Memory〉の良コンピ『Outro Tempo: Electronic And Contemporary Music From Brazil 1978-1992』が出たのは2017年。2年後の2019年には続編『1984-1996』もリリースされているが、そのヴァイナルがヒットしたようで、このたびCD化されることになった。めでたい。
 今回もまた、電子音やパーカッションなどを駆使したじつに多種多様な音楽が収録されているのだが、前作が熱帯雨林の奥地だとしたら、第二弾のほうは都市(サンパウロ)だ。MPBが吸引力を失った時代に、インディペンデントで新たな時代を切り拓こうとした音楽家たちの試行錯誤の記録──たとえば、ジョン・ゴメスの解説によれば、ベベウ・ジルベルト『Tanto Tempo』のプロデュースで知られるスバが参加したエヂソン・ナターリの “Nina Maika” は、ボスニア民謡を取り入れることで新たな価値観を呈示した、象徴的な曲なのだという。そういった歴史や文化的背景を知ることができるライナーノーツの翻訳が読めることも、本盤の長所だろう。
 ヴァイナルには未収録の2曲も追加されているので、アナログ盤をお持ちの方も要チェックです。

ミュージック・フロム・メモリーのヒット企画『Outro Tempo』の続編

ベッドルーム、ダンスフロアやアンビエントなどをまたいだ10年代以降の新たな流れ、そのリイシュー側における先駆者であったミュージック・フロム・メモリーの大ヒット企画『Outro Tempo』の第2弾が待望のCD化。
電子音楽、ジャズ、ニューウェイヴにブラジルのローカル・モード。今回もまたいい具合に多くの要素が入り混じった稀有なミクスチャ・サウンドのオンパレード。脱帽です。

V.A.
Outro Tempo II
- Electronic And Contemporary Music From Brazil 1984-1996

Music From Memory
RTMCD-1454
2,500円
CD2枚組
12月10日発売
輸入盤国内仕様(帯・英文解説対訳付)

CD1
01 MAY EAST – MARAKA
02 DEQUINHA E ZABA – PREPOSIÇÕES
03 OHARASKA – A FÁBULA
04 FAUSTO FAWCETT – SHOPPING DE VOODOOS
05 R. H. JACKSON – O GATO DE SCHRÖDINGER
06 EDSON NATALE – NINA MAIKA
07 AKIRA S – TOKEI
08 LOW KEY HACKERS – EMOTIONLESS
09 BRUHAHÁ BABÉLICO – BRUHAHÁ II *** bonus track
10 CHANCE – SAMBA DO MORRO
11 JORGE DEGAS & MARCELO SALAZAR – ILHA GRANDE

CD2
01 PRISCILLA ERMEL – AMERICUA
02 VOLUNTÁRIOS DA PÁTRIA – MARCHA
03 ANGEL’S BREATH – VELVET
04 FAUSTO FAWCETT – IMPÉRIO DOS SENTIDOS
05 INDIVIDUAL INDUSTRY – EYES *** bonus track
06 CHANCE – INTRO-AMAZÔNIA
07 TETÊ ESPÍNDOLA – QUERO-QUERO
08 NELSON ANGELO – HARMONÍA DE ÁGUA
09 JORGE MELLO – A NATUREZA REZA
10 JÚLIO PIMENTEL – GERSAL
11 TIÃO NETO – CARROUSEL

R.I.P. Sylvain Sylvain - ele-king

 偉大なるパンクの先駆者、ニューヨーク・ドールズのギタリストとして知られるシルヴェイン・シルヴェインが2年以上におよぶ癌との闘病の末に亡くなった。

 本名はロナルド・ミズラヒ。1951年にカイロで生まれたシリア系ユダヤ人で、1956年のスエズ動乱の際に家族でフランスを経てアメリカに渡り、ニューヨークのクイーンズに落ち着く。渡米して最初におぼえた英語は「ファック・ユー」だったという。
 ドールズのオリジナル・ドラマーだったビリー・マーシアはコロンビアからの移民で、シルヴェインとは近所に住む幼馴染だった。ふたりはやがて服飾関係の仕事に進み、その経験がのちのドールズの斬新な衣装に活かされる。

 ジョニー・サンダースをフロントに据えたバンド、アクトレスにビリーとともに参加。ここにデヴィッド・ヨハンセンが加わりニューヨーク・ドールズのラインナップが完成する。マーサー・アーツ・センターという複合施設で定期的にライヴをおこなうようになったドールズは、ド派手な衣装とハイヒール・ブーツにギラギラのメイクという姿でシンプルなロックンロールを演奏するステージが評判を呼び、70年代初頭のニューヨークにおけるもっともホットなバンドとなっていく。アンディ・ウォーホール周辺をはじめとする当時のヒップな面々が集ったという。グラム前夜のデヴィッド・ボウイもしばしば訪れている(ヨハンセンに「その髪型、誰にやってもらったの?」と尋ねたそうだ)。
 ビリーの死後にドールズのドラマーとなるジェリー・ノーランは、初めてドールズを観たときの衝撃を「すげえ! こいつら、他に誰もやってないことをやってる。三分間ソングが戻ってきた!」と表現している。「当時といったら、ドラム・ソロ十分、ギター・ソロ二十分って時代だったから。一曲だけでアルバム片面終わっちゃったりね。そういうのには、もううんざりしてた」(『
プリーズ・キル・ミー』より)。まさにパンクだったのだ。ドールズがロックに取り戻したのは、シャングリラスに代表されるガール・グループのポップスとロックンロール、すなわち五十年代だった。

 デヴィッド・ヨハンセンとジョニー・サンダースという強烈なスターをフロントに擁するドールズだが、ソングライティング面におけるシルヴェインの貢献も見逃せない。デビュー作『ニューヨーク・ドールズ』収録曲の中でも速い “フランケンシュタイン” やエディ・コクランのギター・リフを取り入れた “トラッシュ” はシルヴェインとヨハンセンのペンによるものだし、ソロ・アルバム『シルヴェイン・シルヴェイン』に収録された “ティーンネイジ・ニュース” はパワーポップの名曲として知られている。

 マネージャーとなったマルコム・マクラーレンとの関係悪化などもあり、ジョニーとジェリーはバンドを脱退。シルヴェインとヨハンセンはバンドを続け、75年には内田裕也の招聘で来日もしているが、ロンドンでのパンクの勃興を横目に間もなく解散する。シルヴェインはソロやティアドロップス、クリミナルズといったバンドで80年代に数枚の作品を発表しており、『シルヴェイン・シルヴェイン』をはじめ佳作も多いのだが残念ながら大きな成功を収めるには至らなかった。

 90年代にはジョニー・サンダースとジェリー・ノーランが続けざまに亡くなるが、2004年にまさかのドールズ再結成。きっかけは英国におけるファンクラブ会長だったモリッシーの熱いリクエストによるものである。このときの様子はベースのアーサー・ケインをフィーチャーしたドキュメンタリー映画『ニューヨーク・ドール』に記録されている。ミュージシャンを引退し、図書館員として働いていたアーサーがスタジオを訪れると、そこではまさにシルヴェインがリハーサルを仕切っていた。
 復活ライヴの直後に今度はアーサーも亡くなるがバンドは活動を継続し、再結成後に3枚のアルバムを残している。特に最後のアルバムとなった『ダンシング・バックワード・イン・ハイヒールズ』(2011)は、ヨハンセンのソロ作品でのスウィング・ジャズやキャバレー音楽の雰囲気を取り入れた異色の傑作だった。

 筆者はシルヴェインのステージを3回観ている。最初は2008年、スペインのフェスでのニューヨーク・ドールズ。2回目は2016年のソロ来日。そして最後は2018年、「ザ・ドールズ」という名義でニューヨーク・ドールズの曲を中心に演奏するというものだった。
 3回とも、陽気でチャーミングな姿が印象に残っている。特にオリジナルメンバーがふたりだけとなったニューヨーク・ドールズは、カリスマ性の強いヨハンセンと盛り上げ上手なシルヴェインが好対照だった。


2018年の来日公演(写真:大久保潤)

 最後の来日の際には、『プリーズ・キル・ミー』(2007年に出た邦訳)を持参して終演後に見せたところ、にこやかに「これは素晴らしい本だよね」と言いながらサインをしてくれた。2020年に念願の復刊を果たした本書をもう一度見せたかったのだが、それももう叶わなくなってしまった。

Mary Halvorson's Code Girl - ele-king

 2021年があけました、めでたい。ここはひとつ、装いもあらたに読者諸兄姉のおひきたてを願いたてまつるところなれど、年があらたまればなにもかもきれいさっぱり片づくとはいかないものらしい。旧年に突いた除夜の鐘の音が新年にひびきわたるように、三山ひろしのけん玉が歌の尺内におさまらないように、七輪にかけた餅がディジー・ガレスピーのほっぺたばりに膨らむように、事物と事象とを問わず、対象が予想の枠組みを越えるとき世界はざわめき、時間や空間、あるいは主体の連続性をあぶりだす──年初から胡乱なものいいで恐縮だが、新型コロナウイルス第三波にともなう緊急事態宣言という昨年からの重たいつみのこしを前に、暮れに脱稿するはずの原稿をしたためる私にとって正月とはなんだったのか。途方に暮れわれ知らず「去年今年(こぞことし) 貫く棒の 如きもの」(虚子)の句をつぶやく私の面前のスピーカーから Line6 でピッチベンドしたギターの音色があたかも棒のごときもので押し出される心太(ところてん)のようににゅるりとはみだしてくる。
 音源の主はコード・ガールを名乗るジャズ集団。かけているのは昨年暮れの新作『Artlessly Falling』である。グループをひきいるメアリー・ハルヴォーソンはウェズリアン大でアンソニー・ブラクストンの薫陶を受け、2000年代初頭に活動をはじめるやいなやニューヨークをハブにしたアヴァンギャルドなジャズの界隈で頭角をあらわしだした米国の女性ギタリストである。これまでトリオ編成による2008年の『Dragon's Head』を皮切りにすでに十指におよぶリーダー作をものしているが、ギター+ベース+ドラムのコンボを基本ユニットにときに七、八重奏団までふくらんだ編成をきりまわし、師匠格のブラクストンはもとよりエリオット・シャープ、マーク・リボー、ノエル・アクショテやジョン・ゾーンといった錚々たる面々と協働し、作曲と即興をよくする彼女をさして現代ジャズ界のキーパーソンと呼ぶことに異論のある方はおられまい。とはいえ上のような説明には難解さやとっつきにくさを感じられる方もおられるかもしれない。ジャズなる分野の性格上、うるさ型のリスナーを納得させないわけにもいかないが、同好の士の想定内にとどまっては元も子もない。彼女がそのように考えたかはさておき、2010年代後半ジャズの岸辺を洗った潮流もあいまって、ハルヴォーソンは新たな領野にむけて漕ぎ出していく、その最初の成果こそ2018年の『Code Girl』であり、この2枚組のレコードは彼女初の歌入りの作品でもあった、その詳細と私の所感は2018年の「別冊ele-king」のジャズ特集号をあたられたいが、その2年後にあたる2020年秋にハルヴォーソンはその続編ともいえる作品を世に問うた。
 それこそがこの『Artlessly Falling』である。まずもって目につく変化は前作の表題だった「Code Girl」を明確にプロジェクト名に格上げしたところか。それによりギター・トリオに1管(トランペット)とヴォーカルを加えた編成にも意味的な比重と持続性が生まれた。ただしメンバーには異同がある。同じく昨年に〈ブルーノート〉からリーダー作を出したアンブローズ・アキンムシーレに変わりアダム・オファーリルが加わっている。ヴィジェイ・アイヤーのグループで名をあげたこのトランペット奏者は冒頭の “Lemon Tree” で、霊妙なコーラスとギターのアルペジオ、抑制的なベースにつづき、マリアッチ風のフレーズを奏で、本作への期待を高めるが、オファーリルのトランペットが鳴り止むやいなや、リスナーはハルヴォーソンが『Artlessly Falling』に仕込んだサプライズに出合うことになる。切々とした管の吹奏にもまして哀切な声がながれはじめる。レギュラーの女性ヴォーカリスト、アミーサ・キダンビともとりちがえようのないささやくような男声、やわらかく耳朶を撃つこの声の主こそ、だれあろう『Artlessly Falling』を基礎づけるロバート・ワイアットである。
 楽曲にふれたことのない方でも名前はご存じかもしれない。プログレッシヴな音楽の道においてワイアットの名は道標である。道祖神のようなものといってもいい。その一方で、その道もなかばをすぎた古株たちからは彼はすでに引退したのではないかとの声が聞こえてきそうである。じっさい2014年の「Uncut」誌で音楽制作の停止(stopping)は明言しているが、停止は引退(retire)ともニュアンスが異なるようである。たしかにその後も参加作をちらほらみかけた気もする。あの声と存在感はなかなか放っておけないのだろう、とはいえ本作への参加もつけ焼き刃ではない。2018年の前作リリースのさい英国の「Wire」誌によせた、歌ものアルバムをつくるにあたっての参照楽曲のプレイリストの冒頭にハルヴォーソンは『Rock Bottom』(1974年)冒頭の “Sea Song” をあげている。今回の参加はハルヴォーソンのラブコールにワイアットが応えた構図だが、ワイアットが彼の音楽をとおして彼女にあたえた示唆とはなんだったのか。
 “Sea Song” を例にとれば、点描的な歌と和声にたいしてポルタメント的なキーボードやコーラスとの位置関係、その総体がかもす持続と移行が私にはコード・ガールないしハルヴォーソンの音楽性を彷彿させる。むろんこれは基調の部分要素にすぎず、そのほかにも作曲の書法や各楽器の音色と合奏の強度、即興の質、歌ということをふまえると歌詞の中身まで、論点は多岐にわかれるが、そのぶん多角的な方向性をとりうるともいえる。もはや形式としてのジャズも埒外なのかもしれないが、しかし今日のジャズとはそのようなものなのだろう。細田成嗣氏の『Code Girl』のレヴューのくりかえしになってしまうが、ここ(https://www.thewire.co.uk/audio/tracks/wire-playlist-mary-halvorson)に選曲があるので興味のある方はご覧いただくと楽しいが、リストを眺めて最初に思うのは1980年生まれのハルヴォーソンらの世代にはジャズもロックもソウルも実験音楽もひとしなみに等価だったという、ありきたりな世代論である。とはいえそれらの参照項が加算的、単線的な働き方をするのではなく面的、領域的な現れ方なのもまた、音楽の内的な蓄積を体験とみるか遍歴と捉えるかという世代論を背景にした認識論に漸近するきらいがある。本稿の主旨をそれるので深追いはしないが、ハルヴォーソンにはネタバレ上等どころか、リスナーとリソースを共有して生まれる聴き方の変化に期待をかけるかまえがある。そしてじっさいコード・ガールの楽曲やハルヴォーソンのギター演奏にこれらの楽曲からの影響を聴きとるのはさほどむずかしいことではない。とはいえそれは下敷きにするというより、掠めるというか寄り道するというか迂回するというか、原典や系譜とのこの微妙な距離こそハルヴォーソンの旨味であろうと私は思う。
 とりわけ歌という回路をもつコード・ガールは彼女の活動でももっとも制約のすくない形態であり、デビュー作である『Code Girl』ではそこに潜在するものをできるかぎり浚おうとしていた。2年後の『Artlessly Falling』もその延長線上だが、歌の比重は前作に積み増したかにみえる。先述の幕開け以外にも3曲目と5曲目でリード・ヴォーカルをとるワイアットの印象もあろうが、小節線を跨ぐハルヴォーソンの軟体めいたギターのごとく、前作の経験をもちこんだことで楽曲の意図と輪郭も明確になった。話題性はワイアットの参加曲に譲るにせよ、“Muzzling Unwashed” や “Mexican War Streets (Pittsburgh)” の後半3曲といったキダンビの歌う曲での充実ぶりも聴き逃せない。
 コード・ガールの人的構成をあえて図式化するなら、ハルヴォーソン、トマス・フジワラのリズム・セクションとキダンビ、オファーリルのフロントにわかれるといえる。ハルヴォーソンはその緩衝地帯の役割を担うといえばよいだろか。バッキングでリズムの影に隠れたかと思えば、アンサンブルにちょっかいをかけ轟音を響かせる。プレイスタイルからはフリゼール、リボー、シャープ、アクショテなどの特異さもトラッドな教養もふまえていることもわかるが、強度だのみの闇雲さやテクニック信奉からくる変態性もない。どこか恬淡とした佇まいは転落事故で下半身不随になったワイアットの復帰後初のアルバムである1974年の『Rock Bottom』の収録曲を霊感源とみなすハルヴォーソンらしい感覚といえるだろうか。「どん底(Rock Bottom)」と名づけたあのアルバムでワイアットは私たちのよく知るワイアットになった。その幕開けの “Sea Song” のエーテルめいた肌ざわりがコード・ガールに通じるのは先に述べたとおりだが、ロックにかぎらず、ジャズや民俗音楽の要素を室内楽的な空間性におとしこむ、ワイアットの方法そのものに彼女たちは親和的だった。パンクとジャズとレゲエが同じカマのメシを食ったワイアットがいたころの〈ラフ・トレード〉みたく、ここでいう方法とは多義性、多様性の謂だが、90年代以降の記号的折衷とは核心においてすれちがう。ことば遊びを承知でいえば、越境的(across the border)というより学際的(Interdisciplinary)、ジャズやロックやソウルやフォークの意匠をシャッフルした上澄みを掬うのでなく、おのおのの領野から自律しつつ、全体を貫く、いわば棒のような一貫性をたくらみながら心太のようにふるまうということではないか。
 ほとんど不条理めいたあり方だが、それらはすでに、規則、符号、暗号、和声など意味をもつコード(code)の語を掲げつつ、規範との奇妙な距離を保つ、彼女らの音楽にあらわれていた。2年ぶりの2作目でその度合いは亢進する一方だが、たやすく気どらせない密やかさも帯びている。この密やかさはハルヴォーソンの言語感覚にも通底し、表題は日本語では「巧まざる落下」とでもなるのだろうが、原題の「Art- less-ly Falling」を深読みすればいくつかの単語がうかびあがってくる。音楽において言語を感傷的に作用させたくなければ共感的、補完的な役割を押しつけてはならない──コード・ガールは音楽と同程度に入り組んだハルヴォーソンの言語感覚を堪能できるおそらく唯一の場でもある。だって “Artlessly Falling” のこざっぱりした韜晦と諧謔なんて “Rock Bottom” とタメをはるもんね。

William Basinski - ele-king

 ウィリアム・バシンスキーの新作『Lamentations』がリリースされた。本作『Lamentations』はアンビエント作家として充実したキャリアを誇る彼にとっての集大成的なアルバムであり、ここ数年のバシンスキーの音楽的変化が結実した作品でもある。「彼の音楽を聴いたことがない」というリスナーの方にも躊躇なく最初におすすめできるアルバムともいえる。

 バシンスキーについてはもはや説明する必要はないだろう。現在LAを拠点に活動を展開するバシンスキーは、この20年ほどのあいだ壊れたテープ・ループや掠れた音色のサウンドによるアンビエントをコンスタントにリリースし続けてきたアンビエント音楽家である。なかでも2001年の9月11日、「あの日」、倒壊し黒煙を上げるワールドトレードセンターの映像に自身のアンビエント・サウンドを重ねた映像作品と、その音源作品である『Disintegration Loop 1.1』(2004)は、バシンスキーのことを語るときよく取り上げられるので、ひとまずは「代表作」といえよう。

 しかし自分は、ここ数年の彼のサウンドの変化を重要と考えている。具体的にはデイヴィッド・ボウイへのレクイエムでもあった2017年リリースの『A Shadow In Time』、ローレンス・イングリッシュとの共作である2018年リリースの『Selva Oscura』、インスタレーション作品の音源でもある2019年リリースの『On Time Out Of Time』以降(どれも〈Temporary Residence Limited〉からのリリース)、そのサウンドはロマンティックな音楽性が表面化し、さらに幽玄な音響空間に変化していたのだ。それらのサウンドはどこか「死」や「喪失」の時間をも表現しているように感じられた。『A Shadow In Time』がボウイへの追悼であることは象徴的だ。
 この「変化」は10年代後半以降の不穏な世界/社会情勢を(無意識に?)反映したものかもしれないし、もっと単純に彼自身が自身の死をより具体的なものとして意識する年齢にさしかかったからともいえるかもしれない。いずれにせよ彼の音楽は、どこか物語的になり演劇的になった。じじつ本作『Lamentations』には、マリーナ・アブラモヴィッチによるロバート・ウィルソン(!)の舞台作品のための音楽(“O, My Daughter, O, My Sorrow”)もふくまれているのだ。
 くわえてアルバム全体が12曲にわかれていること、曲名がかつてのように記号的なものではなく、“Paradise Lost”、“Silent Spring”、“Fin” などの言葉になっていたことも「物語性」を感じさせてくれた要因かもしれない。いずれにせよ本作には近作にあった「死」「喪失」のイメージがより具体的なサウンドとして感じられるようになったのである。

 おそらくはコロナ禍の状況が、そういったアルバム・コンセプトや音楽性に強く作用したことは容易に想像できる(“Silent Spring”などその象徴か)。どの曲も不安定なループと音響の持続をレイヤーし、聴いている者の立っている地盤を揺るがせるような不穏な音楽を展開している。
 楽曲的にはシェーンベルクの “清められた夜(Transfigured Night)” を思わせる曲名の “Transfiguration” からも連想できるように、どこか現代音楽的にも感じた。ロマンティックな響きに無調の香水を落としたような響きは不穏にして美麗である。
 クラシカルな要素はオペラ的な歌唱のサンプルを用いた “All These Too, I, I Love” などからも聴きとることができる。“O, My Daughter, O, My Sorrow” にはバルカンの古い歌がもちいられているようだ。そのような「声」のサンプルを人間=もしくは死者の声のように捉えると、『Lamentations』というアルバムは、その名のとおり死への「哀歌」のような作品ということになってくるのではないか。

 私はこの「哀歌」の感覚こそが2020年(以降)の世界のムードをあらわしているように感じられた。「9.11以降の世界の崩壊」を「黄昏」のようなアンビエントで表現したバシンスキーは、「2020年以降(コロナ以降)の世界の崩壊=不穏=死」をロマンティックかつ不穏な音楽・音響で「哀歌」として表現したのだ。つまり『Lamentations』は、バシンシキーのキャリアにおいてもきわめて重要なアルバムであり、同時に2020年のアンビエント・ミュージックを代表する一作であるのだ。

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